当来に間違いなく、確かに浄土に生まれる者という意。
若当生者の当は、已(過去)、今(現在)、当(未来)の当であり、現生において正定聚であるから浄土建立の因を知ることができるので、そのことを知らない邪定聚および不定聚と違うとする。 御開山はこのような経文にも現生正定聚説をみておられたのであろう。(証巻 P.309) →正定聚