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御文章集成

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2021年10月11日 (月) 17:47時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版



御文章集成

年 紀

(一)
當流上人の御勸化の信心の一途は、つみの輕重をいはず、また妄念妄執のこゝろのやまぬなんどいふ機のあつかひをさしをきて、たゞ在家止住のやからは、一向にもろもろの雜行雜修のわろき執心をすてゝ彌陀如來の悲願に歸し、一心にうたがひなくたのむこゝろの一念をこるとき、すみやかに彌陀如來光明をはなちて、そのひとを攝取したまふなり。これすなはち佛のかたよりたすけましますこゝろなり。またこれ信心を如來よりあたへたまふといふもこのこゝろなり。さればこのうへには、たとひ名號をとなふるとも、佛たすけたまへとはおもふべからず。たゞ彌陀をたのむこゝろの一念の信心によりて、やすく御たすけあることの、かたじけなさのあまり、如來の御たすけありたる御恩を報じたてまつる念佛なりとこゝろうべきなり。これまことの專修專念の行者なり。これまた當流にたつるところの一念發起平生業成とまうすもこのこゝろなり。あなかしこ、あなかしこ。
寛正二年三月 日

(二)
凡親鸞聖人の御勸化の一義のこゝろは、あながちに出家發心のかたちを本とせず、捨家棄欲のすがたを表せず、たゞ一念發起平生業成とたてゝ、來迎を期せず、 臨終をまたず、在家愚鈍の身は、もろもろの雜行のこゝろ雜修の機をなげすてゝ、一向一心に彌陀如來の不思議の願力をたのみたてまつるこゝろの二も三もなきかたを、信心發得の行者といふなり。さればこのくらゐの人をさして、龍樹菩薩は「卽時入必定」(十住論卷*五易行品)といひ、曇鸞和尙は「一念發起入正定之聚」(論註*卷上意)と釋したまへり。これによりて南无阿彌陀佛といへる行體は、まづ南无の二字は歸命なり、歸命のこゝろは往生のためなれば、またこれ發願なり。されば南无とたのめば阿彌陀佛の御かたより光明をはなちて行者を攝取しましますがゆへに、われらが往生ははや治定なりとおもふべきものなり。このこゝろを『觀經』には、「光明遍照十方世界念佛衆生攝取不捨」とときたまふなり。このくらゐを一念歸命の信心さだまる行者とはいふなり。それにつきては、たゞ信心をおこすといふも、これあながちにわがかしこくておこすにはあらず。そのゆへは宿善ある機を彌陀の大慈大悲によりて、かたじけなくもよくこれをしろしめされて、无㝵の光明をもて十方世界をてらしたまふとき、われらが煩惱惡業は光明の縁にあふによりて、すなはち罪障消滅して、たちまちに信心決定の因はおこさしむるものなりとしるべし。さればこのこゝろをすなはち佛智他力のかたよりさづけたまふ利他の三信とまうすなり。この他力の信心をひとたび決定してのちは、彌陀如來のわれらごときの愚鈍下智の機をたやすくたすけまします御恩のかたじけなやと、ふかくおもひとりて念佛をまうし、その佛恩を報ずべきものなり。このゆへになをわが往生極樂のためなんどゝおもひて、すこしきの念佛をもまうさば、それはなを自力はなれぬこゝろなりとおもふべし。たゞ佛恩のふかきことをおもひて、つねに名號をとなふべきなり。さればこのこゝろを、善導の釋には「自信敎人信 難中轉更難 大悲傳普化 眞成報 佛恩」(禮讚)ともいへり。又親鸞聖人は「眞實信心必具名號名號必不具願力信心也」(信卷)ともおほせられたり。あなかしこ、あなかしこ。
文正元

(三)
おほよす當流の勸化のをもむきは、あながちに出家發心のすがたを表せず、捨家棄欲のかたちを本とせず、一念發起の信心のさだまるとき往生は決定なり。さればかものはぎのみじかきをも、つるのはぎのながきをもいろはず、をのれをのれのかたちにて、あきなひをするものはあきなひしながら、奉公をするものは奉公しながら、さらにそのすがたをあらためずして不思議の願力を信ずべし。これ當流の勸化一念發起平生業成の儀なりと[云々]。
かきをきし ふみのことばに のこりけり
むかしがたりは きのふけふにて
應仁二年四月仲旬
蓮如 御判

(四)
かきをきし 筆のあとこそ あはれなれ
むかしをおもふ 今日の夕暮
このごろの信心がほの行者たち、あらあさましや、眞宗の法をえたるしるしには學匠沙汰のえせ法門、我身のほかは信心のくらゐをしりたるものなしと思こゝろは、憍慢のすがたにてはなきかとよ。その心むきはよきとおもふ安心か。これよく經釋をしりたるふたつの勘文かや。
應仁貳年四月廿二日夜、予がゆめにみるやう、たとへ ばある俗人の二人あるけるが、そのすがたきはめていやしげなるが、一人の俗人に對してかくのごとく文を二、三反ばかり誦しければ、かの俗人この文の意をうちきゝて申やう、あらあさましや、さてはとしごろ我等がこゝろえのをもむきはあしかりけりとおもふなりといひはんべるとおぼへて、ゆめさめをはりぬ。この文をたしかにそらにおぼへけるまゝにかきしるしをはりぬ。不思儀なりしことなりと[云々]。
〔應仁二年四月廿四日書之
釋蓮如御在判〕
かきとむる 筆の跡こそ あはれなれ
わがなからんのちの かたみともなれ

(五)
夢中文
このごろの信心がほの行者たち、あらあさましや、眞宗の法をゑたるしるしには學生沙汰のゑせ法文、わが身のほかは信心のくらゐをしりたるものなしとおもふこゝろは、憍慢のすがたにてはなきかとよ。そのこゝろむきはよきとおもふ安心か。これよく經釋をしりたるふたつの勘文かや。
應仁二年四月廿二日夜、予がゆめにみるやう、たとへばある俗人の二人ありつるが、そのすがたはきはめていやしげなりけるが、その一人の俗に對してこの文を二、三返ばかり誦しければ、かの俗人この文のこゝろをうちきゝていふやう、あさましや、さてはとしごろわれらがこゝろゑつるおもむきはあしかりけりとおもふなりといひはんべるとおぼへて、ゆめさめおはりぬ。さてこの文をたしかにおぼへけるほどにかきつけぬ。不思議なりし文なりと[云々]。

(六)
應仁二年孟冬仲旬之比より江州志賀郡大津邊より忍出、紀伊國高野山一見のついでに、和州吉野の奧十津川の ながせ鬼が城といひし所へゆきはんべりし時、あまりに道すがら難所なりし間、かなしかりしほどに、かくぞつゞけ侍しなり。
高野山より十津河小田井の道にて、
奧吉野 きびしき山の そわづたひ
十津河をつる のながせの水
十津河の 鬼すむ山と きゝしかど
すぎにし人の あとゝおもへば
これほどに はげしき山の 道すがら
のりのゆかりに あふてやはゆく
十津川より小田井の道にて、
谷々の さかりの紅葉 三吉野の
山の秋ぞ 物うき
山々の さかしき道を すぎゆけば
河にぞつれて かへる下淵
下淵より河づらの道にて、
三吉野の 河づらつゞく いゝがゐの
いもせの山は ちかくこそみれ
河づらよりし吉野藏王堂一見の時、一年のうかりし事をいまおもひ出て、
いにしへの 心うかりし 三吉野の
いふは紅葉も さかりとぞみる
應仁二年孟冬仲旬信證院兼壽法印[御判有之]

(七)
如來の御弟子か我弟子か之事
或人いはく、當流のこゝろは、門徒をばかならずわが弟子とこゝろえおくべく候やらん、如來・聖人の御弟子とまふすべく候やらん、委細存知せず候。また在々 所々にわが弟子なんどをもちて候をも、てつぎの坊主にはあひかくしをくやうに候は、愚身これもわろきことにて候よしうけたまはりおよぶやうに候はいかん、委細しめしうけたまはり候て、日ごろの不審をはれたく候。肝要ばかりにて候。答ていはく、まことにこの御不審は宿善も純熟し候かとおぼへて、殊勝にそゞろにありがたく存じ候。いさゝか聽聞つかまつりをき候をもむきいかでかまふしはんべらざるべき。
故上人おほせにのたまはく、「親鸞は弟子一人ももたず」とこそおほせられ候ひつれ。そのゆへは如來の敎法を十方衆生にとききかしむるは、たゞ如來の御代管を申しつるなり。さらに親鸞めづらしき法をもひろめず、如來の敎法をわれも信じ、人にもをしへきかしむるばかりなり。そのほかはなにををしへて弟子といはんぞとおほせられけり。さればとも同朋なるべきものなり。これによりて上人は御同朋・御同行とこそ、かしづきておほせられけり。ちかごろは大坊主分の人も、われは一流の安心の次第をもしらず、たまたま弟子のありて、信心の沙汰のあるところへちかづきて聽聞し候人をば、ことのほか說諫をくはへ候て、あるひはなかをたがひなんどせられ候あひだ、坊主もしかしかと信心の一理をも聽聞せず、また弟子をばかくのごとくあひさゝへられ候あひだ、我も信心決定せず、弟子も信心決定せずして、一生はむなしくすぎゆくやうに候はんこと、まことにもて自障障他の道理のとがのがれがたく候。あなかしこ、あなかしこ。
答て、この御不審もとも肝要と存候て殊勝におぼへ候。かたのごとくみゝにとゞめをき候おもむき申のぶべく候。
近比加州片山里居住仕候。

(八)
文明第三炎天のころ、賀州加卜郡五ケ庄の内かとよ、 或片山邊に人十口ばかりあつまりゐて申しけるは、このごろ佛法の次第以外わろき由を讚嘆しあへり。そのなかに勢たかく色くろき俗人ありけるが、かたりけるは、一所の大坊主分たる人に對して佛法の次第を問答しける由を申て、かくぞかたり侍りけりと[云云]。
件俗人問て、當流の大坊主達はいかやうにこゝろねをもちて、その門徒中の面々をば御勸化候やらん、御心もとなく候。くはしく存知仕候て聽聞すべく候。
大坊主答ていはく、佛法の御ゆうをもて朝夕をまかりすぎ候へども、一流の御勸化のやうをもさらに存知せず候。たゞ手つぎの坊主へ禮儀をも申し、又弟子の方より志をもいたし候て、念佛だに申し候へば肝要とこゝろゑたるまでにてこそ候へ。さ候間、一卷の聖敎をも所持候分も候はず、あさましき身にて候。委細かたり給ふべく候。
俗のいはく、その信心と申すすがたをばさらさら御存知なく候やらん。
答ていはく、我等が心得をき候分は、彌陀の願力に歸したてまつりて朝夕念佛を申し、佛け御たすけ候へとだにも申候へば往生するぞと心得てこそ候へ、そのほかは信心とやらんも安心とやらんも存ぜず候。これがわろく候はゞ御敎化候へ、可聽聞候。
俗いはく、さては大坊主分にて御座候へども、さらに聖人一流の御安心の次第をば御存知なく候。我等は俗體の身にて大坊主分の人に一流の信心のやう申入候は斟酌のいたりに候へども、「四海みな兄弟なり」(論註*卷下)と御沙汰候へば、かたのごとく申入べく候。
坊主答ていはく、誠以貴方は俗人の身ながらかゝる 殊勝の事を申され候ものかな、いよいよ我等は大坊主にては候へども、いまさらあさましくこそ存候へ、早々うけ給り候へ。
答ていはく、かくのごとく御定候あひだ、如法出物に存候へども、聽聞仕置候おもむき大概申入べく候。御心をしづめられ候てきこしめさるべく候。まづ聖人一流の御勸化のおもむきは、信心をもて本とせられ候。そのゆへはもろもろの雜行をなげすてゝ、一心に彌陀に歸命すれば、不可思儀の願力として、佛のかたより往生を治定せしめ給ふなり。このくらゐを「一念發起入正定之聚」(論註*卷上意)とも釋したまへり。このうへには行住座臥の稱名念佛は、如來我往生をさだめ給ふ御恩報盡の念佛と心得べきなり。これを信心決定の人とは申なり。次、坊主樣の信心の人と御沙汰候は、たゞ弟子のかたより細々に音信をも申、又なにやらんをもまひらせ候を信心の人と仰られ候。これは大なる相違とぞ存候。よくよく此次第を御こゝろゑ候て、眞實の信心を決定あるべきものなり。當時は大略かやうの人を信心のものと仰られ候。あさましき事にはあらず候哉。此次第をよくよく御分別候て、御門徒の面々をも御勸化候はゞ、いよいよ佛法御繁昌あるべく候ふあひだ、御身も往生は一定、又御門徒中もみな往生決定せられ候べき事うたがひなく候。これすなはち「自信敎人信 難中轉更難 大悲傳普化 眞成報佛恩」(禮讚)の釋文に符合候べき由申候處に、大に坊主悅て殊勝のおもひをなし、まことに佛在世にあひたてまつりたるこゝろして、解脫の法衣をしぼり、歡喜のなみだをながし、改悔懺悔のこゝろいよいよふかくして申されけるは、向後我等が少門徒をも貴方へ進じをくべく候。つねには御勸化候て信心決定させ給ふべく候。我等も自今已後は細々に參會をいたし、聽聞申て佛法讚嘆仕るべく候。誠に「同一念佛无別道故」(論註*卷下)の釋文、いまにおもひあはせられてあ りがたく候ふとて、此炎天のあつさにや扇うちつかひてほねおりさうにみゑて、この山中をぞかへるとて、またたちかへり、ふるき事なれども、かくぞ口ずさみける。
うれしさを むかしは袖に つゝみけり
こよひは身にも あまりぬる哉
と申すてゝかへりけり。まことにこの坊主も、宿善の時いたるかとおぼへて、佛法不思議の道理もいよいよありがたくこそおぼへはんべれ。あなかしこ、あなかしこ。

(九)
或人いはく、當流のこゝろは、門徒をばかならず我弟子とこゝろへおくべく候やらん、如來・上人の御弟子とまふすべく候ふやらん、その分別を存知せず候ふ。又在々所々に小門徒をもちて候をも、此間は手つぎの坊主にはあひかくしおき候やうに心中をもちて候。これもしかるべくもなき由、人のまふされ候間、同くこれも不審千萬に候。御ねんごろに承度候。
答ていはく、此不審尤肝要とこそ存候へ。かたのごとく耳にとゞめおき候分、まふしのぶべくきこしめされ候へ。
故聖人の仰には、「親鸞は弟子一人ももたず」とこそ仰られ候ひつれ。そのゆへは如來の敎法を十方衆生にとききかしむるときは、たゞ如來の御代管をまふしつるばかりなり。さらに親鸞めづらしき法をもひろめず、如來の敎法を我も信じ、人にもおしへきかしむるばかりなり。その外はなにをおしへて弟子といはんぞと仰られつるなり。さればとも同行なるべきものなり。これによりて聖人は御同朋・御同行とこそ、かしづきて仰られけり。さればちかごろは大坊主分の 人も、我は一流の安心の次第をもしらず、たまたま弟子のなかに信心の沙汰する在所へゆきて聽聞し候人をば、事外說諫をくはへ候て、或は中をたがひなんどせられ候間、坊主もしかしかと信心の一理をも聽聞せず、又弟子をばかやうにあひさゝえ候ふあひだ、我も信心決定せず、弟子も信心決定せずして、一生はむなしくすぎゆくやうに候事、まことに自損損他のとがのがれがたく候。あさましあさまし。
古歌にいはく、
うれしさを むかしはそでに つゝみけり
こよゐ【は】を身にも あまりぬるかな
「うれしさをむかしはそでにつゝむ」といへるこゝろは、むかしは雜行・正行の分別もなく、念佛だにも申せば、往生するとばかりおもひつるこゝろなり。「こよゐは身にもあまる」といへるは、正雜の分別をきゝわけ、一向一心になりて、信心決定のうへに佛恩報盡のために念佛まふすこゝろは、おほきに各別なり。かるがゆへに身のおきどころもなく、おどりあがるほどにおもふあひだ、よろこびは身にもうれしさがあまりぬるといへるこゝろなり。
文明三年七月十五日
(帖内一-一)

(一〇)
【〔加州二役にて〕文明三 七月十六日】文明第三 初秋仲旬之比、加州或山中邊において人あまた會合して申樣、近比佛法讚嘆、事外わろき由をまふしあへり。そのなかに俗の一人ありけるが申樣、去比南北の念佛の大坊主もちたる人に對して法文問答したるよしまふして、かくこそかたり侍べりけり。
俗人いはく、當流の大坊主達はいかやうに心ねを御もちありて、その門徒中の面々をば御勸化候哉覽、無御心元候。委細蒙仰度存候。
坊主答云、當流上人の御勸化の次第は、我等も大坊主 一分にては候へども、巨細はよくも存知せず候。乍去、凡先師などの申おき候趣は、たゞ念佛だに申せ、たすかり候とばかり承り置候が、近比はやうがましく信心とやらんを具せずは往生は不可と若輩の申され候が、不審にこそ候へ。
俗問いはく、その信心といかやうなる事を申候哉。
答いはく、先我等が心得置候分は、彌陀如來に歸したてまつりて朝夕念佛を佛御たすけ候へとだにも申候へば、往生は一定と心得てこそ候へ。其外は大坊主をばもちて我等も候へども、委細は存知せず候。
俗問ていはく、さては以前蒙仰候分は、以外此間我等聽聞仕候には大に相違して候。先大坊主分にて御渡り候へ共、更に上人一流の安心の次第は御存知なく候。我等事は誠に俗體の身にて候へども、申候詞をも、げにもと思食しより候はゞ、聽聞仕候分は可申入候にて候。
坊主答云く、誠以貴方は俗體の身ながら、かゝる殊勝の事を申され候者哉。委細御かたり候へ、可聽聞候。
俗答いはく、如法出物なる樣に存候へ共、如此蒙仰候之間、聽聞仕候趣大概可申入候。我等事は奉公の身にて候之間、常在京なども仕候間、東山殿へも細々參候て聽聞仕分をば、心底をのこさずかたり可申候。御心にしづめられ可被聞召候。先御流御勸化の趣は、信心をもて本とせられ候。そのゆへはもろもろの雜行をすてゝ、一心に彌陀如來の本願はかゝるあさましき我等をたすけまします不思儀の願力也と、一向にふたごゝろなきかたを、信心の決定の行者とは申候也。さ候時は、行住座臥の稱名も自身の往生の業とはおもふまじき事にて候。彌陀他力の御恩を報じ申す念佛なりと心 得うべきにて候。
次に、坊主樣の蒙仰候信心の人と御沙汰候は、たゞ弟子の方より坊主へ細々に音信を申し、又物をまひらせ候を信心の人と仰られ候。大なる相違にて候。能々此次第を御心得あるべく候。されば當世はみなみなかやうの事を信心の人と御沙汰候。以外あやまりにて候。此子細を御分別候て、御門徒の面々をも御勸化候はゞ、御身も往生は一定にて候、又御門徒中もみな往生せられ候べき事うたがひもなく候。是則誠に「自心敎人信[乃至]大悲傳普化」(禮讚)の釋文にも符合せりと申侍べりしほどに、大坊主も殊勝のおもひをなし、解脫の衣をしぼり、歡喜のなみだをながし、改悔のいろふかくして申樣、向後は我等が散在の小門徒の候をも、貴方へ進じおくべき由申侍べりけり。又なにとおもひいでられけるやらん、申さるゝ樣は、あらありがたや、彌陀の大悲はあまねけれども、信ずる機を攝取しましますものなりとおもひいでゝ、かくこそ一首は申されけり。
月かげの いたらぬところは なけれども
ながむる人の こゝろにぞすむ
といへる心も、いまこそおもひあはせられてありがたくおぼへはんべれとて、此山中をかへらんとせしが、おりふし日くれければ、またかやうにこそくちずさみけり。
つくづく おもひくらして 入あひの
かねのひゞきに 彌陀ぞこひしき
とうちながめ日くれぬれば、足ばやにこそかへりにき。
釋蓮如(花押)
〔文明三年七月十六日〕

(一一)
當流親鸞聖人の一義は、あながちに出家發心のかたちを本とせず、捨家棄欲のすがたを標せず、たゞ一念歸命の他力の信心を決定せしむるときは、さらに男 女老少をゑらばざるものなり。さればこの信をえたるくらゐを『經』(大經*卷下)には「卽得往生住不退轉」ととき、釋には「一念發起入正定之聚」(論註*卷上意)ともいへり。これすなはち不來迎の談、平生業成の義なり。
『和讚』(高僧*和讚)にいはく、「彌陀の報土をねがふひと 外儀のすがたはことなりと 本願名號信受して 寤寐にわするゝことなかれ」といへり。「外儀のすがた」といふは、在家・出家、男子・女人をゑらばざるこゝろなり。つぎに「本願名號信受して寤寐にわするゝことなかれ」といふは、かたちはいかやうなりといふとも、又つみは十惡・五逆・謗法・闡提のともがらなれども、廻心懺悔して、ふかくかゝるあさましき機をすくひまします彌陀如來の本願なりと信知して、ふたごゝろなく如來をたのむこゝろの、ねてもさめても憶念の心つねにしてわすれざるを、本願たのむ決定心をゑたる信心の行人とはいふなり。さてこのうへには、たとひ行住座臥に稱名すとも、彌陀如來の御恩を報じまふす念佛なりとおもふべきなり。これを眞實信心をゑたる決定往生の行者とはまふすなり。
あつき日に ながるゝあせは なみだ【かな】にて
かき【お】をくふでの あとぞおかしき
文明三年七月十八日
(帖内一-二)

(一二)
勢ひきゝ人のいはく、先年京都上洛のとき、高野へのぼるべき心中にて候ところに、乘專申されけるは、御流の儀はあながちに高野なんどへまひるは本儀にあらず、當流安心決定せしめんときは、いかにも御本 寺に堪忍つかまつりたらんが、報恩謝德の道理たり。しかれば我等もその義にて堪忍まふすなりと、こまごまと佛法次第かたりたまふほどに、それより御流の安心にはもとづきたてまつるなり。さいはひに和田の御新發意、その時分御在京候あひだ隨逐まふし候て、いよいよ佛法次第聽聞つかまつりさふらひて、それよりこのかた御流の安心にはなをなをもとづきまふすなり。これしかしながら御新發意の御恩いまにあさからざるなり。さ候あひだ、聽聞つかまつりさふらふ次第すこしはわろくもまふし候、またはあらくもまふし候いはれにや、越州・加州不信心の面々には件の心源とまふされ候て、かぜをひき候き。しかれども正法の御威光によりて儀理のちがひさふらふところをも、うけたまはりわけさふらふによりて、已前のごとくにはあひかはりて沙汰つかまつり候あひだ、すでにはやその名をあらためて蓮崇とこそまふし候なり。なほなほも相違の子細あるべくさふらふほどに、たれびともよくよく御敎訓にあづかりさふらはゞ、まことにもて「同一念佛无別道故」(論註*卷下)のことはりにあひかなひ候べきものなり。
文明三年九月十八日

(一三)
まづ當流の安心のおもむきは、あながちにわがこゝろのわろきをも、また妄念妄執のこゝろのおこるをも、とゞめよといふにもあらず、たゞあきなひをもし、奉公をもせよ、獵・すなどりをもせよ。かゝるあさましき罪業にのみ朝夕まどひぬるあさましき我等ごときのいたづらものを、たすけんとちかひまします彌陀如來の本願にてましますぞとふかく信じて、一心にふたごゝろなく彌陀一佛の悲願にすがりて、たすけましませとおもふこゝろの一念の信まことなれば、かならず如來の御たすけにあづかるものなり。このうへにはな にとこゝろへて念佛まふすべきぞなれば、往生はいまの信力によりて御たすけありつるかたじけなき御恩報謝のために、わがいのちあらんかぎりは、報謝のためとおもひて念佛まふすべきなり。これを當流の安心決定したる信心の行者とはまふすべきなり。
文明三年十二月十八日
(帖内一-三)

(一四)
一念多念事
【これもぬきがき】一 「眞宗の肝要は一念往生をもて淵源とし、一念をもては往生治定の時剋とさだめて、そのときのいのちのぶれば、自然と多念におよぶ道理なり。されば平生のとき一念往生治定のうへの佛恩報謝の多念の稱名とならふところなり。一念も多念もともに往生のための正因たるやうにこゝろえみだす條、すこぶる經釋に違せるもの歟。されば先達よりうけたまはりつたへしがごとくに、他力の信をば一念に卽得往生ととりさだめて、そのときいのちをはらざらん機は、いのちあらんほどは念佛すべし。これすなはち上盡一形の釋にかなへり。しかるに世のひとつねにおもへらく、上盡一形の多念も宗の本意とおもひて、それにかなはざらん機のすてがてらの一念とこゝろうる歟。これすでに彌陀の本願に違し、釋尊の言說にそむけり。そのゆへは如來の大悲短命の根機を本とせば、いのち一刹那につゞまる无常迅速の機いかでか本願に乘ずべきや。」(口傳*鈔意)
上盡一形下至一念事
【二】「下至一念といふは、本願をたもつ往生決定の時剋なり。上盡一形といふは、往生卽得のうへの佛恩報 謝のつとめなり。」(口傳*鈔意)
平生業成事
【三】「そもそも宿善開發の機において、平生に善知識のおしへをうけて、至心・信樂・欲生の歸命の一心他力よりさだまるとき、正定聚のくらゐに住し、また卽得往生住不退轉の道理をこゝろえなん機は、ふたゝび臨終の時分に往益をまつべきにあらず。そののちの稱名は佛恩報謝の他力催足の大行たるべき條、文にありて顯然なり。
念佛往生は臨終の善惡を沙汰せず、至心・信樂・欲生の歸命の一心他力よりさだまるとき、卽得往生住不退轉の道理を善知識にあふて聞持する平生のきざみに、往生は治定するものなり」(口傳*鈔意)と[云々]。
文明四年二月八日

(一五)
善導云、
「諸衆生等久流生死不解安心。」(禮讚意)[文]
この文のこゝろは、あらゆる衆生ひさしく生死に流轉することはなにのゆへぞといへば、安心決定せぬいはれなり。
又云、
「安心定意生安樂。」(禮讚意)[文]
この文のこゝろは、安心さだまりぬれば安樂にかならずむまるゝなりといへり。
【これはみなぬきがきなり】【四】一 「眞宗においてはもはら自力をすてゝ他力に歸するをもて宗の極致とするなり。」(改邪*鈔意)
【五】一 「三業のなかには口業をもて他力のむねをのぶるとき、意業の憶念、歸命の一念おこれば、身業禮拜のために、竭仰のあまり瞻仰のために、繪像・木像の本尊を、あるひは彫刻しあるひは畫圖す。しかのみならず佛法示誨の恩德を戀慕し仰崇せんがために、三國傳來の祖師・先德の尊像を圖繪し安置すること、こ れつねのことなり。」(改邪*鈔意)
【六】一 「光明寺の和尙の御釋をうかゞふに、安心・起行・作業の三ありとみえたり。そのうち起行・作業の篇をばなを方便のかたとさしおきて、往生淨土の正因は安心をもて定得すべきよしを釋成せらるゝ條、勿論なり。しかるに吾大師聖人このゆへをもて他力の安心をさきとしまします。それについて三經の安心あり。そのなかに『大經』をもて眞實とせらる。『大經』のなかには第十八の願をもて本とす。」(改邪*鈔意)
【七】一 「第十八の願にとりてはまた願成就をもて至極とす。信心歡喜乃至一念をもて他力の安心とおぼしめさるゝゆへなり。この一念を他力より發得しぬるのちには、生死の苦海をうしろになして涅槃の彼岸にいたりぬる條、勿論なり。この機のうへは他力の安心よりもよほされて、佛恩報謝の起行・作業はせらるべきによりて、行住座臥を論ぜず、長時不退に到彼岸のいひあり」(改邪鈔)と[云々]。
【八】一 「『觀經』所說の至誠・深心等の三心をば凡夫のおこすところの自力の三心ぞとさだむなり。」(改邪*鈔意)
【九】一 「『大經』所說の至心・信樂・欲生等三信をば他力よりさづけらるゝところの佛智とわけられたり。しかるに方便より眞實へつたひ、凡夫發起の三心より如來利他の信心に通入するぞとおしへおきましますなり」(改邪鈔)と[云々]。
廢立といへる事
【十】一 「眞宗の門においてはいくたびも廢立をさきとせり。廢といふは捨なりと釋す。聖道門の此土入聖得果、己身の彌陀、唯心の淨土等の凡夫不堪の自力の修 道をすてよとなり。
立といふはすなはち彌陀他力の信をもて凡夫の信とし、彌陀他力の行をもて凡夫の行とし、彌陀他力の作業をもて正業として、この穢界をすてゝかの淨刹に往生せよとしつらひたまふをもて、眞宗のこゝろとするなり」(改邪*鈔意)と[云々]。
文明四年二月八日

(一六)
【十一】「一向專修の名言をさきとして、佛智の不思議をもて報土往生をとぐるいはれをばその沙汰におよばざる、いはれなきこと。
それ本願の三信心といふは、至心・信樂・欲生これなり。まさしく願成就したまふには聞其名號信心歡喜乃至一念とらとけり。この文について凡夫往生の得否は乃至一念發起の時分なり。このとき願力をもて往生決得すといふはすなはち攝取不捨のときなり。もし『觀經義』によらば安心定得といへる、これなり。また『小經』によらば一心不亂ととける、これなり。しかれば祖師聖人御相承弘通の一流の肝要これにあり。こゝをしらざるをもて他門とし、これをしれるをもて御門弟のしるしとす。そのほかかならずしも外相において一向專修行者のしるしをあらはすべきゆへなし」(改邪*鈔意)といへり。
【十二】一 「當敎の肝要は凡夫のはからひをやめて、たゞ攝取不捨の大益をあふぐべきものなり。」(改邪鈔)
【十三】一 「七箇條の御起請文には、念佛修行の道俗男女、卑劣のことばをもてなまじゐに法門をのべば、智者にわらはれ愚人をまよはすべしと[云々]。かの先言をもていまを案ずるに、すこぶるこのたぐひ歟。もとも智者にわらはれぬべし。かくのごときのことばもとも頑魯なり荒涼なり」(改邪鈔)と[云々]。
【十四】一 「たゞ男女善惡の凡夫をはたらかさぬ本形にて、 本願の不思議をもてむまるべからざるものをむまれさせたればこそ、超世の願ともなづけ、橫超の直道ともきこへはんべるものなり。」(改邪鈔)
宿善開發の機事
【十五】「そもそも宿善ある機は正法をのぶる善知識にしたしむべきによりて、まねかざれどもひとをまよはすまじき法燈には、かならずむつむべきいはれあり。宿善もし開發の機ならば、いかなる卑劣のともがらも願力の信心をたくはへつべし」(改邪*鈔意)と[云々]。
无宿善の機事
【十六】「宿善なき機はまねかざれどもおのづから惡知識にちかづきて、善知識にはとをざかるべきいはれなれば、むつびらるゝも、とをざかるも、かつは知識の瑕瑾もあらはれしられぬべし。所化の運否、宿善の有无も、もとも能所ともにはづべきものをや。しかるにこのことはりにくらきがいたすゆへ歟。一旦の我執をさきとして宿善の有无をわすれ、わが同行ひとの同行と相論すること愚鈍のいたり、佛祖の照覽をはゞからざる條、至極つたなきもの歟、いかん。しるべし」(改邪鈔)と[云々]。
【十七】一 「曇鸞和尙、同一念佛无別道故といへり。されば同行はたがひに四海のうちみな兄弟のむつびをなすべきに、かくのごとく簡別隔略せば、おのおの確執のもとゐ我慢の先相たるべきものなり。」(改邪*鈔意)
【〔これまではぬきがきなり〕】文明四年二月八日

(一七)
靜に惟ば、其、人の性は名によるとまふしはんべるも、まことにさぞとおもひしられたり。しかれば今度往生 せし亡者の名を見玉といへるは、玉をみるとよむなり。さればいかなる玉ぞといへば、眞如法性の妙理、如意寶珠をみるといへるこゝろなり。これによりてかの比丘尼見玉房は、もとは禪宗の渴食なりしが、なかごろは淨華院の門徒となるといへども、不思議の宿縁にひかれて、ちかごろは當流の信心のこゝろをえたり。そのいはれは、去ぬる文明第二 十二月五日に伯母にてありしもの死去せしを、ふかくなげきおもふところに、うちつゞき、またあくるおなじき文明第三 二月六日にあねにてありしものおなじく臨終す。ひとかたならぬなげきによりて、その身もやまひつきてやすからぬ體なり。つゐにそのなげきのつもりにや、やまひとなりけるが、それよりして違例の氣なをりえずして、當年五月十日より病の牀にふして、首尾九十四日にあたりて往生す。されば病中のあひだにをいてまふすことは、年來淨華院流の安心のかたをふりすてゝ、當流の安心決定せしむるよしをまふしいだしてよろこぶことかぎりなし。ことに臨終より一日ばかりさきには、なをなを安心決定せしむねをまふし、また看病人の數日のほねをりなんどをねんごろにまふし、そのほか平生におもひしことどもをことごとくまふしいだして、つゐに八月十四日の辰のをはりに、頭北面西にふして往生をとげにけり。されば看病人もまたたれやのひとまでも、さりともとおもひしいろのみえつるに、かぎりあるいのちなれば、ちからなくて无常の風にさそはれて、加樣にむなしくなりぬれば、いまさらのやうにおもひて、いかなるひとまでも感淚をもよほさぬひとなかりけり。まことにもてこの亡者は宿善開發の機ともいひつべし。かゝる不思議の彌陀如來の願力の強縁にあひたてまつりしゆへにや、この北國地にくだりて往生をとげしいはれによりて、數萬人のとぶらひをえたるは、たゞごとともおぼへはんべらざりしことなり。 それについて、こゝにあるひとの不思議の夢想を八月十五日の荼毗の夜あかつきがたに感ぜしことあり。そのゆめにいはく、所詮葬送の庭にをいてむなしきけぶりとなりし白骨のなかより三本の靑蓮華出生す。その花のなかより一寸ばかりの金ほとけひかりをはなちていづとみる。さていくほどもなくして蝶となりてうせにけるとみるほどに、やがて夢さめおはりぬ。これすなはち見玉といへる名の眞如法性の玉をあらはせるすがたなり。蝶となりてうせぬとみゆるは、そのたましゐ蝶となりて、法性のそら極樂世界涅槃のみやこへまひりぬるといへるこゝろなりと、不審もなくしられたり。これによりてこの當山に葬所をかの亡者往生せしによりてひらけしことも不思議なり。ことに荼毗のまへには雨ふりつれども、そのときはそらはれて月もさやけくして、紫雲たなびき月輪にうつりて五色なりと、ひとあまねくこれをみる。まことにこの亡者にをいて往生極樂をとげし一定の瑞相をひとにしらしむるかとおぼへはんべるものなり。しかればこの比丘尼見玉、このたびの往生をもてみなみなまことに善知識とおもひて、一切の男女にいたるまで一念歸命の信心を決定して、佛恩報盡のためには念佛まふしたまはゞ、かならずしも一佛淨土の來縁となるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明五 八月廿二日書之

(一八)
文明第四 十月四日、亡母十三廻にあひあたり候。今日のことに候あひだ、ひとしをあはれにこそ候へ。三月ひきあげ佛事をなされ候あひだ、さだめて亡者も佛 果菩提にもいたりたまひ候らん。さりながらかくのごとくおもひつゞけ候。
十三年を をくる月日は いつのまに
今日めぐりあふ 身ぞあはれなる
また愚老なにとなく當年さへこの國に居住せしめ十三廻の佛事にあひ候も、眞實の宿縁とこそおぼえ候へ。さりながらこの亡者、安心のかたもいかゞとこゝろもとなく候あひだ、かくのごときのをもむきをなして、かやうにつゞけ候なり。
おぼつかな まことのこゝろ よもあらじ
いかなるところの 住家なるらん
さりながら他經によらば、一子出家七世の父母皆往生とやらん。また當流のこゝろならば「還來穢國度人天」(法事讚*卷 下)と。これはいまだしきことにてや候べき。しかりといへども、まことに變成男子・轉女成男の道理はさらにうたがひあるべからざるものなり。
いまははや 五障の雲も はれぬらん
極樂淨土は ちかきかのきし
かやうにふでにまかせてなにともなきことをまうし候なり。御違例も今日はよきよしまうすあひだ、目出度おぼしめし候ところに、はやこれへ御いで候。對面まうし候ほどになをなを殊勝に候。あなかしこ、あなかしこ。
文明五年W癸巳R八月廿八日於吉崎より出たり

(一九)
抑親鸞聖人の一流においては、平生業成の儀にして來迎をも執せられさふらはぬよし、うけたまはりおよびさふらふは、いかゞはんべるべきや。その平生業成とまふすことも、不來迎なんどの儀をも、さらに存知せず。くはしく聽聞つかまつりたくさふらふ。
答ていはく、まことにこの不審もとももて一流の肝要とおぼへさふらふ。おほよす當家には、一念發起平生 業成と談じて、平生に彌陀如來の本願の我等をたすけたまふことはりをきゝひらくことは、宿善の開發によるがゆへなりとこゝろえてのちは、わがちからにてはなかりけり、佛智他力のさづけによりて本願の由來を存知するものなりとこゝろうるが、すなはち平生業成の儀なり。されば平生業成といふは、いまのことはりをきゝひらきて往生治定とおもひさだむるくらゐを、一念發起住正定聚とも、平生業成とも、卽得往生住不退轉ともいふなり。
問ていはく、一念往生發起の儀くはしくこゝろえられたり。しかれども不來迎の儀いまだ分別せずさふらふ。ねんごろにしめしうけたまはるべくさふらふ。
答ていはく、不來迎のことも、一念發起住正定聚と沙汰せられさふらふときは、さらに來迎を期しさふらふべきこともなきなり。そのゆへは來迎を期するなんどまふすことは、諸行の機にとりてのことなり。眞實信心の行者は、一念發起するところにて、やがて攝取不捨の光益にあづかるときは、來迎までもなきなりとしらるゝなり。されば聖人のおほせには、「來迎は諸行往生にあり。眞實信心の行人は、攝取不捨のゆへに正定聚に住す。正定聚に住するがゆへに、かならず滅度にいたる。かるがゆへに臨終まつことなし、來迎たのむことなし」(古寫消*息四意)といへり。この御ことばをもてこゝろうべきものなり。
問ていはく、正定聚と滅度とは一益とこゝろうべきか、また二益とこゝろうべきや。
答ていはく、一念發起のかたは正定聚なり、これ【は】を穢土の益なり。つぎに滅度は淨土にてうべき益にてあ るなりとこゝろうべきなり。されば二益なりとおもふべきものなり。
問ていはく、かくのごとくこゝろえさふらふときは、往生は治定と存じおきさふらふに、なにとてわづらはしく信心を具すべきなんど沙汰さふらふは、いかゞこゝろえはんべるべきや。これもうけたまはりたくさふらふ。
答ていはく、まことにもてこのたづねのむね肝要なり。さればいまのごとくにこゝろえさふらふすがたこそ、すなはち信心決定のこゝろにて候なり。
問ていはく、信心決定するすがた、すなはち平生業成と不來迎と正定聚との道理にてさふらふよし、分明に聽聞つかまつりさふらひおはりぬ。しかりといへども信心治定してののちには、自身の往生極樂のためとこゝろえて念佛まふしさふらふべきか、また佛恩報謝のためとこゝろうべきか、いまだそのこゝろをえず候。
答ていはく、この不審また肝要とこそおぼへさふらへ。そのゆへは一念の信心發得已後の念佛をば、自身往生の業とはおもふべからず、たゞひとへに佛恩報謝のためとこゝろえらるべきものなり。されば善導和尙の「上盡一形下至一念」(禮讚意)と釋せり。「下至一念」といふは信心決定のすがたなり、「上盡一形」は佛恩報盡の念佛なりときこえたり。これをもてよくよくこゝろえらるべきものなり。
文明四年十一月廿七日
(帖内一-四)

(二〇)
そもそも去年冬のころ、あるひとのいはく、路次にて興ある坊主にゆきあひぬ。さるほどにこの坊主をみるに、件の門徒のかたより物とり信心ばかりを存知せられたるひとなり。それがしおもふやう、よきついでに てさふらふあひだ、一句たづねまふすやう、いかやうに御流の安心をば御こゝろえさふらふや、これにてまひりあひさふらふことも不思議の宿縁とこそ存じさふらふあひだ、おそれながら信心のやうまふしいれべくさふらふ、又領解さふらふ分、委細うけたまはりさふらへとまふすところに、おほせられさふらふやうは、もろもろの雜行をすてゝ一向一心に彌陀に歸するが、すなはち信心とこそ存じおきさふらへとまふされけり。この分ならば子細なく存じさふらひつれども、この坊主はまさにさやうのこゝろえまでもあるまじく心中に存じさふらふあひだ、かさねてまふすやうは、さいはひにまひりあひさふらふうへは、なにごとも心底をのこさずまふしうけたまはるべくさふらふ。所詮已前おほせさふらふ御ことばに、もろもろの雜行をすてゝ一心一向に彌陀に歸するとうけたまはりさふらふは、雜行をすてゝさふらふやうをも、また一心一向に彌陀に歸するやうなんどをもよく御存知さふらふて、かくのごとくうけたまはりさふらふやらん。こたへていはく、いまの時分みな人々のおなじくちにまふされさふらふほどに、さてまふしてさふらふ。そのいはれをば存知せずさふらふ。われらがことはなまじゐに坊主にてさふらふあひだ、あまりに貴方にむかひまふしてその御返事まふさではいかゞと存さふらひてまふしてさふらふなり。さらに信心の次第をばかつて存知せずさふらふあひだ、あさましくさふらふ。さいはひにまひりあひさふらふあひだ、ねんごろに信心のやううけたまはるべくさふらふ。かやうにうちくつろぎおほせさふらふあひだ、まふしいれべくさふらふ。よくよく きこしめさるべくさふらふ。そもそももろもろの雜行をすてゝ一心一向に彌陀に歸すとまふすはことばにてこそさふらへ。もろもろの雜行をすてゝとまふすは、彌陀如來一佛をたのみ、餘佛・餘菩薩にこゝろをかけず、また餘の功德善根にもこゝろをいれず、一向に彌陀に歸し一心に本願をたのめば、不思議の願力をもてのゆへに彌陀にたすけられぬる身とこゝろえて、この佛恩のかたじけなさに行住座臥に念佛まふすばかりなり。これを信心決定の人とまふすなりとかたりしかば、歡喜のいろふかくして、感淚をもよほしけり。また坊主まふされけるは、先度身が同朋を敎化つかまつりさふらふことのさふらふつる、これもいまはあやまりにてさふらふ。懺悔のためにかたりまふすべくさふらふ、御きゝさふらへ。所詮身が門下に有德なる俗人のさふらふなるを隨分勸化つかまつりさふらふこゝちにてまふすやうは、貴方はさらに信心がなきよしまふしさふらふところに、かの俗人おほきなるまなこにかどをたてまふすやうは、すでにわれらが親にてさふらふものは、坊主において忠節のものにてさふらふ。そのいはれは、少寄進なんどもまふしさふらふ、また家なんどつくられさふらふときも、助成をもまふしさふらふ。またわれらにおきても自然のときは合力もまふしさふらふ。そのほかときおりふしの禮儀なんども今日にいたるまでそのこゝろざしをはこび、物を坊主にまひらする信心をいたしまふしさふらふ。そのうへには後生のためとては念佛をよくとなへさふらふ。なにごとによりてわれらが信心がなきなんどうけたまはりさふらふやらん。さやうになにともなきことをおほせさふらはゞ、門徒をはなれまふすべくさふらふよしまふしさふらふあひだ、かの仁はわれらがためには一のちから同朋にてさふらふあひだ、萬一他門徒へゆきさふらはゞちからをうしなふべくさふらふあひ だ、さては貴方の道理にてさふらふひとが、さやうにまふすよしきゝさふらふあひだ、さてこそまふしつれ、向後におきてさやうにまふすべからず。あひかまへてあひかまへて他門下へゆくべからざるよしまふしさふらひき。これもいまはわれらがあやまりにてさふらふあひだ、おなじく懺悔まふすなり。
文明五年二月一日書之

(二一)
そもそも當年よりことのほか、【加州・能登・越中】兩三國のあひだより道俗男女群をなして、この吉崎の山中に參詣の面々の心中のとをり、いかゞとこゝろもとなくさふらふ。そのゆへはまづ當流のおもむきは、このたび極樂に往生すべきことはりは、他力の信心をえたるがゆへなり。しかれどもこの一流のうちにおいて、しかしかとその信心をすがたをもえたるひとこれなし。かくのごとくのやからは、いかでか報土の往生をばたやすくとぐべきや、一大事といふはこれなり。さいはひに五里十里の遠路をしのぎ、この雪のうちに參詣のこゝろざしは、いかやうにこゝろえられたる心中ぞや。千萬こゝろもとなき次第なり。所詮已前はいかやうの心中にてありといふとも、これよりのちは心中にこゝろへおくべき次第をくはしく申すべし。よくよくみゝをそばだてゝ聽聞あるべし。そのゆへは他力の信心といふことをしかと心中にたくはへさふらひて、そのうへには佛恩報謝のためには行住坐臥に念佛をまふすべきばかりなり。このこゝろえにてあるならば、このたびの往生は一定なり。このうれしさのあまりには、師匠坊主の在所へもあゆみをはこび、こゝろざしをもいた すべきものなり。これすなはち當流の義をよくこゝろえたる信心の人者とはまふすべきものなり。
文明五年二月八日
(帖内一-五)

(二二)
そもそも昨日ひとのまふされさふらひしは、たれびとにてわたりさふらひつるやらん、かたりまふされけるは、このごろなにとやらん坊主達の、まことに佛法にこゝろをいれたまひさふらふか、また身にとりて佛法のかたにちときずもいたかも御わたりさふらふか、さらに心中のとほりをもしかしかと懴悔の義もなく、またとりわけ信心のいろのまさりたるかたをもまふされさふらふ分もみえずさふらふて、うかうかとせられたるやうに【お】をぼへさふらふは、いかゞはんべるべくさふらふや。たゞ他屋役ばかり御なうらひさふらふて、座敷すぎさふらへば、やがて他屋他屋えかへらせたまひさふらふは、よき御ふるまひにてさふらふか、よくよく御思案あるべくさふらふ。されば善導の御釋にも「自信敎人信[乃至]眞成報佛恩」(禮讚)と釋せられさふらふときは、自身もこの法を信じひとをしても信心なきものをすゝめさふらはんこそ、まことにもて佛恩報盡の道理にてもあるべくおぼへさふらふ。また「上盡一形下至一念」(禮讚意)と判ぜられさふらふときも、一念の信心發得のすがたもみえず御わたりさふらふ。また一形憶念の義もさらに成就せられたるともみおよびまふさずさふらふ。よくよく御校量あるべくさふらふ。あさましあさまし。こゝろにうかむとおりまふすなり。御免御免。南无阿彌陀佛。
文明五年二月九日

(二三)
抑當年の夏このごろは、なにとやらんことのほか睡眠におかされて、ねむたくさふらふはいかんと案じさ ふらへば、不審もなく往生の死期もちかづくかとおぼへさふらふ。まことにもてあぢきなく名殘おしくこそさふらへ。さりながら今日までも、往生の期もいまやきたらんと由斷なくそのかまへはさふらふ。それにつけても、この在所において已後までも信心決定するひとの退轉なきやうにもさふらへかしと、念願のみ晝夜不斷におもふばかりなり。この分にては往生つかまつりさふらふとも、いまは子細なくさふらふべきに、それにつけても面々の心中もことのほか由斷ともにてこそはさふらへ。命のあらんかぎりは、われらはいまのごとくにてあるべくさふらふ。よろづにつけて、みなみなの心中こそ不足に存じさふらへ。明日もしらぬいのちにてこそさふらふに、なにごとをまふすもいのちおはりさふらはゞ、いたづらごとにてあるべくさふらふ。いのちのうちに不審もとくとくはれられさふらはでは、さだめて後悔のみにてさふらはんずるぞ、御こゝろへあるべくさふらふ。あなかしこ、あなかしこ。
この障子のそなたの人々のかたへまひらせさふらふ。のちの年にとりいだして御覽候へ。
文明五年卯月廿五日書之
(帖内一-六)

(二四)
一 ある人いはく、昨日ははや一日の雨中なれば、さみだれにもやなるかとおもひ、また海上のなみのおとまでも、たかくものさびしくおとづれければ、もとよりいとゞこゝろのなぐさむこともなきまゝに、いよいよ睡眠はふかくなりぬれば、生死海にうかみいでた るその甲斐もなく、あさましくこそはおもひはんべれとまふしたりしかば、こゝに若衆のわたりさふらひけるがまふされけるは、われらはあながちにさやうに睡眠のをこりさふらへばとて、いたくかなしくもおもはずさふらふ。そのゆへは安心のことはこゝろゑさふらふつ、また念佛はよくまふしさふらひぬ、また雜行とてはさしてもちゐなくさふらふあひだ、つかふまつらずさふらふ。ことにわれらは京都の御一族分にてさふらふあひだ、たゞいつもものうちよくくひさふらひて、そのゝちはねたくさふらへば、いくたびもなんどきもふみぞりふせりさふらふ。また佛法のかたはさのみこゝろにもかゝらずさふらふ。そのほかなにごとにつけても、人のまふすことをばきゝならひてさふらふあひだ、聖人の御恩にてもあるかなんど、ときどきはおもふこゝろもさふらふばかりにてさふらふ。こゝにまたある人のまふしけるは、さてはあれらさまは京都の御一族にて御座さふらふあひだ、さだめてなにごとも御存知あるべくさふらふほどに、われらがまふすことはをよばぬ御ことにてこそさふらへ。ある人また問ていはく、われらがやうなる身にてかやうのまふしごと、如法如法そのおそれすくなからぬことにてさふらへども、佛法のかたなればまふすにてさふらふ。あまりに御こゝろゑのとゞきさふらはぬをもむきをひとはしまふしたくさふらふ。その謂は、當流の次第は信心をもて先とせられさふらふあひだ、信心のことなんどはそのさたにをよばずさふらふて、京都御一族を笠にめされさふらふこと、これひとつおほきなる御あやまりにてさふらふ。ことにねぶりなんどもいたくかなしくもおもはぬなんどおほせさふらふこと、これひとつ勿體なくさふらふ。貴方は隨分の佛法者にて御いりさふらへども、いまの子細を御一族におそれまふされさふらひて、一はし御まふしさふらはぬこと、くれぐ れ御あやまりとこそ存じさふらへ。
答ていはく、われらももともその心中にてはさふらひつれども、御存知のごとく不辯短才の身にてさふらへば、ふかく斟酌をなしてまふさず、貴方にゆづりまふしさふらふなり。一はしこの子細を御まふしさふらはゞ興隆にてあるべくさふらふ。
問ていはく、われらも斟酌にさふらへども、御所望さふらふうへは、これ聽聞つかふまつりさふらふをもむき、ひとはしまふすべくさふらふ。そのゆへはわれらもすでに无明のやみにねぶり、しづみゐたる身にてさふらふが、たまたま五戒の功力によりて、いま南浮の生をうけて、あひがたき佛法にあへり。さればこのたび信心決定するむねなくば、三途の舊里にかへらんことをかなしみおもはゞ、などかねぶりをこのみさふらふべきや。されば『觀經』には「唯除睡時恆憶此事」ととき、善導は「煩惱深无底 生死海无邊」(禮讚)とも、「云何樂睡眠」(禮讚)とも判ぜり。この文のこゝろは、煩惱はふかくしてそこなし、生死の海はほとりなき身の、いかんが睡眠をこのまんやといへり。また『觀經』にも、「たゞねぶりをのぞきてこのことををもへ」ととかれたり。經釋ともにねぶりをこのむべからずときこへたり。このときは御一族にて御座さふらふとも、佛法の御こゝろあしくさふらはゞ、報土往生いかゞとこそ存じさふらへ。ふかく御思案さふらふて、佛法の法を御たしなみさふらはゞ、まことにもて千秋萬歲めでたく存ずべくさふらふ。かへすがへす御所望によりてかくのごとくの次第まふしいれさふらふ條、千萬をそれいりさふらふ。あら勿體なや。南无阿 彌陀佛、南无阿彌陀佛。
〔文明五年九月 日〕

(二五)
抑此兩三ケ年の間に於て、或は官方或は禪律の聖道等にいたるまで、申沙汰する次第は何事ぞといへば、所詮越前國加賀ざかい長江瀨越の近所に細呂宜郷の内吉崎とやらんいひて、ひとつのそびへたる山あり。その頂上を引くづして屋敷となして、一閣を建立すときこへしが、幾程なくして、打つゞき加賀・越中・越前の三ケ國の内の、かの門徒の面々よりあひて、多屋と號して、いらかをならべて家をつくりしほどに、今ははや一、二百間の棟かずもありぬらんとぞおぼへけり。或は馬場大路をとほして、南大門・北大門とて南北の其名あり。されば此兩三ケ國の内に於て、おそらくはかゝる要害もよくおもしろき在所、よもあらじとぞおぼへはんべり。さるほどに此山中に經廻の道俗男女、その數幾千萬といふ事なし。然者これ偏に末代今の時の罪ふかき老少男女にをひて、すゝめきかしむるをもむきは、なにのわづらひもなくたゞ一心一向に彌陀如來をひしとたのみたてまつりて、念佛申すべしとすゝめしむるばかりなり。これさらに諸人の我慢偏執をなすべきやうなし。あらあら殊勝の本願や。まことにいまの時の機にかなひたる彌陀の願力なれば、いよいよたふとむべし、信ずべし。あなかしこ、あなかしこ。
文明五年八月二日

(二六)
さんぬる文明第四の曆、彌生中半のころかとおぼへはんべりしに、さもありぬらんとみへつる女姓一二人、おとこなんどあひ具したるひとびと、このやまのことを沙汰しまふしけるは、そもそもこのごろ吉崎の山上に一宇の坊舍をたてられて、言語道斷おもしろき在所かなとまふしさふらふ。なかにもことに、加賀・越 中・越後・信濃・出羽・奧州六ケ國より、かの門下中、この當山へ道俗男女參詣をいたし、群集せしむるよし、そのきこえかくれなし。これ末代の不思議なり、たゞごとゝもおぼへはんべらず。さりながらかの門徒の面々には、さても念佛法門をばなにとすゝめられさふらふやらん。とりわけ信心といふことをむねとおしへられさふらふよし、ひとびとまふしさふらふなるは、いかやうなることにてさふらふやらん。くはしくきゝまひらせて、われらもこの罪業深重のあさましき女人の身をもちてさふらへば、その信心とやらんをきゝわけまひらせて往生をねがひたくさふらふよしを、かの山中のひとにたづねまふしてさふらへば、しめしたまへるおもむきは、なにのやうもなく、たゞわが身は十惡・五逆、五障・三從のあさましきものぞとおもひて、ふかく阿彌陀如來はかゝる機をたすけまします御すがたなりとこゝろえまひらせて、二心なく彌陀をたのみたてまつりて、たすけたまへとおもふこゝろの一念おこるとき、かたじけなくも如來は八萬四千の光明をはなちて、その身を攝取したまふなり。これを彌陀如來の念佛の行者を攝取したまふといへるはこのことなり。攝取不捨といふは、おさめとりてすてたまはずといふこゝろなり。このこゝろを信心をえたる人とはまふすなり。さてこのうへには、ねてもさめてもたちてもゐても、南无阿彌陀佛とまふす念佛は、彌陀にはやたすけられまひらせつるかたじけなさの彌陀の御恩を、南无阿彌陀佛ととなへて報じまふす念佛なりとこゝろうべきなりとねんごろにかたりたまひしかば、この女人たち、そのほかのひと、まふされけるは、ま ことにわれらが根機にかなひたる彌陀如來の本願にてましましさふらふをも、いまゝで信じまひらせさふらはぬことのあさましさ、まふすばかりもさふらはず。いまよりのちは一向に彌陀をたのみまひらせて、ふたごゝろなく一念にわが往生は如來のかたより御たすけありけりと信じたてまつりて、そのゝちの念佛は佛恩報謝の稱名なりとこゝろえさふらふべきなり。かゝる不思議の宿縁にあひまひらせて、殊勝の法をきゝまひらせさふらふことのありがたさたふとさ、なかなかまふすばかりもなくおぼへはんべるなり。いまははやいとままふすなりとて、なみだをうかめてみなみなかへりにけり。
文明五年八月十二日
(帖内一-七)

(二七)
文明第三初夏上旬のころより、江州志賀郡大津三井寺南別所邊より、なにとなく風度しのびいでゝ、越前・加賀諸所を經廻せしめおはりぬ。よて當國細呂宜郷内吉崎といふこの在所、すぐれておもしろきあひだ、年來虎狼のすみなれしこの山中をひきたひらげて、七月廿七日よりかたのごとく一宇を建立して、昨日今日とすぎゆくほどに、はや三年の春秋はおくりけり。さるほどに道俗男女群集せしむといへども、さらになにへんともなき體なるあひだ、當年より諸人の出入をとゞむるこゝろは、この在所に居住せしむる根源はなにごとぞなれば、そもそも人界の生をうけてあひがたき佛法にすでにあへる身が、いたづらにむなしく奈洛にしづまんは、まことにもてあさましきことにはあらずや。しかるあひだ念佛の信心を決定して極樂の往生をとげんとおもはざらん人々は、なにしにこの在所へ來集せんことかなふべからざるよしの成敗をくはえおはりぬ。これひとへに名聞・利養を本とせず、たゞ後生菩提を ことゝするがゆへなり。しかれば見聞の諸人、偏執をなすことなかれ。あなかしこ、あなかしこ。
文明五年九月 日
(帖内一-八)

(二八)
抑當宗を、昔より人こぞりておかしくきたなき宗とまふすなり。これまことに道理のさすところなり。そのゆへは當流人數の中にをひて、或は他門・他宗に對してはゞかりなく我家の義を申しあらはせるいはれなり。これ大なるあやまりなり。それ當流のおきてをまもるといふは、我流につたふるところの義をしかと内心にたくはへて、外相にそのいろをあらはさぬを、よくものにこゝろえたる人とはいふなり。しかるに當世は我宗のことを、他門・他宗にむかひて、その斟酌もなく聊爾に沙汰するによりて、當流を人のあさまにおもふなり。かやうにこゝろえのわろき人のあるによりて、當流をきたなくいまはしき宗と人おもへり。さらにもてこれは他人わろきにはあらず、自流の人わろきによるなりとこゝろうべし。つぎに物忌といふことは、我流には佛法についてものいまはぬといへることなり。他宗にも公方にも對しては、などか物をいまざらんや。他宗・他門にむかひてはもとよりいむべきこと勿論なり。又よその人の物いむといひてそしることあるべからず。しかりといへども佛法を修行せん人は、念佛者にかぎらず、物さのみいむべからずとあきらかに諸經の文にもあまたみえたり。まづ『涅槃經』(北本卷二〇梵行品*南本卷一八梵行品)にのたまはく、「如來法中无有選擇吉日良辰」といへり。この文のこゝろは、如來の法の なかに吉日良辰をゑらぶことなしとなり。
又『槃舟經』(一卷本*四輩品)にのたまはく、
「優婆夷聞是三昧欲學者W乃至R自歸命佛歸命法歸命比丘僧不得事餘道不得拜於天不得祠鬼神不得視吉良日」W已上Rいへり。この文のこゝろは、優婆夷この三昧をきゝてまなばんと欲せんものは、みづから佛に歸命し、法に歸命せよ、比丘僧に歸命せよ、餘道につかふることをえざれ、天を拜することをゑざれ、鬼神をまつることをえざれ、吉良日をみることをゑざれといへり。かくのごとくの經文どもこれありといへども、此分をいだすなり。ことに念佛行者はかれらにつかふべからざるやうにみえたり、よくよくこゝろうべし。あなかしこ、あなかしこ。
〔文明五年九月 日〕
(帖内一-九)

(二九)
内方敎化
そもそも吉崎の當山において他屋の坊主達の内方とならんひとは、まことに前世の宿縁あさからぬゆへとおもひはんべるべきなり。それも後生を一大事とおもひ、信心も決定したらん身にとりてのうへのことなり。しかれば内方とならんひとびとは、あひかまへて信心をよくよくとらるべし。それまづ當流の安心とまふすことは、おほよす淨土一家のうちにおきて、あひかはりてことにすぐれたるいはれあるがゆへに、他力の大信心とまふすなり。さればこの信心をえたるひとは、十人は十人ながら百人は百人ながら、今度の往生は一定なりとこゝろうべきものなり。その安心とまふすは、いかやうにこゝろうべきことやらん、くはしくもしりはんべらざるなり。
こたへていはく、まことにこの不審肝要のことなり。 おほよす當流の信心をとるべきおもむきは、まづわが身は女人なれば、つみふかき五障・三從とてあさましき身にて、すでに十方の如來も三世の諸佛にもすてられたる女人なりけるを、かたじけなくも彌陀如來ひとりかゝる機をすくはんとちかひたまひて、すでに四十八願をおこしたまへり。そのうち第十八の願において、一切の惡人・女人をたすけたまへるうへに、なを女人はつみふかくうたがひのこゝろふかきによりて、またかさねて第卅五の願になを女人をたすけんといへる願をおこしたまへるなり。かゝる彌陀如來の御久勞ありつる御恩のかたじけなさよと、ふかくおもふべきなり。
問ていはく、さてかやうに彌陀如來のわれらごときのものをすくはんと、たびたび願をおこしたまへることのありがたさをこゝろえわけまひらせさふらひぬるについて、なにとやうに機をもちて、彌陀をたのみまひらせさふらはんずるやらん、くはしくしめしたまふべきなり。
こたへていはく、信心をとり彌陀をたのまんとおもひたまはゞ、まづ人間はたゞゆめまぼろしのあひだのことなり、後生こそまことに永生の樂果なりとおもひとりて、人間は五十年百年のうちのたのしみなり、後生こそ一大事なりとおもひて、もろもろの雜行をこのむこゝろをすて、あるひはまたものゝいまはしくおもふこゝろをもすて、一心一向に彌陀をたのみたてまつりて、そのほか餘の佛・菩薩・諸神等にもこゝろをかけずして、たゞひとすぢに彌陀に歸して、このたびの往生は治定なるべしとおもはゞ、そのありがた さのあまり念佛をまふして彌陀如來のわれらをたすけたまふ御恩を報じたてまつるべきなり。これを信心をえたる他屋の坊主達の内方のすがたとはまふすべきひとなり。
文明五年九月十一日
(帖内一-一〇)

(三〇)
【超勝寺にてあそばす】それおもんみれば、人間はたゞ電光朝露のゆめまぼろしのあひだのたのしみぞかし。たとひまた榮花榮耀にふけりて、おもふさまのことなりといふとも、それはたゞ五十年乃至百年のうちのことなり。もしたゞいまも无常のかぜきたりてさそひなば、いかなる病苦にあひてかむなしくなりなんや。まことに死せんときは、かねてたのみをきつる妻子も財寶も、わが身にはひとつもあひそふことあるべからず。されば死出山路のすえ、三途の大河をばたゞひとりこそゆきなんずれ。これによりてたゞふかくねがうべきは後生なり、またたのむべきは彌陀如來なり、信心決定してまひるべきは安養の淨土なりとおもふべきなり。これについてちかごろはこの方の念佛者の坊主たち、佛法の次第もてのほか相違す。そのゆへは門徒のかたよりものをとるをよき弟子といひ、これを信心のひとゝいへり、これおほきなるあやまりなり。また弟子は坊主にものをだにもおほくまひらせば、わがちからかなはずとも、坊主のちからにてたすかるべき樣におもへり、これもあやまりなり。かくのごとく坊主と門徒のあひだにをいて、さらに當流の信心のこゝろえの分はひとつもなし。まことにあさましや、師・弟子ともに極樂には往生せずして、むなしく地獄にをちんことはうたがひなし。なげきてもなをあまりあり、かなしみてもなをふかくかなしむべし。しかれば今日よりのちは、他力の大信心の次第をよく存知したらんひとにあひたづねて、信 心決定して、その信心のをもむきを弟子にもをしへて、もろともに今度の一大事の往生をよくよくとぐべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明五年九月中旬
(帖内一-一一)

(三一)
【超勝寺にて】そもそもちかごろはこの方念佛者のなかにをいて、不思議の名言をつかひて、これこそ信心をゑたるすがたよといひて、しかもわれは當流の信心をよくしりがほの體に心中にこゝろえをきたり。そのことばにいはく、十劫正覺のはじめより、われらが往生はさだめたまへる彌陀の御恩をわすれぬが信心ぞといへり、これおほきなるあやまりなり。そも彌陀如來の正覺をなりたまへるいはれをしりたりといふとも、われらが往生すべき他力の信心といふいはれをしらずはいたづらごとなり。しかれば向後にをいては、まづ當流の眞實信心といふことをよくよく存知すべきなり。その信心といふは、『大經』には三信ととき、『觀經』には三心といひ、『阿彌陀經』には一心とあらはせり。三經ともにその名かはりたりといへども、そのこゝろはたゞ他力の一心をあらはせるこゝろなり。されば信心といへるそのすがたはいかやうなることぞといへば、まづもろもろの雜行をさしをきて、一向に彌陀如來をたのみたてまつりて、自餘の一切の諸神・諸佛等にもこゝろをかけず、一心にもはら彌陀に歸命せば、如來は光明をもてその身を攝取してすてたまふべからず。これすなはちわれらが一念の信心決定したるすがたなり。かくのごとくこゝろえてののちは、彌陀如來の他力の信心をわれら にあたへたまへる御恩を報じたてまつる念佛なりとこゝろうべし。これをもて信心決定したる念佛の行者とはまふすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明第五 九月下旬比書之[云々]
(帖内一-一三)

(三二)
【〔超勝寺にて〕】抑年來當寺門徒において、佛法次第以外相違せり。そのいはれは、まづ座衆とてこれあり。いかにもその座上にあがりて、さかづきなんどまでも人よりさきにのみ、座中の人にも又そのほかたれたれにも、いみじくおもはれんずるが、誠に佛法の肝要たるやうに心中にこゝろえおきたり。これさらに往生極樂のためにあらず、たゞ世間の名聞ににたり。しかるに當流において每月の會合の由來は何の用ぞなれば、在家無智の身をもて、いたづらにくらしいたづらにあかして、一期はむなしくすぎてつゐにないり八なんにしづまん身が、一月に一度なりともせめて念佛修行の人數ばかり道場にあつまりて、わが信心は、人の信心は、いかゞあるらんといふ信心沙汰をすべき用の會合なるを、ちかごろはその信心といふことはかつて是非の沙汰におよばざるあひだ、言語道斷あさましき次第なり。所詮自今已後は、かたく會合の座中において信心の沙汰をすべきものなり。これ眞實の往生極樂をとぐべきいはれなるがゆへなり。〔あなかしこ、あなかしこ。
文明第五 九月下旬〕
(帖内一-一二)

(三三)
【超勝寺にて】そもそも當流念佛者のなかにをいて、諸法を誹謗すべからず。まづ越中・加賀ならば、立山・白山・豐原寺等なり。されば『經』(大經卷上*・卷下)にも、すでに「唯除五逆誹謗正法」とこそこれをいましめられたり。これによりて念佛者はことに諸宗を謗ずべからざるものなり。ま た聖道諸宗の學者達も、あながちに念佛者をば謗ずべからずとみえたり。そのいはれは、經釋ともにその文これおほしといへども、まづ八宗の祖師龍樹菩薩の『智論』(大智度論*卷一初品)にふかくこれをいましめられたり。その文にいはく、「自法愛染故 毀呰他人法 雖持戒行人 不免地獄苦」といへり。かくのごとくの論判分明なるときは、いづれも佛說なり、あやまりて謗ずることなかれ。それみな一宗一宗のことなれば、わがたのまぬばかりにてこそあるべけれ。ことさら當流のなかにをいてなにの分別もなきもの、他宗をそしること勿體なき次第なり。あひかまへてあひかまへて一所の坊主分たるひとは、この成敗をかたくいたすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明五年九月下旬
(帖内一-一四)

(三四)
夫當宗を一向宗と、わが宗よりもまた他宗よりもその名を一向宗といへること、さらにこゝろゑがたき次第なり。祖師聖人はすでに淨土眞宗とこそおほせさだめられたり。他宗の人の一向宗といふことは是非なし、當流の中にわれとなのりて一向宗といふことはおほきなるあやまりなり。まづ當流のことは自餘の淨土宗よりもすぐれたる一義あるによりて、我聖人も別して眞の字をおきて淨土眞宗とさだめたまへり。つぶさにいへば淨土眞宗といふ、略していへば【○】眞【【○】】宗といふべきなり。されば他宗には宗の字にごりてつかふなり、當流にはすみてつかふべきなりとこゝろうべきものなり。〔あなかしこ、あなかしこ。

文明五年九月下旬〕

(三五)
夫當流をみな世間に流布して一向宗と號すること、さらに本宗にをいてその沙汰なし、いかやうの子細にてさふらふやらん。
答ていはく、あながちにわが流を一向宗とわが宗よりなづくることはなきなり。ことに祖師聖人は淨土眞宗とこそさだめられたり。おほよす經文をみるに、「一向專念无量壽佛」(大經*卷下)とときたまへり。この文によるに、一向にもはら无量壽佛を念ずといへるこゝろによりて、みなひとのこぞりて一向宗といへる歟。そのときは道理至極ときこゑたり。しかりといへども開山は、この宗をば淨土眞宗とこそおほせられたり。されば一向宗といへる名言は、本宗よりさだめざることなりとこゝろうべきものなり。これによりて自餘の淨土宗はもろもろの雜行をゆるすがゆへに、懈慢・邊地に胎生するなり。わが聖人の一流は雜行をきらふ、このゆへに眞實報土の往生をとぐるなり。このいはれあるがゆへに、別して眞の字をくはへて淨土眞宗とはいへるなりとこゝろうべし。またいはく、當流をば淨土眞宗となづけ候こと分明にきこえぬ。しかるにこの宗體にて、在家のつみふかき惡逆の機なりといふとも、彌陀の願力にすがりてたやすく極樂に往生すべきやう、くはしくうけたまはりたくさふらふ。
答ていはく、當流のおもむきは、信心決定しぬればかならず眞實報土の往生をとぐべきなり。さればその信心といふはいかやうなる子細ぞといへば、なにのわづらひもなく阿彌陀如來を一心にたのみたてまつりて、その餘の佛・菩薩等にもこゝろをかけずして、一向にふたごゝろなく彌陀を信ずるばかりなり。これをもて信心決定すとはまふすなり。信心といへる二字をば、まことのこゝろとよめるなり。まことのこゝろといふ は、行者のわろき自力のこゝろにてはたすからず、如來の他力のよきこゝろにてたすかるがゆへに、まことのこゝろとはまふすなり。また名號をもてなにのこゝろえもなくして、たゞとなへてはたすからざるなり。されば『經』(大經*卷下)には「聞其名號信心歡喜」ととけり。「その名號をきく」といへるは、南无阿彌陀佛の名號を南无とたのめば、かならず阿彌陀佛のたすけたまふといふ道理なり。これを『經』に「信心歡喜」ととかれたり。これによりて南无阿彌陀佛の體は、われらをたすけたまへるすがたぞとこゝろうべきなり。かやうにこゝろへてののちは、行住座臥のくちにとなふる稱名をば、たゞ彌陀如來のわれらをたすけましますところのありがたさの御恩を報じたてまつる念佛なりとこゝろうべし。これをもて信心決定して極樂に往生する他力の念佛行者とまふすものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明第五 九月下旬第二日至于巳剋於加州山中湯治之内所書集之草案令淸書也

(三六)
問ていはく、當流をみな世間に流布して一向宗となづけ候は、いかやうなる子細にて候やらん、不審におぼえ候。
答ていはく、あながちにわが流を一向宗となのることは、別して祖師もさだめられず、おほよそ阿彌陀佛を一向にたのむによりて、みな人のまうしなすゆへなり。しかりといへども經文に「一向專念无量壽佛」(大經*卷下)とときたまふゆへに、一向に无量壽佛を念ぜよといへるこゝろなるときは、一向宗とまうしたるも子細なし。さりながら開山は、この宗をば淨土眞宗とこそさだめ たまへり。されば一向宗といふ名言は、さらに本宗よりまうさぬなりとしるべし。されば自餘の淨土宗はもろもろの雜行をゆるす。わが聖人は雜行をえらびたまふ、このゆへに眞實報土の往生をとぐるなり。このいはれあるがゆへに、別して眞の字をいれたまふなり。
又のたまはく、當宗をすでに淨土眞宗となづけられ候ことは分明にきこえぬ。しかるにこの宗體にて、在家のつみふかき惡逆の機なりといふとも、彌陀の願力にすがりてたやすく極樂に往生すべきやう、くはしくうけたまはりはんべらんとおもふなり。
答ていはく、當流のをもむきは、信心決定しぬればかならず眞實報土の往生をとぐべきなり。さればその信心といふはいかやうなることぞといへば、なにのわづらひもなく彌陀如來を一心にたのみたてまつりて、その餘の佛・菩薩等にもこゝろをかけずして、一向にふたごゝろなく彌陀を信ずるばかりなり。これをもて信心決定とはまうすものなり。信心といへる二字をば、まことのこゝろとよめるなり。まことのこゝろといふは、行者のわろき自力のこゝろにてはたすからず、如來の他力のよきこゝろにてたすかるがゆへに、まことのこゝろとはまうすなり。また名號をもてなにのこゝろえもなくして、たゞとなへてはたすからざるなり。されば『經』(大經*卷下)には、「聞其名號信心歡喜」ととけり。「その名號をきく」といへるは、南无阿彌陀佛の六字の名號を无名无實にきくにあらず、善知識にあひてそのをしへをうけて、この南无阿彌陀佛の名號を南无とたのめば、かならず阿彌陀佛のたすけたまふといふ道理なり。これを『經』に「信心歡喜」ととかれたり。これによりて南无阿彌陀佛の體は、われらをたすけたまへるすがたぞとこゝろうべきなり。かやうにこゝろえてのちは、行住座臥に口にとなふる 稱名をば、たゞ彌陀如來のたすけまします御恩を報じたてまつる念佛ぞとこゝろうべし。これをもて信心決定して極樂に往生する他力の念佛の行者とはまうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明第五 九月下旬第二日至于巳剋加州山中湯治之内書集之訖
(帖内一-一五)

(三七)
端書云
右斯文どもは、文明第三之比より同き第五之秋の時分まで、天性こゝろにうかむまゝに、何の分別もなく連々に筆をそめおきつる文どもなり。さだめて文體のおかしきこともありぬべし、またことばなんどのつゞかぬこともあるべし。かたがたしかるべからざるあひだ、その斟酌をなすといへども、すでにこの一帖の料紙をこしらへて書寫せしむるあひだ、ちからなくまづゆるしおくものなり。外見の儀くれぐれあるべからず。たゞ自然のとき自要ばかりにこれをそなへらるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
于時文明第五 九月廿三日に藤嶋郷の内林之郷超勝寺において、この端書を蓮崇所望のあひだ、同廿七日申の剋にいたりて筆をそめおはりぬ。
釋蓮如(花押)

(三八)
右斯三ケ年之間、於此當山居住之根元者、更不本名聞利養、不事榮花榮耀、只所願爲往生極樂之計也。而間當國・加州・越中之内於土民百姓已下等、其身一期徒造罪業、修一善子細无之、而空可墮 在三塗之間、強依爲不便、幸彌陀如來之本願者、誠以當時於今根機爲相應之要法上、偏勸念佛往生安心外无他事之處、近比就牢人出帳之儀自諸方雜說申條、言語道斷迷惑之次第也、愚身更於所領所帶且不作其望之間、以何可處其罪咎哉、不運至悲而猶有餘者歟。依之心靜令念佛修行於其在所、別而无其要害時者、一切之諸魔・鬼神令得其便故深構要害者也、且又爲盜賊用心也。於其餘者、萬一今時分无理之子細等令出來時之於其儀者、誠此度念佛申遂順次往生、又逢非分難苦令死去、共以前業所感也。然上者爲佛法不可惜一命、可合戰由、兼日諸人一同令治定之衆儀而已。
文明五年十月 日 多屋衆

(三九)
去ぬる文明第三之曆林鐘上旬の比より當年までは、すでに三ケ年のあひだ、此當山に居住せしむるこゝろざしは、ひとへに往生極樂のためにして、さらに名聞利養をのぞまず、また榮花榮耀をことゝせず、たゞ越前・加賀の多屋坊主達、當流の安心をもてさきとせられず、未決定にして不信心なるあひだ、坊主一人のこゝろえのとをりよく信心決定したまはゞ、そのすゑずゑの門徒までもことごとく今度の一大事の往生をとぐべきなり。これまことに「自信敎人信」(禮讚)の釋義にもあひかなひ、また聖人報恩謝德にもなりなんとおもふによりて、今日まで堪忍せしむるものなり。ことにこの方といふことは、冬きたればそゞろに山ふく嵐もはげしくて、又海邊の浪のうつおともたかくして耳にそひてかまびすし、また空にはときどきいかづちなりて大雪なんどにふりこめられて眞々たる體たらく、まことに身勞なり。これらの次第さらにもてならはぬすまゐをするによりて、年來の本病のおゐもの寒におか されていたくをこりて、ひとしれず迷惑至極なり。しかりといへども本望のごとく面々各々の信心も堅固ならば、それをなぐさみともおもふべきに、その信心のかたはしかしかともなきあひだ、このはうにいまゝでの堪忍所詮なきによりて、當年正月の比よりあながちにこれを思案せしむるところに、牢人出帳の儀についてそのひまなく、あるひは要害あるひは造作なんどに日をおくりて、すでに春もさり夏もすぎ、秋もはやさりなんとするあひだ、かくのごとくいたづらに日月をおくりなんとする條、まことに本意にあらざるあひだ、暫時とおもひて藤嶋邊へまづ上洛せしむるところに、多屋の面々歸住すべきよししきりに申るゝあひだ、歸坊せしめおはりぬ。しかるにいまのごときんば冬の路次難儀なるうへ、命をかぎりにこゝろならずに可越年歟之處に、ほどもなくはや聖人の御正忌もちかづくあひだ、また當年もこのはうにをいて報恩謝德の御いとなみをいたすべき歟のあひだ、まことに北國に兩三け年のあひだの機縁ふかくして、諸人と同心に无二の志をぬきいでゝかの御つとめをいたすべき條、眞實眞實、不可思議なり。誠以可貴可喜[矣]。
文明第五 十月三日
藤嶋よりかへりてのち、こゝろにうかむとおりかきをくところなり。

(四〇)

於眞宗行者中可停止子細事
一 諸神[幷]佛・菩薩等不可輕之事。
一 諸法・諸宗全不可誹謗之事。

一 以我宗振舞對他宗不可難之事。
一 物忌事就佛法之方雖無之、他宗[幷]對公方堅可忌之事。
一 於本宗以无相承名言恣佛法讚嘆、旁不可然間事。
一 於念佛者國可專守護・地頭、不可輕之事。
一 以無智之身對他宗任雅意、我宗之法儀无其憚令讚嘆、不可然事。
一 於自身未安心決定、聞人詞信心法門讚嘆、不可然事。
一 念佛會合之時、不可食魚鳥事。
一 念佛集會之日、於酒失本性不可呑之事。
一 於念佛者中姿博奕可停止之事。
右此十一ケ條於背此制法之儀者、堅衆中可退出者也。仍制法狀如件。
文明五年十一月 日

(四一)
抑今月廿八日は忝も聖人每年の御正忌として于今退轉なく、その御勸化をうけしやからは、いかなる卑劣のものまでも、その御恩をおもんじまふさぬ人これあるべからず。しかるに予去文明第三の曆夏の比より、江州志賀郡大津三井のふもとをかりそめながらいでしよりこのかた、此當山に幽栖をしめて、當年文明第五の當月の御正忌にいたるまで存命せしめて、不思議に當國・加州の同行中にその縁ありて、同心のよしみをもてかたのごとく兩三ケ度まで報恩謝德のまことをいたすべき條、悅てもなを喜べきは此時なり。依之今月廿一日の夜より聖人の知恩報德の御佛事を加賀・越前の多屋の坊主達の沙汰として勤仕まふさるゝについて、まづ心得らるべきやうは、いかに大儀のわづらひをいたされて御佛事を申るといふとも、當流開山聖人のすゝめましますところの眞實信心といふことを決定せ しむる分なくは、なにの篇目もあるべからず。まことにもて「水いりてあかおちず」なんどいへる風情たるべき歟。そのゆへはまづ他力の大信心といへる事を決定してのうへの佛恩報盡とも師德報謝とも申べき事なり。たゞ人まねばかりの體はまことに所詮なし。しかりといへどもいまだ今日までもその信心を決定せしむる分なしといふとも、あひかまへて明日より信心決定せしめば、それこそまことに聖人の報恩謝德にもあひそなはりつべくおぼへはんべれ。このおもむきをよくよくこゝろゑられて、この一七ケ日のあひだの報恩講のうちにおいて、信不信の次第分別あらば、これまことに自行化他の道理なり。別しては聖人の御素懷にはふかくあひかなふべきものなり。
于時文明第五霜月廿一日書之
〔五十地に あまる年まで ながらへて
この霜月に あふぞうれしき
みとせまで 命のながきも 霜月の
のりにあひぬる 身こそたふとき
のちのとし また霜月に あはんこと
いのちもしらぬ わが身なりけり〕

(四二)
或人申されけるは、此一兩年の間加賀・越前の諸山寺の内にある碩學達の沙汰し申さるゝ次第は、近比越前國細呂宜郷内に吉崎と申して、國ざかひに一宇をかまへられて、京都より念佛者の坊主下向ありて、一切の道俗男女をゑらばず集られて、末代今時者念佛ならでは成佛すべからずとて、諸宗をもはゞからずすゝめらるゝこと、今さかんなりときこへたり。これ言語道斷 のくはだてなり。たゞし諸宗も我宗もいまは天下一同之儀にてあひすたりたりといへども、佛說なればむなしからざるがゆへに、此子細をもて兩國の守護ゑ訴詔すべき由、内々人の申なるあひだ、あはれ此をもむきをかの吉崎へつげしらせたまひ候て、斟酌も候へかしとおもふなり。我等も貴方に等閑もなき間、ひそかに申すなりと。此子細を當山中の多屋の内に、ものに心得たる人にかたりしかば、申されけるは、誠以兩國の諸山寺の碩學達申すむね道理至極なり。我等も吉崎も最初よりその心中にてありしかども、此在所あまりにすぐれておもしろき間、たゞ一年半年とおもふほどに、いまに在國せり。誠にかの吉崎は、なまじゐに京人の身なるがゆへに、ならはぬすまゐをせられて不相應なる子細これおほしといへども、彼多屋の面々抑留あるによりて、今日までの堪忍なり、更に庶幾せしむる分はなし。依之道俗男女いく千萬といふかずをしらず群集せしむるあひだ、かの吉崎もたれたれも今の時分しかるべからざる由申て、殊兩國の守護方のきこゑといひ、又平泉寺・豐原其外諸山寺の内の碩學達も、さぞ上なしにおもひたまふらんと、朝夕そのはゞかりあるによりて、當文明四年正月の時分より諸人群集しかるべからざる由の成敗をくはへられしは、そのかくれなし。これしかしながら兩守護、諸寺・諸山をおもんぜし心中なり。雖然其後道俗男女その成敗にかゝはらずしてかへりて申やうは、それ彌陀如來の本願はまさしく今の時のかゝる機をすくひたまふ要法なれば、諸人出入を停止あるときは、まことに彌陀如來の御慈悲にもふかくあひそむきたまふべき由を申す間、ちからなくそのまゝうちおかれつるなり。これ更に吉崎の心中に發起せらるゝところにあらず、たゞ彌陀如來の大慈大悲のちかひの、あまねく末代いまの機にかうぶらしむる佛智の不思議なりとおぼへはんべるものなり。 更以我々がはからひともおもひわけぬ爲體なり。これによりてあまりに道俗男女群集せしむる間、よろづ退屈の由申して、かの吉崎も近日花洛にかへるべき心中におもひたくみたまふあひだ、まづ去ぬる秋之比、暫時に藤嶋邊へ上洛せらるゝ處に、多屋面面抑留あるによりて、先づ當年中は此方に居住すべき由申るゝところなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明五年十二月 日

(四三)
抑今度一七ケ日報恩講のあひだにおいて、多屋内方もそのほかの人も、大略信心を決定し給へるよしきこへたり。めでたく本望これにすぐべからず。さりながらそのまゝうちすて候へば、信心もうせ候べし。細々に信心のみぞをさらへて、彌陀の法水をながせといへる事ありげに候。それにつゐて女人の身は、十方三世の諸佛にもすてられたる身にて候を、阿彌陀如來なればこそかたじけなくもたすけましまし候へ。そのゆへは女人の身はいかに眞實心になりたりといふとも、うたがひの心はふかくして、又物なんどのいまわしくおもふ心はさらにうせがたくおぼえ候。ことに在家の身は世路につけ、又子孫なんどの事によそへても、たゞ今生にのみふけりて、これほどにはやめに見えてあだなる人間界の老少不定のさかゐとしりながら、たゞいま三途・八難にしづまん事をばつゆちりほども心にかけずして、いたづらにあかしくらすは、これつねの人のならひなり。あさましといふもおろかなり。これによりて一心一向に彌陀一佛の悲願に歸して、ふかくたのみたてまつりて、もろもろの雜行を修する心をすて、 又諸神・諸佛に追從まふす心をもみなうちすてゝ、さて彌陀如來と申はかゝる我らごときのあさましき女人のためにおこし給へる本願なれば、まことに佛智の不思議と信じて、我身はわろきいたづらものなりとおもひつめて、ふかく如來に歸入する心をもつべし。さてこの信ずる心も念ずる心も、彌陀如來の御方便よりおこさしむるものなりとおもふべし。かやうにこゝろうるをすなはち他力の信心をゑたる人とはいふなり。又このくらひをあるひは正定聚に住すとも、滅度にいたるとも、等正覺にいたるとも、彌勒にひとしとも申なり。又これを一念發起の往生さだまりたる人とも申すなり。かくのごとく心へてのうへの稱名念佛は、彌陀如來の我らが往生をやすくさだめ給へる、その御うれしさの御恩を報じたてまつる念佛なりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
これについて、まづ當流のおきてをよくよくまもらせ給ふべし。そのゆわれはあひかまへていまのごとく信心のとをりを心へ給はゞ、身中にふかくおさめおきて、他宗・他人に對してそのふるまひをみせずして、又信心のやうをもかたるべからず。一切の諸神なんどをもわが信ぜぬまでなり、おろかにすべからず。かくのごとく信心のかたもそのふるまひもよき人をば、聖人もよく心へたる信心の行者なりとおほせられたり。たゞふかくこゝろをば佛法にとゞむべきなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明第五 十二月八日、これをかきて當山の多屋内方へまいらせ候。このほかなをなを不審の事候はゞ、かさねてとはせたまふべく候。
所送寒暑
五十八歲(花押)
のちの代の しるしのために かきおきし
のりのことの葉 かたみともなれ

(帖内二-一)

(四四)
抑今度一七ケ日報恩講のあひだにおいて、多屋内方もそのほかの人も、大略信心決定し給へるよしきこへり。めでたく本望これにすぐべからず。さりながらそのまゝうちすて候へば、信心もうせ候べし。細々に信心のみぞをさらへて、彌陀の法水をながせといへる事ありげに候。よくよく心へらるべし。されば女人の身は、十方三世の諸佛にもすてられたる身にて候を、阿彌陀如來なればこそかたじけなくもたすけましまし候へ。そのゆへは女人の身はいかに眞實信心になり給ふといふとも、うたがひの心はふかくして、物なんどのいまはしくおもふ心はさらにうせがたく候。ことに在家の身は世路にほこりて、あるひは子孫なんどの繁昌をおもひ、なにとしても今生にのみふけりて、これほどめに見えてあだなる人間界の老少不定のさかひとしりながら、たゞいま三途・八難にしづまん事をば、つゆちりほども心にかけずして、いたづらにあかしくらすは、これつねの人のならひなり。まことにあさましといふもおろかなり。これによりて一心一向に彌陀一佛の悲願に歸して、ふかくたのみたてまつりて、もろもろの雜行を修する心をすて、又諸神・諸佛に追從申す心をもみなみなすてはてゝ、彌陀如來と申はかゝる我らごときのあさましき女人のためにおこしたまへる本願なれば、まことに佛智の不思議と信じて、我身はわろきいたづらものなりとおもひつめて、ふかく如來に歸入する心をもつべし。さてこの信ずる心も念ずる心も、彌陀如來の御方便よりおこさしむるものなりとおもふ べし。かやうにこゝろうるをすなはち他力の信心をゑたる人とはいふなり。又このくらひをあるひは正定聚に住すとも、滅度にいたるとも、等正覺にいたるとも、彌勒にひとしとも申すなり。又これを一念發起の往生さだまりたる人とも申なり。かくのごとく心へてのうへの稱名念佛は、彌陀如來の我らが往生をやすくさだめ給へる、その御うれしさの御恩を報じたてまつる念佛なりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
これにつゐて、まづ當流のおきてをよくよくまもらせたまふべし。そのゆへはあいかまへていまのごとく信心をゑたまはゞ、一心のうちにふかくおさめおきて、他宗・他人に對してそのふるまひを見せず、又信心のやうをもかたるべからず。一切の諸神なんどをもわが信ぜぬまでなり、さのみおろかにすべからず。かくのごとく信心のかたもそのふるまひもよき人をば、聖人もよく心へたる信心の行者なりとおほせられたり。たゞふかく佛法に心をとゞむべきものなり。
文明第五 十二月八日、これをかきしるして當山多屋内方へまいらせ候。このほかなをなを不審の事候はゞ、かさねてたづねとはせたまふべく候。
たのめたゞ 彌陀のちかひの ふかければ
いつゝのつみは ほとけとぞなる
のちの代の しるしのために かきおきし
のりのことの葉 かたみともなれ
五十八歲(花押)

(四五)
抑開山聖人の御一流には、それ信心といふことをもてさきとせられたり。その信心といふはなにの用ぞといふに、无善造惡のわれらがやうなるあさましき凡夫が、たやすく彌陀の淨土へまひらんずるための出立なり。 この信心を獲得せずは、極樂には往生せずして无間地獄に墮在すべきものなり。これによりてその信心をとらんずるやうはいかんといふに、それ彌陀如來一佛をふかくたのみたてまつりて、自餘の諸善萬行にこゝろをかけず、また諸神・諸菩薩にをいて今生のいのりをのみなせるこゝろをうしなひ、またわろき自力なんどいふひがおもひをもなげすてゝ、彌陀を一心一向に信樂してふたごゝろなきひとを、彌陀はかならず遍照の光明をもて、そのひとを攝取してすてたまはざるものなり。かやうに信をとるうへには、ねてもをきてもつねにまふす念佛は、かの彌陀のわれらをたすけたまふ御恩を報じたてまつる念佛なりとこゝろうべし。かやうにこゝろえたるひとをこそ、まことに當流の信心をよくとりたる正義とはいふべきものなり。このほかになを信心といふことのありといふひとこれあらば、おほきなるあやまりなり。すべて承引すべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
今この文にしるすところのおもむきは、當流親鸞聖人のすゝめたまへる信心の正義なり。この分をよくよくこゝろえたらん人々は、あひかまへて他宗・他人に對してこの信心のやうを沙汰すべからず。また自餘の一切の佛・菩薩ならびに諸神等をもわが信ぜぬばかりなり、あながちにこれをかろしむべからず。これまことに彌陀一佛の功德のうちに、みな一切の諸神はこもれりとおもふべきものなり。總じて一切の諸法にをいてそしりをなすべからず。これをもて當流のをきてをよくまもれるひとゝなづくべし。されば聖人のいはく、「たとひ牛ぬすびととはいはる とも、もしは後世者、もしは善人、もしは佛法者とみゆるやうにふるまうべからず」(改邪*鈔意)とこそおほせられたり。このむねをよくよくこゝろえて念佛をば修行すべきものなり。
文明五年十二月十二日書之
(帖内二-二)

(四六)
文明五 十二月十二日書之。
是は聖敎よみのわろきをなをさむが爲也。
夫當流聖人の御門下において其名をかけんともがらは、まづ信心をもて本とせられたる、そのいはれをくはしく存知すべきものなり。よてこの信心といふ事を決定せずんば、このたびはむなしく淨土には往生すべからざるものなり。そのゆへはまづつみをいへば十惡・五逆・謗法・闡提とて、これにすぐれてふかきはあるべからず。しかれどもかゝる機までも、不思議の願力の強縁として廻心すれば、みな往生をとぐるなり。依之近比は當國・加州の兩國のあひだにおいて、佛法について或は聖敎をよみて人を勸化するに、五人あれば五人ながらそのことばあひかはれりと[云々]。是倂法流相承なきいはれなり。或は聖道のはて、或は禪僧のはてなんどが、我本宗の字ぢからをもて、なまじゐに自骨に了簡をくはへて人をへつらひたらせるいはれなり。これ言語道斷あさましき次第なり。向後においてかのことばを信用すべからざるものなり。抑當流の他力の眞實信心といふは、善導和尙の釋に、正雜二行とたてゝ、雜行をすてゝ正行に歸するをもて信心の體とす。その正行のうちに五種の正行をたてゝ、そのなかに第四の稱名正行をもて往生の正業とすとみゑたり。されば南无阿彌陀佛をもて我等が往生の正業とすときこゑたり。又善導釋していはく、「南无といふは歸命、亦是發願廻向之儀なり」(玄義分)と釋せり。こゝろはいかん となれば、歸命といふも發願廻向といふもおなじこゝろなり。これは「歸命」といふは、彌陀如來をふかくたのみたてまつるこゝろなり。「阿彌陀佛」といふは、南无と歸命する衆生をおなじくたすけたまひて、徧照の光明をもて念佛の衆生を攝取してすてたまはざるこゝろなり。これすなはち南无阿彌陀佛の六字の體は、一切のわれらが往生のさだまりたるすがたなりとこゝろうべし。これを一念の信心決定せしめたる人となづくべきものなり。かくのごとく我等が信心獲得してのうへには、彌陀如來の御恩のあめ山にふかきありがたさの報謝のために行住座臥に稱名念佛をまふすばかりなり。このこゝろを善導釋していはく、「上盡一形下至一念」(禮讚意)といへり。この「下至一念」といへるこゝろは、本願をたもつ信心決定のすがたなり。さて「上盡一形」といふは、我一期のあらんかぎりは佛恩報盡のために念佛まふせといへるこゝろなり。これらのおもむきをもて、すなはち當流の信心をゑたるすがたといふべきものなり。このうへになをおくふかき信心のありといはんものは、おほきなるあやまりなり、信用すべからず。よくよくこのむねをこゝろゑて、眞實の信心を決定せしめてすみやかにこのたびの極樂の往生をとぐべきものなり。

(四七)
夫親鸞聖人の御門徒に其名をかけん輩に於ては、先聖人のすゝめましますところの眞實信心をもて本とせられたるいはれをくはしく存知すべきなり。此信心といふ事を決定せざらん人は、報土には往生すべからざるものなり。そのゆへは罪をいへば十惡・五逆・謗法・ 闡提とて、これにすぎてふかきつみはあるべからず。しかれどもかゝる機までも、不思議の願力として廻心すればみな往生すべきなり。依之近比當國・加州兩國の間において、佛法についてまづ聖敎をよみて人を勸化するに、五人は五人ながらそのことばあひかはれりと[云々]。是倂法流を相承なきいはれなり。あるひは聖道のはて、或は禪僧のはてなんどが、我本宗の字ぢからをもて、なまじゐに自骨に了簡をくはへて人をへつらひたらせるいはれなり。これ言語道斷あさましき次第にあらずや。向後においてかのことばを信用すべからざるものなり。抑當流にたつるところの他力の大信心といふは、善導和尙の釋に、すでに正雜二行とたてゝ、諸の雜行をすてゝもはら正行に歸するをもて信心の體とす。其正行のなかに五種の正行をたてゝ、そのうちに第四の稱名正行をもて往生の正業とすとみゑたり。されば南無阿彌陀佛をもてわれらが往生の正業とすとなり。又善導、此南無阿彌陀佛の六字を釋してのたまはく、「南無といふはすなはちこれ歸命なり、またこれ發願廻向の儀なり。阿彌陀佛といふはすなはちこれその行なり。この義をもてのゆへにかならず往生をう」(玄義分)といへり。そのこゝろはいかんとなれば、歸命といふも發願廻向といふもおなじこゝろなり。されば「歸命」といふは、彌陀をふかくたのむこゝろなり。又「阿彌陀佛」といふは、南無と歸命する衆生をかたじけなくも彌陀如來のよくしろしめして、かの光明をはなちてわれらが娑婆にあらんかぎりは、光明のなかにおさめおきてすてたまはざるなり。これすなはち南無阿彌陀佛のこゝろなり。このおもむきをよくこゝろゑたるをもて、他力の大信心とはなづくべきものなり。このうへの行住座臥の念佛は佛恩報盡のためとこゝろうべし。このこゝろを善導又釋していはく、「上盡一形下至一念」(禮讚意)といへり。それ「下至一念」といふは、 本願をたもつ信心治定のこゝろなり。「上盡一形」といふは、我一期のあひだの佛恩報盡のための念佛なり。まことにもていまこのおもむきは、親鸞聖人のすゝめたまへるところの眞實信心といふはこれなり。此外になをふかき信心といふいはれありといはんものは、かへすがへすひが事なりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(四八)
夫親鸞聖人の一流にその名をかけんともがらにおいては、まづ聖人のすゝめましますところの他力眞實の信心をもて本とせられたる、そのいはれをくはしく存知すべきなり。この信心といふことをしらざらん人は、報土には往生すべからず。そのゆへはつみをいへば十惡・五逆・謗法・闡提とて、これにすぎてふかきはあるべからず。しかれどもかゝる機までも、不思議の願力として廻心すればみな往生す。これによりてちかごろ當國・加州兩國のあひだにおいて、佛法についてまづ聖敎をもよみて人を勸化するに、五人あれば五人ながらそのことばあひかはれりと[云々]。これしかしながら法流をたゞちに相承なきいはれなり。あるひは聖道のはて、あるひは禪僧のはてなんどが、わが本宗の字ぢからをもて、なまじゐに自骨に料簡をくはへて人をへつらひたらせるいはれなり。これ言語道斷あさましき次第なり。所詮向後におきては、かのことばをもて信用すべからざるものなり。
抑當流にたつるところの他力の大信心といふは、善導和尙の解釋に、すでに正雜二行とたてゝ、もろもろの雜行をすてゝもはら正行に歸するをもて信心の體とす。 その正行のなかに五種の正行をたてゝ、そのなかに第四の稱名正行をもて往生の正業とすとみゑたり。されば南无阿彌陀佛をもてわれらが往生の正業とすとなり。また善導この南无阿彌陀佛の六字を釋していはく、「南无といふはすなはちこれ歸命なり、またこれ發願廻向の義なり。阿彌陀佛といふはすなはちこれその行なり。この義をもてのゆへにかならず往生をう」(玄義分)といへり。そのこゝろいかんぞなれば、歸命といふも發願廻向といふもおなじこゝろなり。されば「歸命」といふは、彌陀をふかくたのむこゝろなり。また「阿彌陀佛」といふは、南无と歸命する衆生をかたじけなくも彌陀如來のよくこれをしろしめして、すでに遍照の光明をはなちてわれらが命あらんかぎりは、かの光明のなかにおさめおきてすてたまはざるこゝろをもて、すなはち南无阿彌陀佛とはまふすなり。このおもむきをよくよくこゝろゑたるを、すなはち他力の大信心をゑたる人とはいふなり。されば信心決定したるうへの行住座臥の念佛は、ひとへに佛恩報盡のためとこゝろうべし。このこゝろをまた善導釋していはく、「上盡一形下至一念」(禮讚意)といへり。それ「下至一念」といふは、本願をたもつ信心治定のこゝろなり。「上盡一形」といふは、わが一期のあひだの佛恩報謝のための稱名なりとこゝろうべし。いまいふところのおもむきは、親鸞聖人のまさしくひろめたまへるところの他力の眞實信心といへるはこれなり。このほかになをおくふかき信心といふいはれありといはんものは、かへすがへすひがごとなりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年六月廿一日參河國式庄八郎左衞門入道眞慶所望之間於此炎天拭老眼染筆訖
右筆蓮【(如)】―滿六十(花押)


(四九)
去ぬる文明第四初夏下旬之比の事なりしに、或俗人法師なんどあまた同道してこの山中の爲體を一見し申しけるは、抑山の中の主はいかなる人ぞ、俗姓はなにとまふすぞや、又此多屋坊主達の名をばなにとまふすぞ。此山とまふすは、もとはまことに虎・狼・野干のふしどにて家の一もなかりつるよしを人かたりしを、まのあたりきゝつるなり。あら不思議や、一都にいまはなりにけり。そもこれは人間のわざとも覺へざりけり。さてもこれは所領所帶にてもかくのごとくはならざりけり。そのいはれはひたすら佛法不思議の威力なりしゆへなり。それについてまづ淨土一家の宗義は、昔より今にいたるまで退轉なくこれありといへども、當時いまの世は諸宗ともに八宗・九宗ことごとくすたれり。しかりといへどもこの當山にをひては、いよいよ念佛信仰さかりにして、一切の萬民等かや申す我等にいたるまでも、此宗に心をかけざるはあるべからず。末代の奇特ともいひつべし。いかさまにも此宗にかぎりて殊勝なる後生のたすかる一理これありとしられたり。あやまりても此宗をそしることあらば、たゞちに罰をかうぶるべしと身にもおぼゑたり。是非ともにしかるべき縁をとりて、かの山の御弟子になるべし。この宗體にならずしては、又餘のたすかるといへるみち、ふつと今の世にはあるべからず。あらたふとの此御山や、あらうれしやと申して、手をあはせてこの御山をおがみ、いづくへともしらずかへりけりとみゆ。これらの子細をあるみちのほとりにてねんごろにきゝしほどに、あまりに不思議におもひはん べるまゝかたりまふすなりといへり。あなかしこ、あなかしこ。
〔文明五年十二月中旬〕

(五〇)
夫人間の體をつくづく案ずるに、老少不定のさかひなり。もしいまのときにをいて、後生をかなしみ極樂をねがはずはいたづらごとなり。それについて衣食支身命とて、くうことゝきることゝのふたつかけぬれば、身命やすからずしてかなしきことかぎりなし。まづきることよりもくうこと一日片時もかけぬれば、はやすでにいのちつきなんずるやうにおもへり。これは人間にをいて一大事なり、よくよくはかりおもふべきことなり。さりながら今生は御主をひとりたのみまひらすれば、さむくもひだるくもなし。それも御主にこそよるべけれ。ことにいまの世にはくうこともきることもなき御主はいくらもこれおほし。されどもよき御主にとりあひまひらする、その御恩あさからぬことなれば、いかにもよくみやづかひにこゝろをいれずんば、その冥加あるべからず。さて一期のあひだは、御主の御恩にて今日までそのわづらひなし。またこれよりのちのことも、不思議の縁によりて、この山内にこの二、三ケ年のほどありしによりて、佛法信心の次第きくに耳もつれなからで、まことにうたがひもなく極樂に往生すべし。これすなはち今生・後生ともにもてこの山にありてたすかりなんずること、まめやかに二世の恩あさからずおもふべきものなり。ことに女人の身はおとこにつみはまさりて、五障・三從とてふかき身なれば、後生にはむなしく无間地獄におちん身なれども、かたじけなくも阿彌陀如來ひとり、十方三世の諸佛の悲願にもれたるわれら女人をたすけたまふ御うれしさありがたさよとふかくおもひとりて、阿彌陀如來をたのみたてまつるべきなり。それ信心をとるといふは、なに のわづらひもなく彌陀如來を一向一心にふたごゝろなく後生たすけたまへとおもひつめて、そのほかのことをばなにもうちすつべし。さて雜行といふはなにごとぞなれば、彌陀よりほかのほとけも、またその餘の功德善根をも、また一切の諸神なんどに今生にをいて用にもたゝぬせゝりごとをいのる體なることを、みなみな雜行ときらふなり。かやうに世間せばく阿彌陀一佛をばかりたのみて、一切の功德善根、一切の神ほとけをもならべて、ちからをあはせてたのみたらんは、なをなを鬼にかなさいばうにて、いよいよよかるべきかとおもへば、これがかへりてわろきことなり。されば外典のことばにいはく、「忠臣は二君につかへざれ、貞女は二夫にまみえず」(史記意)といへり。佛法にあらざる世間よりも、一心一向にたのまではかなふべからずときこえたり。また一切の月のかげはもとひとつ月のかげなり、ひとつ月のかげが一切のところにはかげをうつすなり。このこゝろをもてこゝろうべし。されば阿彌陀一佛をたのめば、一切のもろもろのほとけ、一切のもろもろのかみを一度にたのむにあたるなり。これによりて阿彌陀一佛をたのめば、一切の神もほとけもよろこびまもりたまへり。かるがゆへに阿彌陀如來ばかりをたのみて、信心決定してかならず西方極樂世界の阿彌陀の淨土へ往生すべきものなり。このゆへにかゝる不思議の願力によりて往生すべきことのありがたさたふとさの彌陀の御恩報ぜんがために、行住座臥に稱名念佛をばまふすなりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明第五 十二月十三日書之

これの内人の事なり

(五一)
抑先年前住在國のときの敎化によりて、まづ荻生・福田の面々は祕事をもて本とせるこゝろはうせたりといへども、いまだ當流の眞實の法義にはもとづかざるやうにみゑたり。しかれども愚老この兩三ケ年のあひだ、吉崎の山上において一宇をむすびて居住せしむるいはれによりけるか、いまははや、おほよそ佛法のおもむきはひろまれるやうにきこゑたり。さりながら當流親鸞聖人一流には眞實信心といふことを先とせられて、すでに末代われらごときの罪惡生死の凡夫、五障・三從の女人までも、みなたすけましますといふことを、あまねくしらざるがゆへなり。されば淨土に往生するといふも、たゞ一念の信心の決定するをもて、すみやかに彌陀の報土へはむまるゝものなり。これによりて信心といふことをよく決定すべきなり。この信心をとるといふは、いかやうにこゝろをももちて、いかやうに阿彌陀をも信じたてまつるべきぞといへば、なにのやうもなく、もろもろの雜行疑心なんどいふこゝろをすてゝ、またもろもろの佛・菩薩・諸神等をもたのまずして、もろもろのわろき自力のひがおもひなんどをもふりすてゝ、一心一向に彌陀如來をふかくたのみたてまつりて、このたびの後生をたすけたまへと、ひとすぢに彌陀に歸命するこゝろをもちて、うたがひのこゝろはつゆちりほどもなくは、かならず阿彌陀如來は八萬四千の大光明をはなちて、その身を光明のなかにおさめとりて、わが身の娑婆にあらんかぎりはすてたまはずして、すでに命おはりなば彌陀の報土へかならずむかへたまふべし。これを彌陀如來の念佛行者を攝取したまふといふは、このこゝろなり。これをすなはち當流の信心決定したる人とはなづくべし。かくこゝろうるうへには、たとひ念佛 まふすとも、かの彌陀如來のわれらが往生をたやすくさだめましますところの御恩を報じたてまつる念佛なりとおもふべきものなり。加樣にこゝろゑたる人をば、あるひは一念發起の行者とも、正定聚に住すとも、无上涅槃を證すとも、彌勒にひとしともまふすなり。これをもて信心をよくとりたる行者とはいふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
これについてなをなをこゝろうべきむねあり。そのゆへは他宗・他門を誹謗することあるべからず、また諸神・諸佛をもわが信ぜぬばかりなり、あながちにおろかにすべからず、いづれも彌陀一佛の功德のうちにこもれりとしるべし。いかに當流の安心を決定したる人なりといふとも、このむねをまもらずはいたづらごとなり、當流念佛者にてはあるべからず。よくよくこのおもむきをこゝろうべきものなり。
文明第五 十二月廿二日書之
荻生・福田同行中へ
(花押)

(五二)
夫人間の體たらくをしづかに案ずるに、老少不定といひながら、つれなきものはわれらごときの凡夫なり。これによりて身體は芭蕉葉におなじ、たゞいまも无常のかぜにあひなば、すなはちやぶれなんことはたれのひとかのがるべき。たゞふかくいとふべきは娑婆世界なり、またねがふべきは安養世界なり。このたび信心決定して佛法を修行せずは、いつの世にかはうかむことをえんや。それについてはこゝにすぎぬる秋のころ、多屋人數のなかに松長の道林寺、郷の公慶順は、とし をいへば二十二歲なりしが、老少不定のいはれにやのがれがたきによりて、つゐに死去す。あはれなること中々いふばかりもなし。ことに佛法をこゝろにいれしあひだ、おしまぬひとこれなしとおもふところに、今月四日にまた福田の乘念も往生す。かの道林寺も同日にあひあたりて往生せしこと、まことに信心のとをりも一味せるいはれともおもひはんべるなり。抑乘念は滿六十なり、松長の慶順は二十二歲なり。これすなはちわかきはおひたるにさきだついはれなれば、あら道林寺やな、かれもこれもおくれさきだつ人間界のならひは、たれものがれがたきなり。さりながら「同一念佛无別道故」(論註*卷下)の本文にまかせて、まことに一佛淨土の往生をとげんこと、本願あやまりあるべからず。あら殊勝哉、殊勝哉。
文明五年十二月廿三日

(五三)
抑かの乘念といへる法名をよくよくかんがへみれば、それ彌陀如來の一念十念によりて大悲の願船に乘ずといへる道理にかなふて殊勝なり。よてかの乘念は去ぬる十月の時分より違例ありき。そのあひだひさしく當山へ出仕おこたれり。しかるあひだ霜月の報恩講にまひりなんことかなひがたきよしまふすところに、不思議に違例すこし子細なきあひだ、霜月廿一日の夜聖人一七ケ日報恩講の座中に出仕するに、すなはち法門・聖敎なんど聽聞するにより違例氣も次第にとりなをして、食事も日ごろにあひかはりて子細なし。これしかしながら法味をあぢはふいはれかともおもひ、また聖人の御はからひに信心をもなをふかくとらしめんがためかともおぼへはんべり。さるほどに七日七夜も發病の氣もなくて、廿八日の修中もことゆへなく結願成就しをはりぬ。あくる廿九日に安藝在所へゆきて對面し て、まことに名殘おしげにみえてものがたりしけるは、今度一七日報恩講のうちの聽聞によりて日ごろ信心のちがひめを聽聞しわけぬるよしをまふして、中々ありがたさわれひとり落淚をもよをしけり。そののち多屋へかへりてより違例ことのほかになりて、中五日病氣してつゐにそのまゝ往生す。たれのひともさりともとおもひしに、かくのごとくなりしかば、いまさらのやうにあはれみみなみなおもひあへり。病中のあひだにも、我往生はさておき、又未決定のひとの信心なきことをのみなげきかなしみあへり。これすなはち自身の往生決定せしむるいはれなりとおぼへはんべり。まことに「自信敎人信」(禮讚)の道理にて、殊勝にこそはおぼゆれ。これによりて年をかさね日をかさね、佛法にこゝろざしのふかきによりて、報恩謝德のためにとて、年來相傳の下地に佛名田といへるを佛陀に寄進あり。つらつらかの田の名を案ずるに、佛名といへること、佛のものときこへたり。かの乘念にをいてもその覺語なき佛力不思議ともいひつべし。まことにもて平生に佛法にをいて等閑なきいはれ、往生ののちにあらはれて、かつはありがたくかつはたうとくも、こゝろざしのほどもしられて、あはれにこそおもひはんべるものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(五四)
夫當流開山聖人のひろめたまふところの一流のなかにおいて、みな勸化をいたすにその不同これあるあひだ、所詮向後は當山多屋坊主以下其外一卷の聖敎をよまん人も、又來集の面々も、各々に當門下に其名をかけん輩までも、此三ケ條の篇目をもてこれを存知せしめて、 自今已後その成敗をいたすべきものなり。
諸法・諸宗ともにこれを誹謗すべからず。
諸神・諸佛・菩薩をかろしむべからず。
信心をとりて報土往生をとぐべき事。
右斯三ケ條のむねをまもりて、ふかく心底にたくはゑて、これを本とせざらん人々においては、此當山へ出入を停止すべきものなり。抑去文明第三之曆、仲夏の比より花洛をいでゝ、同年七月下旬之候に、すでに此當山の風波あらき在所に草庵をしめて、此四ケ年の間居住せしむる元源は、別の子細にあらず。此三ケ條のすがたをもて、かの北國中において、當流の信心未決定の人を同く一味の安心になさんがためのゆへに、今日今時まで堪忍せしむるところなり。仍此おもむきをもてこれを信用せば、まことに此年月在國の本意たるべきなり。
一 神明と申は、それ佛法において信もなき衆生のむなしく地獄におちん事をかなしみおぼしめして、これを何としてもすくはんがために、かりに神明とあらはれて、いさゝかなる縁をむすびて、それをたよりとして、つゐに佛法にすゝめいれしめんための方便に、神とはあらはれたまふなり。しかれば今のときの衆生において、彌陀をたのみ信心決定して念佛を申し、極樂に往生すべき身となりなば、一切の神明はかへりてわが本懷とおぼしめしてよろこびたまひて、念佛の行者をまもり守護したまふべきあひだ、とりわけ神をあがめねども、たゞ彌陀一佛をたのむうちにみな一切の神はことごとくこもれるがゆへに、別してたのまざれども信ずるいはれのあるがゆへなり。
一 當流のなかにおいて、諸法・諸宗を誹謗することしかるべからず。いづれも釋迦一代の說敎なれば、如說に修行せばその益あるべし。さりながら末代われらごときの在家止住の身は、聖道諸宗の敎におよばねば、 それを我たのまず信ぜぬばかりなり。
一 諸佛・菩薩と申は、それ彌陀如來のみな分身なれば、十方諸佛のためには本師本佛なるがゆへに、阿彌陀一佛に歸したてまつれば、すなはち諸佛・菩薩に歸するいはれあるがゆへに、阿彌陀一體のうちに諸佛・菩薩はみなことごとくこもれるなり。
一 開山親鸞聖人のすゝめましますところの彌陀如來の他力眞實信心といふは、もろもろ雜行をすてゝ專修專念、一向一心に彌陀に歸命するをもて、本願を信樂する體とす。されば先達よりうけたまはりつたへしがごとく、彌陀如來の眞實信心をば、いくたびも他力よりさづけらるゝところの佛智の不思議なりとこゝろゑて、一念をもては往生治定の時剋とさだめて、そのときの命のぶれば自然と多念におよぶ道理なり。これによりて平生のとき一念往生治定のうへの佛恩報盡の多念の稱名とならふところなり。しかれば祖師聖人御相傳の一流の肝要は、たゞこの信心一にかぎれり。これをしらざるをもて他門とし、これをしれるをもて眞宗のしるしとす。其外かならずしも外相において當流念佛者のすがたを他人に對してあらはすべからず。これをもて眞宗の信心をゑたる行者のふるまゐの正本となづくべきものなり。
文明六年W甲午R正月十一日書之
(帖内二-三)

(五五)
抑斯當山へ參詣の人々においては、まづ存知すべき次第三ケ條在之。
一 諸法・諸宗ともに不可誹謗事。

一 諸神・諸佛においてかろしむべからざる事。
一 信心をとりて今度可遂往生事。
右此三ケ條、この宗をもて本とせざらん輩は、當山へ出入かなふべからざるものなり。そのゆへは去文明第三之比より花洛を出しよりこのかた、この浪風あらき在所に幽栖をしめて居住せしむる由來は、无別子細、北國中の同行達において當流の信心のおもむき更以无覺悟分間、於其信心爲令獲得のゆへに所加堪忍なり。是倂自行化他の道理、又別しては聖人報謝のためなりとおもふによりてなり。夫當流の信心といふは、もろもろの雜行をすてゝ專ら歸正行を體とす。斯信心獲得してのうへのとなふるところの口稱念佛は、佛恩報盡のためなりとこゝろうべきなり。これすなはち當流の信心具足の行者となづくべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(五六)
去年霜月のころよりこのかた、當國・加州・能登・越中のあひだより、男女老少幾千萬となく當山へ群集せしむる條、しかるべからざるよしの成敗をなすといへども、さらにもて多屋坊主以下その承引なし。さだめて他宗・他家のかたにも、偏執の義もかつはこれあるべしとおもふなり。そのいはれいかんといふに、在家止住のつみふかき身が、彌陀の本願を信じ後生一大事とおもひ、信心決定してまことに極樂往生治定とこゝろえたらん身は、そのありがたさのあまり報謝のために足手をはこび、また當山に安置するところの本尊ならびに開山の御影へもまいり、またわれらなんどにも對面をとげんは、まことに道理なるべし。しかるになにの分別もなく、たゞひとまねばかりにきたらんともがらは、當山の經廻しかるべからざるよしをまうすなり。そもそも予がまへゝきたりて、見參對面をとげた りといふとも、さらにわれらがちからにて後生をたすくべきむねなし。信心をとりて彌陀如來をたのみたてまつらんひとならでは、後生はたすかるべからず。わがまへゝきたらんずるよりは、山野の墓原へゆきて五輪率都婆をおがみたらんずるは、まことにもてその利益もあるべし。すでに經文にいはく、一見率都婆永離三惡道といへり。この率都婆をひとたびおがみたらんひとは、ながく三惡道の苦患をば一定のがるべしと、あきらかに經にみえたり。かへすがへす當山へなにのこゝろえもなきひときたりて、予に對面して手をあはせおがめること、もてのほかなげきおもふところなり。さらにもてたふときすがたもなし、たゞ朝夕はいたづらにねふせるばかりにて、不法懈怠にして不淨きはまりなく、しわらくさき身にてありけるをおがみぬること、眞實眞實かたはらいたき風情なり。あさましあさまし。これらの次第を分別して、向後は信心もなきものは、あひかまへてあひかまへて率都婆をおがむべし。これすなはち佛道をならんたねになるべし。よくよくこゝろうべきものなり。
秋さりて 夏もすぎぬる 冬ざれの
いまは春べと こゝろのどけし
この歌のこゝろは、當山にこの四ケ年すめるあひだのことをよめるうたなり。五文字に秋さりてといふは、文明第三の秋のころより、この當山吉崎に居をむすびて四年の春夏秋冬ををくりしことは、すでに秋をば三、夏をば二、冬をば三、春をば三なり。かやうに四ケ年のあひだ春夏秋冬ををくりしかども、こゝろうつくしく他力眞實の信心を決定したるひと もなかりしに、去年の霜月七日のうちに、かたのごとくひとびとの信心をとりて、佛法にこゝろのしみてみえしほどに、ことしの春はうれしくおもひけるが、さていまは春べといへり。こゝろのどけしといふは、信心決定のひとおほければ、こゝろのどけしといへるこゝろなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年W甲午R正月廿日

(五七)
それ彌陀如來の超世の本願とまうすは、末代濁世造惡不善のわれらごときの凡夫のためにをこしましますところの无上の誓願なるがゆへなり。しかればこれをなにとやうにこゝろをももち、なにとやうに彌陀を信じて、かの淨土へは往生すべきやらん、さらにその分別なし。くはしくしめしたまふべし。
こたへていはく、末代今時の衆生は、たゞひとすぢに阿彌陀如來をたのみたてまつりて、餘の佛・菩薩等をもならべて信ぜねども、一心一向に彌陀一佛に歸命する衆生をば、いかにつみふかくとも大慈大悲をもてすくはんとちかひたまひて、大光明をはなちて、その光明のうちにおさめとりましますゆへに、このこゝろを『經』(觀經)には、「光明遍照十方世界念佛衆生攝取不捨」とときたまへり。されば五道・六道といへる惡趣にすでにをもむくべきみちを、彌陀如來の願力の不思議としてこれをふさぎたまふなり。このいはれをまた『大經』(卷下)には、「橫截五惡趣惡趣自然閉」ととかれたり。かるがゆへに如來の誓願を信じて一念の疑心なきときは、いかに地獄にをちんとおもふとも、彌陀如來の攝取の光明におさめとられまいらせたらん身は、わがはからひにて地獄へもおちずして極樂にまいるべき身なるがゆへなり。かやうの道理なるときは、晝夜朝暮は如來の廣大の御恩を雨山にかうぶりたるわれらなれば、たゞ口に稱名をとなへて、かの佛の大悲の御恩の報謝 のために念佛をまうすべきばかりなり。これすなはち念佛行者の信心のすがたといへるはこれなりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
〔文明六年二月十五日夜、大聖世尊入滅の昔をおもひいでゝ、於燈下拭老眼染筆畢。
滿六十 有判〕
(帖内二-四)

(五八)
抑此三、四年の間にをいて、當山の念佛者の風情を見をよぶに、まことにもて他力の安心決定せしめたる分なし。そのゆへは珠數の一連をももつひとなし。さるほどに佛をば手づかみにこそせられたり。聖人、またく珠數をすてゝ佛をおがめとおほせられたることなし。さりながら珠數をもたずとも、往生淨土のためにはたゞ他力の信心ひとつばかりなり。それにはさはりあるべからず。まづ大坊主分たるひとは、袈裟をもかけ、珠數をもちても子細なし。これによりて眞實信心を獲得したる人は、かならず口にもいだし、又色にもそのすがたはみゆるなり。しかれば當時はさらに眞實信心をうつくしくえたるひと、いたりてまれなりとおぼゆるなり。それはいかんぞなれば、彌陀如來の本願のわれらがために相應したるたふとさのほども身にはおぼえざるがゆへに、いつも信心のひととをりをばわれこゝろえがほの由にて、なにごとを聽聞するにもそのことゝばかりおもひて、耳へもしかしかともいらず、たゞひとまねばかりの體たらくなりとみえたり。此分にては自身の往生極樂もいまはいかゞとあやうくおぼゆるなり。いはんや門徒・同朋を勸化の儀もなかなか これあるべからず。かくのごときの心中にては今度の報土往生も不可なり。あらあら勝事や、たゞふかくこゝろをしづめて思安あるべし。まことにもて人間はいづるいきはいるをまたぬならひなり。あひかまへて由斷なく佛法をこゝろにいれて、信心決定すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年二月十六日
早朝俄に染筆畢 而已
(帖内二-五)

(五九)
抑當流の他力信心のおもむきをよく聽聞して、決定せしむる人これあらば、その信心のとをりをもて心底におさめおきて、他宗・他人に對して沙汰すべからず。又路次・大道、我々在所なんどにても、あらはに人をもはゞからずこれを讚嘆すべからず。
次には守護・地頭方にむきても、我は信心をゑたりといひて疎略の儀なく、いよいよ公事をまたくすべし。又諸神・諸佛・菩薩をもおろそかにすべからず。これみな南無阿彌陀佛の六字のうちにこもれるがゆへなり。ことに外には王法をもておもてとし、内心には他力の信心をふかくたくはへて、世間の仁義をもて本とすべし。これすなはち當流にさだむるところのおきてのおもむきなりとこゝろうべきものなり。
〔文明六年二月十七日書之〕
(帖内二-六)

(六〇)
今聽聞するところの他力信心のとをりをよくこゝろえたらん人々は、あひかまへてあひかまへて、このおもむきを心底におさめおきて、他宗・他人に對して沙汰すべからず。又路次・大道、我々の在所なんどにても、あらはに人をはゞからずこれを讚嘆すべからず。次には守護・地頭方にむきても、我は信心をえたりといひ て疎略の儀なく、いよいよ公事をまたくすべし。又諸神・諸菩薩をもおろそかにすべからず。みなこれ南无阿彌陀佛の六字のうちにこもれるなり。ことに外には王法をおもてとし、内心には他力の信心をふかくたくはへて、世間の仁義を本とすべし。これすなはち當流にさだむるところのおきてのおもむきなりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年二月十七日書之

(六一)
靜におもんみれば、夫人間界の生をうくることは、まことに五戒をたもてる功力によりてなり。これおほきにまれなる事ぞかし。但人界の生はわづかに一旦の浮生なり、後生は永生の樂果なり。たとひまた榮花にほこり榮耀にあまるといふとも、盛者必衰・會者定離のならひなれば、ひさしくたもつべきにあらず、たゞ五十年百年のあひだのことなり。それも老少不定ときくときは、まことにもてたのみすくなし。これによりていまのときの衆生は、他力の信心をえて淨土の往生をとげんとおもふべきなり。
抑その信心をとらんずるには、さらに智慧もいらず、才學もいらず、富貴も貧窮もいらず、善人も惡人もいらず、男子も女人もいらず、たゞもろもろの雜行をすてゝ正行に歸するをもて本意とす。その正行に歸するといふは、なにのやうもなく彌陀如來を一心一向にたのみたてまつることはりばかりなり。かやうに信ずる衆生をあまねく光明のなかに攝取してすてたまはずして、一期の命つきぬればかならず淨土にをくりたまふなり。この一念の安心ひとつにて淨土に往生すること の、あらやうもいらぬとりやすの安心や。されば安心といふ二字をば、やすきこゝろとよめるはこのこゝろなり。更になにの造作もなく一心一向に如來をたのみまひらする信心ひとつにて、極樂に往生すべし。あらこゝろえやすの安心や、又あらゆきやすの淨土や。これによりて『大經』(卷下)には、「易往而无人」とこれをとかれたり。この文のこゝろは、安心をとりて彌陀を一向にたのめば、淨土へはまひりやすけれども、信心をとる人まれなれば、淨土へはゆきやすくして人なしといへるはこの經文のこゝろなり。かくのごとくこゝろうるうへには、晝夜朝暮にとなふるところの名號は、大悲弘誓の御恩を報じたてまつるべきばかりなり。かへすがへす佛法に心をとゞめて、とりやすき信心のおもむきを存知して、かならず今度の一大事の報土の往生をとぐべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年三月三日淸書之
(帖内二-七)

(六二)
それ十惡・五逆の罪人も、五障・三從の女人も、むなしくみな十方三世の諸佛の悲願にもれて、すてはてられたるわれらごときの凡夫なり。しかればこゝに彌陀如來と申は、三世十方の諸佛の本師本佛なれば、久遠實成の古佛として、いまのごときの諸佛にすてられたる末代不善の凡夫、五障・三從の女人をば、彌陀にかぎりてわれひとりたすけんといふ超世の大願ををこして、われら一切衆生を平等にすくはんとちかひたまひて无上の誓願をおこして、すでに阿彌陀佛となりましましけり。この如來をひとすぢにたのみたてまつらずは、末代の凡夫、極樂に往生するみち、二も三もあるべからざるものなり。これによりて親鸞聖人のすゝめましますところの他力の信心といふことをよく存知せ しめんひとは、かならず十人は十人ながら、みなかの淨土に往生すべし。さればこの信心をとりてかの彌陀の報土にまひらんとおもふについて、なにとやうにこゝろをももちて、なにとやうにその信心とやらんをこゝろうべきや、ねんごろにこれをきかんとおもふなり。
答ていはく、それ當流親鸞聖人のをしへたまへるところの他力信心のおもむきといふは、なにのやうもなく、わが身はあさましきつみふかき身ぞとおもひて、彌陀如來を一心一向にたのみ奉て、もろもろの雜行をすてゝ專修專念なれば、かならず遍照の光明のなかにおさめとられまひらするなり。これまことにわれらが往生の決定するすがたなり。このうへになをこゝろうべきやうは、一心一向に彌陀に歸命する一念の信心によりて、はや往生治定のうへには、行住座臥にくちにまふさんところの稱名は、彌陀如來のわれらが往生をやすくさだめたまへる大悲の御恩を報盡の念佛なりとこゝろうべきなり。これすなはち當流の信心を決定したる人といふべきなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年三月中旬
(帖内二-八)

(六三)
そもそも阿彌陀如來をたのみたてまつるについて、自餘の萬行萬善をば、すでに雜行となづけてきらへるそのこゝろはいかんぞなれば、それ彌陀佛のちかひましますやうは、一心一向にわれをたのまん衆生をば、いかなるつみふかき機なりともすくひたまはんといへる大願なり。しかれば一心一向といふは、阿彌陀佛にを ひて二佛をならべざるこゝろなり。このゆへに人間にをいても、まづ主をばひとりならではたのまぬ道理なり。されば外典のことばにいはく、「忠臣は二君につかへず、貞女は二夫をならべず」(史記意)といへり。阿彌陀如來は三世諸佛のためには本師師匠なれば、その師匠の佛をたのまんには、いかでか弟子の諸佛のこれをよろこびたまはざるべきや。このいはれをもてよくよくこゝろうべし。さて南无阿彌陀佛といへる行體には、一切の諸神・諸佛・菩薩も、そのほか萬善萬行も、ことごとくみなこもれるがゆへに、なにの不足ありてか諸行諸善にこゝろをとゞむべきや。すでに南无阿彌陀佛といへる名號は、萬行萬善の總體なれば、いよいよたのもしきなり。これによりてその阿彌陀如來をばなにとたのみなにと信じて、かの極樂往生をとぐべきぞなれば、なにのやうもなく、たゞわが身は極惡深重のあさましきものなれば地獄ならではおもむくべきかたもなき身なるを、かたじけなくも彌陀如來ひとりたすけんといふ誓願ををこしたまへりとふかく信じて、一念歸命の信心ををこせば、まことに宿善の開發にもよほされて、佛智より他力の信心をあたへたまふがゆへに、佛心と凡心とひとつになるところをさして、信心獲得の行者とはいふなり。このうへにはたゞねてもをきてもへだてなく念佛をとなへて、大悲弘誓の御恩をふかく報謝すべきばかりなりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六歲三月十七日書之
(帖内二-九)

(六四)
それ文明第三の天五月仲旬のころ、江州志賀郡大津三井寺のふもと南別所近松を不圖おもひたちて、この方にをひて居住すべき覺悟にをよばず、越前・加賀の兩國を經廻して、それよりのぼり當國細呂宜の郷吉崎と いへる在所いたりておもしろきあひだ、まことに虎・狼・野干のすみかの大山をひきたいらげて、一宇をむすびて居住せしむるほどに、當國・加州の門下のともがらも、山をくづし、また柴築地をつきなんどして、家をわれもわれもとつくるあひだ、ほどもなく一年二年とすぐるまゝ、文明第三の曆夏のころより當年までは、すでに四年なり。しかれども田舍のことなれば、一年に一度づゝは小家なんどは燒失す。いまだこの坊にかぎりて火難の義なかりしかども、今度はまことに時剋到來なりける歟。當年文明第六 三月廿八日酉剋とおぼえしに、南大門の多屋より火事いでゝ北大門にうつりて燒しほどに、已上南北の多屋は九なり、本坊をくわへてはそのかず十なり。南風にまかせてやけしほどに、ときのまに灰燼となれり。まことにあさましといふもなかなかことのはもなかりけり。それ人間はなにごともはやこれなり。ことに「三界无安猶如火宅」(法華經卷*二譬喩品)といへるも、いまこそ身にはしられたり。これによりてこの界は有无不定のさかひなれば、いかなる家いかなる寶なりともひさしくはもちたもつべきにあらず。たゞいそぎてもねがふべきは彌陀の淨土なり、いま一時もとくこゝろうべきは念佛の安心なり。されば身體は芭蕉のごとし、風にしたがひてやぶれやすし。かゝるうき世にのみ執心ふかくして、无常にこゝろをふかくとゞむるは、あさましきことにあらずや。いそぎ信心を決定して極樂にまいるべき身になりなば、これこそ眞實眞實ながき世のたからをまふけ、ながき生をえて、やけもうせもせぬ安養の淨土へまいりて、いのちは无量无邊にして、老せず死せざるたのしみをう けて、あまさへまた穢國にたちかへりて、神通自在をもてこゝろざすところの六親眷屬をこゝろにまかせてたすくべきものなり。これすなはち「還來穢國度人天」(法事讚*卷下)といへる釋文のこゝろこれなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年九月 日
〔ふしぎなる 彌陀のちかひに あふもなを
むかしののりの もよほしぞかし
いくたびか さだめてことの かはるらん
たのむまじきは こゝろなりけり〕

(六五)
夫當流親鸞聖人のすゝめましますところの一義のこゝろといふは、まづ他力の信心をもて肝要とせられたり。この他力の信心といふことをくはしくしらずは、今度の一大事の往生極樂はまことにもてかなふべからずと、經釋ともにあきらかにみえたり。さればその他力の信心のすがたを存知して眞實報土の往生をとげんとおもふについても、いかやうにこゝろをももち、またいかやうに機をももちて、かの極樂の往生をばとぐべきやらん。そのむねをくはしくしりはんべらず。ねんごろにをしへたまふべし。それを聽聞していよいよ堅固の信心をとらんとおもふなり。
答ていはく、抑當流の他力信心のおもむきとまふすは、あながちに我身のつみのふかきにもこゝろをかけず、たゞ阿彌陀如來を一心一向にたのみたてまつりて、かゝる十惡・五逆の罪人も、五障・三從の女人までも、みなたすけたまへる不思議の誓願力ぞとふかく信じて、さらに一念も本願をうたがふこゝろなければ、かたじけなくもその心を如來のよくしろしめして、すでに行者のわろきこゝろを如來のよき御こゝろとをなじものになしたまふなり。このいはれをもて佛心と凡心と一體になるといへるはこのこゝろなり。依之彌陀如來 の遍照の光明のなかにおさめとられまひらせて、一期のあひだはこの光明のうちにすむ身なりとおもふべし。さていのちもつきぬれば、すみやかに眞實の報土へをくりたまふなり。しかればこのありがたさたふとさの彌陀大悲の御恩をばいかゞして報ずべきぞなれば、晝夜朝暮には稱名念佛ばかりをとなへて、かの彌陀如來の御恩を報じたてまつるべきものなり。このこゝろすなはち當流にたつるところの一念發起平生業成といへる義これなりとこゝろうべし。さればかやうに彌陀を一心にたのみたてまつるも、なにの苦勞もいらず、また信心をとるといふもやすければ、佛になり極樂に往生することもなをやすし。あらたふとの彌陀の本願や、あらたふとの他力の信心や。さらに往生にをいてそのうたがひなし。しかるにこのうへにをいて、なを身のふるまひについてこのむねをよくこゝろうべきみちあり。それ一切の神も佛とまふすも、いまこのうるところの他力の信心ひとつをとらしめんがための方便に、もろもろの神・もろもろのほとけとあらはれたまふいはれなればなり。しかれば一切の佛・菩薩も、もとより彌陀如來の分身なれば、みなことごとく一念南无阿彌陀佛と歸命したてまつるうちにみなこもれるがゆへに、をろかにおもふべからざるものなり。またこのほかになをこゝろうべきむねあり。それ國にあらば守護方、ところにあらば地頭方にをいて、われは佛法をあがめ信心をえたる身なりといひて、疎略の儀ゆめゆめあるべからず。いよいよ公事をもはらにすべきものなり。かくのごとくこゝろえたるひとをさして、信心發得して後生をねがふ念佛行者のふるまひの本と ぞいふべし。これすなはち佛法・王法をむねとまもれるひとゝなづくべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年五月十三日書之
(帖内二-一〇)

(六六)
夫當流親鸞聖人の勸化のをもむき、近年諸國にをきて種々不同なり。これおほきにあさましき次第なり。そのゆへはまづ當流には、他力の信心をもて凡夫の往生を先とせられたるところに、その信心のかたをばをしのけて沙汰せずして、そのすゝむる詞にいはく、十劫正覺のはじめより我等が往生を彌陀如來のさだめましましたることをわすれぬがすなはち信心のすがたなりといへり。これさらに、彌陀に歸命して他力の信心をえたる分はなし。さればいかに十劫正覺のはじめより我等が往生をさだめたまへることをしりたりといふとも、我等が往生すべき他力の信心のいはれをよくしらずは、極樂には往生すべからざるなり。又ある人のことばにいはく、たとひ彌陀に歸命すといふとも善知識なくはいたづらごとなり、このゆへに我等にをひては善知識ばかりをたのむべしと[云云]。これもうつくしく當流の信心をえざる人なりときこえたり。
抑善知識の能といふは、一心一向に彌陀に歸命したてまつるべしと、人をすゝむべきばかりなり。これによりて五重の義をたてたり。一には宿善、二には善知識、三には光明、四には信心、五には名號、この五重の義、成就せずは往生はかなふべからずとみえたり。されば善知識といふは、阿彌陀佛に歸命せよといへるつかひなり。宿善開發して善知識にあはずは、往生はかなふべからざるなり。しかれども歸するところの彌陀をすてゝ、たゞ善知識ばかりを本とすべきこと、おほきなるあやまりなりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、 あなかしこ。
文明第六 五月十七日
(帖内二-一一)

(六七)
夫人間の五十年を勘がへみるに、四王天といへる天の一日一夜にあひあたれり。またこの四王天の五十年をもて、等活地獄の一日一夜とするなり。依之みなひとの地獄におちて苦をうけんことをばなにともおもはず、また淨土へまひりて无上の樂をうけんことをも分別せずして、いたづらにあかし、むなしく日月ををくりて、さらに我身の一心をも決定する分もしかしかともなく、又一卷の聖敎を眼にあてゝみる事もなく、一句の法門をいひて門徒を勸化する儀もなく、たゞ朝夕は、ひまをねらひて枕をともとしてねむりふせらんこと、まことにもてあさましき次第にあらずや。しづかに思案をめぐらすべきものなり。このゆへに今日今時よりして、不法懈怠にあらん人々は、いよいよ信心決定して眞實報土の往生をとげんとおもはん人こそ、まことにその身の德ともなるべし。これまた自行化他の道理にかなへりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
于時文明第六 六月中の二日、あまりの炎天のあつさに、これを筆にまかせてかきしるしおはりぬ。
(帖内二-一二)

(六八)
凡念佛まふして後生たすかるといふことをば、いかなるひともあまねくこれを存知せり。しかれども當流親鸞聖人の一義にかぎりて、他力信心の一途を具足せず んば、今度の報土の往生はかなふべからざるよしきこえはんべりぬ。さてその信心といふことをば、なにとやうにわれらが心中にはこゝろえをきさふらふべきぞや、さらにそのこゝろをえず。くはしくこれをしめしたまふべし。
答ていはく。その他力信心といへる事をばあながちに聖人のわたくしの所流とばかりはこゝろえらるべからず。そのゆへは『大經』(卷上)の十八の願にすでに「至心信樂欲生我國」と、これをあらはしたまへり。これすなはち彌陀如來の他力の信心といへるはこのことなり。この他力眞實の信心を獲得せんひとは、たとへば十人はみな十人ながら、すなはち極樂に往生すべし。これさらに行者のなすところの自力の信心にあらず、彌陀如來の淸淨本願の智心なりときこえたり。この信心の體といふは、すなはち南无阿彌陀佛これなり。そのゆへは南无と彌陀に歸命すれば、その南无と歸命する衆生を阿彌陀佛のよくしろしめして、攝取してすてたまはざるなり。このこゝろすなはち南无阿彌陀佛なり。この南无阿彌陀佛といふは他力眞實の信心のすがたなり。またこの南无阿彌陀佛すなはちわれらが往生すべきいはれを、六字の名號にあらはしたまへるなり。これすなはち信心歡喜のこゝろにて、報土に往生すべきいはれなればなりとこゝろうべし。されば信心決定のうへに佛恩報謝のために行住座臥に念佛まふすこゝろはなにごとぞなれば、かゝるあさましき極惡のわれらがために、往生すべき大願ををこしてたやすくたすけたまへる彌陀如來の御恩のありがたさたふとさをよろこびまふす念佛のこゝろなりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年六月十九日

(六九)
或人のいはく、參河國さかざきの修理助入道淨光・靑 野八郎左衞門入道眞慶兩人あり。此人去ぬる四月下旬比より吉崎の山上にありと[云々]。しかるに善導和尙の日中の『禮讚』の偈にいはく、「眞形光明遍法界蒙光觸者心不退」といふ文あり。所詮此釋文の中に眞慶・淨光の二人の片字あり。これまことに奇特不思議なりし事ぞかし。そのゆへは彌陀如來の眞身のかたちは、すなはち光明ともなりて、一切衆生を平等に攝取したまふちかひなるがゆへなり。これによりて兩人の片字此釋文の中にある事、まことにもて宿習のいたりか、又本願力の不思議によりて報土往生をとげんがために、今度此當山ゑこゑられけるかともおぼへはんべり。さればやがて次の文に「蒙光觸者心不退」とあれば、すなはち信心決定して不退なるべきいはれなりとあらはにしられたり。あら殊勝、あら殊勝。
文明第六 六月廿五日書之

(七〇)
夫當流にさだむるところのをきてをよくまもるといふは、他宗にも世間にも對しては、我一宗のすがたをあらはに人の目にみえぬやうにふるまへるをもて本意とするなり。しかるにちかごろは當流念佛者のなかにをいて、わざと人目にみえて一流のすがたをあらはして、これをもてわが宗の名望のやうにおもひて、ことに他宗をこなしをとしめんとおもへり。これ言語道斷の次第なり。さらに聖人のさだめましましたる御意にふかくあひそむけり。そのゆへは「すでに牛をぬすみたるひとゝはいはるとも、當流のすがたをみゆべからず」(改邪*鈔意)とこそおほせられたり。この御ことばをもてよくよくこゝろうべし。つぎに當流の安心のおもむきを くはしくしらんとおもはんひとは、あながちに智慧才學もいらず、男女貴賤もいらず、たゞわが身はつみふかきあさましきものなりとおもひとりて、かゝる機までもたすけたまへるほとけは阿彌陀如來ばかりなりとしりて、なにのやうもなく一すぢにこの阿彌陀ほとけの御袖にひしとすがりまひらするおもひをなして、後生をたすけたまへとたのみまふせば、この阿彌陀如來はふかくよろこびましまして、その御身より八萬四千のおほきなる光明をはなちて、その光明のなかにその人をおさめいれてをきたまふべし。さればこのこゝろを『經』(觀經)にはまさに「光明遍照十方世界念佛衆生攝取不捨」とはとかれたりとこゝろうべし。さては我身のほとけにならんずることは、なにのわづらひもなし。あら殊勝の超世の本願や、ありがたの彌陀如來の光明や。この光明の縁にあひたてまつらずは、无始よりこのかたの无明業障のおそろしきやまひのなをるといふことは、さらにもてあるべからざるものなり。しかるにこの光明の縁にもよほされて、宿善の機ありて他力の信心といふことをばいますでにえたり。これしかしながら彌陀如來の御かたよりさづけましましたる信心とはやがてあらはにしられたり。かるがゆへに行者のをこすところの信心にあらず、彌陀如來他力の大信心といふことは、いまこそあきらかにしられたり。これによりてかたじけなくもひとたび他力の信心をえたらんひとは、みな彌陀如來の御恩のありがたきほどをよくよくおもひはかりて、佛恩報謝のためにはつねに稱名念佛をまふしたてまつるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明第六 七月三日書之
(帖内二-一三・五―一二)

(七一)
夫越前國にひろまるところの祕事法門といへることは、 さらに佛法にてはなし、あさましき外道の法なり。これを信ずるものはながく无間地獄にしづむべき業にて、いたづらごとなり。この祕事をなをも執心して肝要とおもひて、人をへつらひたらさんものには、あひかまへてあひかまへて隨逐すべからず。いそぎその祕事をいはん人の手をはなれて、はやくさづくるところの祕事をありのまゝに懺悔して、人にかたりあらはすべきものなり。
抑當流勸化のおもむきをくはしくしりて、極樂に往生せんとおもはん人は、まづ他力の信心といふことを存知すべきなり。夫他力の信心といふは、なにの要ぞといへば、かゝるあさましきわれらごときの凡夫の身が、たやすく淨土へまひるべき用意なり。その他力の信心のすがたといふはいかなることぞといへば、なにのやうもなくたゞ一すぢに阿彌陀如來を一心一向にたのみたてまつりて、たすけたまへとおもふこゝろの一念をこるとき、かならず彌陀如來の攝取の光明をはなちて、その身の娑婆にあらんほどは、この光明のなかにおさめをきましますなり。これすなはちわれらが往生のさだまりたるすがたなり。されば南无阿彌陀佛とまふす體は、われらが他力の信心をえたるすがたなり。この信心といふは、この南无阿彌陀佛のいはれをあらはせるすがたなりとこゝろうべきなり。されば我等がいまの他力の信心ひとつをとるによりて、極樂にやすく往生すべきことの、さらになにのうたがひもなし。あら殊勝の彌陀如來の他力の本願や。このありがたさの彌陀の御恩をば、いかゞして報じたてまつるべきぞなれば、たゞねてもおきても南无阿彌陀佛南无阿彌陀佛と となへて、かの彌陀如來の佛恩を報ずべきなり。されば南无阿彌陀佛ととなふるこゝろはいかんぞなれば、阿彌陀如來の御たすけありつる事のありがたさたうとさよとおもひて、それをよろこびまふすこゝろなりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年七月五日
(帖内二-一四・五―二二)

(七二)
そもそも日本にをいて淨土宗の家々をたてゝ、西山・鎭西・九品・長樂寺とて、そのほかあまたにわかれたり。これすなはち法然聖人のすゝめたまふところの義は一途なりといへども、あるひは聖道門にてありしひとびとの、聖人へまいりて淨土の法門を聽聞したまふに、うつくしくその理耳にとゞまらざるによりて、わが本宗のこゝろをいまだすてやらずして、かへりてそれを淨土にひきいれんとせしによりて、その不同これあり。しかりといへどもあながちにこれを誹謗することあるべからず。肝要はたゞわが一宗の安心をよくたくはへて、自身も決定しひとをも勸化すべきばかりなり。それ當流の安心のすがたはいかんぞなれば、まづわが身は十惡・五逆、五障・三從のいたづらものなりとふかくおもひつめて、そのうへにおもふべきやうは、かゝるあさましき機を本とたすけたまへる彌陀如來の不思議の本願なりとふかく信じたてまつりて、すこしも疑心なければ、かならず彌陀は攝取したまふべし。このこゝろこそ、すなはち他力眞實の信心をえたるすがたとはいふべきなり。かくのごときの信心を、一念とらんずることはさらになにのやうもいらず。あらこゝろえやすの他力の信心や、あら行じやすの名號や。しかればこの信心をとるといふも別のことにはあらず、南无阿彌陀佛の六の字をこゝろえわけたるが、すなはち他力信心の體なり。また南无阿彌陀佛といふはいか なるこゝろぞといへば、南无といふ二字は、すなはち極樂に往生せんとねがひて彌陀をふかくたのみたてまつるこゝろなり。さて阿彌陀佛といふは、かくのごとくたのみたてまつる衆生をあはれみましまして、无始曠劫よりこのかたのをそろしきつみとがの身なれども、彌陀如來の光明の縁にあふによりて、ことごとく无明業障のふかきつみとがたちまちに消滅するによりて、すでに正定聚のかずに住す。かるがゆへに凡身をすてゝ佛身を證するといへるこゝろを、すなはち阿彌陀如來とはまうすなり。されば阿彌陀といふ三字をば、おさめ・たすけ・すくふとよめるいはれあるがゆへなり。かやうに信心決定してのうへには、たゞ彌陀如來の佛恩のかたじけなきことをつねにおもひて稱名念佛をまうさば、それこそまことに彌陀如來の佛恩を報じたてまつることはりにかなふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年七月九日書之
(帖内二-一五)

(七三)
抑當流にをいて、その名ばかりをかけんともがらも、またもとより門徒たらんひとも、當宗の安心のとをりをよくこゝろえずは、あひかまへてあひかまへて今日よりして他力の大信心のおもむきをねんごろに人にあひたづねて、報土往生を決定せしむべきなり。夫一流の安心をとるといふも、なにのやうもなくたゞ一すぢに阿彌陀如來をふかくたのみたてまつるばかりなり。しかれどもこの阿彌陀佛とまふすは、いかやうなるほとけぞ、またいかやうなる機の衆生をすくひたまふぞ といふに、三世の諸佛にすてられたるあさましき我等凡夫女人を、われひとりすくはんといふ大願ををこしたまひて、五劫があひだこれを思惟し、永劫があひだこれを修行して、それ衆生のつみにをいては、いかなる十惡・五逆・謗法・闡提のともがらなりといふともたすけんとちかひましまして、すでに諸佛の悲願にこえすぐれたまひて、その願成就して阿彌陀如來とはならせたまへるを、すなはち南无阿彌陀佛とはまふすなり。これによりてこのほとけをばなにとたのみ、なにとこゝろをももちてたすけたまふべきぞといふに、それ我身のつみのふかきことをばうちをきて、たゞかの阿彌陀佛をふたごゝろなく一向にたのみまひらせて、一念もうたがふこゝろなくは、かならずたすけたまふべし。しかるに阿彌陀如來には、すでに攝取と光明といふ二つのことはりをもて、衆生をば濟度したまふなり。まづこの光明に宿善の機ありててらされぬれば、つもるところの業障のつみみなきえぬるなり。さて攝取といふはいかなるこゝろぞといへば、この光明の縁にあひたてまつれば、罪障ことごとく消滅するによりて、やがて衆生をこの光明のうちにおさめおかるゝによりて、攝取とはまふすなり。このゆへに阿彌陀佛には攝取と光明との二つをもて肝要とせらるゝなりときこえたり。されば一念歸命の信心のさだまるといふも、この攝取の光明にあひたてまつる時剋をさして、信心のさだまるとはまふすなり。しかれば南无阿彌陀佛といへる行體は、すなはちわれらが淨土に往生すべきことはりを、この六字にあらはしたまへる御すがたなりと、いまこそよくはしられて、いよいよありがたくたふとくおぼへはんべれ。さてこの信心決定のうへには、たゞ阿彌陀如來の御恩を雨山にかうぶりたることをのみよろこびおもひたてまつりて、その報謝のためには、ねてもさめても念佛をまふすべきばかりなり。 これぞまことに佛恩報盡のつとめなるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明第六 七月十四日書之
(帖内三-一)

(七四)
夫淨土宗のこゝろ、彌陀如來の他力本願のおもむきは、末代造惡不善、十惡・五逆の機にをいては、いづれの法いづれの行をもてこれを修すといへども、成佛得道の儀かなひがたしといふこと經釋ともに分明にきこへはんべりぬ。夫諸宗のこゝろまちまちにして、いづれも釋尊の說敎なれば、まことにこれ殊勝の法なりといへども、如說に修行するひとまれなれば、成佛得道すべきことかなひがたし。末代いまのときは、機根最劣にして如說の修行もかなひがたきとき世なり。これによりて彌陀如來の他力本願といふは、いまの世かゝるときの衆生をたすけんがために、五劫があひだ思惟し、永劫が間修行して、造惡不善の衆生をほとけになさずはわれも正覺ならじとちかひましまして、その願すでに成就して阿彌陀とならせたまへるほとけなり。末代このごろの衆生にかぎりては、このほとけの他力本願にすがりて彌陀をたのみたてまつらずは、成佛するといふことあるべからざるなり。しかればこの彌陀如來の他力本願をばなにとやうに信じ、またなにと機をもちてたすからんずるやらん。それ彌陀をたのむといふは、なにのやうもなく他力の信心といふいはれをしりたらんひとは、百人は百人ながら、みな往生すべし。その信心といふはいかやうなることぞといへば、たゞ南无阿彌陀佛なり。この南无阿彌陀佛の六字のこゝろ をよくしりたるが、すなはち他力信心のすがたなり。このいはれをよくよくこゝろうべし。まづ南无といふ二字はいかなるこゝろぞといふに、やうもなく彌陀を一心一向にたのみたてまつりて、後生たすけたまへとふたごゝろなく信じまひらするかたをさして、南无とはまふすこゝろなり。さて阿彌陀佛の四の字はいかなるこゝろぞといふに、いまのごとくに彌陀を一心にたのみまひらせて、うたがひのこゝろのなき衆生をば、光明をはなちてそのひかりのうちにおさめをきましまして、地獄へもおとしたまはずして、一期のいのちつきぬれば、かの極樂淨土へおくりたまへるこゝろを、阿彌陀佛とはまふしたてまつるなり。されば世間にひとのこゝろうるは、くちに南无阿彌陀佛ととなへて、たすからんずるやうにみなひとおもへり。それはなをおぼつかなし。よく南无阿彌陀佛の六の字のこゝろをしりわけたるが、すなはち他力信心をえたる念佛行者の體とはいふなり。これ當流にたつるところの信心のをもむきといふはこのこゝろなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年八月五日書之

(七五)
夫諸宗のこゝろまちまちにして、いづれも釋迦一代の說敎なれば、まことにこれ殊勝の法なり。もとも如說にこれを修行せんひとは、成佛得道すべきことさらにうたがひなし。しかるに末代このごろの衆生は機根最劣にして、如說に修行せんひとはひとまれなる時節なり。こゝに彌陀如來の他力本願といふは、いまの世にをひてかゝるときの衆生をむねとたすけすくはんがために、五劫があひだこれを思惟し、永劫があひだこれを修行して、造惡不善の衆生をほとけになさずはわれも正覺ならじと、ちかごとをたてましまして、その願すでに成就して阿彌陀とならせた まへるほとけなり。末代いまのときの衆生にをひては、このほとけの本願にすがりて彌陀をふかくたのみたてまつらずんば、成佛するといふことあるべからざるなり。
抑阿彌陀如來の他力本願をばなにとやうに信じ、またなにとやうに機をもちてかたすかるべきぞなれば、それ彌陀を信じたてまつるといふは、なにのやうもなく他力の信心といふいはれをよくしりたらんひとは、たとへば十人は十人ながら、みなもて極樂に往生すべし。さてその他力の信心といふはいかやうなることぞといへば、たゞ南无阿彌陀佛なり。この南无阿彌陀佛の六の字のこゝろをくはしくしりたるが、すなはち他力信心のすがたなり。されば南无阿彌陀佛といふ六字の體をよくよくこゝろうべし。まづ南无といふ二字はいかなるこゝろぞといへば、やうもなく彌陀を一心一向にたのみたてまつりて、後生たすけたまへとふたごゝろなく信じまいらするこゝろを、すなはち南无とはまうすなり。つぎに阿彌陀佛といふ四字はいかなるこゝろぞといへば、いまのごとくに彌陀を一心にたのみまいらせて、うたがひのこゝろのなき衆生をば、かならず彌陀の御身より光明をはなちててらしましまして、そのひかりのうちにおさめをきたまひて、さて一期のいのちつきぬれば、かの極樂淨土へをくりたまへるこゝろを、すなはち阿彌陀佛とはまうしたてまつるなり。されば世間に沙汰するところの念佛といふは、たゞくちにだにも南无阿彌陀佛ととなふれば、たすかるやうにみなひとのおもへり。それはおぼつかなきことなり。さりながら淨土一家にをひてさやうに 沙汰するかたもあり、是非すべからず。これはわが一宗の開山のすゝめたまへるところの一流の安心のとほりをまうすばかりなり。宿縁のあらんひとは、これをきゝてすみやかに今度の極樂往生をとぐべし。かくのごとくこゝろえたらんひと、名號をとなへて彌陀如來のわれらをやすくたすけたまへる御恩を雨山にかうぶりたる、その佛恩報盡のためには、稱名念佛すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年八月五日書之
(帖内三-二)

(七六)
この方河尻性光門徒の面々にをいて、佛法の信心のこゝろえはいかやうなるらん、まことにもてこゝろもとなし。しかりといへどもいま當流一義のこゝろをくはしく沙汰すべし。をのをの耳をそばだてゝこれをきゝて、このをもむきをもて本とおもひて、今度の極樂の往生を治定すべきものなり。
それ彌陀如來の念佛往生の本願とまうすは、いかやうなることぞといふに、在家无智のものも、また十惡・五逆のやからにいたるまでも、なにのやうもなく他力の信心といふことをひとつ決定すれば、みなことごとく極樂に往生するなり。さればその信心をとるといふは、いかやうなるむつかしきことぞといふに、なにのわづらひもなくたゞひとすぢに阿彌陀如來をふたごゝろなくたのみたてまつりて、餘へこゝろをちらさざらんひとは、たとへば十人あらば十人ながら、みなほとけになるべし。このこゝろひとつをたもたんはやすきことなり。たゞこゑにいだして念佛ばかりをとなふるひとはおほやうなり、それは極樂には往生せず。この念佛のいはれをよくしりたるひとこそほとけにはなるべけれ。なにのやうもなく彌陀をよく信ずるこゝろだにもひとつにさだまれば、やすく淨土へはまいる べきなり。このほかにはわづらはしき祕事といひて、ほとけをもおがまぬものはいたづらものなりとおもふべし。これによりて阿彌陀如來の他力本願とまうすは、すでに末代いまのときのつみふかき機を本としてすくひたまふがゆへに、在家止住のわれらごときのためには相應したる他力の本願なり。あらありがたの彌陀如來の誓願や、あらありがたの釋迦如來の金言や、あふぐべし、信ずべし。しかればいふところのごとくこゝろえたらんひとびとは、これまことに當流の信心を決定したる念佛行者のすがたなるべし。さてこのうへには、一期のあひだまうす念佛のこゝろは、彌陀如來のわれらをやすくたすけたまへるところの雨山の御恩を報じたてまつらんがための念佛なりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年八月六日書之
(帖内三-三)

(七七)
抑此方北庄一里五十町の間、念佛同行の坊主達の心中の風情をつくづくと、この當庄にしづかにありて見及に、まことに當流一儀の趣をうるはしく存知したる體は、一人も更になきやうに思ひ侍べり。これあさましき次第にあらずや。そのゆへは名をばなまじゐに當流にかけて、たが門徒といへるばかりをもて肝要とおもひて、信心のとをりをば手がけもせずして、たゞすゝめといふて錢貨をつなぐをもて一宗の本意とおもひ、これをもて往生淨土のためとばかりおもへり。これ大にあやまりなり。夫極樂に往生することをくはしく存知せずは、極樂には往生すべからざるものなり。これ によりてその他力の信心といふ事をいまくわしく讚嘆すべし。耳をそばだてゝこれをきゝて、いよいよ決定の信心をまぶくべきなり。
夫親鸞聖人の勸化の趣は、なにのやうもなく末代在家止住の輩は、たゞ聲にいだして南无阿彌陀佛ととなふるばかりにては佛にはなるべからず。そのゆへはいかんといふに、ひしと南无阿彌陀佛といふ佛體は、我等が極樂に往生すべきいわれを、この南无阿彌陀佛の六の字にしかとあらはしたまへりとおもひて、さてこの南无阿彌陀佛はなにといへるこゝろぞといふに、まづ南无といふ二字はすなはち一心一向に阿彌陀如來をふかくたのみたてまつりて、後生たすけ給へとおもふ歸命の一念さだまるところをさして南无とは申なり。さればこの南无とたのむこゝろのうちには、もろもろの雜行・雜善、諸佛・菩薩等をくはへずして、一すぢに阿彌陀如來に歸命し奉るこゝろを南无とは申なり。さて阿彌陀佛といへる四の字のこゝろは、なにと申したるいはれぞなれば、いまのごとくに南无と彌陀をたのみ奉れば、すなはちそのたのむ衆生を佛力不思議のゆへによくしろしめして、かたじけなくも彌陀如來の光明のうちにおさめとらせ給がゆへに阿彌陀佛と申すなり。されば南无阿彌陀佛といへる六の字は、しかしながら造惡不善の我等を御たすけありける御すがたにてましますぞとこゝろえわけたる道理をもて、これを他力の信心をえたる行者とはまふすなり。これによりて佛恩のふかきことは、きはほとりもなきゆへに、その報盡のためにはたゞ稱名念佛をとなへて、かの彌陀如來の御恩を報じ奉るべきものなり。このうへになをこゝろうべきむねあり。そのゆへは南无阿彌陀佛の六字の中には、一切の功德善根も、一切の諸佛・菩薩も、一切の諸神も、みなことごとくこもれるなり。されば阿彌陀一佛に歸すれば、一切の諸神・諸佛・菩薩にも 歸する道理なるがゆへに、別して信ぜねども彌陀一佛を一心一向にたのめば、かならずそのうちにこもれるがゆへなり。あひかまへて一切の諸佛・菩薩・諸神等をかろしむることあるべからず。いよいよ彌陀を信じ奉るべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年八月十日

(七八)
夫倩人間のあだなる體を案ずるに、生あるものはかならず死に歸し、さかんなるものはつゐにおとろふるならひなり。さればたゞいたづらにあかし、いたづらにくらして、年月ををくるばかりなり。これまことになげきてもなをかなしむべし。このゆへにかみは大聖世尊よりはじめて、しもは惡逆の提婆にいたるまで、のがれがたきは无常なり。しかればまれにもうけがたきは人身、あひがたきは佛法なり。たまたま佛法にあふことをえたりといふとも、自力修行の門は、末代なればいまの時は出離生死のみちはかなひがたきあひだ、彌陀如來の本願にあひたてまつらずはいたづらごとなり。しかるにいますでにわれら弘願の一法にあふことをえたり。このゆへにたゞねがふべきは極樂淨土、たゞたのむべきは彌陀如來、これによりて信心決定して念佛まふすべきなり。しかれば世の中にひとのあまねくこゝろえをきたるとをりは、たゞこゑにいだして南无阿彌陀佛とばかりとなふれば、極樂に往生すべきやうにおもひはんべり。それはおほきにおぼつかなきことなり。されば南无阿彌陀佛とまふす六字の體はいかなるこゝろぞといふに、阿彌陀如來を一向にたのめば、ほとけその衆生をよくしろしめして、すくひたま へる御すがたを、この南无阿彌陀佛の六字にあらはしたまふなりとおもふべきなり。しかればこの阿彌陀如來をばいかゞして信じまひらせて、後生の一大事をばたすかるべきぞなれば、なにのわづらひもなく、もろもろの雜行雜善をなげすてゝ、一心一向に彌陀如來をたのみまひらせて、二ごゝろなく信じたてまつれば、そのたのむ衆生を光明をはなちてそのひかりのなかにおさめいれをきたまふなり。これをすなはち彌陀如來の攝取の光益にあづかるとはまふすなり。または不捨の誓益ともこれをなづくるなり。かくのごとく阿彌陀如來の光明のうちにおさめをかれまひらせてのうへには、一期のいのちつきなばたゞちに眞實の報土に往生すべきこと、そのうたがひあるべからず。このほかには別の佛をもたのみ、また餘の功德善根を修してもなにゝかはせん。あらたふとや、あらありがたの阿彌陀如來や。かやうの雨山の御恩をばいかゞして報じたてまつるべきぞや。たゞ南无阿彌陀佛南无阿彌陀佛とこゑにとなへて、その恩德をふかく報盡まふすばかりなりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年八月十八日
(帖内三-四)

(七九)
抑諸佛の悲願に彌陀の本願のすぐれましましたる、そのいはれをくはしくたづぬるに、すでに十方の諸佛とまふすは、いたりてつみふかき衆生と五障・三從の女人をばたすけたまはざるなり。このゆへに諸佛の願に阿彌陀佛の本願はすぐれたりとまふすなり。さて彌陀如來の超世の大願はいかなる機の衆生をすくひましますぞとまふせば、十惡・五逆の罪人も、五障・三從の女人にいたるまでも、みなことごとくもらさずたすけたまへる大願なり。されば一心一向にわれをたのまん衆生をば、かならず十人あらば十人ながら、極樂へ引 接せんとのたまへる他力の大誓願力なり。これによりてかの阿彌陀佛の本願をば、われらごときのあさましき凡夫は、なにとやうにたのみ、なにとやうに機をもちて、かの彌陀をばたのみまひらすべきぞや。そのいはれをくはしくしめしたまふべし。そのをしへのごとく信心をとりて、彌陀をも信じ、極樂をもねがひ、念佛をもまふすべきなり。
答ていはく、まづ世間にいま流布してむねとすゝむるところの念佛とまふすは、たゞなにの分別もなく南无阿彌陀佛とばかりとなふれば、みなたすかるべきやうにおもへり。それはおほきにおぼつかなきことなり。京・田舍のあひだにをいて、淨土宗の流義まちまちにわかれたり。しかれどもそれを是非するにはあらず、たゞわが開山の一流相傳のおもむきをまふしひらくべし。それ解脫のみゝをすまして渴仰のかうべをうなだれてこれをねんごろにきゝて、信心歡喜のおもひをなすべし。それ在家止住のやから一生造惡のものも、わが身のつみのふかきには目をかけずして、それ彌陀如來の本願とまふすはかゝるあさましき機を本とすくひまします不思議の願力ぞとふかく信じて、彌陀を一心一向にたのみたてまつりて、他力の信心といふことをひとつこゝろうべし。さて他力信心といふ體はいかなるこゝろぞといふに、この南无阿彌陀佛の六字の名號の體は、阿彌陀佛のわれらをたすけたまへるいはれを、この南无阿彌陀佛の名號にあらはしましましたる御すがたぞとくはしくこゝろえわけたるをもて、他力の信心をえたる人とはいふなり。この南无といふ二字は、衆生の阿陀彌佛を一心一向にたのみたてまつりて、た すけたまへとおもひて餘念なきこゝろを歸命とはいふなり。つぎに阿彌陀佛といふ四の字は、南无とたのむ衆生を、阿彌陀佛のもらさずすくひたまふこゝろなり。このこゝろをすなはち攝取不捨とはまふすなり。攝取不捨といふは、念佛の行者を彌陀如來の光明のなかにおさめとりてすてたまはずといへるこゝろなり。さればこの南无阿彌陀佛の體は、われらを阿彌陀佛のたすけたまへる支證のために、御名をこの南无阿彌陀佛の六字にあらはしたまへるなりときこへたり。かくのごとくこゝろえわけぬれば、われらが極樂の往生は治定なり。あらありがたや、たうとやとおもひて、このうえには、はやひとたび彌陀如來にたすけられまひらせつるのちなれば、御たすけありつる御うれしさの念佛なれば、この念佛をば佛恩報謝の稱名ともいひ、また信のうえの稱名ともまふしはんべるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年九月六日書之
(帖内三-五)

(八〇)
夫南无阿彌陀佛とまふすはいかなるこゝろぞなれば、まづ南无といふ二字は、歸命と發願廻向との二つのこゝろなり。また南无といふは願なり、阿彌陀佛といふは行なり。されば雜行雜善をなげすてゝ專修專念に彌陀如來をたのみたてまつりて、たすけたまへとおもふ歸命の一念をこるとき、かたじけなくも遍照の光明をはなちて行者を攝取したまふなり。このこゝろすなはち阿彌陀佛の四の字のこゝろなり、また發願廻向のこゝろなり。これによりて南无阿彌陀佛といふ六字は、ひとへにわれらが往生すべき他力信心のいはれをあらはしたまへる御名なりとみえたり。このゆへに願成就の文には、「聞其名號信心歡喜」(大經*卷下)ととかれたり。この文のこゝろは、その名號をきゝて信心歡喜すとい へり。「その名號をきく」といふは、たゞおほやうにきくにあらず。善知識にあひて、南无阿彌陀佛の六の字のいはれをよくきゝひらきぬれば、報土に往生すべき他力信心の道理なりとこゝろえられたり。かるがゆへに「信心歡喜」といふは、すなはち信心さだまりぬれば、淨土の往生はうたがひなくおもふてよろこぶこゝろなり。このゆへに彌陀如來の五劫兆載永劫の御功勞を案ずるにも、我等をやすくたすけたまはんといふ大願ををこして、南无阿彌陀佛となりたまふことのありがたさたふとさをおもへば、中々まふすもおろかなり。されば『和讚』(正像末*和讚)にいはく、「南无阿彌陀佛の廻向の恩德廣大不思議にて 往相廻向の利益には 還相廻向に廻入せり」といへるはこのこゝろなり。又「正信偈」にはすでに「唯能常稱如來號 應報大悲弘誓恩」(行卷)とあれば、いよいよ行住座臥時處諸縁をきらはず、佛恩報盡のためにたゞ稱名念佛すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年十月廿日書之
(帖内三-六)

(八一)
倩以、夫吉崎の當山にをいて此四ケ年の日月をおくりし由來をおもひつゞくるに、さらに覺悟におよばず、たゞ昨日今日のごとし。しかるに予舊冬のころ心中におもへらく、當年の開山聖人遷化の御正忌にまふあひ奉るべきこと、存命不定とおもふところに、はからざるにいますでにあふ事をえたり。誠に宿縁のいたり、報謝の志、相叶冥慮歟之間、悅ても猶可喜、尊ても猶可貴は今此の時なり。しかれば今月廿八日は聖人御正 忌たる間、かの御勸化をうけんともがらにをいては、貴賤上下をいはず、爭此時にいたりて知恩報德の御佛事にこゝろをかけざらん人は、誠以木石にひとしからんものか。これによりて當山の人數、其外參詣の門徒中の面々にいたるまでも、此兩三ケ年の流例にまかせ、今月廿一日の夜より一七ケ日の勤行をいたし、報恩謝德の懇念をはげまさんと擬するところなり。就其たれの人も、この聖人每年不闕の報恩謝德の御佛事をいたさんとおもはん人は、たとひいかなる遠路をしのぎて足手をはこぶといふとも、内心には眞實信心といふことを決定する分もなくして、人目ばかりに報謝の志をいたす體ばかりにては、誠にもて「水入てあかおちず」といへる風情たるべし。またあながちに米錢にこゝろをつくして、これをもて報恩謝德の根源ともおもふべからず。そのゆへはいかんといふに、夫聖人の御本懷には、たゞ彌陀如來の他力信心を獲得して報土往生をとげん人をもて、肝要とおぼしめすべし。然ば此一七ケ日の報恩講の内にをいて、不信心の人はすみやかに信心をとりて、今度の往生の大益をとげんをこそ、まことにもて聖人の御意にはふかくあひかなふべけれ、また報恩謝德の御佛事にもあひそなはりつべし。此道理を心得たらんひとは、此一七ケ日の報恩謝德のまことをいたす志をば、たゞちに聖人うけたまふべきものなり。穴賢、穴賢。
文明六年十一月廿一日

(八二)
抑この御正忌のうちに參詣をいたし、こゝろざしをはこび、報恩謝德をなさんとおもひて、聖人の御まへにまいらんひとのなかにをひて、信心を獲得せしめたるひともあるべし、また不信心のともがらもあるべし、もてのほかの大事なり。そのゆへは信心を決定せずは今度の報土の往生は不定なり。されば不信のひともす みやかに決定のこゝろをとるべし。人間は不定のさかひなり、極樂は常住の國なり。されば不定の人間にあらんよりは、常住の極樂をねがふべきものなり。されば當流には信心のかたをもてさきとせられたるそのゆへをよくしらずは、いたづらごとなり。いそぎ安心決定して、淨土の往生をねがふべきなり。夫人間に流布してみな人のこゝろえたるとをりは、なにの分別もなくくちにたゞ稱名ばかりをとなへたらば、極樂に往生すべきやうにおもへり。それはおほきにおぼつかなき次第なり。他力の信心をとるといふも、別のことにはあらず。南无阿彌陀佛の六の字のこゝろをよくしりたるをもて、信心決定すとはいふなり。そもそも信心の體といふは、『經』(大經*卷下)にいはく、「聞其名號信心歡喜」といへり。善導のいはく、「南无といふは歸命、またこれ發願廻向の義なり。阿彌陀佛といふはすなはちその行」(玄義分)といへり。「南无」といふ二字のこゝろは、もろもろの雜行をすてゝ、うたがひなく一心一向に阿彌陀佛をたのみたてまつるこゝろなり。さて「阿彌陀佛」といふ四の字のこゝろは、一心に彌陀を歸命する衆生を、やうもなくたすけたまへるいはれが、すなはち阿彌陀佛の四の字のこゝろなり。されば南无阿彌陀佛の體をかくのごとくこゝろえわけたるを、信心をとるとはいふなり。これすなはち他力の信心をよくこゝろえたる念佛の行者とはまふすなり。あなかしこ、あなかしこ。
〔文明六年霜月廿五日〕
(帖内五-一一)


(八三)
そもそも親鸞聖人のすゝめたまふところの一義のこゝろは、ひとへに末代濁世の在家无智のともがらにをいて、なにのわづらひもなくすみやかにとく淨土に往生すべき他力信心の一途ばかりをもて本とをしへたまへり。しかればそれ阿彌陀如來は、すでに十惡・五逆の愚人、五障・三從の女人にいたるまでも、ことごとくすくひましますといへることをば、いかなるひともよくしりはんべりぬ。しかるにいまわれら凡夫は、阿彌陀佛をばいかやうに信じ、なにとやうにたのみまいらせて、かの極樂世界へは往生すべきぞといふに、たゞひとすぢに彌陀如來を信じたてまつりて、その餘はなにごともうちすてゝ、一向に彌陀に歸し一心に本願を信じて、阿彌陀如來にをひてふたごゝろなくは、かならず極樂に往生すべし。この道理をもて、すなはち他力信心をえたるすがたとはいふなり。そもそも信心といふは、阿彌陀佛の本願のいはれをよく分別して、一心に彌陀に歸命するかたをもて、他力の安心を決定すとはまうすなり。されば南无阿彌陀佛の六字のいはれをよくこゝろえわけたるをもて、信心決定の體とす。しかれば南无の二字は、衆生の阿彌陀佛を信ずる機なり。つぎに阿彌陀佛といふ四の字のいはれは、彌陀如來の衆生をたすけたまへる法なり。このゆへに機法一體の南无阿彌陀佛といへるはこのこゝろなり。これによりて衆生の三業と彌陀の三業と一體になるところをさして、善導和尙は「彼此三業不相捨離」(定善義)と釋したまへるも、このこゝろなり。されば一念歸命の信心決定せしめたらんひとは、かならずみな報土に往生すべきこと、さらにもてそのうたがひあるべからず。あひかまへて自力執心のわろき機のかたをばふりすてゝ、たゞ不思議の願力ぞとふかく信じて、彌陀を一心にたのまんひとは、たとへば十人は十人ながら、みな眞實 報土の往生をとぐべし。このうへにはひたすら彌陀如來の御恩のふかきことをのみおもひたてまつりて、つねに報謝の念佛をまうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明七年二月廿三日
(帖内三-七)

(八四)
抑此比當國他國の間に於て、當流安心のおもむき事外相違して、みな人ごとに我はよく心得たりと思て、更に法義にそむくとをりをもあながちに人にあひたづねて、眞實の信心をとらんとおもふ人すくなし。これ誠にあさましき執心なり。速にこの心を改悔懺悔して、當流眞實の信心に住して、今度の報土往生を決定せずは、誠に寶の山に入て〔手をむなしくしてかへらんにことならんもの歟。このゆへにその信心の相違したることばにいはく、夫彌陀如來はすでに十劫正覺のはじめより我等が往生をさだめたまへることを、いまにわすれずうたがはざるがすなはち信心なりとばかりこゝろえて、彌陀に歸して信心決定せしめたる分なくは、報土往生すべからず。さればそばさまなるわろきこゝろえなり。依之當流安心のそのすがたをあらはさば、すなはち南无阿彌陀佛の體をよくこゝろうるをもて、他力信心をえたるとはまふすなり。されば南无阿彌陀佛の六字を善導釋していはく、「南无といふは歸命、またこれ發願廻向の儀なり」(玄義分)といへり。そのこゝろいかんぞなれば、阿彌陀如來の因中にをいて、われら凡夫の往生の行をさだめたまふとき、凡夫のなすところの廻向は自力なるがゆへに成就しがたきによりて、 阿彌陀如來の凡夫のために御辛勞ありて、この廻向をわれらにあたへんがために廻向成就したまひて、一念南无と歸命するところにて、この廻向をわれら凡夫にあたへましますなり。このゆへに行者のかたよりなさぬ廻向なれば、これをもて如來の廻向をば行者のかたよりは不廻向とはまふすなり。このいはれあるがゆへに、南无の二字は歸命のこゝろなり、また發願廻向のこゝろなり。このこゝろなるがゆへに、南无と歸命する衆生をかならず攝取してすてたまはざるがゆへに、南无阿彌陀佛とはまふすなり。これすなはち一念歸命の他力信心を獲得する平生業成の念佛行者といへるはこのいはれなりとしるべし。かくのごとくこゝろえたらん人々は、いよいよ彌陀如來の御恩德の深恩なることを信知して、行住座臥に稱名念佛すべし。これすなはち「憶念彌陀佛本願 自然卽時入必定 唯能常稱如來號 應報大悲弘誓恩」(行卷)といへる文のこゝろなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明七歲二月廿五日
あすみんと おもふこゝろは さくら花
よるはあらしの ふかきものかは〕
(帖内三-八)

(八五)
それ當流親鸞聖人の御勸化のをもむきは、信心をもて本とせられさふらふ。そのゆへはもろもろの雜行をなげすてゝ、一心に彌陀に歸すれば、不思議の願力として、佛のかたより往生を治定せしめたまふくらゐを「一念發起入正定聚之數」(論註*卷上意)と釋したまふ。そのうへの稱名念佛は、如來わが往生をさだめたまへる御恩報盡の念佛とこゝろうべきなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明七年W乙未R三月二日
(帖内五-一〇)


(八六)
【〔大津へつかはす〕】さんぬる文明第三初夏仲旬のころより、にはかにこの方をしのびいでゝ北國にをもむきし由來は、またく名聞利養のためにあらず、また榮花榮耀をもことゝせず。そのゆへは大津にひさしく居住せしむるときは、ひとの出入につけても萬事迷惑の次第これおほきあひだ、所詮北國に暫時も下向せしめば、この方出入の義退轉すべきあひだ、不圖下向するところなり。つぎには北國方のひとの安心のとをりも四度計なきやうにおぼゆるまゝ、覺悟にをよばず一年も半年も逗留すべきやうに心中におもふところに、この四、五年の堪忍は存のほかの次第なり。さらにもて心中にかねてよりたくむところにあらず。しかるあひだ予大津邊へ經廻を停止するによりて、ひとのこゝろ正體なく上なき風情、なかなか言語のをよぶところにあらず。あさましあさまし。たれのともがらも、われはわろきとおもふものはひとりとしてもあるべからず。これしかしながら聖人の御罰をかうぶりたるすがたなり。これによりて一人づゝも心中をひるがへさずは、ながき世泥梨にふかくしづむべきものなり。これといふもなにごとぞなれば、眞實に佛法のそこをしらざるゆへなり。所詮自今已後にをひては、當流眞實の安心のみなもとをたづねて、彌陀如來の他力眞實の信心の一途を決定して、ふかく佛法にそのこゝろざしをはげますべきものなり。
そもそも當流安心といふは、なにのわづらひもなく南无阿彌陀佛の六字をくはしくこゝろえわけたるをもて、信心決定のすがたとす。されば善導釋していはく、「南无といふはすなはちこれ歸命、またこれ發願廻向 の義なり」(玄義分)といへり。しかれば南无と一念歸命するこゝろは、すなはち行者を攝取してすてたまはざるいはれなるがゆへに、南无阿彌陀佛とはいへるこゝろなり。されば阿彌陀佛の因中にをひて菩薩の行をなしたまひしとき、凡夫のうへにをひてなすところの行も願も自力にして成就しがたきによりて、凡夫のためにかねてより彌陀如來この廻向を本とおぼしめして、かの廻向を成就して衆生にあたへたまふなり。されば彌陀如來の他力の廻向をば、行者のかたよりこれをいふときは、不廻向とまうすなり。かるがゆへに一念南无と歸命するとき、如來のかたよりこの廻向をあたへたまふゆへに、すなはち南无阿彌陀佛とはまうすなり。これすなはち一念發起平生業成と當流にたつるところの一義のこゝろこれなり。このゆへに安心を決定すといふも、凡夫のわろきこゝろにては決定せざるなり。いくたびも他力の信をば如來のかたよりさづけたまふ眞實信心なりとこゝろうべし。たやすく行者の心としては發起せしめざる信心なりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
于時文明第七初夏上旬のころ、幸子房大津のていたらくまことにもて正體なきあひだ、くはしくあひたづぬるところに、この文を所望のあひだ、これをかきをはりぬ。みなみなこの文をみるべし。それ當流といふは佛法領なり。佛法力をもてほしゐまゝに世間を本として佛法のかたはきはめて疎略なること、もてのほかあさましき次第なり。よくよくこれを思案すべき事どもなり。
文明七年四月廿八日 在御判

(八七)
そもそもさんぬる文明第三仲夏のころより、すでに江州志賀郡大津近松の南別所をいでしよりこのかた、なにとなくこの當山に居住せしむる根元は、もはら 佛法興行のためにして、報恩謝德のこゝろざしを本とせり。ことにはまた不信懈怠の道俗男女をこしらへて、あまねく本願他力の安心ををしへて、眞實報土の往生をとげさしめんと欲するところに、この四、五年のあひだは、當國亂世のあつかひといひ、つぎには加州一國の武士等にをいて、やゝもすれば雜說を當山にまふしかくるあひだ、朝夕はその沙汰のみにて、この四、五ケ年をばすごしをはりぬ。しかるあひだこの當山開白の由來は、たゞ後生菩提のためにして念佛修行せしむるところに、なにの科によりてか、加州一國の武士等无理に當山を發向すべきよしの沙汰にをよばんや。それさらにいはれなきあひだ、多屋衆一同にあひさゝへべきよしの結構のみにて、この三、四ケ年の日月ををくりしばかりなり。これさらに佛法の本意にあらず。これによりて當山退屈のおもひ日夜にすゝむ。所詮自今已後にをいては、こゝろしづかに念佛修行せんと欲する心中ばかりなり。このゆへに門徒中面々にをいて十の篇目をさだむ。かたく末代にをよぶまでこのむねをまもりて、もはら念佛を勤修すべきものなり。
一 諸神・諸佛・菩薩等をかろしむべからざるよしの事。
一 外には王法をもはらにし、内には佛法を本とすべきあひだの事。
一 國にありては、守護・地頭方にをいてさらに如在あるべからざるよしの事。
一 當流の安心のをもむきをくはしく存知せしめて、すみやかに今度の報土往生を治定すべき事。

一 信心決定のうへにはつねに佛恩報盡のために稱名念佛すべき事。
一 他力の信心獲得せしめたらんともがらは、かならず人を勸化せしめんおもひをなすべきよしの事。
一 坊主分たらんひとは、かならず自心も安心決定して、また門徒をもあまねく信心のとをりをねんごろに勸化すべき事。
一 當流のうちにをいて沙汰せざるところのわたくしの名目をつかひて法流をみだすあひだの事。
一 佛法について、たとひ正義たりといふとも、しげからんことにをいてはかたく停止すべき事。
一 當宗のすがたをもてわざと他人に對しこれをみせしめて、一宗のたゝずまゐをあさまになせる事。
右この十ケ條の篇目をもて、自今已後にをいては、かたくこのむねをまもるべきなり。まづ當流の肝要はたゞ他力安心の一途をもて、自心も決定せしめ、また門徒のかたをもよくよく勸化すべし。つぎには王法をさきとし、佛法をばおもてにはかくすべし。また世間の仁義をむねとし、諸宗をかろしむることなかれ。つぎに神明を疎略にすべからず。また忌・不淨といふことは佛法についての内心の義なり、さらにもて公方に對し他人に對して、外相にその義をふるまふべからず。これすなはち當宗にさだむるところのおきてこれなり。しかれば他力の信をば一念に本願のことはりを聽聞するところにて、すみやかに往生決定とおもひさだめて、そのとき命終せば、そのまゝ報土に往生すべし。もしいのちのぶれば、自然と佛恩報盡の多念の稱名となるところなりとこゝろうべきものなり。仍所定如件。
文明七年五月七日

(八八)
夫靜に人間の无常有爲の天變を案ずるに、おくれさき だつならひ眼前にさえぎれり。一人としても、たれかこの生をのがるべき。かゝる不定のさかひと覺語しながら、いまにおどろく氣色はなし。まことにあさましといふも猶おろかなり。依之いそぎてもたのむべきは彌陀如來、ねがふべきは安養世界にすぎたることあるべからず。しかるに予が年齡を勘へみるに、まづ釋迦大師の出世は人數百歲より八十入滅をかぞふれば、ひとの定命はいまは五十六にきはまれり。われすでに當年は六十一歲なり。しかれば六年まで年をのぶることをゑたり。哀哉、わが生所はいづくぞ。京都東山粟田口靑蓮院南のほとりはわが古郷ぞかし。なにとなく此五ケ年のあひだまで北國にをいて年をふること、まことにもて存の外の次第なり。すでにわが年はつもりて六十一になりぬれば、めぐる月日をかぞふるにも、當年の臨終極樂往生はまことに一定なりとおぼゆるなり。それ人間は老少不定のさかひなれば、さらにもてたのみすくなし。さりながらいつまでと憂爲の娑婆にあらんよりは、はやく无爲の淨土にいたらんことこそ、まことによろこびのなかのよろこびこれにすぐべからずとおぼゆるなり。依之今日このごろにをいて頓死ことのほかにしげきあひだ、なにとなく、人病氣するにつけても、その人數一分にはよももるべからずとおもふによりて、夜はよもすがら晝はひめもすに、時をまち日をおくるばかりなり。このゆへに善導和尙の日沒の偈にいはく、「人間悤々營衆務 不覺年命日夜去 如燈風中滅難期 亡々六道无定趣」(禮讚)と釋したまふも、今におもひあはせられたり。しかれば朝夕はいたづらにあかしくらして、かつて佛法にはこゝろをもか けざること、あさましといふもおろかなり。依之安心未決定ならんひとは、速に信心獲得して今度の眞實報土の往生をとげしめんとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明七年五月廿日

(八九)
抑今日者鸞聖人の御明日として、かならず報恩謝德の志をはこばざる人これすくなし。しかれどもかの諸人のうへにをいて、あひ心得べき趣は、もし本願他力の眞實信心を獲得せざらん未安心の輩は、今日にかぎりてあながちに出仕をいたし、此講中の座敷をふさぐをもて眞宗の肝要とばかりおもはん人は、いかでかわが聖人の御意にはあひかなひがたし。しかりといへどもわが在所にありて報謝のいとなみをもはこばざらん人は、不請にも出仕をいたしてもよろしかるべき歟。されば每月廿八日ごとにかならず出仕をいたさんとおもはん輩にをいては、あひかまへて日比の信心のとをり決定せざらん未安心の人も、すみやかに本願眞實の他力信心をとりて、わが身の今度の報土往生を決定せしめんこそ、まことに聖人報恩謝德の懇志にあひかなふべけれ。又自身の極樂往生の一途も治定しおはりぬべき道理なり。これすなはちまことに「自信敎人信 難中轉更難 大悲傳普化 眞成報佛恩」(禮讚)といふ釋文のこゝろにも符合せるものなり。夫聖人の御入滅はすでに一百餘歲を經といへども、かたじけなくも目前にをいて眞影を拜したてまつる。又德音ははるかに无常の風にへだつといへども、まのあたり實語を相承血脈してあきらかに耳の底にのこして、一流の他力眞實の信心いまにたへせざるものなり。依之いまこの時節にいたりて、本願眞實の信心を獲得せしむる人なくは、誠に宿善のもよほしにあづからぬ身とおもふべし。もし宿善開發の機にてもわれらなくは、むなしく今度の 往生は不定なるべきこと、なげきてもなをかなしむべきはたゞこの一事なり。しかるにいま本願の一道にあひがたくして、まれに无上の本願にあふ事をえたり。まことによろこびのなかのよろこびなにごとかこれにしかん。たふとむべし、信ずべし。これによりて年月日ごろわがこゝろのわろき迷心をひるがへして、たちまちに本願一實の他力信心にもとづかん人は、眞實に聖人の御意にあひかなふべし。これしかしながら今日聖人の報恩謝德の御こゝろざしにもあひそなはりつべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明七年五月廿八日書之
(帖内三-九)

(九〇)
そもそも當流門徒中にをいて、この六ケ條の篇目のむねをよく存知して、佛法を内心にふかく信じて、外相にそのいろをみせぬやうにふるまふべし。しかればこのごろ當流念佛者にをいて、わざと一流のすがたを他宗に對してこれをあらはすこと、もてのほかのあやまりなり。所詮向後この題目の次第をまもりて佛法をば修行すべし。もしこのむねをそむかんともがらは、ながく門徒中の一列たるべからざるものなり。
一 神社をかろしむることあるべからず。
一 諸佛・菩薩ならびに諸堂をかろしむべからず。
一 諸宗・諸法を誹謗すべからず。
一 守護・地頭を疎略にすべからず。
一 國の佛法の次第、非義たるあひだ、正義にをもむくべきこと。
一 當流にたつるところの他力信心をば内心にふかく 決定すべし。
一には、一切の神明とまふすは、本地は佛・菩薩の變化にてましませども、この界の衆生をみるに、佛・菩薩にはすこしちかづきにくゝおもふあひだ、神明の方便にかりに神とあらはれて、衆生に縁をむすびてそのちからをもてたよりとして、つゐに佛法にすゝめいれんがためなり。これすなはち「和光同塵は結縁のはじめ、八相成道は利物のをはり」(止觀卷*六下意)といへるはこのこゝろなり。さればいまの世の衆生、佛法を信じ念佛をもまふさん人をば、神明はあながちにわが本意とおぼしめすべし。このゆへに彌陀一佛の悲願に歸すれば、とりわけ神明をあがめず信ぜねども、そのうちにおなじく信ずるこゝろはこもれるゆへなり。
二には、諸佛・菩薩とまふすは、神明の本地なれば、いまのときの衆生は阿彌陀如來を信じ念佛まふせば、一切の諸佛・菩薩はわが本師阿彌陀如來を信ずるに、そのいはれあるによりてわが本懷とおぼしめすがゆへに、別して諸佛をとりわき信ぜねども、阿彌陀一佛を信じたてまつるうちに、一切の諸佛も菩薩もみなことごとくこもれるがゆへに、たゞ阿彌陀如來を一心一向に歸命すれば、一切の諸佛の智慧も功德も彌陀一體に歸せずといふことなきいはれなればなりとしるべし。
三には、諸宗・諸法を誹謗することおほきなるあやまりなり。そのいはれすでに淨土の三部經にみえたり。また諸宗の學者も、念佛者をばあながちに誹謗すべからず。自宗・他宗ともにそのとがのがれがたきこと道理必然なり。
四には、守護・地頭にをいては、かぎりある年貢所當をねんごろに沙汰し、そのほか仁義をもて本とすべし。
五には、國の佛法の次第、當流の正義にあらざるあひだ、かつは邪見にみゑたり。所詮自今已後にをいては、 當流眞實の正義をきゝて、日ごろの惡心をひるがへして、善心にをもむくべきものなり。
六には、當流眞實の念佛者といふは、開山のさだめをきたまへる正義をよく存知して、造惡不善の身ながら極樂の往生をとぐるをもて宗の本意とすべし。
それ一流の安心の正義のをもむきといふは、なにのやうもなく阿彌陀如來を一心一向にたのみたてまつりて、われはあさましき惡業煩惱の身なれども、かゝるいたづらものを本とたすけたまへる彌陀願力の強縁なりと不可思議におもひたてまつりて、一念も疑心なく、おもふこゝろだにも堅固なれば、かならず彌陀は无㝵の光明をはなちてその身を攝取したまふなり。かやうに信心決定したらん人は、十人は十人ながらみなことごとく報土に往生すべし。このこゝろすなはち他力の信心を決定したる人なりといふべし。このうへになをこゝろうべきやうは、まことにありがたき阿彌陀如來の廣大の御恩なりとおもひて、その佛恩報謝のためには、ねてもおきてもたゞ南无阿彌陀佛とばかりとなふべきなり。さればこのほかにはまた後生のためとては、なにの不足ありてか、相傳もなきしらぬゑせ法門をいひて、人をもまどはし、あまさへ法流をもけがさんこと、まことにあさましき次第にあらずや。よくよくおもひはからふべきことゞもなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明七年七月十五日
(帖内三-一〇)

(九一)
そもそも今月廿八日は開山聖人御正忌として、每年不 闕にかの知恩報德の御佛事にをひては、あらゆる國郡そのほかいかなる卑劣のともがらまでも、その御恩をしらざるものはまことに木石にことならんもの歟。これについて愚老、この四、五ケ年のあひだは、なにとなく北陸の山海のかたほとりに居住すといへども、はからざるにいまに存命せしめ、この當國にこえ、はじめて今年、聖人御正忌の報恩講にあひたてまつる條、まことにもて不可思議の宿縁、よろこびてもなをよろこぶべきもの歟。しかれば自國他國より來集の諸人にをひて、まづ開山聖人のさだめおかれし御掟のむねをよく存知すべし。その御ことばにいはく、「たとひ牛盜人とはよばるとも、佛法者・後世者とみゆるやうにふるまふべからず。またほかには仁・義・禮・智・信をまもりて王法をもてさきとし、内心にはふかく本願他力の信心を本とすべき」(改邪*鈔意)よしを、ねんごろにおほせさだめおかれしところに、近代このごろの人の佛法しりがほの體たらくをみをよぶに、外相には佛法を信ずるよしを人にみえて、内心にはさらにもて當流安心の一途を決定せしめたる分なくして、あまさへ相傳もせざる聖敎をわが身の字ぢからをもてこれをよみて、しらぬゑせ法門をいひて、自他の門徒中を經廻して虛言をかまへ、結句本寺よりの成敗と號して人をたぶろかし、ものをとりて當流の一義をけがす條、眞實眞實、あさましき次第にあらずや。これによりて今月廿八日の御正忌七日の報恩講中にをひて、わろき心中のとをりを改悔懴悔してをのをの正義におもむかずは、たとひこの七日の報恩講中にをひて、足手をはこび人まねばかりに報恩謝德のためと號すとも、さらにもてなにの所詮もあるべからざるものなり。されば彌陀願力の信心を獲得せしめたらん人のうへにをひてこそ、佛恩報盡とも、また師德報謝なんどともまふすことはあるべけれ。この道理をよくよくこゝろえて足手をも はこび、聖人をもおもんじたてまつらん人こそ、眞實に冥慮にもあひかなひ、また別しては當月御正忌の報恩謝德の懇志にもふかくあひそなはりつべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明七年十一月廿一日書之
(帖内三-一一)

(九二)
抑いにしへ近年このごろのあひだに、諸國在々所々にをいて、隨分、佛法者と號して法門を讚嘆し勸化をいたすともがらのなかにおいて、さらに眞實にわがこゝろ當流の正義にもとづかずとおぼゆるなり。そのゆへをいかんといふに、まづかの心中におもふやうは、われは佛法の根源をよくしりがほの體にて、しかもたれに相傳したる分もなくして、あるひは縁のはし・障子のそとにて、たゞ自然ときゝとり法門の分齊をもて、眞實に佛法にそのこゝろざしはあさくして、われよりほかは佛法の次第を存知したるものなきやうにおもひはんべり。これによりてたまたまも當流の正義をかたのごとく讚嘆せしむるひとをみては、あながちにこれを偏執す。すなはちわれひとりよくしりがほの風情は、第一に憍慢のこゝろにあらずや。かくのごときの心中をもて、諸方の門徒中を經廻して聖敎をよみ、あまさへわたくしの義をもて本寺よりのつかひと號して、人をへつらひ虛言をかまへ、ものをとるばかりなり。これらのひとをば、なにとしてよき佛法者、また聖敎よみとはいふべきをや。あさましあさまし。なげきてもなをなげくべきはたゞこの一事なり。これによりてまづ當流の義をたて、ひとを勸化せんとおもはんともが らにをひては、その勸化の次第をよく存知すべきものなり。夫當流の他力信心のひととをりをすゝめんとおもはんには、まづ宿善・无宿善の機を沙汰すべし。さればいかにむかしより當門徒にその名をかけたるひとなりとも、无宿善の機は信心をとりがたし。まことに宿善開發の機はおのづから信を決定すべし。されば无宿善の機のまへにおきては、正雜二行の沙汰をするときは、かへりて誹謗のもとゐとなるべきなり。この宿善・无宿善の道理を分別せずして、手びろに世間のひとをもはゞからず勸化をいたすこと、もてのほかの當流のおきてにあひそむけり。されば『大經』(卷下)云、「若人无善本 不得聞此經」ともいひ、「若聞此經信樂受持難中之難无過斯難」ともいへり。また善導は、「過去已曾修習此法今得重聞則生歡喜」(定善義)とも釋せり。いづれの經釋によるとも、すでに宿善にかぎれりとみへたり。しかれば宿善の機をまもりて、當流の法をばあたふべしときこえたり。このおもむきをくはしく存知して、ひとをば勸化すべし。ことにまづ王法をもて本とし、仁義をさきとして、世間通途の義に順じて、當流安心をば内心にふかくたくはへて、外相に法流のすがたを他宗・他家にみゑぬやうにふるまふべし。このこゝろをもて當流眞實の正義をよく存知せしめたるひととはなづくべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明八年正月廿七日
(帖内三-一二)

(九三)
抑いにしへこのごろのあひだにおいて、攝津國・河内・大和・和泉・近江五ケ國のうち佛法者と號する中に、當流法門を讚嘆し、行者を勸化するともがらをみおよぶに、さらにもてわが一心のうへに當流正義をくはしく分別せずして、たれ人にねんごろに相傳せしめたる分もなくして、あるひは縁のはし・障子のそとに て、一往の義をもて自然ときゝとり法門の分齊にて、しかもわが身も眞實に佛法にそのこゝろざしはあさくして、結句われよりほかには當流の儀存知せしめたる人なきやうにおもひはんべり。これによりてたまたまも當流正義をかたのごとく讚嘆するひとをみきゝては、あながちにこれを偏執して、われひとりしりがほの風情は大憍慢の心にあらずや。かくのごとくの所存をさしはさみて、諸門徒中を經廻して聖敎をよみ勸化をいたし、あまさへわたくしの義をもて本寺よりのつかひと號して、人をへつらひ虛言をかまへ、ものをとるを本とせり。いかでかこれらの人をば、眞實の念佛者、聖敎よみといふべきや、あさましあさまし。まことにもてなげきてもなげき、かなしみてもかなしむべきはたゞこの一事なり。これによりて當流の實義は、まづわが安心を決定して、そののち人をも勸化し聖敎をもよむべし。それ眞宗一流の信心のひととをりをすゝめんとおもはゞ、まづ宿善・无宿善のいはれをしりて佛法をば讚嘆すべし。されば往古より當流門下にその名をかけたるひとなりとも、過去の宿縁なくは信心をとりがたし。まことに宿善の機は、おのづから信心を決定すべし。それに无宿善の機のまへにおいて、一向專修の名言をさきとし、正雜二行の沙汰をするときは、かへりて誹謗のもとゐとなりぬべし。この宿善・无宿善のふたつの道理をこゝろえずして、手びろに世間者をもいづくをもはゞからず勸化をいたすこと、もてのほかの當流のおきてにあひそむけり。されば『大經』(卷下)にいはく、「若人无善本 不得聞此經」ともいひ、「若聞此經信樂受持難中之難无過此難」といへり。また 善導は、「過去已曾修習此法今得重聞卽生歡喜」(定善義)とも釋せり。いづれの經釋によるとも、宿善にかぎれりとみえたり。しかるあひだ宿善の機をまもりて當流の法をばあたふべしときこへたり。これらのおもむきをくはしく存知して、ひとをば勸化すべし。ことにまづ王法をもて本とし、仁義をもて先として、世間通途の義に順じて、當流安心をば内心にふかくたくはへて、外相に法流のすがたをも、他宗・他家にそのいろをみせぬやうにふるまふべし。これをもて當流の正義をよく分別せしめたる念佛行者となづくべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明九年三月 日

(九四)
【〔河内國にて〕】文明八歲丙申林鐘上旬二日にも成ぬれば、今年もはやほどなく半年をうちすごしぬ。就其いとゞ人間は老少かぎりなきならひながら、昨日もすぎ今日もすぎて、いつをいつとて何の所作もなくして日月をおくりしむなしさをおもふばかりなり。然に短慮不覺の身として、つくづく古へ今を案ずるに、我身旣に今年はよはひつもりて六十二歲になりぬれば、先師法印にも同年なり。誠に親の年まで同くいけるは、ありがたき事なり。このゆへに當年正月一日の早天につらつらおもふ樣は、去年北國より風度上洛して、思外に當國に居住せしめ、すでに越年せし事と、又親と同年にあひあたり、此方にありておくりむかへし初春のめづらしさのあまり、かたがたにつけてもかやうにこそおもひつゞけゝり。
たらちをと 同年まで いける身も
あけぬる春も はじめなりけり
とおもひつらねけるも、誠にことはりにあらずや。然れば六月十八日は正忌なれば、それについて予が心におもふ樣は、十八日まで存命あらんこそ、まことに同年の同じ月日まで命のながらへたるしるしとも思ふも のなり。乍去人間不定とはいひながら、今身にとりつめての病なければ、十八日の明日にもやあひなんと思も、まことに猶々もて同じまよふ心なりと我身をいませめて、またかやうにおもひつゞけゝり。
おやのとしと おなじきいきば なにかせん
月日をねがふ 身ぞおろかなる
と加樣になにともなき事を筆にまかせてかきつけおはりぬ。
于時文明八年六月二日筆にひまありし時書之畢
六十二歲(花押)
誠これ三佛乘縁・轉法輪因ともなり侍らん者歟。
「觀佛本願力 遇无空過者」(淨土論)

(九五)
それ當流門徒中にをひてすでに安心決定せしめたらんひとの身のうへにも、また未決定のひとの安心をとらんとおもはんひとも、こゝろうべき次第は、まづほかには王法をもて本とし、諸神・諸佛・菩薩をかろしめず、また諸宗・諸法を謗ぜず、國ところにあらば守護・地頭にむきては疎略なく、かぎりある年貢所當をつぶさに沙汰をいたし、そのほか仁義をもて本とし、また後生のためには内心に阿彌陀如來を一心一向にたのみたてまつりて、自餘の雜行雜善にこゝろをばとゞめずして、一念も疑心なく信じまいらせば、かならず眞實の極樂淨土に往生すべし。このこゝろえのとをりをもて、すなはち彌陀如來の他力の信心をえたる念佛 行者のすがたとはいふべし。かくのごとく念佛の信心をとりてのうへに、なをおもふべきやうは、さてもかゝるわれらごときのあさましき一生造惡のつみふかき身ながら、ひとたび一念歸命の信心ををこせば、佛の願力によりてたやすくたすけたまへる彌陀如來の不思議にまします超世の本願の強縁のありがたさよと、ふかくおもひたてまつりて、その佛恩報謝のためにはねてもさめてもたゞ念佛ばかりをとなへて、かの彌陀如來の佛恩を報じたてまつるべきばかりなり。このうへには後生のためになにをしりても所用なきところに、ちかごろもてのほか、みなひとのなにの不足ありてか相傳もなきしらぬくせ法門をいひて、ひとをもまどはし、また无上の法流をもけがさんこと、まことにもてあさましき次第なり。よくよくおもひはからふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明八年七月十八日
(帖内三-一三)

(九六)
抑このごろ攝州・河内・大和・和泉四ケ國のあひだにをいて當流門徒中に、あるひは聖道禪僧のはてなんどいふ仁體とも當流に歸するよしにて、をのをの本宗の字ぢから才學をもて當流の聖敎を自見して、相傳なき法義を讚嘆し、あまさへ虛言をかまへ、當家の實義をくはしく存知したるよしをまふして、人をへつらひたらせるによりてなり、これ言語道斷の次第なり。こゝろあらん人はこれをもて信用すべからず。又俗人あるひは入道等も、當流聖敎自見の分をもては、せめてはわがかたの一門徒中ばかりをこそ勸化すべきに、結句佛光寺門徒中にかゝり、あまさへ『改邪鈔』を袖にいれて、まさに當流になき不思議の名言をつかひて、かの方を勸化せしむる條、不可說の次第なり。所詮向後にをいて、かくのごときの相傳なき不思議の勸化をいた さんともがらにをいては、當流門葉の一列たるべからざるものなり。
夫當宗勸化のおもむきは、あながちに他宗を謗ぜず、諸神・諸菩薩等をかろしむべきにあらず、たゞわが信ぜずたのまざるばかりなり。ことごとく彌陀一佛の功德のうちにこもれるがゆへに、彌陀如來の本願に歸し、他力超世の悲願をたのまん機をば、かへりて神明はよろこびまもりたまふべし。されば『經』(晉譯華嚴經卷五*八入法界品意)にも「一佛一切佛一切佛一佛」ととけり。これは彌陀一佛に歸すれば、一切の佛・菩薩を一度にたのみ念ずることはりなりとしるべし。これによりて當流の他力安心の一途といふは、わが身はつみふかき惡業煩惱を具足せるいたづらものとおもひて、そのうへにこゝろうべきやうは、かかる機を彌陀如來はすくひたまふ不可思議の悲願なりとふかく信じて、彌陀如來を一心一向にたのみたてまつれば、すなはちこのこゝろ決定の信心となりぬ。このゆへに「正信偈」にいはく、「憶念彌陀佛本願 自然卽時入必定 唯能常稱如來號 應報大悲弘誓恩」(行卷)といへり。この文のこゝろは、宿福深厚の機は生得として彌陀如來の他力本願を信ずるに、さらにそのうたがふこゝろのなきがゆへに、善知識にあひて本願のことはりをきくよりして、なにの造作もなく決定の信心を自然としてうるがゆへに、正定聚のくらゐに住し、かならず滅度にもいたるなり。これさらに行者のかしこくしておこすところの信にあらず、宿縁のもよほさるゝがゆへに、如來淸淨本願の智心なりとしるべし。しかればいま他力の大信心を獲得するも、宿善開發の機によりてなり。さらにわれらがかしこく しておこすところの信心にあらず、佛智他力のかたよりあたへたまふ信なりと、いよいよしられたり。このゆへにもし宿善もなく、また聖人の勸化にもあひたてまつらずは、この法をきくこともかたかるべし。さればいまこの至心・信樂・欲生の三信をゑてのうへには、つねに佛恩報盡のためには稱名念佛すべきものなり。かるがゆへに『和讚』(正像末*和讚)にいはく、「彌陀大悲の誓願を ふかく信ぜんひとはみな ねてもさめてもへだてなく 南无阿彌陀佛をとなふべし」といへるはこのこゝろなりとしるべし。あなかしこ、あなかしこ。
文明八 七月廿七日

(九七)
夫眞宗念佛行者のなかにおいて、法義についてそのこゝろえなき次第これおほし。しかるあひだ大概そのおもむきをあらはしおはりぬ。所詮自今已後は、同心の行者はこのことばをもて本とすべし。これについてふたつのこゝろあり。一には、自身の往生すべき安心をまづ治定すべし。二には、ひとを勸化せんに宿善・无宿善のふたつを分別して勸化をいたすべし。この道理を心中に決定してたもつべし。しかればわが往生の一段においては、内心にふかく一念發起の信心をたくはへて、しかも他力佛恩の稱名をたしなみ、そのうへにはなを王法をさきとし、仁義を本とすべし。また諸佛・菩薩等を疎略にせず、諸法・諸宗を輕賤せず、たゞ世間通途の義に順じて、外相に當流法義のすがたを他宗・他門のひとにみせざるをもて、當流聖人のおきてをまもる眞宗念佛の行者といひつべし。ことに當時このごろは、あながちに遍執すべき耳をそばだて、謗難のくちびるをめぐらすをもて本とする時分たるあひだ、かたくその用捨あるべきものなり。そもそも當流にたつるところの他力の三信といふは、第十八の願に「至心信樂欲生我國」(大經*卷上)といへり。これすなはち 三信とはいへども、たゞ彌陀をたのむところの行者歸命の一心なり。そのゆへはいかんといふに、宿善開發の行者、一念彌陀に歸命せんとおもふこゝろの一念おこるきざみ、佛の心光、かの一念歸命の行者を攝取したまふ。その時節をさして至心・信樂・欲生の三信ともいひ、またこのこゝろを願成就の文には、「卽得往生住不退轉」(大經*卷下)ととけり。あるひはこのくらゐを、すなはち眞實信心の行人とも、宿因深厚の行者とも、平生業成の人ともいふべし。されば彌陀に歸命すといふも、信心獲得すといふも、宿善にあらずといふことなし。しかれば念佛往生の根機は、宿因のもよほしにあらずは、われら今度の報土往生は不可なりとみえたり。このこゝろを聖人の御ことばには、「遇獲信心遠慶宿縁」(文類*聚鈔)とおほせられたり。これによりて當流のこゝろは、人を勸化せんとおもふとも、宿善・无宿善のふたつを分別せずはいたづらごとなるべし。このゆへに宿善の有无の根機をあひはかりて人をば勸化すべし。しかれば近代當流佛法者の風情は、是非の分別なく當流の義を荒涼に讚嘆せしむるあひだ、眞宗の正義、このいはれによりてあひすたれたりときこえたり。かくのごとき等の次第を委細に存知して、當流の一義をば讚嘆すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明九年W丁酉R正月八日
(帖内四-一)

(九八)
文明七、八年之比、參河國野寺同宿に誓珍備前、伊勢國香取淨賢子安田主計助に、祕事法門さづけたる趣は、吉崎にてひそかにつたえ申すなりとて、其詞に いはく、佛性と我心をおもはぬ間は沈輪し、又佛性と我身のおもひ候へば、すなはち如來なりと心得候へとさづけたり。これをもて正理とおもふべし。如此傳へ候者をさして、滅後の如來とも信ずべきなり。而間安田此趣を相傳して、眞實當流一大事祕事と心中におもふ間、此趣を又安田方より人に相傳る人數は、中島の等善、又新兵衞兩人につたへたり[云云]。
文明九年正月比聞之
[以御筆御うつし候御本にて又寫申候。正本は加州長流谷殿に御座候也。]

(九九)
文明九[丁酉]二月廿四日、尾州鳴戸の紀伊法師、祕事法門懺悔詞にいはく、
野寺少輔殿、其方に御座候て、佛法繁昌推量申候。乍去其方の佛法と少し相違の樣に存候。其故は、『華嚴經』(意)にも、「三界唯一心 心外無別法 心佛及衆生 是三無差別」とも、又『彌陀經義疏論』にも、いまこの佛の本願は增祇の行をもへず、一行の劫をもはこばず、たゞ一念におんこうてんとうのさうをけして凡身をあらためずして佛心を生ず。これすなはち頓が中の頓也。又眞言・止觀の頓は、頓と名くといへども猶漸也、斷惡を論ずるがゆへなり。淨土の頓は、頓が中の頓也、斷常を論ぜざるがゆへなり。又『淨土論』には「淨土【(果報離二種譏嫌過)】くわほうりにしゆきげんくわ」とも、又自と他と心意凡聖不二とも、又『法事讚』(五會法事*讚卷本意)には「曠劫已來流浪共 隨縁六道受輪廻 不遇往生善知識 誰能相勸得廻歸」とも、又『和讚』(高僧*和讚)には「西路を指授せしかども 自障々他せしほどに 曠劫已來もいたづらに 虛くこそはすぎにけれ」。又「信心よろこぶその人を 如來とひとしととき給ふ 大信心は佛性なり 佛性すなはち如來なり」(淨土*和讚)と。又「如來大悲の恩德は 身を粉にしても報ずべし 師主知 識の恩德も ほねをくだきても報ずべし」(正像末*和讚意)
思ふほどはことばには出ず候。これにてよくよくおしはからわせられ候べく候。
源左衞門殿 【野寺同宿】誓珍
進之候
如此のとをりをつたへらるゝを以て、滅後の如來とたのみ申候。又かくのごとくの理をひとたびうけとり候ひて、二度他言すまじきとかたく誓文を仕候。これをもて信心と存おき申候。
祕事法門人數事[美濃國分]
平右衞門AたるゐB道善下C了專[福田寺下]伊賀[道善下]
左衞門太郎[淨妙寺下]九郎左衞門A平右衞門兄弟B道善下C
【平野屋】新右衞門[道善下]【【是は懺悔之人也】】【うほや】三郎右衞門[佛光寺下]
成戸【新左衞門入道】順光A祕事法門B次第也C
序題門云、「言弘願者如大經說一切善惡凡夫得生者莫不皆乘阿彌陀佛大願業力爲增上縁也」(玄義分)と云て、大願業力に乘ずるがゆへに、增上縁となるがゆへに、信心なくとも佛になるべしと心得て念佛申すべし。
又云、草木國土悉皆成佛の道理にてある間、人間衆生は成佛の道理なれば、うたがひなく成佛すべしと心得べし。
草木も 佛に成と きく時は
心ある身は たのもしき哉
淨順が流にいはく、
法報應の三身を一體に具足すべしとつたふる也。
まづ法身と者こゝろ也。報身と者ことば、應身と者我すがた也。

此三身を我心の一體の内に具足するが故に、繪像・木像の佛を禮するをもて雜行と也。
文明三年之比、件誓珍・香珍兩人、大外道之者、おはり境、みのゝ國脇田江【ひきも堂】西願寺に、祕事法門之かいしきをいひて、其詞云、勸化をはなれて勸化につけ、人におしへられぬ信をとれ。此信を取事は、おぼろげの縁、おろかなる志にてはとげがたし。人におしへられてとる信は、それは敎の方とておかしき法門なり。これをよくよくこゝろうべし、しづかに思惟すべしといへりと[云々]。
文明九年後正月十二日書之

(一〇〇)
夫人間の壽命をかぞふれば、いまのときの定命は五十六歲なり。しかるに當時において、年五十六までいきのびたらん人は、まことにもていかめしきことなるべし。これによりて予すでに頹齡六十三歲にせまれり。勘篇すれば年ははや七年までいきのびぬ。これにつけても前業の所感なれば、いかなる病患をうけてか死の縁にのぞまんとおぼつかなし。これさらにはからざる次第なり。ことにもて當時の體たらくをみおよぶに、定相なき時分なれば、人間のかなしさはおもふやうにもなし。あはれ死なばやとおもはゞ、やがて死なれなん世にてもあらば、などか今までこの世にすみはんべりなん。たゞいそぎてもむまれたきは極樂淨土、ねがふてもねがひゑんものは无漏の佛體なり。しかれば一念歸命の他力安心を佛智より獲得せしめん身のうへにおいては、畢命已期まで佛恩報盡のために稱名をつとめんにいたりては、あながちになにの不足ありてか、先生よりさだまれるところの死期をいそがんも、かへりておろかにまどひぬるかともおもひはんべるなり。このゆへに愚老が身上にあてゝかくのごとくおもへり。たれのひとびともこの心中に住すべし。ことにもてこ の世界のならいは老少不定にして電光朝露のあだなる身なれば、いまも无常の風きたらんことをばしらぬ體にてすぎゆきて、後生をばかつてねがはず、たゞ今生をばいつまでもいきのびんずるやうにこそおもひはんべれ。あさましといふもなをおろかなり。いそぎ今日より彌陀如來の他力本願をたのみ、一向に无量壽佛に歸命して眞實報土の往生をねがひ、稱名念佛せしむべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
于時文明九年九月十七日俄思出之間辰剋已前早々 書記之訖
信證院 六十三歲
かきおくも ふでにまかする ふみなれば
ことばのすゑぞ おかしかりける
(帖内四-二)

(一〇一)
一 夫當時世上の體たらく、いつのころにか落居すべきともおぼえはんべらざる風情なり。しかるあひだ諸國往來の通路にいたるまでも、たやすからざる時分なれば、佛法・世法につけても千萬迷惑のおりふしなり。これによりてあるひは靈佛・靈社參詣の諸人もなし。これにつけても人間は老少不定ときくときは、いそぎいかなる功德善根をも修し、いかなる菩提涅槃をもねがふべきことなり。しかるにいまの世も末法濁亂とはいひながら、こゝに阿彌陀如來の他力の本願は、いまの時節はいよいよ不可思議にさかりなり。さればこの廣大の悲願にすがりて、在家止住のともがらにをひては、一念の信心をとりて法性常樂の淨刹に往生せずは、まことにもてたからの山にいりて手をむなしくしてか へらんににたるもの歟。よくよくこゝろをしづめてこれを案ずべし。しかれば諸佛の本願をくはしくたづぬるに、五障の女人、五逆の惡人をばすくひたまふことかなはずときこえたり。これにつけても阿彌陀如來こそひとり无上殊勝の願ををこして、惡逆の凡夫、五障の女質をば、われたすくべきといふ大願をばをこしたまひたり。
ありがたしといふもなををろかなり。これによりてむかし釋尊、靈鷲山にましまして、一乘法華の妙典をとかれしとき、提婆・阿闍世の逆害ををこし、釋迦、韋提をして安養をねがはしめたまひしによりて、かたじけなくも靈山法華の會座を沒して王宮に降臨して、韋提希夫人のために淨土の敎をひろめましまししによりて、彌陀の本願このときにあたりてさかんなり。このゆへに法華と念佛と同時の敎といへることは、このいはれなり。これすなはち末代の五逆の女人に安養の往生をねがはしめんがための方便に、釋迦、韋提・調達・闍世の五逆をつくりて、かゝる機なれども不思議の本願に歸すれば、かならず安養の往生をとぐるものなりとしらせたまへりとしるべし。あなかしこ、あなかしこ。
文明九歲九月廿七日記之
(帖内四-三)

(一〇二)
それ曠劫多生をふるともむまれがたきは人界の生、无量億劫ををくるともあひがたき佛敎にあへり。釋尊の在世にむまれあはざることはかなしみなりといへども、いま敎法流布の世にむまれあひぬることは、これよろこびのなかのよろこびともいひつべし。たとへば目しゐたるかめの浮木のあなにあへるがごとし。しかるに我朝に佛法流布せしことは、欽明天皇の御宇よりはじめて佛法わたれり。それよりさきには如來の敎法も流 布せざりしかば、菩提の覺道をもきかざりき。こゝにわれらいかなる善因によりてか佛法流布の世にむまれて、生死解脫のみちをきくことをえたり。まことにもてあひがたくしてあふことをえたり。いたづらにあかしくらしてやみなんことこそかなしけれ。これによりてしづかに人間の風體をみをよぶに、あるひは山谷の花をもてあそんで遲々たる春の日をむなしくくらし、あるひは南樓の月をあざけりて漫々たる秋の夜をいたづらにあかし、あるひは嚴寒にこほりをしのぎて世路をわたり、あるひは炎天にあせをのごひて利養をもとめ、あるひは妻子眷屬にまつわれて恩愛のきづなきりがたく、あるひは讎敵怨類にあひて瞋恚のほむらやむことなし。總じてかくのごとくして、晝夜朝暮、行住座臥ときとしてやむことなし。たゞほしゐまゝにあくまで三途・八難をかさね、昨日もいたづらにくれぬ、今日もまたむなしくすぎぬ。さらにもてたれのひとも、のちの世を大事とおもひ、佛法をねがふことまれなりとす。かなしむべし、かなしむべし。しかるに諸宗の敎門各々にわかれて、宗々にをひて大小權實を論じ、あるひは甚深至極の義を談ず。いづれもみなこれ經論の實語にして、そもそもまた如來の金言なり。さればあるひは機をとゝのへてこれをとき、あるひはときをかゞみてこれををしへたり。いづれかあさくいづれかふかき、ともに是非をわきまへがたし。かれも敎これも敎、たがひに偏執をいだくことなかれ。修行せばみなことごとく生死を過度すべし、法のごとく修せばともに菩提を證得すべし。修せず行ぜずしていたづらに是非を論ぜば、たとへば目しゐたるひとのいろの淺深 を論じ、耳しゐたるひとのこゑの好惡をたゞさんがごとし。たゞすべからく修行すべきものなり。いづれも生死解脫のみちなり。しかるにいまの世は末法濁亂のときなれば、諸敎の得道はめでたくいみじけれども、人情劣機にして、觀念・觀法をこらし行をなさんこともかなひがたき時分なり。これによりて末代の凡夫は、彌陀大悲の本願をたのまずは、いづれの行を修してか生死を出離すべき。このゆへに一向に不思議の願力に乘じて、一心に阿彌陀佛を歸命すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明九 W丁酉R十月 日

(一〇三)
抑高祖聖人の眞實相承の勸化をきゝ、そのながれをくまんとおもはんともがらは、相構この一流の正義を心肝にいれて、これをうかがふべし。しかるに近代はもてのほか法義にも沙汰せざるところのおかしき名言をつかひ、あまさへ法流の實語と號して一流をけがすあひだ、言語道斷の次第にあらずや。よくよくこれをつゝしむべし。しかれば當流聖人の一義には、敎・行・信・證といへる一段の名目をたてゝ一宗の規模として、この宗をばひらかれたるところなり。このゆへに親鸞聖人、一部六卷の書をつくりて『敎行信證文類』と號して、くはしくこの一流の敎相をあらはしたまへり。しかれどもこの書あまりに廣博なるあひだ、末代愚鈍の下機においてその義趣をわきまへがたきによりて、一部六卷の書をつゞめ肝要をぬきいでゝ一卷にこれをつくりて、すなはち『淨土文類聚鈔』となづけられたり。この書をつねにまなこにさえて一流の大綱を分別せしむべきものなり。その敎・行・信・證・眞佛土・化身土といふは、
第一卷には眞實の敎をあらはし、
第二卷には眞實の行をあらはし、

第三卷には眞實の信をあらはし、
第四卷には眞實の證をあかし、
第五卷には眞佛土をあかし、
第六卷には化身土をあかされたり。
第一に眞實の敎といふは、彌陀如來の因位果位の功德をとき、安養淨土依報正報の莊嚴をおしへたる敎なり。すなはち『大无量壽經』これなり。總じては三經にわたるべしといへども、別しては『大經』をもて本とす。これすなはち彌陀の四十八願をときて、そのなかに第十八の願をもて衆生生因の願とし、如來甚深の智慧海をあかして唯佛獨明了の佛智をときのべたまへるがゆへなり。
第二に眞實の行といふは、さきの敎にあかすところの淨土の行なり。これすなはち南无阿彌陀佛なり。第十七の諸佛咨嗟の願にあらはれたり。この名號はもろもろの善法を攝し、もろもろの德本を具せり。衆行の根本、萬善の總體なり。これを行ずれば西方の往生をゑ、これを信ずれば无上の極證をうるものなり。
第三に眞實の信といふは、かみにあぐるところの南无阿彌陀佛の妙行を眞實報土の眞因なりと信ずる眞實の心なり。第十八の至心信樂の願のこゝろなり。これを選擇廻向の直心ともいひ、利他深廣の信樂ともなづけ、光明攝護の一心とも釋し、證大涅槃の眞因とも判ぜられたり。これすなはちまめやかに眞實の報土にいたることはこの一心によるとしるべし。
第四に眞實の證といふは、さきの行信によりてうるところの果、ひらくところのさとりなり。これすなはち第十一の必至滅度の願にこたへてうるところの妙悟な り。これを常樂ともいひ、涅槃ともいひ、法身ともいひ、實相ともいひ、法性ともいひ、眞如ともいひ、一如ともいへる、みなこのさとりをうる名なり。もろもろの聖道門の諸敎のこゝろは、この父母所生の身をもて、かのふかきさとりをこゝにてひらかんとねがふなり。いま淨土門のこゝろは、彌陀の佛智に乘じて法性の土にいたりぬれば、自然にこのさとりにかなふといふなり。此土の得道と他土の得生とことなりといへども、うるところのさとりはたゞひとつなりとしるべし。されば往生といへるも實には无生なり。この无生のことはりをば安養にいたりてさとるべし、そのくらゐをさして眞實の證といふなり。
第五に眞佛土といふは、まことの身土なり。すなはち報佛・報土なり。佛といふは不可思議光如來、土といふは无量光明土なりといへり。これすなはち第十二・第十三の光明・壽命の願にこたへてうるところの身土なり、諸佛の本師はこれこの佛なり、眞實の報身はすなはちこの體なり。
第六に化身土といふは、化身・化土なり。佛といふは『觀經』の眞身觀にとくところの身なり。土といふは『菩薩處胎經』にとくところの懈慢界、また『大經』にとける疑城胎宮なりとみえたり。これすなはち第十九の修諸功德の願よりいでたり。たゞしうちまかせたる敎義には、『觀經』の眞身觀の佛をもて眞實の報身とす。和尙の釋、すなはちこのこゝろをあかせり、眞身觀といへるその名あきらかなり。しかるにこれをもて化身と判ぜられたる、常途の敎相にあらず。これをこゝろうるに、『觀經』の十三觀は定散二善のなかの定善なり。かの定善のなかにとくところの眞身觀なるがゆへに、かれは觀門の所見につきてあかすところの身なるがゆへに、弘願に乘じ佛智を信ずる機の感見すべき身に對するとき、かの身はなを方便の身なるべし。すなはち 六十萬億の身量をさして分限をあかせる眞實の身にあらざる義をあらはせり。これによりて聖人、この身をもて化身と判じたまへるなり。土は懈慢界といひ、また疑城胎宮といへる、そのこゝろをゑやすし。ふかく罪福を信じ善本を修習して不思議の佛智を決了せず、うたがひをいだける行者のむまるゝところなるがゆへに、眞實の報土にはあらず。これをもて化土となづけたるなり。これわが聖人のひとりあかしたまへる敎相なり。たやすく口外にいだすべからず、くはしくかの一部の文相にむかひて一流の深義をうべきなり。さればこの敎・行・信・證・眞佛土・化身土の敎相は、聖人の己證當流の肝要なり。他人に對してたやすくこれを談ずべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明九年W丁酉R十月十七日
至巳剋 令淸書之訖
みなひとの まことののりを しらぬゆへ
ふでとこゝろを つくしこそすれ
六十三歲[在御判]

(一〇四)
それ祖師聖人の俗姓をいへば、藤原氏として後長岡の丞相内麿公の末孫、皇太后宮の大進有範の子なり。また本地をたづぬれば、彌陀如來の化身と號し、あるひは曇鸞大師の再誕ともいへり。しかればすなはち、生年九歲の春のころ、慈鎭和尙の門人につらなり、出家得度してその名を範宴少納言の公と號す。それよりこのかた楞嚴橫川の末流をつたへ、天台宗の碩學となりたまひぬ。そののち廿九歲にして、はじめて源空聖人の禪室にまひり、上足の弟子となり、眞宗 一流をくみ、專修專念の義をたて、すみやかに凡夫直入の眞心をあらはし、在家止住の愚人ををしへて報土往生をすゝめましましけり。そもそも今月廿八日は、祖師聖人遷化の御正忌として、每年をいはず親疎をきらはず、古今の行者、この正忌を存知せざるともがらあるべからず。これによりて當流にその名をかけ、その信心を獲得したらん行者、この御正忌をもて報謝のこゝろざしをはこばざらん行者にをいては、まことにもて木石にひとしからんものなり。しかるあひだかの御恩德のふかきことは、迷慮八萬のいたゞき、蒼瞑三千のそこにこへすぎたり。報ぜずはあるべからず、謝せずはあるべからざるもの歟。このゆへに每年の例時として、一七ケ日のあひだ、かたのごとく報恩謝德のために无二の勤行をいたすところなり。この七ケ日報恩講のみぎりにあたりて、門葉のたぐひ國郡より來集、いまにをいてその退轉なし。しかりといへども未安心の行者にいたりては、いかでか報恩謝德の儀これあらんや。しかのごときのともがらは、このみぎりにをいて佛法の信不信を聽聞してまことの信心を決定すべくんば、眞實眞實、聖人報謝の懇志にあひかなふべきものなり。あはれなるかなや、それ聖人の御往生は年忌とをくへだゝりて、すでに一百餘歲の星霜ををくるといへども、御遺訓ますますさかんにして、敎行信證の名儀、いまに眼前にさへぎり人口にのこれり。たふとむべし、信ずべし。これについて當時、眞宗の行者のなかにをいて、眞實信心を獲得せしむるひと、これすくなし。たゞひと目・仁義ばかりに名聞のこゝろをもて報謝と號せば、いかなるこゝろざしをいたすといふとも、一念歸命の眞實の信心を決定せざらんひとびとは、その所詮あるべからず。まことに「水いりてあかをちず」といへるたぐひなるべき歟。これによりてこの一七ケ日報恩 講中にをいて、他力本願のことはりをねんごろにきゝひらきて、專修一向の念佛行者にならんにいたりては、まことに今月、聖人の御正日の素意にあひかなふべし。これしかしながら、眞實眞實、報恩謝德の御佛事となりぬべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
于時文明九 十一月初比俄爲報恩謝德染翰記之者也

(一〇五)
それ開山聖人の尋本地、旣號彌陀如來化身、又曇鸞大師之再誕ともいへり。然則生年九歲にして、建仁之春の比、慈鎭和尙之門下になり、出家得度して其名を範宴少納言の公と號す。其れより已來、しばらく山門橫川之末流を傳へて天台宗の碩學となりたまひき。其後廿九歲にして、遂に日本源空聖人之禪室にまひり合ひて、旣に三百餘人之内に於て上足之弟子となりましまして、淨土眞宗一流をくみ、專修一向の妙義をたて、凡夫往生の一途をあらはし、殊に在家四輩の愚人ををしへ、報土往生の安心をすゝめたまへり。抑今月廿八日は祖師聖人の御正忌として、每年をいはず親疎を論ぜず、古今の行者この御正忌を事とせざる輩不可有之者歟。因茲當流に其名をかけ、ひとたび他力の信心を獲得したらん人は、この御正忌をもて報恩謝德の志を運ばざらん人は、まことにもて木石にことならん者歟。然間彼御恩德の深ことは迷慮八萬の頂、蒼瞑三千の底にこえすぎたり。不可報不可謝。このゆへに每年の例時として一七箇日の間、如形一味同行中として報恩謝德のために、无二の丹誠をこらし勤行の懇志をい たす所なり。然ばこの七箇日報恩講の砌にをひて、門葉のたぐひ每年を論ぜず國郡より來集すること、于今无其退轉。就之不信心の行者の前にをひては、更にもて報恩謝德の義爭在之哉。如然之輩はこの七箇日の砌に於て當流眞實信心の理をよく決定せしめん人は、まことに聖人報恩謝德の本意にあひそなはるべき者也。伏惟ば夫聖人の御遷化は年忌遠隔て、旣に二百餘歲の星月を送るといへども、御遺訓ますますさかりにして、于今敎行信證の名義耳の底に止て人口にのこれり。可貴可信は唯この一事なり。依之當時は諸國に眞宗行者と號すやからの中にをひて、聖人一流の正義をよく存知せしめたる人體、且以これなし。又眞實信心の行者もまれにして、近比はあまさゑ自義を骨張して、當流になき祕事がましきくせ名言をつかひ、わが身上のわろきをばさしおき、かへりて人の難破ばかりを沙汰するたぐひのみ國々にこれおほし。言語道斷次第なり。唯人竝仁義ばかりの佛法しりがほの風情にて、名聞の心をはなれず、人まねに報恩謝德の爲なんど號するやからは徒事也。如此の輩は更にもて不可有所詮者なり。然者未安心の行者に於ては、今月聖人御影前參詣の儀は、誠に「水入て垢おちず」といへる、その類なるべき者歟。されば聖人の仰には、唯平生に一念歡喜の眞實信心をゑたる行者の身の上に於て、佛恩報德の道理は可在之とおほせられたり。因茲この一七ケ日報恩講の中に於て、未安心の行者は速に眞實信心を決定せしめて、一向專修の行者とならん輩は、誠にもて今月聖人の御正忌の本懷に可相叶。是倂眞實眞實、報恩謝德の懇志たるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明十一歲十一月廿日

(一〇六)
夫秋もさり春もさりて、年月を送事昨日もすぎ今日もすぐ。いつのまにかは年老のつもるらんとも覺へずし らざりき。然而其内には、さりとも、或は花鳥風月のあそびにもまじはりつらん、又歡樂苦痛の悲喜にもあひ侍つらんなれども、于今それとも思出す事とては一もなし。只徒にあかし、徒にくらして、老のしらがとなりはてぬる身のありさまこそかなしけれ。されども今日までは无常のはげしき風にもさそはれずして、我身ありがほの體をつらつら案ずるに、たゞ夢の如し、幻のごとし。于今於ては生死出離の一道ならでは、願べきかたとては一もなく、又二もなし。依之こゝに未來惡世の我等ごときの衆生をたやすくたすけたまふ阿彌陀如來の本願のましますときけば、まことにたのもしく、ありがたくも思侍なり。この本願をたゞ一念无疑に至心歸命し奉れば、わづらひなく、そのとき臨終せば往生治定すべし。もしそのいのちのびなば、一期のあひだは佛恩報謝のために念佛して畢命を期とすべし。これすなはち平生業成のこゝろなるべしと、たしかに聽聞せしむるあひだ、その決定の信心のとほり、いまに耳のそこに退轉せしむる事なし。ありがたしといふもなをおろかなるものなり。されば彌陀如來他力本願のたふとさありがたさのあまり、かくのごとくこゝろにうかむにまかせてこのこゝろを詠歌にいはく、
ひとたびも ほとけをたのむ こゝろこそ
まことののりに かなふみちなれ
つみふかく 如來をたのむ 身になれば
のりのちからに 西へこそゆけ
法をきく みちに心の さだまれば
南无阿彌陀佛と となへこそすれ

と我身ながらも本願の一法の殊勝なるあまりに、かく申侍ぬ。されば此三首の歌のこゝろは、初は一念歸命の信心決定のすがたをよみ侍べり。後の歌は、入正定聚の益、必至滅度のこゝろをよみ侍べりぬ。次のこゝろは、慶喜金剛の信心のうへには、知恩報德のこゝろをよみ侍べりしなり。されば他力の信心發得せしむるうへなれば、せめてはかやうにくちずさみても、佛恩報盡のつとめにもやなりぬべきとも思ひ、又きく人も宿縁あらば、などかおなじ心にならざらんと思ひ侍べりしなり。而に予旣に七旬のよはひにおよび、殊には愚闇无才の身として、片腹いたくも如此しらぬゑせ法門を申事は、且は斟酌をもかへりみず、たゞ本願の一すぢのたふとさばかりのあまり、卑劣の此ことの葉を筆にまかせてかきしるしおはりぬ。のちに見人そしりをなさゞれ。これまことに讚佛乘之縁・轉法輪之因ともなり侍ぬべし。あひかまへて偏執をなす事ゆめゆめなかれ。
于時文明年中W丁酉R暮冬仲旬之比
於爐邊暫時書記之者也[云云]
〔右この書は、當所はりの木原邊より九間在家へ佛照寺所用ありて出行のとき、路次にてこの書をひろひて當坊へもちきたれり〕
文明九年十二月二日
(帖内四-四)

(一〇七)
抑東國方の人と覺て、誠に物しりがほなる客僧一人ありけるが、當所幸善の前のほそ道より北へとをりけるが、誰人にてわたり候けるやらん、入道の六十有餘ばかりに目のちとわろき人にあひて申しけるは、我は諸國行脚の僧にて候が、凡此方の體を見及び申に、誠に神領とみえて八幡大菩薩をあがめ給ふ風情、言語道斷殊勝にこそ覺へ候へ。乍去後生のことまでは道心もさ のみおこされたる體はみえ給ずと見及申候ぬ。
夫八幡大菩薩と申し奉は、忝も本地は西方極樂世界の阿彌陀如來の變化にてましましけり。されば阿彌陀如來と申は、極惡の衆生のむなしく地獄におちなんとするをあはれみかなしみおぼしめして、いかにもこれをたすけんがためにとて、五劫があひだ思惟し、永劫があひだ修行して、すでに其願成就して十劫に正覺をなりて、其名を阿彌陀佛と申し奉りけり。而に又弓矢のみちをまもらんとちかひて、和光のちりにまじはり、忝も八幡大菩薩とあらはれ給へり。これはまよひの衆生をつゐにまことのみちにすゝめ入しめんがための方便也とみえたり。しかれば當所の人々の體を見及に、今生ばかりを本として後生までのことをば心にも入れ給ずとみえたり。これは八幡大菩薩の御意にはよも御叶候はじと思ひ侍べり。そのいはれはいかんといふに、今生・後生とは申せども、後生こそなを大事にこそ候へ。今生はいかやうに候とも、後生に極樂にまひり佛になり候はんこそ、目出事にては候はんずれ。たとひ今生がいみじくたのしく候とも、後生に地獄におち候はば、なにともなきいたづら事にてあるべく候。さればなにのわづらひもなき事にて候。後生をばしかと阿彌陀佛を一心にたのみ奉り、今生は幸に神領にむまれあひたる身なれば、大菩薩の御恩とおぼしめしさだめ候はゞ、八幡大菩薩の御素意にもあひかなひ給べきものなり。されば本地垂迹と申せども、本地をたのめば垂迹の御こゝろにもかなふ道理にて候あひだ、今生・後生とりはづさずして、しかるべきやうに御分別あるべく候。如法如法、推參の申事にて候へども、心にう かむとをり本地垂迹の御めぐみに御叶候やうにと存じて、心をのこさず申候也。されば大菩薩の御歌にも、
いにしへの 我名を人の あらはして
南無阿彌陀佛と いふぞうれしき
後生は 世にやすけれど みな人の
まことのこゝろ なくてこそせね
ともあそばされて候へば、阿彌陀佛を一心にたのみ給はゞ、八幡大菩薩の御こゝろに御叶候はん事うたがひなく候。よくよく御こゝろえあるべく候也。これまでにて候とていとま申すといひて、つゝみを東へ八幡邊へとて、いそぎかへりたまひにき。此事をこれを來りて如此かたりける程に、あまりに此客僧の事不思議に思ひし間、これをかきしるし畢。
右此書は、當所はり木原邊より九間在家え佛照寺所用之子細ありて出行之時、路次にて此書をひろひて當坊江物來れり。あまりに不思議なりし間、早筆に書記之者也。
文明九年[丁酉]十二月廿三日[云々]

(一〇八)
去文明七歲乙未八月下旬之比、予生年六十一にして、越前の國坂北の郡細呂宜郷内吉久名之内吉崎之弊坊を、俄に便船之次を悅て、海路はるかに順風をまねき、一日がけにと志して若狹之小濱に船をよせ、丹波づたひに攝津國をとをり、此當國當所出口の草坊にこえ、一月二月、一年半年と過行ほどに、いつとなく三年世の春秋を送し事は、昨日今日のごとし。此方において居住せしむる不思議なりし宿縁あさからざる子細なり。しかるに此三ケ年之内をば何としてすぎぬるらんと覺侍りしなり。さるほどに京都には大内在國によりて、同土岐大夫なんども在國せる間、都は一圓に公方がたになりぬれば、今の如くは天下泰平と申すなり。命だにあればかかる不思議の時分にもあひ侍べり、目 出といふもなをかぎりあり。而間愚老年齡つもりて六十三歲となれり。於于今餘命不幾身なり。あはれ人間は思樣にもあるならば、いそぎ安養の往詣をとげ、速に法性の常樂をもさとらばやと思へども、それも叶ざる世界なり。然ども一念歡喜の信心を佛力よりもよほさるゝ身になれば、平生業成の大利をうるうへには、佛恩報盡のつとめをたしなむ時は、又人間の營耀ものぞまれず、山林の閑窓もねがはれず、あらありがたの他力本願や、あらありがたの彌陀の御恩やとおもふばかりなり。このゆへに願力によせてかやうにつゞけゝり。
六十あまり おくりし年の つもりにや
彌陀の御法に あふぞうれしき
あけくれは 信心ひとつに なぐさみて
ほとけの恩を ふかくおもへば
と口ずさみしなかにも、又善導の釋に、「自信敎人信 難中轉更難 大悲傳普化 眞成報佛恩」(禮讚)の文の意を靜に安ずれば、いよいよありがたくこそ覺侍れ。又或時は念佛往生は宿善の機によるといへるは、當流の一義にかぎるいはれなれば、我等すでに无上の本願にあひぬる身かともおもへば、「遇獲信心遠慶宿縁」(文類*聚鈔)と上人の仰にのたまへば、まことに心肝に銘じ、いとたふとくも又おぼつかなくも思侍べり。とにもかくにも自力の執情によらず、たゞ佛力の所成なりとしらるゝなり。若このたび宿善開發の機にあらずは、いたづらに本願にあはざらん事のかなしさをおもへば、誠に寶の山に入てむなしくかへらんににたるべし。されば心あらん人々はよくよくこれをおもふべし。さるほ どに今年もはや十二月廿八日になりぬれば、又あくる春にもあひなまし。あだなる人間なれば、あるかと思ふもなしとおもふもさだめなし。されども又あらたまる春にもあはん事は、誠に目出もおもひ侍べるものなり。
いつまでと をくる月日の たちゆけば
いく春やへし 冬のゆふぐれ
と如此文體之おかしきをかへりみず、寒天間爐邊にありて、徒然のあまり老眼をのごひ翰墨にまかせ書之者也。穴賢、穴賢。
于時文明第九[丁酉]極月廿九日
愚老六十三歲

(一〇九)
夫當流念佛のこゝろは、信心といふことをもてさきとするがゆへに、まづその信心のとをりをよくよくこゝろうべし。さればその信心といふはなにとやうなるこゝろぞといふに、このこゝろ世の中にあまねくひとの沙汰しあつかふおもむきは、たゞなにの分別もなく念佛ばかりをおほくまふせば、ほとけにはなるべしと、みなひとごとにおもひはんべりぬ。それはあまりにおほやうなることなり。されば往生極樂の安心とまふすは、たゞ南无阿彌陀佛の六の字のこゝろをよくしりわけたるをもて、すなはち信心のすがたとはまふすなり。まづ南无といふ二字は、衆生の阿彌陀佛にむかひまひらせて後生御たすけさふらへとまふすこゝろなり。さてまた阿彌陀佛とまふす四の字のこゝろは、南无とたのむ衆生を阿彌陀如來のあはれみましまして、あまねき光明のなかにおさめおきたまふこゝろを、すなはち阿彌陀佛とはまふすなり。まことに淨土に往生して佛にならんとおもはんひとは、一向に阿彌陀佛をふかくたのみたてまつりて、もろもろの雜行雜善にこゝろをかけずして、たゞ一心に阿彌陀佛に歸命して、たすけ たまへとおもふ一念おこるとき、往生はさだまるぞとなり。たゞ念佛をもまふし、彌陀如來はたふときほとけぞとおもふばかりにては、それはあまりにおほやうなることなり。ひしとわが身は十惡・五逆の凡夫、五障・三從の女人なればとおもひて、かゝるあさましき機をば彌陀如來ならではたすけたまはぬ本願ぞとふかく信じて、一すぢに阿彌陀如來に歸して、二ごゝろなくたのみたてまつるべし。このこゝろの一念もうたがはずおもへば、かならず彌陀如來は大光明をはなちて行者をてらして、その光明のうちにおさめをきたまふべし。かくのごとく決定のおもひをふかくなさん人は、十人は十人ながら百人は百人ながら、みな淨土に往生すべきこと、さらさらそのうたがひあるべからず。かやうにこゝろえたるひとを信心をとりたるとはまふすなり。されば信心さだまりてのうへの念佛をば、彌陀如來のわれらをやすくたすけましましたる、その御ありがたさ御うれしさの御恩を報じまひらする念佛にてあるべしとおもふべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。
文明十年二月 日

(一一〇)
當流門人之中可存知次第
一 一切之神明幷佛・菩薩誤不可輕之事。
一 外以王法爲先之以佛法可爲内之事。
一 於大小乘之諸法不可誹謗之事。
一 在國所可專守護・地頭事。
一 令信心決定人對他人其法儀之姿不可顯事。
右以此等之趣、當宗念佛者可存知之。是故聖人之 『敎行證』序云、「愚禿釋親鸞、慶哉、西番・月氏の聖典、東夏・日域の師釋、まふあひがたくしていままふあふことをえたり、聞がたくしてすでに聞ことをえたり。眞宗の敎行證を敬信して、殊如來の恩德のふかきことをしりぬ。是以聞ところをよろこび、うるところを嘆ずるなり」といへり。かくのごとくあひがたき無上大利の名願力に歸する身の上に於て、彌々佛法氣色の振舞こそ、まことに祖師之御遺訓にも相背ぬべき者也。
〔文明十年W戊戌R二月四日〕

(一一一)
文明十歲初春下旬之比より、河内國茨田郡中振郷山本之内出口村里より、當國宇治郡山科郷之内野村柴の庵に、昨日今日と打過行程に、はやうら盆にもなりにけり。依之無常を觀ずるに、誠以夢幻の如し。然而今日までもいかなる病苦にもとりあはず。されども又いかなる死の縁にかあひなんずらん。今日無爲なればとて、あすもしらざる人間なれば、たゞ水上の泡、風前の燈ににたり。此故にいそぎもいそぎもねがふべき物は、後生善所の一大事に過たるはなし。たとひ此世は榮花にふけり、財寶は身にあまるとも、無常のあらき風ふき來らば、身命財の三ともに一も我身にそふ事あるべからず。此道理をよくよく分別して後生をふかくねがふべし。而に諸敎の修行は本より殊勝にしてめでたけれども、末代の根機には叶がたければ、爰に幸に未來惡世のためにおこし給へる彌陀如來の他力本願を一向にたのみ奉りて、信心決定して長時不退に佛恩報盡のために、行住座臥にゑらばず、稱名念佛申べきものなり。
于時文明十年うら盆會筆の次に書之訖。あらあら。
[以御筆御うつし候。御本にて又うつし申候也。正本は加州すゑのぶ行歡所持候也。]


(一一二)
それ人間を觀ずるに、有爲无常はたれの人かのがるべき、たゞ一生は夢幻のごとし。まことに人間は壽命は、老はまづ死しわかきはのちに死せば、順次の道理にあひかなふべきに、老少不定のさかひなれば、たゞあだなるは人間の生なり。依之爰に去八月十七日物のあはれなる事ありけり。生年卅一歲なりし人の產生の期すぎていくほどなくして死す。總じてこの人は多年病者の身たりしかば、その期にのぞみては、腹中にありしをそろしきをい物むねへせきあげて、身心苦痛せしことかぎりなし。いろいろの良藥をあたふといへども、まことに先業の所感にてもありけるか、また定業ののがれがたくして、つゐに八月十七日申剋のをはりにむなしくなりぬ。中々ことの爲體をみるに、あまりににはかに今日このごろかやうに一大事の出來すべきとは誰人もおもひよらざれば、たゞ亡然としたるありさまのあへなさあはれさ、たとへをとるに物なし。さればそばにつきそふ人々も、天にあふぎ地にふしてなげきかなしめども、その甲斐ぞなき。まことにこゝろもことばもをよばざる風情なり。しかるに彼如勝禪尼の由來をたづぬるに、天下一亂について牢人の身なりけるが、辭の縁にひかれて不思議に先世の約束もありけるか、かりそめながらこの五、六年の間、京・田舍隨逐せしめ、なにとなくなじみしたしみてまた年月のつもりにや、佛法の聽聞耳にふれしいはれによりて、朝夕のひまには和讚・聖敎をこゝろにかけ、そのいはれを人にもくはしくあひたづね、つゐに信心決定の身となりて、あまさへ人の不信なるをなげき、ことには老母の ありけるを、なにとしてもわが信心のごとくなさばやなんど、をりをり物語しけり。かへすがへす不思議なりしことなり。このゆへにかの如勝禪尼つねに人にかたりしは、わが身ほど世に果報の物はよもあらじとおもふなり。そのいはれはかゝる宿縁にあひて、あまさへ今生も活計は身にあまり、後生はもとより申にをよばず。されども人間は老少不定のならひなれば、千に一もわがをくれて、もしひとりこの世にのこりてあらば、かゝるたふとき法もやわすれなん、その時後悔すともかなふまじ。たゞねがはくはとても佛の御たすけならば、あはれわれさきにたゝばやと、知音なりし人にはつねにこの事をのみかたりはんべりし。まことに佛の御はからひか、また定業のかぎりか、ねがひをきしことばのごとくなりし事不思議なり。また今度は一定死すべきと覺悟ありけるか、そのゆへは老母のかたへ遺物どもをかねて人にあづけをき、そのほか少々の物どもを人のかたへゆづりつかはしけり。かゝる遺物どもを人のかたへつかはしけり。かゝるときは死期をよく覺悟ありけるともおもひしられたり。されば最後臨終の時には他事をまじへず、後生の一大事を申し出しけり。また光闡坊をよびよせ善知識とおもひなし、苦痛のありし中にもこゝろのそこに念佛をまふすけしきみえて、すなはち小聲にも大聲にも念佛を申すこと、たゞごとにあらずとみをよべり。これをおもひかれをおもふにつけても、あはれさの中にも今度往生極樂は一定かともおもへば、またよろこびともいひつべきか。しかればかの禪尼の平生の時の身のふるまひを見をよぶにも、たゞ柔和忍辱の風情ありて、誰人にむかひてもたゞおなじすがたなりし人なり。今これをつくづくとおもひつゞくれば、かやうに早世すべきいはれにてありけりとおもひあはせられて、一しほあはれにもいとたふとくもおもひはんべり。さればこれにつけても 女人の身は、いまこのあへなさあはれさをまことに善知識とおもひなして、不信心の人々はすみやかに无上菩提の信心をとりて、一佛淨土の來縁をむすばんとおもはん人々は、今世・後世の往生極樂の得分ともなりはんべるべきものなり。穴賢、穴賢。南无阿彌陀佛、南无阿彌陀佛。
于時文明十年九月十七日

(一一三)
夫當流親鸞聖人勸化之一義に於ては、なにのわづらひもなく、在家・出家もきらはず男女老少をいはず、一すぢにねがふべき趣は、あさましき我等ごときの愚癡闇鈍の身なれども、彌陀如來の他力本願をたのみて、偏に阿彌陀佛に歸命すれば、卽の時に必定に入しむるなり。爰以不思議之願力とは申しはんべれ。このゆへに彌陀に歸入するをこそ、他力の一心を決定せしめたる眞實信心の行者とはいへるなり。これすなはち南無阿彌陀佛の意也。されば南無阿彌陀佛の體をよくこゝろえわけたるを、信心決定の念佛行者とは名けたり。此上には彌陀如來の攝取不捨之益にあづかりたる御恩のうれしさを、御恩を報ぜんが爲に行住座臥に稱名念佛すべきばかりなり。然則此上には知識歸命なんど云事も更以あるべからず。ちかごろ參河國より手作云出したる事なり。相構相構これらの儀を信用すべからざるものなり。
文明十一年十一月 日書之

(一一四)
文明十歲孟春下旬中之十日比かとよ、河内國茨田の郡中振郷山本之内出口の村中の番と云所より上洛して、 當國宇治郡小野庄山科野村西中路に住所をかまへて、其後程へて先新造に馬屋をつくり、其年は春夏秋冬無幾程打暮しぬ。然れば愚老が年齡つもりて今は六十四歲ぞかし。先師には年二つまされり、更以其いき甲斐もなき身也。而間くるゝ月日の立行ほどなさをつらつら案ずるに付ても、佛法も世間も何事に至までも、祖師開山之御恩德の深事雨山のごとくして、たとへを取るに物なし。依之餘の事にせめて詠歌にもよそへて加樣に思つゞけゝり。
ふる年も くるゝ月日の 今日までも
なにかは祖師の 恩ならぬ身や
と思ひなぞらへても、我身の今までも久く命のながらへたる事の不思議さを又思ひよせたり。
六十地あまり おくりむかふる 命こそ
春にやあはん 老の夕ぐれ
と打ずさみければ、無程はや天はれ、あくる朝の初春にもなりぬ。正月一日の事なれば、上下萬民祝言以下事すぎて後、俄に天くもり雨ふりて、なる神おびたゞしくなりわたりければ、年始とはいひながら人々もみな不思議の神哉と思ける折節、風度心にうかむばかりに、とりあへず發句を一つはじめけり。其句にいはく、
あらたまる 春になる神 初哉
とひとり發句をしてぞありける中にも、又案じ出す樣は、愚老は當年しかと六十五歲になりければ、祖父玄康は六十五歲ぞかし。然れば予も同年なり。不思議に今までいきのびたる命かなと思へば、親にも年はまされり、祖父には同年なれば、一はうれしきもおもひ、又は冥加と云、旁以誠に命果報いみじとも可謂歟。これにつけても加樣に口ついでにかた腹いたくもつゞけたり。
祖父の年と 同じよはひの 命まで
ながらふる身ぞ うれしかりける

と心ろ一に思つゞけて行く程に、何となく正月も二日すぎ、五日にもなりぬれば、竺一撿校當坊へはじめて年始の禮にきたりけるついでに、祝言已後に、さても正月一日の神のなりける不思議さをかたり侍べりしに、其時件の發句を云出しければ、やがて撿校當座にわきを付けり。
うるほふ年の 四方の梅がへ
とぞ付け侍べりき。其後兔角する程に、正月十六日にもなりしかば、春あそびにやとて、林の中にあるよき木立の松をほりて庭にうへ、又地形の高下を引なほしなんどして過行ほどに、三月初比かとよ、向所を新造につくりたてゝ、其後打つゞきせゝり造作のみにて、四月初比より攝州・和泉の境に立置し古坊をとりのぼせ、寢殿まねかたに作りなしけるほどに、兔角して同四月廿八日にははや柱立をはじめて、昨日今日とするほどに、無何八月比は如形周備の體にて庭までも數奇の路なれば、ことごとくなけれども作り立ければ、折節九月十二日夜の事なるに、あまりに月くまなくおもしろかりければ、なにとなく東の山を見て、か樣に思案もなくうかむばかりにつらねたり。
小野山や ふもとは山科 西中野村
ひかりくまなき 庭の月影
と、我ひとり打詠ぜしばかりなり。さる程に春夏もさり秋もすぎ、冬にもなりぬれば、過にし炎天の比之事を思出でしに付ても、萬づ春之比より冬之此比に至るまで、普請作事つゐ地等に至まで皆々心ろをつくせし 事、于今思出すにみな夢ぞかし。

(一一五)
さんぬる文明七歲乙未八月下旬のころ、予生年六十一にして、越前國坂北郡細呂宜郷のうち吉久名のうち吉崎の弊坊を、にわかに便船のついでをよろこびて、海路はるかに順風をまねき、一日がけにとこゝろざして若狹の小濱に船をよせ、丹波づたひに攝津國をとをり、この當國當所出口の草坊にこえ、一月二月、一年半年とすぎゆくほどに、いつとなく三とせの春秋ををくりしことは、昨日今日のごとし。この方にをいて居住せしむる不思議なりし宿縁あさからざる子細なり。しかるにこの三ケ年のうちをばなにとしてすぐるらんとおぼへはんべりしなり。さるほどに京都には大内在國によりて、おなじく土岐大夫なんども在國せるあひだ、都は一圓に公方がたになりければ、いまのごとくは天下泰平とまうすなり。命だにあればかゝる不思議の時分にもあひはんべり、めでたしといふもなをかぎりあり。しかるあひだ愚老年齡つもりて六十三歲となれり。いまにをいて餘命いくばくならざる身なり。あはれ人間はおもふやうにもあるならば、いそぎ安養の往詣をとげ、すみやかに法性の常樂をもさとらばやとおもへども、それもかなはざる世界なり。しかれども一念歡喜の信心を佛力よりもよほさるゝ身になれば、平生業成の大利をうるうへには、佛恩報盡のつとめをたしなむときは、また人間の榮耀ものぞまれず、山林の閑窓もねがはれず、あらありがたの他力本願や、あらありがたの彌陀の御恩やとおもふばかりなり。このゆへに願力によせてかやうにつゞけけり。
六十あまり をくりし年の つもりにや
彌陀の御法に あふぞうれしき
あけくれは 信心ひとつに なぐさみて
ほとけの恩を ふかくおもへば

と口ずさみしなかにも、また善導の釋に、「自信敎人信 難中轉更難 大悲傳普化 眞成報佛恩」(禮讚)の文のこゝろをしづかに案ずれば、いよいよありがたくこそおぼへはんべれ。またあるときは念佛往生は宿善の機によるといへるは、當流の一義にかぎるいはれなれば、われらすでに无上の本願にあひぬる身かともおもへば、「遇獲信心遠慶宿縁」(文類*聚鈔)と上人のおほせにのたまへば、まことに心肝に銘じ、いとたふとくもおもひはんべり。とにもかくにも自力の執情によらず、たゞ佛力の所成なりとしらるゝなり。もしこのたび宿善開發の機にあらずは、いたづらに本願にもしあはざらん身ともなりなんことのかなしさをおもへば、まことにたからの山にいりてむなしくしてかへらんににたるべし。さればこゝろあらんひとびとはよくよくこれをおもふべし。さるほどに今年もはや十二月廿八日になりぬれば、またあくる春にもあひなまし。かゝるあだなる人間なれば、あるとおもふもなしとおもふもさだめなし。されどもまたあらたまる春にもあはんことは、まことにうれしくめでたくもおもひはんべるものなり。
いつまでと をくる月日の たちゆけば
また春やへん 冬のゆふぐれ
とうち詠じてすぎぬるにはや、文明九年の冬も十二月廿八日になりぬれば、愚老も六十三歲なり。さるほどに改年してまた文明十一年正月廿九日、河内國茨田郡中振郷山本のうち出口村中の番といふところより上洛して、山城國宇治郡小野庄山科のうち野村西中路に住すべき分にて、しばらく當所に逗留して、 そのゝち和泉の堺に小坊のありけるをとりのぼせてつくりをき、兔角してまづ新造に馬屋をとりたて、そのまゝ春夏秋冬なにとなくうちくれぬ。しかれば愚老は年齡つもりていまは六十四歲ぞかし。前住圓兼には年は二つまされり、しかるあひだくるゝ月日のたちゆくほどなさをつらつら案ずるにつけても、佛法・世法のなにごとにいたるまでも、祖師開山の御恩德ふかきこと雨山のごとくして、まことにたとへをとるにものなし。これによりてあまりのことにせめて詠歌にもよそへてかやうにおもひつゞけけり。
ふる年も くるゝ月日の 今日までも
いづれか祖師の 恩ならぬ身や
とおもひなぞらへても、わが身のいままでひさしくいのちのながらへたることの不思儀さをまたおもひよせたり。
六十あまり をくりむかふる よはひにて
春にやあはん 老のゆふぐれ
とうちずさみければ、はやほどなく天はれ、あくる朝の初春にもなりぬ。正月一日のことなれば、上下萬民祝言以下ことすぎて、にわかに天くもり雨ふりて、なる神おびたゞしくなりわたりければ、年始とはいひながらひとびともみな不思議の神かなといひけるおりふし、不圖こゝろにうかむばかりに、とりあへず發句を一はじめけり。その句にいはく、
あらたまる 春になる神 はじめかな
とひとり連歌をしてぞありけるなかにも、また案じいだすやう、愚老はかんがふれば當年は六十五歲になりければ、祖父玄康は六十五歲ぞかし。しかれば予もおなじ年なり。不思議にいままでいきのびたるものかなとおもへば、親父にも年はまされり、祖父には同年なれば、ひとつはうれしくおもひ、または冥加といひ、かたがたもてまことにいのち果報いみじともいふべき 歟。これにつけてもかくのごとく口のついでに片腹いたくもまたつゞけたり。
祖父の年と おなじいのちの よはひまで
ながらふる身こそ うれしかりけれ
とこゝろひとつにおもひつゞけてゆくほどに、なにとなく正月も二日すぎ、五日にもなりぬれば、竺一撿校當坊へはじめて年始の禮にきたりけるついでに、祝言已後まうしいだし、さても正月一日の神のなりける不思議さをかたりはんべりしに、そのとき件の發句をいひいだしければ、やがて撿校當座に脇をつけけり。
うるほふ年の 四方の梅がへ
とぞつけはんべりき。そののち兔角するほどに、正月十六日にもなりしかば、春あそびにもやとて、林のなかにあるよき木立の松をほりて庭にうへ、また地形の高下をひきなをしなんどしてすぎゆくほどに、三月はじめのころかとよ、和泉の堺に小坊のありけるをとりのぼせて、これを新造と號してつくりをき、そのゝちうちつゞき造作するほどに、また攝州・和泉堺に立置し古坊をこぼちとり、寢殿につくりなしけるほどに、とかくしておなじき四月廿八日にははや柱立をはじめて、昨日今日とするほどに、なにとなく八月ごろはかたのごとく周備の體にて庭までも數奇の路なれば、ことごとくはなけれどもつくりたてければ、おりふし九月十二夜のことなるに、あまりに月おもしろかりければ、なにとなく東の山をみて、かやうに思案もなくうかむばかりにつらねけり。
小野山や おほやけつゞく 山科の
ひかりくまなき 庭の月かげ

とわれひとりうち詠ぜしばかりなり。さるほどに春夏もさり秋もすぎ冬にもなりぬれば、すぎにし炎天のころのことどもをおもひいでしにつけても、よろづ春のころより冬のこのころにいたるまで、普請作事等に退轉なくみなみなこゝろをつくせしこと、いまにおもひいだすにみなゆめぞかし。これにつけてもいよいよ予が年齡つもりて、いまはかみ・ひげしろくなりて、身心逼惱して手足合期ならずして、すでに六十有餘のよはひにをよべり。されば親父にも年齡はまさりたるばかりにて、さらになにの所詮もなし。これについても、あはれ人間は定相なきさかひとは覺悟しながら、わが機にまかするものならば、かゝるあさましき世界にひさしくあらんよりは、早速に法性眞如のみやことてめでたき殊勝の世界にむまれて、无比の樂をうけんことこそ、まことに本意としてねがはしけれども、それもかなはぬさかひとて、昨日もすぎ今日もくらすことのかなしさくちおしさよ。されば老體の身のならひとして、ひるはひねもすに萬事にうちまぎれ、夜はまたあけがたの鳥なくころより目はさめて、そのまゝいねいる夜はまれなり。これによりて『朗詠』詩にこのことをかゝれたり。そのことばにいはく、
「老眠早覺常殘夜 病力先衰不待年」といへり。まことにいまこそこの詩のこゝろに身をもおもひあはせられてあはれなり。これについていよいよ三國の祖師・先德の傳來して、佛法の次第をしらしめたまふこともおもはれ、別しては聖人の勸化にあふ宿縁のほどもことにありがたく、また六十有餘のよはひまでいきのびしことも、ひとへに佛恩報盡の義もますますこれあるべき歟ともおもへば、なをなを心肝に銘じて、いとたふとくもまたよろこばしくもおもひはんべるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明十一 十二月 日


(一一六)
抑參河國に於て當流安心之次第は、佐々木坊主死去已後は、國之面々等之安心の一途さだめて不同なるべしとおぼへ侍べり。其故は如何といふに、當流の實儀うつくしく讚嘆せしむる仁體あるべからざるが故也。たとひ又その沙汰ありといふとも、たゞ人の上の難破ばかりをいひて、我身の不足をば閣て、我慢偏執の儀を以てこれを先とすべし。如此の心中なるがゆへに、當流に其沙汰なき祕事法門と云事を手作にして諸人をまよはしむる條、言語道斷之次第也。此祕事を人に授けたる仁體においては、ながく惡道にしづむべき者也。然則自今已後おいては、以前の惡心をすてゝ當流之安心をきゝて、今度の報土往生を決定せしめんと思べし。只以當流之一儀において祕事の法門と云事あるべからざる者也。
夫當流聖人の一代は、ことに在家止住の輩をもて本とするがゆへに、愚癡闇鈍の身なれども、偏に彌陀如來之他力本願に乘じて一向に阿彌陀佛に歸命すれば、卽時に正定聚之位に住し、又滅度に入しむるとこそつたへたり。此故に超世の本願とも不可思儀の強縁とも申し侍べり。是則攝取不捨の益にあづかりぬる眞實信心をゑたる一念發起の他力の行者とは申す者也。此上にはたゞ彌陀如來の御恩德のふかき事をのみおもひて、其報謝のためには行住座臥をいはず、南無阿彌陀佛ととなへんより外の事はなきなり。猶以此上にわづらはしき祕事ありといふやからこれあらば、いたづら事とこゝろへて信用あるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。

文明拾貳年六月十八日(花押)

(一一七)
抑大津・山科兩所人々爲體を見及ぶに、更に當流之正義にしみじみと決定せしめたる分もなし。然者此間、愚老連日之病惱におかされて、誠に此まゝ往生之出立にてもあるやらんと覺ゆる間、心底におもふ趣其苦痛之間につらつら人々の心中をはかり案ずるに、うるはしく今度の一大事、報土往生をとげしめん爲の他力大信心を彌陀より發起せしめられたる、そのありがたさを不可思議におもふすがたは、且以みえずと覺へたり。そのゆへは彌陀如來之御恩德のいたりてふかき事をも更に心にもかけずして、たゞ古より今日にいたるまでも我身ひとり信心のとほりよく覺悟せりと思ふ風情なり。今の分の心得にては我身の安心の方もいまだ不定なりと思ひやられたり。其信心を決定せぬとおぼへたるその證據には、一遍の稱名も心にはうかまず、又父母二親の日にあたらば、親といふものあればこそかゝる殊勝の本願をばきゝ侍べりとおもはゞ、などか其恩のあさからぬ事をもおもひて、とぶらふ事もあるべきに、其心すくなきがゆへに、まして佛恩報盡のおもひも更になきゆへに、口に稱名をとなふる事もなし。又一卷の聖敎を手にとり、一首の和讚を見る事もなし。我身をたすけ給へるいはれをとき給へる「三部經」なれども、これを堪能の機は訓ごえにもせめてよむべき道理とも思はず。あまさへ古は佛前に「三部經」をおく人をさゑ難行なりといひ侍べりき。今も其機類相のこる歟とおもふなり。あさましあさまし。又「和讚正信偈」ばかりを本として、「三部經」をば本と思はず、たまたまも志ありてよむ人をば遍執せり。言語道斷之次第、本據をしらぬ人のいへる事なり。たとひ我身文盲にしてこれをよまずとも、忝も我等が淨土に往生すべきいはれをば此經にとき給へりとおもひて信ずべきに、つ ねの人の覺悟には「三部經」といふことをもしらねども、たゞ聖人の仰せを信ずるこそ肝要よ、あらむつかしの「三部經」の文字沙汰やといへり。これ又大なる本說をしらぬゑせ人のいへることばなり。くれぐれ信ずべからず。又「正信偈和讚」をもては朝夕の道俗男女、佛恩報謝の勤行にこれを修すべきこそ肝要といへる事なり。總じて當流の一義をたつるにつきて、「和讚正信偈」をもて肝要といふ名言、返々しかるべからざることなり。されば朝夕はたゞ佛恩のふかき事を思ひて念佛すべし。依之善導和尙の解釋にも、くれぐれ佛恩のふかき事をのみ釋し給へり。されば聖人『敎行信證』六卷をつくりても、三國の祖師・先德相承して、淨土の敎をおしへ給ふ恩德のふかき事をひきのせ、ことに佛恩窮盡なるおもむきをねんごろに仰せられたり。事しげきによりて今こゝにはのせず。其中にもやすくきこゑたる「正信偈」の文にいはく、「憶念彌陀佛本願 自然卽時入必定 唯能常稱如來號 應報大悲弘誓恩」(行卷)ともいひ、又『和讚』(正像末*和讚)には、「彌陀大悲の誓願を 深く信ぜん人はみな ねてもさめてもへだてなく 南無阿彌陀佛を唱べし」といへり。此文のこゝろは、人つねに沙汰せしむる事なれども、更にこゝろそれにならざる間、總じて本願の一すぢに殊勝なるありがたさを も別しておもはず、又信心のしかとさだまりたる分もなきゆへに、一遍の稱名をおもひいだす事もなし。更以此等の人之風情は聖人の御意にそむけり、當流之正義にあらず。已前いふところのおもむきを今日よりして廻心改悔之心なくは、誠以無宿善の機たるべきあひだ、このたびの報土往生は大略不定とこゝろうべきものなり。
文明十二歲八月廿六日

(一一八)
抑大津・山科兩所人々爲體を見及ぶに、更に親鸞聖人の勸給ふ正義にしみじみと決定せしめたる分もなしとおもへり。然者愚老此間、連日之病惱におかされて、誠に此まゝ往生之出立にても有やらんと覺ゆる間、心底におもふ趣苦痛の内につくづく人之心中をはかり案ずるに、うるはしく今度の往生極樂をとげしめん爲の他力の大信心を彌陀より發起せしめられたる、其うれしさありがたさを不可思議に心におもひ入れたるすがたは、且以みえずと覺へたり。そのゆへはいかんといふに、彌陀如來の御恩德のきはめてふかき事をも更に心にもかけずして、たゞ古へより今日に至るまでも我身ひとり信心のとをりよく覺悟せりと思ふばかりの風情なり。今の分の心得にては我身の安心の方もいまだ不定なりと思ひやられたり。其信心を決定せずとおぼへたる其證據に、一遍の稱名も心にはうかまず、又父母二親の日にあたらば、親と云者あればこそかゝる殊勝の本願をばきゝ侍べりと思はゞ、などか其恩のあさからぬ事をもおもひて、などかとぶらふ事もあるべきに、其心すくなきがゆへに、まして佛恩報盡之思も更になし。このゆへに口に稱名をとなふる事もなし。又徒にあかしくらせども、一卷の聖敎を手にとり一首の和讚をもそらによみおぼへて、朝夕の勤行に助音せんともおもはず、たゞ人まねばかりにうなりゐたる體な り。又我身をすくひ給へるいはれをときあらはせる「淨土三部經」なれども、これを堪能の機は訓ごゑにもせめてよむべき道理とも思はず。あまさへ古は佛前に「三部經」をおく人をさへ雜行之人なりといひ侍べりき。今も其機類相のこる歟と思ふなり。あさましあさまし。又「和讚正信偈」ばかりを本として「三部經」をば本とおもはず、たまたまも志ありてよむ人をばあながちに遍執せり。言語道斷の次第、本據をしらぬ人のいへることばなり。たとひ我身文盲にしてこれをよまずとも、忝我等が淨土に往生すべきいはれをばこの經にときあらはし給へりと思ひて信ずべきに、つねの人の覺悟には「三部經」と云事をもしらずとも、たゞふかく聖人の仰せを信ずるこそ肝要よ、あらむつかしの「三部經」の文字沙汰やといへり。これ又大なる本說しらぬゑせ人のいへることば也。くれぐれ信ずべからず。又「正信偈和讚」をもては朝夕之道俗男女、佛恩報盡之勤行にこれを修すべきこそ肝要とはいへることばなり。總じて當流聖人の一義をたてんにつきて、「和讚正信偈」ばかりをもて一流之肝要といへる名言、返々しかるべからざることばなり。依之當流之信心を決定せん人は、相構相構、佛恩之ふかき事をつねにおもひて稱名すべし。されば善導和尙所々の解釋にも、たゞ佛恩のいたりてふかき事をのみ釋し給へり。ことに聖人も『敎行信證』六卷をつくりて、三國の祖師・先德相承して淨土の敎をおしへ給ふ恩德のふかき事をひきのせて、取別佛恩窮盡なるおもむきをねんごろに仰せり。事しげ きによりて今こゝにのせず。其中にもやすくきこへたる「正信偈」文にいはく、「憶念彌陀佛本願 自然卽時入必定 唯能常稱如來號 應報大悲弘誓恩」(行卷)ともいひ、又『和讚』(正像末*和讚)には、
彌陀大悲の誓願を ふかく信ぜんひとはみな
ねてもさめてもへだてなく 南無阿彌陀佛を唱べし
といへり。此文の意は、人つねに沙汰せしむる文なれども、更にこゝろそれにならざる間、總じて彌陀如來の他力本願の一すぢに殊勝なるありがたさをも別しておもはず、又信心のしかとさだまりたる分もなきとみえたる間だ、一遍の稱名をおもひいだす事もなし。更以此等の人之風情は聖人之御意にそむけり、當流之正義にあらず。已前いふところのおもむきを今日より廻心改悔之心ろなくは、誠以無宿善の機たるべきがゆへに、このたびの報土得生は大略不定なりとこゝろうべきものなり。
文明十二年八月廿七日

(一一九)
去文明十一年之夏比より寢殿やうやく立はじめて、夏三月秋三月と過ゆき程に、神無月仲旬末つ方にも成侍べりぬれば、今年と云もはや幾程あるべからずと思ふ間だ、いかにしても御影堂を予が存命之内に建立せしめんと思企る處に、其志ある事を門下中しりて、旣に南方河内國門下中より和州吉野之奧えそま入りをして、やがて十二月仲旬比かとよ、柱五十餘本其外斷取の材木を上せけり。かくて年内も打暮ぬ。而に年もあくれば文明十二年之初春に成しなり。さるほどに正月と云も七日十五日もすぎ、十六日にも成侍べりぬれば、先づ愚老はかり事に、彼御影堂をつくり奉らんが爲のこゝろみに、所詮小棟づくりに三帖敷の小御堂をつくり侍べりぬ。さすればはや正月も下旬比にすぎ程に成りければ、其後やがて二月三日より事はじめをして、 御影堂之造作を企てつゝ、其まゝひた造作にてすぎゆく程に、近内近郷之雜木をあつめよせ、五日十日と其覺悟もなく造作せし間だ、誠に法力之不思儀にてありけるにや、旣に三月廿八日には棟上之祝をして番匠方之好行粧美々敷かりき。されども其時分諸國之門徒中、大概其祝に合侍べりき。誠に不思議之宿縁あさからぬ事共也。棟上已後なげし・敷居なんどは和州吉野之材木をあつらゑ、其外天井・立物なんどは人之志にまかせて請取りこれを沙汰す。又やねゐの道具・板敷之たぐひは大概大津よりこれをこしらへて來れり。又四方之縁なんどは深草の宮にありける杉木を買得し、次にやねをば先づ竹おそゐにてすぎ榑をもて假葺にして、其後ひわだ葺をよびよせて、そしきをとらせ其入るべき具足をあつらへそろへて、旣に八月四日より始てひわだ葺にふかせける間、さる程に造作は四月五月より八月中までは日永きあひだ、番匠手間もさのみ入ずして無程出來せり。而間八月廿八日には先づ繪像の御影を假佛壇にこしらへてうつし奉りけり。則其の夜は愚老もおなじくこもりぬれば、誠よろこびは身上にあまれりて祝著千萬なり。されば予が年來京・田舍とめぐりし内にも、心中に思樣は、あはれ存生之間において、此御影堂を建立成就して、心やすく往生せばやと念願せし事の今夜成就せりと、うれしくもたふとくも思ひ奉る間、其夜の曉き方まではつゐに目もあはざりき。又其内にも去る比御臺樣御成ありて、此御影堂御覽ありし事を思ひつゞくれば、前代未聞事と云ながら、たゞ事とも思はず、かたじけなくも思侍べりき。かくて造作は大略周備成就之心地にて、橋隱・妻戸の金物 なんども出來しければ、白壁をぬり地形之高下をなをしなんどせし程に、霜月も仲旬比になりぬれば、旣に同十八日には年來大津に此十餘ケ年之間御座ありし根本之御影像をうつし奉りぬ。而間報恩講も始りければ、諸國門徒之類同心に渴仰之思ひ淺からずして、面々に懇志をはこび、一七日中之勤行無其退轉りき。其内に於て愚老、此間之造作中窮崛を思ひ出でゝ、此御影堂造立中無何の障㝵、建立成就せしむる條祝著之あまり、又諸國之面々の懇志を悅ばしめ、且は信心も決定して當生之來果をゑそしめんが人は、此報恩講七ケ日中によそへて如此の旨趣をのぶるなり。

(一二〇)
去文明拾一年之夏比より寢殿漸立始て、九夏三伏之夏は日永しといへども、無程打暮て紅菊芝蘭之秋は日みじかき間、神無月仲旬末つ方にも成侍べりぬれば、今年と云もはや幾程あるべからずと思ふ間、いかにもして御影堂を予が存命之内に建立せしめんと思企る處に、其志ある旨を門徒中にも存知ある歟之間、旣に南方河内國門下中より和州吉野之奧へそま入りをさせて、やがて十二月仲旬比かとよ、柱五十餘本其外斷取之材木を取上せて、これをつみかさねおく間、旣に年内も打暮ぬ。而に年もあくれば文明十二年之初春に成にけり。然間正月と云も七日十五日もすぎ、十六日にも成侍べりぬれば、先愚老がはかり事に、彼御影堂を建立せしめんが爲のこゝろみに、所詮小棟づくりに三帖敷之小御堂を作り侍べりぬ。さすればはや正月も下旬比にすぎ程に成ぬれば、其後やがて二月三日より事始めをさせて、御影堂之造作を企つゝ、其まゝひた造作にてすぎゆく程に、近内近郷の雜材木をあつめよせ、五日十日と其覺悟もなく門下中之志にまかせ作事せし間、誠に法力之不思議によりけるが、旣に三月廿八日には棟上之祝をさせて大工番匠方之好粧美々敷かりき。され ども其時分諸國之門徒中、大概其棟上の祝に合侍べりき。誠不思議之宿縁あさからぬ事共也。而間棟上已後はなげし・敷居なんどは和州吉野之材木をあつらえ、其外天井・立物なんどは門徒之志にまかせて請取て是を沙汰す。又やねゐの道具・板敷之族は大概大津よりこれをこしらへて來れり。又四方之縁なんどは深草之宮にありける木を買得し、次にやねをば先竹おそゐにてすぎ榑をもて假葺にさせて、其後ひわだ大工をよびよせて、そしきをとらせて其入るべき具足をあつらへそろへて、旣に八月四日より始てひわだ葺にふかせける間、作事は四月五月より八月中までは日永き間、番匠之手間もさのみ入ずして無程出來せり。然間八月廿八日には先づ假佛壇をこしらへて繪像の御影をうつし奉りけり。其夜は愚老も同くこもりぬれば、誠に悅は身にあまりて祝著千萬なりき。されば年來愚老京・田舍とめぐりし内にも、心中に思樣は、あはれ存生之間において、此御影堂を建立成就して、心やすく往生せばやと念願せし事の今月今夜滿足せりと、うれしくもたふとくも思ひ奉る間、其夜の曉方まではつゐに目もあはざりき。又其内にも去ぬる比御台樣御成ありて、此御影堂御覽ありし事を思ひつゞくれば、前代未聞之事と云ながら、たゞ事とも思はず、忝も思侍べりき。かくて造作は大概周備滿足之心地にて、橋隱・妻戸之金物なんどははや出來したりければ、白壁をぬり地形之高下をつくりなをしなんどせし程に、霜月もはや仲旬比になりぬれば、旣に十八日には年來大津に此十餘ケ年之間御座ありし根本之御影像をうつし奉りぬ。しかる間例年之報恩講も始りぬれば、諸國門徒之類同心 に渴仰の恩淺からずして、面々に懇志をはこび、一七日中之勤行之念佛無其退轉りき。其内に於て愚老思樣、此間之造作中の窮崛に其甲斐ある事を思出でゝ、此御影堂造作中何の無障㝵、建立成就せしむる條祝著無極、又諸國之面々の懇志をはこばしむる事を悅しめ、且は信心もいよいよ決定して當生の來果をも心やすく得せしめんと思也。就之此在所に始て御影堂一宇建立して、當年始て一七ケ日之報恩講始行せしむる事不思儀の子細也。

(一二一)
抑當所者山城國宇治郡山科郷小野庄野村之内西中路と云所也。然者於此在所何なる往昔之約束ありて、不思議にかりそめながら文明第十之天初夏仲旬比よりざん時之樣に居住せしめて、旣に一宇之坊舍を興行し、其まゝ相續して、次年文明十二年[庚子]二月初比より思企、御影堂を如形柱立ばかりと志す所に、何なく佛法不思議之因縁によりけるか、諸國門下中あまねく懇志をはこばしむる間、無程造立して旣に十一月十八日には、此一亂中大津に置奉りし性本之御影をうつし申す。つらつら當所濫觴之由來を案ずるに、諸篇につきて何の障㝵もなく建立せしむる條、更以凡情之所爲に非るかとも覺侍べり、別しては愚老が本懷滿足何事如之哉。依之諸國門葉之輩も同く不含法喜禪悅之思哉。而間今月廿八日は祖師聖人之御正忌として、每年をいはず親疎をいはず、道俗男女諸國門下之類此御正忌をもて本と存ずる事、于今無其退轉。此故に當流に其名をかけ、一度彌陀如來之他力信心を獲得せしめたらん行者に於ては、今月廿八日七日報恩講之御正忌に其志をかけざらん輩は、ひとへに可爲木石之類者歟。然間彼聖人之御恩德の深事、たとへを取るに迷慮八萬之頂、蒼瞑三千之底にも越過たり、不可報不可謝者歟。此故每年之例時として、往古より此一七ケ日之間如形一味同行中 之沙汰として、爲報恩謝德無二の丹誠をこらし勤行之懇志をぬきいづる處也。然に此七ケ日報恩講之砌に當て、門葉之類來集する事于今無其退轉。就之不信心之行者に於ては報恩謝德を致と云とも、其志聖人之冥意不可相叶。誠以「水入て垢おちず」といへる可爲其類者歟。伏惟れば、夫聖人之御入滅は年忌遠隔、旣に二百餘歲之星霜を送といへども、御遺訓ますますさかりにして、于今敎行信證の名義耳の底に止て人口にのこれり。可貴可信唯此一事也。而に近代當流門下と號する族の中に於て、聖人之一流をけがし、あまさえ自義を骨張し、當流になき祕事がましき曲名言をつかひ、人の難破をいひてこれを沙汰し、我䚹謬をばかくすたぐひ在々所々に多之。言語道斷之次第也。たゞ人竝の仁義ばかりの佛法しりがほの風情にて、名聞之意をはなれず、人まねに報恩謝德之志を致といふとも、其所詮不可有者也。然間不信心之行者に於ては此一七ケ日之報恩講中に、御影前にありて改悔之意をおこして相互に信不信之次第を懺悔せば、誠に報恩謝德之本意に達すべきもの也。されば聖人之仰には、たゞ平生に於て一念歸命之眞實信心を獲得せしめたる人の上に於てこそ、佛恩報盡之道理は可有之とのたまへり。依之此一七ケ日報恩講之砌に於て、未安心之行者は速に眞實信心を決定して、一向專修之行者とならん人は誠以今月聖人の御正忌の可爲報恩謝德者也。穴賢、穴賢。
文明十二年[庚子]十一月廿一日書之

(一二二)
夫當所者宇治郡山科郷小野庄野村西中路也。然者於此在所有何なる宿縁不思儀、文明十一年之春比一宇坊舍 をたて、其後あくる同き文明十二歲二月初比より御影堂を如形柱立ばかりと志すところに、誠に佛法不思議之因縁によりけるか、諸國門徒中の懇志をはこばしむる間、無程造立して旣に當月十八日には、根本之御影像を奉移畢。つらつら當寺濫觴之由來を案ずるに、無事故早速に令造立之條、予於身上本懷滿足何事如之哉。同諸國門下之輩も定而法喜禪悅之思不深之哉。而今月廿八日は祖師聖人之御正忌として、每年之例時、信不信をいはず、道俗男女門下之類此御正忌をもて本と存ずる事、于今無其退轉。依之當流に其名字をかけ、一たび彌陀如來之他力信心を獲得せしめん行者は、今月之報恩講之御正日に於て、其志をはこばざらん輩は、可爲木石之類者歟。而間彼聖人之御恩德之深事、迷慮八萬之頂、蒼瞑三千之底にも越過せり、不可報不可謝。此故於每年同往古此一七ケ日之間如形一味同行之沙汰として、爲報恩謝德無二之丹誠をこらし勤行之懇志をぬきいづる處也。然に此七ケ日報恩講之砌に當て、門葉之類來集する事於于今無退轉。このゆへに不信心之行者に於ては報恩謝德をいたすと云ども、其志し且以徒事也。誠に「水入て垢おちず」といへる可爲其類者歟。伏惟ば、夫聖人之御入滅は年忌遠隔て、すでに二百餘歲之星霜を送といへども、御遺訓ますますさかりにして、於于今敎行信證之名義耳の底に止て人口にのこれり。可貴可信唯此一事也。而間近代當流門下と號する族之中に於て、聖人之一流をけがし、あまさえ自義を骨張し、當流になき祕事がましき曲名言をつかひ、人之難破ばかり沙汰せしむるたぐひ在々所々に多之。言語道斷之次第也。たゞ人竝の仁義ばかりの佛法しりがほの風情にて、名聞之心をはなれず、人まねに報恩謝德の爲なんど號する輩は瀆事也。如此類は更以報恩謝德之志をいたすといふとも、不可有其所詮者也。然則不信心之行者に於ては此一七ケ日之報恩講中に、御影 前にありて改悔の意をおこして相互に信不信之次第を懴悔せば、誠以報恩謝德之本意に達すべし。されば聖人の仰には、たゞ平生に於て一念歸命の眞實信心を獲得せしめたる身の上に於てこそ、佛恩報盡の道理は可有之と仰せられたり。依之此一七ケ日報恩講之砌に於て、未安心之行者はすみやかに眞實信を決定せしめて、一向專修の行者とならん人は誠以今月聖人之御正忌之可爲報恩謝德者也。穴賢、穴賢。
文明十二年十一月廿一日

(一二三)
そもそも文明第十一の天夏のころより寢殿やうやく立をさまりて、九夏三伏の夏は日ながしといへども、うちくれ紅菊芝蘭の秋は日みじかきあひだ、神無月仲旬すえつかたにもなりはんべりぬれば、今年もはやいくほどあるべからずとおもひくらすまゝ、いかにもして愚老存命のうちに御影堂建立成就せしめんとおもひくわだつるところに、そのこゝろざしあることを門下中しりて、すでに南方河内國門徒中より和州吉野の奧へそまいれをして、やがて十二月仲旬ごろかとよ、まづ柱五十餘本そのほか料取の材木をのぼせけり。かくて年内もうちくれぬ。しかるあひだ年もあくれば、はや文明十二年の初春になりにけり。さるほどに正月七日もすぎ、十六日にもなりはんべりぬれば、まづ愚老はかりごとに、かの御影堂をつくりたてまつらんがためのこゝろみに、所詮小棟づくりに三帖敷の小御堂をつくりはんべりぬ。さすればはや正月も下旬ごろにすぎゆくほどになりければ、そののちやがて二月三日よりことはじめをして、御影堂の造作をくわだてにけ り。そのまゝひた造作にてすぎゆくほどに、當所の近内近郷の雜木を買あつめよせ、五日十日と造作せしあひだ、諸門下の法力をもてまことに不思議に、三月廿八日には棟あげのいわゐをして番匠がたの好粧美々敷かりき。されどもその時分諸國の門徒中も大略そのいわゐにあひはんべりぬ。まことに不可思議の宿縁あさからぬことどもなり。そののち棟あげ已後はなげし・敷居なんどは大概和州吉野の材木をあつらへ、そのほか天井・立物なんどはひとびとのこゝろざしにまかせて請取これを沙汰す。またやねゐの道具・板敷のたぐひは大概大津よりこれをこしらへてきたれり。また四方の縁なんどは藤森の宮にありける杉の木を買得す。つぎにやねをばまづ竹おそゐにして杉榑をもてかり葺にして、そののちひはだ葺をよびよせて、そしきをとらせそのいるべき具足をあつらへそろへて、すでに八月四日よりはじめてひはだ葺にふかせけるあひだ、十月四日には出來せり。さるほどに造作は四月五月より八月中までは日ながきあひだ、番匠手間もさのみいらずしてほどなく出來せり。しかるあひだ八月廿八日にはまづ繪像の御影をかり佛檀にこしらへてうつしたてまつりけり。すなはちその夜は愚老もおなじくこもりをはりぬ。まことによろこびは身上にあまれりとて祝著千萬なり。されば予が年來京・田舍とへめぐりしうちにも、心中におもふやうは、あはれ存命のあひだにをいて、この御影堂を建立成就して、こゝろやすく安養の往生をとげばやと念願せしことの今夜に成就せりと、うれしくもたふとくもおもひたてまつるあひだ、その夜のあかつき方まではつゐに目もあはざりき。またそのうちにもおもひいだすことは、さんぬるころ御台樣御なりありて、この御影堂御覽ありしことをおもひつゞくれば、前代未聞のことゝいひながら、たゞごとゝもおもはず、かたじけなくもおも ひはんべりき。かくて造作は大略周備滿足のこゝちにて、いま橋隱し・妻戸の金物なんども出來しければ、白壁をぬり地形の高下をなをしなんどするほどに、霜月の報恩講もちかづきければ、すでに霜月十八日には夜にいりて大津に御座ある本の御影像をうつしたてまつりぬ。しかるあひだ報恩講もはじまりて、諸國門徒のひとびと同心に渴仰のおもひあさからずして、面々に懇志をはこび、まことに一七ケ日の勤行その退轉なし。そのうちにをひて愚老このあひだの窮崛懇勞をおもひいだして、この御影堂の造立事ゆへなく成就せし祝著のあまり、かつは諸國の面々の懇心をよろこばしめ、かつは他力の信心も決定して當生の來果をえしめんがために、この報恩講七日中によそへて愚意の旨趣をのべていはく。
そもそも當所は宇治郡山科郷小野庄のうち野村西中路といへるところなり。しかればこの在所にをいていかなる宿縁ありてか、不思議に文明第十の春のころよりかりそめながら居住し、すでに一宇を興行し、そのまゝ相續し、おなじきつぎの年文明十二歲庚子二月はじめのころ、御影堂かたのごとく柱立ばかりとこゝろざすところに、なにとなく佛法不思議の因縁によりけるか、諸國門徒あまねく懇志をはこばしむるあひだ、ほどなく造立成就してすでに十一月十八日には、年來御座ありし根本の御影像をうつしたてまつりぬ。つらつら當寺濫觴の由來を案ずるに、予身上にをいて本懷滿足なにごとかこれにしかんや。したがひて諸國門葉のともがらもおなじく法喜禪悅のおもひをふくまざらんや。しかるあひだ今月廿八日は祖師聖人の 御正忌として、每年をいはず親疎をいはず、道俗男女門下のたぐひこの御正忌をもて本と存ずること、いまに退轉なし。これによりて當流にその名をかけ、ひとたび彌陀如來の他力の信心を獲得せしめん行者は、今月報恩講の御正忌にをいてそのこゝろをかけざらんともがらは、まことに木石のたぐひたるべきもの歟。しかるあひだかの聖人の御恩德のふかきこと、迷慮八萬のいたゞき、蒼瞑三千の底にもこえすぎたり、報ぜずんばあるべからず謝せずんばあるべからざるもの歟。このゆへに每年の例時として、往古よりこの一七ケ日のあひだかたのごとく一味同行の沙汰として、報恩謝德のために无二の丹誠をこらし勤行の懇志をぬきいづるところなり。しかるにこの七ケ日報恩講のみぎりにあひあたりて、門下のたぐひ來集することいまにその退轉なし。これについて不信心の行者にをいては報恩謝德をいたすといふとも、そのこゝろざしかつてもて通ずべからず。まことに「水いりてあかおちず」といへるそのたぐひたるべきもの歟。ふしておもんみれば、それ聖人の御入滅は年忌とをくへだゝりて、すでに二百餘歲の星霜ををくるといへども、御遺訓ますますさかりにして、いまに敎行信證の名儀耳のそこにとゞまりて人口にのこれり。たふとむべし信ずべきはたゞこの一事なり。しかるにちかごろ當流門下と號するやからのなかにをいて、聖人の一流をけがし、あまさへ自義を骨張し、當流に沙汰せざる祕事がましきくせ名言をつかひ、ひとの難破をいひてこれを沙汰し、わが身の批謬をかくすたぐひのみ在々所々にこれおほし。言語道斷の次第なり。たゞひとなみなみの仁義ばかりの佛法しりがほの風情にて、名聞のこゝろをはなれず、ひとまねに報恩謝德のこゝろざしをいたすといふとも、その所詮あるべからざるものなり。しかるあひだ未決定の行者にをいてはこの一七ケ日の報恩講中に、御影 前にありて改悔のこゝろををこしてあひたがひに信不信の次第を懴悔せば、まことに報恩謝德の本意に達すべきものなり。されば聖人のおほせには、たゞ平生にをいて一念歸命の眞實信心を獲得せしめたる身のうへにをひてこそ、佛恩報盡の道理はこれあるべしとのたまへり。これによりてこの一七ケ日の報恩講のみぎりにをひて、未安心の行者はすみやかに眞實信心を決定せしめて、一向專修の念佛行者とならんひとはまことにもて今月聖人の御正忌の報恩謝德の肝要たるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
しかるあひだこの一七ケ日報恩講中にをひて、近國近郷の門葉のともがら群集していく千萬といふかずなし。これしかしながら宿善のもよほすいはれ歟ともおぼへはんべりしなかにも、この一亂中にをひて御影堂いまだたゝざるところに、不思議に時剋到來して當年中にをひて建立成就せしむる條、一宗の大慶、門徒の面々喜悅のまゆをひらく歟のあひだ、來集の門下の心中もげにもとおもひしられたり。しかれば一七日の勤行のあひだ、ことゆへなく結願成就しをはりぬ。さればいつの御年忌よりもことあたらしく殊勝にこそおぼへはんべりしなり。さるほどに報恩講已後は諸門下中もひまのあきたる心中ともとみえたり。しかれば愚老もよろづにこゝろやすく本望をとげて、滿足なにごとかこれにしかんや。しかるあひだ兔角すればいよいよ寒天もいとゞはげしさまさりければ、老體の身なれば連日の造作中の窮崛にをかされて、手足も合期ならざるあひだ、爈邊にありてつくづく思樣は、さてもすぎにし春夏秋をもなにとくらしけるぞと、老のねぶりのあ ひだにもやゝもすればおもひいでにけり。かくてすぎゆくほどに、今年といふもいくほどもなく、十二月仲旬ごろになりぬれば、年内もはや年暮がたになりぬべきあひだ、つらつら愚老が心中におもふやう、當年造作中の辛勞をいたし、すでにはや御影堂建立すといへども、なをこともつきせず。あはれとてものことならば、予が生存のうちに阿彌陀堂一宇をせめてかたのごとく柱立ばかりなりとも建立せばやとおもふなり。そのゆへはいかんといふに、そもそも當寺のことはかたじけなくも龜山院・伏見院兩御代より敕願所の宣をかうぶりて他にことなる在所なり。しかるあひだ本堂とてそのかたちなければ所詮なし。このゆへにしきりに建立のこゝろざしふかくもよほすところなり。よてまづ和州吉野郡にひとをくだし、大柱を廿餘本あつらへをきはんべりぬ。さるほどに年もあけぬれば文明十三年正月中の十日になりぬれば、已前あつらへをきしその柱をすでにになひもちきたれるあひだ、まづ寢殿の大門の道具さひはいに用意せしむるほどに、これを當月廿二日に柱立をさせてかりぶきやねをこしらへて、しかふしてのち二月四日より阿彌陀堂のことはじめをさせて、すなはち柱どもをつくらせ、そのまゝうちつゞき林木を料簡して作事するほどに、なにとなく法力の不思議によりて、四月廿八日にはすでに棟あげをくはだて、大工番匠方の祝言ことをはりぬ。かくて日をへるまゝに春夏のあひだは日ながくして作事するあひだ、ほどなく大概に出來せり。しかるあひだ六月八日にはまづかり佛檀をこしらへて、本尊をすえたてまつりけり。いまははや日ごろの愚老本望たちまちに滿足す。さるほどに前住廿五年の遠忌にあひあたるあひだ、このいとなみなさんとおもふなり。これによりて一七日念佛懃行をはじめければ、遠國・近國門徒中面々あゆみをはこびこゝろざしをいた して群集し、念佛の助音にこゝろをかけ、あるひは一日あるひは二日なんど逗留しはんべりき。かくてことゆへなく結願成就しをはりぬ。しかるあひだ愚老本望かたがたもて周備滿足なにごとかこれにしかんや。つらつらことの次第を案ずるに、當年前住廿五年にあひあたりて阿彌陀堂かたのごとく建立せしむること、眞實眞實、報恩謝德の懇念も冥慮にあひかなふかともおもひ、また愚老が連年のこゝろざしもたちまちに融通しけるゆへかともおもひあへり。かたがたもて佛法の威力、一身の宿縁のいたり不可思議なり。これしかしながらまことにもて佛願難思の強縁、希有最勝の直道にまふあへる德なり。
文明十三年

(一二四)
夫於當流の念佛行者、まづ彌陀如來他力本願の趣を令存知、眞實信心を發起せしむべし。それにつゐて第十八の願意をよくよく分別せよ。そのこゝろいかんといふに、阿彌陀佛、法藏比丘のむかしちかひたまひしは、十方衆生にわが願行をあたへて、この功德力をもて往生をとげさしめんに、もしわれ成佛せずは彌陀も正覺をなりたまふべからずといふ大願をおこしたまふに、その願すでに成就して阿彌陀佛となりたまへり。されば衆生にかはりて願と行とを成就して、我等が往生をすでにしたゝめましましけり。これによりて十方衆生は佛體より願行を圓滿するがゆへに、衆生の往生成就するすがたを、機法一體の南无阿彌陀佛とは正覺を成じたまふなりとこゝろうべきなり。かるがゆへに佛の 正覺の外は衆生の往生はなきなり。十方衆生の往生成就する時、彌陀も正覺をなりたまへるがゆへに、佛の正覺なりしと我等が往生の成就せしとは同時なり。されば他力の願行をば、彌陀のはげみて功を无善の凡夫にあたへて、謗法・闡提の機、法滅百歲の機まで成ずといふ不可思議の功德なり。このゆへに凡夫は他力の信心を獲得することかたし。しかるに自力の成じがたきことをきくとき、他力の易行なることもしられ、聖道の難行なるをきくとき淨土の修しやすきこともしらるゝなり。依之佛智のかたよりなにのわづらひもなく成就したまへる往生を、われら煩惱にくるはされてむなしく流轉して、不可思議の佛智を信受せざるなり。されば此上には一向に本願のたふときことをふかくおもひて、佛恩報盡のためには行住座臥をいはず稱名すべきなり。また法藏菩薩の五劫兆載の願行は、凡夫のためにとてこそ願行をば成就したまへ。されば阿彌陀佛の衆生のための願行を成就せしいはれを、すなはち三心とも三信とも信心ともいふなり。これによりて阿彌陀佛は此の願行を名に成ぜしゆへに、口業にこれをあらはせば南无阿彌陀佛といふなり。故に領解の心も凡夫の機にはとゞまらず、領解すればやがて佛願の體にかへるなり。又佛恩報盡のためにとなふる念佛も弘願の體にかへる故に、淨土の法門は第十八の願をよくよくこゝろうるほかにはなきなり。第十八の願をこゝろうるといふは名號をこゝろうるなり。又念佛といふ名をきかばわが往生は治定とおもふべし。十方の衆生往生成就せずは正覺とらじとちかひたまへる法藏菩薩の正覺の果名なるが故にとおもふべし。又彌陀佛の形像をみたてまつらば、はやわが往生は決定とおもふべし。又極樂といふ名をきかば法藏比丘の成就したまへるゆへに、我等がごとくなる愚癡惡見の凡夫のための樂のきはまりなるがゆへに極樂といふなり。さればひ しとわれらが往生を決定せしすがたを南无阿彌陀佛とはいひけるといふ信心おこりぬれば、佛體すなはちわれらが往生の行なり。こゝをこゝろうるを第十八の願をおもひわくとはいふなり。まことに往生せんとおもはゞ、衆生こそ願をも行をもはげむべきに、願行は菩薩のところにはげみて感果は我等がところに成ず。これすなはち世間・出世の因果の道理に超異せり。このゆへに善導はこれを別異超世の願とほめたまへり。念佛といふはかならずしもくちに南无阿彌陀佛ととなふるのみにあらず、阿彌陀佛の功德を我等が南无の機において十劫正覺の刹那より成じいりたまひけるものをといふ信心のおこるを念佛といふなり。さて此領解をことはりあらはせば、南无阿彌陀佛といふにてあるなり。この佛心は大慈悲を本とするがゆへに、愚癡惡見の衆生をたすけたまふをさきとするゆへに、名體不二の正覺をとなへましますゆへに、佛體も名におもむき名に體の功德を具足するゆへに、なにとはかばかしくしらねども往生するなり。このゆへに佛の正覺の外に衆生の往生もなく、願も行もみな佛體より成じたまへりとしりきくを念佛の衆生といひ、この信心をことばにあらはるゝを南無阿彌陀佛といふなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明十三 十一月十四日

(一二五)
抑今月廿八日は開山聖人遷化之御正忌として、往古より每年をいはず、此一七ケ日之念佛勤行その退轉なく、報恩謝德之忠勤をぬきいづるところなり。而る間來集之門葉之類の身上に於て報恩謝德之懇志をはこぶとい へども、一念他力の眞實信心を心底にをさめざらん輩にをいては、いかなる大義をつくして報恩謝德をいたすといふとも、其志祖師聖人之御素意にも相叶がたき者也。此道理を能々分別して、報謝の志をば各々いたすべし。たゞ人まねばかりにして、名門のこゝろをかまへて、そこばくの大義をおこし、はるばるの遠路をしのぎ、此寒天に上洛をいたすといふとも、誠以「水入て垢をちず」といへる理にあたりて、以て外徒事なり。しかりといへどもたとひ今日までも其こゝろわろくして未安心之人ならば、則ち當座にをいてその不審をいたし、その眞實の信心をとらんとおもふべし。たゞ座帶にあつまりて、无言之體にて惡心をも改悔廻心せずして居たらん輩は、まことにあさましき次第なり。此趣を分別して他力金剛の眞實信心を獲得せんと思はゞ、誠以今月聖人の報恩謝德にもあひかなふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明十三年十一月廿四日
このこと葉 かきをく筆の 跡をみて
法のこゝろの ありもとぞせよ

(一二六)
夫中古已來當時に至るまでも、當流の勸化をいたすその人數の中にをひて、更に宿善の有无といふ事をしらずして勸化をなすなり。所詮自今已後にをひては、このいはれを存知せしめて、たとひ聖敎をもよみ又暫時に法門をいはん時も、このこゝろを覺悟して一流の法義をば讚嘆し、あるひは又佛法聽聞のためにとて人數おほくあつまりたらん時も、この人數のなかにをひて、もし无宿善の機やあるらんと思て、一流眞實の法義を沙汰すべからざるところに、近代人々の勸化する體たらくをみをよぶに、この覺悟はなく、たゞいづれの機なりともよく勸化せば、などか當流の安心にもとづかざらんやうにおもひはんべりき。これあやまりとしる べし。かくのごときの次第をねんごろに存知して、當流の勸化をばいたすべきものなり。中古此比にいたるまで、更にそのこゝろをえてうつくしく勸化する人なし。これらのをもむきをよくよく覺悟して、かたのごとくの勸化をばいたすべきものなり。
抑今月廿八日は每年の儀として、懈怠なく開山聖人の報恩謝德のために念佛勤行をいたさんと擬する人數これおほし。誠にもて流をくんで本源をたづぬる道理を存知せるがゆへなり。ひとへにこれ聖人の勸化のあまねきがいたすところなり。しかるあひだ近年事のほか當流に讚嘆せざるひが法門をたてゝ、諸人をまどはしめて、或はそのところの地頭・領主にもとがめられ、我身も惡見に住して當流の眞實なる安心のかたもたゞしからざるやうにみをよべり。あさましき次第にあらずや、かなしむべし、をそるべし。所詮今月報恩講七晝夜の内にをひて、各々に改悔の心ををこして、我身のあやまれるところの心中を心底にのこさずして、當寺の御影前にをひて、廻心懴悔して諸人の耳にきかしむるやうに每日每夜にかたるべし。これすなはち「謗法闡提廻心皆往」(法事讚*卷上)の御釋にもあひかなひ、又「自信敎人信」(禮讚)の義にも相應すべきものなり。しからばまことにこゝろあらん人々は、この廻心懺悔をきゝてもげにもと思て、おなじく日ごろの惡心をひるがへして善心になりかへる人もあるべし。これぞまことに今月聖人の御忌の本懷にあひかなふべし。これすなはち報恩謝德の懇志たるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明十四年十一月廿一日

(帖内四-五)

(一二七)
文明十四年[壬寅]の春くれば正月十五日といふもほどなくうちすぎぬ。しかるあひだ予年齡つもりて當年は六十八歲にをよびはんべりぬ。さるほどに心中におもふやう、御影堂大門の材木さひはいに用意してこれをうちつみをくあひだ、正月十七日より番匠がたのことはじめをさせて作事せしむるあひだ、おなじき廿八日にはすでに大門の柱立せり。それより相續して作事せしむるあひだ、ほどなく出來せり。しかうしてのち阿彌陀堂の橋隱も柱を用意してこれををく、また阿彌陀堂の四方の柱もさひはいにかねてよりつくりをくあひだ、おなじくこれも立をはりぬ。かくのごとくうちすぎゆくほどに大門の地形をひきたへらげて、總じて四壁のうち東西南北の地形も不同なるあひだ、雨ふるときは水も順流にはながれざるあひだ、諸方の不淨の惡水どもながれゆくべきかたなきあひだ、坊のまへにとゞこほるあひだ、そのしたゞりをとらんがために小堀を南北にほらせて、不淨の惡水をながしをはりぬ。その堀のはたに松うへならべ、すなはち門のまへには橋を兩所にかけぬ。しかうしてのちは愚老が冬のたき火どころとおもひて、四間の小棟づくりのありけるを、四月七日のころよりつくりなをしをはりぬ。そのゝちはつねの屋、あまりにのきひきくをかしげなるあひだ、さんぬる冬のころより吉野柱をあつらへをくあひだ、これの作事をはじむるほどに、四月廿二日にははや柱立せるあひだ、ほどなく出來して、もとの戸障子をそのまゝ立合せけるほどに、おなじき晦日には大概出來せるあひだ、そのまゝ作事をば停止せしめをはりぬ。そのゝち五月六日よりいまだ造作もとゝのほらざるあひだ、またはじめて作事するほどに、ことごとく出來せり。またあまりに寢殿の天井どもい まだこれなきあひだ、おもひたちはらせをはりぬ。しかうしてのち阿彌陀堂の佛檀いまだこれをつくらざるあひだ、おなじくこれをくはだてつくりければ、いくほどなくして出來せり。すなはちまづ本尊を六月十五日にはすえたてまつりけり。かくて月日ををくるところに、あまりに白造の佛檀なればみぐるしきとまうしけるほどに、漸々に諸方へ漆をあつらへをき、すでに潤七月二日より奈良塗師をやとひ、これをぬらしむるほどに、九月廿日ごろに出來せり。そのゝちやがて繪師をよびよせ細色をさせ、また杉障子に蓮をかゝせ、おなじく佛檀のうしろ障子にも蓮をかゝせりけり。つぎにはまた正面の唐戸もをらせてたてをはりぬ。しかるあひだ大略阿彌陀堂造作の分は出來せり。これよりのちは上葺のかわらぶきまでなり。さるほどに文明十四年の冬もいくほどなくうちくれぬれば、また文明十五年の春三月もたちて五月中旬ごろになりぬるあひだ、阿彌陀堂の瓦葺いまだ修造なきあひだ、これをくわだてばやとおもひて、やがて河内國古市郡譽田のうち野中の右馬といふ瓦師をたづねよせて、おなじき五月十三日よりはじめて瓦の土のありどころをたづぬるに、西の山といふところにこれあるよしひとかたるあひだ、人足をあつめこれをはこびとり、大葺屋をつくりたて五月中旬ごろより瓦をつくるあひだ、ほどなく出來して、すでに八月廿二日にははやふきたてにけり。しかるあひだ阿彌陀堂の分ははやことごとく修造成就するところなり。
文明十五年八月廿八日


(一二八)
文明拾五年八月廿九日、爲湯治攝州有馬郡に下向す。在所は雍州宇治郡山科之内野村之里を早旦に出、勸修寺・おぐるすを打ながめ、石田をとをり、こわ田之地藏堂を打おがみ、よど船をこぎよせて、うちのり行程に、おりふし河波靜にして、伏見山をながめゆく間、廣瀨之里にぞ船をよせて其よりあがり、いそぎゆく程に、攝津國上郡御料所之富田と云所に下著す。則此在所に一宿して、あくれば晦日なれば、いそぎ有馬郡湯山へとぞ志す。其道すがらをいへば、中城總持寺と云て、米たけの觀音のまします寺を右に見て、其より大田河原之末を渡りゆき、ぬかつかのこしをとをり、福井ガ城を右にみ、同く宿井ガ城も右にみ、則宿井河原をうちすぎて、又池田がたちも右にみていそぎ行程に、石田の茶屋をとをりしかば、是や昔より聞します田之池とかや是也と、うちながめしかば、心ろ一に一首ばかりぞつらねけり。
音に聞 ます田の池を いま見れば
つゝみのかたち それとのみしる
とかやうに思つゞけて行程に、いつのまにかはいな河と云所につきて、是にてすこしやすみ、やがて舞谷と云在所をとをり、いそぐとすれば、はや程もなく大たゞ河原を打すぎて、なま瀨の渡をして、船坂と云所へつきければ、是よりは湯山へ一里とかやきけば、うれしくてあゆみゆく程に、はや湯山もちかくなりて、岩坂にうちかゝり、やがて七坂八たうげをこえすぎて、有馬之こほり湯山之御所坊と云ふ宿へぞ下著し侍べるとて、かくぞつゞけゝり。
岩坂や 七坂八たうげ こえすぎて
ありまの山の 湯にぞつきけり
又云、
さかこえて ゑにし有馬の 湯舟には

けふぞはじめて 入ぞうれしき
と打詠じて、やがて湯つぼに入て、近比の湯也と感ぜざりし人はなし。さて其夜は我も人も、道すがらの山坂をこえしいはれによりて、くたびれて前後不覺にして臥りけり。さる程にあくれば又湯に入て後、餘に此宿の前にかけひの水又ほそ谷川之水のおつるおと、事外にかしましきあひだ、其夜之五の時分に加樣につゞけゝり。
ふる雨に にたるとおもふ 湯山の
をとかしましき やどの谷川
さる程に今日やあすと思へども、初七日之湯もすぎゆけば、餘の徒然さに、古へ此湯山へ入し事を思出すにつきて、口ずさみけり。
年をへて 又ゆの山に 入身こそ
藥師如來に ゑにしふかけれ
老の身の 命いまゝで ありま山
又湯に入らん 事もかたしや
如此日をふる間、去ぬる廿餘年になりし時、かま倉谷を久く見ざりしほどに、思立九月四日に一見せしに、あまりに彼在所おもしろかりしまゝに、かへるさにかやうに、
ゆの山を いづるけしきの 道すがら
かまくら谷の をもしろきかな
と思つゞけて、やがて湯に入しかば、其夜はくたびれてみなみなふせりあひけり。又あくれば雨が一日中ふりこめられて、もうもうとしてこそくらしけり。されども五日八日は天氣事外よかりしかば、今日は幸に藥師の縁日なればとて、藥師堂へまひり、同く坊へゆき て寺之縁起を所望して聽聞し侍べりぬ。さてあくれば九月九日之櫛句なれば、又藥師堂幷に女體權現へもまひりて、其かへさに菩提院と云寺へゆきて、坊主と雜談しければ、茶なんどをけたみけり。又十一日には同く藥師堂へまひり、寺へゆきて、院主に對面して種々之昔物語のみにてかへりぬ。やがて湯に入、其まゝやすみ侍ぬ。さる程に十三日は二七日に相當るあひだ、上洛之用意のみにて、此間之湯治中之名殘さよなんど申合て、明日十三日には早朝に湯山を出ける時に、心の内に加樣に案じけり。
日數へて 湯にやしるしの 有馬山
やまひもなをり かへる旅人
と打詠じて、湯山御所坊之宿をたちぬ。さるほどに已前之ごとく七坂八たうげこえすぎて、船坂と云所をとをりければ、四方之山々もはや木ずえの紅葉もところどころは色づきて、谷ごえに見へゆる山、もともおもしろく見へけり。おりふし時雨一とほりふりければ、これよりいそぎまゐ谷と云山家へゆきて一宿して、あくれば同十四日の早朝に米谷をたちて、はるばるとある松原をふみわけ行程に、音にきゝしゐとり野と云所をとをりすぎゆきければ、小屋野々寺も程ちかく見わたせば、つゝみのきわに小屋の池のはたをとをり、打ながめゆくほどに、尼がさきをばとをく右にみおくりてゆくまゝに、つか口と云ふたかき所に輿をたて、遠見しけるほどに、あまりのおもしろさにしばらく休息しけり。それよりしてゆくほどに、さか部若王寺をとをり、天樂づゝみを打ながめゆくほどに、かんざきの渡をして、其舟に屋形舟をこしらへて、數盃の興のみにてあそびしかば、いつとなくくらはしと云所ちかく舟をこぎのぼせつゝ、みぎわをのりてゆくほどに、中島之内賀島と云所へつきて、其れにて一宿して、あくる朝たちて、同島之内三葉と云所へたちよりて、其よ り江口の渡をして、からさきと云所へゆきて、其より舟にのりて出口へつきけり。さるほどに出口に中一日逗留して、同十七日には早朝に出口たちて、からさきの渡をして、かぶり大つかへゆきて、其より船をこしらへてのりてのぼりぬ。船中にて四方之山々を見めぐりて、いひすてなんどにてこぎゆくほどに、伏見ちかくなりぬれば、山科よりむかへとて人數あまた見へければ、ちからづきていそぎ舟をこぎよせ、其よりいそぎ山科の本坊へ上洛し侍りぬ。
文明十五年九月十七日

(一二九)
抑當月の報恩講者、開山聖人の御遷化の正忌として、例年の舊儀とす。これによりて遠國近國の門徒の彙、この時節にあひあたりて、參詣のこゝろざしをはこび報謝のまことをいたさんと欲す。しかるあひだ每年七晝夜のあひだにをひて、念佛勤行をこらしはげます。これすなはち眞實信心の行者繁昌せしむるゆへなり。まことにもて念佛得堅固の時節到來といひつべきもの歟。このゆへに七ケ日のあひだにをひて參詣をいたすともがらのなかにをひて、まことに人まねばかりに御影前へ出仕をいたすやからこれあるべし。かの仁體にをひて、はやく御影前にひざまづゐて廻心懴悔のこゝろををこして、本願の正意に歸入して、一念發起の眞實信心をまふくべきものなり。夫南无阿彌陀佛と者、すなはちこれ念佛行者の安心の體なりとおもふべし。そのゆへは南无といふは歸命なり、卽是歸命といふは、我等ごときの无善造惡の凡夫のうへにをひて、阿彌陀佛をたのみたてまつるこゝろなりとしるべし。そのた のむこゝろといふは、卽ち是、阿彌陀佛の衆生を八萬四千の大光明のなかに攝取して、往還二種の廻向を衆生にあたへましますこゝろなり。されば信心といふも別のこゝろにあらず、みな南无阿彌陀佛のうちにこもりたるものなり。ちかごろは人の別の事のやうにおもへり。これについて諸國にをひて當流門人のなかに、おほく祖師のさだめをかるゝところの聖敎の所判になきくせ法門沙汰して法義をみだす條、もてのほかの次第なり。所詮かくのごときのやからにをひては、あひかまへてこの一七ケ日報恩講の中にありて、そのあやまりをひるがへして正義にもとづくべきものなり。
一 佛法を棟梁し、かたのごとく坊主分をもちたらん人の身上にをいて、いさゝかも相承もせざるゑせ法門をもて人にかたり、我物しりとおもはれんためにとて、近代在々所々に繁昌すと[云云]。これ言語道斷の次第なり。
一 京都本願寺御影へ參詣まふす身なりといひて、いかなる人中ともいはず、大道・大路にても、又關・渡の船中にても、はゞからず佛法方の事を人に顯露にかたること、おほきなるあやまりなり。
一 人ありていはく、我身はいかなる佛法を信ずるひとぞとあひたづぬる事ありとも、しかと當流の念佛者なりとこたふべからず。たゞなに宗ともなき念佛ばかりはたふとき事と存じたるばかりなるものなりとこたふべし。これすなはち當流聖人のをしへましますところの佛法者とみえざる人のすがたなるべし。さればこれらのをもむきをよくよく存知して、外相にその色をみせざるをもて、當流の正義とおもふべきものなり。これについて兩三年のあひだ報恩講中にをひて、衆中としてさだめをくところの義一として違變あるべからず。この衆中にをひて萬一相違せしむる子細これあらば、ながき世、開山聖人の御門徒たるべからざるもの なり。あなかしこ、あなかしこ。
文明十五年十一月 日
(帖内四-六)

(一三〇)
報恩講
抑當月廿八日者例年のきうぎのため開山聖人御遷化之正忌たる處なり。依之諸國門下のたぐひ、此時節にあひあたりて、運參詣之志欲致報恩之誠。而間於每年七日不斷念佛之勤行をはげまさんと凝す。是則眞實信心之行者令繁昌謂歟。誠にもて念佛得堅固之可謂時節到來とも覺侍れ。このゆへに七晝夜勤行之内に令致參詣之輩之中にをひて、誠に人まねばかりに致出仕やからこれあるべし。彼仁にをひては、はやく御影前にありて廻心懺悔して本願の正意に歸して、一念發起の安心のおもむきをあひたづねて、ねんごろに眞實信心をまふくべきものなり。夫南无阿彌陀佛といふは、則是念佛行者之安心之體也とみえたり。そのゆへは南无といふは歸命也、歸命と者我等ごときの无善造惡の凡夫のうへにをひて、阿彌陀佛をたのみたてまつるこゝろなり。そのたのむこゝろといふは、すなはちすでに阿彌陀佛の衆生を攝取して往還二種の廻向を衆生にあたへましますこゝろなり。しかれば此比諸國にをひて當流門人の中に、おほく祖師の定めおかるゝ聖敎之所判になきくせ法門をたてゝ、當流之法義をみだすこと以外の次第也。所詮此一七ケ日報恩講の中にをひて、はやくそのあやまりをひるがへして正義にもとづくべきものなり。
一 佛法を棟梁し、如形坊主分をもちたらん人の身の うへにをひて、いさゝかも相承せざるしらぬ法門をときて人にかたり、我れものしりとおもはれんとて、えせ法門をもて人を勸化すること、近代以外在々所々に繁昌すと[云々]。これ言語道斷之次第也。
一 京都本願寺御影前へ參詣申す身なりと云て、いかなる人の中ともいはず、大道・大路にても、又關・渡の船中にても、はゞからず佛法方のことを人に顯露に沙汰すること、大なるあやまりなり。
一 人ありていはく、我身はいかなる佛法を信ずる人ぞと相尋ことありとも、しかと當流の念佛申者とはこたふべからず、たゞなに宗ともなきものなり、念佛はたふときことゝ存じたるばかりなるものとこたふべし。是則當流聖人のをしへまします所の佛法者とみえざる人のすがたなり。此等の趣をよくよくこゝろゑて、外相にその色をみせざるをもて、當流の正義とおもふべきものなり。就之此兩三年報恩講中にをひて、衆中として定置ところの義一として違變あるべからず。此衆中にをひて萬一相違之子細在之、ながき世までも開山聖人の不可爲御門徒者、堅爲衆中當年之報恩講中にをひてその成敗をいたすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明十五年十一月廿二日

(一三一)
抑此去九月晝之比より予が申せし事は、春夏之間は人之心も萬づにまぎれて情もおさまらざる程に、秋冬は夜もながく時分もよければ、佛法之物語不審なんどもあらん人々に於ては法義をも讚嘆し、一端いひきかせ、又たづねん事をもこたへんと思ふ志のあるによりて、此座敷に當年は一縁に居住すといへども、更に老若ともに無言のみにて、さてはつる體なれば、堪忍せしめたる其所詮一もなし。さるほどに九月比より極月のすえつかたになりゆく間、すでにはや年も暮なんとす。 仍愚老は年齡つもりて六十九歲ぞかし。今四、五日きたらば、すでに七旬にきはまりぬべし。又來年之此比までも存命せん事不定なるべし。返々口惜き次第どもなり。誰ありてさしたる法義を不審せしめたる人つゐに一度もこれなき間、本意の外に思へども、於于今後悔さきにたゝざる次第也。面々各々にせめて其心中一もあるべからず、たゞ天樂ばかりあれば、其を食せんとおもふ心中ばかりの人也。所詮天樂を興行する事も、あながちに食せんための其志ばかりにてはなき也。就之人々の佛法心もつきやせんと思ふばかりの事にこそ帳行はする也。さればたまたまも一帖之聖敎をもこれをよみぬれば、人々みな目をふさぎてきく由之體たらくは、さながら座頭房にことならず。あさましあさまし。又千に一も物をきける輩は佛法之底をばしらず、一端之義をきゝてこれをもて人にかたりて我名望と思へる事、近代以外之繁昌也。さるほどに今日此比は年も暮れなんとすれば、正月にもなりなば、げにも祝言已下人々の出入につけ隙もいり、又人間之すまゐなれば意はとけねども、世間につけ王法につけ遊げなんどもありぬべし。このゆへに愚老が兼より申す事これぞかし。秋冬ならでは佛法之物語は心のとまらぬ由、人々にも申しつる也。相構相構、又くる年々も其覺悟をなすべき事也。すでにはや今四、五日もすぎなば人々の心もいそがはしく、遊覽之體になりぬべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。
文明十五年十二月廿五日
文明十五年十二月廿五日申剋俄書之


(一三二)
抑今月報恩講事、例年の舊義として七日の勤行をいたすところ、いまにその退轉なし。しかるあひだこの時節にあひあたりて、諸國門葉のたぐひ、報恩謝德の懇志をはこび稱名念佛の本行をつくす。まことにこれ專修專念決定往生の德なり。このゆへに諸國參詣のともがらにをいて、一味の安心に住する人まれなるべしとみえたり。そのゆへは眞實に佛法に志はなくしてたゞ人まねばかり、あるひは仁義までの風情ならば、誠にもてなげかしき次第なり。そのいはれいかんといふに、未安心のともがらは不審の次第をも沙汰せざるときは、不信のいたりともおぼへはんべれ。さればはるばると萬里の遠路をしのぎ、又莫太の苦勞をいたして上洛せしむるところ、さらにもてその所詮なし。かなしむべし、かなしむべし。たゞし不宿善の機ならば无用といひつべきもの歟。
一 近年は佛法繁昌ともみえたれども、まことにもて坊主分の人にかぎりて、信心のすがた一向无沙汰なりときこえたり。もてのほかなげかしき次第なり。
一 すゑずゑの門下のたぐひは、他力の信心のとをり聽聞のともがらこれおほきところに、坊主よりこれを腹立せしむるよしきこへはんべり。言語道斷の次第なり。
一 田舍より參詣の面々の身上にをいてこゝろうべき旨あり。そのゆへは他人の中ともいはず、又大道・路次なんどにても、關屋・船中をもはゞからず、佛法方の讚嘆をすること勿體なき次第なり。堅停止すべきなり。
一 當流の念佛者を、或は人ありて、なに宗ぞと相たづぬる事たとひありとも、しかと當宗念佛者と答ふべからず。たゞなに宗ともなき念佛者なりとこたふべし。これすなはち我聖人のおほせをかるゝところの、佛法 者氣色みえぬふるまひなるべし。このをもむきをよくよく存知して、外相にその色をはたらくべからず。まことにこれ當流の念佛者のふるまひの正義たるべきものなり。
一 佛法の由來を、障子・かきごしに聽聞して、内心にさぞとたとひ領解すといふとも、かさねて人にそのをもむきをよくよくあひたづねて、信心のかたをば治定すべし。そのまゝ我心にまかせば、かならずかならずあやまりなるべし。ちかごろこれらの子細當時さかんなりと[云云]。
一 信心をえたるとをりをば、いくたびもいくたびも人にたづねて他力の安心をば治定すべし。一往聽聞してはかならずあやまりあるべきなり。
右此六ケ條のをもむきよくよく存知すべきものなり。近年佛法は人みな聽聞すとはいへども、一往の義をきゝて、眞實に信心決定の人これなきあひだ安心もうとうとしきがゆへなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明十六年十一月廿一日
(帖内四-七)

(一三三)
抑雍州宇治郡山科郷之内野村者、往古より無雙の勝境なり。されば山ふかく地しづかにして更にわづらはしき事なく、里とをく道さかりてかまびすしきなし。
このゆへに一宇之坊舍を建立してすでに當時は七年におよび侍べりき。佛法も大概ははやあらはれぬるかともおぼしき。依之愚老暮齡つもりて七旬にみてり。餘命といはんも不幾年緖なり。すでに年内もはや廿日ばかりの日數なればかやうにつゞけ侍べり。

七十に はやみつしほの すゑの松
老のとしなみ 又やこえなむ
[御筆もて御うつし候御本にて又うつし申候也。正本は打越祐玄に御座候也。]

(一三四)
抑今月廿八日之報恩講者、從昔年爲流例。因茲近國遠國之門葉、運報恩謝德之懇志處也。二六時中之稱名念佛、今古无退轉。是則開山聖人之法流、一天四海之勸化所致无比類也。此故相當七晝夜之時節、於不法不信之根機、往生淨土之信心可令獲得者也。是倂今月聖人之御正忌之可爲報恩。於不然輩者、似无報恩謝德之志者歟。依之此比號眞宗の念佛者中、誠自心底當流之安心无決定間、或名聞、或人竝に致報謝由之風情在之。以外不可然次第也。其故者旣凌萬里之遠路致莫太之辛勞上洛之輩、徒住名聞人竝之心中事非口惜次第哉、頗可謂不足之所存。但至无宿善之機者不及力。雖然致无二之懴悔、趣一心之正念、爭聖人之不達御本意哉。
一 諸國參詣之輩の中にをいて、在所をきらはず、何なる大道・大路、又關屋・渡之船中にても、更无其憚佛法方之次第を顯露人にかたる事、不可然事。
一 在々所々にをいて、當流に更に沙汰せざるめづらしき法門を讚嘆し、をなじく宗義になき面白き名目なんどをつかふ人これおほし。以外の僻案なり。自今已後、堅可停止者也。
一 此七ケ日報恩講中にをいては、一人ものこらず信心未定の輩は、心中をはゞからず改悔懴悔の心ををこして、眞實信心を獲得すべきものなり。
一 本より我安心のおもむきいまだ決定せしむる分もなきあひだ、其の不審をいたすべきところに、心中につゝみてありのまゝにかたらざる類あるべし。これを せめあひたづぬるところに、ありのまゝに心中をかたらずして、當場をいひぬけんとする人のみなり、无勿體次第なり。心中をのこさずかたりて、眞實信心にもとづくべきものなり。
一 近年佛法之棟梁たる坊主達、我信心はきはめて不足にて、結句門徒・同朋は信心は決定するあひだ、坊主の信心不足の由を申せば以外令腹立條、言語道斷の次第なり。已後にをいては師弟ともに可住一味之安心事。
一 坊主分之人、近比は事外重坏之由、有其聞。言語道斷不可然次第なり。あながちに酒をのむ人を停止せよといふにはあらず。佛法につけ門徒につけ、重坏なればかならずやゝもすれば醉狂のみ令出來あひだ、不可然。さあらんときは坊主分は停止せられても、誠に興隆佛法とも可謂歟。不然者一盞にても可然歟。これも佛法に志のうすきによりての事なれば、是をとゞまらざるも道理歟。ふかく思案あるべきものなり。
一 信心決定の人も、細々に同行に會合之時は、相互に信心の沙汰あらば、これすなはち眞宗繁昌之根源也。
一 當流の信心決定すといふ體は、すなはち南无阿彌陀佛の六字のすがたとこゝろうべきなり。旣善導釋して云、「言南无者卽是歸命亦是發願廻向之義言阿彌陀佛者卽是其行」(玄義分)といへり。南无と衆生が彌陀に歸命すれば、阿彌陀佛のその衆生をよくしろしめして、萬善萬行恆沙の功德をさづけたまふなり。このこゝろすなはち「阿彌陀佛卽是其行」といふこゝろなり。このゆへに南无と歸命する機と阿彌陀佛のたすけまします 法とが一體なるところをさして、機法一體の南无阿彌陀佛とは申すなり。故に阿彌陀佛之昔法藏比丘たりしとき、衆生佛にならずは我も正覺ならじとちかひましますとき、その正覺すでに成じたまひしすがたこそ、いまの南无阿彌陀佛なりとこゝろうべし。これすなはちわれらが往生のさだまりたる證據なり。されば他力の信心獲得すといふも、たゞこの六字のこゝろなりと落居すべきものなり。
抑この八ケ條之趣如此。然間當寺建立は旣に九ケ年にをよべり。每年之報恩講中にをひて、面々各々に隨分信心決定のよし領納ありといへども、昨日今日までも、その信心のおもむき不同なるあひだ、所詮なきもの歟。雖然當年之報恩講中にかぎりて、不信心のともがら、今月報恩講の中に早速に眞實信心を獲得なくは、年々を經といふとも同篇たるべき樣にみえたり。しかるあひだ愚老が年齡旣に七旬にあまりて、來年之報恩講をも期しがたき身なるあひだ、各々に眞實に決定信をえしめん人あらば、一は聖人今月の報謝のため、一は愚老がこの七、八ケ年之あひだの本懷ともおもひはんべるべきものなり。穴賢、穴賢。
文明十七年十一月廿三日
(帖内四-八)

(一三五)
そもそも今月廿八日の報恩講は昔年よりの流例たり。これによりて近國遠國の門葉、報恩謝德の懇志をはこぶところなり。二六時中の稱名念佛、今古退轉なし。これすなはち開山聖人の法流、一天四海の勸化比類なきがいたすところなり。このゆへに七晝夜の時節にあひあたり、不法不信の根機にをいては、往生淨土の信心獲得せしむべきものなり。これしかしながら今月聖人の御正忌の報恩たるべし。しからざらんともがらにをいては、報恩謝德のこゝろざしな きににたるもの歟。これによりてこのごろ眞宗念佛者と號するなかに、まことに心底より當流の安心決定なきあひだ、あるひは名聞、あるひはひとなみに報謝をいたすよしの風情これあり。もてのほかしかるべからざる次第なり。そのゆへはすでに萬里の遠路をしのぎ莫太の辛勞をいたして上洛のともがら、いたづらに名聞ひとなみの心中に住すること口をしき次第にあらずや、すこぶる不足の所存といひつべし。たゞし无宿善の機にいたりてはちからをよばず。しかりといへども无二の懴悔をいたし、一心の正念にをもむかば、いかでか聖人の御本意に達せざらんものをや。
一 諸國參詣のともがらのなかにをいて、在所をきらはず、いかなる大道・大路、また關屋・わたりの船中にても、さらにそのはゞかりなく佛法がたの次第を顯露にひとにかたること、しかるべからざること。
一 在々所々にをいて、當流にさらに沙汰せざるめづらしき法門を讚嘆し、おなじく宗義になきおもしろき名目なんどをつかふひとこれおほし。もてのほかの僻案なり。自今已後かたく停止すべきものなり。
一 この七ケ日報恩講中にをいては、一人ものこらず信心未定のともがらは、心中をはゞからず改悔懴悔の心ををこして、眞實信心を獲得すべきものなり。
一 もとよりわが安心のをもむきいまだ決定せしむる分もなきあひだ、その不審をいたすべきところに、心中につゝみてありのまゝにかたらざるたぐひあるべし。これをせめあひたづぬるところに、ありのまゝに心中をかたらずして、當場をいひぬけんとするひとのみなり、勿體なき次第なり。心中をのこさずかたりて、 眞實信心にもとづくべきものなり。
一 近年佛法の棟梁たる坊主達、わが信心はきはめて不足にて、結句門徒・同朋は信心は決定するあひだ、坊主の信心不足のよしをまふせばもてのほか腹立せしむる條、言語道斷の次第なり。已後にをいては師弟ともに一味の安心に住すべきこと。
一 坊主分のひと、ちかごろはことのほか重坏のよし、そのきこへあり。言語道斷しかるべからざる次第なり。あながちに酒をのむひとを停止せよといふにはあらず。佛法につけ門徒につけ、重坏なればかならずやゝもすれば醉狂のみ出來せしむるあひだ、しかるべからず。さあらんときは坊主分は停止せられても、まことに興隆佛法ともいひつべき歟。しからずは一盞にてもしかるべき歟。これも佛法にこゝろざしのうすきによりてのことなれば、これをとゞまらざるも道理か。ふかく思案あるべきものなり。
一 信心決定のひとも、細々に同行に會合のときは、あひたがひに信心の沙汰あらば、これすなはち眞宗繁昌の根元なり。
一 當流の信心決定すといふ體は、すなはち南无阿彌陀佛の六字のすがたとこゝろうべきなり。すでに善導釋していはく、「言南无者卽是歸命亦是發願廻向之義言阿彌陀佛者卽是其行」(玄義分)といへり。南无と衆生が彌陀に歸命すれば、阿彌陀佛のその衆生をよくしろしめして、萬善萬行恆沙の功德をさづけたまふなり。このこゝろすなはち「阿彌陀佛卽是其行」といふこゝろなり。このゆへに南无と歸命する機と阿彌陀佛のたすけまします法とが一體なるところをさして、機法一體の南无阿彌陀佛とはまふすなり。かるがゆへに阿彌陀佛のむかし法藏比丘たりしとき、衆生佛にならずはわれも正覺ならじとちかひましますとき、その正覺すでに成じたまひしすがたこそ、いまの南 无阿彌陀佛なりとこゝろうべし。これすなはちわれらが往生のさだまりたる證據なり。されば他力の信心獲得すといふも、たゞこの六字のこゝろなりと落居すべきものなり。
そもそもこの八ケ條のをもむきかくのごとし。しかるあひだ當寺建立はすでに九ケ年にをよべり。每年の報恩講中にをいて、面々各々に隨分信心決定のよし領納ありといへども、昨日今日までも、その信心のをもむき不同なるあひだ、所詮なきもの歟。しかりといへども當年の報恩講中にかぎりて、不信心のともがら、今月報恩講のうちに早速に眞實信心を獲得なくは、年々を經といふとも同篇たるべきやうにみえたり。しかるあひだ愚老が年齡すでに七旬にあまりて、來年の報恩講をも期しがたき身なるあひだ、各々に眞實に決定信をえしめんひとあらば、一は聖人今月の報謝のため、一は愚老この七、八ケ年のあひだの本懷ともおもひはんべるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明十七年十一月廿三日
(帖内四-八)

(一三六)
抑今月廿八日報恩講者往年の流例として晝夜の勤行をいたす。これによりて近國遠邦の門徒のたぐひ報恩謝德の懇志をはこび、二六時中の稱名念佛今古退轉なし。これすなはち開山聖人の法流一天四海の勸化比類なきがいたすところなり。このゆへに七晝夜の時節にあひあたりて、不法不信の根機は往生淨土の信心獲得せしむべきものなり。これしかしながら今月聖人御正忌の 報謝たるべきものなり。しからざらんともがらにをいては、報恩謝德のこゝろざしなきににたるもの歟。これによりてこのごろ當流念佛者と號するなかにをいて、まことに心底より當流安心決定せしむる分なきあひだ、あるひは名聞あるひは人竝に報謝をいたす風情これあり、もてのほかしかるべからざる次第なり。そのゆへはすでに萬里の遠路をしのぎ山川の足行をいたし上洛のともがら、いたづらに名聞・人竝の心中に住せんことくちおしき次第にあらずや。すこぶる不足の所存といひつべきもの歟。たゞし无宿善の機にいたりてはちからをよばず。しかりといへども无二の悔心をいたし、一心の正念に住せば、いかでか聖人の御意に達せざらんものをや。
一 諸國參勤のともがらのなかにをいて、在所をきらはず、いかなる大道・大路、又關屋・渡の船中ともはゞからず、當流のたゝずまゐを顯露に人にかたることかたがたもてしかるべからざる事。
一 在々所々にをいて、當流にさらに沙汰せざるめづらしき法門をいひ、聖敎を讚嘆し、おなじく宗體になきおもしろき名目なんどをつかふ人これおほし。もてのほかの僻案なり。自今已後かたく停止すべきものなり。
一 此七ケ日報恩講中にあらんともがらは、一人ものこらず信心未定の人は心中をはゞからず改悔懺悔の心ををこして、眞實の信心を獲得して國々へ下向すべきものなり。
一 本來我信心はうすくして決定せしむる分もなき人は、その不審をいたすべきところに、心中につゝみてありのまゝにかたらざる類あるべし。この人をせめあひたづぬるところに、ありのまゝに心中をかたらずして、當場をいひぬけんとする人のみこれおほし。勿體なき次第なり。あひかまへてあひかまへて心中をのこ さず懺悔して、眞實の信心を決定して、おなじく國へくだるべきものなり。
一 近年佛法の棟梁たる坊主達、我信心はきはめて不足にて、結句門徒・同朋は信心の一すぢを存知せしむるあひだ、坊主の信心不足のよしをまふすところに、もてのほか腹立せしむる事これおほし。言語道斷勿體なき次第なり。自今已後、師弟ともに一味の安心に住すべき事。
一 坊主分の人、近比はことのほか重坏のよしそのきこへあり。しかるべからざる次第なり。そのゆへは佛法・世法について、重坏のときはかならずやゝもすれば門徒に對しても醉狂のみにて、不思議なる次第も出來せしむるあひだ、かたがたもてしかるべからず。所詮酒をのみても子細なき人はしかなり、醉狂ごゝろのあらん坊主は停止せしめられば、まことにもて佛法興隆ともいひつべきもの歟。ふかく思案あるべきものなり。
一 當流の信心のをもむきは『安心決定鈔』をよくよく披見すべし。
抑信心といふ體はすなはち南无阿彌陀佛の六字のすがたなりとこゝろうべし。そのゆへは善導和尙釋云、「言南无者卽是歸命亦是發願廻向之義言阿彌陀佛者卽是其行」(玄義分)といへり。こゝろは南无と歸命すれば阿彌陀佛のその衆生をよくしろしめして、萬善萬行恆沙の功德を衆生にあたへましまして、遍照の光明をはなちててらしたまふゆへに、无明業障のおそろしきつみもきえて、他力の信心をさづけたまふあひだ、衆生の信ずる機と阿彌陀佛の法とひとつになるところを機法 一體とはいふなり。この機法一體といふはすなはち南无阿彌陀佛なり。されば往還二種の廻向といふは、この南无阿彌陀佛を信ずるこゝろなり。これによりてわれらが往生のさだまりたる證據は、たゞ南无阿彌陀佛の六字なりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明十八年十一月廿六日書之

(一三七)
抑能美郡同行中に就佛法四講と云事を始て、當流法義之是非邪正を可讚嘆興行在之由聞候。誠以佛法興隆之根元、往生淨土之支度、殊勝に覺候。就其守護・地頭方え可有慇懃之振舞候。同く寺社・本所之所領押領之儀堅可有成敗候也。
〔四講會合のとき、佛法の信不信の讚嘆のほか、世間の沙汰しかるべからず候。〕
四講之人數餘に大勢に候へば不可然、所詮肝要之人數をすぐりて佛法之可有讚嘆候也。
於當流之法義近年之間、事外路次・大道をきらはず、〔あるひはいかなるわたり船中にても人をはゞからず、〕佛法方之次第を無其憚顯露に人にかたる事不可然。
於諸國當流上人定給ふ所の法義之外にめづらしき法門を讚嘆し、同く一流に沙汰なきおもしろき名目をつかふ人多之。或又祖師先德之作り給ふ外に、めづらしき聖敎多之。努力努力此等を不可依用。
當流聖人之一流安心のおもむきといふは、すなはち南無阿彌陀佛之六字之すがたなり。そのゆへは、此六字の名號のこゝろをよくこゝろえわけたるをもて他力の信心を決定すとは申也。このゆへに善導大師此六字名號を釋していはく、
「言南無者卽是歸命亦是發願廻向之儀言阿彌陀佛者卽是其行以斯義故必得往生」(玄義分)といへり。此文の意は南無といふはすなはちこれ歸命なり、またこれ發願廻 向の義なり。阿彌陀佛といふはすなはちこれその行なり。この儀をもてのゆへにかならず往生することをうるなりといへり。此釋のこゝろはいかんといふに、南無と彌陀に歸命するこゝろは阿彌陀佛たすけたまへと申すこゝろなり、又南無と歸命する衆生に彌陀のもろもろの大功德をあたへましますこゝろなり。これすなはち彌陀如來の御方より他力の大信心をさづけたまふこゝろなり。されば彌陀を信ずる衆生の機と彌陀のさづけたまふ法とが一體なるところをさして機法一體之正覺成じたまふ南無阿彌陀佛と申す也。このゆへに他力の安心を獲得すといふも、たゞこの南無阿彌陀佛之六字のすがたをねんごろによくこゝろわけたるを安心決定の行者とはいふべきものなり。この外には當流之安心とて別にわづらはしき子細はあるべからず。しかればすなはちたゞ一念之信心決定のうへには佛恩報謝之ために行住座臥をえらばず稱名念佛すべし。これすなはち南無阿彌陀佛の體にきはまるなりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明十八年正月四日
能美郡四講中へ

(一三八)
文明十八年三月八日出口より境の濱へ出で、それより七里ばかりある和泉國かいしやう寺といふ所へ、さかひより舟にのりて一宿し、あくれば九日といふに、あさたちて、かい寺といふ池のある宮あり、それを一見しけるに、無是非おもしろさかぎりなし。その池のていを見て、
いづみなる したての池を 見るからに

心すみぬる かい寺の宮
と打ながめゆくほどに、紀伊國長尾といひし所へたちよるべきにてありし程に、そのあたりちかき所に、河なべとかやいひし河水とをくながれければ、それを見てかく思つゞけけり。
河なべの 瀨々の浪もや 水たかく
とをくながれて ながをなりけり
と思つらね侍し。誠心もおかしく思ながらつゞけけり。然間長尾の權守といひし俗人の在所へ立寄やすみて、それより又岩瀨といふ所へ一夜とまりゆきて、あくれば十日なる。いそぎゆく程に、なるかみといふ山をみて、それより田じり濱をとをり、御かぐらたうげへのぼり、それを一見して心にうかむまゝ、
かけて見ん 御かぐら山の たうげ哉
と心のうちにおもひ、又その道すがら裝束松とて、松もと四、五本だちにてありけるをみて、
きてみれば 裝束松の 御前哉
と思つゞけて、其より步ゆくまゝに、程なくはやきひゐ寺へまひり、法施禮拜をいたして下向道におもむき、ゆらりゆらりとやすらひゆくほどに、黑石濱と云所へ出にけり。それより舟にのりて淸水の浦をながめこぎゆきければ、中々心も詞もおよばれぬおもしろき事きはまりなし。されば餘の事にかくぞつらねけり。
音に聞 淸水浦に 舟にのり
岩間がくれに 見ゆる島々
と詠じて、しばらく舟の内にてながめければ、やうやう時もうつりぬればとて、それより坂十八町ばかりあがり、藤白たうげへぞのぼり、四方のけしきを見わたせば、心も心ならずをもしろかりければ、心の内にかくぞ思つゞけける。
藤白の 島や小島を ながむれば
たゞ布引の しろきはま松

とかやうにながめ、蹔ありてやすみける程に、日もやうやう西の山葉間ぢかくみえければ、さてしもあるべきならねば、のこりおほく心たらずに思へども、はや淸水浦今又かへりくだりける。思外に此所に一宿す。されば其夜又如此つゞけゝり。
此島に 名殘をおしみ 又かへり
月もろともに あかす春のよ
さる程に十一日は早旦に淸水浦を出ぬれば、名殘は猶ある心地にて思つゞけゝる。
わきいづる 淸水浦を けさははや
ながめてかへる 跡の戀しさ
といひすてゝ、はるばる見をくり、道すがらも思出にけり。然間やうやういそぐまゝに、音にきくふけゐの浦といふ所につき侍りき。これに一宿して、其夜はいまだ八聲の鳥の音もきかぬさきよりねぶりさめて、舟にのるべき心地にてありしほどに、又すてがてらにかやうにぞ。
いづみなる ふけゐ浦の 浪風に
舟こぎいづる 旅のあさだち
とうちながめ、海上はるかにこぎわたり、ほどなくさかひの濱につきにけり。
文明十八 三月十四日記之

(一三九)
それ人間はゆめまぼろしのあひだのすみかなれば、この世界にてはいかなるすまゐをし、いかなるすがたなりとも、後生をこゝろにかけて極樂に往生すべき身となりなば、これまことに大果報のひとなり。それについては、この在所に番衆にさだまること、あながち に世間世上の奉公なんどのやうにおもひては、あさましきことなり。そのゆへはすでに番衆にくわわるによりて、佛法の次第を聽聞するはありがたき宿縁なり、または彌陀如來の御方便かともおもはゞ、まことに今世・後世の勝德なるべし。ことに人間は老少不定のさかひなれば、ひさしくたもつべきいのちにもあらず。またさかんなるものもかならずおとろうるならひなれば、たゞいそぎ後生のための信心ををこして、阿彌陀佛を一心にたのみたてまつらんにすぎたることはあるべからず。されば彌陀の本願に歸するについて、さらにそのわづらはしきことなし。あるひはまた貧窮なるひとをもえらばず、富貴なるをもえらばず、つみのふかきひとをもきらはざる本願なればなり。これによりて法照禪師の釋にも、「不簡貧窮將富貴」(五會法事*讚卷本)ともいひ、また「不簡破戒罪根深」とも釋せり。この釋文のこゝろは、ひとの貧窮と富貴とをもえらばず、破戒とつみのふかきをもえらばぬ彌陀の本願なれば、わが身にとりてなにのわづらひひとつもなし。たゞ一心にもろもろの雜行のこゝろをなげすてゝ、一向に彌陀如來を信じまいらするこゝろの一念をこるところにて、わが往生極樂は一定なり。このこゝろをもて當宗には一念發起住正定聚ともいひ、また平生業成ともたつるなり。これすなはち他力行者の信心のさだまるひとなり。この信心決定ののちの念佛をば佛恩報謝の稱名とならふところなり。あなかしこ、あなかしこ。
延德二年九月廿五日

(一四〇)
抑當流の名を自他宗共に往古より一向宗と號すること大なる誤りなり。更以開山聖人より仰せ定められたることなし。殊に御作文なんどには眞宗とこそ仰せられたり。而るに諸宗之方より一向宗といはんこと不足信 用。あまさえ當流之輩も我と一向宗となのる也。夫一向宗と云は、時衆方之名なり、一遍一向是也。其源は江州ばんばの道場是則一向宗なり。此名をへつらひて如此云一向宗と歟。是言語道斷之次第也。旣に開山聖人の定めましますところの當流の名は淨土眞宗是也。其謂は先づ天下に於淨土宗四ケ流あり。西山・鎭西・九品・長樂是也。此四ケ流には當流は別儀也。法然聖人より直につたへまします宗也。此故に當流をば具に云はん時は淨土眞宗と云べし、略していはゞ眞宗と云べし。されば『敎行證』なんどには、大略眞宗とをかれたり。夫淨土眞宗とをかるゝことは、淨土宗四ケ流にはあひかはりて眞實の道理あるがゆへに、眞の字ををかれて淨土眞宗と定めたり。所詮自今已後、當流の行者は一向宗とみづからなのらん輩に於ては永不可當流門下者也。
延德二年

(一四一)
當時このころ、事外に疫癘とて人多く死去す。これ更に疫癘によりてはじめて死するにはあらず。むまれはじまる時よりして定れる定業なり。さのみふかくをどろくまじき事なり。しかれども今の時分にあたりて死去する時は、さもありぬべきやうに人みなおもへり。是誠に道理なり。さるほどに阿彌陀佛のおほせられけるやうは、末代の凡夫罪惡の衆生たらんものは、罪はいかほどふかくとも、我を一心にたのまん衆生をば、かならずすくふべしとのたまへり。かゝる時はいよいよ阿彌陀佛をたふとくおもひ奉りて一すぢに彌陀をふかくたのみ、極樂に往生すべしとおもひとりて、一向 一心に彌陀をたふときほとけなりとうたがふこゝろつゆちりほどもまじきことなり。かやうにこゝろうるすがたすなはち本願たのむ念佛の行者とはいふべきなり。このこゝろえのうへには、ねてもさめても南無阿彌陀佛とまふすは、阿彌陀佛のわれらをやすくたすけまします御ありがたさうれしさの御禮をまふすこゝろのなり。これを佛恩報盡の念佛とはまふすものなり。あなかしこ、あなかしこ。
延德W壬子R年六月十日

(一四二)當時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと死去す。これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。生れはじめしよりしてさだまれる定業なり。さのみふかくおどろくまじきことなり。しかれどもいまの時分にあたりて死去するときは、さもありぬべきやうにみなひとおもへり。これまことに道理ぞかし。このゆへに阿彌陀如來のおほせられけるやうは、末代の凡夫罪業のわれらたらんもの、つみはいかほどふかくとも、われを一心にたのまん衆生をば、かならずすくふべしとおほせられたり。かゝるときはいよいよ阿彌陀佛をふかくたのみまいらせて、極樂に往生すべしとおもひとりて、一向一心に彌陀をたふとき事とうたがふこゝろつゆちりほどももつまじきことなり。かくのごとくこゝろえのうへには、ねてもさめても南无阿彌陀佛南无阿彌陀佛とまうすは、かやうにやすくたすけまします御ありがたさ御うれしさをまうす御禮のこゝろなり。これをすなはち佛恩報謝の念佛とはまうすなり。あなかしこ、あなかしこ。
延德四年六月 日
(帖内四-九)

(一四三)
南无阿彌陀佛六字不審の事

善導釋云、「南無といふはすなはちこれ歸命、またこれ發願廻向の義なり。阿彌陀佛といふはすなはちこれその行なり。この義をもてのゆへにかならず往生することをうるなり」(玄義分)といへり。このこゝろを案ずるに、まづ南无の二字のこゝろはいかなるこゝろぞといふに、罪業ふかきわれら衆生をたすけ給へと彌陀如來にまふすこゝろなり。されば彌陀のわれら衆生のたのみたてまつる機をよくしろしめして、大善大功德の法をあたへましますゆへに、このいはれをすなはち發願廻向之義とはまふすなり。このいはれあるがゆへにかならず往生することをうるなり。このゆへに南无阿彌陀佛と申したてまつるものなり。これをすなはち他力の大信心をえたる念佛行者とはいふなり。
これらのおもむきを了珍・淨泉、在京のあひだ不審せらるゝほどに、こゝろにうかむところをかきしるしあたふるものなり。
明應二年八月廿八日俄書之
[以御筆直寫申候也。正本は加州小松了珍に御座候也。]

(一四四)
抑今月廿八日者每年爲報恩謝德如形以諸國門徒之懇志所致一七日晝夜之念佛勤行也。因茲當流に其號を懸たらん行者に於ては、相當此時節報恩をなし謝德をいたさざらんもの无之哉。まことに開山聖人之御恩德の廣大なる事は蒼瞑三千の海もかへりて淺しと可謂者歟。夫つらつら當流の宗義を案ずるに、鎭西・西山之兩流にこえすぐれたり。そのゆへは或は臨終往生を本とし、或は念佛の數篇をもて一二、三五の往生をゆるす家なり。されば此等の宗義にをひ て各別にして、當流聖人の立義はすでに一念發起平生業成の義をたてゝ宗の本意とする條、他流には大にあひかはれるものなり。就之もし我等も宿縁おろそかならば、聖人之この一流にはあひたてまつりがたき者哉。されば萬が一も此流にあひまふさずんば、すでに今度の一大事の報土往生はむなしからん事をおもふに、誠になげきてもなをなげくべきもの歟。このゆへに宿善のもよほすところ、悅ても猶悅ぶべきはたゞ此一事なり。依之諸國諸門徒之中に於て、信不信の差別可在之歟の間、所詮信不信の輩はすみやかに惡心をひるがへして、善心をもとめて眞實決定の他力信心をまふくべし。もし不然輩はたとひ今月聖人の報恩講御忌にまひりあひたりといふとも、定而聖人の御意にはあひかなひがたき者歟。依之いよいよ不信心の機は金剛堅固の大信心を決定して、此一七ケ日報恩講中にをいて報土往生の信心をよくよく決定せしめてのち、遠國の人も近國の人もをのをの本國へ下向すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明應三年霜月廿一日

(一四五)
ちかごろの事にてやありけん。こゝに越中國赤尾の淨德といふしものゝをいに、彌七といゝしをとこありけるが、年はいまだ卅にたらざりしものなりけるが、後生を大事と思て、佛法に心をかけたるものなり。然れば此六年のさきより當年まで、每年に上洛せしめて其内に年をとる事六年なり。かの男のいはく、當流の安心のやう、かたのごとく聽聞仕り候といへども、國へくだりて人をすゝめけるに、さらに人々承引せざるあひだ、一筆安心のをもむきをふみにしるしてたまはるべき由しきりに所望せしめて、田舍へまかりくだりて人々にまふしきかしめんと申すあひだ、これをかきくだすものなり。夫當流の安心と申すはなにのわづらひ もなく、もろもろの雜行をなげすてゝ、一心に彌陀如來後生御たすけ候へとまふさん人々は、たとへば十人も百人も、ことごとく淨土に往生すべき事さらにうたがひあるべからざるものなり。これを當流の安心とは申すなり。このおもむきをとかくさまたげんものはあさましきことなりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明應五年後二月廿八日 (花押)

(一四六)
當流念佛行者の安心決定せしむるすがたをたづぬるに、南无阿彌陀佛の六字のこゝろをよくよくしりたるをもて、安心決定ともまた眞實信心の行者ともなづくべきものなり。そのゆへはいかんといふに、たとへば人ありて、われらごときのあさましき一生造惡の罪障の身なれども、阿彌陀佛御たすけさふらへとふかく一念にたのみたてまつらんものをば、かならず十人も百人も、みなことごとく御たすけさふらふべきものなり。これさらにうたがふこゝろあるべからず。かやうにやすくたのむ一念の力にて御たすけさふらふことのたふとさうれしさをおもはゞ、行住座臥に念佛まうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明應五年七月十四日

(一四七)
南无阿彌陀佛とまふすはいかなるこゝろにて候や、またなにと彌陀をたのみて報土往生をばとげさふらふべきやらん。これをこゝろうべきやうは、南无阿彌陀佛の六字のすがたをよくよくこゝろゑわけて、彌陀をばたのむべし。そもそも南无阿彌陀佛の體は、すな はちわれら衆生の後生たすけたまへとたのみたてまつるこゝろなり。すなはちたのむ衆生を阿彌陀如來のよくしろしめして、すでに无上大利の功德をあたへましますなり。これを衆生に廻向したまへるといへるはこのこゝろなり。されば彌陀をたのむ機を阿彌陀佛のたすけたまふ法なるがゆへに、これを機法一體の南无阿彌陀佛といへるはこのこゝろなり。これすなはちわれらが往生のさだまりたる安心決定の行者なりとはおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明應五年八月七日依所望書之W八十二歲御判R
(帖内四-一一)

(一四八)
南无阿彌陀佛と申はいかなる心にて候や。然者何と彌陀をたのみて報土往生をばとぐべく候哉らん。これを心得べきやうは、まづ南无阿彌陀佛の六字のすがたをよくよく心得わけて、彌陀をばたのむべし。そもそも南无阿彌陀佛の體は、すなはちわれら衆生の後生たすけたまへとたのみまうすこゝろなり。すなはちたのむ衆生を阿彌陀如來のよくしろしめして、すでに无上大利の功德をあたへましますなり。これを衆生に廻向したまへるといへるはこのこゝろなり。されば彌陀をたのむ機を阿彌陀佛のたすけたまふ法なるがゆへに、これを機法一體の南无阿彌陀佛といへるはこのこゝろなり。これすなはちわれらが往生のさだまりたる他力の信心なりとはこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ
八十三歲
明應六年五月廿五日書之訖

(一四九)
南无阿彌陀佛と申すはいかなるこゝろにて候や、又な にと彌陀をたのみて報土往生をばとぐべく候やらん。これをこゝろうべきやうは、まづ南无阿彌陀佛のすがたをよくよくこゝろえわけて、彌陀をばたのむべし。抑南无阿彌陀佛の體は、すなはち我等衆生の後生たすけたまへとたのみたてまつるこゝろなり。すなはちそのたのむ衆生を阿彌陀如來のよくしろしめして、すでに无上大利の功德をあたへましますなり。これを衆生に廻向したまへるといへるはこのこゝろなり。されば彌陀をたのむ機を阿彌陀佛のたすけたまふ法なるがゆへに、これを機法一體の南无阿彌陀佛といへるはこのこゝろなり。これすなはち我等が往生のさだまりたる他力の信心なりとはこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
依所望書之 八十二歲 在御判

(一五〇)
南无阿彌陀佛と申はいかなる心にて候や、又なにと彌陀をばたのみて報土往生をとぐべく候やらむ。これを心得べきやうは、まづ南无阿彌陀佛の六字のすがたをよくよくこゝろへて、彌陀をたのむべし。抑南无阿彌陀佛の體は、すなはち我ら衆生の後生たすけたまへとたのみ奉る心なり。すなはちそのたのむ衆生を阿彌陀如來のしろしめして、すでに无上大利の功德をあたへましますなり。これをすなはち衆生に廻向したまへるといへるはこの心なり。これによりて彌陀をたのむ機を阿彌陀佛のたすけまします法なるがゆへに、機法一體の南无阿彌陀佛といへるはこの心なり。
明應七年戊午子月五日書之
八十四歲御判

老樂の 立居につきての くるしみは
たゞねがはしきは 報土往生

(一五一)
そもそも當所山科の野村にいかなる宿縁ありてか、不思議にさんぬる文明十年の春のころより、この在所にをいて一宇の坊舍を建立せしめて、當年明應五年まではすでに十九年ぞかし。これすなはち諸國門徒中の懇志をはこびしゆへなり。これによりて一心專念の行者もますますこれある歟のあひだ、法喜禪悅のおもひまことにもてあさからざるものをや。しかれば今月廿八日は開山聖人の御正忌として、每年をいはず親疎をいはず、道俗男女のともがらこの御正忌を本と存ぜしむるあひだ、諸國より來集の面々いまにをいてさらにその退轉なし。しかるにこのあひだ連々諸人のていたらくをうかゞひみるに、まことに佛法にをいて眞實信心を獲得せしめたるすがたこれなきかとみをよべり。これ一大事、またあさましき次第にあらずとおぼへはんべり。さればみな報恩謝德をいたすといへども、まことにもて「水いりてあかをちず」といへるたぐひにて、その所詮なきもの歟。しかりといへどもこの一七ケ日のうちに未安心のともがらはすみやかに改悔懴悔して、心中の不審をもことごとくはれて、眞實信心をまふけて眞實報土の往生をさだめて、われわれの本國へ下向せんこと肝要たるべきもの歟。まづ安心といふも信心といふも、なにとやうにこゝろをもち、なにとやうに信ずべきぞといふに、たとへばいかなる罪業ふかきひとも、さらにつみのおもきかろきをばうちすてゝ、かゝる罪障の凡夫を攝取したまふ彌陀の本願ぞと信じて、なにのわづらひもなく、もろもろの雜行のこゝろをうちすてゝ、一心一向に阿彌陀如來後生たすけたまへとふかくたのみたてまつらんひとは、たとへば十人も百人も千人も、みなことごとく淨土に往生すべきこ とさらにうたがひあるべからず。かやうによくこゝろえたるひとをば信心決定のひとゝなづくべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明應五年十一月廿一日

(一五二)
それ五劫思惟の本願といふも、兆載永劫の修行といふも、たゞわれら一切衆生をあながちにたすけたまはんがための方便に、阿彌陀如來、御辛勞ありて南无阿彌陀佛といふ本願をたてましまして、まよひの衆生の一念に阿彌陀佛をたのみまひらせて、もろもろの雜行をすてゝ一向一心に彌陀をたのまん衆生をたすけずんば、われ正覺をとらじとちかひたまひて、南无阿彌陀佛となりまします。これすなはちわれらがやすく極樂に往生すべきいはれなりとしるべし。されば南无阿彌陀佛の六字のこゝろは、一切衆生の報土に往生すべきすがたなり。
このゆへに南无と歸命すれば、やがて阿彌陀佛のわれらをたすけたまへるこゝろなり。このゆへに南无の二字は、衆生の彌陀如來にむかひたてまつりて後生たすけたまへと申こゝろなるべし。かやうに彌陀をたのむひとをもらさずすくひたまふこゝろこそ、阿彌陀佛の四字のこゝろにてありけりとおもふべきものなり。これによりていかなる十惡・五逆、五障・三從の女人なりとも、もろもろの雜行をすてゝひたすら後生たすけたまへとたのまんひとをば、たとへば十人もあれ百人もあれ、みなことごとくもらさずたすけたまふべし。このおもむきをうたがひなく信ぜんともがらは、眞實の彌陀の淨土に往生すべきものなり。あなかしこ、あ なかしこ。
明應六年二月十六日
(帖内五-八)

(一五三)
それ彌陀如來の本願と申す事は、末代惡世のあさましき身をすくひまします誓願なり。それにつきてはなにとやうにこゝろをもち、又なにとやうに彌陀を信じまひらせて、今度の一大事の後生をばねがふべきぞといふに、なにのやうもなく、まづ我身の惡業煩惱の心をばうちすてゝ、たゞ彌陀にまかせまひらせて、もろもろの雜行の心をとゞめて一すぢに彌陀如來今度の後生たすけたまへとひしとたのみ申さん人をば、あやまたずたすけたまふべきことさらにそのうたがひあるべからず。かやうにふかく信ぜん人をばもらさず御たすけあるべし。さてこののちには、南无阿彌陀佛南无阿彌陀佛ととなふべし。これを佛恩報盡の稱名念佛とは申すなり。このほかにはなにといふこともあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明應六年四月廿七日

(一五四)
御ふみくはしく見まひらせ候。さては信心の事うけたまはり候。十劫正覺の時往生さだまるといふ事はいはれぬ人のまふし事にて候。されば日ごろのわろき心をばうちすてゝ、これよりのちはたゞ一心に阿彌陀如來後生たすけたまへとふかくたのみ申さば、いかなるつみふかき人なりとも、かならず彌陀の御たすけにあづからん事、さらにつゆほどもうたがふ心あるべからず。そうして南无阿彌陀佛南无阿彌陀佛とねてもさめても申す心は、かやうにやすくたのむ人を御たすけある事のありがたさよと申す心にて候。これすなはち當流聖人の信心決定の人とはおほせられたる事にて候。このおもむきをよくよく心へわけられ候べき事肝要にて候。 あなかしこ、あなかしこ。
六月四日 蓮如
とち川の尼公の御かたへ
なをなをこのおもむきを、たれたれにも物がたり候べく候。

(一五五)
一 法藏菩薩の五劫兆載の願行の、凡夫願行を成ずるゆへなり。阿彌陀佛の願行を成ぜしいはれを領解するを、三心ともいひ、三信ともとき、信心ともいふなり。
一 阿みだ佛の凡夫の願行を名に成ぜしゆへを口業にあらはすを、南無あみだ佛といふ。
一 第十八の願をこゝろうるといふは、名號をこゝろうるなり。
名號をこゝろうるといふは、阿みだ佛の衆生とかはりて願行を成就して、凡夫の往生機にさきだちて成就せしきざみ、十方衆生の往生を正覺の機とせしことを願行するなり。
一 ひしと我等が往生成就せしすがたを南無あみだ佛とはいひけるといふ信心をこりぬれば、佛體すなはち我等が往生の行なるがゆへに、一聲のところに往生決定す也。
一 名號をきゝても、形儀を拜して、我往生を成じたまへる、みなときゝ、われらをわたさずは佛にならんとちかひたまひし法藏誓願むなしからずして、正覺を成じたまへる御すがたよとおもはざらんは、きくともとかざるがごとし、みるともみざるがごとし。
須之文點、用之文點可用之。
自現返得文點、當流之相承可知也。

明應六年十月廿六日書之
八十三歲(花押)

(一五六)
夫親鸞聖人のすゝめまします安心のおもむきといふは、無智罪障の身の上にをひて、なにのわづらひもなく、たゞもろもろの雜行をすてゝ、一心に阿彌陀如來をたのみ奉て後生たすけたまへとふかく彌陀を一念にたのみ奉らむ人は、たとへば十人も百人も、みなともに淨土に往生すべき事は、さらさらうたがひあるべからず。このいわれをよくよくしりたる人をば、他力の信心を獲得したる當流の念佛行者と申べし。かくのごとく眞實に決定せしめたる人のうへには、ねてもをきても佛恩報謝の稱名念佛申すべし。たゞしこれについて不審あり。そのいわれはいかんといふに、一念に彌陀をたのむうへには、あながちに念佛申さずともときこへたり。さりながらこれをこゝろうべきやうは、すでにあさましき我等なれども、なにのわづらひもなくやすくたゞ彌陀を一念にたのむちからにて、報土に往生すべき事のありがたさたふとさよと、くちにいだして申すべきを、南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛とまふせば、おなじこゝろにてあるなりとしるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明應六年拾月十四日書之
八十三歲(花押)
〔あつらへし ふみのことのは をそくとも
けふまでいのち あるをたのめよ
「彌陀大悲の誓願を ふかく信ぜんひとはみな
ねてもさめてもへだてなく 南无阿彌陀佛をとなふべし」(正像末*和讚)
八十地あまり をくる月日は けふまでも
いのちながらふ 身さゑつれなや〕


(一五七)
夫親鸞聖人のすゝめたまふ安心の趣といふは、無智罪障の身の上にをいて、なにのやうもなく、たゞもろもろの雜行をすてゝ、一心に阿彌陀如來後生たすけ給へとふかく彌陀をたのみ奉らむ輩は、たとへば十人も百人も、みなながら淨土に往生すべき事は、さらさらうたがひあるべからず。このいわれをよくしりたる人をば、他力の信心を獲得したる當流念佛行者と申すべし。かくのごとく決定せしめたる人の上には、朝夕佛恩報謝のために稱名念佛すべし。但これに不審あり。そのいわれは一念に彌陀をたのむ機の上には、あながちに念佛申さずとともきこえたり。さりながらこれを心得べきやうは、かゝるつみぶかき我等を、なにのわづらひもなくやすく彌陀を一念たのむちからにて、報土に往生すべき事のありがたさたふとさよと、くちにいだしても申べきを、たゞ南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛と申せば、おなじこゝろにてあるなりとしるべきものなりとこゝろうべし。あなかしこ、あなかしこ。
明應六年拾月十四日書之
年齡八十三歲(花押)

(一五八)
夫親鸞聖人のすゝめまします安心のおもむきは、无智罪障の身のうへにをひて、なにのわづらひもなく、たゞもろもろの雜行をすてゝ、一心に阿彌陀如來に今度一大事の後生たすけたまへとふかく彌陀を一念にたのみたてまつらん人は、たとへば十人も百人も、みなをなじく淨土に往生すべきことは、さらさらうたがひあるべからざるものなり。このいわれをよくしりたる 人をば、他力の信心を獲得したる當流の念佛行者といふべし。かくのごとくよく決定せしめたる人のうへには、ねてもさめても佛恩報謝のために稱名念佛まふすべし。たゞしこれにつひて不審あり。そのいはれをいかんといふに、一念に彌陀をたのむうへには、あながちに念佛まふさずともときこへたり。さりながらこれをこゝろうべきやうは、われらごときのあさましき身の、なにのやうもなくやすくたゞ彌陀を一念にたのむちからにて、報土に往生すべきことのありがたさたふとさよと、くちにいだしてまふすべきを、南无阿彌陀佛南无阿彌陀佛とまふせば、をなじこゝろなるがゆへにとしるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明應六年十月十四日
至于巳剋書之
八十三歲
釋蓮如
「彌陀大悲の誓願を ふかく信ぜんひとはみな
ねてもさめてもへだてなく 南无阿彌陀佛をとなふべし」(正像末*和讚)
八十地あまり をくる月日は けふまでも
いのちながらふ 身さゑつれなや

(一五九)
夫當流聖人のすゝめまします安心のおもむきは、在家无智の身のうへにをひては、なにのわづらひもなく、たゞもろもろの雜行をすてゝ、一心に阿彌陀如來をたのみたてまつりて、後生たすけたまへとふかく彌陀を一念にたのみまひらせんひとは、たとへば十人も百人も、みなことごとく淨土に往生すべきことは、さらにうたがひあるべからず。このいはれをよくこゝろえたるひとを、他力の信心を獲得したる當流の念佛の行者といふべし。かくのごとく眞實に決定せしめたるひとのうへには、ねてもさめても佛恩報謝のために稱名念 佛まふすべし。たゞしこれにつきて不審あり。そのいはれはいかんといふに、すでにはや一念に彌陀をたのみまふすうへには、あながちに念佛まふさずともときこえたり。さりながらこれをこゝろうべきやうは、かゝるあさましき罪業のわれらを、なにのわづらひもなくたゞ一念彌陀をたのむちからにて、やすく彌陀の淨土に往生すべきことのありがたさたふとさよと、くちにいだしていくたびもまふすべきことなれども、たゞ南无阿彌陀佛南无阿彌陀佛とまうせば、をなじこゝろにてある道理なれば、かやうにこゑにいだしてもまふすべきものなりとこゝろうべきなり。あなかしこ、あなかしこ。
明應六年拾月十五日
書之
八十三歲
在御判

(一六〇)
夫開山聖人のすゝめまします當流安心と申は、一念發起平生業成とたてゝ、いかなる愚癡无智の身のうへにをひても、なにのわづらひもなく、たゞもろもろ雜行をすてゝ、一心に阿彌陀如來後生たすけたまへとふかく彌陀を一念にたのみたてまつらん人は、たとへば十人も百人も、みなことごとく淨土に往生すべきことは、更々そのうたがひあるべからざるものなり。この道理をよくこゝろへたる人をこそ、信心獲得せしめたる當流の他力の行者とは申侍るべきものなり。かくのごとく決定したる人は、かならず行住座臥に佛恩報盡の稱名念佛申すべし。たゞし就是に不審あり。その謂れは いかんといふに、すでに一念に彌陀をたのむ機のうへには、あながちに念佛申さずともときこへたり。さりながらこれをこゝろうべきやうはいかんといふに、すでにかゝる罪障のふかき身のうへにをひて、一念に彌陀をたのむちからばかりにて、なにのわづらひもなくやすく報土に往生すべきことのありがたさたふとさよと、いくたびもくちにいだして申すべきことなれども、南无阿彌陀佛南无阿彌陀佛と申せば、則をなじこゝろにてあるなりときけば、なをなをたふとくおもひたてまつりて申すなりとしるべし。穴賢、穴賢。
明應六年十一月中旬
なきあとに 我れをわすれぬ 人もあらば
なを彌陀たのむ こゝろをこせよ

(一六一)
一 それ開山聖人のすゝめましますところの當流の安心とまうすは、无智罪障の身のうへにをいて、なにのやうもなく、たゞもろもろの雜行をすてゝ、一心に阿彌陀如來後生たすけたまへとふかく彌陀を一念にたのみたてまつらんひとは、たとへば十人も百人も、みなことごとく極樂に往生すべきこと、さらさらうたがひあるべからざるものなり。この道理をよくしりたるひとをこそ、信心獲得せしめたる當流の他力行者とはまうしはんべるべきものなり。かくのごとくよくよく決定したるひとのうへには、ねてもさめてもたゞ佛恩報盡の稱名念佛まうすべし。これについて不審あり。そのゆへはすでに一念に彌陀をたのむ機のうへには、あながちに念佛まうさずともときこへたり。さりながらこれをこゝろうべきやうはいかんといふに、すでにかゝる罪業の身ながら、一念に彌陀をたのむちからばかりにて、やすく極樂に往生すべきことのありがたさたふとさよとおもひて、くちにいくたびもいだしてもまうすべきを、たゞ南无阿彌陀佛南无阿彌陀佛とまう せば、それがおなじこゝろにてあるなりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明應六年W丁巳R十一月廿日

(一六二)
一 そもそも報恩講のこと、當年より每朝六時よりゆふべの六時にをいて、みなことごとく退散あるべし。このむねをあひそむかんともがらは門徒たるべからざるものなり。それ當流開山の一義は餘の淨土宗にはおほきに義理各別にしてあひかはりたりとしるべし。されば當流の義は、わが身の罪障のふかきにはこゝろをかけずして、たゞもろもろの雜行のこゝろをふりすてゝ、阿彌陀如來を一心一向にたのみたてまつりて、後生たすけたまへとまうすひとをば、かならず十人も百人も、みなことごとくたすけたまふべし。これすなはち彌陀如來のちかひまします正覺の一念といへるはこのこゝろなりとしるべし。このこゝろを當流には一念發起平生業成とはまうしならふなり。しかればみなひとの本願をたのむとはいへども、さらにおもひいれて彌陀をたのむひとなきがゆへに、往生をとぐることまれなり。このゆへに今日今時より一心に彌陀如來われらが今度の後生たすけたまへとひしとたのみまいらせんひとは、かならず淨土に往生すべきこと、さらにもてそのうたがひあるべからざるものなり。このうへには行住座臥に稱名念佛まうすべきものなり。これについて不審あり。そのいはれいかんといふに、一念に彌陀をたのむところにて往生さだまるときは、あながちに念佛まうさずともときこへたり。さりながらこれをこゝろうべきやうは、かゝる罪障のあさましき身なれ ども、一念に彌陀をたのむちからばかりにて、やすく報土に往生すべきことの、身にあまるありがたさたふとさよと、くちにいだしていくたびもまうすべきことなれども、たゞ南无阿彌陀佛南无阿彌陀佛とまうせばすなはち佛恩報盡のこゝろにあひあたれりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明應六年W丁巳R十一月廿一日

(一六三)
抑開山聖人の一義は、餘の淨土宗に大に義理各別にしてあひかはれりとしるべし。されば當流の義は、我身の罪障のふかきに心をかけずして、もろもろの雜行のこゝろをふりすてゝ、たゞ阿彌陀如來を一心一向にたのみ奉りて後生たすけ給へと申す人は、たとへば十人も百人も、みなともにたすけたまふべし。これすなはち法藏菩薩のちかひまします正覺の一念といへるはこのこゝろなりとこゝろうべし。この義を當流には一念發起平生業成とはまふすなり。しかればみな人の本願をばたのむとはいへども、さらにおもひいれてたのむ人なきがゆへに、眞實報土の往生をとぐる人まれなり。されば一心といふうちには、もろもろの雜行をふりすてたるをこそ一心とはいへるこゝろなり。しかればこのごろの當流の念佛者はみなみな心をとめて、一心に阿彌陀如來をふかくたのみまひらせて後生たすけ給へとおもはん人々は、かならず眞實報土の往生をとぐべきことさらにそのうたがひあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(一六四)
そもそもこの在所大坂にをひていかなる往昔の宿縁ありてか、すでにさりぬる明應第五の秋のころよりかりそめながらかたのごとく一宇の坊舍を建立せしめ、また當年明應六年の仲冬下旬のふゆにいたり、かつがつ周備滿足のていたらく、まことに法力のいたり歟、 また念佛得堅固のいはれか、これしかしながら聖人の御用にあらずや。これによりて門徒のともがら一同に普請造作にこゝろをつくして粉骨をいたさしむる條、眞實眞實、往生淨土ののぞみ、これあるかのいはれ歟、殊勝におぼえはんべりぬ。しかれば當年聖人の報恩講中より來集の門徒のひと、一向に往生極樂の他力信心を決定せしめて、今度の一大事の報土往生をとげしめたまはゞ、これしかしながら今月廿八日の聖人の御本源にあひかなふべきものをや。信ずべし、よろこぶべし。それ當流聖人の御勸化の安心といふは、あながちに罪障の輕重をいはず、たゞ一念に彌陀如來後生たすけたまへと歸命せんともがらは、一人としても報土往生をとげずといふことあるべからずと、をのをのこゝろうべし。このほかにはさらに別の子細あるべからずとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明應六年十一月廿五日

(一六五)
一 當流のこゝろは一念發起平生業成とたてゝ、もろもろの雜行をすてゝ一心に彌陀如來後生たすけたまへとふかくたのまんひとは、かならず報土に往生すべきこと決定なり。これすなはち當流の平生業成の義なり。このうへに念佛まふすは、彌陀如來のやすく御たすけにあづかりたる御恩の念佛なりとこゝろうべきものなり。これすなはち當流の眞實の義なり。または正覺の一念といふもこのこゝろなりとしるべし。
一 鎭西には當得往生とたてゝ、來迎をたのむ家なり。これ『觀經』のこゝろなり。

一 西山には卽便往生とたてゝ、三心だにも決定すれば、自餘の雜行をゆるし、來迎を本とするなり。これも『觀經』のこゝろなり。
一 長樂寺には報土・邊地をたてゝ、報土を本とするなり。こればかりは當流におなじきなり。これも雜行をばゆるすなり。
一 法性法身・方便法身の事、法身といふは體相なきなり。
一 方便法身といふは應身如來のことなり。淨土の彌陀はみな方便法身なりとしるべし。
一 補處といふは彌勒のことをまふすなり。釋尊のあとをつぎて出世あるべき菩薩なれば、補處の菩薩といふなり。總じて佛のあとをつぐによりて補處といふなり。いまの念佛の行者も、彌勒の三會のあかつきさとりをひらくべきやうに、念佛者も一期のいのちつきて極樂に往生すべきこと、彌勒におなじきがゆへに、彌勒にひとしとはいふなり。
明應六年

(一六六)
いまの世にあらん女人は、みなみな心をひとつにして阿彌陀如來をふかくたのみたてまつるべし。そのほかにはいづれの法を信ずといふとも、後生のたすかるといふ事はゆめゆめあるべからずとおもふべし。されば彌陀をばなにとやうにたのみ、又後生をばなにとねがふべきぞといふに、なにのわづらひもなくたゞ一心に彌陀をたのみ、後生たすけたまへとふかくたのみまふさむ人をば、かならず御たすけあらん事は、さらさら露ほどもうたがひあるべからざるものなり。このうへには、はやしかと御たすけあるべきことのありがたさよとおもひて、佛恩報謝のために念佛申べきばかりなり。あなかしこ、あなかしこ。
八十三歲

(帖内四-一〇)

(一六七)
いまの時の世にあらむ女人は、あひかまいてみなみな心をひとつにして、一心に阿彌陀如來をふかくたのみたてまつるべし。そのほかにはいづれの法を信ずといふとも、後生のたすかるといふ事ゆめゆめあるべからずとおもふべし。されば彌陀をばなにとやうにたのみ、後生をばなにとねがふべきぞといふに、なにのわづらひもなくたゞ一心に彌陀をたのみ、後生たすけたまへとふかくたのみ申さむ人を、かならず御たすけあらむ事は、さらさら露ほどもそのうたがひあるべからざるものなり。このうへには、しかと御たすけあるべき事の御うれしさよとおもひて、佛恩報謝のために念佛申べきばかりなり。あなかしこ、あなかしこ。

(一六八)
一 信心獲得すといふは第十八の願をこゝろうるなり。この願をこゝろうるといふは、南无阿彌陀佛のすがたをこゝろうるなり。このゆへに南无と歸命する一念のところに發願廻向のこゝろあるべし。これすなはち彌陀如來の凡夫に廻向しましますこゝろなり。これを『大經』(卷上)には、「令諸衆生功德成就」ととけり。されば无始已來つくりとつくる惡業煩惱を、のこるところもなく願力不思議をもて消滅するいはれあるがゆへに、正定聚不退のくらゐに住すとなり。これによりて煩惱を斷ぜずして涅槃をうといへるはこのこゝろなり。この義は當流一途の所談なるものなり。他流のひとに對してかくのごとく沙汰あるべからざるところなり。よくよくこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかし こ。
明應六年
(帖内五-五)

(一六九)
一念に彌陀をたのみたてまつる行者には、无上大利の功德をあたへたまふこゝろを『和讚』(正像末*和讚)に聖人のいはく、
五濁惡世の有情の 選擇本願信ずれば
不可稱不可說不可思議の 功德は行者の身にみてり
この『和讚』のこゝろは、「五濁惡世の衆生」といふは、一切我等女人・惡人のことなり。さればかゝるあさましき一生造惡の凡夫なれども、彌陀如來を一心一向にたのみまひらせて、後生たすけたまへとまふさんものをば、かならずすくひましますべきこと、さらにうたがふべからず。かやうに彌陀をたのみまふすものには、不可稱不可說不可思議の大功德をあたへましますなり。「不可稱不可說不可思議の功德」といふことは、かずかぎりもなき大功德のことなり。この大功德を一念に彌陀をたのみまふす我等衆生に廻向しましますゆへに、過去・未來・現在の三世の業障一時につみきえて、正定聚のくらゐ、また等正覺のくらゐなんどにさだまるものなり。このこゝろをまた『和讚』(正像末*和讚)にいはく、「彌陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな 攝取不捨の利益にて 无上覺をばさとるなり」といへり。「攝取不捨」といふは、これも一念に彌陀をたのみたてまつる衆生を光明のなかにおさめとりて、信ずるこゝろだにもかはらねばすてたまはずといふこゝろなり。このほかにいろいろの法門どもおほくありといへども、たゞ一念に彌陀をたのむ衆生はみなことごとく報土に往生すべきこと、ゆめゆめうたがふこゝろあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
〔明應六年〕

(帖内五-六)

(一七〇)
一 そもそも十惡・五逆、五障・三從の女人も、たゞもろもろの雜行をすてゝ一心に彌陀の本願を信じ、阿彌陀如來今度の後生たすけたまへとふかくたのまんひとは、みな極樂に往生すべきこと、さらさらうたがひあるべからず。これすなはち一念の往生さだまりたるこゝろなりとおもふべし。このうへにはたゞねてもさめても後生をやすくたすけまします彌陀如來の御恩のありがたさたふとさをおもひまひらせて、つねに念佛まうすべし。このほかに別の子細あるべからざるものなり。また人間のありさまは、やまひにをかさればすなはち往生すべしとおもふべし。さりながら定業もきたらざればまたとりなをすこともあるべし。さらにさだめなきことなり。よくよくこゝろをしづめて念佛まうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明應七年二月 日

(一七一)
抑十惡・五逆の罪人も、五障・三從の女人も、たゞもろもろの雜行をすてゝ一向一心に彌陀の本願を信じて、阿彌陀如來後生たすけ給へとふかくたのまん人は、みなことごとく極樂に往生せん事、さらにそのうたがひあるべからず。これすなはち我らが一念の往生さだまりたる心なりとおもふべし。かやうにこゝろへたるうへには、ねてもさめても彌陀如來の御たすけあるべき御恩のありがたさたふとさをおもひまいらせて念佛申べし。このほかには別の子細あるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。

明應七年二月 日
[以御筆御うつし候御本にてうつし申候也。正本若狹小濱隼人殿に御座候也。]

(一七二)
抑十惡・五逆の輩も、五障・三從の女人も、たゞもろもろの雜行のこゝろをうちすてゝ一すぢに彌陀の本願を信じ、彌陀如來後生たすけたまへとふかくたのまむ人は、みなことごとく極樂に往生すべき事、さらさらうたがひあるべからず。これすなはち我らが一念の往生さだまりたるこゝろなりとおもふべし。このうへにはたゞ行住座臥に後生をやすくたすけまします彌陀如來の御恩のありがたさたふとさをおもひまいらせて念佛申べし。このほかには別の子細あるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
〔このごろは 八十地にあまる 冬くれて
春をもまたぬ 老らくの身や〕
明應七年九月廿八日書之
八十四歲
右此如御文可有信心決定候。能々此通門徒中可有勸化事肝要候。
御判
[御判も上樣の御はん也。]
[上樣の以御筆直うつし申候也。正本は加州本光寺候也。]

(一七三)
抑十惡・五逆といふつみふかき人も、また五障・三從の女人も、萬事をなげすてゝ一心に阿彌陀如來このたびの後生たすけたまへと、ひしとたのまんひとは、十人も百人もみなともに極樂世界に往生すべきこと、さらにうたがふこゝろつゆちりほどもあるべからず。このほかにはねてもさめても南无阿彌陀佛南无阿彌陀佛とまうすこゝろは、たゞ一念に彌陀如來をたのみたてまつるところに、なにのやうもなくたすけまします彌 陀如來の御恩のありがたさたふとさをおもひまいらせて念佛まうすなり。これすなはち彌陀の御恩を報じまうすこゝろなりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
〔明應七年拾月廿八日A八十四歲書之B御判C〕

(一七四)
そもそも十惡・五逆といふつみふかき人も、また五障・三從の女人も、もろもろの雜行をうちすてゝ、一心に阿彌陀如來にむかひたてまつりて今度の後生をたすけたまへと、ひしとたのみ申さん人は、十人も百人もみなことごとく極樂淨土に往生すべき事、さらにうたがふこゝろつゆちりほどもあるべからず。このほかにはたゞねてもさめても南无阿彌陀佛とまふすこゝろはなにとしたるこゝろぞといふに、たとへば一念に阿彌陀佛をたのみたてまつるところに、なにのわづらひもなくやすくたすけまします彌陀如來の御恩のありがたさたふとさをおもひまいらせて念佛申べし。これをすなはち彌陀如來の御恩報謝の念佛とは申こゝろなりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明應七年極月上旬第八日書之

(一七五)
そもそも每月兩度の寄合の由來はなにのためぞといふに、さらに他のことにあらず、自身の往生極樂の信心獲得のためなるがゆへなり。しかれば往古よりいまにいたるまで、每月の寄合といふことは、いづくにもこれありといへども、さらに信心の沙汰とてはかつてもてこれなし。ことに近年はいづくにも寄合のときは、 たゞ酒・飯・茶なんどばかりにてみなみな退散せり。これは佛法の本意にはしかるべからざる次第なり。いかにも不信の面々は一段の不審をもたてゝ、信心の有无を沙汰すべきところに、なにの所詮もなく退散せしむる條、しかるべからずおぼへはんべり。よくよく思案をめぐらすべきことなり。所詮自今已後にをひては、不信の面々はあひたがひに信心の讚嘆あるべきこと肝要なり。それ當流の安心のをもむきといふは、あながちにわが身の罪障のふかきによらず、たゞもろもろの雜行のこゝろをやめて、一心に阿彌陀如來に歸命して、今度の一大事の後生たすけたまへとふかくたのまん衆生をば、ことごとくたすけたまふべきことさらにうたがひあるべからず。かくのごとくよくこゝろえたるひとは、まことに百卽百生なるべきなり。このうへには每月の寄合をいたしても、報恩謝德のためとこゝろえなば、これこそ眞實の信心を具足せしめたる行者ともなづくべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明應七年二月廿五日書之
每月兩度講衆中へ
八十四歲 御判
(帖内四-一二)

(一七六)
それ一切の女人の身は、ひとしれずつみのふかきこと、上臘にも下主にもよらぬあさましき身なりとおもふべし。それにつきてはなにとやうに彌陀を信ずべきぞといふに、なにのわづらひもなく阿彌陀如來をひしとたのみまひらせて、今度の一大事の後生たすけたまへとまふさん女人をば、あやまたずたすけたまふべし。さてわが身のつみのふかきことをばうちすてゝ、彌陀にまかせまいらせて、たゞ一心に彌陀如來後生たすけたまへとたのみまふさば、その身をよくしろしめしてたすけたまふべきことうたがひあるべからず。たとへ ば十人ありとも百人ありとも、みなことごとく極樂に往生すべきこと、さらにそのうたがふこゝろつゆちりほどももつべからず。かやうに信ぜん女人は淨土にむまるべし。かくのごとくやすきことを、いままで信じたてまつらざることのあさましさよとおもひて、なをなをふかく彌陀如來をたのみたてまつるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明應七年三月 日
(帖内五-一四)

(一七七)
當流安心之體事
南无阿彌陀佛の六字のすがたなり。この六字を善導釋していはく、「言南无者卽是歸命亦是發願廻向之義言阿彌陀佛者卽是其行以斯義故必得往生」(玄義分)といへり。「南无」といふ二字は、歸命といふこゝろなり。「歸命」といふは、衆生の阿彌陀佛後生たすけたまへとたのみたてまつるこゝろなり。また「發願廻向」といふは、たのむところの衆生を攝取してすくひたまふこゝろなり。これすなはち「阿彌陀佛」の四字のこゝろなり。さればわれら愚癡闇鈍の衆生は、なにのわづらひもなく、もろもろの雜行をすてゝ、一向一心に後生たすけましませと彌陀をたのめば、決定極樂に往生すべきこと、さらにそのうたがひなし。このゆへに南无の二字は、衆生の彌陀をたのむ機のかたなり。また阿彌陀佛の四字は、たのむ衆生をたすけましますかたの法なれば、これすなはち機法一體の南无阿彌陀佛とまうすこゝろなり。この道理なるがゆへに、われら一切衆生の往生の體は南无阿彌陀佛なりとこゝろうべきものなり。あなかし こ、あなかしこ。
明應七年戊午卯月十日書之 八十四歲
(帖内四-一四)

(一七八)
それ秋さり春さり、すでに當年は明應第七孟夏仲旬ごろになりぬれば、予が年齡つもりて八十四歲ぞかし。しかるに當年にかぎりて、ことのほか病氣におかさるゝあひだ、耳目・手足・身體これやすからざるあひだ、これしかしながら業病のいたりなり。または往生極樂の先相なりと覺悟せしむるところなり。これによりて法然上人の御詞云、「淨土をねがふ行人は、病患をゑてひとへにこれをたのしむ」(選擇私集鈔卷四意*傳通記糅鈔卷四三意)とこそおほせられたり。しかれどもあながちに病患をよろこぶこゝろ、さらにもてをこらず、あさましき身なり、はづべし、かなしむべきもの歟。さりながら予が安心の一途、一念發起平生業成の宗旨にをひては、いま一定のあひだ佛恩報盡の稱名は行住座臥にわすれざること間斷なし。これについてこゝに愚老一身の述懷これあり。そのいはれはわれら居住の在所々の門下のともがらにをひては、おほよす心中をみおよぶに、さらにとりつめて信心決定のすがたこれなしとおもひはんべり。おほきになげきおもふところなり。そのゆへは愚老すでに八旬のよはひすぐるまで存命せしむるしるしには、信心決定の行者繁昌ありてこそ、命ながきしるしともおもひはんべるべきに、さらにしかしかとも決定せしむるすがたこれなしとみおよべり。そのいはれをいかんといふに、そもそも人間界の老少不定のことをおもふにつけても、いかなるやまひをうけてか死せんや。かゝる世のなかの風情なれば、いかにも一日も片時もいそぎて信心決定して、今度の往生極樂を一定して、そののち人間のありさまにまかせて、世をすごすべきこと肝要なり とみなみなこゝろうべし。このおもむきを心中におもひいれて、一念に彌陀をたのむこゝろをふかくおこすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明應七年初夏仲旬第一日八十四歲老衲書之
彌陀の名を きゝうることの あるならば
南无阿彌陀佛と たのめみなひと
(帖内四-一三)

(一七九)
抑今日の聖敎を聽聞のためにとて、皆々これへ御より候ことは、信心の謂れをよくよくこゝろゑられ候て、今日よりは御こゝろをうかうかと御もち候はで、きゝわけられ候はでは、なにの所用もなきことにてあるべく候。そのいはれをたゞいままふすべく候。御耳をすまして、よくよくきこしめし候べし。
夫安心と申は、もろもろの雜行をすてゝ一心に彌陀如來をたのみ、今度の我等が後生たすけたまへと申すをこそ、安心を決定したる行者とは申候なれ。此謂れをしりてのうへの佛恩報謝の念佛とは申すことにて候なり。されば聖人の『和讚』(正像末*和讚)にも、「智慧の念佛うることは 法藏願力のなせるなり 信心の智慧にいりてこそ 佛恩報ずる身とはなれ」とおほせられたり。このこゝろをもてこゝろへられ候はんこと肝要にて候。それについてはまづ「念佛の行者、南无阿彌陀佛の名號をきかば、あは、はやわが往生は成就しにけり、十方衆生、往生成就せずは正覺とらじとちかひたまひし法藏菩薩の正覺の果名なるがゆへにとおもふべし」(安心決定*鈔卷本意)といへり。又「極樂といふ名をきかば、あは、我が往生すべきところを成就したまひにけり、衆生往生せず は正覺とらじとちかひたまひし法藏比丘の成就したまへる極樂よとおもふべし」(安心決定*鈔卷本)。又「本願を信じ名號をとなふとも、餘所なる佛の功德とおもひて名號に功をいれなば、などか往生をとげざらんなんどおもはんは、かなしかるべきことなり。ひしとわれらが往生成就せしすがたを南无阿彌陀佛とはいひけるといふ信心をこりぬれば、佛體すなはちわれらが往生の行なるがゆへに、一聲のところに往生を決定するなり」(安心決定*鈔卷本)。このこゝろは、安心をとりてのうへのことどもにて侍べるなりとこゝろゑらるべきことなりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明應七年五月下旬

(一八〇)
抑今日、御影前へ御まいり候面々は、聖敎をよみ候を御聽聞のためにてぞ御入候らん。さればいづれの所にても聖敎を聽聞せられ候ときも、その義理をきゝわけらるゝ分も更に候はで、たゞ人目計のやうにみなみなあつまられ候ことは、なにの篇目もなきやうにおぼへ候。夫聖敎をよみ候ことも、他力の信心をとらしめんがためにこそよみ候ことにて候に、更にその謂れをきゝわけ候て、わが信のあさきをもなをされ候はんことこそ佛法の本意にてはあるべきに、每日に聖敎があるとては、しるもしらぬもよられ候ことは、所詮もなきことにて候。今日よりしてはあひかまへてその謂れをきゝわけられ候て、もとの信心のわろきことをも人にたづねられ候てなをされ候はでは、かなふべからず候。その分をよくよくこゝろゑられ候て聽聞候はゞ、自行化他のため可然ことにて候。そのとをりをあらまし只今申侍るべく候。御耳をすまして御きゝ候へ。夫安心と申は、いかなるつみのふかき人も、もろもろの雜行をすてゝ一心に彌陀如來をたのみ、今度の我等が後生たすけたまへとまふすをこそ、安心を決定したる 念佛の行者とは申すなり。この謂れをよく決定してのうへの佛恩報謝のためといへることにては候なれ。されば聖人の『和讚』(正像末*和讚)にもこのこゝろを、「智慧の念佛うることは 法藏願力のなせるなり 信心の智慧なかりせば いかでか涅槃をさとらまし」とをほせられたり。此信心をよくよく決定候はでは、佛恩報盡とまふすことはあるまじきことにて候。なにと御こゝろへ候やらん。この分をよくよく御こゝろへ候て、みなみな御かへり候はゞ、やがてやどやどにても信心のとをりをあひたがひに沙汰せられ候て、信心決定候はゞ、今度の往生極樂は一定にてあるべきことにて候。あなかしこ、あなかしこ。
明應七年五月下旬

(一八一)
抑今月は旣に前住上人の御正忌にてわたらせをはしますあひだ、未安心の人々は信心をよくよくとらせたまひ候はゞ、すなはち今月前住の報謝ともなるべく候。さればこの去ぬる夏比よりこの間にいたるまで、每日に如形、耳ぢかなる聖敎のぬきがきなんどをゑらびいだして、あらあらよみ申すやうに候といへども、來臨の道俗男女を凡みをよび申し候に、いつも體にて更にそのいろもみゑましまさずとおぼへ候。所詮それをいかんと申し候に、每日の聖敎になにたることをたふときとも、又殊勝なるとも申され候人々の一人も御入候はぬ時は、なにの諸篇もなきことにて候。信心のとをりをも又ひとすぢめを御きゝわけ候てこそ連々の聽聞の一かどにても候はんずるに、うかうかと御入候體た らく、言語道斷不可然覺へ候。たとへば聖敎をよみ候と申すも、他力信心をとらしめんがためばかりのことにて候間、初心のかたがたはあひかまへて今日のこの御影前を御たちいで候はゞ、やがて不審なることをも申れて、人々にたづね申され候て、信心決定せられ候はんずることこそ肝要たるべく候。その分よくよく御こゝろえあるべく候。それにつき候ては、なにまでも入候まじく候。彌陀をたのみ信心を御とりあるべく候。その安心のすがたを、たゞいまめづらしからず候へども申すべく候。御こゝろをしづめ、ねぶりをさましてねんごろに聽聞候へ。夫親鸞聖人のすゝめましまし候他力の安心と申は、なにのやうもなく一心に彌陀如來をひしとたのみ、後生たすけたまへと申さん人々は、十人も百人ものこらず極樂に往生すべきこと、さらにそのうたがひあるべからず候。この分を面々各々に御こゝろゑ候て、みなみな本々へ御かへりあるべく候。あなかしこ、あなかしこ。
明應七年六月中旬

(一八二)
抑今月十八日の前へに、安心の次第あらあら御ものがたり申候處に、面々聽聞の御人數のかたがたいかゞ御こゝろゑ候や、御こゝろもとなくおぼへ候。いくたび申てもたゞをなじ體に御きゝなし候ては、每日にをひて隨分勘文をよみ申候その甲斐もあるべからず、たゞ一すぢめの信心のとをり御こゝろゑの分も候はでは、更々无所詮ことにて候。されば未安心の御すがた、たゞ人目ばかりの御心中を御もち候かたがたは、每日の聖敎には中々聽聞のこと无益かとおぼへ候。その謂れはいかんと申候に、はや此夏中もなかばゝすぎて廿四、五日の間のことにて候。又上來も每日聖敎の勘文をゑらびよみ申候へども、たれにても一人として、今日の聖敎になにと申したることのたふときとも、又不 審なるともおほせられ候人數、一人も御入候はず候。此夏中と申さんもいまのことにて候間、みなみな人目ばかり名聞の體たらく、言語道斷あさましくおぼへ候。これほどに每日耳ぢかに聖敎の中をゑらびいだし申候へども、つれなく御わたり候こと、誠にことのたとへに鹿の角をはちのさしたるやうに、みなみなおぼしめし候間、千萬千萬无勿體候。一は无道心、一は无興隆ともおぼへ候。此聖敎をよみ申候はんも、今卅日の内のことにて候。いつまでのやうにつれなく御心中も御なをり候はでは、眞實眞實、无道心に候。誠にたからの山にいりて、手をむなしくしてかへらんにひとしかるべく候。さればとて當流の安心をとられ候はんにつけても、なにのわづらゐか御わたり候はんや。今日よりしてひしとみなみなおぼしめしたち候て、信心を決定候て、このたびの往生極樂をおぼしめしさだめられ候はゞ、誠に上人の御素意にも本意とおぼしめし候べきものなり。この夏の初よりすでに百日のあひだ、かたのごとく安心のおもむき申候といへども、誠に御心におもひいれられ候すがたも、さのみみゑたまひ候はずおぼへ候。すでに夏中と申も今日明日ばかりのことにて候。こののちも此間の體たらくにて御入あるべく候や、あさましくおぼえ候。よくよく安心の次第、人にあひたづねられ候て決定せられべく候。はや明日までのことにて候間、如此かたく申候なり。よくよく御こゝろゑあるべく候也。あなかしこ、あなかしこ。
明應七年七月中旬

(一八三)
そもそもたゞいまこのあなたのひろ縁にきたりあつま るひとびとは、なにの要ありてかよなよなにかぎりあつまるぞとおもふに、おほよす佛法の次第聽聞のこゝろざし歟。そのほかはなにの所用ぞや。そのこゝろざしならば、安心の肝要のこゝろえのやうをかたるべし。それをよくよく耳にたもちて、われわれのいへいへへかへるべし。それ當流の安心といふは、なにのやうもなく一向に彌陀如來このたびの後生御たすけ候へとひしとたのまんひとびとは、みなともに極樂に往生すべきことうたがひなし。たゞしもろもろの雜行のこゝろをふりすてゝ、一心にかたまりて彌陀をたのまば、十人も百人もことごとく報土に往生せんこと一定にてあるべし。この分をよくよくこゝろえわけてみなみなかへりたまふべし。あなかしこ、あなかしこ。
明應七年九月 日

(一八四)
そもそも每朝この道場へ來集の人數にをいては、あひかまへてこゝろにしかとおもひたもつべきやうはいかんといふに、すでに彌陀如來の本願とまふすことは、われら一切衆生を平等に極樂に往生せしめんがためにをこしたまへる誓願なりと信じて、さて一念に彌陀をふかくたのみ、このたびの後生あやまたずたすけたまへと信じたてまつるほかには、さらに別のことあるべからずと信ずべきものなり。これすなはち眞實の信心をえたるひとぞとおもひさだめてよりのちは、たとひいかなるひとのまふしさまたぐることありといふとも、これを信用すべからず。このうへには行住座臥時處諸縁をきらはず、ありがたくたふとくおもふこゝろあらんときは、稱名念佛まふすべきばかりなり。このほかには少々のことをばあながちに耳にきゝいるべからず。これすなはち當流の信心を獲得したる念佛の行者となづくべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

明應七年九月 日

(一八五)
そもそもさんぬるころ不思議なりしことのありけるは、和泉國とつとりといふ在所に、くわばたのしき大夫といひしをとこの、年の五十餘なりしが、成仁の子にはなれたるきざみ、あまりのかなしさに、所詮粉河の觀音にまいりて後生のことをいのりまふすところに、示現あらたにかうぶりけるは、なんぢ後生を一大事とおもひてわれにいのるあひだ、まことにありがたきことなり。しからば紀伊國ながふの權守といふものあり。そのところにゆきて後生の次第をあひたづぬべしとおほせられけるあひだ、示現のむねにまかせてかの權守の在所へゆきてあひたづぬるに、權守まふしける、われらはくはしく佛法の次第存知せざるあひだ、所詮和泉國海生寺の了眞のところへゆきてくはしくたづぬべしといひけるあひだ、かの了眞のところへまいりて佛法の次第たづねまふすところに、了眞のいはく、なにのやうもなくたゞ彌陀をふかくたのむべしとくはしくかたりたまふところに、たちまちにたふとくおもひまいらせて、一向に往生決定つかまつり候ぬ。そののちあまりに一心の往生治定せしめさふらふたふとさのあまり、とつとりの面々にともにかたり候ところに、みなみな信心決定つかまつりさふらひき。さるほどにあまりありがたさに、當年明應七年閏十月十九日に不圖おもひたち、大坂殿へすゝめをき候ひつる人數のうち、まづ尼一人・女三人・男四人あひともなひ參詣まふし候なり。さるほどにこのことを八十あまりのひとのきゝてかたりたまふあひだ、 佛法不思議とは申ながら、かゝる殊勝なることはさらになし。これについてもおもふやうは、諸國にをいて、さても佛法の棟梁をもちたまふ坊主分のひとはおほく御いり候べきなれども、はじめてひとをすゝめたまふといふことの議をも八十あまりにまかりなり候へども、うけたまはりをよばず候。あさましあさまし。まことに宿善とはまふしながら、かやうの殊勝のことをば今日はじめてうけたまはりはじめてこそ候へ。これにつけてもみなみな他力の信心いそぎ決定めされ候て、今度の一大事の報土往生をとげましまして候はゞ、自身得道のためとまふし、または報恩謝德の道理にもあひかなひましまし候べきなり。よくよく御こゝろをしづめて御思案どもあるべく候ものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明應七年閏十月下旬
上樣へまいる

(一八六)
當流の安心といふは、南無阿彌陀佛の六字のこゝろなり。たとへば南無と歸命すれば、やがて阿彌陀佛のたすけたまふこゝろなるがゆへに、南無の二字は歸命のこゝろなり。歸命といふは、衆生のもろもろの雜行をすてゝ、阿彌陀佛後生たすけたまへと一向にたのみたてまつるこゝろなるべし。このゆへに衆生をもらさず彌陀如來のよくしろしめして、たすけましますこゝろなり。これによりて南無とたのむ衆生を阿彌陀佛のたすけまします道理なるがゆへに、南無阿彌陀佛の六字のすがたは、すなはちわれら一切衆生の平等にたすかりつるすがたなりとしらるゝなり。されば他力の信心をうるといふも、これしかしながら南無阿彌陀佛の六字のこゝろなり。このゆへに一切の聖敎といふも、たゞ南無阿彌陀佛の六字を信ぜしめんがためなりといふこゝろなりとするべきものなり。あなかしこ、あな かしこ。
明應七年十一月十九日
八十四歲(花押)
(帖内五-九)

(一八七)
抑當國攝州東成郡生玉之庄内大坂といふ在所は、往古よりいかなる約束のありけるにや、去ぬる明應第五の秋下旬之比より、かりそめながらこの在所をみそめしより、すでにかたのごとくの一宇の坊舍を建立せしめ、當年ははやすでに三年の歲霜をへたりき。これすなはち往昔の宿縁あさからざる因縁なりとおぼへはんべりぬ。それについてこの在所に居住せしむる根元は、あながちに一生涯を心やすくすごし、榮花榮耀をこのみ、又花鳥風月にもこゝろをよせず、あはれ无上菩提のためには信心決定の行者も繁昌せしめ、念佛をも申さんともがらも出來せしむるやうにもあれかしと、おもふ一念のこゝろざしをはこぶばかりなり。又いさゝかも世間の人なんども偏執のやからもあり、むつかしき題目なんども出來あらん時は、すみやかにこの在所にをいて執心のこゝろをやめて、退出すべきものなり。依之いよいよ貴賤道俗をえらばず、金剛堅固の信心を決定せしめんこと、まことに彌陀如來の本願にあひかなひ、別しては上人の御本意にたりぬべきもの歟。それについて愚老すでに當年は八十四歲まで存命せしむる條不思議なり。まことに當流法義にもあひかなふ歟のあひだ、本望のいたり不可過之者歟。しかれば愚老當年の夏比より違例せしめて、いまにをいて本腹のすがたこれなし。終には當年寒中にはかならず往生の本懷 をとぐべき條一定とおもひはんべり。あはれあはれ、存命の内にみなみな信心決定あれかしと、朝夕おもひはんべり。まことに宿善まかせとはいひながら、述懷のこゝろしばらくもやむことなし。又はこの在所に三年の居住をふるその甲斐ともおもふべし。相構相構、此一七ケ日報恩講のうちにをいて信心決定ありて、我人一同に往生極樂の本意をとげたまふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明應七年十一月廿一日よりはじめて、これをよみてひとびとに信をとらすべきものなり。
(帖内四-一五)

(一八八)
それ五障・三從の女人たらむ身は、阿彌陀如來をふかくたのみて後生たすけたまへとおもふべし。されば阿彌陀如來よりほかの諸佛は、一切の女人をば我ちからにてはたすくべからずといひて、すでにすて給へり。しかれば阿彌陀佛おほせられけるは、諸佛のすてられたらむ女人をば我たすけずんば、いづれの佛かたすけたまはんとおぼしめして、かたじけなくも無上の大願をおこして、我諸佛にすぐれて一切の女人をたすけんとて、五劫があひだ思惟し永劫があひだ修行して、三世の諸佛にすてられたる女人の成佛すべきといへる大願ををこしましまして、我をたのまむ女人をばかならずたすくべしとちかひたまひて、阿彌陀佛となりたまへり。これによりて一切の女人たらん身は、ふかく彌陀如來をたのみまいらせて後生たすけたまへと一念にふかくたのまむ女人は、かならずみな極樂に往生すべき事さらにそのうたがひあるべからず。よくよくこの道理をふかく信じて一心一向に彌陀如來をたのみたてまつるべし。このほかにはなをおくふかき事あるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
〔明應七年W戊午R十二月 日〕


(一八九)
南无阿彌陀佛の體はすなはちこれ願行具足のいはれなりとしるべし。また機法一體ともこれをまふすなり。
夫衆生ありて南无と歸命すれば、すなはちこれ願のこゝろなり。抑歸命といふは衆生の阿彌陀佛をたのみ後生たすけたまへとまふすこゝろなり。すでに南无と歸命するところにをひて、やがて願も行も機も法も一體に具足するいはれなるがゆへなればなり。これによりて善導大師は、「南无といふはすなはちこれ歸命なり、またこれ發願廻向の義なり」(玄義分)と釋す。されば南无と歸命するところに、すなはち願も行も具足せしむる道理なりとこゝろうべきものなり。されば衆生の阿彌陀佛に後生たすけたまへとまふすこゝろは、われらもおなじく阿彌陀佛とならんとねがひまふすこゝろなりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
予が身體によそへてかくのごとくをかしきことをつらねはんべり。
老が身は 六字のすがたに なりやせん
願行具足の 南无阿彌陀佛なり
右今度寒中法敬坊・空善兩人來臨之間、爲其願行具足のいはれ書記之者也。能々可知之。
明應七年十二月十五日
八十四歲
御判
法敬坊
兩人中へ
空善


無年紀

(一九〇)
聖人一流の御勸化のをもむきは、信心をもて本とせられ候。そのゆへはもろもろの雜行をなげすてゝ、一心に彌陀に歸命すれば、不可思議の願力として、佛のかたより往生は治定せしめたまふ。そのくらゐを「一念發起入正定之聚」(論註*卷上意)とも釋し、そのうへの稱名念佛は、如來わが往生をさだめたまひし御恩報盡の念佛とこゝろうべきなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内五-一〇)

(一九一)
まづ當流の御勸化のおもむきは、信心をもて本とせられさふらふ。そのゆへはもろもろの雜行をすてゝ、一心に彌陀の本願はかゝるあさましきわれらをたすけまします不思議の願なりと、一向にふたごゝろなきかたを、信心えたる行者とはまふすなり。ささふらふときはあながちに行住座臥の稱名も自身往生の業とはおもふまじきことにてさふらふ。たゞ彌陀如來の御たすけさふらふ御恩を報じまふす念佛なりとこゝろうべきにてさふらふ。あなかしこ、あなかしこ。

(一九二)
夫南无阿彌陀佛のうちには、萬善諸行恆沙无數の功德法門聖敎さらにのこることもなく、またあらゆる諸神・諸佛・菩薩もことごとくこもれるなり。阿彌陀一佛をたのめば、一切の佛・菩薩、一切の諸神に歸するいはれあり。このゆへに彌陀一佛に歸すれば、いかなる四重・五逆の衆生も五障・三從の女人も淨土往生をとげずといふことなし。あら殊勝の要法や、あらたふとの彌陀如來や。依之かの彌陀如來を何とたのみ何と信じて、かの淨土へは生ずべきぞなれば、たゞもろもろ の雜行をすてゝ一心一向に彌陀に歸すれば、十人は十人百人は百人ながら、すなはち淨土に生ずべき身にさだまるなり。このうへにはたゞ朝夕は名號をとなへて、かの彌陀の御恩を報盡すべきばかりなり。されば後生を一大事とおもひて信心決定して極樂をねがふものは、後生のたすかる事は中々申にをよばず、今生もあながちにのぞみこのまねども、をのづから祈禱ともなるなり。そのいはれを他經にかくのごとくとけり。その文にいはく、「それ現世をいのる人はわらをえたるがごとし、後生をねがふ人はいねをえたるがごとし」(蘇婆呼請問*經卷上意)とたとへたり。いねといふものいできぬればをのづからわらをうるがごとし、これは後生をねがふ人のことなり。今生をいのる人はわらをばかりえたるがごとしといへるこゝろなり。されば信心決定したる人は今生も別してこのまずねがはざれども、諸佛・菩薩、諸天・善神の加護にもあづかるあひだ、かゝる殊勝にめでたき无上の佛法を信じて今度の極樂往生をとげんとねがふべきものなり。
そもそもいま聽聞するとをりをよくよく心中におさめおきて他門の人にむかひて沙汰すべからず。また路次大道にても、我々が在所にかへりても、あらはに人をもはゞからずこれを讚嘆せしむべからず。次には守護・地頭方にむかひて、我は他力の信心をえたりといひて疎略の儀なく、いよいよ公事をまたくすべし。またもろもろの佛神等をも、おろかにかろしむることなかれ。これすなはち南无阿彌陀佛の六字のうちにこれらの佛神はこもれるゆへなり。あなかしこ、あなかしこ。


(一九三)
夫今月廿八日は聖人の御恩德のふかき事、中々申せば大海かへりてあさし。依之いかなる卑夫のともがらまでも彼御恩をわすれん人は、誠以畜生にひとしからん歟。然ば忝もせめてかの御影の御座所をなりともたづねまひりて、恩顏をなりとも拜し奉て、御恩德をも一端報謝申さばやと、いかなる遠國のものまでも此志をはこばぬ人はなきところに、幸に御近所堅田と申すは、其間三里ばかりある大津に、而も生身の御影眼前にあらはれ給ふところに、其御影をみすてまひらせて遙の河内國において、而も水邊ふかきあしわらの中へ尋まひられて祗候あるは本意とも存ぜぬ由、空念、法住に對して申す所に、法住其返答にいはく、御影の事はいづくにましますもたゞ同事なれば相かはるべからざる由を申付候間、しからばなにとて江州堅田邊にも御影はたれたれも安置申付候事なれば、はるばるの遠路をしのぎ是までまひられんよりは、たゞ御影はおなじ事ならば、そのまゝ江州堅田に御わたり候べしと申せば、かさねて返答もなくてそのまゝまけたまひけり。あら勝事や、おふおふ。

(一九四)
當流の意は一念發起住正定聚とたてゝ、もろもろの雜行をすてゝ彌陀を一心にたのむ機は正定聚のくらゐなれば、このいはれをもて一念發起平生業成とたてぬれば、これすなはちこの宗の安心決定の行者とはなづくべきなり。あなかしこ、あなかしこ。
彌陀たのむ こゝろばかりの たふとさに
淚もよほす 墨染の袖
あけくれは 信心ひとつに なぐさみて
佛の恩を ふかく思へば

(一九五)
それ惡人・女人の身は、みなみなこゝろを一にして阿 彌陀如來をふかくたのみたてまつるべし。そのほかにはいづれの法を信ずといふとも、後生のたすかるといふことゆめゆめあるべからず。しかればなにとやうに阿彌陀如來をば信じ、またなにとやうに後生をばねがひ候べきぞといふに、たゞ一心に阿彌陀如來後生たすけたまへとふかくたのみまうさん人をば、かならずたすけたまふべし。さらさらうたがふこゝろあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(一九六)
それ末代の惡人・女人たらんともがらは、みなみなこゝろを一にして阿彌陀佛をふかくたのみたてまつるべし。そのほかにはいづれの法を信ずといふとも、後生のたすかるといふことゆめゆめあるべからず。しかれば阿彌陀如來をばなにとやうにたのみ、後生をばねがふべきぞといふに、なにのわづらひもなくたゞ一心に阿彌陀如來をひしとたのみ、後生たすけたまへとふかくたのみ申さん人をば、かならず御たすけあるべきこと、さらさらうたがひあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内五-一九)

(一九七)
信心獲得すといふは第十八の願をこゝろうるなり。第十八の願をこゝろうといふは、南無阿彌陀佛のすがたをこゝろうるなり。このゆへに南無と歸命する一念の所に發願廻向のこゝろあるべし。是則彌陀如來の凡夫に廻向しましますこゝろなり。これを『經』(大經*卷上)には「令諸衆生功德成就」ととけり。されば無始已來の惡業煩惱は、のこる所もなく不思儀の願力をもて消滅する いはれあるがゆへに、正定聚不退の位に住するなり。このゆへに煩惱を斷ぜずして涅槃をうといへるはこのこゝろなり。これ當流一途の所談なり。
(帖内五-五)

(一九八)
信心獲得すといふは第十八の願意をしるなり。此願を心得といふは、南无阿彌陀佛の體をしるなり。このゆへに南无と歸命する一念の所に發願廻向のこゝろあるべし。是則彌陀如來の凡夫に廻向しましますこゝろなり。これを『經』(大經*卷上)には「令諸衆生功德成就」ととかれたり。されば无始已來の惡業煩惱は、のこる所なく不思議の願力をもて消滅するいはれあるがゆへに、正定聚不退の位には住する物なり。依之煩惱を斷ぜずして涅槃をうといへるは此心なり。此義は當流一途の所談なり。あなかしこ、あなかしこ。

(一九九)
抑十惡・五逆、五障・三從の女人も、たゞもろもろの雜行をすてゝ一心に彌陀の本願を信じ、阿彌陀如來今度の後生たすけたまへとふかくたのまん人は、みな極樂に往生すべきこと、さらさらうたがひあるべからず。これすなはち一念の往生のさだまりたるこゝろなりとおもふべし。このうへにはたゞねてもさめても後生をやすくたすけまします彌陀如來の御恩のありがたさ、たふとさをおもひまひらせて、つねに念佛まふすべし。このほかには別の子細あるべからざるものなり。又人間のありさまは、やまいにをかさればすなはち往生すべしとおもふべし。さりながら定業もきたらざれば、またなをすこともあるべし。さらにさだめなきことなり。よくよくこゝろをしづめて念佛申べきものなり。あなかしこ、あなかしこ。


(二〇〇)
抑十惡・五逆のひとも、五障・三從の女人も、たゞこゝろをひとつにしてもろもろの雜行をすてゝ彌陀の本願はたふときことゝ信じて、阿彌陀如來後生御たすけさふらへとふかくたのまんひとは、みなことごとくなにのわづらひもなく極樂に往生すべきこと、さらにそのうたがひつゆちりほどもあるべからず。このこゝろすなはちわれらが一念の往生のさだまりたるこゝろなりとおもふべし。このほかにはねてもさめても彌陀如來のやすく御たすけにあづかることのありがたさたふとさをおもひまいらせて、つねづね念佛まふすべし。このほかには別のことあるべからざるものなり。穴賢、穴賢。

(二〇一)
それ五障・三從の女人も、十惡・五逆の罪人も、もろもろの雜行をすてゝ一心に彌陀の本願をたのみ、阿彌陀如來に後生たすけたまへと申さむ人は、みなことごとく彌陀の淨土に往生すべき事、さらさらうたがう心つゆほどももつべからず。これすなはち一念の往生さだまりたる心なりとおもふべし。このうへにはねてもさめても後生たすけまします彌陀如來の御恩のありがたさたふとさをおもひいでゝ、念佛申べきばかりなり。このほかには別の子細ゆめゆめあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二〇二)
それ五障・三從の女人の身は、もろもろの雜行をうちすてゝ一心に彌陀の本願をたのみ、阿彌陀如來このた びの後生たすけましませとふかく彌陀をたのまん人は、みなながら極樂にかならず往生すべきこと、さらさらうたがふ心つゆほどももつべからず。そのうへにはねてもさめても後生たすけまします彌陀如來の御恩のほどのありがたさたふとさよとおもひて、つねに念佛まふすべきばかりなり。このほかには別の子細あるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二〇三)
抑男子も女人も罪のふかゝらむともがらは、諸佛の悲願をたのみても、いまの時分は末代惡世なれば、諸佛の御ちからにては中々かなはざる時なり。これによりて阿彌陀如來と申奉るは、諸佛にすぐれて、十惡・五逆の罪人を我たすけむといふ大願ををこしましまして、阿彌陀佛となり給へり。この佛をふかくたのみて一念御たすけ候へと申さむ衆生を、我たすけずは正覺ならじとちかひまします彌陀なれば、我らが極樂に往生せん事は更にうたがひなし。このゆへに一心一向に阿彌陀如來たすけ給へとふかく心にうたがひなく信じて、我身の罪のふかき事をばうちすて佛にまかせまいらせて、一念の信心さだまらむ輩は、十人は十人ながら百人は百人ながら、みな淨土に往生すべき事、さらにうたがひなし。このうへにはなをなをたふとくおもひたてまつらむこゝろのをこらむ時は、南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛と、時をもいはずところをもきらはず念佛申べし。これをすなはち佛恩報謝の念佛と申なり。あなかしこ、あなかしこ。
〔南无といふ 二字のうちには 彌陀をたのむ
こゝろありとは たれもしるべし
ほれぼれと 彌陀をたのまん ひとはみな
つみはほとけに まかすべきなり
つみふかき ひとをたすくる のりなれば
彌陀にまされる ほとけあらじな〕

(帖内五-四)

(二〇四)
抑男子も女人も罪のふかからむ輩は、諸佛の悲願をたのみても、いまの時分末代惡世なれば、諸佛の御ちからにては中々かなはざる時なり。これによりて阿彌陀如來と申奉るは、諸佛にすぐれて、十惡・五逆の罪人を我ひとりたすけむと大願をおこしましまして、阿彌陀佛となり給へり。この佛をふかくたのみ御たすけ候へと申さむ衆生を、我たすけずは正覺ならじとちかひまします彌陀なれば、すでに我らが極樂に往生せむ事は更にうたがひなし。このゆへに一心一向に阿彌陀如來たすけ給へとふかく信じて、我身の罪のふかき事をばうちすてゝ佛にまかせまいらせて、一念の信心さだまらむ輩は、十人は十人百人は百人ながら、みな淨土に往生すべき事うたがふ心あるべからず。このうへにはなをなをたふとくおもひたてまつらむ時は、聲にいだして南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛と唱べし。これをすなはち佛恩報謝の念佛と申なり。

(二〇五)
抑男子も女人も罪のふかゝらむともがらは、諸佛の悲願をたのみても、いまの世は末代惡世なれば、諸佛の御ちかひにては中々かなはざる時なり。これによりて阿彌陀如來と申奉るは、諸佛にすぐれて、十惡・五逆の罪人を我たすけんといふ大願をおこしましまして、阿彌陀佛となり給へり。この佛をふかくたのみて一念にたすけ給へと申さむ衆生を、我たすけずは正覺ならじとちかひまします彌陀なれば、我らが極樂に往生せん事は更にうたがひなし。このゆへに一心一向に阿彌 陀如來たすけましませとふかく心にうたがひなく信じて、我身の罪のふかき事をばうちすてゝ佛にまかせまいらせて、一念の信心さだまらむ輩は、十人は十人ながら百人は百人ながら、みな淨土に往生すべき事、さらにうたがひなし。このうへにはなをなをたふとくおもひたてまつらむ心のおこらむ時は、南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛と、時をもきらはずところをもいはず念佛申べし。これをすなはち佛恩報謝の念佛と申なり。
〔南无といふ 二字のうちには 彌陀をたのむ
こゝろありとは たれもしるべし
ほれぼれと 彌陀をたのまん ひとはみな
つみはほとけに まかすべきなり
つみふかき ひとをたすくる のりなれば
彌陀にまされる ほとけあらじな〕

(二〇六)
末代无智の在家止住の男女たらんともがらは、こゝろをひとつにして阿彌陀佛をふかくたのみまいらせて、さらに餘のかたへこゝろをふらず、一心一向に佛たすけたまへとまうさん衆生をば、たとひ罪業は深重なりとも、かならず彌陀如來はすくひましますべし。これすなはち第十八の念佛往生の誓願のこゝろなり。かくのごとく決定してのうへには、ねてもさめてもいのちのあらんかぎりは、稱名念佛すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内五-一)

(二〇七)
それ八萬の法藏をしるといふとも、後世をしらざる人を愚者とす。たとひ一文不知の尼入道なりといふとも、後世をしるを智者とすといへり。しかれば當流のこゝろは、あながちにもろもろの聖敎をよみ、ものをしりたるといふとも、一念の信心のいはれをしらざる人はいたづら事なりとしるべし。されば聖人の御ことばに も、一切の男女たらむ身は、彌陀の本願を信ぜずしては、ふつとたすかるといふ事あるべからずとおほせられたり。このゆへにいかなる女人なりといふとも、もろもろの雜行をすてゝ一念に彌陀如來今度の後生たすけたまへとふかくたのみ申さむ人は、十人も百人もみなともに彌陀の報土に往生すべき事、さらさらうたがひあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内五-二)

(二〇八)
夫八萬法藏をしるといふとも、後生をしらざる人を愚者とすと。たとひ一文不知の尼入道なりといふとも、後生をしるを智者とすといへり。しかれば當流のこゝろは、あながちにもろもろの聖敎をよみ、ものをしりたりといふとも、一念の信心のいはれをしらざる人はいたづら事なりとしるべし。されば聖人の御ことばにも、一切の男女たらむ身は、彌陀の本願を信ぜずしては、ふつとたすかるといふ事あるべからずと仰られたり。いかなるつみふかき女人なりといふとも、もろもろの雜行をすてゝ一念に彌陀如來後生たすけ給へとふかくたのみ申さむ人は、十人も百人もみなともに彌陀の報土に往生すべき事、更々うたがひあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二〇九)
それ八萬の法藏をしるといふとも、後世をしらざる人を愚者とす。たとひ一文不知の尼女なりといふとも、後生をしるを智者とすといへり。しかれば當流のこゝろは、あながちに物をしり、又聖敎をよむ人なりといふとも、一念の信心のこゝろをしらざる人はいたづら 事なりとおもふべし。されば上人のおほせには、一切の女人たらむ身は、彌陀の本願にあらずは、たすかるといふ事かへすがへすあるべからずとおもふべしとのたまへり。このゆへにいかなる罪業ふかき女人なりといふとも、もろもろの雜行をすてゝ一念に彌陀如來今度の後生たすけたまへとふかくたのみ申さむ人は、十人も百人もみなことごとく彌陀の報土に往生すべき事うたがひあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二一〇)
夫在家の尼女房たらん身は、なにのやうもなく一心一向に阿彌陀佛をふかくたのみまひらせて、後生たすけたまへとまふさん人をば、みなみな御たすけあるべしとおもひとりて、さらにうたがひのこゝろゆめゆめあるべからず。これすなはち彌陀如來の御ちかひの他力本願とはまふすなり。このうへにはなを後生のたすからんことのうれしさありがたさをおもはゞ、たゞ南无阿彌陀佛南无阿彌陀佛ととなふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内五-三)

(二一一)
それ女人の身は、五障・三從とて、おとこにまさりてかゝるふかきつみのあるなり。このゆへに一切の女人をば、十方にまします諸佛も、わがちからにては女人をばほとけになしたまふことさらになし。しかるに阿彌陀如來こそ、女人をばわれひとりたすけんといふ大願ををこしてすくひたまふなり。このほとけをたのまずは、女人の身のほとけになるといふことあるべからざるなり。これによりてなにとこゝろねをもち、またなにと阿彌陀ほとけをたのみまひらせてほとけにはなるべきぞなれば、なにのやうもいらず、たゞふたごゝろなく一向に阿彌陀佛ばかりをたのみまひらせて、 後生たすけたまへとおもふこゝろひとつにて、やすくほとけにはなるべきなり。このこゝろのつゆちりほどもうたがひなければ、かならずかならず極樂へまひりて、うつくしきほとけとはなるべきなり。さてこのうへになをこゝろうべきやうは、ときどき念佛をまうして、かゝるあさましきわれらをやすくたすけまします阿彌陀如來の御恩の御うれしさありがたさを報ぜんために、念佛まうすべきばかりなりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内五-七)

(二一二)
それ南无阿彌陀佛とまふす文字は、そのかずわづかに六字なれば、さのみ功能のあるべきともおぼへざるに、この六字の名號のうちには无上甚深の功德利益の廣大なること、さらにそのきはまりなきものなり。されば信心をとるといふも、この六字のうちにこもれりとしるべし。さらに別に信心とて六字のほかにはあるべからざるものなり。そもそもこの南无阿彌陀佛の六字を善導釋していはく、「南无といふは歸命なり、またこれ發願廻向の義なり。阿彌陀佛といふはその行なり。この義をもてのゆへにかならず往生することをう」(玄義分)といへり。しかればこの釋のこゝろをなにとこゝろうべきぞといふに、たとへばわれらごときの惡業煩惱の身なりといふとも、一念阿彌陀佛に歸命せば、かならずその機をしろしめしてたすけたまふべし。それ歸命といふはすなはちたすけたまへとまふすこゝろなり。されば一念に彌陀をたのむ衆生に无上大利の功德をあたへたまふを、發願廻向とはまふすなり。この發 願廻向の大善大功德をわれら衆生にあたへましますゆへに、无始曠劫よりこのかたつくりをきたる惡業煩惱をば一時に消滅したまふゆへに、われらが煩惱惡業はことごとくみなきえて、すでに正定聚不退轉なんどいふくらゐに住すとはいふなり。このゆへに南无阿彌陀佛の六字のすがたは、われらが極樂に往生すべきすがたをあらはせるなりと、いよいよしられたるものなり。されば安心といふも信心といふも、この名號の六字のこゝろをよくよくこゝろうるものを、他力の大信心をえたるひとゝはなづけたり。かゝる殊勝の道理あるがゆへに、ふかく信じたてまつるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内五-一三)

(二一三)
夫南无阿彌陀佛と申はわづかにそのかず六字なれば、さのみ功能のあるべきとも覺ず候。しかれどもこの六字のうちには无上甚深の利益の廣大なるよし、内々うけたまはりをよべり。あはれくはしく愚癡の我等にをしへたまひ候はゞ、忝く存ずべく候。また他力の安心と申もこの六字のこゝろにこもれりなんど仰られ候あひだ、くはしく存知せしめたく候。答て云、我等もくはしく存知つかまつりたるむねはなく候へども、このごろおほよそ聽聞を耳にふれをき候をもむき、かたのごとくかたり申すべきにて候。おぼろげに御きゝ候ては、我等が後日のあやまりにもなるべく候。かへすがへすも解脫の耳をそばだてゝ、ふかく歡喜の思を御なし候て、よくよく御きゝあるべくさふらふ。抑この南无阿彌陀佛と申す六字を善導釋していはく、「南无といふは歸命なり、またこれ發願廻向の義なり。阿彌陀佛といふはその行なり。この義をもてのゆへにかならず往生することをう」(玄義分)といへり。さればこの釋のこゝろをばなにとこゝろうべきぞといふに、これに二 の義あり。一には歸命、二には發願廻向の義なり。これをこゝろうべきやうは、たとへば一生造惡の愚癡の我等なれども、南无と歸すればやがて阿彌陀佛のそのたのむ機をしろしめすなり。また歸命といふはたすけたまへと申すこゝろなり。この歸命の衆生を彌陀のすくひましますこゝろが、すなはち發願廻向のこゝろなり。また發願廻向といふは阿彌陀如來の御かたより大善大功德をあたへたまふこゝろなり。この大善大功德を我等衆生にあたへましますゆへに、无始曠劫よりつくりをきたる惡業煩惱を一時に消滅したまふゆへに、我等が惡業のをそろしきつみことごとくみなきえて、すでに无上涅槃のくらゐにひとしきがゆへに、正定聚不退のくらゐにいたるとはいふなり。さればこそ、この南无阿彌陀佛の六字はわれらが往生すべきすがたなりといよいよしらるゝものなり。又他力の信心をうるといふも、たゞこの南无阿彌陀佛の六字のうちにみなこもれるものなりとおもふべし。さればかずはたゞ六字にてすくなけれども、その功能のふかきことはさらにきはほとりもなきいはれあるがゆへなりとしるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二一四)
夫南无阿彌陀佛と申すはわづかに六字なれば、さのみ功能のあるべきともおぼゑず候。しかれどもこの六字の内にをひて无上甚深の利益の廣大なるよし、内々うけたまはりをよび候。くわしく愚癡の我等にをしへましまし候はゞ、忝き御慈悲と存ずべく候。また他力の眞實信心とやらんもこの六字にこもりたるなんど御流安心決定の面々も一同に御物がたり候間、くはしく存 知仕候て、今度の一大事の報土往生を治定仕り度存候間、あはれ慈悲哀愍をたれましまして、ねむごろに御をしへにあづかり候はゞ、可然御慈悲と存じをき申すべく候なり。
答て云、我等もくはしく存知せしむるむねは候はねども、このごろ凡聽聞のおもむきを、かたのごとくかたり申べきにて候。おぼろげに御きゝ候ては、我等が後日のあやまりにもまかりなるべく候。解脫の耳をそばだてゝ、ふかく歡喜の思を御なし候て、よくよく御聽聞あるべく候。
抑まづこの南无阿彌陀佛と申す六字を大唐の善導大師釋していはく、「南无といふは歸命なり、またこれ發願廻向の儀なり。阿彌陀佛といふはその行なり。この儀をもてのゆへにかならず往生することをう」(玄義分)といへり。さればこの釋のこゝろをばなにと心得べきぞといふに、これに二の儀あり。一には歸命、二には發願廻向の儀なり。これをこゝろうべきやうは、たとへば一生造惡の愚癡の我等なれども、たゞなにのやうもなく一念に阿彌陀佛を後生御たすけ候へと一念にふかくたのみまひらせんものをば、一定御たすけあるべきこと、さらにうたがひあるべからず候。さてこそ不思議の願力とはこれをまふすなり。かやうに一念に彌陀をたのみたてまつるものには、殊勝の大利无上の功德を我等にあたへましますいはれあるがゆへに、无始よりこのかたの罪障ことごとくきえはてゝ、正定聚不退轉のくらゐにかなひ候ものなり。このいはれこそすなはち南无阿彌陀佛の六字が我等が往生すべき支證にては候へ。別に南无阿彌陀佛をこゝろうべき道理にてはなきものなり。他力の大信心といふもこの六字の名號をこゝろうるいはれなりとこゝろえらるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。


(二一五)
南无阿彌陀佛事
善導釋にいはく、「南无といふはすなはちこれ歸命なり、またこれ發願廻向の義なり。阿彌陀佛といふはすなはちその行なり。この義をもてのゆへにかならず往生することをうるなり」(玄義分)といへり。このこゝろはいかんといふに、いかなる罪惡凡夫なりとも、阿彌陀佛たすけたまへと一念にたのみたてまつらん衆生をば、よくしろしめして无上大利大功德力をわれらに廻向しましますゆへに、无始已來の罪業はことごとく消滅して、すでにすなはちのとき正定聚不退轉の位に住すべきなり。これすなはち彌陀如來の他力より往生さだめましますこゝろなり。これを『大經』(卷下)には、「卽得往生住不退轉」とときたまへり。
あなかしこ、あなかしこ。

(二一六)
南无阿彌陀佛の六字を善導釋していはく、「南无といふ二字はすなはちこれ歸命なり、又これ發願廻向の義なり。阿彌陀佛といふはすなはちその行なり。この義をもてのゆへにかならず往生することをうるなり」(玄義分)といへり。このこゝろはいかんといふに、罪業深重の凡夫なりといふとも、阿彌陀佛後生たすけ給へと一念にたのみ申さん衆生をば、よくしろしめして无上大利の功德力をたのみ申す我等に廻向しましますなり。このゆへに无始已來の罪障一時に消滅して正定聚不退の位にいたるべきなり。これすなはち彌陀如來の他力本願のこゝろなり。あなかしこ、あなかしこ。


(二一七)
南无阿彌陀佛
此文善導釋していはく、「言南无といふは歸命」(玄義分意)といふこゝろなり。歸命といふは、衆生の阿彌陀佛後生たすけたまへとたのみまふすこゝろなり。阿彌陀佛といふは、發願廻向といふこゝろなり。發願廻向といふは、阿彌陀佛をたのむ衆生を攝取してすくひたまふこゝろなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二一八)
夫彌陀如來の本願とまふすは、なにたる機の衆生をたすけたまふぞ、またいかやうに彌陀をたのみ、いかやうにこゝろをもちてたすかるべきやらん。まづ機をいへば、十惡・五逆の罪人なりとも五障・三從の女人なりとも、さらにその罪業深重にこゝろをかくべからず。たゞ他力の大信心ひとつにて、眞實の極樂往生をとぐべきものなり。さればその信心といふは、いかやうにこゝろをもちて、彌陀をばなにとやうにたのむべきやらん。それ信心をとるといふは、やうもなく、たゞもろもろの雜行雜修自力なんどいふわろきこゝろをふりすてゝ、一心にふかく彌陀に歸するこゝろのうたがひなきを眞實信心とはまふすなり。かくのごとく一心にたのみ、一向にたのむ衆生を、かたじけなくも彌陀如來はよくしろしめして、この機を光明をもてひかりのうちにおさめをきましまして、極樂へ往生せしむべきなり。これを念佛の衆生を攝取したまふといふことなり。このうへにはたとひ一期のあひだまふす念佛なりとも、佛恩報謝の念佛なりとこゝろうべきなり。これを當流の信心をよくこゝろえたる念佛の行者といふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内五-一五)

(二一九)
それ人間の浮生なる相をつらつら觀ずるに、凡はかな きものはこの世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。さればいまだ萬歲の人身をうけたりといふことをきかず、一生すぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形體をたもつべきや。われやさき人やさき、けふともしらずあすともしらず、おくれさきだつひとはもとのしづくすえのつゆよりもしげしといへり。されば朝には紅顏ありて夕には白骨となれる身なり。すでに无常のかぜきたりぬれば、すなはち二のまなこたちまちにとぢ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顏むなしく變じて桃李のよそほひをうしなひぬるときは、六親眷屬あつまりなげきかなしめども、さらにその甲斐あるべからず。さてしもあるべきことならねばとて、野外におくりてよはのけぶりとなしはてぬれば、たゞ白骨のみぞのこれり。あわれといふもなかなかをろかなり。されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれのひともはやく後生の一大事をこゝろにかけて、阿彌陀佛をふかくたのみまひらせて、念佛まふすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内五-一六)

(二二〇)
それ一切の女人の身は上下をいわずつみのふかき身なり。それについて佛法を信ずべきやうは、もろもろの雜行をうちすてゝたゞひとへに彌陀如來後生をたすけましませとひしとたのまん女人の身をば、よくよくしろしめして御たすけにあづかりて、極樂に往生せん事はつゆちりほどもうたがふ心あるべからざるものなり。かやうによく心へて信ぜん女人は、ねてもさめてもこのありがたさたふとさをおもひまいらせて、つねづね 念佛申べきばかりなり。このほかには別の事あるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
我なくは たれも心を ひとつにて
南無阿彌陀佛と たのめみな人

(二二一)
それ一切の女人の身は、後生を大事におもひ、佛法をたふとくおもふ心あらば、なにのやうもなく阿彌陀如來をふかくたのみまいらせて、もろもろの雜行をふりすてゝ、一心に後生を御たすけ候へとひしとたのまん女人は、かならず極樂に往生すべき事、さらにうたがひあるべからず。かやうにおもひとりてののちは、ひたすら彌陀如來のやすく御たすけにあづかるべき事のありがたさ、又たふとさよとふかく信じて、ねてもさめても南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛と申べきばかりなり。これを信心とりたる念佛者とは申すものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内五-一七)

(二二二)
それ一切の女人たらん身は、彌陀如來をひしとたのみ、後生たすけたまへと申さん女人をば、かならず御たすけあるべし。さるほどに諸佛のすてたまへる女人を、阿彌陀如來ひとり我たすけずんばまたいづれの佛のたすけたまはんぞとおぼしめして、无上の大願ををこして、我諸佛にすぐれて女人をたすけんとて五劫があひだ思惟し、永劫があひだ修行して、世にこえたる大願ををこして、女人成佛といへる殊勝の願ををこしまします彌陀なり。このゆへにふかく彌陀をたのみ、後生たすけたまへと申さん女人は、みなみな極樂に往生すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内五-二〇)

(二二三)
當流聖人のすゝめまします安心といふは、なにのやう もなく、まづ我身のあさましきつみのふかきことをばうちすてゝ、もろもろの雜行雜修のこゝろをさしをきて、一心に阿みだ如來後生たすけたまへと一念にふかくたのみたてまつらんものをば、たとへば十人は十人百人は百人ながら、みなもらさずたすけたまふべし。これさらにうたがふべからざるものなり。かやによくこゝろへたる人を信心の行者といふなり。さてこのうへには、なを我身の後生のたすからん事のうれしさをおもひいださんときは、ねてもさめても南无阿彌陀佛南无阿彌陀佛ととなふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内五-一八)

(二二四)
當流の安心といふは、なにのやうもなく、もろもろ□雜行雜修のこゝろをすてゝ、わが身はいかなる罪業ふかくとも、それをば佛にまかせまひらせて、たゞ一心に阿彌陀如來を一念にふかくたのみまひらせて、御たすけさふらへとまふさん衆生をば、十人は十人百人は百人ながら、ことごとくたすけたまふべし。これさらにうたがふこゝろつゆほどもあるべからず。かやうに信ずる機を安心をよく決定せしめたる人とは云なり。このこゝろをこそ經釋の明文には、「一念發起住正定聚」(論註*卷上意)とも平生業成の行人ともいふなり。さればたゞ彌陀佛を一念にふかくたのみたてまつること肝要なりとこゝろうべし。このほかには彌陀如來のわれらをやすくたすけまします御恩のふかきことをおもひて、行住座臥につねに念佛まふすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(帖内五-二一)

(二二五)
當流の安心のをもむきをくはしくしらんとおもはんひとは、あながちに智慧・才學もいらず、たゞわが身はつみふかきあさましきものなりとおもひとりて、かゝる機までもたすけたまへるほとけは阿彌陀如來ばかりなりとしりて、なにのやうもなくひとすぢにこの阿彌陀ほとけの御袖にひしとすがりまいらするおもひをなして、後生をたすけたまへとたのみまうせば、この阿彌陀如來はふかくよろこびましまして、その御身より八萬四千のおほきなる光明をはなちて、その光明のなかにそのひとをおさめいれてをきたまふべし。さればこのこゝろを『經』(觀經)には「光明遍照十方世界念佛衆生攝取不捨」とはとかれたりとこゝろうべし。さてはわが身のほとけにならんずることは、なにのわづらひもなし。あら殊勝の超世の本願や、ありがたの彌陀如來の光明や。この光明の縁にあひたてまつらずは、无始よりこのかたの无明業障のおそろしきやまひのなほるといふことは、さらにもてあるべからざるものなり。しかるにこの光明の縁にもよほされて、宿善の機ありて他力信心といふことをばいますでにえたり。これしかしながら彌陀如來の御かたよりさづけましましたる信心とはやがてあらはにしられたり。かるがゆへに行者のをこすところの信心にあらず、彌陀如來他力の大信心といふことは、いまこそあきらかにしられたり。これによりてかたじけなくもひとたび他力の信心をえたらんひとは、みな彌陀如來の御恩をおもひはかりて、佛恩報謝のためにつねに稱名念佛をまうしたてまつるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内二-一三)


(二二六)
抑當流勸化のをもむきをくはしくしりて、極樂に往生せんとおもはんひとは、まづ他力の信心といふことを存知すべきなり。それ他力の信心といふはなにの要ぞといへば、かゝるあさましきわれらごときの凡夫の身が、たやすく淨土へまいるべき用意なり。その他力の信心のすがたといふはいかなることぞといへば、なにのやうもなくたゞひとすぢに阿彌陀如來を一心一向にたのみたてまつりて、たすけたまへとおもふこゝろの一念をこるとき、かならず彌陀如來の攝取の光明をはなちて、その身の娑婆にあらんほどは、この光明のなかにおさめをきましますなり。これすなはちわれらが往生のさだまりたるすがたなり。されば南无阿彌陀佛とまうす體は、われらが他力の信心をえたるすがたなり。この信心といふは、この南无阿彌陀佛のいはれをあらはせるすがたなりとこゝろうべきなり。さればわれらがいまの他力の信心ひとつをとるによりて、極樂にやすく往生すべきことの、さらになにのうたがひもなし。あら殊勝の彌陀如來の本願や。このありがたさの彌陀の御恩をば、いかゞして報じたてまつるべきぞなれば、たゞねてもおきても南无阿彌陀佛ととなへて、かの彌陀如來の佛恩を報ずべきなり。されば南无阿彌陀佛ととなふるこゝろはいかんぞなれば、阿彌陀如來の御たすけありつるありがたさたふとさよとおもひて、それをよろこびまうすこゝろなりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内二-一四)


(二二七)
當流の安心のおもむきといふは、なにのやうもなく、わが身はいかなる罪業ふかくとも、それをばうちすてゝ、たゞ一心に彌陀如來を一念にふかくたのみまひらせて、後生御たすけ候へとまふさん衆生をば、十人は十人百人は百人ながら、たすけたまふべし。これさらにつゆほどもうたがふこゝろあるべからず。これを一念歸命の信心さだまりたる行者とはいふべきものなり。かくのごとくよくこゝろえたる人を「一念發起住正定聚」(論註*卷上意)ともいひ、または平生業成の行人ともいへり。さればたゞ一念に阿彌陀をたのみたてまつるこゝろこそ肝要なりとこゝろうべし。さればこのほかには、彌陀如來のかやうにやすくたすけたまふ御恩には、つねに名號をとなふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二二八)
抑當流にすゝめましますところの信心をとるといふは、すなはち我身のうへのつみとがのふかきことをばまづうちすてゝ、それ彌陀如來とまふすは、その機をいへば十惡・五逆、五障・三從のあさましき女人までもことごとくすくひまします不思議の本願なりとふかくしりて、さてそのうへに阿彌陀如來の本願をばなにとやうにたのみ、いかやうにこゝろねをももちて信じまひらせて、後生をばたすかるべきぞといふに、なにのわづらひもなくこゝろをひとつにして阿彌陀佛をたのみたてまつりて、うたがふこゝろなくは、彌陀如來はかならず攝取の光明をはなちてそのひかりのうちにおさめをきたまふべきこと決定なり。かくのごとくこゝろゑたらんひとは、すなはちこれ眞實信心の行者なるべし。このうへになをこゝろうべきやうは、かゝる彌陀如來のわれらをやすくたすけましましたる御恩のふかきこ とをつねにおもひたてまつりて、佛恩報謝のためにはねてもおきてもたゞ念佛をまふすべきばかりなり。あらありがたの彌陀如來の本願や。これによりてかたじけなくもこの法を三國の祖師・先德の次第相承して、われら凡夫にをひてねんごろにとききかしめたまふは、まことに曠劫多生の宿縁のもよほすところなり。これすなはち別して開山聖人のこの法をときひろめたまはずは、われら迷倒の凡夫道法までもこのたびの報土往生の本意をたやすくとくべきやとおもふべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。

(二二九)
その他力の信心といふは彌陀をたのむところの決定の一心なり。その歸命したてまつるといふそのほとけの御名をばなにとまふすぞといへば、南无阿彌陀佛とまふすなり。さればこの南无阿彌陀佛の六字を善導釋していはく、「南无といふはすなはちこれ歸命、またこれ發願廻向の義なり。阿彌陀佛といふはすなはちこれその行なり。この義をもてのゆへにかならず往生することをうるなり」(玄義分)といへり。そのこゝろはいかんとなれば、南无と歸命する衆生を、阿彌陀佛の發願廻向とやすくたすけすくひたまへるこゝろなり。このいはれあるがゆへに、いかなる十惡・五逆の衆生・罪人、五障・三從の女人も、一念の信心をおこして、ふかく彌陀如來に歸命したてまつれば、廣大の慈悲をたれましまして、たのみたてまつるところの衆生をかたじけなくも攝取の光明のなかにてらしをきましますなり。このたふとさのうみやまの御恩をば、たゞ晝夜朝暮には南无阿彌陀佛南无阿彌陀佛とくちにまかせてとなへ たてまつりて報盡まふすばかりなり。あら殊勝の本願や、あらありがたの念佛や。依之こゝろえやすき信心をば、はやく信じまいらするうへには、この信心のことはりをもて他門のひとにあらはにまふすべきにあらず。また南无阿彌陀佛といへるうへには、一切の諸神・諸佛も、もろもろの功德善根も、のこるところなくみなことごとくこもれるがゆへに、おろそかにそしり謗ずることゆめゆめあるべからず。このおもむきをよくこゝろえたらんひとは、まことにもて當流のおもむきをまもれるすがたなりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二三〇)
夫他力の安心といふは、南无と歸命すれば阿彌陀佛の御たすけある心なり。されば南无の二字は、阿彌陀佛後生たすけましませといへる心なり。又南无の二字は、衆生の阿彌陀佛をたのむ心なり。又阿彌陀佛四字は、たのむ衆生を光明中に攝取したまふ心なり。このゆへに安心といふは、南无阿彌陀佛の六字の心なりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二三一)
南无阿彌陀佛の六字のすがたは、一切衆生のはじめて往生をねがふ心なり。されば南无の二字は、後生たすけたまへと彌陀をふかくたのみたてまつるこゝろなり。又阿彌陀佛の四字は、たのむ我らをもらさずすくひましますこゝろなり。これすなはち南无阿彌陀佛としるべし。あなかしこ、あなかしこ。

(二三二)
右親鸞聖人の一流の勸化のこゝろは、おほよそ一念發起平生業成とたてゝ、もろもろの雜行雜修のこゝろをすてゝ一向に彌陀如來の不思議の願力なりと信じて、一念に彌陀に歸命の心ふたごゝろなくは、これすなはち一念發起の安心なり、やがて平生業成のこゝろなり。 このうへにはいよいよ彌陀如來の御かたよりわれらが往生はさだめたまふなりとしらるゝものなり。さては佛恩のふかきこときはまりなきうへは念佛をまふし、かの御恩をつねに報じたてまつるべきものなりとしるべし。このうへに念佛まふして彌陀の御恩を報じたてまつるは自力なりといひ、またわがはからひなりとまふさんは、おほきなるあやまりなり。よくよくこゝろうべきことなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二三三)
當流安心のをもむきは、なにのわづらひもなく在家止住の身は一心一向に阿彌陀佛に歸命したてまつりて、我身の罪障の深重なることをもこゝろにかけず、たゞふかく彌陀如來にまかせまひらせて、かゝるあさましき機を本とたすけまします本願なりと信じて、ふかくたのむ心の一分もうたがひなきこゝろの一念をこるとき、やがてわが往生はさだまるなり。さればこれを『大經』(卷下)には「卽得往生住不退轉」ともとき、また釋には「入正定之聚」(論註*卷上意)とも釋したまへり。かくのごとくこゝろえてののちは、一心に彌陀如來のやすくたすけまします御恩のありがたさたふとさのうへには、晝夜朝暮に稱名念佛申すべきばかりこそ、當流の眞實信心の行者とはいふべけれ。このほかにはさらにおくふかき安心とてはあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
【(別紙)】光德寺御房 (花押)

(二三四)
當流安心のをもむきといふは、たとへば在家の身ならば、一心一向に阿彌陀佛をたのみたてまつりて、我身 の罪障の深重なることをばうちすてゝ心にかけず、ふかく彌陀如來にまかせまひらせて、かゝるあさましき我等を本とたすけまします本願なりと信じて、たのむ心の一念もうたがひなくは、やがて我往生はさだまりぬとおもふべし。これを『經』(大經*卷下)には「卽得往生住不退轉」ともとき、又釋には「入正定之聚」(論註*卷上意)ともいへり。かくのごとくこゝろゑてのちは、彌陀如來の御恩德のありがたさたふとさのうへには、行住座臥に稱名念佛を申べきばかりなり。このほかにはさらに當流信心とて別に沙汰する子細なきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二三五)
一 當流安心のをもむきといふは、たとへば在家の身ならば一向一心に阿彌陀佛をたのみて、我身の罪障深重なることをばうちすてゝ、ふかく彌陀如來にまかせまいらせて、かゝるあさましき機をたすけまします本願なりと信じて、たのむこゝろの一念もうたがひなくは、やがてわが往生は一定とおもふべし。これを『經』(大經*卷下)には「卽得往生住不退轉」ととき、また釋には「一念發起入正定之聚」(論註*卷上意)ともいへり。かくのごとくこゝろえてののちは、彌陀如來の御恩のありがたさたふとさのうへには、行住座臥に稱名念佛をまうすべきなり。このほかには當流にをひておくふかきことはなきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。

(二三六)
當流安心のおもむきといふは、たとへば在家の身ならば、一心一向に阿彌陀佛をふかくたのみ、わが身の罪障のふかきことをばうちすてゝ、彌陀如來を一心一念にうたがうこゝろの露ほどもなからんものは、やがてわが往生はさだまりぬとおもふべし。されば『大經』(卷下)にもこれを「卽得往生住不退轉」ともとき、釋には「一 念發起入正定聚」(論註*卷上意)ともいへり。かくのごとくこゝろえてののちは、彌陀如來のこゝろゑやすくおんたすけあることのありがたさたふとさのうへには、ねてもさめても名號をとなへまふすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二三七)
當流の安心とまふすは、一向に彌陀如來をたのみまひらせて、ふたごゝろのなきを本願を信ずる人とはまふすなり。かやうにこゝろえさふらふ人は、かならず十は十ながら百は百ながら極樂に往生し、佛になりさふらふべきなり。このうへにはたとひ念佛をまふすとも、わが往生のためとはおもふべからずさふらふなり。されば彌陀如來のかたじけなくもかゝる惡人・女人をたやすくたすけまします彌陀の御恩を報じたてまつる念佛なりとこゝろえたまふべきなり。このごとくにこゝろをもちさふらはぬ人をば、千がなかにも萬がなかにも、ひとりも極樂に往生せずとときをきたまひさふらふなり。このこゝろよくよくしらせたまひさふらふ人をば、信心決定したるひととぞまふしさふらふなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二三八)
いまこのごろの井中の在家の男女たらん人は、もろもろの雜行をすてゝ、一心に彌陀如來にむかひたてまつりて今度の一大事の後生御たすけさふらへとふかくたのみ申さん衆生を、みなことごとく御たすけあるべき事さらにうたがふ心すこしもあるべからざるものなり。このほかにはなにのわづらひもなき事なり。これを他力の信心をえたる人とはいふなり。このうへ には南无阿彌陀佛とねてもさめても申すべきものなり。このほかにはさらになにのわづらはしき事ゆめゆめあるべからずとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二三九)
それ末代惡世の男女たらん身はなにのわづらひもなく、もろもろの雜行をうちすてゝ、一心に阿彌陀如來後生たすけ給へとひしとたのみたてまつらん人は、たとへば百人も千人も、のこらず極樂に往生すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二四〇)
五濁惡世の有情の 選擇本願信ずれば
不可稱不可說不可思議の 功德は行者の身にみてり
此『讚』(高僧*和讚)の意は、この世の我等衆生の、阿彌陀佛を一心にたのみまいらせて後生御たすけ候へと申さむ有情には、不可稱不可說不可思議とて殊勝なる大功德を阿彌陀佛の我等にあたへましますがゆへに、無始よりこのかたの惡業煩惱もみなことごとくきえはてゝ無上涅槃のくらひにいたるべきものなりとこゝろふべし。

(二四一)
煩惱具足と信知して 本願力に乘ずれば
すなはち穢身すてはてゝ 法性常樂證せしむ
この『和讚』(高僧*和讚)のこゝろは、たとへばいかなる惡業煩惱をもき身なりとも、阿彌陀如來をひとすぢにたのみたてまつりて後生御たすけたまへとまうさん衆生をば、すなはち有漏の穢身をすてはてゝ彌陀の報土にまいりて、佛身佛果をえしめて法性常樂といへるくらゐにいたるべきものなりとしるべし。あなかしこ、あなかしこ。

(二四二)
夫當流之安心之趣といふは、あながちに捨家棄欲の心 を表せず、又出家發心のすがたをあらはさず、たゞもろもろの雜行をすてゝ一向に阿彌陀佛に歸命して、今度の一大事の後生たすけたまへと一心に阿彌陀如來をひしとたのみたてまつらん衆生は、みなことごとく報土往生すべきこと、さらさらうたがふべからざるものなり。さればこの心にみな人をもとづけんとてこそ、いろいろの廢立をたて、又もろもろの聖敎なんどいふこともいできたり、かやうにこゝろえたる人こそ正覺の一念に歸したる人ともいふなり。さるほどにこの道里を一念きゝて信をとる人もあり、又宿習といふことなき人は、いくたびきゝても更に信をばとらぬ人もあり、かくのごとくよくこゝろえたる人を「一念發起住正定聚」(論註*卷上意)とも無上涅槃を證すとなづくるなり。

(二四三)
夫淨土眞宗とは、顯淨土の中よりえらびいだしたまふところの元祖聖人の御一流なり。ゆへいかんとなれば、『大經』(卷上)云、「如來以无盡大悲矜哀三界所以出興於世光闡道敎欲拯群萌惠以眞實之利」といへり。こゝろは如來无盡大悲をもて三界の衆生をあはれみて世にいでたまふゆへは、ひろくまことのみちのおしへをひらきあらはして、愚縛の凡衆をすくはんとおぼして、智慧のひかりをもて眞實の利をおしへたまへり。その眞實の利といふは无上の大利なり。同き『經』(大經*卷下)云、「乃至一念當知此人爲得大利」といへり。「大利をう」といふは、名號をきゝて信心歡喜するもの、往生決定のひとなり、往生うたがはず。されば无上大利の功德をえて无上のひとゝなるなり。无上眞實の大利は他力の本 願なり。その他力といふはいかんとなれば、凡夫としてははからざることなり。彌陀如來の御こゝろよりおこりて我等が往生はしたゝめたまふなり。われらがこゝろとしては三毒の煩惱を眷屬として、朝夕のことわざには殺偸婬毒のはげみおこたることなし。このこゝろにてはいかでか佛道にのぞまん、なんぞ極樂にいたらん。しかるに彌陀は難化難入之衆生に心安く往生をゑしめんとて、一念發起の信心をすゝめて、その身を攝取してすてたまはず。これひとへにわれとしておこさゞる信心なり。彌陀如來よりさづけたまへる信心なりとこゝろうべし。これを他力をゑたる信心とはいふなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二四四)
凡當流之義、淨土一家之義には大に相違すべき也。當時はみな他流の義をもて親鸞聖人一流と號すと[云々]。以外の次第也。
先親鸞上人一流意は一念發起平生業成と立てゝ、臨終を期せず來迎をたのまざるなり。されば來迎方便、得生眞實と沙汰する也。仍一念歸命の信心決定して後の稱名をば、自身の往生を猶いのる心あらば、それは自力なり。ひたすら往生は一念に決定と心得て、佛恩報謝の稱名とおもふべきなり。これすなはち當流の信心發得の行者と云也。この上には來迎と云事も臨終と云事も更にあるまじきものなり。
一 宿善によりて本願をば信ずる也。宿善なくは無上の本願も徒事なるべき也。

(二四五)
侍能工商之事
一 奉公宮仕をし、弓箭を帶して主命のために身命をもおしまず。
二 又耕作に身をまかせ、すき・くわをひさげて大地をほりうごかして、身にちからをいれてほりつくりを 本として身命をつぐ。
三 或は藝能をたしなみて人をたらし、狂言・䛴語を本として浮世をわたるたぐひのみなり。
四 朝夕は商に心をかけ、或は難海の波の上にうかび、おそろしき難破にあへる事をかへりみず。
かゝる身なれども彌陀如來の本願の不思議は諸佛の本願にすぐれて、我らまよひの凡夫をたすけんといふ大願をおこして、三世十方の諸佛にすてられたる惡人・女人をすくゐましますは、たゞ阿彌陀如來ばかりなり。これをたふとき事ともおもはずして、朝夕は惡業煩惱にのみまとはれて、一すぢに彌陀をたのむ心のなきはあさましき事にはあらずや。ふかくつゝしむべし。
あなかしこ、あなかしこ。

(二四六)
吉藤專光寺門徒中面々安心之次第大略推量せしむるに、念佛だに申て每月道場寄合にをいて懈怠なくは、往生すべきなんどばかり存知候歟。但それは今少不足に覺へ候。抑當流聖人之さだめをかるゝところの一義はいかんといふに、十惡・五逆罪人、五障・三從の女人たらん身は、たゞなにのわづらひもなく一心一向に彌陀如來を餘念もなくふかくたのみたてまつりて、後生たすけたまへと申さん輩は、十人は十人ながら百人は百人ながら、ことごとくみな報土に往生すべきこと、さらさらうたがひあるべからざるものなり。これすなはち他力眞實の安心決定の行者といゝつべし。かくのごとくこゝろえたる人をなづけて、一念發起平生業成の當流念佛の行人と號するものなり。この外にはことな る信心とても別の義ゆめあるべからずとよくよくこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二四七)
抑當所富田庄内の男女老少ともに安心のおもむきをこゝろうべきやうは、まづ一切の諸佛も一切の諸神もみなともに、衆生の地獄にをつることをなげきかなしみたまひて、もろもろの佛たち御身を變じて三熱の苦をうけて神とあらはれましまして、衆生に縁をむすびて、なにとしても佛道にひきいれしめんとおぼしめして、一切の神とはあらはれたまふものなり。このいはれをつねに「和光同塵は結縁のはじめ、八相成道は利物のをはり」(止觀卷*六下意)といへるはこのこゝろなり。それ「和光同塵」といふは、一切の諸佛の神とあらはれて衆生に縁をむすびて、このちからをもて結縁のはじめとしたまふこゝろなり。「八相成道は利物のをはり」といふは、つゐにこれを結縁のはじめとして佛道にひきいれんとしたまふこゝろなり。これもいまたゞちに佛になることにてはなきなり。ひさしき縁となるなり。かやうに神につかへてながく輪廻せんよりは、いま彌陀如來を一心にたのみまひらせて後生たすけたまへとまふさん衆生をば、みなことごとくたすけたまふべし。これほどにやすくたすけまします彌陀の本願をしらずして、むなしく死せんことは愚癡のいたり、あさましきことにはあらずや。このむねをよくよくこゝろえて、ふかく彌陀をたのみて淨土に往生すべきものなり。

(二四八)
後生を一大事とおぼしめし候はゞ、たゞ一すぢに彌陀をたのみまひらせて、もろもろの雜行、物のいまわしき心などをふりすてゝ、一心にふたごゝろなくたのみまいらせ候てこそほとけにはなり候はんずれ。さやうに物をまひらせ候て、そのちからにてなどゝうけ給候、なにともなき事にて候。よくよく御心え候べく候。後 生ほどの一大事はあるまじく候。文をよくよく御らんじ候べく候。返々御心えのとをりどもあさましく候。これよりのち、いよいよよくよく御心えわけましまし候べく候。あなかしこ、あなかしこ。

(二四九)
その方にみなみな申されさふらふなるは、信心をうるとき、はやほとけになりさとりをひらきたるよし、うけたまはりおよび候。言語道斷くせ事にて候。それはあさましくこそさふらへ。
聖人御一流には定聚・滅度とたてましまして、雜行をすてゝ一心に彌陀に歸したてまつるとき、攝取不捨の利益にあづかり正定聚のくらゐにさだめたまふ。これを平生業成となづく。さて今生の縁つきていのちおはらんとき、さとりをひらくべきものなり。これをすなはち大涅槃をさとるとも、滅度にいたるとも申すなり。かくこゝろうる人を信心決定の人とは申べしと、我々は聽聞申してさふらふ。されば『和讚』(淨土*和讚)にいはく、
「如來すなはち涅槃なり 涅槃を佛性となづけたり 凡地にしてはさとられず 安養にいたりて證すべし」とうけたまはり候。よくよくこのむねを御心得あるべく候。あなかしこ、あなかしこ。

(二五〇)
信心のやうたづねうけ給候。なにのわづらひもなく阿彌陀佛を一心にたのみまいらせて、そのほかはいづれの佛も神も阿彌陀一佛をたのみまいらするうちにこもりたる事にて候とおぼしめして、一心一向に彌陀を信じまいらさせたまひ候はんずるが、すなはち他力の信心をよくこゝろゑたる人にてあるべく候。このほかに はなにのやうがましき事も候まじく候。むかしは阿彌陀佛をもたふとくおぼしめして、おろそかなる御心も候はねども、それは淨華院の御心へどをりにて候ほどに、わろく候。いまは阿彌陀佛の御たすけによりて極樂に往生すべしとおぼしめしさだめ候べく候。もとは我御申候念佛のちからにてほとけにならせ給候はんずるやうにおぼしめして候。それは自力にてわろきこゝろにて候。いまは阿彌陀ほとけの御ちからにて御たすけありたりとおぼしめし候べく候。さるほどに阿彌陀如來の御ちからにて御たすけありつる御うれしさをば、念佛を申て報じたてまつるものなりと御心へ候はんずるが、すなはち報謝の念佛と申事にて候。彌陀如來の他力本願のことはり、信心をとると申す、この事にて候。なにのやうもなき事どもにて候。御心やすくおぼしめし候べく候。五障・三從の女人、十惡・五逆の惡人は、この彌陀如來の本願にあらずは、極樂に往生するといふ事あるまじく候。かゝる殊勝の本願にあひまいらせて候事、まことに宿縁のもよほすところとありがたくこそ候へ。よくよくこのとをりをまことゝ御心へ候て、報恩報德のために御念佛候べく候。あなかしこ、あなかしこ。
【正本 本善寺有之】此御文女房衆へ被參候御文也
誰人の御方へ共不成慥A文漳之樣體B御妹栃川殿歟C
令以正御筆寫之校合畢
天正九年[辛巳]二月廿六日實悟(花押)
於和州芳野郡笠著村超勝筆也
無正體者也 滿九十歲

(二五一)
昔筑紫方之事にてもありける歟、小里の一村ありつる所に道場をかまへ、念佛の一宗をたてたりしかば、其あたりの人民おほくあつまりて此法を修行しける程に、彌陀如來之他力本願之一すぢにたふとき事をのみ沙汰 しあそび侍けり。さる程に此人數に加る輩どものおもふ樣は、此法にまさりてたふとき事なしとて、ことには又在家止住の類においては、後生のたすかるべき法はこれより外には更以あるべからずと信じて、朝夕はあつまりて信仰の志のふかきによりて、結句諸宗をば謗人と名て佛法信ずる人とも中々おもはざるがゆへに、此人數のふるまひども、以外人目に立てわろくみゆる事かぎりなし。然間諸山寺・山臥・陰陽師等に至までも、これをそしりにくまぬ人はなし。この謂れによりて諸宗一同に談合して、此宗をいかにもして此在所をはらひうしなはんといふはかり事をたくみけり。依如此の悵行ある由を又彼宗の人につけしらせければ、以外腹立していふやうは、无下にさ樣にせらるまじきものをとて、城槨をかまへ、ほりをほり、やぐらをあげ、兵糧米をいれなんどして、敵を相待ければ、一方よりもせめやぶらんとせし所を、散々にふせぎたゝかひければ、敵にはおほく人そこばくうたれにけり。猶も此まゝうちすてゝおくべからずと云て、又諸方の人勢をあまた相かたらひてせめけれども、更に城の内には手おゐなんどもなく、よせ手ばかりは損じければ、迷惑なりし所に、其在所六、七里ばかりある所より彼城内によき知人のありけるが、仲人となりて申樣、彼弓矢之爲體言語道斷不可然次第也。其いはれをいかんといふに、城内はよはる儀はなけれども、不勢に多勢がまさるべき道理にてもなし。これは无益の事也。旣に彼面々は後生一大事の爲に此一法を興行すといへども、あまりに惡行をいたし、諸宗をないがしろにするによりて、諸宗より如此の退治を加るなり。凡此宗義の輩 どものふるまひ天下にかくれなし。たとひ念佛宗をたつといふとも、更に人にかゝるべき義にもあらざるを、此宗の人ども、我が宗の其色を他宗にみする事、以外のあやまりなり。弓矢の仲人をこそ申候はんずれ、加樣佛法のおもむきはくはしく存知候はねども、大概佛法に相違候分をかたり申すべし。よくよく耳をすまして聽聞あべし。先此面々の佛法方之心得之趣は、佛法者とはみゆべからずと勸化して、至極そのうらをはたらくなり。されば「和讚正信偈」ばかりが肝要ぞと云て、かりそめにも『本書』・『選擇集』等なんどをよむ人をば文沙汰と號してこれを偏執し、又「淨土三部經」なんどをかりそめにも道場におきたる人をばそしりて、たゞかな聖敎をつゞりよみにかた事まじりによむ人をもて本とし、おかしきことばをつかふをもて、これをきゝならひて、これをもて學聞とす。さればいまにいたるまでも隨分に佛法の物語りをする人をきくに、ことばのうちにおいて理にもあたらぬおかしきことばどもこれおほし。又念數をもつは名聞なりとて、一人にても念數もつ人なし。今もやうやう勤行の時ならではかりそめにも念數もつ人なし。このこゝろははや廻心してよくなりたる人といふべしや。又おやの明日なればとて、あながちに一遍の念佛も申さず、又佛恩の不可思議なる事をも思はず、たゞ師匠の報謝の志ばかりなり。これはよき安心とは云がたし。佛恩の深き事を思ひてこそ、又師匠の恩の方をも思ふべきに、恩の方を无下にすてゝ、たゞ師匠の恩が雨山の恩と云事は佛法の大旨にそむけり。返々已前心得とも以外に相違候間、自今已後は心中をもちなをされ候べし。諸宗を謗人といふべしと云事をばいかなる人の申出候ぞ。さればいづれの國いづれの所にも宗々同みなある事なれども、あまりに事外に人數おほくあつまりてよもすがらたゞ佛法の沙汰興成なるによりて、我宗の外には後生のたすかる べき宗あるべからずといひて、諸宗を謗人といへる事、以外のあやまりなり。されば彌陀如來の本願にはあひそむけり。旣十八願には「唯除五逆誹謗正法」(大經*卷上)ときらひ、又龍樹の『智論』(大智度論*卷一初品)には「自法愛染故 毀此他人法 雖持戒行人 不脫地獄苦」と堅いましめられたり。依之、是非ともに弓矢をとる事不可然ずと敎訓するによりて、城内に大將と聞へし人先づ退散しければ、其まゝ弓矢もなくして東西之勢ともひきしりぞきけり。かくて其跡に火をかけて墨になしけり。其里にありし人どもは散々になりはてにけり。さてあるべき事ならねばとて、わび事をなして、三年ばかりすぎてみなみな本地に還住しけり。依之、末代までもかくのごときの一宗をたてゝわろきふるまひをせん人は、いくたびもかゝる難にはあふべきものなり。よくよくつゝしむべし。然どもいまだ其執心の者もあるやらん、わろき心中をひちさげたるたぐひもこれありとつたへきく間だ、无勿體あさましきものなり。

(二五二)
功名かなひとげて身をしりぞけず位をさらざれば、すなはち邪意にあふ。
又の
「功なり名とげて身しりぞくは天のみちなり」(老子)[云々]。
【(徹)】てつ書記の
道しらぬ 月とやはみん 秋なかば
名をとげし夜に ありあけのそら
かの【(蕭何)】せうかは、大功がたえにこえたるによりて、官、大相國にいたり、劍を對し沓をはきながら、天上にのぼることをゆるされしかども、叡慮にそむく事ありし かば、【(漢)】かんの高祖、おもくいましめてふかくつみせられけり。

(二五三)
讓與
大谷本願寺御影堂御留守職事
右件住持職者、去文正之比俄光助律師仁申付、旣讓狀與之訖。雖然其身無競望由申間、重而光養丸仁所讓與實正也。但就法流無沙汰之子細在之者、於兄弟中守其器用可住持者也。
次兄弟爲大勢之間、無等閑可有扶持者也。若此條々相背其旨者、永可爲不孝者也。仍讓狀如件。
應仁二年W戊子R三月廿八日 蓮如(花押)

(二五四)
讓與
大谷本願寺御影堂御留守職事
右件御留守職者、任代々例、早可管領者也。但就法義非儀之子細在之者、於兄弟中守器用可住持者也。次男女少兒之兄弟多之、愚老如存生之時、不相替可扶持者也。若相背此等之旨、永可爲不孝者也。仍讓狀如件。
延德貳年十月廿八日 兼壽(花押)

(二五五)
傳へ聞く、人の名の字は主によるといへる事のありぬらん。夫慶恩坊とかきては、恩を悅ぶとよめる歟。しかれば此恩といふは、抑なにの恩やらん。凡そ勘へみるに、此仁は本は聖道門の人なれども、近比はたゞ弓箭にのみたづさはりて、更に其聖道をおいて佛法修行の心はあさかりき。依之不思議の宿縁のもよほしによりけるか、當山に來至せしむる間、何となく一流安心のおもむき耳にとゞむる。其恩を悅ともいひつべき歟。又京都は本來本所たるがゆへに、こゝにてうる所の信心は、みなもと京都聖人の御恩なるがゆへに、とをく京都の御恩を悅ぶ道理にもかなふべき歟。何樣にも兩 樣につけて可然勘へなれば、旁以殊勝の坊號たるものなり。
法名
釋蓮慶
慶恩坊
實名
光善
文明四年極月廿八日
釋蓮如(花押)

(二五六)
經律論釋の肝要をぬきいでゝ、『敎行信證の文類』と號す。かの書にのぶるところ、義理甚深なり。いはゆる凡夫有漏の諸善、願力成就の報土にいらざることを決し、如來利他の眞心、安養勝妙の樂邦に生ぜしむることをあらはせり。

(二五七)
六日講每年約束、いまたしかにうけとり候。かへすがへすありがたくこそ候らへ。それにつきても老少不定の人間にてさふらふあひだ、早々信心決定さふらひて、眞實報土の往生をとげられべくさふらふ。なにのやうもなく一心一向に彌陀をたのみまひらせて、たすけたまへと一念信ずる人は、かならず極樂に往生すべし。かへすがへすうたがひあるまじくてさふらふ。よくよくこゝろえられべくさふらふ。あなかしこ、あなかしこ。
十一月廿五日
六日講中へ
たぐひなき 佛智の一念 うることは

彌陀のひかりの もよをしとしる
正月一日におもひいづるまゝよむ

(二五八)
抑每年やくそく代物之事、たしかに請取候。この趣惣中へ可有披露候。かへすがへすありがたく覺へ候。就其一念に、もろもろの雜行の心をふりすてゝ、彌陀如來後生たすけたまへとまふさん人は、かならずかならず往生は一定にてあるべし。その分よくよく惣中へ披露そろはゞ可然候。なにごとも後生にすぎたる一大事はあるまじく候。今生はたゞ一端のことにて候。よくよくこゝろゑられ候て、往生せられ候はゞ、しかるべきことにて候。あなかしこ、あなかしこ。
明應七年霜月廿六日
六日講中へ
實如(花押)

(二五九)
抑從四講爲報恩講志分代物拾貫文、慥請取候。返々難有覺、此由能々惣中可有披露候也。就其相構相構佛法之可被取候。一念に阿彌陀佛をひしとたのみ、もろもろの雜行をすてゝ後生をたすけ給へと无疑心たのまれ候はゞ、かならずかならず極樂に往生あるべし。そのぶんあまねく披露候べく候。もし愚老も存命候はゞ、春は見參ともあるべく候。あなかしこ、あなかしこ。
十二月廿八日 蓮如
四講中

(二六〇)
每度志ども返々ありがたく候。ことに今度又千疋の分かゑすがゑすわづらひのいたりに候。それにつきよくよく信心決定候て、報土の往生治定せられそろべく候。人間は老少不定のさかひにて候へば、いそぎいそぎ往生決定の信をゑらるべし。愚老も七十有餘の身にて候 へば、旦暮を期せずこそ候らへ。いかさま命もそろはゞ、春は見參に入候べく候。あなかしこ、あなかしこ。
十一月廿八日 蓮如
四講中へ

(二六一)
每年約束錢之事、慥に請取候。かへすがへすありがたくおぼえ候。それにつき安心之事雖不珍候、もろもろの雜行をすてゝ一心に彌陀如來今度の後生たすけ給へと申人々は、みなことごとく極樂  すべきこと、うたがひあるべからず候。そのぶんいくたびも面々談合候て、能々往生をとげられ候て、可然事にて候。このよし惣中へ披露あるべく候。あなかしこ、あなかしこ。
十一月廿八日 蓮如
四講中へ

(二六二)
又佛事分十二、慥々請取候。
約束代物之事、慥に請取候。返々難有覺候。就其安心之事、一念に彌陀をたのみまひらせてのうへには、南无阿彌陀佛南无阿彌陀佛と申す念佛の心は、彌陀如來やすくたすけまします御恩のありがたさよと申す心なりと心得られ候て、朝夕念佛申給ふ事肝要にて候。このほかには別たる事もあるまじく候。あなかしこ、あなかしこ。
十一月廿八日 蓮如
四講中へ

(二六三)
四講每年約束之分、慥に請取候。千萬難有候。就其老少不定之人間に候間、他力信心能々可有決定候。いか なる罪ふかき身なりとも、彌陀如來を一心一念にたのみまひらせん人々は、かならず御たすけ候べく候。うたがひなく念佛申させたまふべく候。このよしみなみなに申ふれられ候べく候。あなかしこ、あなかしこ。
霜月廿五日 蓮如
四講中

(二六四)
每年之約束物之事、慥々請取候。返々難有こそおぼへ候へ。就其安心事、一念阿彌陀佛をたのみ申候よりほかは、別の子細あるまじく候。其上には朝夕念佛申させ給ひ候はんずる、肝要にて候。其分講衆中へ披露候べく候。あなかしこ、あなかしこ。
十一月廿八日 蓮如
四講中へ

(二六五)
今度報恩講中志とて、千疋慥に請取候。返々難有こそ候へ。それにつきいくたび申候てもをなじ事にて候。一心に彌陀如來後生御たすけ候へとふかくたのまん人は、十人も百人もみな淨土に往生あるべく候。初心なるかたへもかやうにすゝめられ候べく候。これよりをくふかきことはあるまじく候。よくよくこゝろえられ候べく候。あなかしこ、あなかしこ。
十二月廿八日 蓮如
四講中へ

(二六六)
馬黑月毛二疋のぼせられ候。返々よろこびいり候。さりながらわづらゐのいたりに候。それにつきて人間は老少不定之界にて候間、世間は一旦の浮生、後生は永生の樂果なれば、今生はひさしくあるべき事にもあらず候。後生といふことは、ながき世まで地獄にをつる事なれば、いかにもいそぎ後生の一大事を思ひとりて、彌陀の本願をたのみ他力の信心を決定すべし。されば 信心をとるといふも、なにのわづらひもなく南无と一心に彌陀をたのめば、阿彌陀佛のやがて御たすけある事なれば、又信心をとるといふことも、この南无阿彌陀佛の六字のこゝろなり。このゆへに一心一向に彌陀をたのみまひらせて、行住座臥に念佛を臨終まで退轉なく申べきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

拾月十八日 蓮如
四講中


真偽未決

(一)
諸の雜行雜修自力の心を捨てゝ、一心に阿彌陀如來今度の我等が一大事の後生御助候へと奉賴候。賴一念の時、如來の御助一定我が往生治定と存じて、報謝の爲に念佛申候。加樣の心に被成候も、宿善の催とは申乍ら、偏に御開山聖人の御出世の御恩、次第御相承眞の善知識の不淺御勸化の御慈悲の極にて候。此上には仰出し在々す御掟を、隨分命を涯りに嗜可申候と[云云]。南無阿彌陀佛、南無阿彌陀佛。

(二)
もろもろの雜行雜修のこゝろをふりすてゝ、一心に阿 彌陀如來今度の我等が一大事の後生御たすけ候へと一念しかと賴み申て候。たのみ申たる一念の時、はや我往生は一定と存じ、阿彌陀如來の御恩ありがたく念佛申候。箇樣の往生の御ことはりまぎれもなく聽聞申わけまいらすること、是偏に御開山聖人御出世の御恩、次第御相承只今の眞の善知識のあさからざる御勸化の御恩と、彌々難有存じ候。御本寺より被仰出御掟の通、命をかぎり以御慈悲隨分たしなみ申候。

(三)
諸雜行雜修自力の心を捨て、一心に阿彌陀如來今度我等が一大事の後生御助候へと一念にしかと賴み申て候。賴申は一念の時、我往生は一定と存、佛恩報謝の稱名念佛を申候。箇樣御理り無紛聽聞申分まひらする事、是偏御開山聖人樣の御出世の御恩、次第御相承唯今の眞の善知識樣の不淺御勸化の御恩與、愈難有喜申候。猶御本寺樣より被仰出御掟通、命を限に以御慈悲隨分嗜可申と存候。

(四)
そもそも當流に沙汰するところの信心といふ二字をば、まことのこゝろとよむなり。また安心とかきては、やすきこゝろとよむなり。これによりて不信あり。信心の二字をばまことのこゝろとよむは、彌陀如來の他力のまことの御こゝろときこえたり。また安心といふ二字をやすきこゝろとよめるは、さらにそのいはれきこえはんべらず。如來の他力の御こゝろなれば大事のこゝろとこそよむべきに、やすきこゝろとよむは不審におぼへはんべり。こたへていはく、まことにこの不審は道理至極ときこえたり。まづ无善造惡のわれらが一念にもろもろの雜行をすてゝ、一心一向に彌陀如來にふたごゝろなく歸命する衆生が如來の佛心となりき、やすくたすけすくひたまふことは不思議なり。これをおもふときは、佛の御こゝろはまことのこゝろなり。 无善の衆生がなにのやうもなく一心にうたがひなくたのめば、かならずやすくたすけたまふこゝろなれば、安心とはやすきこゝろとよめるは、まことに道理にかなへりときこえたり。念々彌陀如來のまことのこゝろのとりやすの安心やといへるこゝろなり。あなかしこ、あなかしこ。

(五)
靜おもんみれば、此比は當山之内にも其外往來の諸人等を見及ぶに、凡後生には心を入たる風情なり。しかれども誠にとりつめては、其意不同なる樣にみえたり。さればこのたび安心のとをり、もし眞實に決定せずは極樂往生は不定なり。一大事これにすぐべからず、よくよく至慮すべし。されば上古の堅哲も往生之一道にはまどへる子細あり、いはんや末代の我等においては……

(六)
そもそも此吉崎の一宇にして彼岸會と申す事は、春秋の兩時において天正時正と申して、晝夜の長短なくして、暑からず寒からず、其日いでゝ正等にして直に西に沒し、人民の往還たやすく、佛法修行のよき節なるによりて、其かみ佛在世より末代の今にいたりてこれを行ふ也。此時は人の心ゆたかなるによりて、信行增上し易し。されば冬は秋の餘り、夏は春のすへなれば、夏冬は艱苦にして信心修行もをろそかになりやすきに、この兩時の初めこそ信行相續して、未安心の人は宿善の花も開け、信心開發の人は佛果圓滿のさとりをもうるにより、都て佛法信仰の人は參詣の足手を運び、法會に出座するものなり。しかれば彼岸會といへること は、七日の内中日は日輪西方にかたぶき、かの淨土の東門に入りたまふ。此ゆへに、无爲涅槃の極樂を彼岸とはいへり。今娑婆を此岸といひて、生死海有爲の迷のきしなるにより、佛願正智の弘誓の舟に乘じ、さとりのかのきしにいたりうるの念佛なれば、『經』(大經*卷上)には「一切善本皆度彼岸」と說し、又は「究竟一乘至于彼岸」(大經*卷下)とものたまへり。故に當流祖師聖人の御法流には、まづ平生業成の御勸化、入正定聚の益あれば、あながちにこの兩時にはかぎらず、つねに佛恩を信知するといへども、未安心の人はたゞ名聞人目ばかりの心にして、法座にのぞみたまはゞ、信心も等閑なるべし、法理も白地にならずして、たとへば珠を淵になぐるが如く、又はうべきの根なきに似たり。これねがはくは、皆々名聞人目の心をすてゝ、信心報謝の念をはこぶべきなり。その肝要と申すは、彌陀如來をたのみ今度の我等が一大事の後生たすけたまへと一筋に信じ、雜行雜修をはなれたる一向專念の人は、十人も百人ものこらず極樂に往生すべきことをたふとみ、その嬉さにはねてもさめても南無阿彌陀佛を申して、足手をはこび、信心相續あらば、ひとへに信行兩益の人と云べし。これすなはち十卽十生百卽百生の人數たるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
右於吉崎一宇令建立執行彼岸會者也。
文明五年八月十三日 蓮如五十九歲判