本願鈔
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
本願鈔 『真宗聖教全書』三 歴代部 P-54~P-57
◎真宗法要所収本 (甲)河内願得寺蔵実悟写本 (乙)堺真宗寺蔵室町時代写本 (丙)真宗仮名聖教所収本
- 本願鈔
『大無量寿経』(巻下)言。
諸有衆生、聞其名号信心歓喜、乃至一念、至心廻向願生彼国、即得往生住不退転。
又(大経巻下)言。
其佛本願力、聞名欲往生、皆悉到彼国、自致不退転。
同『経』(大経巻下)流通言。
佛語弥勒、其有得聞、彼佛名号、歓喜踊躍、乃至一念、当知此人、為得大利、則是具足無上功徳。
又同『経』(巻下)言。
設満世界火、必過要聞法、会当成佛道、廣済生死流。
光明寺和尚(礼讃)曰。
設満大千火、直過聞佛名、聞名歓喜讃、皆当得生彼。
同御釈(礼讃)曰。
弥陀智願海、深廣无涯底、聞名欲往生、皆悉到彼国。
わたくしにいはく、この経釈の文にまかするに、黒谷の聖人[源空]より本願寺の聖人[親鸞] 相承しましますところの報土往生の佗力不思議の信心を、善知識ありて、つたへと きてさづくるを、行者ききうるによりて、文のごとく一念歓喜のおもひおこるにつ きて、往生たちどころにさだまるを、正定聚のくらゐに住すともいひ、かならず滅度 にいたるともいひ、摂取不捨の益にあづかるときともいふなり。このときを、すなは ち凡夫自力の心のつくるときなれば、こころのをはりともいふべし。しかればふた たび臨終をまつべきにあらず、来迎をたのむべきにあらず、信心のさだまるとき往 生またさだまるゆへなり。おほよそ来迎は諸行往生にあるべし、弥陀の本願にあら ず。しかれば来迎あるべしと行者これをまつとも不定なるべし。しかれば本願の生 起本末をきくところにて、ときをへだてず日をへだてずして、たちどころに往生さ だまるなり。しかればきくところにて往生さだまるべきによりて、経釈ともに、きき て一念せよとすすめたまへり。しかれば黒谷・本願寺の両聖人の御化導、経釈に符合 せる條、文にありてあきらかなるものをや。しるべし。 黒谷聖人(選択集巻上)のたまはく。
当知、生死之家以疑為所止涅槃之城以信為能入。
本願寺聖人(正信偈)のたまはく。
憶念弥陀佛本願、自然即時入必定、唯能常称如来号、応報大悲弘誓恩。
わたくしにいはく、この御釈のこころは、弥陀佛の本願を善知識よりきくにつきて、 憶念すればすなはちのとき往生さだまるとなり。「唯能常称」とは、往生すでにさだま りぬとしりてのちは、御名をとなへて如来の恩徳をむくひたてまつるべしとなり。 しるべし。
『顕浄土真実信文類』三曰。[本願寺聖人御製作]
真実信心必具名号、名号必不具願力信心也。
わたくしにいはく、この文のこころは、真実の信心にはかならず名号を具すといふ は、本願のをこりを善知識のくちよりききうるとき、弥陀の心光に摂取せられたて まつりぬれば、摂取のちからにて名号をのづからとなへらるるなり。これすなはち 佛恩報謝のつとめなり。「名号必不具願力信心也」といふは、名号をとなへて、この名号 の功力をもて浄土に往生せんとおもふは、名号をもてわが善根とおもひ、名号をも てわがつくる功徳とたのむゆへに、如来の佗力をあふがざるとがによりてまこと
の報土にむまれざれば、名号にはかならずしも願力の信心を具せざるなりと釈し たまへり。しるべし。
建武第四歳[丁丑]八月一日鈔之
応安四年[辛亥]後三月晦日書写
信州善教寺書与也
先考御作也 存覚
本願鈔一帖