その名号を聞きて、信心歓喜
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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- 御開山の読みかえの考察。
図はルビンの壺といわれる図形である。人間の知覚について図と地の分化を示す例として使われる図形である。この図形は図(黒い部分)に着目すれば壺に見えるのだが、白の地から見れば向き合った2人の顔が浮かび上がる。感覚や記憶によって認識が異なる一例である。
御開山は、我々が通常読むような聖典の読み方ではなく、全く違う視点から御聖教を訓(よ)まれるのだが、まさにこのような読み方は信心の智慧に拠って読み説かれたのであろう。御開山は自らの裡(うち)に真実は無いという事を真実とされた方であった。真実とは阿弥陀如来でしかあり得ないという信(まこと)の立場から阿弥陀如来の必ず摂取するという本願の信を受容されたのであった。法然聖人が開顕された浄土宗を浄土真宗と、真宗(真実の宗義)とされた所以である。