第十一願
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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「証巻」で、必至滅度の願、証大涅槃の願名を挙げ、『浄土文類聚鈔』では、この二願名に加えて往相証果の願名を挙げておられる。
古来から、この第十一願の願体について住正定聚か必至滅度かの論義があったのだが、御開山は住正定聚は現生に於いて得る益であるとして、第十一願の願体を必至減度であるとされた。それ故に「証文類」の標挙には「必至滅度の願」を挙げておられるのであった(*)。そして正定聚が現生であることの意を『一念多念証文』では、
- 「それ衆生あつて、かの国に生れんとするものは、みなことごとく正定の聚に住す。ゆゑはいかんとなれば、かの仏国のうちには、もろもろの邪聚および不定聚はなければなり」とのたまへり。 (一多 P.680)
と「かの国に生れんとするものは」と、本願を信楽する念仏の行者は、現生正定聚の意を明かしておられた。
- 原文:
- 訓点:
設我得レ仏 国中人天 不下住二定聚一 必至中滅度上者 不レ取二正覚一。
- 読下し:
たとひわれ仏を得たらんに、国中の人・天、定聚に住し、かならず滅度に至らずは、正覚を取らじ。
- 現代語:
わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々が正定聚に入り、必ずさとりを得ることがないようなら、わたしは決してさとりを開きません。