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トーク

一願建立

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2021年1月29日 (金) 10:58時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

『大経』と『観経』の説かれた時期の前後について記述してある「廬山寺本」から寿前観後(『大経』が先に説かれ『観経』はその後に説かれた)といふ意を示す文を『原典版聖典』七祖篇 校異 1552頁より引用し読下しておく。この「廬山寺本」から法然聖人も『無量寿経』が根本であるとみておられたことが判る。法然聖人は「偏依善導」と言われるから『観経』によって宗義を建てておられると見られがちなのだが、根源的には『大経』の本願に拠って「選択本願念仏」のご法義を顕しておられることがわかるのである。〔念仏三昧は立せんがために説く※。の後に以下の文がある。〕(選択集 P.1262 ※)
問曰雙卷觀經二經前後互有是非古今諍論然今得何決智定壽經前説乎
問いて曰く、『双巻』・『観経』二経の前後は互に是非あり。古今の諍論なり。しかれば今、何の決智を得てか『寿経』前説と定めんや。
就中大阿彌陀經與雙卷經是同本異譯也然彼大阿彌陀經云阿闍世王太子和休聞二十四願經發願此觀經云有一太子名阿闍世及太子前後應知如此説者觀經是前壽經是後
中に就いて(なかんづく)『大阿弥陀経』と『双巻経』とはこれ同本異訳也。しかれば彼の『大阿弥陀経』に阿闍世王太子和休[1]、二十四願経を聞きて云く、願を発すと。この『観経』に云く、ひとりの太子あり、阿闍世と名く太子の前後に及ぼして知るべし。この説の如くんば、『観経』はこれ前(さ)き、『寿経』は是れ後なることを。
答曰二經前後實雖難知而以道理推驗壽經是前説一云佛與行者修因感果之理二云佛身觀中念佛衆生之理三云法藏比丘四十八大願等之理也
答へて曰く、二経の前後、実に知り難しといへども道理を以つて推験するに『寿経』はこれ前説なり。一に云く、仏と行者と修因感果の理。二に云く仏身観の中の念仏衆生の理。三に云く法蔵比丘四十八大願等の理なり。
一佛與行者理者雙卷經中説法藏比丘修因及明無量壽佛感果此觀經中説行者定散修因及明九品往生感果若夫前不聞佛與土云何後有修因求果也
一に仏と行者と理とは『双巻経』の中に法蔵比丘の修因を説く、及び無量寿仏の感果を明す。この『観経』の中に行者の定散修因を説き、及び九品往生の感果を明す。もしそれ前に仏と土を聞かずんば、いかんが後に修因ありて果を求めん。
然則次於彌陀修因感果來于行者修因感果故知壽經前觀經後説也
しかれば則ち弥陀修因感果に次いで、行者の修因感果来たることなるが故に知んぬ、『寿経』はさき『観経』は後の説といふことを。
二念佛衆生之理者念佛之行相細説雙卷經此經之中説定散諸行未説念佛行相若亦雙卷在前不説念佛以何得知有念佛法
二に念仏衆生の理とは、念仏の行相細く『双巻経』に説けり。この経の中に定散の諸行を説きて、未だ念仏の行相を説かず。もしまた『双巻』の前に在りて、念仏を説かざるに、何を以つてか念仏の法あると知ることを得ん。
而於壽經中本願爲首説念佛法有七處文一謂本願文二謂願成就文三謂上輩之中一向專念文四謂中輩之中一向專念文五謂下輩之中乃至十念文六謂同輩之中乃至一念文七謂流通之初一念無上文是也
しかも『寿経』の中において本願を首として念仏の法を説きたまふに七処の文あり。一に謂く本願の文。二に謂く願成就の文。三に謂く上輩の中の一向専念の文。四に謂く中輩の中の一向専念の文。五に謂く下輩の中の乃至十念の文。六に謂く同輩の中の乃至一念の文。七に謂く流通の初の一念無上の文これなり。
若念佛法不聞于前云何直説念佛衆生故知壽前觀後
もし念仏の法、前に聞かざれば、いかんが直に念仏衆生と説かん。故に知んぬ寿前観後なることを。
三法藏比丘之理者第七觀終云是本法藏比丘願力所成中品下生之中又云亦説法藏比丘四十八大願
三に法蔵比丘の理とは第七観の終に、これ本法蔵比丘願力所成と云えり。中品下生の中にまた云く、説法蔵比丘 四十八大願と云ふ。
若法藏因名六八願不説于前云何能直云法藏比丘四十八大願也
もし法蔵の因を六八願と名づくること前に説かずんば、いかんが能く直に法蔵比丘四十八大願と云わん。
以此等理而推驗之壽前觀後正是明矣
此等の理を以つて、しかもこれを推験するに寿前観後、まさにこれ明らけし。
但至王與太子者玅樂大師云部別見別不須和會仰荊溪獨步之才
ただ王と太子とに至つては、玅楽大師、部別 見別 不須和会と云ひ、荊渓独歩の才を仰ぐ。
故知、観経所説念仏起自寿経。
ゆゑに知りぬ、『観経』所説の念仏は、『寿経』より起こる。
所以大経是念仏根本、説本願故
ゆゑんは『大経』はこれ念仏の根本なり、本願を説くがゆゑに。
観経是念仏枝末、依本願故。
『観経』はこれ念仏の枝末なり、本願によるがゆゑに。
然則雖説定散諸行 非本願故 以不付属者也
しかればすなわち、定散諸行を説くといえども、本願に非ざるが故に以て付属せず。(『原典版聖典』七祖篇 校異 1552頁)

また法然聖人は御開山の記述された『西方指南鈔』上末で、

次に『双巻無量寿経』・浄土三部経の中には、この経を根本とするなり。 (法然聖人御説法事)

と『双巻無量寿経』を根本の経であるとみておられたのである。後年、浄土真宗(教団の意)では、法然聖人と御開山の差異を強調する為に法然聖人は『観経』に依拠したと語るのだが、甚だしい錯誤である。

参照の引用:東宗要


  1. 阿闍世王太子。『無量寿経』異訳の『大阿弥陀経』や『平等覚経』には、阿闍世王太子の名が出るのでこれを阿闍世王の太子、和休であるとみる。そして『観経』には「王舎大城にひとりの太子あり、阿闍世と名づく」と阿闍世の王位簒奪を説く。そこで、異訳の『大阿弥陀経』や『平等覚経』には、阿闍世王の太子とある事から『観経』が先に説かれたのではないかといふこと。なお御開山は「行文類」で『平等覚経』で阿闍世王太子が無量光明土へ往生したいという願う意を引文されておられる。(行巻 P.144) →阿闍世王太子