共発金剛心
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ぐほつ-こんごうしん
ともに金剛心( 阿弥陀仏によって発起せしめられた金剛のような信心)を発すこと。「玄義分」冒頭の『帰三宝偈』の言葉にもとづく。(改邪鈔 P.944)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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御開山は『帰三宝偈』の、
の文を抄要されて、
- 道俗時衆等 各発無上心
- 道俗時衆等、おのおの無上の心を発せども、
- 生死甚難厭 仏法復難忻。
- 生死はなはだ厭ひがたく、仏法また欣ひがたし。
- 共発金剛志 横超断四流。
- ともに金剛の志を発して、横に四流を超断せよ。
- 正受金剛心 相応一念後
- まさしく金剛心を受けて、一念に相応してのち、
- 果得涅槃者。{抄要}
- 果、涅槃を得んひと。 (信巻 P.244)
とされておられる。
『帰三宝偈』の当分では「道俗の時衆等、おのおの無上心を発せ」という文を自力の菩提心であるから「道俗時衆等、おのおの無上の心を発せども」とよまれた。
そして、他力の金剛の志を発して、横に四流を超断せよとされ、阿弥陀如来の金剛の信(菩提心)を正受せよとされた。
「正信念仏偈」に、「行者正受金剛心 慶喜一念相応後(行者まさしく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応してのち)」(行巻 P.206) とある所以である。