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本願鈔

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2018年7月16日 (月) 08:29時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

本願鈔 『真宗聖教全書』三 歴代部 P-54~P-57

◎真宗法要所収本  (甲)河内願得寺蔵実悟写本   (乙)堺真宗寺蔵室町時代写本 (丙)真宗仮名聖教所収本

本願鈔

『大無量寿経』(巻下)言。
諸有衆生、聞其名号信心歓喜、乃至一念、至心廻向願生彼国、即得往生住不退転。 又(大経巻下)言。
其佛本願力、聞名欲往生、皆悉到彼国、自致不退転。
同『経』(大経巻下)流通言。
佛語弥勒、其有得聞、彼佛名号、歓喜踊躍、乃至一念、当知此人、為得大利、則是具足無上功徳。
又同『経』(巻下)言。
設満世界火、必過要聞法、会当成佛道、廣済生死流。
光明寺和尚(礼讃)曰。
設満大千火、直過聞佛名、聞名歓喜讃、皆当得生彼。
同御釈(礼讃)曰。
弥陀智願海、深廣无涯底、聞名欲往生、皆悉到彼国。

わたくしにいはく、この経釈の文にまかするに、黒谷の聖人[源空]より本願寺の聖人[親鸞] 相承しましますところの報土往生の佗力不思議の信心を、善知識ありて、つたへと きてさづくるを、行者ききうるによりて、文のごとく一念歓喜のおもひおこるにつ きて、往生たちどころにさだまるを、正定聚のくらゐに住すともいひ、かならず滅度 にいたるともいひ、摂取不捨の益にあづかるときともいふなり。このときを、すなは ち凡夫自力の心のつくるときなれば、こころのをはりともいふべし。しかればふた たび臨終をまつべきにあらず、来迎をたのむべきにあらず、信心のさだまるとき往 生またさだまるゆへなり。
おほよそ来迎は諸行往生にあるべし、弥陀の本願にあら ず。しかれば来迎あるべしと行者これをまつとも不定なるべし。しかれば本願の生 起本末をきくところにて、ときをへだてず日をへだてずして、たちどころに往生さ だまるなり。しかればきくところにて往生さだまるべきによりて、経釈ともに、きき て一念せよとすすめたまへり。しかれば黒谷・本願寺の両聖人の御化導、経釈に符合 せる條、文にありてあきらかなるものをや。しるべし。

黒谷聖人(選択集巻上)のたまはく。

当知、生死之家以疑為所止涅槃之城以信為能入。
本願寺聖人(正信偈)のたまはく。
憶念弥陀佛本願、自然即時入必定、唯能常称如来号、応報大悲弘誓恩。

わたくしにいはく、この御釈のこころは、弥陀佛の本願を善知識よりきくにつきて、 憶念すればすなはちのとき往生さだまるとなり。「唯能常称」とは、往生すでにさだま りぬとしりてのちは、御名をとなへて如来の恩徳をむくひたてまつるべしとなり。 しるべし。

『顕浄土真実信文類』三曰。[本願寺聖人御製作]
真実信心必具名号、名号必不具願力信心也。

わたくしにいはく、この文のこころは、真実の信心にはかならず名号を具すといふ は、本願のをこりを善知識のくちよりききうるとき、弥陀の心光に摂取せられたて まつりぬれば、摂取のちからにて名号をのづからとなへらるるなり。これすなはち 佛恩報謝のつとめなり。「名号必不具願力信心也」といふは、名号をとなへて、この名号 の功力をもて浄土に往生せんとおもふは、名号をもてわが善根とおもひ、名号をも てわがつくる功徳とたのむゆへに、如来の佗力をあふがざるとがによりてまことの報土にむまれざれば、名号にはかならずしも願力の信心を具せざるなりと釈したまへり。しるべし。

    建武第四歳[丁丑]八月一日鈔之
    応安四年[辛亥]後三月晦日書写
      信州善教寺書与也
      先考御作也     存覚

本願鈔一帖