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御文章集成

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

現在確認されている蓮如上人の御文(御文章)は趣旨は同じだが語句を変えた分も含めて二百数十通にのぼるといわれる。その内の八十通を第九代宗主実如上人(1458-1525)のもとで抽出・編集された五帖八十通を「帖内御文章」ともいい、我々門徒は法座や自宅の勤行で声に出して拝読してきた歴史がある。『天正三年記』(蓮如上人の十男である実悟師著) には、「かるがると愚癡の者の、はやく心得まひらせさふらふやうに、千の物を百に選び、百の物を十に選ばれ、十の物を一に、早く聞分(ききわけ)申様にと思召しめされ、「御文」にあそばしあらはされて、凡夫の速かに仏道なる事を、おほせたてられたる事にてさふらふ」とある。現代でも、まともな西派の布教使は法話の後で「肝要は拝読の御文章」と発語して御文章を声に出して拝読する慣わしがあるのもこの意を承けているのである。
ともあれ、ここでは蓮如上人の御文を集めて成った『浄土真宗聖典全書』にある『御文章集成』を、検索の利便を考慮し旧字体を新字体に変換し、林遊の私見をまじえた解釈や脚注を付して転載した。
『浄土真宗聖典全書』聖教データベースより転載。原文→ノート:御文章集成

目 次

御文章集成

御文章集成

年 紀

(一)

筆始めの御文

「たすけたまへ」を否定的に使っている時代(1462)のお文。後に「たすけたまへ」を相手の意を受けいれる許諾(むこうの言い分を許し承諾する)の意で多用するようになった。『御文章』一帖七通目(1473)に「ふたごころなく弥陀をたのみたてまつりて、たすけたまへとおもふこころの一念おこるとき」とある頃から「たすけたまへ」という語を積極的に使われた。


当流上人の御勧化の信心の一途は、つみの軽重をいはず、また妄念妄執のこゝろのやまぬなんどいふ機のあつかひをさしをきて、たゞ在家止住のやからは、一向にもろもろの雑行雑修のわろき執心をすてゝ弥陀如来の悲願に帰し、一心にうたがひなくたのむこゝろの一念をこるとき、すみやかに弥陀如来光明をはなちて、そのひとを摂取したまふなり。これすなはち仏のかたよりたすけましますこゝろなり。またこれ信心を如来よりあたへたまふといふもこのこゝろなり。さればこのうへには、たとひ名号をとなふるとも、仏たすけたまへとはおもふべからず。たゞ弥陀をたのむこゝろの一念の信心によりて、やすく御たすけあることの、かたじけなさのあまり、如来の御たすけありたる御恩を報じたてまつる念仏なりとこゝろうべきなり。これまことの専修専念の行者なり。これまた当流にたつるところの一念発起平生業成とまうすもこのこゝろなり。あなかしこ、あなかしこ。
寛正二年三月 日

(二)

凡親鸞聖人の御勧化の一義のこゝろは、あながちに出家発心のかたちを本とせず、捨家棄欲のすがたを表せず、たゞ一念発起平生業成とたてゝ、来迎を期せず、 臨終をまたず、在家愚鈍の身は、もろもろの雑行のこゝろ雑修の機をなげすてゝ、一向一心に弥陀如来の不思議の願力をたのみたてまつるこゝろの二も三もなきかたを、信心発得の行者といふなり。さればこのくらゐの人をさして、竜樹菩薩は「即時入必定」(十住論巻*五易行品)といひ、曇鸞和尚は「一念発起入正定之聚」(論註*巻上意)と釈したまへり。これによりて南无阿弥陀仏といへる行体は、まづ南无の二字は帰命なり、帰命のこゝろは往生のためなれば、またこれ発願なり。されば南无とたのめば阿弥陀仏の御かたより光明をはなちて行者を摂取しましますがゆへに、われらが往生ははや治定なりとおもふべきものなり。このこゝろを『観経』には、「光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨」とときたまふなり。このくらゐを一念帰命の信心さだまる行者とはいふなり。それにつきては、たゞ信心をおこすといふも、これあながちにわがかしこくておこすにはあらず。そのゆへは宿善ある機を弥陀の大慈大悲によりて、かたじけなくもよくこれをしろしめされて、无㝵の光明をもて十方世界をてらしたまふとき、われらが煩悩悪業は光明の縁にあふによりて、すなはち罪障消滅して、たちまちに信心決定の因はおこさしむるものなりとしるべし。さればこのこゝろをすなはち仏智他力のかたよりさづけたまふ利他の三信とまうすなり。この他力の信心をひとたび決定してのちは、弥陀如来のわれらごときの愚鈍下智の機をたやすくたすけまします御恩のかたじけなやと、ふかくおもひとりて念仏をまうし、その仏恩を報ずべきものなり。このゆへになをわが往生極楽のためなんどゝおもひて、すこしきの念仏をもまうさば、それはなを自力はなれぬこゝろなりとおもふべし。たゞ仏恩のふかきことをおもひて、つねに名号をとなふべきなり。さればこのこゝろを、善導の釈には「自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報 仏恩」(礼讚)ともいへり。又親鸞聖人は「真実信心必具名号名号必不具願力信心也」(信巻)ともおほせられたり。あなかしこ、あなかしこ。
文正元

(三)

おほよす当流の勧化のをもむきは、あながちに出家発心のすがたを表せず、捨家棄欲のかたちを本とせず、一念発起の信心のさだまるとき往生は決定なり。さればかものはぎのみじかきをも、つるのはぎのながきをもいろはず、をのれをのれのかたちにて、あきなひをするものはあきなひしながら、奉公をするものは奉公しながら、さらにそのすがたをあらためずして不思議の願力を信ずべし。これ当流の勧化一念発起平生業成の儀なりと[云々]。
かきをきし ふみのことばに のこりけり
むかしがたりは きのふけふにて
応仁二年四月仲旬
蓮如 御判

(四)

かきをきし 筆のあとこそ あはれなれ
むかしをおもふ 今日の夕暮
このごろの信心がほの行者たち、あらあさましや、真宗の法をえたるしるしには学匠沙汰のえせ法門、我身のほかは信心のくらゐをしりたるものなしと思こゝろは、憍慢のすがたにてはなきかとよ。その心むきはよきとおもふ安心か。これよく経釈をしりたるふたつの勘文かや。
応仁弐年四月廿二日夜、予がゆめにみるやう、たとへ ばある俗人の二人あるけるが、そのすがたきはめていやしげなるが、一人の俗人に対してかくのごとく文を二、三反ばかり誦しければ、かの俗人この文の意をうちきゝて申やう、あらあさましや、さてはとしごろ我等がこゝろえのをもむきはあしかりけりとおもふなりといひはんべるとおぼへて、ゆめさめをはりぬ。この文をたしかにそらにおぼへけるまゝにかきしるしをはりぬ。不思儀なりしことなりと[云々]。
〔応仁二年四月廿四日書之
釈蓮如御在判〕
かきとむる 筆の跡こそ あはれなれ
わがなからんのちの かたみともなれ

(五)

夢中文
このごろの信心がほの行者たち、あらあさましや、真宗の法をゑたるしるしには学生沙汰のゑせ法文、わが身のほかは信心のくらゐをしりたるものなしとおもふこゝろは、憍慢のすがたにてはなきかとよ。そのこゝろむきはよきとおもふ安心か。これよく経釈をしりたるふたつの勘文かや。
応仁二年四月廿二日夜、予がゆめにみるやう、たとへばある俗人の二人ありつるが、そのすがたはきはめていやしげなりけるが、その一人の俗に対してこの文を二、三返ばかり誦しければ、かの俗人この文のこゝろをうちきゝていふやう、あさましや、さてはとしごろわれらがこゝろゑつるおもむきはあしかりけりとおもふなりといひはんべるとおぼへて、ゆめさめおはりぬ。さてこの文をたしかにおぼへけるほどにかきつけぬ。不思議なりし文なりと[云々]。

(六)

応仁二年孟冬仲旬之比より江州志賀郡大津辺より忍出、紀伊国高野山一見のついでに、和州吉野の奥十津川の ながせ鬼が城といひし所へゆきはんべりし時、あまりに道すがら難所なりし間、かなしかりしほどに、かくぞつゞけ侍しなり。
高野山より十津河小田井の道にて、
奥吉野 きびしき山の そわづたひ
十津河をつる のながせの水
十津河の 鬼すむ山と きゝしかど
すぎにし人の あとゝおもへば
これほどに はげしき山の 道すがら
のりのゆかりに あふてやはゆく
十津川より小田井の道にて、
谷々の さかりの紅葉 三吉野の
山の秋ぞ 物うき
山々の さかしき道を すぎゆけば
河にぞつれて かへる下淵
下淵より河づらの道にて、
三吉野の 河づらつゞく いゝがゐの
いもせの山は ちかくこそみれ
河づらよりし吉野蔵王堂一見の時、一年のうかりし事をいまおもひ出て、
いにしへの 心うかりし 三吉野の
いふは紅葉も さかりとぞみる
応仁二年孟冬仲旬信証院兼寿法印[御判有之]

(七)

如来の御弟子か我弟子か之事
或人いはく、当流のこゝろは、門徒をばかならずわが弟子とこゝろえおくべく候やらん、如来・聖人の御弟子とまふすべく候やらん、委細存知せず候。また在々 所々にわが弟子なんどをもちて候をも、てつぎの坊主にはあひかくしをくやうに候は、愚身これもわろきことにて候よしうけたまはりおよぶやうに候はいかん、委細しめしうけたまはり候て、日ごろの不審をはれたく候。肝要ばかりにて候。答ていはく、まことにこの御不審は宿善も純熟し候かとおぼへて、殊勝にそゞろにありがたく存じ候。いさゝか聴聞つかまつりをき候をもむきいかでかまふしはんべらざるべき。
故上人おほせにのたまはく、「親鸞は弟子一人ももたず」とこそおほせられ候ひつれ。そのゆへは如来の教法を十方衆生にとききかしむるは、たゞ如来の御代管を申しつるなり。さらに親鸞めづらしき法をもひろめず、如来の教法をわれも信じ、人にもをしへきかしむるばかりなり。そのほかはなにををしへて弟子といはんぞとおほせられけり。さればとも同朋なるべきものなり。これによりて上人は御同朋・御同行とこそ、かしづきておほせられけり。ちかごろは大坊主分の人も、われは一流の安心の次第をもしらず、たまたま弟子のありて、信心の沙汰のあるところへちかづきて聴聞し候人をば、ことのほか説諫をくはへ候て、あるひはなかをたがひなんどせられ候あひだ、坊主もしかしかと信心の一理をも聴聞せず、また弟子をばかくのごとくあひさゝへられ候あひだ、我も信心決定せず、弟子も信心決定せずして、一生はむなしくすぎゆくやうに候はんこと、まことにもて自障障他の道理のとがのがれがたく候。あなかしこ、あなかしこ。
答て、この御不審もとも肝要と存候て殊勝におぼへ候。かたのごとくみゝにとゞめをき候おもむき申のぶべく候。
近比加州片山里居住仕候。

(八)

聖人一流の原型

文明第三炎天の頃とあるから吉崎御坊建立の年の炎天(旧暦6月、新暦7月)に書かれたものと推定される。いわゆる信心正因・称名報恩と押さえた「聖人一流章」の元になったお文(御文章)。
五帖十通目の「聖人一流章」の内容を大坊主分の坊主に対して在野の一門徒に語らせているお文である。梯實圓和上は、蓮如上人の北陸進出において、まず指導者である坊主分が信を獲るべきであるとして在家の俗人をして信心を説かせたのであろうと言われていた。いわゆる改革は内部から着手するのであり、この当時の蓮如さんを「攻めの蓮如上人」と措定しておられた。➡hwiki:トーク:帖外ご文章
  • (一〇)に同趣旨の文あり。


文明第三炎天のころ、賀州加卜郡五ケ庄の内かとよ、 (ある)片山辺に人十口ばかりあつまりゐて申しけるは、このごろ仏法の次第以外わろき由を讚嘆しあへり。そのなかに勢たかく色くろき俗人ありけるが、かたりけるは、一所の大坊主分たる人に対して仏法の次第を問答しける由を申て、かくぞかたり侍りけりと[云云]。
(くだんの)俗人問て、当流の大坊主達はいかやうにこゝろねをもちて、その門徒中の面々をば御勧化候やらん、御心もとなく候。くはしく存知仕候て聴聞すべく候。
大坊主答ていはく、仏法の御ゆう[1]をもて朝夕をまかりすぎ候へども、一流の御勧化のやうをもさらに存知せず候。たゞ手つぎの坊主へ礼儀をも申し、又弟子の方より志をもいたし候て、念仏だに申し候へば肝要とこゝろゑたるまでにてこそ候へ。さ候間、一巻の聖教をも所持候分も候はず、あさましき身にて候。委細かたり給ふべく候。
俗のいはく、その信心と申すすがたをばさらさら御存知なく候やらん。
答ていはく、我等が心得をき候分は、弥陀の願力に帰したてまつりて朝夕念仏を申し、仏け御たすけ候へとだにも申候へば往生するぞと心得てこそ候へ、そのほかは信心とやらんも安心とやらんも存ぜず候。これがわろく候はゞ御教化候へ、可聴聞候。
俗いはく、さては大坊主分にて御座候へども、さらに聖人一流の御安心の次第をば御存知なく候。我等は俗体の身にて大坊主分の人に一流の信心のやう申入候は斟酌のいたりに候へども、「四海みな兄弟なり」(論註*巻下)と御沙汰候へば、かたのごとく申入べく候。
坊主答ていはく、誠以貴方は俗人の身ながらかゝる 殊勝の事を申され候ものかな、いよいよ我等は大坊主にては候へども、いまさらあさましくこそ存候へ、早々うけ給り候へ。
答ていはく、かくのごとく御定候あひだ、如法出物に存候へども、聴聞仕置候おもむき大概申入べく候。御心をしづめられ候てきこしめさるべく候。まづ聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもて本とせられ候。そのゆへはもろもろの雑行をなげすてゝ、一心に弥陀に帰命すれば、不可思儀の願力として、仏のかたより往生を治定せしめ給ふなり。このくらゐを「一念発起入正定之聚」(論註*巻上意)とも釈したまへり。このうへには行住座臥の称名念仏は、如来我往生をさだめ給ふ御恩報尽の念仏と心得べきなり。これを信心決定の人とは申なり。 次、坊主様の信心の人と御沙汰候は、たゞ弟子のかたより細々に音信をも申、又なにやらんをもまひらせ候を信心の人と仰られ候。これは大なる相違とぞ存候。よくよく此次第を御こゝろゑ候て、真実の信心を決定あるべきものなり。当時は大略かやうの人を信心のものと仰られ候。あさましき事にはあらず候哉。此次第をよくよく御分別候て、御門徒の面々をも御勧化候はゞ、いよいよ仏法御繁昌あるべく候ふあひだ、御身も往生は一定、又御門徒中もみな往生決定せられ候べき事うたがひなく候。これすなはち「自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報仏恩」(礼讚)の釈文に符合候べき由申候処に、大に坊主悦て殊勝のおもひをなし、まことに仏在世にあひたてまつりたるこゝろして、解脱の法衣をしぼり、歓喜のなみだをながし、改悔懺悔のこゝろいよいよふかくして申されけるは、向後我等が少門徒をも貴方へ進じをくべく候。つねには御勧化候て信心決定させ給ふべく候。我等も自今已後は細々に参会をいたし、聴聞申て仏法讚嘆仕るべく候。誠に「同一念仏无別道故」(論註*巻下)の釈文、いまにおもひあはせられてあ りがたく候ふとて、此炎天のあつさにや扇うちつかひてほねおりさうにみゑて、この山中をぞかへるとて、またたちかへり、ふるき事なれども、かくぞ口ずさみける。
うれしさを むかしは袖に つゝみけり
こよひは身にも あまりぬる哉
と申すてゝかへりけり。まことにこの坊主も、宿善の時いたるかとおぼへて、仏法不思議の道理もいよいよありがたくこそおぼへはんべれ。あなかしこ、あなかしこ。

(九)

帖内一の一

或人いはく、当流のこゝろは、門徒をばかならず我弟子とこゝろへおくべく候やらん、如来・上人の御弟子とまふすべく候ふやらん、その分別を存知せず候ふ。又在々所々に小門徒をもちて候をも、此間は手つぎの坊主にはあひかくしおき候やうに心中をもちて候。これもしかるべくもなき由、人のまふされ候間、同くこれも不審千万に候。御ねんごろに承度候。
答ていはく、此不審尤肝要とこそ存候へ。かたのごとく耳にとゞめおき候分、まふしのぶべくきこしめされ候へ。
故聖人の仰には、「親鸞は弟子一人ももたず」とこそ仰られ候ひつれ。そのゆへは如来の教法を十方衆生にとききかしむるときは、たゞ如来の御代管をまふしつるばかりなり。さらに親鸞めづらしき法をもひろめず、如来の教法を我も信じ、人にもおしへきかしむるばかりなり。その外はなにをおしへて弟子といはんぞと仰られつるなり。さればとも同行なるべきものなり。これによりて聖人は御同朋・御同行とこそ、かしづきて仰られけり。さればちかごろは大坊主分の 人も、我は一流の安心の次第をもしらず、たまたま弟子のなかに信心の沙汰する在所へゆきて聴聞し候人をば、事外説諫をくはへ候て、或は中をたがひなんどせられ候間、坊主もしかしかと信心の一理をも聴聞せず、又弟子をばかやうにあひさゝえ候ふあひだ、我も信心決定せず、弟子も信心決定せずして、一生はむなしくすぎゆくやうに候事、まことに自損損他のとがのがれがたく候。あさましあさまし。
古歌にいはく、
うれしさを むかしはそでに つゝみけり
こよゐ【は】を身にも あまりぬるかな
「うれしさをむかしはそでにつゝむ」といへるこゝろは、むかしは雑行・正行の分別もなく、念仏だにも申せば、往生するとばかりおもひつるこゝろなり。「こよゐは身にもあまる」といへるは、正雑の分別をきゝわけ、一向一心になりて、信心決定のうへに仏恩報尽のために念仏まふすこゝろは、おほきに各別なり。かるがゆへに身のおきどころもなく、おどりあがるほどにおもふあひだ、よろこびは身にもうれしさがあまりぬるといへるこゝろなり。
文明三年七月十五日
(帖内一-一)

(一〇)

【〔加州二役にて〕文明三 七月十六日】文明第三 初秋仲旬之比、加州或山中辺において人あまた会合して申様、近比仏法讚嘆、事外わろき由をまふしあへり。そのなかに俗の一人ありけるが申様、去比南北の念仏の大坊主もちたる人に対して法文問答したるよしまふして、かくこそかたり侍べりけり。
俗人いはく、当流の大坊主達はいかやうに心ねを御もちありて、その門徒中の面々をば御勧化候哉覧、無御心元候。委細蒙仰度存候。
坊主答云、当流上人の御勧化の次第は、我等も大坊主 一分にては候へども、巨細はよくも存知せず候。乍去、凡先師などの申おき候趣は、たゞ念仏だに申せ、たすかり候とばかり承り置候が、近比はやうがましく信心とやらんを具せずは往生は不可と若輩の申され候が、不審にこそ候へ。
俗問いはく、その信心といかやうなる事を申候哉。
答いはく、先我等が心得置候分は、弥陀如来に帰したてまつりて朝夕念仏を仏御たすけ候へとだにも申候へば、往生は一定と心得てこそ候へ。其外は大坊主をばもちて我等も候へども、委細は存知せず候。
俗問ていはく、さては以前蒙仰候分は、以外此間我等聴聞仕候には大に相違して候。先大坊主分にて御渡り候へ共、更に上人一流の安心の次第は御存知なく候。我等事は誠に俗体の身にて候へども、申候詞をも、げにもと思食しより候はゞ、聴聞仕候分は可申入候にて候。
坊主答云く、誠以貴方は俗体の身ながら、かゝる殊勝の事を申され候者哉。委細御かたり候へ、可聴聞候。
俗答いはく、如法出物なる様に存候へ共、如此蒙仰候之間、聴聞仕候趣大概可申入候。我等事は奉公の身にて候之間、常在京なども仕候間、東山殿へも細々参候て聴聞仕分をば、心底をのこさずかたり可申候。御心にしづめられ可被聞召候。先御流御勧化の趣は、信心をもて本とせられ候。そのゆへはもろもろの雑行をすてゝ、一心に弥陀如来の本願はかゝるあさましき我等をたすけまします不思儀の願力也と、一向にふたごゝろなきかたを、信心の決定の行者とは申候也。さ候時は、行住座臥の称名も自身の往生の業とはおもふまじき事にて候。弥陀他力の御恩を報じ申す念仏なりと心 得うべきにて候。
次に、坊主様の蒙仰候信心の人と御沙汰候は、たゞ弟子の方より坊主へ細々に音信を申し、又物をまひらせ候を信心の人と仰られ候。大なる相違にて候。能々此次第を御心得あるべく候。されば当世はみなみなかやうの事を信心の人と御沙汰候。以外あやまりにて候。此子細を御分別候て、御門徒の面々をも御勧化候はゞ、御身も往生は一定にて候、又御門徒中もみな往生せられ候べき事うたがひもなく候。是則誠に「自心教人信[乃至]大悲伝普化」(礼讚)の釈文にも符合せりと申侍べりしほどに、大坊主も殊勝のおもひをなし、解脱の衣をしぼり、歓喜のなみだをながし、改悔のいろふかくして申様、向後は我等が散在の小門徒の候をも、貴方へ進じおくべき由申侍べりけり。又なにとおもひいでられけるやらん、申さるゝ様は、あらありがたや、弥陀の大悲はあまねけれども、信ずる機を摂取しましますものなりとおもひいでゝ、かくこそ一首は申されけり。
月かげの いたらぬところは なけれども
ながむる人の こゝろにぞすむ
といへる心も、いまこそおもひあはせられてありがたくおぼへはんべれとて、此山中をかへらんとせしが、おりふし日くれければ、またかやうにこそくちずさみけり。
つくづく おもひくらして 入あひの
かねのひゞきに 弥陀ぞこひしき
とうちながめ日くれぬれば、足ばやにこそかへりにき。
釈蓮如(花押)
〔文明三年七月十六日〕

(一一)

帖内一の二

当流親鸞聖人の一義は、あながちに出家発心のかたちを本とせず、捨家棄欲のすがたを標せず、たゞ一念帰命の他力の信心を決定せしむるときは、さらに男 女老少をゑらばざるものなり。さればこの信をえたるくらゐを『経』(大経*巻下)には「即得往生住不退転」ととき、釈には「一念発起入正定之聚」(論註*巻上意)ともいへり。これすなはち不来迎の談、平生業成の義なり。
『和讚』(高僧*和讚)にいはく、「弥陀の報土をねがふひと 外儀のすがたはことなりと 本願名号信受して 寤寐にわするゝことなかれ」といへり。「外儀のすがた」といふは、在家・出家、男子・女人をゑらばざるこゝろなり。つぎに「本願名号信受して寤寐にわするゝことなかれ」といふは、かたちはいかやうなりといふとも、又つみは十悪・五逆・謗法・闡提のともがらなれども、廻心懺悔して、ふかくかゝるあさましき機をすくひまします弥陀如来の本願なりと信知して、ふたごゝろなく如来をたのむこゝろの、ねてもさめても憶念の心つねにしてわすれざるを、本願たのむ決定心をゑたる信心の行人とはいふなり。さてこのうへには、たとひ行住座臥に称名すとも、弥陀如来の御恩を報じまふす念仏なりとおもふべきなり。これを真実信心をゑたる決定往生の行者とはまふすなり。
あつき日に ながるゝあせは なみだ【かな】にて
かき【お】をくふでの あとぞおかしき
文明三年七月十八日
(帖内一-二)

(一二)

勢ひきゝ人のいはく、先年京都上洛のとき、高野へのぼるべき心中にて候ところに、乗専申されけるは、御流の儀はあながちに高野なんどへまひるは本儀にあらず、当流安心決定せしめんときは、いかにも御本 寺に堪忍つかまつりたらんが、報恩謝徳の道理たり。しかれば我等もその義にて堪忍まふすなりと、こまごまと仏法次第かたりたまふほどに、それより御流の安心にはもとづきたてまつるなり。さいはひに和田の御新発意、その時分御在京候あひだ随逐まふし候て、いよいよ仏法次第聴聞つかまつりさふらひて、それよりこのかた御流の安心にはなをなをもとづきまふすなり。これしかしながら御新発意の御恩いまにあさからざるなり。さ候あひだ、聴聞つかまつりさふらふ次第すこしはわろくもまふし候、またはあらくもまふし候いはれにや、越州・加州不信心の面々には件の心源とまふされ候て、かぜをひき候き。しかれども正法の御威光によりて儀理のちがひさふらふところをも、うけたまはりわけさふらふによりて、已前のごとくにはあひかはりて沙汰つかまつり候あひだ、すでにはやその名をあらためて蓮崇とこそまふし候なり。なほなほも相違の子細あるべくさふらふほどに、たれびともよくよく御教訓にあづかりさふらはゞ、まことにもて「同一念仏无別道故」(論註*巻下)のことはりにあひかなひ候べきものなり。
文明三年九月十八日

(一三)

帖内一の三

まづ当流の安心のおもむきは、あながちにわがこゝろのわろきをも、また妄念妄執のこゝろのおこるをも、とゞめよといふにもあらず、たゞあきなひをもし、奉公をもせよ、猟・すなどりをもせよ。かゝるあさましき罪業にのみ朝夕まどひぬるあさましき我等ごときのいたづらものを、たすけんとちかひまします弥陀如来の本願にてましますぞとふかく信じて、一心にふたごゝろなく弥陀一仏の悲願にすがりて、たすけましませとおもふこゝろの一念の信まことなれば、かならず如来の御たすけにあづかるものなり。このうへにはな にとこゝろへて念仏まふすべきぞなれば、往生はいまの信力によりて御たすけありつるかたじけなき御恩報謝のために、わがいのちあらんかぎりは、報謝のためとおもひて念仏まふすべきなり。これを当流の安心決定したる信心の行者とはまふすべきなり。
文明三年十二月十八日
(帖内一-三)

(一四)

一念多念事
【これもぬきがき】一 「真宗の肝要は一念往生をもて淵源とし、一念をもては往生治定の時剋とさだめて、そのときのいのちのぶれば、自然と多念におよぶ道理なり。されば平生のとき一念往生治定のうへの仏恩報謝の多念の称名とならふところなり。一念も多念もともに往生のための正因たるやうにこゝろえみだす条、すこぶる経釈に違せるもの歟。されば先達よりうけたまはりつたへしがごとくに、他力の信をば一念に即得往生ととりさだめて、そのときいのちをはらざらん機は、いのちあらんほどは念仏すべし。これすなはち上尽一形の釈にかなへり。しかるに世のひとつねにおもへらく、上尽一形の多念も宗の本意とおもひて、それにかなはざらん機のすてがてらの一念とこゝろうる歟。これすでに弥陀の本願に違し、釈尊の言説にそむけり。そのゆへは如来の大悲短命の根機を本とせば、いのち一刹那につゞまる无常迅速の機いかでか本願に乗ずべきや。」(口伝*鈔意)
上尽一形下至一念事
【二】「下至一念といふは、本願をたもつ往生決定の時剋なり。上尽一形といふは、往生即得のうへの仏恩報 謝のつとめなり。」(口伝*鈔意)
平生業成事
【三】「そもそも宿善開発の機において、平生に善知識のおしへをうけて、至心・信楽・欲生の帰命の一心他力よりさだまるとき、正定聚のくらゐに住し、また即得往生住不退転の道理をこゝろえなん機は、ふたゝび臨終の時分に往益をまつべきにあらず。そののちの称名は仏恩報謝の他力催足の大行たるべき条、文にありて顕然なり。
念仏往生は臨終の善悪を沙汰せず、至心・信楽・欲生の帰命の一心他力よりさだまるとき、即得往生住不退転の道理を善知識にあふて聞持する平生のきざみに、往生は治定するものなり」(口伝*鈔意)と[云々]。
文明四年二月八日

(一五)

善導云、
「諸衆生等久流生死不解安心。」(礼讚意)[文]
この文のこゝろは、あらゆる衆生ひさしく生死に流転することはなにのゆへぞといへば、安心決定せぬいはれなり。
又云、
「安心定意生安楽。」(礼讚意)[文]
この文のこゝろは、安心さだまりぬれば安楽にかならずむまるゝなりといへり。
【これはみなぬきがきなり】【四】一 「真宗においてはもはら自力をすてゝ他力に帰するをもて宗の極致とするなり。」(改邪*鈔意)
【五】一 「三業のなかには口業をもて他力のむねをのぶるとき、意業の憶念、帰命の一念おこれば、身業礼拝のために、竭仰のあまり瞻仰のために、絵像・木像の本尊を、あるひは彫刻しあるひは画図す。しかのみならず仏法示誨の恩徳を恋慕し仰崇せんがために、三国伝来の祖師・先徳の尊像を図絵し安置すること、こ れつねのことなり。」(改邪*鈔意)
【六】一 「光明寺の和尚の御釈をうかゞふに、安心・起行・作業の三ありとみえたり。そのうち起行・作業の篇をばなを方便のかたとさしおきて、往生浄土の正因は安心をもて定得すべきよしを釈成せらるゝ条、勿論なり。しかるに吾大師聖人このゆへをもて他力の安心をさきとしまします。それについて三経の安心あり。そのなかに『大経』をもて真実とせらる。『大経』のなかには第十八の願をもて本とす。」(改邪*鈔意)
【七】一 「第十八の願にとりてはまた願成就をもて至極とす。信心歓喜乃至一念をもて他力の安心とおぼしめさるゝゆへなり。この一念を他力より発得しぬるのちには、生死の苦海をうしろになして涅槃の彼岸にいたりぬる条、勿論なり。この機のうへは他力の安心よりもよほされて、仏恩報謝の起行・作業はせらるべきによりて、行住座臥を論ぜず、長時不退に到彼岸のいひあり」(改邪鈔)と[云々]。
【八】一 「『観経』所説の至誠・深心等の三心をば凡夫のおこすところの自力の三心ぞとさだむなり。」(改邪*鈔意)
【九】一 「『大経』所説の至心・信楽・欲生等三信をば他力よりさづけらるゝところの仏智とわけられたり。しかるに方便より真実へつたひ、凡夫発起の三心より如来利他の信心に通入するぞとおしへおきましますなり」(改邪鈔)と[云々]。
廃立といへる事
【十】一 「真宗の門においてはいくたびも廃立をさきとせり。廃といふは捨なりと釈す。聖道門の此土入聖得果、己身の弥陀、唯心の浄土等の凡夫不堪の自力の修 道をすてよとなり。
立といふはすなはち弥陀他力の信をもて凡夫の信とし、弥陀他力の行をもて凡夫の行とし、弥陀他力の作業をもて正業として、この穢界をすてゝかの浄刹に往生せよとしつらひたまふをもて、真宗のこゝろとするなり」(改邪*鈔意)と[云々]。
文明四年二月八日

(一六)

【十一】「一向専修の名言をさきとして、仏智の不思議をもて報土往生をとぐるいはれをばその沙汰におよばざる、いはれなきこと。
それ本願の三信心といふは、至心・信楽・欲生これなり。まさしく願成就したまふには聞其名号信心歓喜乃至一念とらとけり。この文について凡夫往生の得否は乃至一念発起の時分なり。このとき願力をもて往生決得すといふはすなはち摂取不捨のときなり。もし『観経義』によらば安心定得といへる、これなり。また『小経』によらば一心不乱ととける、これなり。しかれば祖師聖人御相承弘通の一流の肝要これにあり。こゝをしらざるをもて他門とし、これをしれるをもて御門弟のしるしとす。そのほかかならずしも外相において一向専修行者のしるしをあらはすべきゆへなし」(改邪*鈔意)といへり。
【十二】一 「当教の肝要は凡夫のはからひをやめて、たゞ摂取不捨の大益をあふぐべきものなり。」(改邪鈔)
【十三】一 「七箇条の御起請文には、念仏修行の道俗男女、卑劣のことばをもてなまじゐに法門をのべば、智者にわらはれ愚人をまよはすべしと[云々]。かの先言をもていまを案ずるに、すこぶるこのたぐひ歟。もとも智者にわらはれぬべし。かくのごときのことばもとも頑魯なり荒涼なり」(改邪鈔)と[云々]。
【十四】一 「たゞ男女善悪の凡夫をはたらかさぬ本形にて、 本願の不思議をもてむまるべからざるものをむまれさせたればこそ、超世の願ともなづけ、横超の直道ともきこへはんべるものなり。」(改邪鈔)
宿善開発の機事
【十五】「そもそも宿善ある機は正法をのぶる善知識にしたしむべきによりて、まねかざれどもひとをまよはすまじき法灯には、かならずむつむべきいはれあり。宿善もし開発の機ならば、いかなる卑劣のともがらも願力の信心をたくはへつべし」(改邪*鈔意)と[云々]。
无宿善の機事
【十六】「宿善なき機はまねかざれどもおのづから悪知識にちかづきて、善知識にはとをざかるべきいはれなれば、むつびらるゝも、とをざかるも、かつは知識の瑕瑾もあらはれしられぬべし。所化の運否、宿善の有无も、もとも能所ともにはづべきものをや。しかるにこのことはりにくらきがいたすゆへ歟。一旦の我執をさきとして宿善の有无をわすれ、わが同行ひとの同行と相論すること愚鈍のいたり、仏祖の照覧をはゞからざる条、至極つたなきもの歟、いかん。しるべし」(改邪鈔)と[云々]。
【十七】一 「曇鸞和尚、同一念仏无別道故といへり。されば同行はたがひに四海のうちみな兄弟のむつびをなすべきに、かくのごとく簡別隔略せば、おのおの確執のもとゐ我慢の先相たるべきものなり。」(改邪*鈔意)
【〔これまではぬきがきなり〕】文明四年二月八日


(一七)

見玉尼の往生

吉崎御坊の山を登りおえると、左手に25歳で往生をとげた蓮如さんの次女である見玉尼の墓がある[1]。蓮如さんの若い頃の本願寺は、貧乏の極みであった。そのため継職前の蓮如さんは次々と生まれる子を他の寺へ預けておられた。このお文にも「なかごろは浄華院の門徒となる 云々」とある。浄華院の見秀禅尼は蓮如上人の叔母である。当時の浄土宗浄華院流では、タスケタマヘの教語をさかんに使っていた(『三部仮名鈔』)ので、見玉尼の見聞を通じて、タスケタマヘの語を請求(しょうぐ)ではなく許諾(こだく)(先方の言い分を許し承諾する)の意味で用いれば、浄土真宗の憑むの救いを表現するのにふさわしい言葉であるとして使われたのであろう。→たすけたまへとおもへば

静に惟ば、其、人の性は名によるとまふしはんべるも、まことにさぞとおもひしられたり。しかれば今度往生 せし亡者の名を見玉といへるは、玉をみるとよむなり。さればいかなる玉ぞといへば、真如法性の妙理、如意宝珠をみるといへるこゝろなり。これによりてかの比丘尼見玉房は、もとは禅宗の渇食なりしが、なかごろは浄華院の門徒となるといへども、不思議の宿縁にひかれて、ちかごろは当流の信心のこゝろをえたり。そのいはれは、去ぬる文明第二 十二月五日に伯母にてありしもの死去せしを、ふかくなげきおもふところに、うちつゞき、またあくるおなじき文明第三 二月六日にあねにてありしものおなじく臨終す。ひとかたならぬなげきによりて、その身もやまひつきてやすからぬ体なり。つゐにそのなげきのつもりにや、やまひとなりけるが、それよりして違例の気なをりえずして、当年五月十日より病の床にふして、首尾九十四日にあたりて往生す。されば病中のあひだにをいてまふすことは、年来浄華院流の安心のかたをふりすてゝ、当流の安心決定せしむるよしをまふしいだしてよろこぶことかぎりなし。ことに臨終より一日ばかりさきには、なをなを安心決定せしむねをまふし、また看病人の数日のほねをりなんどをねんごろにまふし、そのほか平生におもひしことどもをことごとくまふしいだして、つゐに八月十四日の辰のをはりに、頭北面西にふして往生をとげにけり。されば看病人もまたたれやのひとまでも、さりともとおもひしいろのみえつるに、かぎりあるいのちなれば、ちからなくて无常の風にさそはれて、加様にむなしくなりぬれば、いまさらのやうにおもひて、いかなるひとまでも感涙をもよほさぬひとなかりけり。まことにもてこの亡者は宿善開発の機ともいひつべし。かゝる不思議の弥陀如来の願力の強縁にあひたてまつりしゆへにや、この北国地にくだりて往生をとげしいはれによりて、数万人のとぶらひをえたるは、たゞごとともおぼへはんべらざりしことなり。 それについて、こゝにあるひとの不思議の夢想を八月十五日の荼毗の夜あかつきがたに感ぜしことあり。そのゆめにいはく、所詮葬送の庭にをいてむなしきけぶりとなりし白骨のなかより三本の青蓮華出生す。その花のなかより一寸ばかりの金ほとけひかりをはなちていづとみる。さていくほどもなくして蝶となりてうせにけるとみるほどに、やがて夢さめおはりぬ。これすなはち見玉といへる名の真如法性の玉をあらはせるすがたなり。蝶となりてうせぬとみゆるは、そのたましゐ蝶となりて、法性のそら極楽世界涅槃のみやこへまひりぬるといへるこゝろなりと、不審もなくしられたり。これによりてこの当山に葬所をかの亡者往生せしによりてひらけしことも不思議なり。ことに荼毗のまへには雨ふりつれども、そのときはそらはれて月もさやけくして、紫雲たなびき月輪にうつりて五色なりと、ひとあまねくこれをみる。まことにこの亡者にをいて往生極楽をとげし一定の瑞相をひとにしらしむるかとおぼへはんべるものなり。しかればこの比丘尼見玉、このたびの往生をもてみなみなまことに善知識とおもひて、一切の男女にいたるまで一念帰命の信心を決定して、仏恩報尽のためには念仏まふしたまはゞ、かならずしも一仏浄土の来縁となるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明五 八月廿二日書之

(一八)

文明第四 十月四日、亡母十三廻にあひあたり候。今日のことに候あひだ、ひとしをあはれにこそ候へ。三月ひきあげ仏事をなされ候あひだ、さだめて亡者も仏 果菩提にもいたりたまひ候らん。さりながらかくのごとくおもひつゞけ候。
十三年を をくる月日は いつのまに
今日めぐりあふ 身ぞあはれなる
また愚老なにとなく当年さへこの国に居住せしめ十三廻の仏事にあひ候も、真実の宿縁とこそおぼえ候へ。さりながらこの亡者、安心のかたもいかゞとこゝろもとなく候あひだ、かくのごときのをもむきをなして、かやうにつゞけ候なり。
おぼつかな まことのこゝろ よもあらじ
いかなるところの 住家なるらん
さりながら他経によらば、一子出家七世の父母皆往生とやらん。また当流のこゝろならば「還来穢国度人天」(法事讚*巻 下)と。これはいまだしきことにてや候べき。しかりといへども、まことに変成男子・転女成男の道理はさらにうたがひあるべからざるものなり。
いまははや 五障の雲も はれぬらん
極楽浄土は ちかきかのきし
かやうにふでにまかせてなにともなきことをまうし候なり。御違例も今日はよきよしまうすあひだ、目出度おぼしめし候ところに、はやこれへ御いで候。対面まうし候ほどになをなを殊勝に候。あなかしこ、あなかしこ。
文明五年W癸巳R八月廿八日於吉崎より出たり

(一九)

帖内一の四

抑親鸞聖人の一流においては、平生業成の儀にして来迎をも執せられさふらはぬよし、うけたまはりおよびさふらふは、いかゞはんべるべきや。その平生業成とまふすことも、不来迎なんどの儀をも、さらに存知せず。くはしく聴聞つかまつりたくさふらふ。
答ていはく、まことにこの不審もとももて一流の肝要とおぼへさふらふ。おほよす当家には、一念発起平生 業成と談じて、平生に弥陀如来の本願の我等をたすけたまふことはりをきゝひらくことは、宿善の開発によるがゆへなりとこゝろえてのちは、わがちからにてはなかりけり、仏智他力のさづけによりて本願の由来を存知するものなりとこゝろうるが、すなはち平生業成の儀なり。されば平生業成といふは、いまのことはりをきゝひらきて往生治定とおもひさだむるくらゐを、一念発起住正定聚とも、平生業成とも、即得往生住不退転ともいふなり。
問ていはく、一念往生発起の儀くはしくこゝろえられたり。しかれども不来迎の儀いまだ分別せずさふらふ。ねんごろにしめしうけたまはるべくさふらふ。
答ていはく、不来迎のことも、一念発起住正定聚と沙汰せられさふらふときは、さらに来迎を期しさふらふべきこともなきなり。そのゆへは来迎を期するなんどまふすことは、諸行の機にとりてのことなり。真実信心の行者は、一念発起するところにて、やがて摂取不捨の光益にあづかるときは、来迎までもなきなりとしらるゝなり。されば聖人のおほせには、「来迎は諸行往生にあり。真実信心の行人は、摂取不捨のゆへに正定聚に住す。正定聚に住するがゆへに、かならず滅度にいたる。かるがゆへに臨終まつことなし、来迎たのむことなし」(古写消*息四意)といへり。この御ことばをもてこゝろうべきものなり。
問ていはく、正定聚と滅度とは一益とこゝろうべきか、また二益とこゝろうべきや。
答ていはく、一念発起のかたは正定聚なり、これ【は】を穢土の益なり。つぎに滅度は浄土にてうべき益にてあ るなりとこゝろうべきなり。されば二益なりとおもふべきものなり。
問ていはく、かくのごとくこゝろえさふらふときは、往生は治定と存じおきさふらふに、なにとてわづらはしく信心を具すべきなんど沙汰さふらふは、いかゞこゝろえはんべるべきや。これもうけたまはりたくさふらふ。
答ていはく、まことにもてこのたづねのむね肝要なり。さればいまのごとくにこゝろえさふらふすがたこそ、すなはち信心決定のこゝろにて候なり。
問ていはく、信心決定するすがた、すなはち平生業成と不来迎と正定聚との道理にてさふらふよし、分明に聴聞つかまつりさふらひおはりぬ。しかりといへども信心治定してののちには、自身の往生極楽のためとこゝろえて念仏まふしさふらふべきか、また仏恩報謝のためとこゝろうべきか、いまだそのこゝろをえず候。
答ていはく、この不審また肝要とこそおぼへさふらへ。そのゆへは一念の信心発得已後の念仏をば、自身往生の業とはおもふべからず、たゞひとへに仏恩報謝のためとこゝろえらるべきものなり。されば善導和尚の「上尽一形下至一念」(礼讚意)と釈せり。「下至一念」といふは信心決定のすがたなり、「上尽一形」は仏恩報尽の念仏なりときこえたり。これをもてよくよくこゝろえらるべきものなり。
文明四年十一月廿七日
(帖内一-四)

(二〇)

そもそも去年冬のころ、あるひとのいはく、路次にて興ある坊主にゆきあひぬ。さるほどにこの坊主をみるに、件の門徒のかたより物とり信心ばかりを存知せられたるひとなり。それがしおもふやう、よきついでに てさふらふあひだ、一句たづねまふすやう、いかやうに御流の安心をば御こゝろえさふらふや、これにてまひりあひさふらふことも不思議の宿縁とこそ存じさふらふあひだ、おそれながら信心のやうまふしいれべくさふらふ、又領解さふらふ分、委細うけたまはりさふらへとまふすところに、おほせられさふらふやうは、もろもろの雑行をすてゝ一向一心に弥陀に帰するが、すなはち信心とこそ存じおきさふらへとまふされけり。この分ならば子細なく存じさふらひつれども、この坊主はまさにさやうのこゝろえまでもあるまじく心中に存じさふらふあひだ、かさねてまふすやうは、さいはひにまひりあひさふらふうへは、なにごとも心底をのこさずまふしうけたまはるべくさふらふ。所詮已前おほせさふらふ御ことばに、もろもろの雑行をすてゝ一心一向に弥陀に帰するとうけたまはりさふらふは、雑行をすてゝさふらふやうをも、また一心一向に弥陀に帰するやうなんどをもよく御存知さふらふて、かくのごとくうけたまはりさふらふやらん。こたへていはく、いまの時分みな人々のおなじくちにまふされさふらふほどに、さてまふしてさふらふ。そのいはれをば存知せずさふらふ。われらがことはなまじゐに坊主にてさふらふあひだ、あまりに貴方にむかひまふしてその御返事まふさではいかゞと存さふらひてまふしてさふらふなり。さらに信心の次第をばかつて存知せずさふらふあひだ、あさましくさふらふ。さいはひにまひりあひさふらふあひだ、ねんごろに信心のやううけたまはるべくさふらふ。かやうにうちくつろぎおほせさふらふあひだ、まふしいれべくさふらふ。よくよく きこしめさるべくさふらふ。そもそももろもろの雑行をすてゝ一心一向に弥陀に帰すとまふすはことばにてこそさふらへ。もろもろの雑行をすてゝとまふすは、弥陀如来一仏をたのみ、余仏・余菩薩にこゝろをかけず、また余の功徳善根にもこゝろをいれず、一向に弥陀に帰し一心に本願をたのめば、不思議の願力をもてのゆへに弥陀にたすけられぬる身とこゝろえて、この仏恩のかたじけなさに行住座臥に念仏まふすばかりなり。これを信心決定の人とまふすなりとかたりしかば、歓喜のいろふかくして、感涙をもよほしけり。また坊主まふされけるは、先度身が同朋を教化つかまつりさふらふことのさふらふつる、これもいまはあやまりにてさふらふ。懺悔のためにかたりまふすべくさふらふ、御きゝさふらへ。所詮身が門下に有徳なる俗人のさふらふなるを随分勧化つかまつりさふらふこゝちにてまふすやうは、貴方はさらに信心がなきよしまふしさふらふところに、かの俗人おほきなるまなこにかどをたてまふすやうは、すでにわれらが親にてさふらふものは、坊主において忠節のものにてさふらふ。そのいはれは、少寄進なんどもまふしさふらふ、また家なんどつくられさふらふときも、助成をもまふしさふらふ。またわれらにおきても自然のときは合力もまふしさふらふ。そのほかときおりふしの礼儀なんども今日にいたるまでそのこゝろざしをはこび、物を坊主にまひらする信心をいたしまふしさふらふ。そのうへには後生のためとては念仏をよくとなへさふらふ。なにごとによりてわれらが信心がなきなんどうけたまはりさふらふやらん。さやうになにともなきことをおほせさふらはゞ、門徒をはなれまふすべくさふらふよしまふしさふらふあひだ、かの仁はわれらがためには一のちから同朋にてさふらふあひだ、万一他門徒へゆきさふらはゞちからをうしなふべくさふらふあひ だ、さては貴方の道理にてさふらふひとが、さやうにまふすよしきゝさふらふあひだ、さてこそまふしつれ、向後におきてさやうにまふすべからず。あひかまへてあひかまへて他門下へゆくべからざるよしまふしさふらひき。これもいまはわれらがあやまりにてさふらふあひだ、おなじく懺悔まふすなり。
文明五年二月一日書之

(二一)

帖内一の十五

そもそも当年よりことのほか、【加州・能登・越中】両三国のあひだより道俗男女群をなして、この吉崎の山中に参詣の面々の心中のとをり、いかゞとこゝろもとなくさふらふ。そのゆへはまづ当流のおもむきは、このたび極楽に往生すべきことはりは、他力の信心をえたるがゆへなり。しかれどもこの一流のうちにおいて、しかしかとその信心をすがたをもえたるひとこれなし。かくのごとくのやからは、いかでか報土の往生をばたやすくとぐべきや、一大事といふはこれなり。さいはひに五里十里の遠路をしのぎ、この雪のうちに参詣のこゝろざしは、いかやうにこゝろえられたる心中ぞや。千万こゝろもとなき次第なり。所詮已前はいかやうの心中にてありといふとも、これよりのちは心中にこゝろへおくべき次第をくはしく申すべし。よくよくみゝをそばだてゝ聴聞あるべし。そのゆへは他力の信心といふことをしかと心中にたくはへさふらひて、そのうへには仏恩報謝のためには行住坐臥に念仏をまふすべきばかりなり。このこゝろえにてあるならば、このたびの往生は一定なり。このうれしさのあまりには、師匠坊主の在所へもあゆみをはこび、こゝろざしをもいた すべきものなり。これすなはち当流の義をよくこゝろえたる信心の人者とはまふすべきものなり。
文明五年二月八日
(帖内一-五)

(二二)

そもそも昨日ひとのまふされさふらひしは、たれびとにてわたりさふらひつるやらん、かたりまふされけるは、このごろなにとやらん坊主達の、まことに仏法にこゝろをいれたまひさふらふか、また身にとりて仏法のかたにちときずもいたかも御わたりさふらふか、さらに心中のとほりをもしかしかと懴悔の義もなく、またとりわけ信心のいろのまさりたるかたをもまふされさふらふ分もみえずさふらふて、うかうかとせられたるやうに【お】をぼへさふらふは、いかゞはんべるべくさふらふや。たゞ他屋役ばかり御なうらひさふらふて、座敷すぎさふらへば、やがて他屋他屋えかへらせたまひさふらふは、よき御ふるまひにてさふらふか、よくよく御思案あるべくさふらふ。されば善導の御釈にも「自信教人信[乃至]真成報仏恩」(礼讚)と釈せられさふらふときは、自身もこの法を信じひとをしても信心なきものをすゝめさふらはんこそ、まことにもて仏恩報尽の道理にてもあるべくおぼへさふらふ。また「上尽一形下至一念」(礼讚意)と判ぜられさふらふときも、一念の信心発得のすがたもみえず御わたりさふらふ。また一形憶念の義もさらに成就せられたるともみおよびまふさずさふらふ。よくよく御校量あるべくさふらふ。あさましあさまし。こゝろにうかむとおりまふすなり。御免御免。南无阿弥陀仏。
文明五年二月九日

(二三)

帖内一の十六

抑当年の夏このごろは、なにとやらんことのほか睡眠におかされて、ねむたくさふらふはいかんと案じさ ふらへば、不審もなく往生の死期もちかづくかとおぼへさふらふ。まことにもてあぢきなく名残おしくこそさふらへ。さりながら今日までも、往生の期もいまやきたらんと由断なくそのかまへはさふらふ。それにつけても、この在所において已後までも信心決定するひとの退転なきやうにもさふらへかしと、念願のみ昼夜不断におもふばかりなり。この分にては往生つかまつりさふらふとも、いまは子細なくさふらふべきに、それにつけても面々の心中もことのほか由断ともにてこそはさふらへ。命のあらんかぎりは、われらはいまのごとくにてあるべくさふらふ。よろづにつけて、みなみなの心中こそ不足に存じさふらへ。明日もしらぬいのちにてこそさふらふに、なにごとをまふすもいのちおはりさふらはゞ、いたづらごとにてあるべくさふらふ。いのちのうちに不審もとくとくはれられさふらはでは、さだめて後悔のみにてさふらはんずるぞ、御こゝろへあるべくさふらふ。あなかしこ、あなかしこ。
この障子のそなたの人々のかたへまひらせさふらふ。のちの年にとりいだして御覧候へ。
文明五年卯月廿五日書之
(帖内一-六)

(二四)

一 ある人いはく、昨日ははや一日の雨中なれば、さみだれにもやなるかとおもひ、また海上のなみのおとまでも、たかくものさびしくおとづれければ、もとよりいとゞこゝろのなぐさむこともなきまゝに、いよいよ睡眠はふかくなりぬれば、生死海にうかみいでた るその甲斐もなく、あさましくこそはおもひはんべれとまふしたりしかば、こゝに若衆のわたりさふらひけるがまふされけるは、われらはあながちにさやうに睡眠のをこりさふらへばとて、いたくかなしくもおもはずさふらふ。そのゆへは安心のことはこゝろゑさふらふつ、また念仏はよくまふしさふらひぬ、また雑行とてはさしてもちゐなくさふらふあひだ、つかふまつらずさふらふ。ことにわれらは京都の御一族分にてさふらふあひだ、たゞいつもものうちよくくひさふらひて、そのゝちはねたくさふらへば、いくたびもなんどきもふみぞりふせりさふらふ。また仏法のかたはさのみこゝろにもかゝらずさふらふ。そのほかなにごとにつけても、人のまふすことをばきゝならひてさふらふあひだ、聖人の御恩にてもあるかなんど、ときどきはおもふこゝろもさふらふばかりにてさふらふ。こゝにまたある人のまふしけるは、さてはあれらさまは京都の御一族にて御座さふらふあひだ、さだめてなにごとも御存知あるべくさふらふほどに、われらがまふすことはをよばぬ御ことにてこそさふらへ。ある人また問ていはく、われらがやうなる身にてかやうのまふしごと、如法如法そのおそれすくなからぬことにてさふらへども、仏法のかたなればまふすにてさふらふ。あまりに御こゝろゑのとゞきさふらはぬをもむきをひとはしまふしたくさふらふ。その謂は、当流の次第は信心をもて先とせられさふらふあひだ、信心のことなんどはそのさたにをよばずさふらふて、京都御一族を笠にめされさふらふこと、これひとつおほきなる御あやまりにてさふらふ。ことにねぶりなんどもいたくかなしくもおもはぬなんどおほせさふらふこと、これひとつ勿体なくさふらふ。貴方は随分の仏法者にて御いりさふらへども、いまの子細を御一族におそれまふされさふらひて、一はし御まふしさふらはぬこと、くれぐ れ御あやまりとこそ存じさふらへ。
答ていはく、われらももともその心中にてはさふらひつれども、御存知のごとく不弁短才の身にてさふらへば、ふかく斟酌をなしてまふさず、貴方にゆづりまふしさふらふなり。一はしこの子細を御まふしさふらはゞ興隆にてあるべくさふらふ。
問ていはく、われらも斟酌にさふらへども、御所望さふらふうへは、これ聴聞つかふまつりさふらふをもむき、ひとはしまふすべくさふらふ。そのゆへはわれらもすでに无明のやみにねぶり、しづみゐたる身にてさふらふが、たまたま五戒の功力によりて、いま南浮の生をうけて、あひがたき仏法にあへり。さればこのたび信心決定するむねなくば、三途の旧里にかへらんことをかなしみおもはゞ、などかねぶりをこのみさふらふべきや。されば『観経』には「唯除睡時恒憶此事」ととき、善導は「煩悩深无底 生死海无辺」(礼讚)とも、「云何楽睡眠」(礼讚)とも判ぜり。この文のこゝろは、煩悩はふかくしてそこなし、生死の海はほとりなき身の、いかんが睡眠をこのまんやといへり。また『観経』にも、「たゞねぶりをのぞきてこのことををもへ」ととかれたり。経釈ともにねぶりをこのむべからずときこへたり。このときは御一族にて御座さふらふとも、仏法の御こゝろあしくさふらはゞ、報土往生いかゞとこそ存じさふらへ。ふかく御思案さふらふて、仏法の法を御たしなみさふらはゞ、まことにもて千秋万歳めでたく存ずべくさふらふ。かへすがへす御所望によりてかくのごとくの次第まふしいれさふらふ条、千万をそれいりさふらふ。あら勿体なや。南无阿 弥陀仏、南无阿弥陀仏。
〔文明五年九月 日〕

(二五)

抑此両三ケ年の間に於て、或は官方或は禅律の聖道等にいたるまで、申沙汰する次第は何事ぞといへば、所詮越前国加賀ざかい長江瀬越の近所に細呂宜郷の内吉崎とやらんいひて、ひとつのそびへたる山あり。その頂上を引くづして屋敷となして、一閣を建立すときこへしが、幾程なくして、打つゞき加賀・越中・越前の三ケ国の内の、かの門徒の面々よりあひて、多屋と号して、いらかをならべて家をつくりしほどに、今ははや一、二百間の棟かずもありぬらんとぞおぼへけり。或は馬場大路をとほして、南大門・北大門とて南北の其名あり。されば此両三ケ国の内に於て、おそらくはかゝる要害もよくおもしろき在所、よもあらじとぞおぼへはんべり。さるほどに此山中に経廻の道俗男女、その数幾千万といふ事なし。然者これ偏に末代今の時の罪ふかき老少男女にをひて、すゝめきかしむるをもむきは、なにのわづらひもなくたゞ一心一向に弥陀如来をひしとたのみたてまつりて、念仏申すべしとすゝめしむるばかりなり。これさらに諸人の我慢偏執をなすべきやうなし。あらあら殊勝の本願や。まことにいまの時の機にかなひたる弥陀の願力なれば、いよいよたふとむべし、信ずべし。あなかしこ、あなかしこ。
文明五年八月二日

(二六)

帖内一の七

さんぬる文明第四の暦、弥生中半のころかとおぼへはんべりしに、さもありぬらんとみへつる女姓一二人、おとこなんどあひ具したるひとびと、このやまのことを沙汰しまふしけるは、そもそもこのごろ吉崎の山上に一宇の坊舎をたてられて、言語道断おもしろき在所かなとまふしさふらふ。なかにもことに、加賀・越 中・越後・信濃・出羽・奥州六ケ国より、かの門下中、この当山へ道俗男女参詣をいたし、群集せしむるよし、そのきこえかくれなし。これ末代の不思議なり、たゞごとゝもおぼへはんべらず。さりながらかの門徒の面々には、さても念仏法門をばなにとすゝめられさふらふやらん。とりわけ信心といふことをむねとおしへられさふらふよし、ひとびとまふしさふらふなるは、いかやうなることにてさふらふやらん。くはしくきゝまひらせて、われらもこの罪業深重のあさましき女人の身をもちてさふらへば、その信心とやらんをきゝわけまひらせて往生をねがひたくさふらふよしを、かの山中のひとにたづねまふしてさふらへば、しめしたまへるおもむきは、なにのやうもなく、たゞわが身は十悪・五逆、五障・三従のあさましきものぞとおもひて、ふかく阿弥陀如来はかゝる機をたすけまします御すがたなりとこゝろえまひらせて、二心なく弥陀をたのみたてまつりて、たすけたまへとおもふこゝろの一念おこるとき、かたじけなくも如来は八万四千の光明をはなちて、その身を摂取したまふなり。これを弥陀如来の念仏の行者を摂取したまふといへるはこのことなり。摂取不捨といふは、おさめとりてすてたまはずといふこゝろなり。このこゝろを信心をえたる人とはまふすなり。さてこのうへには、ねてもさめてもたちてもゐても、南无阿弥陀仏とまふす念仏は、弥陀にはやたすけられまひらせつるかたじけなさの弥陀の御恩を、南无阿弥陀仏ととなへて報じまふす念仏なりとこゝろうべきなりとねんごろにかたりたまひしかば、この女人たち、そのほかのひと、まふされけるは、ま ことにわれらが根機にかなひたる弥陀如来の本願にてましましさふらふをも、いまゝで信じまひらせさふらはぬことのあさましさ、まふすばかりもさふらはず。いまよりのちは一向に弥陀をたのみまひらせて、ふたごゝろなく一念にわが往生は如来のかたより御たすけありけりと信じたてまつりて、そのゝちの念仏は仏恩報謝の称名なりとこゝろえさふらふべきなり。かゝる不思議の宿縁にあひまひらせて、殊勝の法をきゝまひらせさふらふことのありがたさたふとさ、なかなかまふすばかりもなくおぼへはんべるなり。いまははやいとままふすなりとて、なみだをうかめてみなみなかへりにけり。
文明五年八月十二日
(帖内一-七)

(二七)

帖内一の八

文明第三初夏上旬のころより、江州志賀郡大津三井寺南別所辺より、なにとなく風度しのびいでゝ、越前・加賀諸所を経廻せしめおはりぬ。よて当国細呂宜郷内吉崎といふこの在所、すぐれておもしろきあひだ、年来虎狼のすみなれしこの山中をひきたひらげて、七月廿七日よりかたのごとく一宇を建立して、昨日今日とすぎゆくほどに、はや三年の春秋はおくりけり。さるほどに道俗男女群集せしむといへども、さらになにへんともなき体なるあひだ、当年より諸人の出入をとゞむるこゝろは、この在所に居住せしむる根源はなにごとぞなれば、そもそも人界の生をうけてあひがたき仏法にすでにあへる身が、いたづらにむなしく奈洛にしづまんは、まことにもてあさましきことにはあらずや。しかるあひだ念仏の信心を決定して極楽の往生をとげんとおもはざらん人々は、なにしにこの在所へ来集せんことかなふべからざるよしの成敗をくはえおはりぬ。これひとへに名聞・利養を本とせず、たゞ後生菩提を ことゝするがゆへなり。しかれば見聞の諸人、偏執をなすことなかれ。あなかしこ、あなかしこ。
文明五年九月 日
(帖内一-八)

(二八)

帖内一の十九

抑当宗を、昔より人こぞりておかしくきたなき宗とまふすなり。これまことに道理のさすところなり。そのゆへは当流人数の中にをひて、或は他門・他宗に対してはゞかりなく我家の義を申しあらはせるいはれなり。これ大なるあやまりなり。それ当流のおきてをまもるといふは、我流につたふるところの義をしかと内心にたくはへて、外相にそのいろをあらはさぬを、よくものにこゝろえたる人とはいふなり。しかるに当世は我宗のことを、他門・他宗にむかひて、その斟酌もなく聊爾に沙汰するによりて、当流を人のあさまにおもふなり。かやうにこゝろえのわろき人のあるによりて、当流をきたなくいまはしき宗と人おもへり。さらにもてこれは他人わろきにはあらず、自流の人わろきによるなりとこゝろうべし。つぎに物忌といふことは、我流には仏法についてものいまはぬといへることなり。他宗にも公方にも対しては、などか物をいまざらんや。他宗・他門にむかひてはもとよりいむべきこと勿論なり。又よその人の物いむといひてそしることあるべからず。しかりといへども仏法を修行せん人は、念仏者にかぎらず、物さのみいむべからずとあきらかに諸経の文にもあまたみえたり。まづ『涅槃経』(北本巻二〇梵行品*南本巻一八梵行品)にのたまはく、「如来法中无有選択吉日良辰」といへり。この文のこゝろは、如来の法の なかに吉日良辰をゑらぶことなしとなり。
又『槃舟経』(一巻本*四輩品)にのたまはく、
「優婆夷聞是三昧欲学者W乃至R自帰命仏帰命法帰命比丘僧不得事余道不得拝於天不得祠鬼神不得視吉良日」W已上Rいへり。この文のこゝろは、優婆夷この三昧をきゝてまなばんと欲せんものは、みづから仏に帰命し、法に帰命せよ、比丘僧に帰命せよ、余道につかふることをえざれ、天を拝することをゑざれ、鬼神をまつることをえざれ、吉良日をみることをゑざれといへり。かくのごとくの経文どもこれありといへども、此分をいだすなり。ことに念仏行者はかれらにつかふべからざるやうにみえたり、よくよくこゝろうべし。あなかしこ、あなかしこ。
〔文明五年九月 日〕
(帖内一-九)

(二九)

帖内一の十

内方教化
そもそも吉崎の当山において他屋の坊主達の内方とならんひとは、まことに前世の宿縁あさからぬゆへとおもひはんべるべきなり。それも後生を一大事とおもひ、信心も決定したらん身にとりてのうへのことなり。しかれば内方とならんひとびとは、あひかまへて信心をよくよくとらるべし。それまづ当流の安心とまふすことは、おほよす浄土一家のうちにおきて、あひかはりてことにすぐれたるいはれあるがゆへに、他力の大信心とまふすなり。さればこの信心をえたるひとは、十人は十人ながら百人は百人ながら、今度の往生は一定なりとこゝろうべきものなり。その安心とまふすは、いかやうにこゝろうべきことやらん、くはしくもしりはんべらざるなり。
こたへていはく、まことにこの不審肝要のことなり。 おほよす当流の信心をとるべきおもむきは、まづわが身は女人なれば、つみふかき五障・三従とてあさましき身にて、すでに十方の如来も三世の諸仏にもすてられたる女人なりけるを、かたじけなくも弥陀如来ひとりかゝる機をすくはんとちかひたまひて、すでに四十八願をおこしたまへり。そのうち第十八の願において、一切の悪人・女人をたすけたまへるうへに、なを女人はつみふかくうたがひのこゝろふかきによりて、またかさねて第卅五の願になを女人をたすけんといへる願をおこしたまへるなり。かゝる弥陀如来の御久労ありつる御恩のかたじけなさよと、ふかくおもふべきなり。
問ていはく、さてかやうに弥陀如来のわれらごときのものをすくはんと、たびたび願をおこしたまへることのありがたさをこゝろえわけまひらせさふらひぬるについて、なにとやうに機をもちて、弥陀をたのみまひらせさふらはんずるやらん、くはしくしめしたまふべきなり。
こたへていはく、信心をとり弥陀をたのまんとおもひたまはゞ、まづ人間はたゞゆめまぼろしのあひだのことなり、後生こそまことに永生の楽果なりとおもひとりて、人間は五十年百年のうちのたのしみなり、後生こそ一大事なりとおもひて、もろもろの雑行をこのむこゝろをすて、あるひはまたものゝいまはしくおもふこゝろをもすて、一心一向に弥陀をたのみたてまつりて、そのほか余の仏・菩薩・諸神等にもこゝろをかけずして、たゞひとすぢに弥陀に帰して、このたびの往生は治定なるべしとおもはゞ、そのありがた さのあまり念仏をまふして弥陀如来のわれらをたすけたまふ御恩を報じたてまつるべきなり。これを信心をえたる他屋の坊主達の内方のすがたとはまふすべきひとなり。
文明五年九月十一日
(帖内一-一〇)

(三〇)

帖内一の十一

【超勝寺にてあそばす】それおもんみれば、人間はたゞ電光朝露のゆめまぼろしのあひだのたのしみぞかし。たとひまた栄花栄耀にふけりて、おもふさまのことなりといふとも、それはたゞ五十年乃至百年のうちのことなり。もしたゞいまも无常のかぜきたりてさそひなば、いかなる病苦にあひてかむなしくなりなんや。まことに死せんときは、かねてたのみをきつる妻子も財宝も、わが身にはひとつもあひそふことあるべからず。されば死出山路のすえ、三途の大河をばたゞひとりこそゆきなんずれ。これによりてたゞふかくねがうべきは後生なり、またたのむべきは弥陀如来なり、信心決定してまひるべきは安養の浄土なりとおもふべきなり。これについてちかごろはこの方の念仏者の坊主たち、仏法の次第もてのほか相違す。そのゆへは門徒のかたよりものをとるをよき弟子といひ、これを信心のひとゝいへり、これおほきなるあやまりなり。また弟子は坊主にものをだにもおほくまひらせば、わがちからかなはずとも、坊主のちからにてたすかるべき様におもへり、これもあやまりなり。かくのごとく坊主と門徒のあひだにをいて、さらに当流の信心のこゝろえの分はひとつもなし。まことにあさましや、師・弟子ともに極楽には往生せずして、むなしく地獄にをちんことはうたがひなし。なげきてもなをあまりあり、かなしみてもなをふかくかなしむべし。しかれば今日よりのちは、他力の大信心の次第をよく存知したらんひとにあひたづねて、信 心決定して、その信心のをもむきを弟子にもをしへて、もろともに今度の一大事の往生をよくよくとぐべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明五年九月中旬
(帖内一-一一)

(三一)

帖内一の十三

【超勝寺にて】そもそもちかごろはこの方念仏者のなかにをいて、不思議の名言をつかひて、これこそ信心をゑたるすがたよといひて、しかもわれは当流の信心をよくしりがほの体に心中にこゝろえをきたり。そのことばにいはく、十劫正覚のはじめより、われらが往生はさだめたまへる弥陀の御恩をわすれぬが信心ぞといへり、これおほきなるあやまりなり。そも弥陀如来の正覚をなりたまへるいはれをしりたりといふとも、われらが往生すべき他力の信心といふいはれをしらずはいたづらごとなり。しかれば向後にをいては、まづ当流の真実信心といふことをよくよく存知すべきなり。その信心といふは、『大経』には三信ととき、『観経』には三心といひ、『阿弥陀経』には一心とあらはせり。三経ともにその名かはりたりといへども、そのこゝろはたゞ他力の一心をあらはせるこゝろなり。されば信心といへるそのすがたはいかやうなることぞといへば、まづもろもろの雑行をさしをきて、一向に弥陀如来をたのみたてまつりて、自余の一切の諸神・諸仏等にもこゝろをかけず、一心にもはら弥陀に帰命せば、如来は光明をもてその身を摂取してすてたまふべからず。これすなはちわれらが一念の信心決定したるすがたなり。かくのごとくこゝろえてののちは、弥陀如来の他力の信心をわれら にあたへたまへる御恩を報じたてまつる念仏なりとこゝろうべし。これをもて信心決定したる念仏の行者とはまふすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明第五 九月下旬比書之[云々]
(帖内一-一三)

(三二)

帖内一の十二

【〔超勝寺にて〕】抑年来当寺門徒において、仏法次第以外相違せり。そのいはれは、まづ座衆とてこれあり。いかにもその座上にあがりて、さかづきなんどまでも人よりさきにのみ、座中の人にも又そのほかたれたれにも、いみじくおもはれんずるが、誠に仏法の肝要たるやうに心中にこゝろえおきたり。これさらに往生極楽のためにあらず、たゞ世間の名聞ににたり。しかるに当流において毎月の会合の由来は何の用ぞなれば、在家無智の身をもて、いたづらにくらしいたづらにあかして、一期はむなしくすぎてつゐにないり八なんにしづまん身が、一月に一度なりともせめて念仏修行の人数ばかり道場にあつまりて、わが信心は、人の信心は、いかゞあるらんといふ信心沙汰をすべき用の会合なるを、ちかごろはその信心といふことはかつて是非の沙汰におよばざるあひだ、言語道断あさましき次第なり。所詮自今已後は、かたく会合の座中において信心の沙汰をすべきものなり。これ真実の往生極楽をとぐべきいはれなるがゆへなり。〔あなかしこ、あなかしこ。
文明第五 九月下旬〕
(帖内一-一二)

(三三)

帖内一の十四

【超勝寺にて】そもそも当流念仏者のなかにをいて、諸法を誹謗すべからず。まづ越中・加賀ならば、立山・白山・豊原寺等なり。されば『経』(大経巻上*・巻下)にも、すでに「唯除五逆誹謗正法」とこそこれをいましめられたり。これによりて念仏者はことに諸宗を謗ずべからざるものなり。ま た聖道諸宗の学者達も、あながちに念仏者をば謗ずべからずとみえたり。そのいはれは、経釈ともにその文これおほしといへども、まづ八宗の祖師竜樹菩薩の『智論』(大智度論*巻一初品)にふかくこれをいましめられたり。その文にいはく、「自法愛染故 毀呰他人法 雖持戒行人 不免地獄苦」といへり。かくのごとくの論判分明なるときは、いづれも仏説なり、あやまりて謗ずることなかれ。それみな一宗一宗のことなれば、わがたのまぬばかりにてこそあるべけれ。ことさら当流のなかにをいてなにの分別もなきもの、他宗をそしること勿体なき次第なり。あひかまへてあひかまへて一所の坊主分たるひとは、この成敗をかたくいたすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明五年九月下旬
(帖内一-一四)

(三四)

夫当宗を一向宗と、わが宗よりもまた他宗よりもその名を一向宗といへること、さらにこゝろゑがたき次第なり。祖師聖人はすでに浄土真宗とこそおほせさだめられたり。他宗の人の一向宗といふことは是非なし、当流の中にわれとなのりて一向宗といふことはおほきなるあやまりなり。まづ当流のことは自余の浄土宗よりもすぐれたる一義あるによりて、我聖人も別して真の字をおきて浄土真宗とさだめたまへり。つぶさにいへば浄土真宗といふ、略していへば【○】真【【○】】宗といふべきなり。されば他宗には宗の字にごりてつかふなり、当流にはすみてつかふべきなりとこゝろうべきものなり。〔あなかしこ、あなかしこ。

文明五年九月下旬〕

(三五)

夫当流をみな世間に流布して一向宗と号すること、さらに本宗にをいてその沙汰なし、いかやうの子細にてさふらふやらん。
答ていはく、あながちにわが流を一向宗とわが宗よりなづくることはなきなり。ことに祖師聖人は浄土真宗とこそさだめられたり。おほよす経文をみるに、「一向専念无量寿仏」(大経*巻下)とときたまへり。この文によるに、一向にもはら无量寿仏を念ずといへるこゝろによりて、みなひとのこぞりて一向宗といへる歟。そのときは道理至極ときこゑたり。しかりといへども開山は、この宗をば浄土真宗とこそおほせられたり。されば一向宗といへる名言は、本宗よりさだめざることなりとこゝろうべきものなり。これによりて自余の浄土宗はもろもろの雑行をゆるすがゆへに、懈慢・辺地に胎生するなり。わが聖人の一流は雑行をきらふ、このゆへに真実報土の往生をとぐるなり。このいはれあるがゆへに、別して真の字をくはへて浄土真宗とはいへるなりとこゝろうべし。またいはく、当流をば浄土真宗となづけ候こと分明にきこえぬ。しかるにこの宗体にて、在家のつみふかき悪逆の機なりといふとも、弥陀の願力にすがりてたやすく極楽に往生すべきやう、くはしくうけたまはりたくさふらふ。
答ていはく、当流のおもむきは、信心決定しぬればかならず真実報土の往生をとぐべきなり。さればその信心といふはいかやうなる子細ぞといへば、なにのわづらひもなく阿弥陀如来を一心にたのみたてまつりて、その余の仏・菩薩等にもこゝろをかけずして、一向にふたごゝろなく弥陀を信ずるばかりなり。これをもて信心決定すとはまふすなり。信心といへる二字をば、まことのこゝろとよめるなり。まことのこゝろといふ は、行者のわろき自力のこゝろにてはたすからず、如来の他力のよきこゝろにてたすかるがゆへに、まことのこゝろとはまふすなり。また名号をもてなにのこゝろえもなくして、たゞとなへてはたすからざるなり。されば『経』(大経*巻下)には「聞其名号信心歓喜」ととけり。「その名号をきく」といへるは、南无阿弥陀仏の名号を南无とたのめば、かならず阿弥陀仏のたすけたまふといふ道理なり。これを『経』に「信心歓喜」ととかれたり。これによりて南无阿弥陀仏の体は、われらをたすけたまへるすがたぞとこゝろうべきなり。かやうにこゝろへてののちは、行住座臥のくちにとなふる称名をば、たゞ弥陀如来のわれらをたすけましますところのありがたさの御恩を報じたてまつる念仏なりとこゝろうべし。これをもて信心決定して極楽に往生する他力の念仏行者とまふすものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明第五 九月下旬第二日至于巳剋於加州山中湯治之内所書集之草案令清書也

(三六)

帖内一の十五

問ていはく、当流をみな世間に流布して一向宗となづけ候は、いかやうなる子細にて候やらん、不審におぼえ候。
答ていはく、あながちにわが流を一向宗となのることは、別して祖師もさだめられず、おほよそ阿弥陀仏を一向にたのむによりて、みな人のまうしなすゆへなり。しかりといへども経文に「一向専念无量寿仏」(大経*巻下)とときたまふゆへに、一向に无量寿仏を念ぜよといへるこゝろなるときは、一向宗とまうしたるも子細なし。さりながら開山は、この宗をば浄土真宗とこそさだめ たまへり。されば一向宗といふ名言は、さらに本宗よりまうさぬなりとしるべし。されば自余の浄土宗はもろもろの雑行をゆるす。わが聖人は雑行をえらびたまふ、このゆへに真実報土の往生をとぐるなり。このいはれあるがゆへに、別して真の字をいれたまふなり。
又のたまはく、当宗をすでに浄土真宗となづけられ候ことは分明にきこえぬ。しかるにこの宗体にて、在家のつみふかき悪逆の機なりといふとも、弥陀の願力にすがりてたやすく極楽に往生すべきやう、くはしくうけたまはりはんべらんとおもふなり。
答ていはく、当流のをもむきは、信心決定しぬればかならず真実報土の往生をとぐべきなり。さればその信心といふはいかやうなることぞといへば、なにのわづらひもなく弥陀如来を一心にたのみたてまつりて、その余の仏・菩薩等にもこゝろをかけずして、一向にふたごゝろなく弥陀を信ずるばかりなり。これをもて信心決定とはまうすものなり。信心といへる二字をば、まことのこゝろとよめるなり。まことのこゝろといふは、行者のわろき自力のこゝろにてはたすからず、如来の他力のよきこゝろにてたすかるがゆへに、まことのこゝろとはまうすなり。また名号をもてなにのこゝろえもなくして、たゞとなへてはたすからざるなり。されば『経』(大経*巻下)には、「聞其名号信心歓喜」ととけり。「その名号をきく」といへるは、南无阿弥陀仏の六字の名号を无名无実にきくにあらず、善知識にあひてそのをしへをうけて、この南无阿弥陀仏の名号を南无とたのめば、かならず阿弥陀仏のたすけたまふといふ道理なり。これを『経』に「信心歓喜」ととかれたり。これによりて南无阿弥陀仏の体は、われらをたすけたまへるすがたぞとこゝろうべきなり。かやうにこゝろえてのちは、行住座臥に口にとなふる 称名をば、たゞ弥陀如来のたすけまします御恩を報じたてまつる念仏ぞとこゝろうべし。これをもて信心決定して極楽に往生する他力の念仏の行者とはまうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明第五 九月下旬第二日至于巳剋加州山中湯治之内書集之訖
(帖内一-一五)

(三七)

文書伝道の嚆矢(蓮崇)

蓮如さんが安芸の蓮崇の収集し書写した文明三年七月から同五年九月までの一連のお文(蓮崇本御文)の配布を認可した文。これが文書伝道の嚆矢である。在家出身の蓮崇は御文章による教化が効果があることを見抜いていたのだろう。
『天正三年記』に、「越前の吉崎の御坊にて弥(いよいよ)仏法ひろまり申し候て、「御文」を御つくらせ さふらふ事は、安芸法眼申さふらひて御つくりさふらひて、各有難く存さふふ。かるがると愚癡の者の、はやく心得まひらせさふらふやうに、千の物を百に選び、百の物を十に選ばれ、十の物を一に、早く聞分申様にと思召しめされ、「御文」にあそばしあらはされて、凡夫の速かに仏道なる事を、おほせたてられたる事にてさふらふ。開山聖人の御勘化、今一天四海にひろまり申す事は、蓮如上人の御念力によりたる事に候也。」とある。(浄土真宗全書五 p.637)


端書云
右斯文どもは、文明第三之比より同き第五之秋の時分まで、天性こゝろにうかむまゝに、何の分別もなく連々に筆をそめおきつる文どもなり。さだめて文体のおかしきこともありぬべし、またことばなんどのつゞかぬこともあるべし。かたがたしかるべからざるあひだ、その斟酌をなすといへども、すでにこの一帖の料紙をこしらへて書写せしむるあひだ、ちからなくまづゆるしおくものなり。外見の儀くれぐれあるべからず。たゞ自然のとき自要ばかりにこれをそなへらるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
于時文明第五 九月廿三日に藤嶋郷の内林之郷超勝寺において、この端書を蓮崇所望のあひだ、同廿七日申の剋にいたりて筆をそめおはりぬ。
釈蓮如(花押)

(三八)

右斯三ケ年之間、於此当山居住之根元者、更不本名聞利養、不事栄花栄耀、只所願為往生極楽之計也。而間当国・加州・越中之内於土民百姓已下等、其身一期徒造罪業、修一善子細无之、而空可堕 在三塗之間、強依為不便、幸弥陀如来之本願者、誠以当時於今根機為相応之要法上、偏勧念仏往生安心外无他事之処、近比就牢人出帳之儀自諸方雑説申条、言語道断迷惑之次第也、愚身更於所領所帯且不作其望之間、以何可処其罪咎哉、不運至悲而猶有余者歟。依之心静令念仏修行於其在所、別而无其要害時者、一切之諸魔・鬼神令得其便故深構要害者也、且又為盗賊用心也。於其余者、万一今時分无理之子細等令出来時之於其儀者、誠此度念仏申遂順次往生、又逢非分難苦令死去、共以前業所感也。然上者為仏法不可惜一命、可合戦由、兼日諸人一同令治定之衆儀而已。
文明五年十月 日 多屋衆 「隠/顕」 右この三ケ年の間、この当山において居住の根元は、さらに名聞利養を本とせず、栄花栄耀を事とせず、ただ願ふ所は往生極楽の為の計りなり。しかる間 当国・加州・越中の内の土民百姓已下等に於いて、その身一期はいたずらに罪業をのみ造りて、一善を修すること子細これ无くして、しこうして空(むな)しく三塗の間に堕在すべし、あながちに不便となるに依つて、幸いに弥陀如来の本願は、誠に以つて当時の今の根機に於いて相応の要法となす 上、ひとへに念仏往生の安心を勧め、ほか他事无しの処(ところ)に、近ごろ牢人出帳の儀について諸方より雑説を申条、言語道断迷惑の次第なり、愚身さらに所領所帯に於いてしばらくもその望をなさざるの間、何を以つてその罪咎に処すべしかな、不運の至り悲しみてもなお余り有るものか。これに依つて心を静め念仏修行せしめんその在所に於いて、別してその要害无き時は、一切の諸魔・鬼神その便(たより)を得しむるが故に深く要害を構(かまう)るものなり、かつはまた盗賊用心の為なり。その余に於いては、万一今の時分无理の子細等出(いで) 来せしめん時のその儀に於いては、まことにこのたび念仏申して順次の往生を遂げて、また非分の難苦に逢いて死去するも、ともに以つて前業の所感なり。しかる上は仏法の為に一命を惜しむべからず、合戦すべき由、兼日に諸人一同に治定せしむるの衆儀のみ。
文明五年十月 日 多屋衆

(三九)

去ぬる文明第三之暦林鐘上旬の比より当年までは、すでに三ケ年のあひだ、此当山に居住せしむるこゝろざしは、ひとへに往生極楽のためにして、さらに名聞利養をのぞまず、また栄花栄耀をことゝせず、たゞ越前・加賀の多屋坊主達、当流の安心をもてさきとせられず、未決定にして不信心なるあひだ、坊主一人のこゝろえのとをりよく信心決定したまはゞ、そのすゑずゑの門徒までもことごとく今度の一大事の往生をとぐべきなり。これまことに「自信教人信」(礼讚)の釈義にもあひかなひ、また聖人報恩謝徳にもなりなんとおもふによりて、今日まで堪忍せしむるものなり。ことにこの方といふことは、冬きたればそゞろに山ふく嵐もはげしくて、又海辺の浪のうつおともたかくして耳にそひてかまびすし、また空にはときどきいかづちなりて大雪なんどにふりこめられて真々たる体たらく、まことに身労なり。これらの次第さらにもてならはぬすまゐをするによりて、年来の本病のおゐもの寒におか されていたくをこりて、ひとしれず迷惑至極なり。しかりといへども本望のごとく面々各々の信心も堅固ならば、それをなぐさみともおもふべきに、その信心のかたはしかしかともなきあひだ、このはうにいまゝでの堪忍所詮なきによりて、当年正月の比よりあながちにこれを思案せしむるところに、牢人出帳の儀についてそのひまなく、あるひは要害あるひは造作なんどに日をおくりて、すでに春もさり夏もすぎ、秋もはやさりなんとするあひだ、かくのごとくいたづらに日月をおくりなんとする条、まことに本意にあらざるあひだ、暫時とおもひて藤嶋辺へまづ上洛せしむるところに、多屋の面々帰住すべきよししきりに申るゝあひだ、帰坊せしめおはりぬ。しかるにいまのごときんば冬の路次難儀なるうへ、命をかぎりにこゝろならずに可越年歟之処に、ほどもなくはや聖人の御正忌もちかづくあひだ、また当年もこのはうにをいて報恩謝徳の御いとなみをいたすべき歟のあひだ、まことに北国に両三け年のあひだの機縁ふかくして、諸人と同心に无二の志をぬきいでゝかの御つとめをいたすべき条、真実真実、不可思議なり。誠以可貴可喜[矣]。
文明第五 十月三日
藤嶋よりかへりてのち、こゝろにうかむとおりかきをくところなり。

(四〇)

十一ケ条制法


於真宗行者中可停止子細事
一 諸神[幷]仏・菩薩等不可軽之事。
一 諸法・諸宗全不可誹謗之事。

一 以我宗振舞対他宗不可難之事。
一 物忌事就仏法之方雖無之、他宗[幷]対公方堅可忌之事。
一 於本宗以无相承名言恣仏法讚嘆、旁不可然間事。
一 於念仏者国可専守護・地頭、不可軽之事。
一 以無智之身対他宗任雅意、我宗之法儀无其憚令讚嘆、不可然事。
一 於自身未安心決定、聞人詞信心法門讚嘆、不可然事。
一 念仏会合之時、不可食魚鳥事。
一 念仏集会之日、於酒失本性不可呑之事。
一 於念仏者中姿博奕可停止之事。
右此十一ケ条於背此制法之儀者、堅衆中可退出者也。仍制法状如件。
文明五年十一月 日

(四一)

抑今月廿八日は忝も聖人毎年の御正忌として于今退転なく、その御勧化をうけしやからは、いかなる卑劣のものまでも、その御恩をおもんじまふさぬ人これあるべからず。しかるに予去文明第三の暦夏の比より、江州志賀郡大津三井のふもとをかりそめながらいでしよりこのかた、此当山に幽栖をしめて、当年文明第五の当月の御正忌にいたるまで存命せしめて、不思議に当国・加州の同行中にその縁ありて、同心のよしみをもてかたのごとく両三ケ度まで報恩謝徳のまことをいたすべき条、悦てもなを喜べきは此時なり。依之今月廿一日の夜より聖人の知恩報徳の御仏事を加賀・越前の多屋の坊主達の沙汰として勤仕まふさるゝについて、まづ心得らるべきやうは、いかに大儀のわづらひをいたされて御仏事を申るといふとも、当流開山聖人のすゝめましますところの真実信心といふことを決定せ しむる分なくは、なにの篇目もあるべからず。まことにもて「水いりてあかおちず」なんどいへる風情たるべき歟。そのゆへはまづ他力の大信心といへる事を決定してのうへの仏恩報尽とも師徳報謝とも申べき事なり。たゞ人まねばかりの体はまことに所詮なし。しかりといへどもいまだ今日までもその信心を決定せしむる分なしといふとも、あひかまへて明日より信心決定せしめば、それこそまことに聖人の報恩謝徳にもあひそなはりつべくおぼへはんべれ。このおもむきをよくよくこゝろゑられて、この一七ケ日のあひだの報恩講のうちにおいて、信不信の次第分別あらば、これまことに自行化他の道理なり。別しては聖人の御素懐にはふかくあひかなふべきものなり。
于時文明第五霜月廿一日書之
〔五十地に あまる年まで ながらへて
この霜月に あふぞうれしき
みとせまで 命のながきも 霜月の
のりにあひぬる 身こそたふとき
のちのとし また霜月に あはんこと
いのちもしらぬ わが身なりけり〕

(四二)

或人申されけるは、此一両年の間加賀・越前の諸山寺の内にある碩学達の沙汰し申さるゝ次第は、近比越前国細呂宜郷内に吉崎と申して、国ざかひに一宇をかまへられて、京都より念仏者の坊主下向ありて、一切の道俗男女をゑらばず集られて、末代今時者念仏ならでは成仏すべからずとて、諸宗をもはゞからずすゝめらるゝこと、今さかんなりときこへたり。これ言語道断 のくはだてなり。たゞし諸宗も我宗もいまは天下一同之儀にてあひすたりたりといへども、仏説なればむなしからざるがゆへに、此子細をもて両国の守護ゑ訴詔すべき由、内々人の申なるあひだ、あはれ此をもむきをかの吉崎へつげしらせたまひ候て、斟酌も候へかしとおもふなり。我等も貴方に等閑もなき間、ひそかに申すなりと。此子細を当山中の多屋の内に、ものに心得たる人にかたりしかば、申されけるは、誠以両国の諸山寺の碩学達申すむね道理至極なり。我等も吉崎も最初よりその心中にてありしかども、此在所あまりにすぐれておもしろき間、たゞ一年半年とおもふほどに、いまに在国せり。誠にかの吉崎は、なまじゐに京人の身なるがゆへに、ならはぬすまゐをせられて不相応なる子細これおほしといへども、彼多屋の面々抑留あるによりて、今日までの堪忍なり、更に庶幾せしむる分はなし。依之道俗男女いく千万といふかずをしらず群集せしむるあひだ、かの吉崎もたれたれも今の時分しかるべからざる由申て、殊両国の守護方のきこゑといひ、又平泉寺・豊原其外諸山寺の内の碩学達も、さぞ上なしにおもひたまふらんと、朝夕そのはゞかりあるによりて、当文明四年正月の時分より諸人群集しかるべからざる由の成敗をくはへられしは、そのかくれなし。これしかしながら両守護、諸寺・諸山をおもんぜし心中なり。雖然其後道俗男女その成敗にかゝはらずしてかへりて申やうは、それ弥陀如来の本願はまさしく今の時のかゝる機をすくひたまふ要法なれば、諸人出入を停止あるときは、まことに弥陀如来の御慈悲にもふかくあひそむきたまふべき由を申す間、ちからなくそのまゝうちおかれつるなり。これ更に吉崎の心中に発起せらるゝところにあらず、たゞ弥陀如来の大慈大悲のちかひの、あまねく末代いまの機にかうぶらしむる仏智の不思議なりとおぼへはんべるものなり。 更以我々がはからひともおもひわけぬ為体なり。これによりてあまりに道俗男女群集せしむる間、よろづ退屈の由申して、かの吉崎も近日花洛にかへるべき心中におもひたくみたまふあひだ、まづ去ぬる秋之比、暫時に藤嶋辺へ上洛せらるゝ処に、多屋面面抑留あるによりて、先づ当年中は此方に居住すべき由申るゝところなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明五年十二月 日

(四三)

帖内二の一

抑今度一七ケ日報恩講のあひだにおいて、多屋内方もそのほかの人も、大略信心を決定し給へるよしきこへたり。めでたく本望これにすぐべからず。さりながらそのまゝうちすて候へば、信心もうせ候べし。細々に信心のみぞをさらへて、弥陀の法水をながせといへる事ありげに候。それにつゐて女人の身は、十方三世の諸仏にもすてられたる身にて候を、阿弥陀如来なればこそかたじけなくもたすけましまし候へ。そのゆへは女人の身はいかに真実心になりたりといふとも、うたがひの心はふかくして、又物なんどのいまわしくおもふ心はさらにうせがたくおぼえ候。ことに在家の身は世路につけ、又子孫なんどの事によそへても、たゞ今生にのみふけりて、これほどにはやめに見えてあだなる人間界の老少不定のさかゐとしりながら、たゞいま三途・八難にしづまん事をばつゆちりほども心にかけずして、いたづらにあかしくらすは、これつねの人のならひなり。あさましといふもおろかなり。これによりて一心一向に弥陀一仏の悲願に帰して、ふかくたのみたてまつりて、もろもろの雑行を修する心をすて、 又諸神・諸仏に追従まふす心をもみなうちすてゝ、さて弥陀如来と申はかゝる我らごときのあさましき女人のためにおこし給へる本願なれば、まことに仏智の不思議と信じて、我身はわろきいたづらものなりとおもひつめて、ふかく如来に帰入する心をもつべし。さてこの信ずる心も念ずる心も、弥陀如来の御方便よりおこさしむるものなりとおもふべし。かやうにこゝろうるをすなはち他力の信心をゑたる人とはいふなり。又このくらひをあるひは正定聚に住すとも、滅度にいたるとも、等正覚にいたるとも、弥勒にひとしとも申なり。又これを一念発起の往生さだまりたる人とも申すなり。かくのごとく心へてのうへの称名念仏は、弥陀如来の我らが往生をやすくさだめ給へる、その御うれしさの御恩を報じたてまつる念仏なりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
これについて、まづ当流のおきてをよくよくまもらせ給ふべし。そのゆわれはあひかまへていまのごとく信心のとをりを心へ給はゞ、身中にふかくおさめおきて、他宗・他人に対してそのふるまひをみせずして、又信心のやうをもかたるべからず。一切の諸神なんどをもわが信ぜぬまでなり、おろかにすべからず。かくのごとく信心のかたもそのふるまひもよき人をば、聖人もよく心へたる信心の行者なりとおほせられたり。たゞふかくこゝろをば仏法にとゞむべきなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明第五 十二月八日、これをかきて当山の多屋内方へまいらせ候。このほかなをなを不審の事候はゞ、かさねてとはせたまふべく候。
所送寒暑
五十八歳(花押)
のちの代の しるしのために かきおきし
のりのことの葉 かたみともなれ

(帖内二-一)

(四四)

抑今度一七ケ日報恩講のあひだにおいて、多屋内方もそのほかの人も、大略信心決定し給へるよしきこへり。めでたく本望これにすぐべからず。さりながらそのまゝうちすて候へば、信心もうせ候べし。細々に信心のみぞをさらへて、弥陀の法水をながせといへる事ありげに候。よくよく心へらるべし。されば女人の身は、十方三世の諸仏にもすてられたる身にて候を、阿弥陀如来なればこそかたじけなくもたすけましまし候へ。そのゆへは女人の身はいかに真実信心になり給ふといふとも、うたがひの心はふかくして、物なんどのいまはしくおもふ心はさらにうせがたく候。ことに在家の身は世路にほこりて、あるひは子孫なんどの繁昌をおもひ、なにとしても今生にのみふけりて、これほどめに見えてあだなる人間界の老少不定のさかひとしりながら、たゞいま三途・八難にしづまん事をば、つゆちりほども心にかけずして、いたづらにあかしくらすは、これつねの人のならひなり。まことにあさましといふもおろかなり。これによりて一心一向に弥陀一仏の悲願に帰して、ふかくたのみたてまつりて、もろもろの雑行を修する心をすて、又諸神・諸仏に追従申す心をもみなみなすてはてゝ、弥陀如来と申はかゝる我らごときのあさましき女人のためにおこしたまへる本願なれば、まことに仏智の不思議と信じて、我身はわろきいたづらものなりとおもひつめて、ふかく如来に帰入する心をもつべし。さてこの信ずる心も念ずる心も、弥陀如来の御方便よりおこさしむるものなりとおもふ べし。かやうにこゝろうるをすなはち他力の信心をゑたる人とはいふなり。又このくらひをあるひは正定聚に住すとも、滅度にいたるとも、等正覚にいたるとも、弥勒にひとしとも申すなり。又これを一念発起の往生さだまりたる人とも申なり。かくのごとく心へてのうへの称名念仏は、弥陀如来の我らが往生をやすくさだめ給へる、その御うれしさの御恩を報じたてまつる念仏なりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
これにつゐて、まづ当流のおきてをよくよくまもらせたまふべし。そのゆへはあいかまへていまのごとく信心をゑたまはゞ、一心のうちにふかくおさめおきて、他宗・他人に対してそのふるまひを見せず、又信心のやうをもかたるべからず。一切の諸神なんどをもわが信ぜぬまでなり、さのみおろかにすべからず。かくのごとく信心のかたもそのふるまひもよき人をば、聖人もよく心へたる信心の行者なりとおほせられたり。たゞふかく仏法に心をとゞむべきものなり。
文明第五 十二月八日、これをかきしるして当山多屋内方へまいらせ候。このほかなをなを不審の事候はゞ、かさねてたづねとはせたまふべく候。
たのめたゞ 弥陀のちかひの ふかければ
いつゝのつみは ほとけとぞなる
のちの代の しるしのために かきおきし
のりのことの葉 かたみともなれ
五十八歳(花押)

(四五)

帖内二の二

抑開山聖人の御一流には、それ信心といふことをもてさきとせられたり。その信心といふはなにの用ぞといふに、无善造悪のわれらがやうなるあさましき凡夫が、たやすく弥陀の浄土へまひらんずるための出立なり。 この信心を獲得せずは、極楽には往生せずして无間地獄に堕在すべきものなり。これによりてその信心をとらんずるやうはいかんといふに、それ弥陀如来一仏をふかくたのみたてまつりて、自余の諸善万行にこゝろをかけず、また諸神・諸菩薩にをいて今生のいのりをのみなせるこゝろをうしなひ、またわろき自力なんどいふひがおもひをもなげすてゝ、弥陀を一心一向に信楽してふたごゝろなきひとを、弥陀はかならず遍照の光明をもて、そのひとを摂取してすてたまはざるものなり。かやうに信をとるうへには、ねてもをきてもつねにまふす念仏は、かの弥陀のわれらをたすけたまふ御恩を報じたてまつる念仏なりとこゝろうべし。かやうにこゝろえたるひとをこそ、まことに当流の信心をよくとりたる正義とはいふべきものなり。このほかになを信心といふことのありといふひとこれあらば、おほきなるあやまりなり。すべて承引すべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
今この文にしるすところのおもむきは、当流親鸞聖人のすゝめたまへる信心の正義なり。この分をよくよくこゝろえたらん人々は、あひかまへて他宗・他人に対してこの信心のやうを沙汰すべからず。また自余の一切の仏・菩薩ならびに諸神等をもわが信ぜぬばかりなり、あながちにこれをかろしむべからず。これまことに弥陀一仏の功徳のうちに、みな一切の諸神はこもれりとおもふべきものなり。総じて一切の諸法にをいてそしりをなすべからず。これをもて当流のをきてをよくまもれるひとゝなづくべし。されば聖人のいはく、「たとひ牛ぬすびととはいはる とも、もしは後世者、もしは善人、もしは仏法者とみゆるやうにふるまうべからず」(改邪*鈔意)とこそおほせられたり。このむねをよくよくこゝろえて念仏をば修行すべきものなり。
文明五年十二月十二日書之
(帖内二-二)

(四六)

文明五 十二月十二日書之。
是は聖教よみのわろきをなをさむが為也。
夫当流聖人の御門下において其名をかけんともがらは、まづ信心をもて本とせられたる、そのいはれをくはしく存知すべきものなり。よてこの信心といふ事を決定せずんば、このたびはむなしく浄土には往生すべからざるものなり。そのゆへはまづつみをいへば十悪・五逆・謗法・闡提とて、これにすぐれてふかきはあるべからず。しかれどもかゝる機までも、不思議の願力の強縁として廻心すれば、みな往生をとぐるなり。依之近比は当国・加州の両国のあひだにおいて、仏法について或は聖教をよみて人を勧化するに、五人あれば五人ながらそのことばあひかはれりと[云々]。是併法流相承なきいはれなり。或は聖道のはて、或は禅僧のはてなんどが、我本宗の字ぢからをもて、なまじゐに自骨に了簡をくはへて人をへつらひたらせるいはれなり。これ言語道断あさましき次第なり。向後においてかのことばを信用すべからざるものなり。抑当流の他力の真実信心といふは、善導和尚の釈に、正雑二行とたてゝ、雑行をすてゝ正行に帰するをもて信心の体とす。その正行のうちに五種の正行をたてゝ、そのなかに第四の称名正行をもて往生の正業とすとみゑたり。されば南无阿弥陀仏をもて我等が往生の正業とすときこゑたり。又善導釈していはく、「南无といふは帰命、亦是発願廻向之儀なり」(玄義分)と釈せり。こゝろはいかん となれば、帰命といふも発願廻向といふもおなじこゝろなり。これは「帰命」といふは、弥陀如来をふかくたのみたてまつるこゝろなり。「阿弥陀仏」といふは、南无と帰命する衆生をおなじくたすけたまひて、徧照の光明をもて念仏の衆生を摂取してすてたまはざるこゝろなり。これすなはち南无阿弥陀仏の六字の体は、一切のわれらが往生のさだまりたるすがたなりとこゝろうべし。これを一念の信心決定せしめたる人となづくべきものなり。かくのごとく我等が信心獲得してのうへには、弥陀如来の御恩のあめ山にふかきありがたさの報謝のために行住座臥に称名念仏をまふすばかりなり。このこゝろを善導釈していはく、「上尽一形下至一念」(礼讚意)といへり。この「下至一念」といへるこゝろは、本願をたもつ信心決定のすがたなり。さて「上尽一形」といふは、我一期のあらんかぎりは仏恩報尽のために念仏まふせといへるこゝろなり。これらのおもむきをもて、すなはち当流の信心をゑたるすがたといふべきものなり。このうへになをおくふかき信心のありといはんものは、おほきなるあやまりなり、信用すべからず。よくよくこのむねをこゝろゑて、真実の信心を決定せしめてすみやかにこのたびの極楽の往生をとぐべきものなり。

(四七)

夫親鸞聖人の御門徒に其名をかけん輩に於ては、先聖人のすゝめましますところの真実信心をもて本とせられたるいはれをくはしく存知すべきなり。此信心といふ事を決定せざらん人は、報土には往生すべからざるものなり。そのゆへは罪をいへば十悪・五逆・謗法・ 闡提とて、これにすぎてふかきつみはあるべからず。しかれどもかゝる機までも、不思議の願力として廻心すればみな往生すべきなり。依之近比当国・加州両国の間において、仏法についてまづ聖教をよみて人を勧化するに、五人は五人ながらそのことばあひかはれりと[云々]。是併法流を相承なきいはれなり。あるひは聖道のはて、或は禅僧のはてなんどが、我本宗の字ぢからをもて、なまじゐに自骨に了簡をくはへて人をへつらひたらせるいはれなり。これ言語道断あさましき次第にあらずや。向後においてかのことばを信用すべからざるものなり。抑当流にたつるところの他力の大信心といふは、善導和尚の釈に、すでに正雑二行とたてゝ、諸の雑行をすてゝもはら正行に帰するをもて信心の体とす。其正行のなかに五種の正行をたてゝ、そのうちに第四の称名正行をもて往生の正業とすとみゑたり。されば南無阿弥陀仏をもてわれらが往生の正業とすとなり。又善導、此南無阿弥陀仏の六字を釈してのたまはく、「南無といふはすなはちこれ帰命なり、またこれ発願廻向の儀なり。阿弥陀仏といふはすなはちこれその行なり。この義をもてのゆへにかならず往生をう」(玄義分)といへり。そのこゝろはいかんとなれば、帰命といふも発願廻向といふもおなじこゝろなり。されば「帰命」といふは、弥陀をふかくたのむこゝろなり。又「阿弥陀仏」といふは、南無と帰命する衆生をかたじけなくも弥陀如来のよくしろしめして、かの光明をはなちてわれらが娑婆にあらんかぎりは、光明のなかにおさめおきてすてたまはざるなり。これすなはち南無阿弥陀仏のこゝろなり。このおもむきをよくこゝろゑたるをもて、他力の大信心とはなづくべきものなり。このうへの行住座臥の念仏は仏恩報尽のためとこゝろうべし。このこゝろを善導又釈していはく、「上尽一形下至一念」(礼讚意)といへり。それ「下至一念」といふは、 本願をたもつ信心治定のこゝろなり。「上尽一形」といふは、我一期のあひだの仏恩報尽のための念仏なり。まことにもていまこのおもむきは、親鸞聖人のすゝめたまへるところの真実信心といふはこれなり。此外になをふかき信心といふいはれありといはんものは、かへすがへすひが事なりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(四八)

夫親鸞聖人の一流にその名をかけんともがらにおいては、まづ聖人のすゝめましますところの他力真実の信心をもて本とせられたる、そのいはれをくはしく存知すべきなり。この信心といふことをしらざらん人は、報土には往生すべからず。そのゆへはつみをいへば十悪・五逆・謗法・闡提とて、これにすぎてふかきはあるべからず。しかれどもかゝる機までも、不思議の願力として廻心すればみな往生す。これによりてちかごろ当国・加州両国のあひだにおいて、仏法についてまづ聖教をもよみて人を勧化するに、五人あれば五人ながらそのことばあひかはれりと[云々]。これしかしながら法流をたゞちに相承なきいはれなり。あるひは聖道のはて、あるひは禅僧のはてなんどが、わが本宗の字ぢからをもて、なまじゐに自骨に料簡をくはへて人をへつらひたらせるいはれなり。これ言語道断あさましき次第なり。所詮向後におきては、かのことばをもて信用すべからざるものなり。
抑当流にたつるところの他力の大信心といふは、善導和尚の解釈に、すでに正雑二行とたてゝ、もろもろの雑行をすてゝもはら正行に帰するをもて信心の体とす。 その正行のなかに五種の正行をたてゝ、そのなかに第四の称名正行をもて往生の正業とすとみゑたり。されば南无阿弥陀仏をもてわれらが往生の正業とすとなり。また善導この南无阿弥陀仏の六字を釈していはく、「南无といふはすなはちこれ帰命なり、またこれ発願廻向の義なり。阿弥陀仏といふはすなはちこれその行なり。この義をもてのゆへにかならず往生をう」(玄義分)といへり。そのこゝろいかんぞなれば、帰命といふも発願廻向といふもおなじこゝろなり。されば「帰命」といふは、弥陀をふかくたのむこゝろなり。また「阿弥陀仏」といふは、南无と帰命する衆生をかたじけなくも弥陀如来のよくこれをしろしめして、すでに遍照の光明をはなちてわれらが命あらんかぎりは、かの光明のなかにおさめおきてすてたまはざるこゝろをもて、すなはち南无阿弥陀仏とはまふすなり。このおもむきをよくよくこゝろゑたるを、すなはち他力の大信心をゑたる人とはいふなり。されば信心決定したるうへの行住座臥の念仏は、ひとへに仏恩報尽のためとこゝろうべし。このこゝろをまた善導釈していはく、「上尽一形下至一念」(礼讚意)といへり。それ「下至一念」といふは、本願をたもつ信心治定のこゝろなり。「上尽一形」といふは、わが一期のあひだの仏恩報謝のための称名なりとこゝろうべし。いまいふところのおもむきは、親鸞聖人のまさしくひろめたまへるところの他力の真実信心といへるはこれなり。このほかになをおくふかき信心といふいはれありといはんものは、かへすがへすひがごとなりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年六月廿一日参河国式庄八郎左衛門入道真慶所望之間於此炎天拭老眼染筆訖
右筆蓮【(如)】―満六十(花押)


(四九)

去ぬる文明第四初夏下旬之比の事なりしに、或俗人法師なんどあまた同道してこの山中の為体を一見し申しけるは、抑山の中の主はいかなる人ぞ、俗姓はなにとまふすぞや、又此多屋坊主達の名をばなにとまふすぞ。此山とまふすは、もとはまことに虎・狼・野干のふしどにて家の一もなかりつるよしを人かたりしを、まのあたりきゝつるなり。あら不思議や、一都にいまはなりにけり。そもこれは人間のわざとも覚へざりけり。さてもこれは所領所帯にてもかくのごとくはならざりけり。そのいはれはひたすら仏法不思議の威力なりしゆへなり。それについてまづ浄土一家の宗義は、昔より今にいたるまで退転なくこれありといへども、当時いまの世は諸宗ともに八宗・九宗ことごとくすたれり。しかりといへどもこの当山にをひては、いよいよ念仏信仰さかりにして、一切の万民等かや申す我等にいたるまでも、此宗に心をかけざるはあるべからず。末代の奇特ともいひつべし。いかさまにも此宗にかぎりて殊勝なる後生のたすかる一理これありとしられたり。あやまりても此宗をそしることあらば、たゞちに罰をかうぶるべしと身にもおぼゑたり。是非ともにしかるべき縁をとりて、かの山の御弟子になるべし。この宗体にならずしては、又余のたすかるといへるみち、ふつと今の世にはあるべからず。あらたふとの此御山や、あらうれしやと申して、手をあはせてこの御山をおがみ、いづくへともしらずかへりけりとみゆ。これらの子細をあるみちのほとりにてねんごろにきゝしほどに、あまりに不思議におもひはん べるまゝかたりまふすなりといへり。あなかしこ、あなかしこ。
〔文明五年十二月中旬〕

(五〇)

夫人間の体をつくづく案ずるに、老少不定のさかひなり。もしいまのときにをいて、後生をかなしみ極楽をねがはずはいたづらごとなり。それについて衣食支身命とて、くうことゝきることゝのふたつかけぬれば、身命やすからずしてかなしきことかぎりなし。まづきることよりもくうこと一日片時もかけぬれば、はやすでにいのちつきなんずるやうにおもへり。これは人間にをいて一大事なり、よくよくはかりおもふべきことなり。さりながら今生は御主をひとりたのみまひらすれば、さむくもひだるくもなし。それも御主にこそよるべけれ。ことにいまの世にはくうこともきることもなき御主はいくらもこれおほし。されどもよき御主にとりあひまひらする、その御恩あさからぬことなれば、いかにもよくみやづかひにこゝろをいれずんば、その冥加あるべからず。さて一期のあひだは、御主の御恩にて今日までそのわづらひなし。またこれよりのちのことも、不思議の縁によりて、この山内にこの二、三ケ年のほどありしによりて、仏法信心の次第きくに耳もつれなからで、まことにうたがひもなく極楽に往生すべし。これすなはち今生・後生ともにもてこの山にありてたすかりなんずること、まめやかに二世の恩あさからずおもふべきものなり。ことに女人の身はおとこにつみはまさりて、五障・三従とてふかき身なれば、後生にはむなしく无間地獄におちん身なれども、かたじけなくも阿弥陀如来ひとり、十方三世の諸仏の悲願にもれたるわれら女人をたすけたまふ御うれしさありがたさよとふかくおもひとりて、阿弥陀如来をたのみたてまつるべきなり。それ信心をとるといふは、なに のわづらひもなく弥陀如来を一向一心にふたごゝろなく後生たすけたまへとおもひつめて、そのほかのことをばなにもうちすつべし。さて雑行といふはなにごとぞなれば、弥陀よりほかのほとけも、またその余の功徳善根をも、また一切の諸神なんどに今生にをいて用にもたゝぬせゝりごとをいのる体なることを、みなみな雑行ときらふなり。かやうに世間せばく阿弥陀一仏をばかりたのみて、一切の功徳善根、一切の神ほとけをもならべて、ちからをあはせてたのみたらんは、なをなを鬼にかなさいばうにて、いよいよよかるべきかとおもへば、これがかへりてわろきことなり。されば外典のことばにいはく、「忠臣は二君につかへざれ、貞女は二夫にまみえず」(史記意)といへり。仏法にあらざる世間よりも、一心一向にたのまではかなふべからずときこえたり。また一切の月のかげはもとひとつ月のかげなり、ひとつ月のかげが一切のところにはかげをうつすなり。このこゝろをもてこゝろうべし。されば阿弥陀一仏をたのめば、一切のもろもろのほとけ、一切のもろもろのかみを一度にたのむにあたるなり。これによりて阿弥陀一仏をたのめば、一切の神もほとけもよろこびまもりたまへり。かるがゆへに阿弥陀如来ばかりをたのみて、信心決定してかならず西方極楽世界の阿弥陀の浄土へ往生すべきものなり。このゆへにかゝる不思議の願力によりて往生すべきことのありがたさたふとさの弥陀の御恩報ぜんがために、行住座臥に称名念仏をばまふすなりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明第五 十二月十三日書之

これの内人の事なり

(五一)

抑先年前住在国のときの教化によりて、まづ荻生・福田の面々は秘事をもて本とせるこゝろはうせたりといへども、いまだ当流の真実の法義にはもとづかざるやうにみゑたり。しかれども愚老この両三ケ年のあひだ、吉崎の山上において一宇をむすびて居住せしむるいはれによりけるか、いまははや、おほよそ仏法のおもむきはひろまれるやうにきこゑたり。さりながら当流親鸞聖人一流には真実信心といふことを先とせられて、すでに末代われらごときの罪悪生死の凡夫、五障・三従の女人までも、みなたすけましますといふことを、あまねくしらざるがゆへなり。されば浄土に往生するといふも、たゞ一念の信心の決定するをもて、すみやかに弥陀の報土へはむまるゝものなり。これによりて信心といふことをよく決定すべきなり。この信心をとるといふは、いかやうにこゝろをももちて、いかやうに阿弥陀をも信じたてまつるべきぞといへば、なにのやうもなく、もろもろの雑行疑心なんどいふこゝろをすてゝ、またもろもろの仏・菩薩・諸神等をもたのまずして、もろもろのわろき自力のひがおもひなんどをもふりすてゝ、一心一向に弥陀如来をふかくたのみたてまつりて、このたびの後生をたすけたまへと、ひとすぢに弥陀に帰命するこゝろをもちて、うたがひのこゝろはつゆちりほどもなくは、かならず阿弥陀如来は八万四千の大光明をはなちて、その身を光明のなかにおさめとりて、わが身の娑婆にあらんかぎりはすてたまはずして、すでに命おはりなば弥陀の報土へかならずむかへたまふべし。これを弥陀如来の念仏行者を摂取したまふといふは、このこゝろなり。これをすなはち当流の信心決定したる人とはなづくべし。かくこゝろうるうへには、たとひ念仏 まふすとも、かの弥陀如来のわれらが往生をたやすくさだめましますところの御恩を報じたてまつる念仏なりとおもふべきものなり。加様にこゝろゑたる人をば、あるひは一念発起の行者とも、正定聚に住すとも、无上涅槃を証すとも、弥勒にひとしともまふすなり。これをもて信心をよくとりたる行者とはいふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
これについてなをなをこゝろうべきむねあり。そのゆへは他宗・他門を誹謗することあるべからず、また諸神・諸仏をもわが信ぜぬばかりなり、あながちにおろかにすべからず、いづれも弥陀一仏の功徳のうちにこもれりとしるべし。いかに当流の安心を決定したる人なりといふとも、このむねをまもらずはいたづらごとなり、当流念仏者にてはあるべからず。よくよくこのおもむきをこゝろうべきものなり。
文明第五 十二月廿二日書之
荻生・福田同行中へ
(花押)

(五二)

夫人間の体たらくをしづかに案ずるに、老少不定といひながら、つれなきものはわれらごときの凡夫なり。これによりて身体は芭蕉葉におなじ、たゞいまも无常のかぜにあひなば、すなはちやぶれなんことはたれのひとかのがるべき。たゞふかくいとふべきは娑婆世界なり、またねがふべきは安養世界なり。このたび信心決定して仏法を修行せずは、いつの世にかはうかむことをえんや。それについてはこゝにすぎぬる秋のころ、多屋人数のなかに松長の道林寺、郷の公慶順は、とし をいへば二十二歳なりしが、老少不定のいはれにやのがれがたきによりて、つゐに死去す。あはれなること中々いふばかりもなし。ことに仏法をこゝろにいれしあひだ、おしまぬひとこれなしとおもふところに、今月四日にまた福田の乗念も往生す。かの道林寺も同日にあひあたりて往生せしこと、まことに信心のとをりも一味せるいはれともおもひはんべるなり。抑乗念は満六十なり、松長の慶順は二十二歳なり。これすなはちわかきはおひたるにさきだついはれなれば、あら道林寺やな、かれもこれもおくれさきだつ人間界のならひは、たれものがれがたきなり。さりながら「同一念仏无別道故」(論註*巻下)の本文にまかせて、まことに一仏浄土の往生をとげんこと、本願あやまりあるべからず。あら殊勝哉、殊勝哉。
文明五年十二月廿三日

(五三)

抑かの乗念といへる法名をよくよくかんがへみれば、それ弥陀如来の一念十念によりて大悲の願船に乗ずといへる道理にかなふて殊勝なり。よてかの乗念は去ぬる十月の時分より違例ありき。そのあひだひさしく当山へ出仕おこたれり。しかるあひだ霜月の報恩講にまひりなんことかなひがたきよしまふすところに、不思議に違例すこし子細なきあひだ、霜月廿一日の夜聖人一七ケ日報恩講の座中に出仕するに、すなはち法門・聖教なんど聴聞するにより違例気も次第にとりなをして、食事も日ごろにあひかはりて子細なし。これしかしながら法味をあぢはふいはれかともおもひ、また聖人の御はからひに信心をもなをふかくとらしめんがためかともおぼへはんべり。さるほどに七日七夜も発病の気もなくて、廿八日の修中もことゆへなく結願成就しをはりぬ。あくる廿九日に安芸在所へゆきて対面し て、まことに名残おしげにみえてものがたりしけるは、今度一七日報恩講のうちの聴聞によりて日ごろ信心のちがひめを聴聞しわけぬるよしをまふして、中々ありがたさわれひとり落涙をもよをしけり。そののち多屋へかへりてより違例ことのほかになりて、中五日病気してつゐにそのまゝ往生す。たれのひともさりともとおもひしに、かくのごとくなりしかば、いまさらのやうにあはれみみなみなおもひあへり。病中のあひだにも、我往生はさておき、又未決定のひとの信心なきことをのみなげきかなしみあへり。これすなはち自身の往生決定せしむるいはれなりとおぼへはんべり。まことに「自信教人信」(礼讚)の道理にて、殊勝にこそはおぼゆれ。これによりて年をかさね日をかさね、仏法にこゝろざしのふかきによりて、報恩謝徳のためにとて、年来相伝の下地に仏名田といへるを仏陀に寄進あり。つらつらかの田の名を案ずるに、仏名といへること、仏のものときこへたり。かの乗念にをいてもその覚語なき仏力不思議ともいひつべし。まことにもて平生に仏法にをいて等閑なきいはれ、往生ののちにあらはれて、かつはありがたくかつはたうとくも、こゝろざしのほどもしられて、あはれにこそおもひはんべるものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(五四)

帖内二の三

夫当流開山聖人のひろめたまふところの一流のなかにおいて、みな勧化をいたすにその不同これあるあひだ、所詮向後は当山多屋坊主以下其外一巻の聖教をよまん人も、又来集の面々も、各々に当門下に其名をかけん輩までも、此三ケ条の篇目をもてこれを存知せしめて、 自今已後その成敗をいたすべきものなり。
諸法・諸宗ともにこれを誹謗すべからず。
諸神・諸仏・菩薩をかろしむべからず。
信心をとりて報土往生をとぐべき事。
右斯三ケ条のむねをまもりて、ふかく心底にたくはゑて、これを本とせざらん人々においては、此当山へ出入を停止すべきものなり。抑去文明第三之暦、仲夏の比より花洛をいでゝ、同年七月下旬之候に、すでに此当山の風波あらき在所に草庵をしめて、此四ケ年の間居住せしむる元源は、別の子細にあらず。此三ケ条のすがたをもて、かの北国中において、当流の信心未決定の人を同く一味の安心になさんがためのゆへに、今日今時まで堪忍せしむるところなり。仍此おもむきをもてこれを信用せば、まことに此年月在国の本意たるべきなり。
一 神明と申は、それ仏法において信もなき衆生のむなしく地獄におちん事をかなしみおぼしめして、これを何としてもすくはんがために、かりに神明とあらはれて、いさゝかなる縁をむすびて、それをたよりとして、つゐに仏法にすゝめいれしめんための方便に、神とはあらはれたまふなり。しかれば今のときの衆生において、弥陀をたのみ信心決定して念仏を申し、極楽に往生すべき身となりなば、一切の神明はかへりてわが本懐とおぼしめしてよろこびたまひて、念仏の行者をまもり守護したまふべきあひだ、とりわけ神をあがめねども、たゞ弥陀一仏をたのむうちにみな一切の神はことごとくこもれるがゆへに、別してたのまざれども信ずるいはれのあるがゆへなり。
一 当流のなかにおいて、諸法・諸宗を誹謗することしかるべからず。いづれも釈迦一代の説教なれば、如説に修行せばその益あるべし。さりながら末代われらごときの在家止住の身は、聖道諸宗の教におよばねば、 それを我たのまず信ぜぬばかりなり。
一 諸仏・菩薩と申は、それ弥陀如来のみな分身なれば、十方諸仏のためには本師本仏なるがゆへに、阿弥陀一仏に帰したてまつれば、すなはち諸仏・菩薩に帰するいはれあるがゆへに、阿弥陀一体のうちに諸仏・菩薩はみなことごとくこもれるなり。
一 開山親鸞聖人のすゝめましますところの弥陀如来の他力真実信心といふは、もろもろ雑行をすてゝ専修専念、一向一心に弥陀に帰命するをもて、本願を信楽する体とす。されば先達よりうけたまはりつたへしがごとく、弥陀如来の真実信心をば、いくたびも他力よりさづけらるゝところの仏智の不思議なりとこゝろゑて、一念をもては往生治定の時剋とさだめて、そのときの命のぶれば自然と多念におよぶ道理なり。これによりて平生のとき一念往生治定のうへの仏恩報尽の多念の称名とならふところなり。しかれば祖師聖人御相伝の一流の肝要は、たゞこの信心一にかぎれり。これをしらざるをもて他門とし、これをしれるをもて真宗のしるしとす。其外かならずしも外相において当流念仏者のすがたを他人に対してあらはすべからず。これをもて真宗の信心をゑたる行者のふるまゐの正本となづくべきものなり。
文明六年W甲午R正月十一日書之
(帖内二-三)

(五五)

抑斯当山へ参詣の人々においては、まづ存知すべき次第三ケ条在之。
一 諸法・諸宗ともに不可誹謗事。

一 諸神・諸仏においてかろしむべからざる事。
一 信心をとりて今度可遂往生事。
右此三ケ条、この宗をもて本とせざらん輩は、当山へ出入かなふべからざるものなり。そのゆへは去文明第三之比より花洛を出しよりこのかた、この浪風あらき在所に幽栖をしめて居住せしむる由来は、无別子細、北国中の同行達において当流の信心のおもむき更以无覚悟分間、於其信心為令獲得のゆへに所加堪忍なり。是併自行化他の道理、又別しては聖人報謝のためなりとおもふによりてなり。夫当流の信心といふは、もろもろの雑行をすてゝ専ら帰正行を体とす。斯信心獲得してのうへのとなふるところの口称念仏は、仏恩報尽のためなりとこゝろうべきなり。これすなはち当流の信心具足の行者となづくべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(五六)

知識帰命の否定

真宗では知識帰命という事を厳しく戒める。それは善知識が表に立つと法が見えなくなるからである。蓮如上人が吉崎へお越しになられた頃は、北陸の大衆は、まさに蓮如上人は往生極楽の善知識であるとして大衆は吉崎御坊へ群参した。それが縁で本願寺は日本有数の教団となったのである。しかし偉大な教化者である蓮如さんは、法を見るのではなく人を見てしまう善知識頼みの弊害をご存じであったから、我を善知識として拝むくらいなら、墓場の率都婆を拝む方が利益があると、門徒をさとしておられるのであった。

去年霜月のころよりこのかた、当国・加州・能登・越中のあひだより、男女老少幾千万となく当山へ群集せしむる条、しかるべからざるよしの成敗をなすといへども、さらにもて多屋坊主以下その承引なし。さだめて他宗・他家のかたにも、偏執の義もかつはこれあるべしとおもふなり。そのいはれいかんといふに、在家止住のつみふかき身が、弥陀の本願を信じ後生一大事とおもひ、信心決定してまことに極楽往生治定とこゝろえたらん身は、そのありがたさのあまり報謝のために足手をはこび、また当山に安置するところの本尊ならびに開山の御影へもまいり、またわれらなんどにも対面をとげんは、まことに道理なるべし。しかるになにの分別もなく、たゞひとまねばかりにきたらんともがらは、当山の経廻しかるべからざるよしをまうすなり。そもそも予がまへゝきたりて、見参対面をとげた りといふとも、さらにわれらがちからにて後生をたすくべきむねなし。信心をとりて弥陀如来をたのみたてまつらんひとならでは、後生はたすかるべからず。わがまへゝきたらんずるよりは、山野の墓原へゆきて五輪率都婆をおがみたらんずるは、まことにもてその利益もあるべし。すでに経文にいはく、一見率都婆永離三悪道[2]といへり。この率都婆をひとたびおがみたらんひとは、ながく三悪道の苦患をば一定のがるべしと、あきらかに経にみえたり。かへすがへす当山へなにのこゝろえもなきひときたりて、予に対面して手をあはせおがめること、もてのほかなげきおもふところなり。さらにもてたふときすがたもなし、たゞ朝夕はいたづらにねふせるばかりにて、不法懈怠にして不浄きはまりなく、しわらくさき身にてありけるをおがみぬること、真実真実かたはらいたき風情なり。あさましあさまし。これらの次第を分別して、向後は信心もなきものは、あひかまへてあひかまへて率都婆をおがむべし。これすなはち仏道をならんたねになるべし。よくよくこゝろうべきものなり。
秋さりて 夏もすぎぬる 冬ざれの
いまは春べと こゝろのどけし
この歌のこゝろは、当山にこの四ケ年すめるあひだのことをよめるうたなり。五文字に秋さりてといふは、文明第三の秋のころより、この当山吉崎に居をむすびて四年の春夏秋冬ををくりしことは、すでに秋をば三、夏をば二、冬をば三、春をば三なり。かやうに四ケ年のあひだ春夏秋冬ををくりしかども、こゝろうつくしく他力真実の信心を決定したるひと もなかりしに、去年の霜月七日のうちに、かたのごとくひとびとの信心をとりて、仏法にこゝろのしみてみえしほどに、ことしの春はうれしくおもひけるが、さていまは春べといへり。こゝろのどけしといふは、信心決定のひとおほければ、こゝろのどけしといへるこゝろなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年W甲午R正月廿日

(五七)

帖内二の四

それ弥陀如来の超世の本願とまうすは、末代濁世造悪不善のわれらごときの凡夫のためにをこしましますところの无上の誓願なるがゆへなり。しかればこれをなにとやうにこゝろをももち、なにとやうに弥陀を信じて、かの浄土へは往生すべきやらん、さらにその分別なし。くはしくしめしたまふべし。
こたへていはく、末代今時の衆生は、たゞひとすぢに阿弥陀如来をたのみたてまつりて、余の仏・菩薩等をもならべて信ぜねども、一心一向に弥陀一仏に帰命する衆生をば、いかにつみふかくとも大慈大悲をもてすくはんとちかひたまひて、大光明をはなちて、その光明のうちにおさめとりましますゆへに、このこゝろを『経』(観経)には、「光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨」とときたまへり。されば五道・六道といへる悪趣にすでにをもむくべきみちを、弥陀如来の願力の不思議としてこれをふさぎたまふなり。このいはれをまた『大経』(巻下)には、「横截五悪趣悪趣自然閉」ととかれたり。かるがゆへに如来の誓願を信じて一念の疑心なきときは、いかに地獄にをちんとおもふとも、弥陀如来の摂取の光明におさめとられまいらせたらん身は、わがはからひにて地獄へもおちずして極楽にまいるべき身なるがゆへなり。かやうの道理なるときは、昼夜朝暮は如来の広大の御恩を雨山にかうぶりたるわれらなれば、たゞ口に称名をとなへて、かの仏の大悲の御恩の報謝 のために念仏をまうすべきばかりなり。これすなはち念仏行者の信心のすがたといへるはこれなりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
〔文明六年二月十五日夜、大聖世尊入滅の昔をおもひいでゝ、於灯下拭老眼染筆畢。
満六十 有判〕
(帖内二-四)

(五八)

帖内二の五

抑此三、四年の間にをいて、当山の念仏者の風情を見をよぶに、まことにもて他力の安心決定せしめたる分なし。そのゆへは珠数の一連をももつひとなし。さるほどに仏をば手づかみにこそせられたり。聖人、またく珠数をすてゝ仏をおがめとおほせられたることなし。さりながら珠数をもたずとも、往生浄土のためにはたゞ他力の信心ひとつばかりなり。それにはさはりあるべからず。まづ大坊主分たるひとは、袈裟をもかけ、珠数をもちても子細なし。これによりて真実信心を獲得したる人は、かならず口にもいだし、又色にもそのすがたはみゆるなり。しかれば当時はさらに真実信心をうつくしくえたるひと、いたりてまれなりとおぼゆるなり。それはいかんぞなれば、弥陀如来の本願のわれらがために相応したるたふとさのほども身にはおぼえざるがゆへに、いつも信心のひととをりをばわれこゝろえがほの由にて、なにごとを聴聞するにもそのことゝばかりおもひて、耳へもしかしかともいらず、たゞひとまねばかりの体たらくなりとみえたり。此分にては自身の往生極楽もいまはいかゞとあやうくおぼゆるなり。いはんや門徒・同朋を勧化の儀もなかなか これあるべからず。かくのごときの心中にては今度の報土往生も不可なり。あらあら勝事や、たゞふかくこゝろをしづめて思安あるべし。まことにもて人間はいづるいきはいるをまたぬならひなり。あひかまへて由断なく仏法をこゝろにいれて、信心決定すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年二月十六日
早朝俄に染筆畢 而已
(帖内二-五)

(五九)

帖内二の六

抑当流の他力信心のおもむきをよく聴聞して、決定せしむる人これあらば、その信心のとをりをもて心底におさめおきて、他宗・他人に対して沙汰すべからず。又路次・大道、我々在所なんどにても、あらはに人をもはゞからずこれを讚嘆すべからず。
次には守護・地頭方にむきても、我は信心をゑたりといひて疎略の儀なく、いよいよ公事をまたくすべし。又諸神・諸仏・菩薩をもおろそかにすべからず。これみな南無阿弥陀仏の六字のうちにこもれるがゆへなり。ことに外には王法をもておもてとし、内心には他力の信心をふかくたくはへて、世間の仁義をもて本とすべし。これすなはち当流にさだむるところのおきてのおもむきなりとこゝろうべきものなり。
〔文明六年二月十七日書之〕
(帖内二-六)

(六〇)

今聴聞するところの他力信心のとをりをよくこゝろえたらん人々は、あひかまへてあひかまへて、このおもむきを心底におさめおきて、他宗・他人に対して沙汰すべからず。又路次・大道、我々の在所なんどにても、あらはに人をはゞからずこれを讚嘆すべからず。次には守護・地頭方にむきても、我は信心をえたりといひ て疎略の儀なく、いよいよ公事をまたくすべし。又諸神・諸菩薩をもおろそかにすべからず。みなこれ南无阿弥陀仏の六字のうちにこもれるなり。ことに外には王法をおもてとし、内心には他力の信心をふかくたくはへて、世間の仁義を本とすべし。これすなはち当流にさだむるところのおきてのおもむきなりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年二月十七日書之

(六一)

帖内二の七

静におもんみれば、夫人間界の生をうくることは、まことに五戒をたもてる功力によりてなり。これおほきにまれなる事ぞかし。但人界の生はわづかに一旦の浮生なり、後生は永生の楽果なり。たとひまた栄花にほこり栄耀にあまるといふとも、盛者必衰・会者定離のならひなれば、ひさしくたもつべきにあらず、たゞ五十年百年のあひだのことなり。それも老少不定ときくときは、まことにもてたのみすくなし。これによりていまのときの衆生は、他力の信心をえて浄土の往生をとげんとおもふべきなり。
抑その信心をとらんずるには、さらに智慧もいらず、才学もいらず、富貴も貧窮もいらず、善人も悪人もいらず、男子も女人もいらず、たゞもろもろの雑行をすてゝ正行に帰するをもて本意とす。その正行に帰するといふは、なにのやうもなく弥陀如来を一心一向にたのみたてまつることはりばかりなり。かやうに信ずる衆生をあまねく光明のなかに摂取してすてたまはずして、一期の命つきぬればかならず浄土にをくりたまふなり。この一念の安心ひとつにて浄土に往生すること の、あらやうもいらぬとりやすの安心や。されば安心といふ二字をば、やすきこゝろとよめるはこのこゝろなり。更になにの造作もなく一心一向に如来をたのみまひらする信心ひとつにて、極楽に往生すべし。あらこゝろえやすの安心や、又あらゆきやすの浄土や。これによりて『大経』(巻下)には、「易往而无人」とこれをとかれたり。この文のこゝろは、安心をとりて弥陀を一向にたのめば、浄土へはまひりやすけれども、信心をとる人まれなれば、浄土へはゆきやすくして人なしといへるはこの経文のこゝろなり。かくのごとくこゝろうるうへには、昼夜朝暮にとなふるところの名号は、大悲弘誓の御恩を報じたてまつるべきばかりなり。かへすがへす仏法に心をとゞめて、とりやすき信心のおもむきを存知して、かならず今度の一大事の報土の往生をとぐべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年三月三日清書之
(帖内二-七)

(六二)

帖内二の八

それ十悪・五逆の罪人も、五障・三従の女人も、むなしくみな十方三世の諸仏の悲願にもれて、すてはてられたるわれらごときの凡夫なり。しかればこゝに弥陀如来と申は、三世十方の諸仏の本師本仏なれば、久遠実成の古仏として、いまのごときの諸仏にすてられたる末代不善の凡夫、五障・三従の女人をば、弥陀にかぎりてわれひとりたすけんといふ超世の大願ををこして、われら一切衆生を平等にすくはんとちかひたまひて无上の誓願をおこして、すでに阿弥陀仏となりましましけり。この如来をひとすぢにたのみたてまつらずは、末代の凡夫、極楽に往生するみち、二も三もあるべからざるものなり。これによりて親鸞聖人のすゝめましますところの他力の信心といふことをよく存知せ しめんひとは、かならず十人は十人ながら、みなかの浄土に往生すべし。さればこの信心をとりてかの弥陀の報土にまひらんとおもふについて、なにとやうにこゝろをももちて、なにとやうにその信心とやらんをこゝろうべきや、ねんごろにこれをきかんとおもふなり。
答ていはく、それ当流親鸞聖人のをしへたまへるところの他力信心のおもむきといふは、なにのやうもなく、わが身はあさましきつみふかき身ぞとおもひて、弥陀如来を一心一向にたのみ奉て、もろもろの雑行をすてゝ専修専念なれば、かならず遍照の光明のなかにおさめとられまひらするなり。これまことにわれらが往生の決定するすがたなり。このうへになをこゝろうべきやうは、一心一向に弥陀に帰命する一念の信心によりて、はや往生治定のうへには、行住座臥にくちにまふさんところの称名は、弥陀如来のわれらが往生をやすくさだめたまへる大悲の御恩を報尽の念仏なりとこゝろうべきなり。これすなはち当流の信心を決定したる人といふべきなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年三月中旬
(帖内二-八)

(六三)

帖内二の九

そもそも阿弥陀如来をたのみたてまつるについて、自余の万行万善をば、すでに雑行となづけてきらへるそのこゝろはいかんぞなれば、それ弥陀仏のちかひましますやうは、一心一向にわれをたのまん衆生をば、いかなるつみふかき機なりともすくひたまはんといへる大願なり。しかれば一心一向といふは、阿弥陀仏にを ひて二仏をならべざるこゝろなり。このゆへに人間にをいても、まづ主をばひとりならではたのまぬ道理なり。されば外典のことばにいはく、「忠臣は二君につかへず、貞女は二夫をならべず」(史記意)といへり。阿弥陀如来は三世諸仏のためには本師師匠なれば、その師匠の仏をたのまんには、いかでか弟子の諸仏のこれをよろこびたまはざるべきや。このいはれをもてよくよくこゝろうべし。さて南无阿弥陀仏といへる行体には、一切の諸神・諸仏・菩薩も、そのほか万善万行も、ことごとくみなこもれるがゆへに、なにの不足ありてか諸行諸善にこゝろをとゞむべきや。すでに南无阿弥陀仏といへる名号は、万行万善の総体なれば、いよいよたのもしきなり。これによりてその阿弥陀如来をばなにとたのみなにと信じて、かの極楽往生をとぐべきぞなれば、なにのやうもなく、たゞわが身は極悪深重のあさましきものなれば地獄ならではおもむくべきかたもなき身なるを、かたじけなくも弥陀如来ひとりたすけんといふ誓願ををこしたまへりとふかく信じて、一念帰命の信心ををこせば、まことに宿善の開発にもよほされて、仏智より他力の信心をあたへたまふがゆへに、仏心と凡心とひとつになるところをさして、信心獲得の行者とはいふなり。このうへにはたゞねてもをきてもへだてなく念仏をとなへて、大悲弘誓の御恩をふかく報謝すべきばかりなりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六歳三月十七日書之
(帖内二-九)

(六四)

吉崎炎上時のお文

それ文明第三の天五月仲旬のころ、江州志賀郡大津三井寺のふもと南別所近松を不図おもひたちて、この方にをひて居住すべき覚悟にをよばず、越前・加賀の両国を経廻して、それよりのぼり当国細呂宜の郷吉崎と いへる在所いたりておもしろきあひだ、まことに虎・狼・野干のすみかの大山をひきたいらげて、一宇をむすびて居住せしむるほどに、当国・加州の門下のともがらも、山をくづし、また柴築地をつきなんどして、家をわれもわれもとつくるあひだ、ほどもなく一年二年とすぐるまゝ、文明第三の暦夏のころより当年までは、すでに四年なり。しかれども田舎のことなれば、一年に一度づゝは小家なんどは焼失す。いまだこの坊にかぎりて火難の義なかりしかども、今度はまことに時剋到来なりける歟。当年文明第六 三月廿八日酉剋とおぼえしに、南大門の多屋より火事いでゝ北大門にうつりて焼しほどに、已上南北の多屋は九なり、本坊をくわへてはそのかず十なり。南風にまかせてやけしほどに、ときのまに灰燼となれり。まことにあさましといふもなかなかことのはもなかりけり。それ人間はなにごともはやこれなり。ことに「三界无安猶如火宅」(法華経巻*二譬喩品)といへるも、いまこそ身にはしられたり。これによりてこの界は有无不定のさかひなれば、いかなる家いかなる宝なりともひさしくはもちたもつべきにあらず。たゞいそぎてもねがふべきは弥陀の浄土なり、いま一時もとくこゝろうべきは念仏の安心なり。されば身体は芭蕉のごとし、風にしたがひてやぶれやすし。かゝるうき世にのみ執心ふかくして、无常にこゝろをふかくとゞむるは、あさましきことにあらずや。いそぎ信心を決定して極楽にまいるべき身になりなば、これこそ真実真実ながき世のたからをまふけ、ながき生をえて、やけもうせもせぬ安養の浄土へまいりて、いのちは无量无辺にして、老せず死せざるたのしみをう けて、あまさへまた穢国にたちかへりて、神通自在をもてこゝろざすところの六親眷属をこゝろにまかせてたすくべきものなり。これすなはち「還来穢国度人天」(法事讚*巻下)といへる釈文のこゝろこれなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年九月 日
〔ふしぎなる 弥陀のちかひに あふもなを
むかしののりの もよほしぞかし
いくたびか さだめてことの かはるらん
たのむまじきは こゝろなりけり〕

(六五)

帖内二の十

夫当流親鸞聖人のすゝめましますところの一義のこゝろといふは、まづ他力の信心をもて肝要とせられたり。この他力の信心といふことをくはしくしらずは、今度の一大事の往生極楽はまことにもてかなふべからずと、経釈ともにあきらかにみえたり。さればその他力の信心のすがたを存知して真実報土の往生をとげんとおもふについても、いかやうにこゝろをももち、またいかやうに機をももちて、かの極楽の往生をばとぐべきやらん。そのむねをくはしくしりはんべらず。ねんごろにをしへたまふべし。それを聴聞していよいよ堅固の信心をとらんとおもふなり。
答ていはく、抑当流の他力信心のおもむきとまふすは、あながちに我身のつみのふかきにもこゝろをかけず、たゞ阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、かゝる十悪・五逆の罪人も、五障・三従の女人までも、みなたすけたまへる不思議の誓願力ぞとふかく信じて、さらに一念も本願をうたがふこゝろなければ、かたじけなくもその心を如来のよくしろしめして、すでに行者のわろきこゝろを如来のよき御こゝろとをなじものになしたまふなり。このいはれをもて仏心と凡心と一体になるといへるはこのこゝろなり。依之弥陀如来 の遍照の光明のなかにおさめとられまひらせて、一期のあひだはこの光明のうちにすむ身なりとおもふべし。さていのちもつきぬれば、すみやかに真実の報土へをくりたまふなり。しかればこのありがたさたふとさの弥陀大悲の御恩をばいかゞして報ずべきぞなれば、昼夜朝暮には称名念仏ばかりをとなへて、かの弥陀如来の御恩を報じたてまつるべきものなり。このこゝろすなはち当流にたつるところの一念発起平生業成といへる義これなりとこゝろうべし。さればかやうに弥陀を一心にたのみたてまつるも、なにの苦労もいらず、また信心をとるといふもやすければ、仏になり極楽に往生することもなをやすし。あらたふとの弥陀の本願や、あらたふとの他力の信心や。さらに往生にをいてそのうたがひなし。しかるにこのうへにをいて、なを身のふるまひについてこのむねをよくこゝろうべきみちあり。それ一切の神も仏とまふすも、いまこのうるところの他力の信心ひとつをとらしめんがための方便に、もろもろの神・もろもろのほとけとあらはれたまふいはれなればなり。しかれば一切の仏・菩薩も、もとより弥陀如来の分身なれば、みなことごとく一念南无阿弥陀仏と帰命したてまつるうちにみなこもれるがゆへに、をろかにおもふべからざるものなり。またこのほかになをこゝろうべきむねあり。それ国にあらば守護方、ところにあらば地頭方にをいて、われは仏法をあがめ信心をえたる身なりといひて、疎略の儀ゆめゆめあるべからず。いよいよ公事をもはらにすべきものなり。かくのごとくこゝろえたるひとをさして、信心発得して後生をねがふ念仏行者のふるまひの本と ぞいふべし。これすなはち仏法・王法をむねとまもれるひとゝなづくべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年五月十三日書之
(帖内二-一〇)

(六六)

帖内二の十一

夫当流親鸞聖人の勧化のをもむき、近年諸国にをきて種々不同なり。これおほきにあさましき次第なり。そのゆへはまづ当流には、他力の信心をもて凡夫の往生を先とせられたるところに、その信心のかたをばをしのけて沙汰せずして、そのすゝむる詞にいはく、十劫正覚のはじめより我等が往生を弥陀如来のさだめましましたることをわすれぬがすなはち信心のすがたなりといへり。これさらに、弥陀に帰命して他力の信心をえたる分はなし。さればいかに十劫正覚のはじめより我等が往生をさだめたまへることをしりたりといふとも、我等が往生すべき他力の信心のいはれをよくしらずは、極楽には往生すべからざるなり。又ある人のことばにいはく、たとひ弥陀に帰命すといふとも善知識なくはいたづらごとなり、このゆへに我等にをひては善知識ばかりをたのむべしと[云云]。これもうつくしく当流の信心をえざる人なりときこえたり。
抑善知識の能といふは、一心一向に弥陀に帰命したてまつるべしと、人をすゝむべきばかりなり。これによりて五重の義をたてたり。一には宿善、二には善知識、三には光明、四には信心、五には名号、この五重の義、成就せずは往生はかなふべからずとみえたり。されば善知識といふは、阿弥陀仏に帰命せよといへるつかひなり。宿善開発して善知識にあはずは、往生はかなふべからざるなり。しかれども帰するところの弥陀をすてゝ、たゞ善知識ばかりを本とすべきこと、おほきなるあやまりなりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、 あなかしこ。
文明第六 五月十七日
(帖内二-一一)

(六七)

帖内二の十二

夫人間の五十年を勘がへみるに、四王天といへる天の一日一夜にあひあたれり。またこの四王天の五十年をもて、等活地獄の一日一夜とするなり。依之みなひとの地獄におちて苦をうけんことをばなにともおもはず、また浄土へまひりて无上の楽をうけんことをも分別せずして、いたづらにあかし、むなしく日月ををくりて、さらに我身の一心をも決定する分もしかしかともなく、又一巻の聖教を眼にあてゝみる事もなく、一句の法門をいひて門徒を勧化する儀もなく、たゞ朝夕は、ひまをねらひて枕をともとしてねむりふせらんこと、まことにもてあさましき次第にあらずや。しづかに思案をめぐらすべきものなり。このゆへに今日今時よりして、不法懈怠にあらん人々は、いよいよ信心決定して真実報土の往生をとげんとおもはん人こそ、まことにその身の徳ともなるべし。これまた自行化他の道理にかなへりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
于時文明第六 六月中の二日、あまりの炎天のあつさに、これを筆にまかせてかきしるしおはりぬ。
(帖内二-一二)

(六八)

凡念仏まふして後生たすかるといふことをば、いかなるひともあまねくこれを存知せり。しかれども当流親鸞聖人の一義にかぎりて、他力信心の一途を具足せず んば、今度の報土の往生はかなふべからざるよしきこえはんべりぬ。さてその信心といふことをば、なにとやうにわれらが心中にはこゝろえをきさふらふべきぞや、さらにそのこゝろをえず。くはしくこれをしめしたまふべし。
答ていはく。その他力信心といへる事をばあながちに聖人のわたくしの所流とばかりはこゝろえらるべからず。そのゆへは『大経』(巻上)の十八の願にすでに「至心信楽欲生我国」と、これをあらはしたまへり。これすなはち弥陀如来の他力の信心といへるはこのことなり。この他力真実の信心を獲得せんひとは、たとへば十人はみな十人ながら、すなはち極楽に往生すべし。これさらに行者のなすところの自力の信心にあらず、弥陀如来の清浄本願の智心なりときこえたり。この信心の体といふは、すなはち南无阿弥陀仏これなり。そのゆへは南无と弥陀に帰命すれば、その南无と帰命する衆生を阿弥陀仏のよくしろしめして、摂取してすてたまはざるなり。このこゝろすなはち南无阿弥陀仏なり。この南无阿弥陀仏といふは他力真実の信心のすがたなり。またこの南无阿弥陀仏すなはちわれらが往生すべきいはれを、六字の名号にあらはしたまへるなり。これすなはち信心歓喜のこゝろにて、報土に往生すべきいはれなればなりとこゝろうべし。されば信心決定のうへに仏恩報謝のために行住座臥に念仏まふすこゝろはなにごとぞなれば、かゝるあさましき極悪のわれらがために、往生すべき大願ををこしてたやすくたすけたまへる弥陀如来の御恩のありがたさたふとさをよろこびまふす念仏のこゝろなりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年六月十九日

(六九)

或人のいはく、参河国さかざきの修理助入道浄光・青 野八郎左衛門入道真慶両人あり。此人去ぬる四月下旬比より吉崎の山上にありと[云々]。しかるに善導和尚の日中の『礼讚』の偈にいはく、「真形光明遍法界蒙光触者心不退」といふ文あり。所詮此釈文の中に真慶・浄光の二人の片字あり。これまことに奇特不思議なりし事ぞかし。そのゆへは弥陀如来の真身のかたちは、すなはち光明ともなりて、一切衆生を平等に摂取したまふちかひなるがゆへなり。これによりて両人の片字此釈文の中にある事、まことにもて宿習のいたりか、又本願力の不思議によりて報土往生をとげんがために、今度此当山ゑこゑられけるかともおぼへはんべり。さればやがて次の文に「蒙光触者心不退」とあれば、すなはち信心決定して不退なるべきいはれなりとあらはにしられたり。あら殊勝、あら殊勝。
文明第六 六月廿五日書之

(七〇)

帖内二の十三・五の十二

夫当流にさだむるところのをきてをよくまもるといふは、他宗にも世間にも対しては、我一宗のすがたをあらはに人の目にみえぬやうにふるまへるをもて本意とするなり。しかるにちかごろは当流念仏者のなかにをいて、わざと人目にみえて一流のすがたをあらはして、これをもてわが宗の名望のやうにおもひて、ことに他宗をこなしをとしめんとおもへり。これ言語道断の次第なり。さらに聖人のさだめましましたる御意にふかくあひそむけり。そのゆへは「すでに牛をぬすみたるひとゝはいはるとも、当流のすがたをみゆべからず」(改邪*鈔意)とこそおほせられたり。この御ことばをもてよくよくこゝろうべし。つぎに当流の安心のおもむきを くはしくしらんとおもはんひとは、あながちに智慧才学もいらず、男女貴賤もいらず、たゞわが身はつみふかきあさましきものなりとおもひとりて、かゝる機までもたすけたまへるほとけは阿弥陀如来ばかりなりとしりて、なにのやうもなく一すぢにこの阿弥陀ほとけの御袖にひしとすがりまひらするおもひをなして、後生をたすけたまへとたのみまふせば、この阿弥陀如来はふかくよろこびましまして、その御身より八万四千のおほきなる光明をはなちて、その光明のなかにその人をおさめいれてをきたまふべし。さればこのこゝろを『経』(観経)にはまさに「光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨」とはとかれたりとこゝろうべし。さては我身のほとけにならんずることは、なにのわづらひもなし。あら殊勝の超世の本願や、ありがたの弥陀如来の光明や。この光明の縁にあひたてまつらずは、无始よりこのかたの无明業障のおそろしきやまひのなをるといふことは、さらにもてあるべからざるものなり。しかるにこの光明の縁にもよほされて、宿善の機ありて他力の信心といふことをばいますでにえたり。これしかしながら弥陀如来の御かたよりさづけましましたる信心とはやがてあらはにしられたり。かるがゆへに行者のをこすところの信心にあらず、弥陀如来他力の大信心といふことは、いまこそあきらかにしられたり。これによりてかたじけなくもひとたび他力の信心をえたらんひとは、みな弥陀如来の御恩のありがたきほどをよくよくおもひはかりて、仏恩報謝のためにはつねに称名念仏をまふしたてまつるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明第六 七月三日書之
(帖内二-一三・五―一二)

(七一)

帖内二の十四・五の二十二

夫越前国にひろまるところの秘事法門といへることは、 さらに仏法にてはなし、あさましき外道の法なり。これを信ずるものはながく无間地獄にしづむべき業にて、いたづらごとなり。この秘事をなをも執心して肝要とおもひて、人をへつらひたらさんものには、あひかまへてあひかまへて随逐すべからず。いそぎその秘事をいはん人の手をはなれて、はやくさづくるところの秘事をありのまゝに懺悔して、人にかたりあらはすべきものなり。
抑当流勧化のおもむきをくはしくしりて、極楽に往生せんとおもはん人は、まづ他力の信心といふことを存知すべきなり。夫他力の信心といふは、なにの要ぞといへば、かゝるあさましきわれらごときの凡夫の身が、たやすく浄土へまひるべき用意なり。その他力の信心のすがたといふはいかなることぞといへば、なにのやうもなくたゞ一すぢに阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、たすけたまへとおもふこゝろの一念をこるとき、かならず弥陀如来の摂取の光明をはなちて、その身の娑婆にあらんほどは、この光明のなかにおさめをきましますなり。これすなはちわれらが往生のさだまりたるすがたなり。されば南无阿弥陀仏とまふす体は、われらが他力の信心をえたるすがたなり。この信心といふは、この南无阿弥陀仏のいはれをあらはせるすがたなりとこゝろうべきなり。されば我等がいまの他力の信心ひとつをとるによりて、極楽にやすく往生すべきことの、さらになにのうたがひもなし。あら殊勝の弥陀如来の他力の本願や。このありがたさの弥陀の御恩をば、いかゞして報じたてまつるべきぞなれば、たゞねてもおきても南无阿弥陀仏南无阿弥陀仏と となへて、かの弥陀如来の仏恩を報ずべきなり。されば南无阿弥陀仏ととなふるこゝろはいかんぞなれば、阿弥陀如来の御たすけありつる事のありがたさたうとさよとおもひて、それをよろこびまふすこゝろなりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年七月五日
(帖内二-一四・五―二二)

(七二)

帖内二の十五

そもそも日本にをいて浄土宗の家々をたてゝ、西山・鎮西・九品・長楽寺とて、そのほかあまたにわかれたり。これすなはち法然聖人のすゝめたまふところの義は一途なりといへども、あるひは聖道門にてありしひとびとの、聖人へまいりて浄土の法門を聴聞したまふに、うつくしくその理耳にとゞまらざるによりて、わが本宗のこゝろをいまだすてやらずして、かへりてそれを浄土にひきいれんとせしによりて、その不同これあり。しかりといへどもあながちにこれを誹謗することあるべからず。肝要はたゞわが一宗の安心をよくたくはへて、自身も決定しひとをも勧化すべきばかりなり。それ当流の安心のすがたはいかんぞなれば、まづわが身は十悪・五逆、五障・三従のいたづらものなりとふかくおもひつめて、そのうへにおもふべきやうは、かゝるあさましき機を本とたすけたまへる弥陀如来の不思議の本願なりとふかく信じたてまつりて、すこしも疑心なければ、かならず弥陀は摂取したまふべし。このこゝろこそ、すなはち他力真実の信心をえたるすがたとはいふべきなり。かくのごときの信心を、一念とらんずることはさらになにのやうもいらず。あらこゝろえやすの他力の信心や、あら行じやすの名号や。しかればこの信心をとるといふも別のことにはあらず、南无阿弥陀仏の六の字をこゝろえわけたるが、すなはち他力信心の体なり。また南无阿弥陀仏といふはいか なるこゝろぞといへば、南无といふ二字は、すなはち極楽に往生せんとねがひて弥陀をふかくたのみたてまつるこゝろなり。さて阿弥陀仏といふは、かくのごとくたのみたてまつる衆生をあはれみましまして、无始曠劫よりこのかたのをそろしきつみとがの身なれども、弥陀如来の光明の縁にあふによりて、ことごとく无明業障のふかきつみとがたちまちに消滅するによりて、すでに正定聚のかずに住す。かるがゆへに凡身をすてゝ仏身を証するといへるこゝろを、すなはち阿弥陀如来とはまうすなり。されば阿弥陀といふ三字をば、おさめ・たすけ・すくふとよめるいはれあるがゆへなり。かやうに信心決定してのうへには、たゞ弥陀如来の仏恩のかたじけなきことをつねにおもひて称名念仏をまうさば、それこそまことに弥陀如来の仏恩を報じたてまつることはりにかなふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年七月九日書之
(帖内二-一五)

(七三)

帖内三の一

抑当流にをいて、その名ばかりをかけんともがらも、またもとより門徒たらんひとも、当宗の安心のとをりをよくこゝろえずは、あひかまへてあひかまへて今日よりして他力の大信心のおもむきをねんごろに人にあひたづねて、報土往生を決定せしむべきなり。夫一流の安心をとるといふも、なにのやうもなくたゞ一すぢに阿弥陀如来をふかくたのみたてまつるばかりなり。しかれどもこの阿弥陀仏とまふすは、いかやうなるほとけぞ、またいかやうなる機の衆生をすくひたまふぞ といふに、三世の諸仏にすてられたるあさましき我等凡夫女人を、われひとりすくはんといふ大願ををこしたまひて、五劫があひだこれを思惟し、永劫があひだこれを修行して、それ衆生のつみにをいては、いかなる十悪・五逆・謗法・闡提のともがらなりといふともたすけんとちかひましまして、すでに諸仏の悲願にこえすぐれたまひて、その願成就して阿弥陀如来とはならせたまへるを、すなはち南无阿弥陀仏とはまふすなり。これによりてこのほとけをばなにとたのみ、なにとこゝろをももちてたすけたまふべきぞといふに、それ我身のつみのふかきことをばうちをきて、たゞかの阿弥陀仏をふたごゝろなく一向にたのみまひらせて、一念もうたがふこゝろなくは、かならずたすけたまふべし。しかるに阿弥陀如来には、すでに摂取と光明といふ二つのことはりをもて、衆生をば済度したまふなり。まづこの光明に宿善の機ありててらされぬれば、つもるところの業障のつみみなきえぬるなり。さて摂取といふはいかなるこゝろぞといへば、この光明の縁にあひたてまつれば、罪障ことごとく消滅するによりて、やがて衆生をこの光明のうちにおさめおかるゝによりて、摂取とはまふすなり。このゆへに阿弥陀仏には摂取と光明との二つをもて肝要とせらるゝなりときこえたり。されば一念帰命の信心のさだまるといふも、この摂取の光明にあひたてまつる時剋をさして、信心のさだまるとはまふすなり。しかれば南无阿弥陀仏といへる行体は、すなはちわれらが浄土に往生すべきことはりを、この六字にあらはしたまへる御すがたなりと、いまこそよくはしられて、いよいよありがたくたふとくおぼへはんべれ。さてこの信心決定のうへには、たゞ阿弥陀如来の御恩を雨山にかうぶりたることをのみよろこびおもひたてまつりて、その報謝のためには、ねてもさめても念仏をまふすべきばかりなり。 これぞまことに仏恩報尽のつとめなるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明第六 七月十四日書之
(帖内三-一)

(七四)

夫浄土宗のこゝろ、弥陀如来の他力本願のおもむきは、末代造悪不善、十悪・五逆の機にをいては、いづれの法いづれの行をもてこれを修すといへども、成仏得道の儀かなひがたしといふこと経釈ともに分明にきこへはんべりぬ。夫諸宗のこゝろまちまちにして、いづれも釈尊の説教なれば、まことにこれ殊勝の法なりといへども、如説に修行するひとまれなれば、成仏得道すべきことかなひがたし。末代いまのときは、機根最劣にして如説の修行もかなひがたきとき世なり。これによりて弥陀如来の他力本願といふは、いまの世かゝるときの衆生をたすけんがために、五劫があひだ思惟し、永劫が間修行して、造悪不善の衆生をほとけになさずはわれも正覚ならじとちかひましまして、その願すでに成就して阿弥陀とならせたまへるほとけなり。末代このごろの衆生にかぎりては、このほとけの他力本願にすがりて弥陀をたのみたてまつらずは、成仏するといふことあるべからざるなり。しかればこの弥陀如来の他力本願をばなにとやうに信じ、またなにと機をもちてたすからんずるやらん。それ弥陀をたのむといふは、なにのやうもなく他力の信心といふいはれをしりたらんひとは、百人は百人ながら、みな往生すべし。その信心といふはいかやうなることぞといへば、たゞ南无阿弥陀仏なり。この南无阿弥陀仏の六字のこゝろ をよくしりたるが、すなはち他力信心のすがたなり。このいはれをよくよくこゝろうべし。まづ南无といふ二字はいかなるこゝろぞといふに、やうもなく弥陀を一心一向にたのみたてまつりて、後生たすけたまへとふたごゝろなく信じまひらするかたをさして、南无とはまふすこゝろなり。さて阿弥陀仏の四の字はいかなるこゝろぞといふに、いまのごとくに弥陀を一心にたのみまひらせて、うたがひのこゝろのなき衆生をば、光明をはなちてそのひかりのうちにおさめをきましまして、地獄へもおとしたまはずして、一期のいのちつきぬれば、かの極楽浄土へおくりたまへるこゝろを、阿弥陀仏とはまふしたてまつるなり。されば世間にひとのこゝろうるは、くちに南无阿弥陀仏ととなへて、たすからんずるやうにみなひとおもへり。それはなをおぼつかなし。よく南无阿弥陀仏の六の字のこゝろをしりわけたるが、すなはち他力信心をえたる念仏行者の体とはいふなり。これ当流にたつるところの信心のをもむきといふはこのこゝろなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年八月五日書之

(七五)

帖内三の二

夫諸宗のこゝろまちまちにして、いづれも釈迦一代の説教なれば、まことにこれ殊勝の法なり。もとも如説にこれを修行せんひとは、成仏得道すべきことさらにうたがひなし。しかるに末代このごろの衆生は機根最劣にして、如説に修行せんひとはひとまれなる時節なり。こゝに弥陀如来の他力本願といふは、いまの世にをひてかゝるときの衆生をむねとたすけすくはんがために、五劫があひだこれを思惟し、永劫があひだこれを修行して、造悪不善の衆生をほとけになさずはわれも正覚ならじと、ちかごとをたてましまして、その願すでに成就して阿弥陀とならせた まへるほとけなり。末代いまのときの衆生にをひては、このほとけの本願にすがりて弥陀をふかくたのみたてまつらずんば、成仏するといふことあるべからざるなり。
抑阿弥陀如来の他力本願をばなにとやうに信じ、またなにとやうに機をもちてかたすかるべきぞなれば、それ弥陀を信じたてまつるといふは、なにのやうもなく他力の信心といふいはれをよくしりたらんひとは、たとへば十人は十人ながら、みなもて極楽に往生すべし。さてその他力の信心といふはいかやうなることぞといへば、たゞ南无阿弥陀仏なり。この南无阿弥陀仏の六の字のこゝろをくはしくしりたるが、すなはち他力信心のすがたなり。されば南无阿弥陀仏といふ六字の体をよくよくこゝろうべし。まづ南无といふ二字はいかなるこゝろぞといへば、やうもなく弥陀を一心一向にたのみたてまつりて、後生たすけたまへとふたごゝろなく信じまいらするこゝろを、すなはち南无とはまうすなり。つぎに阿弥陀仏といふ四字はいかなるこゝろぞといへば、いまのごとくに弥陀を一心にたのみまいらせて、うたがひのこゝろのなき衆生をば、かならず弥陀の御身より光明をはなちててらしましまして、そのひかりのうちにおさめをきたまひて、さて一期のいのちつきぬれば、かの極楽浄土へをくりたまへるこゝろを、すなはち阿弥陀仏とはまうしたてまつるなり。されば世間に沙汰するところの念仏といふは、たゞくちにだにも南无阿弥陀仏ととなふれば、たすかるやうにみなひとのおもへり。それはおぼつかなきことなり。さりながら浄土一家にをひてさやうに 沙汰するかたもあり、是非すべからず。これはわが一宗の開山のすゝめたまへるところの一流の安心のとほりをまうすばかりなり。宿縁のあらんひとは、これをきゝてすみやかに今度の極楽往生をとぐべし。かくのごとくこゝろえたらんひと、名号をとなへて弥陀如来のわれらをやすくたすけたまへる御恩を雨山にかうぶりたる、その仏恩報尽のためには、称名念仏すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年八月五日書之
(帖内三-二)

(七六)

帖内三の三

この方河尻性光門徒の面々にをいて、仏法の信心のこゝろえはいかやうなるらん、まことにもてこゝろもとなし。しかりといへどもいま当流一義のこゝろをくはしく沙汰すべし。をのをの耳をそばだてゝこれをきゝて、このをもむきをもて本とおもひて、今度の極楽の往生を治定すべきものなり。
それ弥陀如来の念仏往生の本願とまうすは、いかやうなることぞといふに、在家无智のものも、また十悪・五逆のやからにいたるまでも、なにのやうもなく他力の信心といふことをひとつ決定すれば、みなことごとく極楽に往生するなり。さればその信心をとるといふは、いかやうなるむつかしきことぞといふに、なにのわづらひもなくたゞひとすぢに阿弥陀如来をふたごゝろなくたのみたてまつりて、余へこゝろをちらさざらんひとは、たとへば十人あらば十人ながら、みなほとけになるべし。このこゝろひとつをたもたんはやすきことなり。たゞこゑにいだして念仏ばかりをとなふるひとはおほやうなり、それは極楽には往生せず。この念仏のいはれをよくしりたるひとこそほとけにはなるべけれ。なにのやうもなく弥陀をよく信ずるこゝろだにもひとつにさだまれば、やすく浄土へはまいる べきなり。このほかにはわづらはしき秘事といひて、ほとけをもおがまぬものはいたづらものなりとおもふべし。これによりて阿弥陀如来の他力本願とまうすは、すでに末代いまのときのつみふかき機を本としてすくひたまふがゆへに、在家止住のわれらごときのためには相応したる他力の本願なり。あらありがたの弥陀如来の誓願や、あらありがたの釈迦如来の金言や、あふぐべし、信ずべし。しかればいふところのごとくこゝろえたらんひとびとは、これまことに当流の信心を決定したる念仏行者のすがたなるべし。さてこのうへには、一期のあひだまうす念仏のこゝろは、弥陀如来のわれらをやすくたすけたまへるところの雨山の御恩を報じたてまつらんがための念仏なりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年八月六日書之
(帖内三-三)

(七七)

抑此方北庄一里五十町の間、念仏同行の坊主達の心中の風情をつくづくと、この当庄にしづかにありて見及に、まことに当流一儀の趣をうるはしく存知したる体は、一人も更になきやうに思ひ侍べり。これあさましき次第にあらずや。そのゆへは名をばなまじゐに当流にかけて、たが門徒といへるばかりをもて肝要とおもひて、信心のとをりをば手がけもせずして、たゞすゝめといふて銭貨をつなぐをもて一宗の本意とおもひ、これをもて往生浄土のためとばかりおもへり。これ大にあやまりなり。夫極楽に往生することをくはしく存知せずは、極楽には往生すべからざるものなり。これ によりてその他力の信心といふ事をいまくわしく讚嘆すべし。耳をそばだてゝこれをきゝて、いよいよ決定の信心をまぶくべきなり。
夫親鸞聖人の勧化の趣は、なにのやうもなく末代在家止住の輩は、たゞ声にいだして南无阿弥陀仏ととなふるばかりにては仏にはなるべからず。そのゆへはいかんといふに、ひしと南无阿弥陀仏といふ仏体は、我等が極楽に往生すべきいわれを、この南无阿弥陀仏の六の字にしかとあらはしたまへりとおもひて、さてこの南无阿弥陀仏はなにといへるこゝろぞといふに、まづ南无といふ二字はすなはち一心一向に阿弥陀如来をふかくたのみたてまつりて、後生たすけ給へとおもふ帰命の一念さだまるところをさして南无とは申なり。さればこの南无とたのむこゝろのうちには、もろもろの雑行・雑善、諸仏・菩薩等をくはへずして、一すぢに阿弥陀如来に帰命し奉るこゝろを南无とは申なり。さて阿弥陀仏といへる四の字のこゝろは、なにと申したるいはれぞなれば、いまのごとくに南无と弥陀をたのみ奉れば、すなはちそのたのむ衆生を仏力不思議のゆへによくしろしめして、かたじけなくも弥陀如来の光明のうちにおさめとらせ給がゆへに阿弥陀仏と申すなり。されば南无阿弥陀仏といへる六の字は、しかしながら造悪不善の我等を御たすけありける御すがたにてましますぞとこゝろえわけたる道理をもて、これを他力の信心をえたる行者とはまふすなり。これによりて仏恩のふかきことは、きはほとりもなきゆへに、その報尽のためにはたゞ称名念仏をとなへて、かの弥陀如来の御恩を報じ奉るべきものなり。このうへになをこゝろうべきむねあり。そのゆへは南无阿弥陀仏の六字の中には、一切の功徳善根も、一切の諸仏・菩薩も、一切の諸神も、みなことごとくこもれるなり。されば阿弥陀一仏に帰すれば、一切の諸神・諸仏・菩薩にも 帰する道理なるがゆへに、別して信ぜねども弥陀一仏を一心一向にたのめば、かならずそのうちにこもれるがゆへなり。あひかまへて一切の諸仏・菩薩・諸神等をかろしむることあるべからず。いよいよ弥陀を信じ奉るべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年八月十日

(七八)

帖内三の四

夫倩人間のあだなる体を案ずるに、生あるものはかならず死に帰し、さかんなるものはつゐにおとろふるならひなり。さればたゞいたづらにあかし、いたづらにくらして、年月ををくるばかりなり。これまことになげきてもなをかなしむべし。このゆへにかみは大聖世尊よりはじめて、しもは悪逆の提婆にいたるまで、のがれがたきは无常なり。しかればまれにもうけがたきは人身、あひがたきは仏法なり。たまたま仏法にあふことをえたりといふとも、自力修行の門は、末代なればいまの時は出離生死のみちはかなひがたきあひだ、弥陀如来の本願にあひたてまつらずはいたづらごとなり。しかるにいますでにわれら弘願の一法にあふことをえたり。このゆへにたゞねがふべきは極楽浄土、たゞたのむべきは弥陀如来、これによりて信心決定して念仏まふすべきなり。しかれば世の中にひとのあまねくこゝろえをきたるとをりは、たゞこゑにいだして南无阿弥陀仏とばかりとなふれば、極楽に往生すべきやうにおもひはんべり。それはおほきにおぼつかなきことなり。されば南无阿弥陀仏とまふす六字の体はいかなるこゝろぞといふに、阿弥陀如来を一向にたのめば、ほとけその衆生をよくしろしめして、すくひたま へる御すがたを、この南无阿弥陀仏の六字にあらはしたまふなりとおもふべきなり。しかればこの阿弥陀如来をばいかゞして信じまひらせて、後生の一大事をばたすかるべきぞなれば、なにのわづらひもなく、もろもろの雑行雑善をなげすてゝ、一心一向に弥陀如来をたのみまひらせて、二ごゝろなく信じたてまつれば、そのたのむ衆生を光明をはなちてそのひかりのなかにおさめいれをきたまふなり。これをすなはち弥陀如来の摂取の光益にあづかるとはまふすなり。または不捨の誓益ともこれをなづくるなり。かくのごとく阿弥陀如来の光明のうちにおさめをかれまひらせてのうへには、一期のいのちつきなばたゞちに真実の報土に往生すべきこと、そのうたがひあるべからず。このほかには別の仏をもたのみ、また余の功徳善根を修してもなにゝかはせん。あらたふとや、あらありがたの阿弥陀如来や。かやうの雨山の御恩をばいかゞして報じたてまつるべきぞや。たゞ南无阿弥陀仏南无阿弥陀仏とこゑにとなへて、その恩徳をふかく報尽まふすばかりなりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年八月十八日
(帖内三-四)

(七九)

帖内三の五

抑諸仏の悲願に弥陀の本願のすぐれましましたる、そのいはれをくはしくたづぬるに、すでに十方の諸仏とまふすは、いたりてつみふかき衆生と五障・三従の女人をばたすけたまはざるなり。このゆへに諸仏の願に阿弥陀仏の本願はすぐれたりとまふすなり。さて弥陀如来の超世の大願はいかなる機の衆生をすくひましますぞとまふせば、十悪・五逆の罪人も、五障・三従の女人にいたるまでも、みなことごとくもらさずたすけたまへる大願なり。されば一心一向にわれをたのまん衆生をば、かならず十人あらば十人ながら、極楽へ引 接せんとのたまへる他力の大誓願力なり。これによりてかの阿弥陀仏の本願をば、われらごときのあさましき凡夫は、なにとやうにたのみ、なにとやうに機をもちて、かの弥陀をばたのみまひらすべきぞや。そのいはれをくはしくしめしたまふべし。そのをしへのごとく信心をとりて、弥陀をも信じ、極楽をもねがひ、念仏をもまふすべきなり。
答ていはく、まづ世間にいま流布してむねとすゝむるところの念仏とまふすは、たゞなにの分別もなく南无阿弥陀仏とばかりとなふれば、みなたすかるべきやうにおもへり。それはおほきにおぼつかなきことなり。京・田舎のあひだにをいて、浄土宗の流義まちまちにわかれたり。しかれどもそれを是非するにはあらず、たゞわが開山の一流相伝のおもむきをまふしひらくべし。それ解脱のみゝをすまして渇仰のかうべをうなだれてこれをねんごろにきゝて、信心歓喜のおもひをなすべし。それ在家止住のやから一生造悪のものも、わが身のつみのふかきには目をかけずして、それ弥陀如来の本願とまふすはかゝるあさましき機を本とすくひまします不思議の願力ぞとふかく信じて、弥陀を一心一向にたのみたてまつりて、他力の信心といふことをひとつこゝろうべし。さて他力信心といふ体はいかなるこゝろぞといふに、この南无阿弥陀仏の六字の名号の体は、阿弥陀仏のわれらをたすけたまへるいはれを、この南无阿弥陀仏の名号にあらはしましましたる御すがたぞとくはしくこゝろえわけたるをもて、他力の信心をえたる人とはいふなり。この南无といふ二字は、衆生の阿陀弥仏を一心一向にたのみたてまつりて、た すけたまへとおもひて余念なきこゝろを帰命とはいふなり。つぎに阿弥陀仏といふ四の字は、南无とたのむ衆生を、阿弥陀仏のもらさずすくひたまふこゝろなり。このこゝろをすなはち摂取不捨とはまふすなり。摂取不捨といふは、念仏の行者を弥陀如来の光明のなかにおさめとりてすてたまはずといへるこゝろなり。さればこの南无阿弥陀仏の体は、われらを阿弥陀仏のたすけたまへる支証のために、御名をこの南无阿弥陀仏の六字にあらはしたまへるなりときこへたり。かくのごとくこゝろえわけぬれば、われらが極楽の往生は治定なり。あらありがたや、たうとやとおもひて、このうえには、はやひとたび弥陀如来にたすけられまひらせつるのちなれば、御たすけありつる御うれしさの念仏なれば、この念仏をば仏恩報謝の称名ともいひ、また信のうえの称名ともまふしはんべるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年九月六日書之
(帖内三-五)

(八〇)

帖内三の六

夫南无阿弥陀仏とまふすはいかなるこゝろぞなれば、まづ南无といふ二字は、帰命と発願廻向との二つのこゝろなり。また南无といふは願なり、阿弥陀仏といふは行なり。されば雑行雑善をなげすてゝ専修専念に弥陀如来をたのみたてまつりて、たすけたまへとおもふ帰命の一念をこるとき、かたじけなくも遍照の光明をはなちて行者を摂取したまふなり。このこゝろすなはち阿弥陀仏の四の字のこゝろなり、また発願廻向のこゝろなり。これによりて南无阿弥陀仏といふ六字は、ひとへにわれらが往生すべき他力信心のいはれをあらはしたまへる御名なりとみえたり。このゆへに願成就の文には、「聞其名号信心歓喜」(大経*巻下)ととかれたり。この文のこゝろは、その名号をきゝて信心歓喜すとい へり。「その名号をきく」といふは、たゞおほやうにきくにあらず。善知識にあひて、南无阿弥陀仏の六の字のいはれをよくきゝひらきぬれば、報土に往生すべき他力信心の道理なりとこゝろえられたり。かるがゆへに「信心歓喜」といふは、すなはち信心さだまりぬれば、浄土の往生はうたがひなくおもふてよろこぶこゝろなり。このゆへに弥陀如来の五劫兆載永劫の御功労を案ずるにも、我等をやすくたすけたまはんといふ大願ををこして、南无阿弥陀仏となりたまふことのありがたさたふとさをおもへば、中々まふすもおろかなり。されば『和讚』(正像末*和讚)にいはく、「南无阿弥陀仏の廻向の恩徳広大不思議にて 往相廻向の利益には 還相廻向に廻入せり」といへるはこのこゝろなり。又「正信偈」にはすでに「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」(行巻)とあれば、いよいよ行住座臥時処諸縁をきらはず、仏恩報尽のためにたゞ称名念仏すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明六年十月廿日書之
(帖内三-六)

(八一)

倩以、夫吉崎の当山にをいて此四ケ年の日月をおくりし由来をおもひつゞくるに、さらに覚悟におよばず、たゞ昨日今日のごとし。しかるに予旧冬のころ心中におもへらく、当年の開山聖人遷化の御正忌にまふあひ奉るべきこと、存命不定とおもふところに、はからざるにいますでにあふ事をえたり。誠に宿縁のいたり、報謝の志、相叶冥慮歟之間、悦ても猶可喜、尊ても猶可貴は今此の時なり。しかれば今月廿八日は聖人御正 忌たる間、かの御勧化をうけんともがらにをいては、貴賤上下をいはず、争此時にいたりて知恩報徳の御仏事にこゝろをかけざらん人は、誠以木石にひとしからんものか。これによりて当山の人数、其外参詣の門徒中の面々にいたるまでも、此両三ケ年の流例にまかせ、今月廿一日の夜より一七ケ日の勤行をいたし、報恩謝徳の懇念をはげまさんと擬するところなり。就其たれの人も、この聖人毎年不闕の報恩謝徳の御仏事をいたさんとおもはん人は、たとひいかなる遠路をしのぎて足手をはこぶといふとも、内心には真実信心といふことを決定する分もなくして、人目ばかりに報謝の志をいたす体ばかりにては、誠にもて「水入てあかおちず」といへる風情たるべし。またあながちに米銭にこゝろをつくして、これをもて報恩謝徳の根源ともおもふべからず。そのゆへはいかんといふに、夫聖人の御本懐には、たゞ弥陀如来の他力信心を獲得して報土往生をとげん人をもて、肝要とおぼしめすべし。然ば此一七ケ日の報恩講の内にをいて、不信心の人はすみやかに信心をとりて、今度の往生の大益をとげんをこそ、まことにもて聖人の御意にはふかくあひかなふべけれ、また報恩謝徳の御仏事にもあひそなはりつべし。此道理を心得たらんひとは、此一七ケ日の報恩謝徳のまことをいたす志をば、たゞちに聖人うけたまふべきものなり。穴賢、穴賢。
文明六年十一月廿一日

(八二)

帖内五の十一

抑この御正忌のうちに参詣をいたし、こゝろざしをはこび、報恩謝徳をなさんとおもひて、聖人の御まへにまいらんひとのなかにをひて、信心を獲得せしめたるひともあるべし、また不信心のともがらもあるべし、もてのほかの大事なり。そのゆへは信心を決定せずは今度の報土の往生は不定なり。されば不信のひともす みやかに決定のこゝろをとるべし。人間は不定のさかひなり、極楽は常住の国なり。されば不定の人間にあらんよりは、常住の極楽をねがふべきものなり。されば当流には信心のかたをもてさきとせられたるそのゆへをよくしらずは、いたづらごとなり。いそぎ安心決定して、浄土の往生をねがふべきなり。夫人間に流布してみな人のこゝろえたるとをりは、なにの分別もなくくちにたゞ称名ばかりをとなへたらば、極楽に往生すべきやうにおもへり。それはおほきにおぼつかなき次第なり。他力の信心をとるといふも、別のことにはあらず。南无阿弥陀仏の六の字のこゝろをよくしりたるをもて、信心決定すとはいふなり。そもそも信心の体といふは、『経』(大経*巻下)にいはく、「聞其名号信心歓喜」といへり。善導のいはく、「南无といふは帰命、またこれ発願廻向の義なり。阿弥陀仏といふはすなはちその行」(玄義分)といへり。「南无」といふ二字のこゝろは、もろもろの雑行をすてゝ、うたがひなく一心一向に阿弥陀仏をたのみたてまつるこゝろなり。さて「阿弥陀仏」といふ四の字のこゝろは、一心に弥陀を帰命する衆生を、やうもなくたすけたまへるいはれが、すなはち阿弥陀仏の四の字のこゝろなり。されば南无阿弥陀仏の体をかくのごとくこゝろえわけたるを、信心をとるとはいふなり。これすなはち他力の信心をよくこゝろえたる念仏の行者とはまふすなり。あなかしこ、あなかしこ。
〔文明六年霜月廿五日〕
(帖内五-一一)


(八三)

帖内三の七

そもそも親鸞聖人のすゝめたまふところの一義のこゝろは、ひとへに末代濁世の在家无智のともがらにをいて、なにのわづらひもなくすみやかにとく浄土に往生すべき他力信心の一途ばかりをもて本とをしへたまへり。しかればそれ阿弥陀如来は、すでに十悪・五逆の愚人、五障・三従の女人にいたるまでも、ことごとくすくひましますといへることをば、いかなるひともよくしりはんべりぬ。しかるにいまわれら凡夫は、阿弥陀仏をばいかやうに信じ、なにとやうにたのみまいらせて、かの極楽世界へは往生すべきぞといふに、たゞひとすぢに弥陀如来を信じたてまつりて、その余はなにごともうちすてゝ、一向に弥陀に帰し一心に本願を信じて、阿弥陀如来にをひてふたごゝろなくは、かならず極楽に往生すべし。この道理をもて、すなはち他力信心をえたるすがたとはいふなり。そもそも信心といふは、阿弥陀仏の本願のいはれをよく分別して、一心に弥陀に帰命するかたをもて、他力の安心を決定すとはまうすなり。されば南无阿弥陀仏の六字のいはれをよくこゝろえわけたるをもて、信心決定の体とす。しかれば南无の二字は、衆生の阿弥陀仏を信ずる機なり。つぎに阿弥陀仏といふ四の字のいはれは、弥陀如来の衆生をたすけたまへる法なり。このゆへに機法一体の南无阿弥陀仏といへるはこのこゝろなり。これによりて衆生の三業と弥陀の三業と一体になるところをさして、善導和尚は「彼此三業不相捨離」(定善義)と釈したまへるも、このこゝろなり。されば一念帰命の信心決定せしめたらんひとは、かならずみな報土に往生すべきこと、さらにもてそのうたがひあるべからず。あひかまへて自力執心のわろき機のかたをばふりすてゝ、たゞ不思議の願力ぞとふかく信じて、弥陀を一心にたのまんひとは、たとへば十人は十人ながら、みな真実 報土の往生をとぐべし。このうへにはひたすら弥陀如来の御恩のふかきことをのみおもひたてまつりて、つねに報謝の念仏をまうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明七年二月廿三日
(帖内三-七)

(八四)

帖内三の八

抑此比当国他国の間に於て、当流安心のおもむき事外相違して、みな人ごとに我はよく心得たりと思て、更に法義にそむくとをりをもあながちに人にあひたづねて、真実の信心をとらんとおもふ人すくなし。これ誠にあさましき執心なり。速にこの心を改悔懺悔して、当流真実の信心に住して、今度の報土往生を決定せずは、誠に宝の山に入て〔手をむなしくしてかへらんにことならんもの歟。このゆへにその信心の相違したることばにいはく、夫弥陀如来はすでに十劫正覚のはじめより我等が往生をさだめたまへることを、いまにわすれずうたがはざるがすなはち信心なりとばかりこゝろえて、弥陀に帰して信心決定せしめたる分なくは、報土往生すべからず。さればそばさまなるわろきこゝろえなり。依之当流安心のそのすがたをあらはさば、すなはち南无阿弥陀仏の体をよくこゝろうるをもて、他力信心をえたるとはまふすなり。されば南无阿弥陀仏の六字を善導釈していはく、「南无といふは帰命、またこれ発願廻向の儀なり」(玄義分)といへり。そのこゝろいかんぞなれば、阿弥陀如来の因中にをいて、われら凡夫の往生の行をさだめたまふとき、凡夫のなすところの廻向は自力なるがゆへに成就しがたきによりて、 阿弥陀如来の凡夫のために御辛労ありて、この廻向をわれらにあたへんがために廻向成就したまひて、一念南无と帰命するところにて、この廻向をわれら凡夫にあたへましますなり。このゆへに行者のかたよりなさぬ廻向なれば、これをもて如来の廻向をば行者のかたよりは不廻向とはまふすなり。このいはれあるがゆへに、南无の二字は帰命のこゝろなり、また発願廻向のこゝろなり。このこゝろなるがゆへに、南无と帰命する衆生をかならず摂取してすてたまはざるがゆへに、南无阿弥陀仏とはまふすなり。これすなはち一念帰命の他力信心を獲得する平生業成の念仏行者といへるはこのいはれなりとしるべし。かくのごとくこゝろえたらん人々は、いよいよ弥陀如来の御恩徳の深恩なることを信知して、行住座臥に称名念仏すべし。これすなはち「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」(行巻)といへる文のこゝろなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明七歳二月廿五日
あすみんと おもふこゝろは さくら花
よるはあらしの ふかきものかは〕
(帖内三-八)

(八五)

帖内五の十

それ当流親鸞聖人の御勧化のをもむきは、信心をもて本とせられさふらふ。そのゆへはもろもろの雑行をなげすてゝ、一心に弥陀に帰すれば、不思議の願力として、仏のかたより往生を治定せしめたまふくらゐを「一念発起入正定聚之数」(論註*巻上意)と釈したまふ。そのうへの称名念仏は、如来わが往生をさだめたまへる御恩報尽の念仏とこゝろうべきなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明七年W乙未R三月二日
(帖内五-一〇)


(八六)

【〔大津へつかはす〕】さんぬる文明第三初夏仲旬のころより、にはかにこの方をしのびいでゝ北国にをもむきし由来は、またく名聞利養のためにあらず、また栄花栄耀をもことゝせず。そのゆへは大津にひさしく居住せしむるときは、ひとの出入につけても万事迷惑の次第これおほきあひだ、所詮北国に暫時も下向せしめば、この方出入の義退転すべきあひだ、不図下向するところなり。つぎには北国方のひとの安心のとをりも四度計なきやうにおぼゆるまゝ、覚悟にをよばず一年も半年も逗留すべきやうに心中におもふところに、この四、五年の堪忍は存のほかの次第なり。さらにもて心中にかねてよりたくむところにあらず。しかるあひだ予大津辺へ経廻を停止するによりて、ひとのこゝろ正体なく上なき風情、なかなか言語のをよぶところにあらず。あさましあさまし。たれのともがらも、われはわろきとおもふものはひとりとしてもあるべからず。これしかしながら聖人の御罰をかうぶりたるすがたなり。これによりて一人づゝも心中をひるがへさずは、ながき世泥梨にふかくしづむべきものなり。これといふもなにごとぞなれば、真実に仏法のそこをしらざるゆへなり。所詮自今已後にをひては、当流真実の安心のみなもとをたづねて、弥陀如来の他力真実の信心の一途を決定して、ふかく仏法にそのこゝろざしをはげますべきものなり。
そもそも当流安心といふは、なにのわづらひもなく南无阿弥陀仏の六字をくはしくこゝろえわけたるをもて、信心決定のすがたとす。されば善導釈していはく、「南无といふはすなはちこれ帰命、またこれ発願廻向 の義なり」(玄義分)といへり。しかれば南无と一念帰命するこゝろは、すなはち行者を摂取してすてたまはざるいはれなるがゆへに、南无阿弥陀仏とはいへるこゝろなり。されば阿弥陀仏の因中にをひて菩薩の行をなしたまひしとき、凡夫のうへにをひてなすところの行も願も自力にして成就しがたきによりて、凡夫のためにかねてより弥陀如来この廻向を本とおぼしめして、かの廻向を成就して衆生にあたへたまふなり。されば弥陀如来の他力の廻向をば、行者のかたよりこれをいふときは、不廻向とまうすなり。かるがゆへに一念南无と帰命するとき、如来のかたよりこの廻向をあたへたまふゆへに、すなはち南无阿弥陀仏とはまうすなり。これすなはち一念発起平生業成と当流にたつるところの一義のこゝろこれなり。このゆへに安心を決定すといふも、凡夫のわろきこゝろにては決定せざるなり。いくたびも他力の信をば如来のかたよりさづけたまふ真実信心なりとこゝろうべし。たやすく行者の心としては発起せしめざる信心なりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
于時文明第七初夏上旬のころ、幸子房大津のていたらくまことにもて正体なきあひだ、くはしくあひたづぬるところに、この文を所望のあひだ、これをかきをはりぬ。みなみなこの文をみるべし[3]。それ当流といふは仏法領なり。仏法力をもてほしゐまゝに世間を本として仏法のかたはきはめて疎略なること、もてのほかあさましき次第なり。よくよくこれを思案すべき事どもなり。
文明七年四月廿八日 在御判

(八七)

そもそもさんぬる文明第三仲夏のころより、すでに江州志賀郡大津近松の南別所をいでしよりこのかた、なにとなくこの当山に居住せしむる根元は、もはら 仏法興行のためにして、報恩謝徳のこゝろざしを本とせり。ことにはまた不信懈怠の道俗男女をこしらへて、あまねく本願他力の安心ををしへて、真実報土の往生をとげさしめんと欲するところに、この四、五年のあひだは、当国乱世のあつかひといひ、つぎには加州一国の武士等にをいて、やゝもすれば雑説を当山にまふしかくるあひだ、朝夕はその沙汰のみにて、この四、五ケ年をばすごしをはりぬ。しかるあひだこの当山開白の由来は、たゞ後生菩提のためにして念仏修行せしむるところに、なにの科によりてか、加州一国の武士等无理に当山を発向すべきよしの沙汰にをよばんや。それさらにいはれなきあひだ、多屋衆一同にあひさゝへべきよしの結構のみにて、この三、四ケ年の日月ををくりしばかりなり。これさらに仏法の本意にあらず。これによりて当山退屈のおもひ日夜にすゝむ。所詮自今已後にをいては、こゝろしづかに念仏修行せんと欲する心中ばかりなり。このゆへに門徒中面々にをいて十の篇目をさだむ。かたく末代にをよぶまでこのむねをまもりて、もはら念仏を勤修すべきものなり。
一 諸神・諸仏・菩薩等をかろしむべからざるよしの事。
一 外には王法をもはらにし、内には仏法を本とすべきあひだの事。
一 国にありては、守護・地頭方にをいてさらに如在あるべからざるよしの事。
一 当流の安心のをもむきをくはしく存知せしめて、すみやかに今度の報土往生を治定すべき事。

一 信心決定のうへにはつねに仏恩報尽のために称名念仏すべき事。
一 他力の信心獲得せしめたらんともがらは、かならず人を勧化せしめんおもひをなすべきよしの事。
一 坊主分たらんひとは、かならず自心も安心決定して、また門徒をもあまねく信心のとをりをねんごろに勧化すべき事。
一 当流のうちにをいて沙汰せざるところのわたくしの名目をつかひて法流をみだすあひだの事。
一 仏法について、たとひ正義たりといふとも、しげからんことにをいてはかたく停止すべき事。
一 当宗のすがたをもてわざと他人に対しこれをみせしめて、一宗のたゝずまゐをあさまになせる事。
右この十ケ条の篇目をもて、自今已後にをいては、かたくこのむねをまもるべきなり。まづ当流の肝要はたゞ他力安心の一途をもて、自心も決定せしめ、また門徒のかたをもよくよく勧化すべし。つぎには王法をさきとし、仏法をばおもてにはかくすべし。また世間の仁義をむねとし、諸宗をかろしむることなかれ。つぎに神明を疎略にすべからず。また忌・不浄といふことは仏法についての内心の義なり、さらにもて公方に対し他人に対して、外相にその義をふるまふべからず。これすなはち当宗にさだむるところのおきてこれなり。しかれば他力の信をば一念に本願のことはりを聴聞するところにて、すみやかに往生決定とおもひさだめて、そのとき命終せば、そのまゝ報土に往生すべし。もしいのちのぶれば、自然と仏恩報尽の多念の称名となるところなりとこゝろうべきものなり。仍所定如件。
文明七年五月七日

(八八)

夫静に人間の无常有為の天変を案ずるに、おくれさき だつならひ眼前にさえぎれり。一人としても、たれかこの生をのがるべき。かゝる不定のさかひと覚語しながら、いまにおどろく気色はなし。まことにあさましといふも猶おろかなり。依之いそぎてもたのむべきは弥陀如来、ねがふべきは安養世界にすぎたることあるべからず。しかるに予が年齢を勘へみるに、まづ釈迦大師の出世は人数百歳より八十入滅をかぞふれば、ひとの定命はいまは五十六にきはまれり。われすでに当年は六十一歳なり。しかれば六年まで年をのぶることをゑたり。哀哉、わが生所はいづくぞ。京都東山粟田口青蓮院南のほとりはわが古郷ぞかし。なにとなく此五ケ年のあひだまで北国にをいて年をふること、まことにもて存の外の次第なり。すでにわが年はつもりて六十一になりぬれば、めぐる月日をかぞふるにも、当年の臨終極楽往生はまことに一定なりとおぼゆるなり。それ人間は老少不定のさかひなれば、さらにもてたのみすくなし。さりながらいつまでと憂為の娑婆にあらんよりは、はやく无為の浄土にいたらんことこそ、まことによろこびのなかのよろこびこれにすぐべからずとおぼゆるなり。依之今日このごろにをいて頓死ことのほかにしげきあひだ、なにとなく、人病気するにつけても、その人数一分にはよももるべからずとおもふによりて、夜はよもすがら昼はひめもすに、時をまち日をおくるばかりなり。このゆへに善導和尚の日没の偈にいはく、「人間悤々営衆務 不覚年命日夜去 如灯風中滅難期 亡々六道无定趣」(礼讚)と釈したまふも、今におもひあはせられたり。しかれば朝夕はいたづらにあかしくらして、かつて仏法にはこゝろをもか けざること、あさましといふもおろかなり。依之安心未決定ならんひとは、速に信心獲得して今度の真実報土の往生をとげしめんとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明七年五月廿日

(八九)

帖内三の九

抑今日者鸞聖人の御明日として、かならず報恩謝徳の志をはこばざる人これすくなし。しかれどもかの諸人のうへにをいて、あひ心得べき趣は、もし本願他力の真実信心を獲得せざらん未安心の輩は、今日にかぎりてあながちに出仕をいたし、此講中の座敷をふさぐをもて真宗の肝要とばかりおもはん人は、いかでかわが聖人の御意にはあひかなひがたし。しかりといへどもわが在所にありて報謝のいとなみをもはこばざらん人は、不請にも出仕をいたしてもよろしかるべき歟。されば毎月廿八日ごとにかならず出仕をいたさんとおもはん輩にをいては、あひかまへて日比の信心のとをり決定せざらん未安心の人も、すみやかに本願真実の他力信心をとりて、わが身の今度の報土往生を決定せしめんこそ、まことに聖人報恩謝徳の懇志にあひかなふべけれ。又自身の極楽往生の一途も治定しおはりぬべき道理なり。これすなはちまことに「自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報仏恩」(礼讚)といふ釈文のこゝろにも符合せるものなり。夫聖人の御入滅はすでに一百余歳を経といへども、かたじけなくも目前にをいて真影を拝したてまつる。又徳音ははるかに无常の風にへだつといへども、まのあたり実語を相承血脈してあきらかに耳の底にのこして、一流の他力真実の信心いまにたへせざるものなり。依之いまこの時節にいたりて、本願真実の信心を獲得せしむる人なくは、誠に宿善のもよほしにあづからぬ身とおもふべし。もし宿善開発の機にてもわれらなくは、むなしく今度の 往生は不定なるべきこと、なげきてもなをかなしむべきはたゞこの一事なり。しかるにいま本願の一道にあひがたくして、まれに无上の本願にあふ事をえたり。まことによろこびのなかのよろこびなにごとかこれにしかん。たふとむべし、信ずべし。これによりて年月日ごろわがこゝろのわろき迷心をひるがへして、たちまちに本願一実の他力信心にもとづかん人は、真実に聖人の御意にあひかなふべし。これしかしながら今日聖人の報恩謝徳の御こゝろざしにもあひそなはりつべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明七年五月廿八日書之
(帖内三-九)

(九〇)

帖内三の十

そもそも当流門徒中にをいて、この六ケ条の篇目のむねをよく存知して、仏法を内心にふかく信じて、外相にそのいろをみせぬやうにふるまふべし。しかればこのごろ当流念仏者にをいて、わざと一流のすがたを他宗に対してこれをあらはすこと、もてのほかのあやまりなり。所詮向後この題目の次第をまもりて仏法をば修行すべし。もしこのむねをそむかんともがらは、ながく門徒中の一列たるべからざるものなり。
一 神社をかろしむることあるべからず。
一 諸仏・菩薩ならびに諸堂をかろしむべからず。
一 諸宗・諸法を誹謗すべからず。
一 守護・地頭を疎略にすべからず。
一 国の仏法の次第、非義たるあひだ、正義にをもむくべきこと。
一 当流にたつるところの他力信心をば内心にふかく 決定すべし。
一には、一切の神明とまふすは、本地は仏・菩薩の変化にてましませども、この界の衆生をみるに、仏・菩薩にはすこしちかづきにくゝおもふあひだ、神明の方便にかりに神とあらはれて、衆生に縁をむすびてそのちからをもてたよりとして、つゐに仏法にすゝめいれんがためなり。これすなはち「和光同塵は結縁のはじめ、八相成道は利物のをはり」(止観巻*六下意)といへるはこのこゝろなり。さればいまの世の衆生、仏法を信じ念仏をもまふさん人をば、神明はあながちにわが本意とおぼしめすべし。このゆへに弥陀一仏の悲願に帰すれば、とりわけ神明をあがめず信ぜねども、そのうちにおなじく信ずるこゝろはこもれるゆへなり。
二には、諸仏・菩薩とまふすは、神明の本地なれば、いまのときの衆生は阿弥陀如来を信じ念仏まふせば、一切の諸仏・菩薩はわが本師阿弥陀如来を信ずるに、そのいはれあるによりてわが本懐とおぼしめすがゆへに、別して諸仏をとりわき信ぜねども、阿弥陀一仏を信じたてまつるうちに、一切の諸仏も菩薩もみなことごとくこもれるがゆへに、たゞ阿弥陀如来を一心一向に帰命すれば、一切の諸仏の智慧も功徳も弥陀一体に帰せずといふことなきいはれなればなりとしるべし。
三には、諸宗・諸法を誹謗することおほきなるあやまりなり。そのいはれすでに浄土の三部経にみえたり。また諸宗の学者も、念仏者をばあながちに誹謗すべからず。自宗・他宗ともにそのとがのがれがたきこと道理必然なり。
四には、守護・地頭にをいては、かぎりある年貢所当をねんごろに沙汰し、そのほか仁義をもて本とすべし。
五には、国の仏法の次第、当流の正義にあらざるあひだ、かつは邪見にみゑたり。所詮自今已後にをいては、 当流真実の正義をきゝて、日ごろの悪心をひるがへして、善心にをもむくべきものなり。
六には、当流真実の念仏者といふは、開山のさだめをきたまへる正義をよく存知して、造悪不善の身ながら極楽の往生をとぐるをもて宗の本意とすべし。
それ一流の安心の正義のをもむきといふは、なにのやうもなく阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、われはあさましき悪業煩悩の身なれども、かゝるいたづらものを本とたすけたまへる弥陀願力の強縁なりと不可思議におもひたてまつりて、一念も疑心なく、おもふこゝろだにも堅固なれば、かならず弥陀は无㝵の光明をはなちてその身を摂取したまふなり。かやうに信心決定したらん人は、十人は十人ながらみなことごとく報土に往生すべし。このこゝろすなはち他力の信心を決定したる人なりといふべし。このうへになをこゝろうべきやうは、まことにありがたき阿弥陀如来の広大の御恩なりとおもひて、その仏恩報謝のためには、ねてもおきてもたゞ南无阿弥陀仏とばかりとなふべきなり。さればこのほかにはまた後生のためとては、なにの不足ありてか、相伝もなきしらぬゑせ法門をいひて、人をもまどはし、あまさへ法流をもけがさんこと、まことにあさましき次第にあらずや。よくよくおもひはからふべきことゞもなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明七年七月十五日
(帖内三-一〇)

(九一)

帖内三の十一

そもそも今月廿八日は開山聖人御正忌として、毎年不 闕にかの知恩報徳の御仏事にをひては、あらゆる国郡そのほかいかなる卑劣のともがらまでも、その御恩をしらざるものはまことに木石にことならんもの歟。これについて愚老、この四、五ケ年のあひだは、なにとなく北陸の山海のかたほとりに居住すといへども、はからざるにいまに存命せしめ、この当国にこえ、はじめて今年、聖人御正忌の報恩講にあひたてまつる条、まことにもて不可思議の宿縁、よろこびてもなをよろこぶべきもの歟。しかれば自国他国より来集の諸人にをひて、まづ開山聖人のさだめおかれし御掟のむねをよく存知すべし。その御ことばにいはく、「たとひ牛盗人とはよばるとも、仏法者・後世者とみゆるやうにふるまふべからず。またほかには仁・義・礼・智・信をまもりて王法をもてさきとし、内心にはふかく本願他力の信心を本とすべき」(改邪*鈔意)よしを、ねんごろにおほせさだめおかれしところに、近代このごろの人の仏法しりがほの体たらくをみをよぶに、外相には仏法を信ずるよしを人にみえて、内心にはさらにもて当流安心の一途を決定せしめたる分なくして、あまさへ相伝もせざる聖教をわが身の字ぢからをもてこれをよみて、しらぬゑせ法門をいひて、自他の門徒中を経廻して虚言をかまへ、結句本寺よりの成敗と号して人をたぶろかし、ものをとりて当流の一義をけがす条、真実真実、あさましき次第にあらずや。これによりて今月廿八日の御正忌七日の報恩講中にをひて、わろき心中のとをりを改悔懴悔してをのをの正義におもむかずは、たとひこの七日の報恩講中にをひて、足手をはこび人まねばかりに報恩謝徳のためと号すとも、さらにもてなにの所詮もあるべからざるものなり。されば弥陀願力の信心を獲得せしめたらん人のうへにをひてこそ、仏恩報尽とも、また師徳報謝なんどともまふすことはあるべけれ。この道理をよくよくこゝろえて足手をも はこび、聖人をもおもんじたてまつらん人こそ、真実に冥慮にもあひかなひ、また別しては当月御正忌の報恩謝徳の懇志にもふかくあひそなはりつべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明七年十一月廿一日書之
(帖内三-一一)

(九二)

帖内三の十二

抑いにしへ近年このごろのあひだに、諸国在々所々にをいて、随分、仏法者と号して法門を讚嘆し勧化をいたすともがらのなかにおいて、さらに真実にわがこゝろ当流の正義にもとづかずとおぼゆるなり。そのゆへをいかんといふに、まづかの心中におもふやうは、われは仏法の根源をよくしりがほの体にて、しかもたれに相伝したる分もなくして、あるひは縁のはし・障子のそとにて、たゞ自然ときゝとり法門の分斉をもて、真実に仏法にそのこゝろざしはあさくして、われよりほかは仏法の次第を存知したるものなきやうにおもひはんべり。これによりてたまたまも当流の正義をかたのごとく讚嘆せしむるひとをみては、あながちにこれを偏執す。すなはちわれひとりよくしりがほの風情は、第一に憍慢のこゝろにあらずや。かくのごときの心中をもて、諸方の門徒中を経廻して聖教をよみ、あまさへわたくしの義をもて本寺よりのつかひと号して、人をへつらひ虚言をかまへ、ものをとるばかりなり。これらのひとをば、なにとしてよき仏法者、また聖教よみとはいふべきをや。あさましあさまし。なげきてもなをなげくべきはたゞこの一事なり。これによりてまづ当流の義をたて、ひとを勧化せんとおもはんともが らにをひては、その勧化の次第をよく存知すべきものなり。夫当流の他力信心のひととをりをすゝめんとおもはんには、まづ宿善・无宿善の機を沙汰すべし。さればいかにむかしより当門徒にその名をかけたるひとなりとも、无宿善の機は信心をとりがたし。まことに宿善開発の機はおのづから信を決定すべし。されば无宿善の機のまへにおきては、正雑二行の沙汰をするときは、かへりて誹謗のもとゐとなるべきなり。この宿善・无宿善の道理を分別せずして、手びろに世間のひとをもはゞからず勧化をいたすこと、もてのほかの当流のおきてにあひそむけり。されば『大経』(巻下)云、「若人无善本 不得聞此経」ともいひ、「若聞此経信楽受持難中之難无過斯難」ともいへり。また善導は、「過去已曽修習此法今得重聞則生歓喜」(定善義)とも釈せり。いづれの経釈によるとも、すでに宿善にかぎれりとみへたり。しかれば宿善の機をまもりて、当流の法をばあたふべしときこえたり。このおもむきをくはしく存知して、ひとをば勧化すべし。ことにまづ王法をもて本とし、仁義をさきとして、世間通途の義に順じて、当流安心をば内心にふかくたくはへて、外相に法流のすがたを他宗・他家にみゑぬやうにふるまふべし。このこゝろをもて当流真実の正義をよく存知せしめたるひととはなづくべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明八年正月廿七日
(帖内三-一二)

(九三)

抑いにしへこのごろのあひだにおいて、摂津国・河内・大和・和泉・近江五ケ国のうち仏法者と号する中に、当流法門を讚嘆し、行者を勧化するともがらをみおよぶに、さらにもてわが一心のうへに当流正義をくはしく分別せずして、たれ人にねんごろに相伝せしめたる分もなくして、あるひは縁のはし・障子のそとに て、一往の義をもて自然ときゝとり法門の分斉にて、しかもわが身も真実に仏法にそのこゝろざしはあさくして、結句われよりほかには当流の儀存知せしめたる人なきやうにおもひはんべり。これによりてたまたまも当流正義をかたのごとく讚嘆するひとをみきゝては、あながちにこれを偏執して、われひとりしりがほの風情は大憍慢の心にあらずや。かくのごとくの所存をさしはさみて、諸門徒中を経廻して聖教をよみ勧化をいたし、あまさへわたくしの義をもて本寺よりのつかひと号して、人をへつらひ虚言をかまへ、ものをとるを本とせり。いかでかこれらの人をば、真実の念仏者、聖教よみといふべきや、あさましあさまし。まことにもてなげきてもなげき、かなしみてもかなしむべきはたゞこの一事なり。これによりて当流の実義は、まづわが安心を決定して、そののち人をも勧化し聖教をもよむべし。それ真宗一流の信心のひととをりをすゝめんとおもはゞ、まづ宿善・无宿善のいはれをしりて仏法をば讚嘆すべし。されば往古より当流門下にその名をかけたるひとなりとも、過去の宿縁なくは信心をとりがたし。まことに宿善の機は、おのづから信心を決定すべし。それに无宿善の機のまへにおいて、一向専修の名言をさきとし、正雑二行の沙汰をするときは、かへりて誹謗のもとゐとなりぬべし。この宿善・无宿善のふたつの道理をこゝろえずして、手びろに世間者をもいづくをもはゞからず勧化をいたすこと、もてのほかの当流のおきてにあひそむけり。されば『大経』(巻下)にいはく、「若人无善本 不得聞此経」ともいひ、「若聞此経信楽受持難中之難无過此難」といへり。また 善導は、「過去已曽修習此法今得重聞即生歓喜」(定善義)とも釈せり。いづれの経釈によるとも、宿善にかぎれりとみえたり。しかるあひだ宿善の機をまもりて当流の法をばあたふべしときこへたり。これらのおもむきをくはしく存知して、ひとをば勧化すべし。ことにまづ王法をもて本とし、仁義をもて先として、世間通途の義に順じて、当流安心をば内心にふかくたくはへて、外相に法流のすがたをも、他宗・他家にそのいろをみせぬやうにふるまふべし。これをもて当流の正義をよく分別せしめたる念仏行者となづくべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明九年三月 日

(九四)

【〔河内国にて〕】文明八歳丙申林鐘上旬二日にも成ぬれば、今年もはやほどなく半年をうちすごしぬ。就其いとゞ人間は老少かぎりなきならひながら、昨日もすぎ今日もすぎて、いつをいつとて何の所作もなくして日月をおくりしむなしさをおもふばかりなり。然に短慮不覚の身として、つくづく古へ今を案ずるに、我身既に今年はよはひつもりて六十二歳になりぬれば、先師法印にも同年なり。誠に親の年まで同くいけるは、ありがたき事なり。このゆへに当年正月一日の早天につらつらおもふ様は、去年北国より風度上洛して、思外に当国に居住せしめ、すでに越年せし事と、又親と同年にあひあたり、此方にありておくりむかへし初春のめづらしさのあまり、かたがたにつけてもかやうにこそおもひつゞけゝり。
たらちをと 同年まで いける身も
あけぬる春も はじめなりけり
とおもひつらねけるも、誠にことはりにあらずや。然れば六月十八日は正忌なれば、それについて予が心におもふ様は、十八日まで存命あらんこそ、まことに同年の同じ月日まで命のながらへたるしるしとも思ふも のなり。乍去人間不定とはいひながら、今身にとりつめての病なければ、十八日の明日にもやあひなんと思も、まことに猶々もて同じまよふ心なりと我身をいませめて、またかやうにおもひつゞけゝり。
おやのとしと おなじきいきば なにかせん
月日をねがふ 身ぞおろかなる
と加様になにともなき事を筆にまかせてかきつけおはりぬ。
于時文明八年六月二日筆にひまありし時書之畢
六十二歳(花押)
誠これ三仏乗縁・転法輪因ともなり侍らん者歟。
「観仏本願力 遇无空過者」(浄土論)

(九五)

帖内三の十三

それ当流門徒中にをひてすでに安心決定せしめたらんひとの身のうへにも、また未決定のひとの安心をとらんとおもはんひとも、こゝろうべき次第は、まづほかには王法をもて本とし、諸神・諸仏・菩薩をかろしめず、また諸宗・諸法を謗ぜず、国ところにあらば守護・地頭にむきては疎略なく、かぎりある年貢所当をつぶさに沙汰をいたし、そのほか仁義をもて本とし、また後生のためには内心に阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、自余の雑行雑善にこゝろをばとゞめずして、一念も疑心なく信じまいらせば、かならず真実の極楽浄土に往生すべし。このこゝろえのとをりをもて、すなはち弥陀如来の他力の信心をえたる念仏 行者のすがたとはいふべし。かくのごとく念仏の信心をとりてのうへに、なをおもふべきやうは、さてもかゝるわれらごときのあさましき一生造悪のつみふかき身ながら、ひとたび一念帰命の信心ををこせば、仏の願力によりてたやすくたすけたまへる弥陀如来の不思議にまします超世の本願の強縁のありがたさよと、ふかくおもひたてまつりて、その仏恩報謝のためにはねてもさめてもたゞ念仏ばかりをとなへて、かの弥陀如来の仏恩を報じたてまつるべきばかりなり。このうへには後生のためになにをしりても所用なきところに、ちかごろもてのほか、みなひとのなにの不足ありてか相伝もなきしらぬくせ法門をいひて、ひとをもまどはし、また无上の法流をもけがさんこと、まことにもてあさましき次第なり。よくよくおもひはからふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明八年七月十八日
(帖内三-一三)

(九六)

抑このごろ摂州・河内・大和・和泉四ケ国のあひだにをいて当流門徒中に、あるひは聖道禅僧のはてなんどいふ仁体とも当流に帰するよしにて、をのをの本宗の字ぢから才学をもて当流の聖教を自見して、相伝なき法義を讚嘆し、あまさへ虚言をかまへ、当家の実義をくはしく存知したるよしをまふして、人をへつらひたらせるによりてなり、これ言語道断の次第なり。こゝろあらん人はこれをもて信用すべからず。又俗人あるひは入道等も、当流聖教自見の分をもては、せめてはわがかたの一門徒中ばかりをこそ勧化すべきに、結句仏光寺門徒中にかゝり、あまさへ『改邪鈔』を袖にいれて、まさに当流になき不思議の名言をつかひて、かの方を勧化せしむる条、不可説の次第なり。所詮向後にをいて、かくのごときの相伝なき不思議の勧化をいた さんともがらにをいては、当流門葉の一列たるべからざるものなり。
夫当宗勧化のおもむきは、あながちに他宗を謗ぜず、諸神・諸菩薩等をかろしむべきにあらず、たゞわが信ぜずたのまざるばかりなり。ことごとく弥陀一仏の功徳のうちにこもれるがゆへに、弥陀如来の本願に帰し、他力超世の悲願をたのまん機をば、かへりて神明はよろこびまもりたまふべし。されば『経』(晋訳華厳経巻五*八入法界品意)にも「一仏一切仏一切仏一仏」ととけり。これは弥陀一仏に帰すれば、一切の仏・菩薩を一度にたのみ念ずることはりなりとしるべし。これによりて当流の他力安心の一途といふは、わが身はつみふかき悪業煩悩を具足せるいたづらものとおもひて、そのうへにこゝろうべきやうは、かかる機を弥陀如来はすくひたまふ不可思議の悲願なりとふかく信じて、弥陀如来を一心一向にたのみたてまつれば、すなはちこのこゝろ決定の信心となりぬ。このゆへに「正信偈」にいはく、「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」(行巻)といへり。この文のこゝろは、宿福深厚の機は生得として弥陀如来の他力本願を信ずるに、さらにそのうたがふこゝろのなきがゆへに、善知識にあひて本願のことはりをきくよりして、なにの造作もなく決定の信心を自然としてうるがゆへに、正定聚のくらゐに住し、かならず滅度にもいたるなり。これさらに行者のかしこくしておこすところの信にあらず、宿縁のもよほさるゝがゆへに、如来清浄本願の智心なりとしるべし。しかればいま他力の大信心を獲得するも、宿善開発の機によりてなり。さらにわれらがかしこく しておこすところの信心にあらず、仏智他力のかたよりあたへたまふ信なりと、いよいよしられたり。このゆへにもし宿善もなく、また聖人の勧化にもあひたてまつらずは、この法をきくこともかたかるべし。さればいまこの至心・信楽・欲生の三信をゑてのうへには、つねに仏恩報尽のためには称名念仏すべきものなり。かるがゆへに『和讚』(正像末*和讚)にいはく、「弥陀大悲の誓願を ふかく信ぜんひとはみな ねてもさめてもへだてなく 南无阿弥陀仏をとなふべし」といへるはこのこゝろなりとしるべし。あなかしこ、あなかしこ。
文明八 七月廿七日

(九七)

帖内四の一

夫真宗念仏行者のなかにおいて、法義についてそのこゝろえなき次第これおほし。しかるあひだ大概そのおもむきをあらはしおはりぬ。所詮自今已後は、同心の行者はこのことばをもて本とすべし。これについてふたつのこゝろあり。一には、自身の往生すべき安心をまづ治定すべし。二には、ひとを勧化せんに宿善・无宿善のふたつを分別して勧化をいたすべし。この道理を心中に決定してたもつべし。しかればわが往生の一段においては、内心にふかく一念発起の信心をたくはへて、しかも他力仏恩の称名をたしなみ、そのうへにはなを王法をさきとし、仁義を本とすべし。また諸仏・菩薩等を疎略にせず、諸法・諸宗を軽賤せず、たゞ世間通途の義に順じて、外相に当流法義のすがたを他宗・他門のひとにみせざるをもて、当流聖人のおきてをまもる真宗念仏の行者といひつべし。ことに当時このごろは、あながちに遍執すべき耳をそばだて、謗難のくちびるをめぐらすをもて本とする時分たるあひだ、かたくその用捨あるべきものなり。そもそも当流にたつるところの他力の三信といふは、第十八の願に「至心信楽欲生我国」(大経*巻上)といへり。これすなはち 三信とはいへども、たゞ弥陀をたのむところの行者帰命の一心なり。そのゆへはいかんといふに、宿善開発の行者、一念弥陀に帰命せんとおもふこゝろの一念おこるきざみ、仏の心光、かの一念帰命の行者を摂取したまふ。その時節をさして至心・信楽・欲生の三信ともいひ、またこのこゝろを願成就の文には、「即得往生住不退転」(大経*巻下)ととけり。あるひはこのくらゐを、すなはち真実信心の行人とも、宿因深厚の行者とも、平生業成の人ともいふべし。されば弥陀に帰命すといふも、信心獲得すといふも、宿善にあらずといふことなし。しかれば念仏往生の根機は、宿因のもよほしにあらずは、われら今度の報土往生は不可なりとみえたり。このこゝろを聖人の御ことばには、「遇獲信心遠慶宿縁」(文類*聚鈔)とおほせられたり。これによりて当流のこゝろは、人を勧化せんとおもふとも、宿善・无宿善のふたつを分別せずはいたづらごとなるべし。このゆへに宿善の有无の根機をあひはかりて人をば勧化すべし。しかれば近代当流仏法者の風情は、是非の分別なく当流の義を荒涼に讚嘆せしむるあひだ、真宗の正義、このいはれによりてあひすたれたりときこえたり。かくのごとき等の次第を委細に存知して、当流の一義をば讚嘆すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明九年W丁酉R正月八日
(帖内四-一)

(九八)

文明七、八年之比、参河国野寺同宿に誓珍備前、伊勢国香取浄賢子安田主計助に、秘事法門さづけたる趣は、吉崎にてひそかにつたえ申すなりとて、其詞に いはく、仏性と我心をおもはぬ間は沈輪し、又仏性と我身のおもひ候へば、すなはち如来なりと心得候へとさづけたり。これをもて正理とおもふべし。如此伝へ候者をさして、滅後の如来とも信ずべきなり。而間安田此趣を相伝して、真実当流一大事秘事と心中におもふ間、此趣を又安田方より人に相伝る人数は、中島の等善、又新兵衛両人につたへたり[云云]。
文明九年正月比聞之
[以御筆御うつし候御本にて又写申候。正本は加州長流谷殿に御座候也。]

(九九)

文明九[丁酉]二月廿四日、尾州鳴戸の紀伊法師、秘事法門懺悔詞にいはく、
野寺少輔殿、其方に御座候て、仏法繁昌推量申候。乍去其方の仏法と少し相違の様に存候。其故は、『華厳経』(意)にも、「三界唯一心 心外無別法 心仏及衆生 是三無差別」とも、又『弥陀経義疏論』にも、いまこの仏の本願は増祇の行をもへず、一行の劫をもはこばず、たゞ一念におんこうてんとうのさうをけして凡身をあらためずして仏心を生ず。これすなはち頓が中の頓也。又真言・止観の頓は、頓と名くといへども猶漸也、断悪を論ずるがゆへなり。浄土の頓は、頓が中の頓也、断常を論ぜざるがゆへなり。又『浄土論』には「浄土【(果報離二種譏嫌過)】くわほうりにしゆきげんくわ」とも、又自と他と心意凡聖不二とも、又『法事讚』(五会法事*讚巻本意)には「曠劫已来流浪共 随縁六道受輪廻 不遇往生善知識 誰能相勧得廻帰」とも、又『和讚』(高僧*和讚)には「西路を指授せしかども 自障々他せしほどに 曠劫已来もいたづらに 虚くこそはすぎにけれ」。又「信心よろこぶその人を 如来とひとしととき給ふ 大信心は仏性なり 仏性すなはち如来なり」(浄土*和讚)と。又「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知 識の恩徳も ほねをくだきても報ずべし」(正像末*和讚意)
思ふほどはことばには出ず候。これにてよくよくおしはからわせられ候べく候。
源左衛門殿 【野寺同宿】誓珍
進之候
如此のとをりをつたへらるゝを以て、滅後の如来とたのみ申候。又かくのごとくの理をひとたびうけとり候ひて、二度他言すまじきとかたく誓文を仕候。これをもて信心と存おき申候。
秘事法門人数事[美濃国分]
平右衛門AたるゐB道善下C了専[福田寺下]伊賀[道善下]
左衛門太郎[浄妙寺下]九郎左衛門A平右衛門兄弟B道善下C
【平野屋】新右衛門[道善下]【【是は懺悔之人也】】【うほや】三郎右衛門[仏光寺下]
成戸【新左衛門入道】順光A秘事法門B次第也C
序題門云、「言弘願者如大経説一切善悪凡夫得生者莫不皆乗阿弥陀仏大願業力為増上縁也」(玄義分)と云て、大願業力に乗ずるがゆへに、増上縁となるがゆへに、信心なくとも仏になるべしと心得て念仏申すべし。
又云、草木国土悉皆成仏の道理にてある間、人間衆生は成仏の道理なれば、うたがひなく成仏すべしと心得べし。
草木も 仏に成と きく時は
心ある身は たのもしき哉
浄順が流にいはく、
法報応の三身を一体に具足すべしとつたふる也。
まづ法身と者こゝろ也。報身と者ことば、応身と者我すがた也。

此三身を我心の一体の内に具足するが故に、絵像・木像の仏を礼するをもて雑行と也。
文明三年之比、件誓珍・香珍両人、大外道之者、おはり境、みのゝ国脇田江【ひきも堂】西願寺に、秘事法門之かいしきをいひて、其詞云、勧化をはなれて勧化につけ、人におしへられぬ信をとれ。此信を取事は、おぼろげの縁、おろかなる志にてはとげがたし。人におしへられてとる信は、それは教の方とておかしき法門なり。これをよくよくこゝろうべし、しづかに思惟すべしといへりと[云々]。
文明九年後正月十二日書之

(一〇〇)

帖内四の二

夫人間の寿命をかぞふれば、いまのときの定命は五十六歳なり。しかるに当時において、年五十六までいきのびたらん人は、まことにもていかめしきことなるべし。これによりて予すでに頹齢六十三歳にせまれり。勘篇すれば年ははや七年までいきのびぬ。これにつけても前業の所感なれば、いかなる病患をうけてか死の縁にのぞまんとおぼつかなし。これさらにはからざる次第なり。ことにもて当時の体たらくをみおよぶに、定相なき時分なれば、人間のかなしさはおもふやうにもなし。あはれ死なばやとおもはゞ、やがて死なれなん世にてもあらば、などか今までこの世にすみはんべりなん。たゞいそぎてもむまれたきは極楽浄土、ねがふてもねがひゑんものは无漏の仏体なり。しかれば一念帰命の他力安心を仏智より獲得せしめん身のうへにおいては、畢命已期まで仏恩報尽のために称名をつとめんにいたりては、あながちになにの不足ありてか、先生よりさだまれるところの死期をいそがんも、かへりておろかにまどひぬるかともおもひはんべるなり。このゆへに愚老が身上にあてゝかくのごとくおもへり。たれのひとびともこの心中に住すべし。ことにもてこ の世界のならいは老少不定にして電光朝露のあだなる身なれば、いまも无常の風きたらんことをばしらぬ体にてすぎゆきて、後生をばかつてねがはず、たゞ今生をばいつまでもいきのびんずるやうにこそおもひはんべれ。あさましといふもなをおろかなり。いそぎ今日より弥陀如来の他力本願をたのみ、一向に无量寿仏に帰命して真実報土の往生をねがひ、称名念仏せしむべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
于時文明九年九月十七日俄思出之間辰剋已前早々 書記之訖
信証院 六十三歳
かきおくも ふでにまかする ふみなれば
ことばのすゑぞ おかしかりける
(帖内四-二)

(一〇一)

帖内四の三

一 夫当時世上の体たらく、いつのころにか落居すべきともおぼえはんべらざる風情なり。しかるあひだ諸国往来の通路にいたるまでも、たやすからざる時分なれば、仏法・世法につけても千万迷惑のおりふしなり。これによりてあるひは霊仏・霊社参詣の諸人もなし。これにつけても人間は老少不定ときくときは、いそぎいかなる功徳善根をも修し、いかなる菩提涅槃をもねがふべきことなり。しかるにいまの世も末法濁乱とはいひながら、こゝに阿弥陀如来の他力の本願は、いまの時節はいよいよ不可思議にさかりなり。さればこの広大の悲願にすがりて、在家止住のともがらにをひては、一念の信心をとりて法性常楽の浄刹に往生せずは、まことにもてたからの山にいりて手をむなしくしてか へらんににたるもの歟。よくよくこゝろをしづめてこれを案ずべし。しかれば諸仏の本願をくはしくたづぬるに、五障の女人、五逆の悪人をばすくひたまふことかなはずときこえたり。これにつけても阿弥陀如来こそひとり无上殊勝の願ををこして、悪逆の凡夫、五障の女質をば、われたすくべきといふ大願をばをこしたまひたり。
ありがたしといふもなををろかなり。これによりてむかし釈尊、霊鷲山にましまして、一乗法華の妙典をとかれしとき、提婆・阿闍世の逆害ををこし、釈迦、韋提をして安養をねがはしめたまひしによりて、かたじけなくも霊山法華の会座を没して王宮に降臨して、韋提希夫人のために浄土の教をひろめましまししによりて、弥陀の本願このときにあたりてさかんなり。このゆへに法華と念仏と同時の教といへることは、このいはれなり。これすなはち末代の五逆の女人に安養の往生をねがはしめんがための方便に、釈迦、韋提・調達・闍世の五逆をつくりて、かゝる機なれども不思議の本願に帰すれば、かならず安養の往生をとぐるものなりとしらせたまへりとしるべし。あなかしこ、あなかしこ。
文明九歳九月廿七日記之
(帖内四-三)

(一〇二)

それ曠劫多生をふるともむまれがたきは人界の生、无量億劫ををくるともあひがたき仏教にあへり。釈尊の在世にむまれあはざることはかなしみなりといへども、いま教法流布の世にむまれあひぬることは、これよろこびのなかのよろこびともいひつべし。たとへば目しゐたるかめの浮木のあなにあへるがごとし。しかるに我朝に仏法流布せしことは、欽明天皇の御宇よりはじめて仏法わたれり。それよりさきには如来の教法も流 布せざりしかば、菩提の覚道をもきかざりき。こゝにわれらいかなる善因によりてか仏法流布の世にむまれて、生死解脱のみちをきくことをえたり。まことにもてあひがたくしてあふことをえたり。いたづらにあかしくらしてやみなんことこそかなしけれ。これによりてしづかに人間の風体をみをよぶに、あるひは山谷の花をもてあそんで遅々たる春の日をむなしくくらし、あるひは南楼の月をあざけりて漫々たる秋の夜をいたづらにあかし、あるひは厳寒にこほりをしのぎて世路をわたり、あるひは炎天にあせをのごひて利養をもとめ、あるひは妻子眷属にまつわれて恩愛のきづなきりがたく、あるひは讎敵怨類にあひて瞋恚のほむらやむことなし。総じてかくのごとくして、昼夜朝暮、行住座臥ときとしてやむことなし。たゞほしゐまゝにあくまで三途・八難をかさね、昨日もいたづらにくれぬ、今日もまたむなしくすぎぬ。さらにもてたれのひとも、のちの世を大事とおもひ、仏法をねがふことまれなりとす。かなしむべし、かなしむべし。しかるに諸宗の教門各々にわかれて、宗々にをひて大小権実を論じ、あるひは甚深至極の義を談ず。いづれもみなこれ経論の実語にして、そもそもまた如来の金言なり。さればあるひは機をとゝのへてこれをとき、あるひはときをかゞみてこれををしへたり。いづれかあさくいづれかふかき、ともに是非をわきまへがたし。かれも教これも教、たがひに偏執をいだくことなかれ。修行せばみなことごとく生死を過度すべし、法のごとく修せばともに菩提を証得すべし。修せず行ぜずしていたづらに是非を論ぜば、たとへば目しゐたるひとのいろの浅深 を論じ、耳しゐたるひとのこゑの好悪をたゞさんがごとし。たゞすべからく修行すべきものなり。いづれも生死解脱のみちなり。しかるにいまの世は末法濁乱のときなれば、諸教の得道はめでたくいみじけれども、人情劣機にして、観念・観法をこらし行をなさんこともかなひがたき時分なり。これによりて末代の凡夫は、弥陀大悲の本願をたのまずは、いづれの行を修してか生死を出離すべき。このゆへに一向に不思議の願力に乗じて、一心に阿弥陀仏を帰命すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明九 W丁酉R十月 日

(一〇三)

抑高祖聖人の真実相承の勧化をきゝ、そのながれをくまんとおもはんともがらは、相構この一流の正義を心肝にいれて、これをうかがふべし。しかるに近代はもてのほか法義にも沙汰せざるところのおかしき名言をつかひ、あまさへ法流の実語と号して一流をけがすあひだ、言語道断の次第にあらずや。よくよくこれをつゝしむべし。しかれば当流聖人の一義には、教・行・信・証といへる一段の名目をたてゝ一宗の規模として、この宗をばひらかれたるところなり。このゆへに親鸞聖人、一部六巻の書をつくりて『教行信証文類』と号して、くはしくこの一流の教相をあらはしたまへり。しかれどもこの書あまりに広博なるあひだ、末代愚鈍の下機においてその義趣をわきまへがたきによりて、一部六巻の書をつゞめ肝要をぬきいでゝ一巻にこれをつくりて、すなはち『浄土文類聚鈔』となづけられたり。この書をつねにまなこにさえて一流の大綱を分別せしむべきものなり。その教・行・信・証・真仏土・化身土といふは、
第一巻には真実の教をあらはし、
第二巻には真実の行をあらはし、

第三巻には真実の信をあらはし、
第四巻には真実の証をあかし、
第五巻には真仏土をあかし、
第六巻には化身土をあかされたり。
第一に真実の教といふは、弥陀如来の因位果位の功徳をとき、安養浄土依報正報の荘厳をおしへたる教なり。すなはち『大无量寿経』これなり。総じては三経にわたるべしといへども、別しては『大経』をもて本とす。これすなはち弥陀の四十八願をときて、そのなかに第十八の願をもて衆生生因の願とし、如来甚深の智慧海をあかして唯仏独明了の仏智をときのべたまへるがゆへなり。
第二に真実の行といふは、さきの教にあかすところの浄土の行なり。これすなはち南无阿弥陀仏なり。第十七の諸仏咨嗟の願にあらはれたり。この名号はもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。衆行の根本、万善の総体なり。これを行ずれば西方の往生をゑ、これを信ずれば无上の極証をうるものなり。
第三に真実の信といふは、かみにあぐるところの南无阿弥陀仏の妙行を真実報土の真因なりと信ずる真実の心なり。第十八の至心信楽の願のこゝろなり。これを選択廻向の直心ともいひ、利他深広の信楽ともなづけ、光明摂護の一心とも釈し、証大涅槃の真因とも判ぜられたり。これすなはちまめやかに真実の報土にいたることはこの一心によるとしるべし。
第四に真実の証といふは、さきの行信によりてうるところの果、ひらくところのさとりなり。これすなはち第十一の必至滅度の願にこたへてうるところの妙悟な り。これを常楽ともいひ、涅槃ともいひ、法身ともいひ、実相ともいひ、法性ともいひ、真如ともいひ、一如ともいへる、みなこのさとりをうる名なり。もろもろの聖道門の諸教のこゝろは、この父母所生の身をもて、かのふかきさとりをこゝにてひらかんとねがふなり。いま浄土門のこゝろは、弥陀の仏智に乗じて法性の土にいたりぬれば、自然にこのさとりにかなふといふなり。此土の得道と他土の得生とことなりといへども、うるところのさとりはたゞひとつなりとしるべし。されば往生といへるも実には无生なり。この无生のことはりをば安養にいたりてさとるべし、そのくらゐをさして真実の証といふなり。
第五に真仏土といふは、まことの身土なり。すなはち報仏・報土なり。仏といふは不可思議光如来、土といふは无量光明土なりといへり。これすなはち第十二・第十三の光明・寿命の願にこたへてうるところの身土なり、諸仏の本師はこれこの仏なり、真実の報身はすなはちこの体なり。
第六に化身土といふは、化身・化土なり。仏といふは『観経』の真身観にとくところの身なり。土といふは『菩薩処胎経』にとくところの懈慢界、また『大経』にとける疑城胎宮なりとみえたり。これすなはち第十九の修諸功徳の願よりいでたり。たゞしうちまかせたる教義には、『観経』の真身観の仏をもて真実の報身とす。和尚の釈、すなはちこのこゝろをあかせり、真身観といへるその名あきらかなり。しかるにこれをもて化身と判ぜられたる、常途の教相にあらず。これをこゝろうるに、『観経』の十三観は定散二善のなかの定善なり。かの定善のなかにとくところの真身観なるがゆへに、かれは観門の所見につきてあかすところの身なるがゆへに、弘願に乗じ仏智を信ずる機の感見すべき身に対するとき、かの身はなを方便の身なるべし。すなはち 六十万億の身量をさして分限をあかせる真実の身にあらざる義をあらはせり。これによりて聖人、この身をもて化身と判じたまへるなり。土は懈慢界といひ、また疑城胎宮といへる、そのこゝろをゑやすし。ふかく罪福を信じ善本を修習して不思議の仏智を決了せず、うたがひをいだける行者のむまるゝところなるがゆへに、真実の報土にはあらず。これをもて化土となづけたるなり。これわが聖人のひとりあかしたまへる教相なり。たやすく口外にいだすべからず、くはしくかの一部の文相にむかひて一流の深義をうべきなり。さればこの教・行・信・証・真仏土・化身土の教相は、聖人の己証当流の肝要なり。他人に対してたやすくこれを談ずべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明九年W丁酉R十月十七日
至巳剋 令清書之訖
みなひとの まことののりを しらぬゆへ
ふでとこゝろを つくしこそすれ
六十三歳[在御判]

(一〇四)

それ祖師聖人の俗姓をいへば、藤原氏として後長岡の丞相内麿公の末孫、皇太后宮の大進有範の子なり。また本地をたづぬれば、弥陀如来の化身と号し、あるひは曇鸞大師の再誕ともいへり。しかればすなはち、生年九歳の春のころ、慈鎮和尚の門人につらなり、出家得度してその名を範宴少納言の公と号す。それよりこのかた楞厳横川の末流をつたへ、天台宗の碩学となりたまひぬ。そののち廿九歳にして、はじめて源空聖人の禅室にまひり、上足の弟子となり、真宗 一流をくみ、専修専念の義をたて、すみやかに凡夫直入の真心をあらはし、在家止住の愚人ををしへて報土往生をすゝめましましけり。そもそも今月廿八日は、祖師聖人遷化の御正忌として、毎年をいはず親疎をきらはず、古今の行者、この正忌を存知せざるともがらあるべからず。これによりて当流にその名をかけ、その信心を獲得したらん行者、この御正忌をもて報謝のこゝろざしをはこばざらん行者にをいては、まことにもて木石にひとしからんものなり。しかるあひだかの御恩徳のふかきことは、迷慮八万のいたゞき、蒼瞑三千のそこにこへすぎたり。報ぜずはあるべからず、謝せずはあるべからざるもの歟。このゆへに毎年の例時として、一七ケ日のあひだ、かたのごとく報恩謝徳のために无二の勤行をいたすところなり。この七ケ日報恩講のみぎりにあたりて、門葉のたぐひ国郡より来集、いまにをいてその退転なし。しかりといへども未安心の行者にいたりては、いかでか報恩謝徳の儀これあらんや。しかのごときのともがらは、このみぎりにをいて仏法の信不信を聴聞してまことの信心を決定すべくんば、真実真実、聖人報謝の懇志にあひかなふべきものなり。あはれなるかなや、それ聖人の御往生は年忌とをくへだゝりて、すでに一百余歳の星霜ををくるといへども、御遺訓ますますさかんにして、教行信証の名儀、いまに眼前にさへぎり人口にのこれり。たふとむべし、信ずべし。これについて当時、真宗の行者のなかにをいて、真実信心を獲得せしむるひと、これすくなし。たゞひと目・仁義ばかりに名聞のこゝろをもて報謝と号せば、いかなるこゝろざしをいたすといふとも、一念帰命の真実の信心を決定せざらんひとびとは、その所詮あるべからず。まことに「水いりてあかをちず」といへるたぐひなるべき歟。これによりてこの一七ケ日報恩 講中にをいて、他力本願のことはりをねんごろにきゝひらきて、専修一向の念仏行者にならんにいたりては、まことに今月、聖人の御正日の素意にあひかなふべし。これしかしながら、真実真実、報恩謝徳の御仏事となりぬべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
于時文明九 十一月初比俄為報恩謝徳染翰記之者也

(一〇五)

それ開山聖人の尋本地、既号弥陀如来化身、又曇鸞大師之再誕ともいへり。然則生年九歳にして、建仁之春の比、慈鎮和尚之門下になり、出家得度して其名を範宴少納言の公と号す。其れより已来、しばらく山門横川之末流を伝へて天台宗の碩学となりたまひき。其後廿九歳にして、遂に日本源空聖人之禅室にまひり合ひて、既に三百余人之内に於て上足之弟子となりましまして、浄土真宗一流をくみ、専修一向の妙義をたて、凡夫往生の一途をあらはし、殊に在家四輩の愚人ををしへ、報土往生の安心をすゝめたまへり。抑今月廿八日は祖師聖人の御正忌として、毎年をいはず親疎を論ぜず、古今の行者この御正忌を事とせざる輩不可有之者歟。因茲当流に其名をかけ、ひとたび他力の信心を獲得したらん人は、この御正忌をもて報恩謝徳の志を運ばざらん人は、まことにもて木石にことならん者歟。然間彼御恩徳の深ことは迷慮八万の頂、蒼瞑三千の底にこえすぎたり。不可報不可謝。このゆへに毎年の例時として一七箇日の間、如形一味同行中として報恩謝徳のために、无二の丹誠をこらし勤行の懇志をい たす所なり。然ばこの七箇日報恩講の砌にをひて、門葉のたぐひ毎年を論ぜず国郡より来集すること、于今无其退転。就之不信心の行者の前にをひては、更にもて報恩謝徳の義争在之哉。如然之輩はこの七箇日の砌に於て当流真実信心の理をよく決定せしめん人は、まことに聖人報恩謝徳の本意にあひそなはるべき者也。伏惟ば夫聖人の御遷化は年忌遠隔て、既に二百余歳の星月を送るといへども、御遺訓ますますさかりにして、于今教行信証の名義耳の底に止て人口にのこれり。可貴可信は唯この一事なり。依之当時は諸国に真宗行者と号すやからの中にをひて、聖人一流の正義をよく存知せしめたる人体、且以これなし。又真実信心の行者もまれにして、近比はあまさゑ自義を骨張して、当流になき秘事がましきくせ名言をつかひ、わが身上のわろきをばさしおき、かへりて人の難破ばかりを沙汰するたぐひのみ国々にこれおほし。言語道断次第なり。唯人並仁義ばかりの仏法しりがほの風情にて、名聞の心をはなれず、人まねに報恩謝徳の為なんど号するやからは徒事也。如此の輩は更にもて不可有所詮者なり。然者未安心の行者に於ては、今月聖人御影前参詣の儀は、誠に「水入て垢おちず」といへる、その類なるべき者歟。されば聖人の仰には、唯平生に一念歓喜の真実信心をゑたる行者の身の上に於て、仏恩報徳の道理は可在之とおほせられたり。因茲この一七ケ日報恩講の中に於て、未安心の行者は速に真実信心を決定せしめて、一向専修の行者とならん輩は、誠にもて今月聖人の御正忌の本懐に可相叶。是併真実真実、報恩謝徳の懇志たるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明十一歳十一月廿日

(一〇六)

帖内四の四

夫秋もさり春もさりて、年月を送事昨日もすぎ今日もすぐ。いつのまにかは年老のつもるらんとも覚へずし らざりき。然而其内には、さりとも、或は花鳥風月のあそびにもまじはりつらん、又歓楽苦痛の悲喜にもあひ侍つらんなれども、于今それとも思出す事とては一もなし。只徒にあかし、徒にくらして、老のしらがとなりはてぬる身のありさまこそかなしけれ。されども今日までは无常のはげしき風にもさそはれずして、我身ありがほの体をつらつら案ずるに、たゞ夢の如し、幻のごとし。于今於ては生死出離の一道ならでは、願べきかたとては一もなく、又二もなし。依之こゝに未来悪世の我等ごときの衆生をたやすくたすけたまふ阿弥陀如来の本願のましますときけば、まことにたのもしく、ありがたくも思侍なり。この本願をたゞ一念无疑に至心帰命し奉れば、わづらひなく、そのとき臨終せば往生治定すべし。もしそのいのちのびなば、一期のあひだは仏恩報謝のために念仏して畢命を期とすべし。これすなはち平生業成のこゝろなるべしと、たしかに聴聞せしむるあひだ、その決定の信心のとほり、いまに耳のそこに退転せしむる事なし。ありがたしといふもなをおろかなるものなり。されば弥陀如来他力本願のたふとさありがたさのあまり、かくのごとくこゝろにうかむにまかせてこのこゝろを詠歌にいはく、
ひとたびも ほとけをたのむ こゝろこそ
まことののりに かなふみちなれ
つみふかく 如来をたのむ 身になれば
のりのちからに 西へこそゆけ
法をきく みちに心の さだまれば
南无阿弥陀仏と となへこそすれ

と我身ながらも本願の一法の殊勝なるあまりに、かく申侍ぬ。されば此三首の歌のこゝろは、初は一念帰命の信心決定のすがたをよみ侍べり。後の歌は、入正定聚の益、必至滅度のこゝろをよみ侍べりぬ。次のこゝろは、慶喜金剛の信心のうへには、知恩報徳のこゝろをよみ侍べりしなり。されば他力の信心発得せしむるうへなれば、せめてはかやうにくちずさみても、仏恩報尽のつとめにもやなりぬべきとも思ひ、又きく人も宿縁あらば、などかおなじ心にならざらんと思ひ侍べりしなり。而に予既に七旬のよはひにおよび、殊には愚闇无才の身として、片腹いたくも如此しらぬゑせ法門を申事は、且は斟酌をもかへりみず、たゞ本願の一すぢのたふとさばかりのあまり、卑劣の此ことの葉を筆にまかせてかきしるしおはりぬ。のちに見人そしりをなさゞれ。これまことに讚仏乗之縁・転法輪之因ともなり侍ぬべし。あひかまへて偏執をなす事ゆめゆめなかれ。
于時文明年中W丁酉R暮冬仲旬之比
於炉辺暫時書記之者也[云云]
〔右この書は、当所はりの木原辺より九間在家へ仏照寺所用ありて出行のとき、路次にてこの書をひろひて当坊へもちきたれり〕
文明九年十二月二日
(帖内四-四)

(一〇七)

抑東国方の人と覚て、誠に物しりがほなる客僧一人ありけるが、当所幸善の前のほそ道より北へとをりけるが、誰人にてわたり候けるやらん、入道の六十有余ばかりに目のちとわろき人にあひて申しけるは、我は諸国行脚の僧にて候が、凡此方の体を見及び申に、誠に神領とみえて八幡大菩薩をあがめ給ふ風情、言語道断殊勝にこそ覚へ候へ。乍去後生のことまでは道心もさ のみおこされたる体はみえ給ずと見及申候ぬ。
夫八幡大菩薩と申し奉は、忝も本地は西方極楽世界の阿弥陀如来の変化にてましましけり。されば阿弥陀如来と申は、極悪の衆生のむなしく地獄におちなんとするをあはれみかなしみおぼしめして、いかにもこれをたすけんがためにとて、五劫があひだ思惟し、永劫があひだ修行して、すでに其願成就して十劫に正覚をなりて、其名を阿弥陀仏と申し奉りけり。而に又弓矢のみちをまもらんとちかひて、和光のちりにまじはり、忝も八幡大菩薩とあらはれ給へり。これはまよひの衆生をつゐにまことのみちにすゝめ入しめんがための方便也とみえたり。しかれば当所の人々の体を見及に、今生ばかりを本として後生までのことをば心にも入れ給ずとみえたり。これは八幡大菩薩の御意にはよも御叶候はじと思ひ侍べり。そのいはれはいかんといふに、今生・後生とは申せども、後生こそなを大事にこそ候へ。今生はいかやうに候とも、後生に極楽にまひり仏になり候はんこそ、目出事にては候はんずれ。たとひ今生がいみじくたのしく候とも、後生に地獄におち候はば、なにともなきいたづら事にてあるべく候。さればなにのわづらひもなき事にて候。後生をばしかと阿弥陀仏を一心にたのみ奉り、今生は幸に神領にむまれあひたる身なれば、大菩薩の御恩とおぼしめしさだめ候はゞ、八幡大菩薩の御素意にもあひかなひ給べきものなり。されば本地垂迹と申せども、本地をたのめば垂迹の御こゝろにもかなふ道理にて候あひだ、今生・後生とりはづさずして、しかるべきやうに御分別あるべく候。如法如法、推参の申事にて候へども、心にう かむとをり本地垂迹の御めぐみに御叶候やうにと存じて、心をのこさず申候也。されば大菩薩の御歌にも、
いにしへの 我名を人の あらはして
南無阿弥陀仏と いふぞうれしき
後生は 世にやすけれど みな人の
まことのこゝろ なくてこそせね
ともあそばされて候へば、阿弥陀仏を一心にたのみ給はゞ、八幡大菩薩の御こゝろに御叶候はん事うたがひなく候。よくよく御こゝろえあるべく候也。これまでにて候とていとま申すといひて、つゝみを東へ八幡辺へとて、いそぎかへりたまひにき。此事をこれを来りて如此かたりける程に、あまりに此客僧の事不思議に思ひし間、これをかきしるし畢。
右此書は、当所はり木原辺より九間在家え仏照寺所用之子細ありて出行之時、路次にて此書をひろひて当坊江物来れり。あまりに不思議なりし間、早筆に書記之者也。
文明九年[丁酉]十二月廿三日[云々]

(一〇八)

去文明七歳乙未八月下旬之比、予生年六十一にして、越前の国坂北の郡細呂宜郷内吉久名之内吉崎之弊坊を、俄に便船之次を悦て、海路はるかに順風をまねき、一日がけにと志して若狭之小浜に船をよせ、丹波づたひに摂津国をとをり、此当国当所出口の草坊にこえ、一月二月、一年半年と過行ほどに、いつとなく三年世の春秋を送し事は、昨日今日のごとし。此方において居住せしむる不思議なりし宿縁あさからざる子細なり。しかるに此三ケ年之内をば何としてすぎぬるらんと覚侍りしなり。さるほどに京都には大内在国によりて、同土岐大夫なんども在国せる間、都は一円に公方がたになりぬれば、今の如くは天下泰平と申すなり。命だにあればかかる不思議の時分にもあひ侍べり、目 出といふもなをかぎりあり。而間愚老年齢つもりて六十三歳となれり。於于今余命不幾身なり。あはれ人間は思様にもあるならば、いそぎ安養の往詣をとげ、速に法性の常楽をもさとらばやと思へども、それも叶ざる世界なり。然ども一念歓喜の信心を仏力よりもよほさるゝ身になれば、平生業成の大利をうるうへには、仏恩報尽のつとめをたしなむ時は、又人間の営耀ものぞまれず、山林の閑窓もねがはれず、あらありがたの他力本願や、あらありがたの弥陀の御恩やとおもふばかりなり。このゆへに願力によせてかやうにつゞけゝり。
六十あまり おくりし年の つもりにや
弥陀の御法に あふぞうれしき
あけくれは 信心ひとつに なぐさみて
ほとけの恩を ふかくおもへば
と口ずさみしなかにも、又善導の釈に、「自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報仏恩」(礼讚)の文の意を静に安ずれば、いよいよありがたくこそ覚侍れ。又或時は念仏往生は宿善の機によるといへるは、当流の一義にかぎるいはれなれば、我等すでに无上の本願にあひぬる身かともおもへば、「遇獲信心遠慶宿縁」(文類*聚鈔)と上人の仰にのたまへば、まことに心肝に銘じ、いとたふとくも又おぼつかなくも思侍べり。とにもかくにも自力の執情によらず、たゞ仏力の所成なりとしらるゝなり。若このたび宿善開発の機にあらずは、いたづらに本願にあはざらん事のかなしさをおもへば、誠に宝の山に入てむなしくかへらんににたるべし。されば心あらん人々はよくよくこれをおもふべし。さるほ どに今年もはや十二月廿八日になりぬれば、又あくる春にもあひなまし。あだなる人間なれば、あるかと思ふもなしとおもふもさだめなし。されども又あらたまる春にもあはん事は、誠に目出もおもひ侍べるものなり。
いつまでと をくる月日の たちゆけば
いく春やへし 冬のゆふぐれ
と如此文体之おかしきをかへりみず、寒天間炉辺にありて、徒然のあまり老眼をのごひ翰墨にまかせ書之者也。穴賢、穴賢。
于時文明第九[丁酉]極月廿九日
愚老六十三歳

(一〇九)

夫当流念仏のこゝろは、信心といふことをもてさきとするがゆへに、まづその信心のとをりをよくよくこゝろうべし。さればその信心といふはなにとやうなるこゝろぞといふに、このこゝろ世の中にあまねくひとの沙汰しあつかふおもむきは、たゞなにの分別もなく念仏ばかりをおほくまふせば、ほとけにはなるべしと、みなひとごとにおもひはんべりぬ。それはあまりにおほやうなることなり。されば往生極楽の安心とまふすは、たゞ南无阿弥陀仏の六の字のこゝろをよくしりわけたるをもて、すなはち信心のすがたとはまふすなり。まづ南无といふ二字は、衆生の阿弥陀仏にむかひまひらせて後生御たすけさふらへとまふすこゝろなり。さてまた阿弥陀仏とまふす四の字のこゝろは、南无とたのむ衆生を阿弥陀如来のあはれみましまして、あまねき光明のなかにおさめおきたまふこゝろを、すなはち阿弥陀仏とはまふすなり。まことに浄土に往生して仏にならんとおもはんひとは、一向に阿弥陀仏をふかくたのみたてまつりて、もろもろの雑行雑善にこゝろをかけずして、たゞ一心に阿弥陀仏に帰命して、たすけ たまへとおもふ一念おこるとき、往生はさだまるぞとなり。たゞ念仏をもまふし、弥陀如来はたふときほとけぞとおもふばかりにては、それはあまりにおほやうなることなり。ひしとわが身は十悪・五逆の凡夫、五障・三従の女人なればとおもひて、かゝるあさましき機をば弥陀如来ならではたすけたまはぬ本願ぞとふかく信じて、一すぢに阿弥陀如来に帰して、二ごゝろなくたのみたてまつるべし。このこゝろの一念もうたがはずおもへば、かならず弥陀如来は大光明をはなちて行者をてらして、その光明のうちにおさめをきたまふべし。かくのごとく決定のおもひをふかくなさん人は、十人は十人ながら百人は百人ながら、みな浄土に往生すべきこと、さらさらそのうたがひあるべからず。かやうにこゝろえたるひとを信心をとりたるとはまふすなり。されば信心さだまりてのうへの念仏をば、弥陀如来のわれらをやすくたすけましましたる、その御ありがたさ御うれしさの御恩を報じまひらする念仏にてあるべしとおもふべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。
文明十年二月 日

(一一〇)

当流門人之中可存知次第
一 一切之神明幷仏・菩薩誤不可軽之事。
一 外以王法為先之以仏法可為内之事。
一 於大小乗之諸法不可誹謗之事。
一 在国所可専守護・地頭事。
一 令信心決定人対他人其法儀之姿不可顕事。
右以此等之趣、当宗念仏者可存知之。是故聖人之 『教行証』序云、「愚禿釈親鸞、慶哉、西番・月氏の聖典、東夏・日域の師釈、まふあひがたくしていままふあふことをえたり、聞がたくしてすでに聞ことをえたり。真宗の教行証を敬信して、殊如来の恩徳のふかきことをしりぬ。是以聞ところをよろこび、うるところを嘆ずるなり」といへり。かくのごとくあひがたき無上大利の名願力に帰する身の上に於て、弥々仏法気色の振舞こそ、まことに祖師之御遺訓にも相背ぬべき者也。
〔文明十年W戊戌R二月四日〕

(一一一)

文明十歳初春下旬之比より、河内国茨田郡中振郷山本之内出口村里より、当国宇治郡山科郷之内野村柴の庵に、昨日今日と打過行程に、はやうら盆にもなりにけり。依之無常を観ずるに、誠以夢幻の如し。然而今日までもいかなる病苦にもとりあはず。されども又いかなる死の縁にかあひなんずらん。今日無為なればとて、あすもしらざる人間なれば、たゞ水上の泡、風前の灯ににたり。此故にいそぎもいそぎもねがふべき物は、後生善所の一大事に過たるはなし。たとひ此世は栄花にふけり、財宝は身にあまるとも、無常のあらき風ふき来らば、身命財の三ともに一も我身にそふ事あるべからず。此道理をよくよく分別して後生をふかくねがふべし。而に諸教の修行は本より殊勝にしてめでたけれども、末代の根機には叶がたければ、爰に幸に未来悪世のためにおこし給へる弥陀如来の他力本願を一向にたのみ奉りて、信心決定して長時不退に仏恩報尽のために、行住座臥にゑらばず、称名念仏申べきものなり。
于時文明十年うら盆会筆の次に書之訖。あらあら。
[以御筆御うつし候。御本にて又うつし申候也。正本は加州すゑのぶ行歓所持候也。]


(一一二)

それ人間を観ずるに、有為无常はたれの人かのがるべき、たゞ一生は夢幻のごとし。まことに人間は寿命は、老はまづ死しわかきはのちに死せば、順次の道理にあひかなふべきに、老少不定のさかひなれば、たゞあだなるは人間の生なり。依之爰に去八月十七日物のあはれなる事ありけり。生年卅一歳なりし人の産生の期すぎていくほどなくして死す。総じてこの人は多年病者の身たりしかば、その期にのぞみては、腹中にありしをそろしきをい物むねへせきあげて、身心苦痛せしことかぎりなし。いろいろの良薬をあたふといへども、まことに先業の所感にてもありけるか、また定業ののがれがたくして、つゐに八月十七日申剋のをはりにむなしくなりぬ。中々ことの為体をみるに、あまりににはかに今日このごろかやうに一大事の出来すべきとは誰人もおもひよらざれば、たゞ亡然としたるありさまのあへなさあはれさ、たとへをとるに物なし。さればそばにつきそふ人々も、天にあふぎ地にふしてなげきかなしめども、その甲斐ぞなき。まことにこゝろもことばもをよばざる風情なり。しかるに彼如勝禅尼の由来をたづぬるに、天下一乱について牢人の身なりけるが、辞の縁にひかれて不思議に先世の約束もありけるか、かりそめながらこの五、六年の間、京・田舎随逐せしめ、なにとなくなじみしたしみてまた年月のつもりにや、仏法の聴聞耳にふれしいはれによりて、朝夕のひまには和讚・聖教をこゝろにかけ、そのいはれを人にもくはしくあひたづね、つゐに信心決定の身となりて、あまさへ人の不信なるをなげき、ことには老母の ありけるを、なにとしてもわが信心のごとくなさばやなんど、をりをり物語しけり。かへすがへす不思議なりしことなり。このゆへにかの如勝禅尼つねに人にかたりしは、わが身ほど世に果報の物はよもあらじとおもふなり。そのいはれはかゝる宿縁にあひて、あまさへ今生も活計は身にあまり、後生はもとより申にをよばず。されども人間は老少不定のならひなれば、千に一もわがをくれて、もしひとりこの世にのこりてあらば、かゝるたふとき法もやわすれなん、その時後悔すともかなふまじ。たゞねがはくはとても仏の御たすけならば、あはれわれさきにたゝばやと、知音なりし人にはつねにこの事をのみかたりはんべりし。まことに仏の御はからひか、また定業のかぎりか、ねがひをきしことばのごとくなりし事不思議なり。また今度は一定死すべきと覚悟ありけるか、そのゆへは老母のかたへ遺物どもをかねて人にあづけをき、そのほか少々の物どもを人のかたへゆづりつかはしけり。かゝる遺物どもを人のかたへつかはしけり。かゝるときは死期をよく覚悟ありけるともおもひしられたり。されば最後臨終の時には他事をまじへず、後生の一大事を申し出しけり。また光闡坊をよびよせ善知識とおもひなし、苦痛のありし中にもこゝろのそこに念仏をまふすけしきみえて、すなはち小声にも大声にも念仏を申すこと、たゞごとにあらずとみをよべり。これをおもひかれをおもふにつけても、あはれさの中にも今度往生極楽は一定かともおもへば、またよろこびともいひつべきか。しかればかの禅尼の平生の時の身のふるまひを見をよぶにも、たゞ柔和忍辱の風情ありて、誰人にむかひてもたゞおなじすがたなりし人なり。今これをつくづくとおもひつゞくれば、かやうに早世すべきいはれにてありけりとおもひあはせられて、一しほあはれにもいとたふとくもおもひはんべり。さればこれにつけても 女人の身は、いまこのあへなさあはれさをまことに善知識とおもひなして、不信心の人々はすみやかに无上菩提の信心をとりて、一仏浄土の来縁をむすばんとおもはん人々は、今世・後世の往生極楽の得分ともなりはんべるべきものなり。穴賢、穴賢。南无阿弥陀仏、南无阿弥陀仏。
于時文明十年九月十七日

(一一三)

夫当流親鸞聖人勧化之一義に於ては、なにのわづらひもなく、在家・出家もきらはず男女老少をいはず、一すぢにねがふべき趣は、あさましき我等ごときの愚痴闇鈍の身なれども、弥陀如来の他力本願をたのみて、偏に阿弥陀仏に帰命すれば、即の時に必定に入しむるなり。爰以不思議之願力とは申しはんべれ。このゆへに弥陀に帰入するをこそ、他力の一心を決定せしめたる真実信心の行者とはいへるなり。これすなはち南無阿弥陀仏の意也。されば南無阿弥陀仏の体をよくこゝろえわけたるを、信心決定の念仏行者とは名けたり。此上には弥陀如来の摂取不捨之益にあづかりたる御恩のうれしさを、御恩を報ぜんが為に行住座臥に称名念仏すべきばかりなり。然則此上には知識帰命なんど云事も更以あるべからず。ちかごろ参河国より手作云出したる事なり。相構相構これらの儀を信用すべからざるものなり。
文明十一年十一月 日書之

(一一四)

文明十歳孟春下旬中之十日比かとよ、河内国茨田の郡中振郷山本之内出口の村中の番と云所より上洛して、 当国宇治郡小野庄山科野村西中路に住所をかまへて、其後程へて先新造に馬屋をつくり、其年は春夏秋冬無幾程打暮しぬ。然れば愚老が年齢つもりて今は六十四歳ぞかし。先師には年二つまされり、更以其いき甲斐もなき身也。而間くるゝ月日の立行ほどなさをつらつら案ずるに付ても、仏法も世間も何事に至までも、祖師開山之御恩徳の深事雨山のごとくして、たとへを取るに物なし。依之余の事にせめて詠歌にもよそへて加様に思つゞけゝり。
ふる年も くるゝ月日の 今日までも
なにかは祖師の 恩ならぬ身や
と思ひなぞらへても、我身の今までも久く命のながらへたる事の不思議さを又思ひよせたり。
六十地あまり おくりむかふる 命こそ
春にやあはん 老の夕ぐれ
と打ずさみければ、無程はや天はれ、あくる朝の初春にもなりぬ。正月一日の事なれば、上下万民祝言以下事すぎて後、俄に天くもり雨ふりて、なる神おびたゞしくなりわたりければ、年始とはいひながら人々もみな不思議の神哉と思ける折節、風度心にうかむばかりに、とりあへず発句を一つはじめけり。其句にいはく、
あらたまる 春になる神 初哉
とひとり発句をしてぞありける中にも、又案じ出す様は、愚老は当年しかと六十五歳になりければ、祖父玄康は六十五歳ぞかし。然れば予も同年なり。不思議に今までいきのびたる命かなと思へば、親にも年はまされり、祖父には同年なれば、一はうれしきもおもひ、又は冥加と云、旁以誠に命果報いみじとも可謂歟。これにつけても加様に口ついでにかた腹いたくもつゞけたり。
祖父の年と 同じよはひの 命まで
ながらふる身ぞ うれしかりける

と心ろ一に思つゞけて行く程に、何となく正月も二日すぎ、五日にもなりぬれば、竺一撿校当坊へはじめて年始の礼にきたりけるついでに、祝言已後に、さても正月一日の神のなりける不思議さをかたり侍べりしに、其時件の発句を云出しければ、やがて撿校当座にわきを付けり。
うるほふ年の 四方の梅がへ
とぞ付け侍べりき。其後兔角する程に、正月十六日にもなりしかば、春あそびにやとて、林の中にあるよき木立の松をほりて庭にうへ、又地形の高下を引なほしなんどして過行ほどに、三月初比かとよ、向所を新造につくりたてゝ、其後打つゞきせゝり造作のみにて、四月初比より摂州・和泉の境に立置し古坊をとりのぼせ、寝殿まねかたに作りなしけるほどに、兔角して同四月廿八日にははや柱立をはじめて、昨日今日とするほどに、無何八月比は如形周備の体にて庭までも数奇の路なれば、ことごとくなけれども作り立ければ、折節九月十二日夜の事なるに、あまりに月くまなくおもしろかりければ、なにとなく東の山を見て、か様に思案もなくうかむばかりにつらねたり。
小野山や ふもとは山科 西中野村
ひかりくまなき 庭の月影
と、我ひとり打詠ぜしばかりなり。さる程に春夏もさり秋もすぎ、冬にもなりぬれば、過にし炎天の比之事を思出でしに付ても、万づ春之比より冬之此比に至るまで、普請作事つゐ地等に至まで皆々心ろをつくせし 事、于今思出すにみな夢ぞかし。

(一一五)

さんぬる文明七歳乙未八月下旬のころ、予生年六十一にして、越前国坂北郡細呂宜郷のうち吉久名のうち吉崎の弊坊を、にわかに便船のついでをよろこびて、海路はるかに順風をまねき、一日がけにとこゝろざして若狭の小浜に船をよせ、丹波づたひに摂津国をとをり、この当国当所出口の草坊にこえ、一月二月、一年半年とすぎゆくほどに、いつとなく三とせの春秋ををくりしことは、昨日今日のごとし。この方にをいて居住せしむる不思議なりし宿縁あさからざる子細なり。しかるにこの三ケ年のうちをばなにとしてすぐるらんとおぼへはんべりしなり。さるほどに京都には大内在国によりて、おなじく土岐大夫なんども在国せるあひだ、都は一円に公方がたになりければ、いまのごとくは天下泰平とまうすなり。命だにあればかゝる不思議の時分にもあひはんべり、めでたしといふもなをかぎりあり。しかるあひだ愚老年齢つもりて六十三歳となれり。いまにをいて余命いくばくならざる身なり。あはれ人間はおもふやうにもあるならば、いそぎ安養の往詣をとげ、すみやかに法性の常楽をもさとらばやとおもへども、それもかなはざる世界なり。しかれども一念歓喜の信心を仏力よりもよほさるゝ身になれば、平生業成の大利をうるうへには、仏恩報尽のつとめをたしなむときは、また人間の栄耀ものぞまれず、山林の閑窓もねがはれず、あらありがたの他力本願や、あらありがたの弥陀の御恩やとおもふばかりなり。このゆへに願力によせてかやうにつゞけけり。
六十あまり をくりし年の つもりにや
弥陀の御法に あふぞうれしき
あけくれは 信心ひとつに なぐさみて
ほとけの恩を ふかくおもへば

と口ずさみしなかにも、また善導の釈に、「自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報仏恩」(礼讚)の文のこゝろをしづかに案ずれば、いよいよありがたくこそおぼへはんべれ。またあるときは念仏往生は宿善の機によるといへるは、当流の一義にかぎるいはれなれば、われらすでに无上の本願にあひぬる身かともおもへば、「遇獲信心遠慶宿縁」(文類*聚鈔)と上人のおほせにのたまへば、まことに心肝に銘じ、いとたふとくもおもひはんべり。とにもかくにも自力の執情によらず、たゞ仏力の所成なりとしらるゝなり。もしこのたび宿善開発の機にあらずは、いたづらに本願にもしあはざらん身ともなりなんことのかなしさをおもへば、まことにたからの山にいりてむなしくしてかへらんににたるべし。さればこゝろあらんひとびとはよくよくこれをおもふべし。さるほどに今年もはや十二月廿八日になりぬれば、またあくる春にもあひなまし。かゝるあだなる人間なれば、あるとおもふもなしとおもふもさだめなし。されどもまたあらたまる春にもあはんことは、まことにうれしくめでたくもおもひはんべるものなり。
いつまでと をくる月日の たちゆけば
また春やへん 冬のゆふぐれ
とうち詠じてすぎぬるにはや、文明九年の冬も十二月廿八日になりぬれば、愚老も六十三歳なり。さるほどに改年してまた文明十一年正月廿九日、河内国茨田郡中振郷山本のうち出口村中の番といふところより上洛して、山城国宇治郡小野庄山科のうち野村西中路に住すべき分にて、しばらく当所に逗留して、 そのゝち和泉の堺に小坊のありけるをとりのぼせてつくりをき、兔角してまづ新造に馬屋をとりたて、そのまゝ春夏秋冬なにとなくうちくれぬ。しかれば愚老は年齢つもりていまは六十四歳ぞかし。前住円兼には年は二つまされり、しかるあひだくるゝ月日のたちゆくほどなさをつらつら案ずるにつけても、仏法・世法のなにごとにいたるまでも、祖師開山の御恩徳ふかきこと雨山のごとくして、まことにたとへをとるにものなし。これによりてあまりのことにせめて詠歌にもよそへてかやうにおもひつゞけけり。
ふる年も くるゝ月日の 今日までも
いづれか祖師の 恩ならぬ身や
とおもひなぞらへても、わが身のいままでひさしくいのちのながらへたることの不思儀さをまたおもひよせたり。
六十あまり をくりむかふる よはひにて
春にやあはん 老のゆふぐれ
とうちずさみければ、はやほどなく天はれ、あくる朝の初春にもなりぬ。正月一日のことなれば、上下万民祝言以下ことすぎて、にわかに天くもり雨ふりて、なる神おびたゞしくなりわたりければ、年始とはいひながらひとびともみな不思議の神かなといひけるおりふし、不図こゝろにうかむばかりに、とりあへず発句を一はじめけり。その句にいはく、
あらたまる 春になる神 はじめかな
とひとり連歌をしてぞありけるなかにも、また案じいだすやう、愚老はかんがふれば当年は六十五歳になりければ、祖父玄康は六十五歳ぞかし。しかれば予もおなじ年なり。不思議にいままでいきのびたるものかなとおもへば、親父にも年はまされり、祖父には同年なれば、ひとつはうれしくおもひ、または冥加といひ、かたがたもてまことにいのち果報いみじともいふべき 歟。これにつけてもかくのごとく口のついでに片腹いたくもまたつゞけたり。
祖父の年と おなじいのちの よはひまで
ながらふる身こそ うれしかりけれ
とこゝろひとつにおもひつゞけてゆくほどに、なにとなく正月も二日すぎ、五日にもなりぬれば、竺一撿校当坊へはじめて年始の礼にきたりけるついでに、祝言已後まうしいだし、さても正月一日の神のなりける不思議さをかたりはんべりしに、そのとき件の発句をいひいだしければ、やがて撿校当座に脇をつけけり。
うるほふ年の 四方の梅がへ
とぞつけはんべりき。そののち兔角するほどに、正月十六日にもなりしかば、春あそびにもやとて、林のなかにあるよき木立の松をほりて庭にうへ、また地形の高下をひきなをしなんどしてすぎゆくほどに、三月はじめのころかとよ、和泉の堺に小坊のありけるをとりのぼせて、これを新造と号してつくりをき、そのゝちうちつゞき造作するほどに、また摂州・和泉堺に立置し古坊をこぼちとり、寝殿につくりなしけるほどに、とかくしておなじき四月廿八日にははや柱立をはじめて、昨日今日とするほどに、なにとなく八月ごろはかたのごとく周備の体にて庭までも数奇の路なれば、ことごとくはなけれどもつくりたてければ、おりふし九月十二夜のことなるに、あまりに月おもしろかりければ、なにとなく東の山をみて、かやうに思案もなくうかむばかりにつらねけり。
小野山や おほやけつゞく 山科の
ひかりくまなき 庭の月かげ

とわれひとりうち詠ぜしばかりなり。さるほどに春夏もさり秋もすぎ冬にもなりぬれば、すぎにし炎天のころのことどもをおもひいでしにつけても、よろづ春のころより冬のこのころにいたるまで、普請作事等に退転なくみなみなこゝろをつくせしこと、いまにおもひいだすにみなゆめぞかし。これにつけてもいよいよ予が年齢つもりて、いまはかみ・ひげしろくなりて、身心逼悩して手足合期ならずして、すでに六十有余のよはひにをよべり。されば親父にも年齢はまさりたるばかりにて、さらになにの所詮もなし。これについても、あはれ人間は定相なきさかひとは覚悟しながら、わが機にまかするものならば、かゝるあさましき世界にひさしくあらんよりは、早速に法性真如のみやことてめでたき殊勝の世界にむまれて、无比の楽をうけんことこそ、まことに本意としてねがはしけれども、それもかなはぬさかひとて、昨日もすぎ今日もくらすことのかなしさくちおしさよ。されば老体の身のならひとして、ひるはひねもすに万事にうちまぎれ、夜はまたあけがたの鳥なくころより目はさめて、そのまゝいねいる夜はまれなり。これによりて『朗詠』詩にこのことをかゝれたり。そのことばにいはく、
「老眠早覚常残夜 病力先衰不待年」といへり。まことにいまこそこの詩のこゝろに身をもおもひあはせられてあはれなり。これについていよいよ三国の祖師・先徳の伝来して、仏法の次第をしらしめたまふこともおもはれ、別しては聖人の勧化にあふ宿縁のほどもことにありがたく、また六十有余のよはひまでいきのびしことも、ひとへに仏恩報尽の義もますますこれあるべき歟ともおもへば、なをなを心肝に銘じて、いとたふとくもまたよろこばしくもおもひはんべるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明十一 十二月 日


(一一六)

抑参河国に於て当流安心之次第は、佐々木坊主死去已後は、国之面々等之安心の一途さだめて不同なるべしとおぼへ侍べり。其故は如何といふに、当流の実儀うつくしく讚嘆せしむる仁体あるべからざるが故也。たとひ又その沙汰ありといふとも、たゞ人の上の難破ばかりをいひて、我身の不足をば閣て、我慢偏執の儀を以てこれを先とすべし。如此の心中なるがゆへに、当流に其沙汰なき秘事法門と云事を手作にして諸人をまよはしむる条、言語道断之次第也。此秘事を人に授けたる仁体においては、ながく悪道にしづむべき者也。然則自今已後おいては、以前の悪心をすてゝ当流之安心をきゝて、今度の報土往生を決定せしめんと思べし。只以当流之一儀において秘事の法門と云事あるべからざる者也。
夫当流聖人の一代は、ことに在家止住の輩をもて本とするがゆへに、愚痴闇鈍の身なれども、偏に弥陀如来之他力本願に乗じて一向に阿弥陀仏に帰命すれば、即時に正定聚之位に住し、又滅度に入しむるとこそつたへたり。此故に超世の本願とも不可思儀の強縁とも申し侍べり。是則摂取不捨の益にあづかりぬる真実信心をゑたる一念発起の他力の行者とは申す者也。此上にはたゞ弥陀如来の御恩徳のふかき事をのみおもひて、其報謝のためには行住座臥をいはず、南無阿弥陀仏ととなへんより外の事はなきなり。猶以此上にわづらはしき秘事ありといふやからこれあらば、いたづら事とこゝろへて信用あるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。

文明拾弐年六月十八日(花押)

(一一七)

抑大津・山科両所人々為体を見及ぶに、更に当流之正義にしみじみと決定せしめたる分もなし。然者此間、愚老連日之病悩におかされて、誠に此まゝ往生之出立にてもあるやらんと覚ゆる間、心底におもふ趣其苦痛之間につらつら人々の心中をはかり案ずるに、うるはしく今度の一大事、報土往生をとげしめん為の他力大信心を弥陀より発起せしめられたる、そのありがたさを不可思議におもふすがたは、且以みえずと覚へたり。そのゆへは弥陀如来之御恩徳のいたりてふかき事をも更に心にもかけずして、たゞ古より今日にいたるまでも我身ひとり信心のとほりよく覚悟せりと思ふ風情なり。今の分の心得にては我身の安心の方もいまだ不定なりと思ひやられたり。其信心を決定せぬとおぼへたるその証拠には、一遍の称名も心にはうかまず、又父母二親の日にあたらば、親といふものあればこそかゝる殊勝の本願をばきゝ侍べりとおもはゞ、などか其恩のあさからぬ事をもおもひて、とぶらふ事もあるべきに、其心すくなきがゆへに、まして仏恩報尽のおもひも更になきゆへに、口に称名をとなふる事もなし。又一巻の聖教を手にとり、一首の和讚を見る事もなし。我身をたすけ給へるいはれをとき給へる「三部経」なれども、これを堪能の機は訓ごえにもせめてよむべき道理とも思はず。あまさへ古は仏前に「三部経」をおく人をさゑ難行なりといひ侍べりき。今も其機類相のこる歟とおもふなり。あさましあさまし。又「和讚正信偈」ばかりを本として、「三部経」をば本と思はず、たまたまも志ありてよむ人をば遍執せり。言語道断之次第、本拠をしらぬ人のいへる事なり。たとひ我身文盲にしてこれをよまずとも、忝も我等が浄土に往生すべきいはれをば此経にとき給へりとおもひて信ずべきに、つ ねの人の覚悟には「三部経」といふことをもしらねども、たゞ聖人の仰せを信ずるこそ肝要よ、あらむつかしの「三部経」の文字沙汰やといへり。これ又大なる本説をしらぬゑせ人のいへることばなり。くれぐれ信ずべからず。又「正信偈和讚」をもては朝夕の道俗男女、仏恩報謝の勤行にこれを修すべきこそ肝要といへる事なり。総じて当流の一義をたつるにつきて、「和讚正信偈」をもて肝要といふ名言、返々しかるべからざることなり。されば朝夕はたゞ仏恩のふかき事を思ひて念仏すべし。依之善導和尚の解釈にも、くれぐれ仏恩のふかき事をのみ釈し給へり。されば聖人『教行信証』六巻をつくりても、三国の祖師・先徳相承して、浄土の教をおしへ給ふ恩徳のふかき事をひきのせ、ことに仏恩窮尽なるおもむきをねんごろに仰せられたり。事しげきによりて今こゝにはのせず。其中にもやすくきこゑたる「正信偈」の文にいはく、「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」(行巻)ともいひ、又『和讚』(正像末*和讚)には、「弥陀大悲の誓願を 深く信ぜん人はみな ねてもさめてもへだてなく 南無阿弥陀仏を唱べし」といへり。此文のこゝろは、人つねに沙汰せしむる事なれども、更にこゝろそれにならざる間、総じて本願の一すぢに殊勝なるありがたさを も別しておもはず、又信心のしかとさだまりたる分もなきゆへに、一遍の称名をおもひいだす事もなし。更以此等の人之風情は聖人の御意にそむけり、当流之正義にあらず。已前いふところのおもむきを今日よりして廻心改悔之心なくは、誠以無宿善の機たるべきあひだ、このたびの報土往生は大略不定とこゝろうべきものなり。
文明十二歳八月廿六日

(一一八)

抑大津・山科両所人々為体を見及ぶに、更に親鸞聖人の勧給ふ正義にしみじみと決定せしめたる分もなしとおもへり。然者愚老此間、連日之病悩におかされて、誠に此まゝ往生之出立にても有やらんと覚ゆる間、心底におもふ趣苦痛の内につくづく人之心中をはかり案ずるに、うるはしく今度の往生極楽をとげしめん為の他力の大信心を弥陀より発起せしめられたる、其うれしさありがたさを不可思議に心におもひ入れたるすがたは、且以みえずと覚へたり。そのゆへはいかんといふに、弥陀如来の御恩徳のきはめてふかき事をも更に心にもかけずして、たゞ古へより今日に至るまでも我身ひとり信心のとをりよく覚悟せりと思ふばかりの風情なり。今の分の心得にては我身の安心の方もいまだ不定なりと思ひやられたり。其信心を決定せずとおぼへたる其証拠に、一遍の称名も心にはうかまず、又父母二親の日にあたらば、親と云者あればこそかゝる殊勝の本願をばきゝ侍べりと思はゞ、などか其恩のあさからぬ事をもおもひて、などかとぶらふ事もあるべきに、其心すくなきがゆへに、まして仏恩報尽之思も更になし。このゆへに口に称名をとなふる事もなし。又徒にあかしくらせども、一巻の聖教を手にとり一首の和讚をもそらによみおぼへて、朝夕の勤行に助音せんともおもはず、たゞ人まねばかりにうなりゐたる体な り。又我身をすくひ給へるいはれをときあらはせる「浄土三部経」なれども、これを堪能の機は訓ごゑにもせめてよむべき道理とも思はず。あまさへ古は仏前に「三部経」をおく人をさへ雑行之人なりといひ侍べりき。今も其機類相のこる歟と思ふなり。あさましあさまし。又「和讚正信偈」ばかりを本として「三部経」をば本とおもはず、たまたまも志ありてよむ人をばあながちに遍執せり。言語道断の次第、本拠をしらぬ人のいへることばなり。たとひ我身文盲にしてこれをよまずとも、忝我等が浄土に往生すべきいはれをばこの経にときあらはし給へりと思ひて信ずべきに、つねの人の覚悟には「三部経」と云事をもしらずとも、たゞふかく聖人の仰せを信ずるこそ肝要よ、あらむつかしの「三部経」の文字沙汰やといへり。これ又大なる本説しらぬゑせ人のいへることば也。くれぐれ信ずべからず。又「正信偈和讚」をもては朝夕之道俗男女、仏恩報尽之勤行にこれを修すべきこそ肝要とはいへることばなり。総じて当流聖人の一義をたてんにつきて、「和讚正信偈」ばかりをもて一流之肝要といへる名言、返々しかるべからざることばなり。依之当流之信心を決定せん人は、相構相構、仏恩之ふかき事をつねにおもひて称名すべし。されば善導和尚所々の解釈にも、たゞ仏恩のいたりてふかき事をのみ釈し給へり。ことに聖人も『教行信証』六巻をつくりて、三国の祖師・先徳相承して浄土の教をおしへ給ふ恩徳のふかき事をひきのせて、取別仏恩窮尽なるおもむきをねんごろに仰せり。事しげ きによりて今こゝにのせず。其中にもやすくきこへたる「正信偈」文にいはく、「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」(行巻)ともいひ、又『和讚』(正像末*和讚)には、
弥陀大悲の誓願を ふかく信ぜんひとはみな
ねてもさめてもへだてなく 南無阿弥陀仏を唱べし
といへり。此文の意は、人つねに沙汰せしむる文なれども、更にこゝろそれにならざる間、総じて弥陀如来の他力本願の一すぢに殊勝なるありがたさをも別しておもはず、又信心のしかとさだまりたる分もなきとみえたる間だ、一遍の称名をおもひいだす事もなし。更以此等の人之風情は聖人之御意にそむけり、当流之正義にあらず。已前いふところのおもむきを今日より廻心改悔之心ろなくは、誠以無宿善の機たるべきがゆへに、このたびの報土得生は大略不定なりとこゝろうべきものなり。
文明十二年八月廿七日

(一一九)

去文明十一年之夏比より寝殿やうやく立はじめて、夏三月秋三月と過ゆき程に、神無月仲旬末つ方にも成侍べりぬれば、今年と云もはや幾程あるべからずと思ふ間だ、いかにしても御影堂を予が存命之内に建立せしめんと思企る処に、其志ある事を門下中しりて、既に南方河内国門下中より和州吉野之奥えそま入りをして、やがて十二月仲旬比かとよ、柱五十余本其外断取の材木を上せけり。かくて年内も打暮ぬ。而に年もあくれば文明十二年之初春に成しなり。さるほどに正月と云も七日十五日もすぎ、十六日にも成侍べりぬれば、先づ愚老はかり事に、彼御影堂をつくり奉らんが為のこゝろみに、所詮小棟づくりに三帖敷の小御堂をつくり侍べりぬ。さすればはや正月も下旬比にすぎ程に成りければ、其後やがて二月三日より事はじめをして、 御影堂之造作を企てつゝ、其まゝひた造作にてすぎゆく程に、近内近郷之雑木をあつめよせ、五日十日と其覚悟もなく造作せし間だ、誠に法力之不思儀にてありけるにや、既に三月廿八日には棟上之祝をして番匠方之好行粧美々敷かりき。されども其時分諸国之門徒中、大概其祝に合侍べりき。誠に不思議之宿縁あさからぬ事共也。棟上已後なげし・敷居なんどは和州吉野之材木をあつらゑ、其外天井・立物なんどは人之志にまかせて請取りこれを沙汰す。又やねゐの道具・板敷之たぐひは大概大津よりこれをこしらへて来れり。又四方之縁なんどは深草の宮にありける杉木を買得し、次にやねをば先づ竹おそゐにてすぎ榑をもて仮葺にして、其後ひわだ葺をよびよせて、そしきをとらせ其入るべき具足をあつらへそろへて、既に八月四日より始てひわだ葺にふかせける間、さる程に造作は四月五月より八月中までは日永きあひだ、番匠手間もさのみ入ずして無程出来せり。而間八月廿八日には先づ絵像の御影を仮仏壇にこしらへてうつし奉りけり。則其の夜は愚老もおなじくこもりぬれば、誠よろこびは身上にあまれりて祝著千万なり。されば予が年来京・田舎とめぐりし内にも、心中に思様は、あはれ存生之間において、此御影堂を建立成就して、心やすく往生せばやと念願せし事の今夜成就せりと、うれしくもたふとくも思ひ奉る間、其夜の暁き方まではつゐに目もあはざりき。又其内にも去る比御台様御成ありて、此御影堂御覧ありし事を思ひつゞくれば、前代未聞事と云ながら、たゞ事とも思はず、かたじけなくも思侍べりき。かくて造作は大略周備成就之心地にて、橋隠・妻戸の金物 なんども出来しければ、白壁をぬり地形之高下をなをしなんどせし程に、霜月も仲旬比になりぬれば、既に同十八日には年来大津に此十余ケ年之間御座ありし根本之御影像をうつし奉りぬ。而間報恩講も始りければ、諸国門徒之類同心に渇仰之思ひ浅からずして、面々に懇志をはこび、一七日中之勤行無其退転りき。其内に於て愚老、此間之造作中窮崛を思ひ出でゝ、此御影堂造立中無何の障㝵、建立成就せしむる条祝著之あまり、又諸国之面々の懇志を悦ばしめ、且は信心も決定して当生之来果をゑそしめんが人は、此報恩講七ケ日中によそへて如此の旨趣をのぶるなり。

(一二〇)

去文明拾一年之夏比より寝殿漸立始て、九夏三伏之夏は日永しといへども、無程打暮て紅菊芝蘭之秋は日みじかき間、神無月仲旬末つ方にも成侍べりぬれば、今年と云もはや幾程あるべからずと思ふ間、いかにもして御影堂を予が存命之内に建立せしめんと思企る処に、其志ある旨を門徒中にも存知ある歟之間、既に南方河内国門下中より和州吉野之奥へそま入りをさせて、やがて十二月仲旬比かとよ、柱五十余本其外断取之材木を取上せて、これをつみかさねおく間、既に年内も打暮ぬ。而に年もあくれば文明十二年之初春に成にけり。然間正月と云も七日十五日もすぎ、十六日にも成侍べりぬれば、先愚老がはかり事に、彼御影堂を建立せしめんが為のこゝろみに、所詮小棟づくりに三帖敷之小御堂を作り侍べりぬ。さすればはや正月も下旬比にすぎ程に成ぬれば、其後やがて二月三日より事始めをさせて、御影堂之造作を企つゝ、其まゝひた造作にてすぎゆく程に、近内近郷の雑材木をあつめよせ、五日十日と其覚悟もなく門下中之志にまかせ作事せし間、誠に法力之不思議によりけるが、既に三月廿八日には棟上之祝をさせて大工番匠方之好粧美々敷かりき。され ども其時分諸国之門徒中、大概其棟上の祝に合侍べりき。誠不思議之宿縁あさからぬ事共也。而間棟上已後はなげし・敷居なんどは和州吉野之材木をあつらえ、其外天井・立物なんどは門徒之志にまかせて請取て是を沙汰す。又やねゐの道具・板敷之族は大概大津よりこれをこしらへて来れり。又四方之縁なんどは深草之宮にありける木を買得し、次にやねをば先竹おそゐにてすぎ榑をもて仮葺にさせて、其後ひわだ大工をよびよせて、そしきをとらせて其入るべき具足をあつらへそろへて、既に八月四日より始てひわだ葺にふかせける間、作事は四月五月より八月中までは日永き間、番匠之手間もさのみ入ずして無程出来せり。然間八月廿八日には先づ仮仏壇をこしらへて絵像の御影をうつし奉りけり。其夜は愚老も同くこもりぬれば、誠に悦は身にあまりて祝著千万なりき。されば年来愚老京・田舎とめぐりし内にも、心中に思様は、あはれ存生之間において、此御影堂を建立成就して、心やすく往生せばやと念願せし事の今月今夜満足せりと、うれしくもたふとくも思ひ奉る間、其夜の暁方まではつゐに目もあはざりき。又其内にも去ぬる比御台様御成ありて、此御影堂御覧ありし事を思ひつゞくれば、前代未聞之事と云ながら、たゞ事とも思はず、忝も思侍べりき。かくて造作は大概周備満足之心地にて、橋隠・妻戸之金物なんどははや出来したりければ、白壁をぬり地形之高下をつくりなをしなんどせし程に、霜月もはや仲旬比になりぬれば、既に十八日には年来大津に此十余ケ年之間御座ありし根本之御影像をうつし奉りぬ。しかる間例年之報恩講も始りぬれば、諸国門徒之類同心 に渇仰の恩浅からずして、面々に懇志をはこび、一七日中之勤行之念仏無其退転りき。其内に於て愚老思様、此間之造作中の窮崛に其甲斐ある事を思出でゝ、此御影堂造作中何の無障㝵、建立成就せしむる条祝著無極、又諸国之面々の懇志をはこばしむる事を悦しめ、且は信心もいよいよ決定して当生の来果をも心やすく得せしめんと思也。就之此在所に始て御影堂一宇建立して、当年始て一七ケ日之報恩講始行せしむる事不思儀の子細也。

(一二一)

抑当所者山城国宇治郡山科郷小野庄野村之内西中路と云所也。然者於此在所何なる往昔之約束ありて、不思議にかりそめながら文明第十之天初夏仲旬比よりざん時之様に居住せしめて、既に一宇之坊舎を興行し、其まゝ相続して、次年文明十二年[庚子]二月初比より思企、御影堂を如形柱立ばかりと志す所に、何なく仏法不思議之因縁によりけるか、諸国門下中あまねく懇志をはこばしむる間、無程造立して既に十一月十八日には、此一乱中大津に置奉りし性本之御影をうつし申す。つらつら当所濫觴之由来を案ずるに、諸篇につきて何の障㝵もなく建立せしむる条、更以凡情之所為に非るかとも覚侍べり、別しては愚老が本懐満足何事如之哉。依之諸国門葉之輩も同く不含法喜禅悦之思哉。而間今月廿八日は祖師聖人之御正忌として、毎年をいはず親疎をいはず、道俗男女諸国門下之類此御正忌をもて本と存ずる事、于今無其退転。此故に当流に其名をかけ、一度弥陀如来之他力信心を獲得せしめたらん行者に於ては、今月廿八日七日報恩講之御正忌に其志をかけざらん輩は、ひとへに可為木石之類者歟。然間彼聖人之御恩徳の深事、たとへを取るに迷慮八万之頂、蒼瞑三千之底にも越過たり、不可報不可謝者歟。此故毎年之例時として、往古より此一七ケ日之間如形一味同行中 之沙汰として、為報恩謝徳無二の丹誠をこらし勤行之懇志をぬきいづる処也。然に此七ケ日報恩講之砌に当て、門葉之類来集する事于今無其退転。就之不信心之行者に於ては報恩謝徳を致と云とも、其志聖人之冥意不可相叶。誠以「水入て垢おちず」といへる可為其類者歟。伏惟れば、夫聖人之御入滅は年忌遠隔、既に二百余歳之星霜を送といへども、御遺訓ますますさかりにして、于今教行信証の名義耳の底に止て人口にのこれり。可貴可信唯此一事也。而に近代当流門下と号する族の中に於て、聖人之一流をけがし、あまさえ自義を骨張し、当流になき秘事がましき曲名言をつかひ、人の難破をいひてこれを沙汰し、我䚹謬をばかくすたぐひ在々所々に多之。言語道断之次第也。たゞ人並の仁義ばかりの仏法しりがほの風情にて、名聞之意をはなれず、人まねに報恩謝徳之志を致といふとも、其所詮不可有者也。然間不信心之行者に於ては此一七ケ日之報恩講中に、御影前にありて改悔之意をおこして相互に信不信之次第を懺悔せば、誠に報恩謝徳之本意に達すべきもの也。されば聖人之仰には、たゞ平生に於て一念帰命之真実信心を獲得せしめたる人の上に於てこそ、仏恩報尽之道理は可有之とのたまへり。依之此一七ケ日報恩講之砌に於て、未安心之行者は速に真実信心を決定して、一向専修之行者とならん人は誠以今月聖人の御正忌の可為報恩謝徳者也。穴賢、穴賢。
文明十二年[庚子]十一月廿一日書之

(一二二)

夫当所者宇治郡山科郷小野庄野村西中路也。然者於此在所有何なる宿縁不思儀、文明十一年之春比一宇坊舎 をたて、其後あくる同き文明十二歳二月初比より御影堂を如形柱立ばかりと志すところに、誠に仏法不思議之因縁によりけるか、諸国門徒中の懇志をはこばしむる間、無程造立して既に当月十八日には、根本之御影像を奉移畢。つらつら当寺濫觴之由来を案ずるに、無事故早速に令造立之条、予於身上本懐満足何事如之哉。同諸国門下之輩も定而法喜禅悦之思不深之哉。而今月廿八日は祖師聖人之御正忌として、毎年之例時、信不信をいはず、道俗男女門下之類此御正忌をもて本と存ずる事、于今無其退転。依之当流に其名字をかけ、一たび弥陀如来之他力信心を獲得せしめん行者は、今月之報恩講之御正日に於て、其志をはこばざらん輩は、可為木石之類者歟。而間彼聖人之御恩徳之深事、迷慮八万之頂、蒼瞑三千之底にも越過せり、不可報不可謝。此故於毎年同往古此一七ケ日之間如形一味同行之沙汰として、為報恩謝徳無二之丹誠をこらし勤行之懇志をぬきいづる処也。然に此七ケ日報恩講之砌に当て、門葉之類来集する事於于今無退転。このゆへに不信心之行者に於ては報恩謝徳をいたすと云ども、其志し且以徒事也。誠に「水入て垢おちず」といへる可為其類者歟。伏惟ば、夫聖人之御入滅は年忌遠隔て、すでに二百余歳之星霜を送といへども、御遺訓ますますさかりにして、於于今教行信証之名義耳の底に止て人口にのこれり。可貴可信唯此一事也。而間近代当流門下と号する族之中に於て、聖人之一流をけがし、あまさえ自義を骨張し、当流になき秘事がましき曲名言をつかひ、人之難破ばかり沙汰せしむるたぐひ在々所々に多之。言語道断之次第也。たゞ人並の仁義ばかりの仏法しりがほの風情にて、名聞之心をはなれず、人まねに報恩謝徳の為なんど号する輩は瀆事也。如此類は更以報恩謝徳之志をいたすといふとも、不可有其所詮者也。然則不信心之行者に於ては此一七ケ日之報恩講中に、御影 前にありて改悔の意をおこして相互に信不信之次第を懴悔せば、誠以報恩謝徳之本意に達すべし。されば聖人の仰には、たゞ平生に於て一念帰命の真実信心を獲得せしめたる身の上に於てこそ、仏恩報尽の道理は可有之と仰せられたり。依之此一七ケ日報恩講之砌に於て、未安心之行者はすみやかに真実信を決定せしめて、一向専修の行者とならん人は誠以今月聖人之御正忌之可為報恩謝徳者也。穴賢、穴賢。
文明十二年十一月廿一日

(一二三)

そもそも文明第十一の天夏のころより寝殿やうやく立をさまりて、九夏三伏の夏は日ながしといへども、うちくれ紅菊芝蘭の秋は日みじかきあひだ、神無月仲旬すえつかたにもなりはんべりぬれば、今年もはやいくほどあるべからずとおもひくらすまゝ、いかにもして愚老存命のうちに御影堂建立成就せしめんとおもひくわだつるところに、そのこゝろざしあることを門下中しりて、すでに南方河内国門徒中より和州吉野の奥へそまいれをして、やがて十二月仲旬ごろかとよ、まづ柱五十余本そのほか料取の材木をのぼせけり。かくて年内もうちくれぬ。しかるあひだ年もあくれば、はや文明十二年の初春になりにけり。さるほどに正月七日もすぎ、十六日にもなりはんべりぬれば、まづ愚老はかりごとに、かの御影堂をつくりたてまつらんがためのこゝろみに、所詮小棟づくりに三帖敷の小御堂をつくりはんべりぬ。さすればはや正月も下旬ごろにすぎゆくほどになりければ、そののちやがて二月三日よりことはじめをして、御影堂の造作をくわだてにけ り。そのまゝひた造作にてすぎゆくほどに、当所の近内近郷の雑木を買あつめよせ、五日十日と造作せしあひだ、諸門下の法力をもてまことに不思議に、三月廿八日には棟あげのいわゐをして番匠がたの好粧美々敷かりき。されどもその時分諸国の門徒中も大略そのいわゐにあひはんべりぬ。まことに不可思議の宿縁あさからぬことどもなり。そののち棟あげ已後はなげし・敷居なんどは大概和州吉野の材木をあつらへ、そのほか天井・立物なんどはひとびとのこゝろざしにまかせて請取これを沙汰す。またやねゐの道具・板敷のたぐひは大概大津よりこれをこしらへてきたれり。また四方の縁なんどは藤森の宮にありける杉の木を買得す。つぎにやねをばまづ竹おそゐにして杉榑をもてかり葺にして、そののちひはだ葺をよびよせて、そしきをとらせそのいるべき具足をあつらへそろへて、すでに八月四日よりはじめてひはだ葺にふかせけるあひだ、十月四日には出来せり。さるほどに造作は四月五月より八月中までは日ながきあひだ、番匠手間もさのみいらずしてほどなく出来せり。しかるあひだ八月廿八日にはまづ絵像の御影をかり仏檀にこしらへてうつしたてまつりけり。すなはちその夜は愚老もおなじくこもりをはりぬ。まことによろこびは身上にあまれりとて祝著千万なり。されば予が年来京・田舎とへめぐりしうちにも、心中におもふやうは、あはれ存命のあひだにをいて、この御影堂を建立成就して、こゝろやすく安養の往生をとげばやと念願せしことの今夜に成就せりと、うれしくもたふとくもおもひたてまつるあひだ、その夜のあかつき方まではつゐに目もあはざりき。またそのうちにもおもひいだすことは、さんぬるころ御台様御なりありて、この御影堂御覧ありしことをおもひつゞくれば、前代未聞のことゝいひながら、たゞごとゝもおもはず、かたじけなくもおも ひはんべりき。かくて造作は大略周備満足のこゝちにて、いま橋隠し・妻戸の金物なんども出来しければ、白壁をぬり地形の高下をなをしなんどするほどに、霜月の報恩講もちかづきければ、すでに霜月十八日には夜にいりて大津に御座ある本の御影像をうつしたてまつりぬ。しかるあひだ報恩講もはじまりて、諸国門徒のひとびと同心に渇仰のおもひあさからずして、面々に懇志をはこび、まことに一七ケ日の勤行その退転なし。そのうちにをひて愚老このあひだの窮崛懇労をおもひいだして、この御影堂の造立事ゆへなく成就せし祝著のあまり、かつは諸国の面々の懇心をよろこばしめ、かつは他力の信心も決定して当生の来果をえしめんがために、この報恩講七日中によそへて愚意の旨趣をのべていはく。
そもそも当所は宇治郡山科郷小野庄のうち野村西中路といへるところなり。しかればこの在所にをいていかなる宿縁ありてか、不思議に文明第十の春のころよりかりそめながら居住し、すでに一宇を興行し、そのまゝ相続し、おなじきつぎの年文明十二歳庚子二月はじめのころ、御影堂かたのごとく柱立ばかりとこゝろざすところに、なにとなく仏法不思議の因縁によりけるか、諸国門徒あまねく懇志をはこばしむるあひだ、ほどなく造立成就してすでに十一月十八日には、年来御座ありし根本の御影像をうつしたてまつりぬ。つらつら当寺濫觴の由来を案ずるに、予身上にをいて本懐満足なにごとかこれにしかんや。したがひて諸国門葉のともがらもおなじく法喜禅悦のおもひをふくまざらんや。しかるあひだ今月廿八日は祖師聖人の 御正忌として、毎年をいはず親疎をいはず、道俗男女門下のたぐひこの御正忌をもて本と存ずること、いまに退転なし。これによりて当流にその名をかけ、ひとたび弥陀如来の他力の信心を獲得せしめん行者は、今月報恩講の御正忌にをいてそのこゝろをかけざらんともがらは、まことに木石のたぐひたるべきもの歟。しかるあひだかの聖人の御恩徳のふかきこと、迷慮八万のいたゞき、蒼瞑三千の底にもこえすぎたり、報ぜずんばあるべからず謝せずんばあるべからざるもの歟。このゆへに毎年の例時として、往古よりこの一七ケ日のあひだかたのごとく一味同行の沙汰として、報恩謝徳のために无二の丹誠をこらし勤行の懇志をぬきいづるところなり。しかるにこの七ケ日報恩講のみぎりにあひあたりて、門下のたぐひ来集することいまにその退転なし。これについて不信心の行者にをいては報恩謝徳をいたすといふとも、そのこゝろざしかつてもて通ずべからず。まことに「水いりてあかおちず」といへるそのたぐひたるべきもの歟。ふしておもんみれば、それ聖人の御入滅は年忌とをくへだゝりて、すでに二百余歳の星霜ををくるといへども、御遺訓ますますさかりにして、いまに教行信証の名儀耳のそこにとゞまりて人口にのこれり。たふとむべし信ずべきはたゞこの一事なり。しかるにちかごろ当流門下と号するやからのなかにをいて、聖人の一流をけがし、あまさへ自義を骨張し、当流に沙汰せざる秘事がましきくせ名言をつかひ、ひとの難破をいひてこれを沙汰し、わが身の批謬をかくすたぐひのみ在々所々にこれおほし。言語道断の次第なり。たゞひとなみなみの仁義ばかりの仏法しりがほの風情にて、名聞のこゝろをはなれず、ひとまねに報恩謝徳のこゝろざしをいたすといふとも、その所詮あるべからざるものなり。しかるあひだ未決定の行者にをいてはこの一七ケ日の報恩講中に、御影 前にありて改悔のこゝろををこしてあひたがひに信不信の次第を懴悔せば、まことに報恩謝徳の本意に達すべきものなり。されば聖人のおほせには、たゞ平生にをいて一念帰命の真実信心を獲得せしめたる身のうへにをひてこそ、仏恩報尽の道理はこれあるべしとのたまへり。これによりてこの一七ケ日の報恩講のみぎりにをひて、未安心の行者はすみやかに真実信心を決定せしめて、一向専修の念仏行者とならんひとはまことにもて今月聖人の御正忌の報恩謝徳の肝要たるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
しかるあひだこの一七ケ日報恩講中にをひて、近国近郷の門葉のともがら群集していく千万といふかずなし。これしかしながら宿善のもよほすいはれ歟ともおぼへはんべりしなかにも、この一乱中にをひて御影堂いまだたゝざるところに、不思議に時剋到来して当年中にをひて建立成就せしむる条、一宗の大慶、門徒の面々喜悦のまゆをひらく歟のあひだ、来集の門下の心中もげにもとおもひしられたり。しかれば一七日の勤行のあひだ、ことゆへなく結願成就しをはりぬ。さればいつの御年忌よりもことあたらしく殊勝にこそおぼへはんべりしなり。さるほどに報恩講已後は諸門下中もひまのあきたる心中ともとみえたり。しかれば愚老もよろづにこゝろやすく本望をとげて、満足なにごとかこれにしかんや。しかるあひだ兔角すればいよいよ寒天もいとゞはげしさまさりければ、老体の身なれば連日の造作中の窮崛にをかされて、手足も合期ならざるあひだ、爈辺にありてつくづく思様は、さてもすぎにし春夏秋をもなにとくらしけるぞと、老のねぶりのあ ひだにもやゝもすればおもひいでにけり。かくてすぎゆくほどに、今年といふもいくほどもなく、十二月仲旬ごろになりぬれば、年内もはや年暮がたになりぬべきあひだ、つらつら愚老が心中におもふやう、当年造作中の辛労をいたし、すでにはや御影堂建立すといへども、なをこともつきせず。あはれとてものことならば、予が生存のうちに阿弥陀堂一宇をせめてかたのごとく柱立ばかりなりとも建立せばやとおもふなり。そのゆへはいかんといふに、そもそも当寺のことはかたじけなくも亀山院・伏見院両御代より勅願所の宣をかうぶりて他にことなる在所なり。しかるあひだ本堂とてそのかたちなければ所詮なし。このゆへにしきりに建立のこゝろざしふかくもよほすところなり。よてまづ和州吉野郡にひとをくだし、大柱を廿余本あつらへをきはんべりぬ。さるほどに年もあけぬれば文明十三年正月中の十日になりぬれば、已前あつらへをきしその柱をすでにになひもちきたれるあひだ、まづ寝殿の大門の道具さひはいに用意せしむるほどに、これを当月廿二日に柱立をさせてかりぶきやねをこしらへて、しかふしてのち二月四日より阿弥陀堂のことはじめをさせて、すなはち柱どもをつくらせ、そのまゝうちつゞき林木を料簡して作事するほどに、なにとなく法力の不思議によりて、四月廿八日にはすでに棟あげをくはだて、大工番匠方の祝言ことをはりぬ。かくて日をへるまゝに春夏のあひだは日ながくして作事するあひだ、ほどなく大概に出来せり。しかるあひだ六月八日にはまづかり仏檀をこしらへて、本尊をすえたてまつりけり。いまははや日ごろの愚老本望たちまちに満足す。さるほどに前住廿五年の遠忌にあひあたるあひだ、このいとなみなさんとおもふなり。これによりて一七日念仏懃行をはじめければ、遠国・近国門徒中面々あゆみをはこびこゝろざしをいた して群集し、念仏の助音にこゝろをかけ、あるひは一日あるひは二日なんど逗留しはんべりき。かくてことゆへなく結願成就しをはりぬ。しかるあひだ愚老本望かたがたもて周備満足なにごとかこれにしかんや。つらつらことの次第を案ずるに、当年前住廿五年にあひあたりて阿弥陀堂かたのごとく建立せしむること、真実真実、報恩謝徳の懇念も冥慮にあひかなふかともおもひ、また愚老が連年のこゝろざしもたちまちに融通しけるゆへかともおもひあへり。かたがたもて仏法の威力、一身の宿縁のいたり不可思議なり。これしかしながらまことにもて仏願難思の強縁、希有最勝の直道にまふあへる徳なり。
文明十三年

(一二四)

夫於当流の念仏行者、まづ弥陀如来他力本願の趣を令存知、真実信心を発起せしむべし。それにつゐて第十八の願意をよくよく分別せよ。そのこゝろいかんといふに、阿弥陀仏、法蔵比丘のむかしちかひたまひしは、十方衆生にわが願行をあたへて、この功徳力をもて往生をとげさしめんに、もしわれ成仏せずは弥陀も正覚をなりたまふべからずといふ大願をおこしたまふに、その願すでに成就して阿弥陀仏となりたまへり。されば衆生にかはりて願と行とを成就して、我等が往生をすでにしたゝめましましけり。これによりて十方衆生は仏体より願行を円満するがゆへに、衆生の往生成就するすがたを、機法一体の南无阿弥陀仏とは正覚を成じたまふなりとこゝろうべきなり。かるがゆへに仏の 正覚の外は衆生の往生はなきなり。十方衆生の往生成就する時、弥陀も正覚をなりたまへるがゆへに、仏の正覚なりしと我等が往生の成就せしとは同時なり。されば他力の願行をば、弥陀のはげみて功を无善の凡夫にあたへて、謗法・闡提の機、法滅百歳の機まで成ずといふ不可思議の功徳なり。このゆへに凡夫は他力の信心を獲得することかたし。しかるに自力の成じがたきことをきくとき、他力の易行なることもしられ、聖道の難行なるをきくとき浄土の修しやすきこともしらるゝなり。依之仏智のかたよりなにのわづらひもなく成就したまへる往生を、われら煩悩にくるはされてむなしく流転して、不可思議の仏智を信受せざるなり。されば此上には一向に本願のたふときことをふかくおもひて、仏恩報尽のためには行住座臥をいはず称名すべきなり。また法蔵菩薩の五劫兆載の願行は、凡夫のためにとてこそ願行をば成就したまへ。されば阿弥陀仏の衆生のための願行を成就せしいはれを、すなはち三心とも三信とも信心ともいふなり。これによりて阿弥陀仏は此の願行を名に成ぜしゆへに、口業にこれをあらはせば南无阿弥陀仏といふなり。故に領解の心も凡夫の機にはとゞまらず、領解すればやがて仏願の体にかへるなり。又仏恩報尽のためにとなふる念仏も弘願の体にかへる故に、浄土の法門は第十八の願をよくよくこゝろうるほかにはなきなり。第十八の願をこゝろうるといふは名号をこゝろうるなり。又念仏といふ名をきかばわが往生は治定とおもふべし。十方の衆生往生成就せずは正覚とらじとちかひたまへる法蔵菩薩の正覚の果名なるが故にとおもふべし。又弥陀仏の形像をみたてまつらば、はやわが往生は決定とおもふべし。又極楽といふ名をきかば法蔵比丘の成就したまへるゆへに、我等がごとくなる愚痴悪見の凡夫のための楽のきはまりなるがゆへに極楽といふなり。さればひ しとわれらが往生を決定せしすがたを南无阿弥陀仏とはいひけるといふ信心おこりぬれば、仏体すなはちわれらが往生の行なり。こゝをこゝろうるを第十八の願をおもひわくとはいふなり。まことに往生せんとおもはゞ、衆生こそ願をも行をもはげむべきに、願行は菩薩のところにはげみて感果は我等がところに成ず。これすなはち世間・出世の因果の道理に超異せり。このゆへに善導はこれを別異超世の願とほめたまへり。念仏といふはかならずしもくちに南无阿弥陀仏ととなふるのみにあらず、阿弥陀仏の功徳を我等が南无の機において十劫正覚の刹那より成じいりたまひけるものをといふ信心のおこるを念仏といふなり。さて此領解をことはりあらはせば、南无阿弥陀仏といふにてあるなり。この仏心は大慈悲を本とするがゆへに、愚痴悪見の衆生をたすけたまふをさきとするゆへに、名体不二の正覚をとなへましますゆへに、仏体も名におもむき名に体の功徳を具足するゆへに、なにとはかばかしくしらねども往生するなり。このゆへに仏の正覚の外に衆生の往生もなく、願も行もみな仏体より成じたまへりとしりきくを念仏の衆生といひ、この信心をことばにあらはるゝを南無阿弥陀仏といふなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明十三 十一月十四日

(一二五)

抑今月廿八日は開山聖人遷化之御正忌として、往古より毎年をいはず、此一七ケ日之念仏勤行その退転なく、報恩謝徳之忠勤をぬきいづるところなり。而る間来集之門葉之類の身上に於て報恩謝徳之懇志をはこぶとい へども、一念他力の真実信心を心底にをさめざらん輩にをいては、いかなる大義をつくして報恩謝徳をいたすといふとも、其志祖師聖人之御素意にも相叶がたき者也。此道理を能々分別して、報謝の志をば各々いたすべし。たゞ人まねばかりにして、名門のこゝろをかまへて、そこばくの大義をおこし、はるばるの遠路をしのぎ、此寒天に上洛をいたすといふとも、誠以「水入て垢をちず」といへる理にあたりて、以て外徒事なり。しかりといへどもたとひ今日までも其こゝろわろくして未安心之人ならば、則ち当座にをいてその不審をいたし、その真実の信心をとらんとおもふべし。たゞ座帯にあつまりて、无言之体にて悪心をも改悔廻心せずして居たらん輩は、まことにあさましき次第なり。此趣を分別して他力金剛の真実信心を獲得せんと思はゞ、誠以今月聖人の報恩謝徳にもあひかなふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明十三年十一月廿四日
このこと葉 かきをく筆の 跡をみて
法のこゝろの ありもとぞせよ

(一二六)

帖内四の五

夫中古已来当時に至るまでも、当流の勧化をいたすその人数の中にをひて、更に宿善の有无といふ事をしらずして勧化をなすなり。所詮自今已後にをひては、このいはれを存知せしめて、たとひ聖教をもよみ又暫時に法門をいはん時も、このこゝろを覚悟して一流の法義をば讚嘆し、あるひは又仏法聴聞のためにとて人数おほくあつまりたらん時も、この人数のなかにをひて、もし无宿善の機やあるらんと思て、一流真実の法義を沙汰すべからざるところに、近代人々の勧化する体たらくをみをよぶに、この覚悟はなく、たゞいづれの機なりともよく勧化せば、などか当流の安心にもとづかざらんやうにおもひはんべりき。これあやまりとしる べし。かくのごときの次第をねんごろに存知して、当流の勧化をばいたすべきものなり。中古此比にいたるまで、更にそのこゝろをえてうつくしく勧化する人なし。これらのをもむきをよくよく覚悟して、かたのごとくの勧化をばいたすべきものなり。
抑今月廿八日は毎年の儀として、懈怠なく開山聖人の報恩謝徳のために念仏勤行をいたさんと擬する人数これおほし。誠にもて流をくんで本源をたづぬる道理を存知せるがゆへなり。ひとへにこれ聖人の勧化のあまねきがいたすところなり。しかるあひだ近年事のほか当流に讚嘆せざるひが法門をたてゝ、諸人をまどはしめて、或はそのところの地頭・領主にもとがめられ、我身も悪見に住して当流の真実なる安心のかたもたゞしからざるやうにみをよべり。あさましき次第にあらずや、かなしむべし、をそるべし。所詮今月報恩講七昼夜の内にをひて、各々に改悔の心ををこして、我身のあやまれるところの心中を心底にのこさずして、当寺の御影前にをひて、廻心懴悔して諸人の耳にきかしむるやうに毎日毎夜にかたるべし。これすなはち「謗法闡提廻心皆往」(法事讚*巻上)の御釈にもあひかなひ、又「自信教人信」(礼讚)の義にも相応すべきものなり。しからばまことにこゝろあらん人々は、この廻心懺悔をきゝてもげにもと思て、おなじく日ごろの悪心をひるがへして善心になりかへる人もあるべし。これぞまことに今月聖人の御忌の本懐にあひかなふべし。これすなはち報恩謝徳の懇志たるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明十四年十一月廿一日

(帖内四-五)

(一二七)

文明十四年[壬寅]の春くれば正月十五日といふもほどなくうちすぎぬ。しかるあひだ予年齢つもりて当年は六十八歳にをよびはんべりぬ。さるほどに心中におもふやう、御影堂大門の材木さひはいに用意してこれをうちつみをくあひだ、正月十七日より番匠がたのことはじめをさせて作事せしむるあひだ、おなじき廿八日にはすでに大門の柱立せり。それより相続して作事せしむるあひだ、ほどなく出来せり。しかうしてのち阿弥陀堂の橋隠も柱を用意してこれををく、また阿弥陀堂の四方の柱もさひはいにかねてよりつくりをくあひだ、おなじくこれも立をはりぬ。かくのごとくうちすぎゆくほどに大門の地形をひきたへらげて、総じて四壁のうち東西南北の地形も不同なるあひだ、雨ふるときは水も順流にはながれざるあひだ、諸方の不浄の悪水どもながれゆくべきかたなきあひだ、坊のまへにとゞこほるあひだ、そのしたゞりをとらんがために小堀を南北にほらせて、不浄の悪水をながしをはりぬ。その堀のはたに松うへならべ、すなはち門のまへには橋を両所にかけぬ。しかうしてのちは愚老が冬のたき火どころとおもひて、四間の小棟づくりのありけるを、四月七日のころよりつくりなをしをはりぬ。そのゝちはつねの屋、あまりにのきひきくをかしげなるあひだ、さんぬる冬のころより吉野柱をあつらへをくあひだ、これの作事をはじむるほどに、四月廿二日にははや柱立せるあひだ、ほどなく出来して、もとの戸障子をそのまゝ立合せけるほどに、おなじき晦日には大概出来せるあひだ、そのまゝ作事をば停止せしめをはりぬ。そのゝち五月六日よりいまだ造作もとゝのほらざるあひだ、またはじめて作事するほどに、ことごとく出来せり。またあまりに寝殿の天井どもい まだこれなきあひだ、おもひたちはらせをはりぬ。しかうしてのち阿弥陀堂の仏檀いまだこれをつくらざるあひだ、おなじくこれをくはだてつくりければ、いくほどなくして出来せり。すなはちまづ本尊を六月十五日にはすえたてまつりけり。かくて月日ををくるところに、あまりに白造の仏檀なればみぐるしきとまうしけるほどに、漸々に諸方へ漆をあつらへをき、すでに潤七月二日より奈良塗師をやとひ、これをぬらしむるほどに、九月廿日ごろに出来せり。そのゝちやがて絵師をよびよせ細色をさせ、また杉障子に蓮をかゝせ、おなじく仏檀のうしろ障子にも蓮をかゝせりけり。つぎにはまた正面の唐戸もをらせてたてをはりぬ。しかるあひだ大略阿弥陀堂造作の分は出来せり。これよりのちは上葺のかわらぶきまでなり。さるほどに文明十四年の冬もいくほどなくうちくれぬれば、また文明十五年の春三月もたちて五月中旬ごろになりぬるあひだ、阿弥陀堂の瓦葺いまだ修造なきあひだ、これをくわだてばやとおもひて、やがて河内国古市郡誉田のうち野中の右馬といふ瓦師をたづねよせて、おなじき五月十三日よりはじめて瓦の土のありどころをたづぬるに、西の山といふところにこれあるよしひとかたるあひだ、人足をあつめこれをはこびとり、大葺屋をつくりたて五月中旬ごろより瓦をつくるあひだ、ほどなく出来して、すでに八月廿二日にははやふきたてにけり。しかるあひだ阿弥陀堂の分ははやことごとく修造成就するところなり。
文明十五年八月廿八日


(一二八)

文明拾五年八月廿九日、為湯治摂州有馬郡に下向す。在所は雍州宇治郡山科之内野村之里を早旦に出、勧修寺・おぐるすを打ながめ、石田をとをり、こわ田之地蔵堂を打おがみ、よど船をこぎよせて、うちのり行程に、おりふし河波静にして、伏見山をながめゆく間、広瀬之里にぞ船をよせて其よりあがり、いそぎゆく程に、摂津国上郡御料所之富田と云所に下著す。則此在所に一宿して、あくれば晦日なれば、いそぎ有馬郡湯山へとぞ志す。其道すがらをいへば、中城総持寺と云て、米たけの観音のまします寺を右に見て、其より大田河原之末を渡りゆき、ぬかつかのこしをとをり、福井ガ城を右にみ、同く宿井ガ城も右にみ、則宿井河原をうちすぎて、又池田がたちも右にみていそぎ行程に、石田の茶屋をとをりしかば、是や昔より聞します田之池とかや是也と、うちながめしかば、心ろ一に一首ばかりぞつらねけり。
音に聞 ます田の池を いま見れば
つゝみのかたち それとのみしる
とかやうに思つゞけて行程に、いつのまにかはいな河と云所につきて、是にてすこしやすみ、やがて舞谷と云在所をとをり、いそぐとすれば、はや程もなく大たゞ河原を打すぎて、なま瀬の渡をして、船坂と云所へつきければ、是よりは湯山へ一里とかやきけば、うれしくてあゆみゆく程に、はや湯山もちかくなりて、岩坂にうちかゝり、やがて七坂八たうげをこえすぎて、有馬之こほり湯山之御所坊と云ふ宿へぞ下著し侍べるとて、かくぞつゞけゝり。
岩坂や 七坂八たうげ こえすぎて
ありまの山の 湯にぞつきけり
又云、
さかこえて ゑにし有馬の 湯舟には

けふぞはじめて 入ぞうれしき
と打詠じて、やがて湯つぼに入て、近比の湯也と感ぜざりし人はなし。さて其夜は我も人も、道すがらの山坂をこえしいはれによりて、くたびれて前後不覚にして臥りけり。さる程にあくれば又湯に入て後、余に此宿の前にかけひの水又ほそ谷川之水のおつるおと、事外にかしましきあひだ、其夜之五の時分に加様につゞけゝり。
ふる雨に にたるとおもふ 湯山の
をとかしましき やどの谷川
さる程に今日やあすと思へども、初七日之湯もすぎゆけば、余の徒然さに、古へ此湯山へ入し事を思出すにつきて、口ずさみけり。
年をへて 又ゆの山に 入身こそ
薬師如来に ゑにしふかけれ
老の身の 命いまゝで ありま山
又湯に入らん 事もかたしや
如此日をふる間、去ぬる廿余年になりし時、かま倉谷を久く見ざりしほどに、思立九月四日に一見せしに、あまりに彼在所おもしろかりしまゝに、かへるさにかやうに、
ゆの山を いづるけしきの 道すがら
かまくら谷の をもしろきかな
と思つゞけて、やがて湯に入しかば、其夜はくたびれてみなみなふせりあひけり。又あくれば雨が一日中ふりこめられて、もうもうとしてこそくらしけり。されども五日八日は天気事外よかりしかば、今日は幸に薬師の縁日なればとて、薬師堂へまひり、同く坊へゆき て寺之縁起を所望して聴聞し侍べりぬ。さてあくれば九月九日之櫛句なれば、又薬師堂幷に女体権現へもまひりて、其かへさに菩提院と云寺へゆきて、坊主と雑談しければ、茶なんどをけたみけり。又十一日には同く薬師堂へまひり、寺へゆきて、院主に対面して種々之昔物語のみにてかへりぬ。やがて湯に入、其まゝやすみ侍ぬ。さる程に十三日は二七日に相当るあひだ、上洛之用意のみにて、此間之湯治中之名残さよなんど申合て、明日十三日には早朝に湯山を出ける時に、心の内に加様に案じけり。
日数へて 湯にやしるしの 有馬山
やまひもなをり かへる旅人
と打詠じて、湯山御所坊之宿をたちぬ。さるほどに已前之ごとく七坂八たうげこえすぎて、船坂と云所をとをりければ、四方之山々もはや木ずえの紅葉もところどころは色づきて、谷ごえに見へゆる山、もともおもしろく見へけり。おりふし時雨一とほりふりければ、これよりいそぎまゐ谷と云山家へゆきて一宿して、あくれば同十四日の早朝に米谷をたちて、はるばるとある松原をふみわけ行程に、音にきゝしゐとり野と云所をとをりすぎゆきければ、小屋野々寺も程ちかく見わたせば、つゝみのきわに小屋の池のはたをとをり、打ながめゆくほどに、尼がさきをばとをく右にみおくりてゆくまゝに、つか口と云ふたかき所に輿をたて、遠見しけるほどに、あまりのおもしろさにしばらく休息しけり。それよりしてゆくほどに、さか部若王寺をとをり、天楽づゝみを打ながめゆくほどに、かんざきの渡をして、其舟に屋形舟をこしらへて、数盃の興のみにてあそびしかば、いつとなくくらはしと云所ちかく舟をこぎのぼせつゝ、みぎわをのりてゆくほどに、中島之内賀島と云所へつきて、其れにて一宿して、あくる朝たちて、同島之内三葉と云所へたちよりて、其よ り江口の渡をして、からさきと云所へゆきて、其より舟にのりて出口へつきけり。さるほどに出口に中一日逗留して、同十七日には早朝に出口たちて、からさきの渡をして、かぶり大つかへゆきて、其より船をこしらへてのりてのぼりぬ。船中にて四方之山々を見めぐりて、いひすてなんどにてこぎゆくほどに、伏見ちかくなりぬれば、山科よりむかへとて人数あまた見へければ、ちからづきていそぎ舟をこぎよせ、其よりいそぎ山科の本坊へ上洛し侍りぬ。
文明十五年九月十七日

(一二九)

帖内四の六

抑当月の報恩講者、開山聖人の御遷化の正忌として、例年の旧儀とす。これによりて遠国近国の門徒の彙、この時節にあひあたりて、参詣のこゝろざしをはこび報謝のまことをいたさんと欲す。しかるあひだ毎年七昼夜のあひだにをひて、念仏勤行をこらしはげます。これすなはち真実信心の行者繁昌せしむるゆへなり。まことにもて念仏得堅固の時節到来といひつべきもの歟。このゆへに七ケ日のあひだにをひて参詣をいたすともがらのなかにをひて、まことに人まねばかりに御影前へ出仕をいたすやからこれあるべし。かの仁体にをひて、はやく御影前にひざまづゐて廻心懴悔のこゝろををこして、本願の正意に帰入して、一念発起の真実信心をまふくべきものなり。夫南无阿弥陀仏と者、すなはちこれ念仏行者の安心の体なりとおもふべし。そのゆへは南无といふは帰命なり、即是帰命といふは、我等ごときの无善造悪の凡夫のうへにをひて、阿弥陀仏をたのみたてまつるこゝろなりとしるべし。そのた のむこゝろといふは、即ち是、阿弥陀仏の衆生を八万四千の大光明のなかに摂取して、往還二種の廻向を衆生にあたへましますこゝろなり。されば信心といふも別のこゝろにあらず、みな南无阿弥陀仏のうちにこもりたるものなり。ちかごろは人の別の事のやうにおもへり。これについて諸国にをひて当流門人のなかに、おほく祖師のさだめをかるゝところの聖教の所判になきくせ法門沙汰して法義をみだす条、もてのほかの次第なり。所詮かくのごときのやからにをひては、あひかまへてこの一七ケ日報恩講の中にありて、そのあやまりをひるがへして正義にもとづくべきものなり。
一 仏法を棟梁し、かたのごとく坊主分をもちたらん人の身上にをいて、いさゝかも相承もせざるゑせ法門をもて人にかたり、我物しりとおもはれんためにとて、近代在々所々に繁昌すと[云云]。これ言語道断の次第なり。
一 京都本願寺御影へ参詣まふす身なりといひて、いかなる人中ともいはず、大道・大路にても、又関・渡の船中にても、はゞからず仏法方の事を人に顕露にかたること、おほきなるあやまりなり。
一 人ありていはく、我身はいかなる仏法を信ずるひとぞとあひたづぬる事ありとも、しかと当流の念仏者なりとこたふべからず。たゞなに宗ともなき念仏ばかりはたふとき事と存じたるばかりなるものなりとこたふべし。これすなはち当流聖人のをしへましますところの仏法者とみえざる人のすがたなるべし。さればこれらのをもむきをよくよく存知して、外相にその色をみせざるをもて、当流の正義とおもふべきものなり。これについて両三年のあひだ報恩講中にをひて、衆中としてさだめをくところの義一として違変あるべからず。この衆中にをひて万一相違せしむる子細これあらば、ながき世、開山聖人の御門徒たるべからざるもの なり。あなかしこ、あなかしこ。
文明十五年十一月 日
(帖内四-六)

(一三〇)

報恩講
抑当月廿八日者例年のきうぎのため開山聖人御遷化之正忌たる処なり。依之諸国門下のたぐひ、此時節にあひあたりて、運参詣之志欲致報恩之誠。而間於毎年七日不断念仏之勤行をはげまさんと凝す。是則真実信心之行者令繁昌謂歟。誠にもて念仏得堅固之可謂時節到来とも覚侍れ。このゆへに七昼夜勤行之内に令致参詣之輩之中にをひて、誠に人まねばかりに致出仕やからこれあるべし。彼仁にをひては、はやく御影前にありて廻心懺悔して本願の正意に帰して、一念発起の安心のおもむきをあひたづねて、ねんごろに真実信心をまふくべきものなり。夫南无阿弥陀仏といふは、則是念仏行者之安心之体也とみえたり。そのゆへは南无といふは帰命也、帰命と者我等ごときの无善造悪の凡夫のうへにをひて、阿弥陀仏をたのみたてまつるこゝろなり。そのたのむこゝろといふは、すなはちすでに阿弥陀仏の衆生を摂取して往還二種の廻向を衆生にあたへましますこゝろなり。しかれば此比諸国にをひて当流門人の中に、おほく祖師の定めおかるゝ聖教之所判になきくせ法門をたてゝ、当流之法義をみだすこと以外の次第也。所詮此一七ケ日報恩講の中にをひて、はやくそのあやまりをひるがへして正義にもとづくべきものなり。
一 仏法を棟梁し、如形坊主分をもちたらん人の身の うへにをひて、いさゝかも相承せざるしらぬ法門をときて人にかたり、我れものしりとおもはれんとて、えせ法門をもて人を勧化すること、近代以外在々所々に繁昌すと[云々]。これ言語道断之次第也。
一 京都本願寺御影前へ参詣申す身なりと云て、いかなる人の中ともいはず、大道・大路にても、又関・渡の船中にても、はゞからず仏法方のことを人に顕露に沙汰すること、大なるあやまりなり。
一 人ありていはく、我身はいかなる仏法を信ずる人ぞと相尋ことありとも、しかと当流の念仏申者とはこたふべからず、たゞなに宗ともなきものなり、念仏はたふときことゝ存じたるばかりなるものとこたふべし。是則当流聖人のをしへまします所の仏法者とみえざる人のすがたなり。此等の趣をよくよくこゝろゑて、外相にその色をみせざるをもて、当流の正義とおもふべきものなり。就之此両三年報恩講中にをひて、衆中として定置ところの義一として違変あるべからず。此衆中にをひて万一相違之子細在之、ながき世までも開山聖人の不可為御門徒者、堅為衆中当年之報恩講中にをひてその成敗をいたすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明十五年十一月廿二日

(一三一)

抑此去九月昼之比より予が申せし事は、春夏之間は人之心も万づにまぎれて情もおさまらざる程に、秋冬は夜もながく時分もよければ、仏法之物語不審なんどもあらん人々に於ては法義をも讚嘆し、一端いひきかせ、又たづねん事をもこたへんと思ふ志のあるによりて、此座敷に当年は一縁に居住すといへども、更に老若ともに無言のみにて、さてはつる体なれば、堪忍せしめたる其所詮一もなし。さるほどに九月比より極月のすえつかたになりゆく間、すでにはや年も暮なんとす。 仍愚老は年齢つもりて六十九歳ぞかし。今四、五日きたらば、すでに七旬にきはまりぬべし。又来年之此比までも存命せん事不定なるべし。返々口惜き次第どもなり。誰ありてさしたる法義を不審せしめたる人つゐに一度もこれなき間、本意の外に思へども、於于今後悔さきにたゝざる次第也。面々各々にせめて其心中一もあるべからず、たゞ天楽ばかりあれば、其を食せんとおもふ心中ばかりの人也。所詮天楽を興行する事も、あながちに食せんための其志ばかりにてはなき也。就之人々の仏法心もつきやせんと思ふばかりの事にこそ帳行はする也。さればたまたまも一帖之聖教をもこれをよみぬれば、人々みな目をふさぎてきく由之体たらくは、さながら座頭房にことならず。あさましあさまし。又千に一も物をきける輩は仏法之底をばしらず、一端之義をきゝてこれをもて人にかたりて我名望と思へる事、近代以外之繁昌也。さるほどに今日此比は年も暮れなんとすれば、正月にもなりなば、げにも祝言已下人々の出入につけ隙もいり、又人間之すまゐなれば意はとけねども、世間につけ王法につけ遊げなんどもありぬべし。このゆへに愚老が兼より申す事これぞかし。秋冬ならでは仏法之物語は心のとまらぬ由、人々にも申しつる也。相構相構、又くる年々も其覚悟をなすべき事也。すでにはや今四、五日もすぎなば人々の心もいそがはしく、遊覧之体になりぬべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。
文明十五年十二月廿五日
文明十五年十二月廿五日申剋俄書之


(一三二)

帖内四の七

抑今月報恩講事、例年の旧義として七日の勤行をいたすところ、いまにその退転なし。しかるあひだこの時節にあひあたりて、諸国門葉のたぐひ、報恩謝徳の懇志をはこび称名念仏の本行をつくす。まことにこれ専修専念決定往生の徳なり。このゆへに諸国参詣のともがらにをいて、一味の安心に住する人まれなるべしとみえたり。そのゆへは真実に仏法に志はなくしてたゞ人まねばかり、あるひは仁義までの風情ならば、誠にもてなげかしき次第なり。そのいはれいかんといふに、未安心のともがらは不審の次第をも沙汰せざるときは、不信のいたりともおぼへはんべれ。さればはるばると万里の遠路をしのぎ、又莫太の苦労をいたして上洛せしむるところ、さらにもてその所詮なし。かなしむべし、かなしむべし。たゞし不宿善の機ならば无用といひつべきもの歟。
一 近年は仏法繁昌ともみえたれども、まことにもて坊主分の人にかぎりて、信心のすがた一向无沙汰なりときこえたり。もてのほかなげかしき次第なり。
一 すゑずゑの門下のたぐひは、他力の信心のとをり聴聞のともがらこれおほきところに、坊主よりこれを腹立せしむるよしきこへはんべり。言語道断の次第なり。
一 田舎より参詣の面々の身上にをいてこゝろうべき旨あり。そのゆへは他人の中ともいはず、又大道・路次なんどにても、関屋・船中をもはゞからず、仏法方の讚嘆をすること勿体なき次第なり。堅停止すべきなり。
一 当流の念仏者を、或は人ありて、なに宗ぞと相たづぬる事たとひありとも、しかと当宗念仏者と答ふべからず。たゞなに宗ともなき念仏者なりとこたふべし。これすなはち我聖人のおほせをかるゝところの、仏法 者気色みえぬふるまひなるべし。このをもむきをよくよく存知して、外相にその色をはたらくべからず。まことにこれ当流の念仏者のふるまひの正義たるべきものなり。
一 仏法の由来を、障子・かきごしに聴聞して、内心にさぞとたとひ領解すといふとも、かさねて人にそのをもむきをよくよくあひたづねて、信心のかたをば治定すべし。そのまゝ我心にまかせば、かならずかならずあやまりなるべし。ちかごろこれらの子細当時さかんなりと[云云]。
一 信心をえたるとをりをば、いくたびもいくたびも人にたづねて他力の安心をば治定すべし。一往聴聞してはかならずあやまりあるべきなり。
右此六ケ条のをもむきよくよく存知すべきものなり。近年仏法は人みな聴聞すとはいへども、一往の義をきゝて、真実に信心決定の人これなきあひだ安心もうとうとしきがゆへなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明十六年十一月廿一日
(帖内四-七)

(一三三)

抑雍州宇治郡山科郷之内野村者、往古より無双の勝境なり。されば山ふかく地しづかにして更にわづらはしき事なく、里とをく道さかりてかまびすしきなし。
このゆへに一宇之坊舎を建立してすでに当時は七年におよび侍べりき。仏法も大概ははやあらはれぬるかともおぼしき。依之愚老暮齢つもりて七旬にみてり。余命といはんも不幾年緒なり。すでに年内もはや廿日ばかりの日数なればかやうにつゞけ侍べり。

七十に はやみつしほの すゑの松
老のとしなみ 又やこえなむ
[御筆もて御うつし候御本にて又うつし申候也。正本は打越祐玄に御座候也。]

(一三四)

帖内四の八

抑今月廿八日之報恩講者、従昔年為流例。因茲近国遠国之門葉、運報恩謝徳之懇志処也。二六時中之称名念仏、今古无退転。是則開山聖人之法流、一天四海之勧化所致无比類也。此故相当七昼夜之時節、於不法不信之根機、往生浄土之信心可令獲得者也。是併今月聖人之御正忌之可為報恩。於不然輩者、似无報恩謝徳之志者歟。依之此比号真宗の念仏者中、誠自心底当流之安心无決定間、或名聞、或人並に致報謝由之風情在之。以外不可然次第也。其故者既凌万里之遠路致莫太之辛労上洛之輩、徒住名聞人並之心中事非口惜次第哉、頗可謂不足之所存。但至无宿善之機者不及力。雖然致无二之懴悔、趣一心之正念、争聖人之不達御本意哉。
一 諸国参詣之輩の中にをいて、在所をきらはず、何なる大道・大路、又関屋・渡之船中にても、更无其憚仏法方之次第を顕露人にかたる事、不可然事。
一 在々所々にをいて、当流に更に沙汰せざるめづらしき法門を讚嘆し、をなじく宗義になき面白き名目なんどをつかふ人これおほし。以外の僻案なり。自今已後、堅可停止者也。
一 此七ケ日報恩講中にをいては、一人ものこらず信心未定の輩は、心中をはゞからず改悔懴悔の心ををこして、真実信心を獲得すべきものなり。
一 本より我安心のおもむきいまだ決定せしむる分もなきあひだ、其の不審をいたすべきところに、心中につゝみてありのまゝにかたらざる類あるべし。これを せめあひたづぬるところに、ありのまゝに心中をかたらずして、当場をいひぬけんとする人のみなり、无勿体次第なり。心中をのこさずかたりて、真実信心にもとづくべきものなり。
一 近年仏法之棟梁たる坊主達、我信心はきはめて不足にて、結句門徒・同朋は信心は決定するあひだ、坊主の信心不足の由を申せば以外令腹立条、言語道断の次第なり。已後にをいては師弟ともに可住一味之安心事。
一 坊主分之人、近比は事外重坏之由、有其聞。言語道断不可然次第なり。あながちに酒をのむ人を停止せよといふにはあらず。仏法につけ門徒につけ、重坏なればかならずやゝもすれば酔狂のみ令出来あひだ、不可然。さあらんときは坊主分は停止せられても、誠に興隆仏法とも可謂歟。不然者一盞にても可然歟。これも仏法に志のうすきによりての事なれば、是をとゞまらざるも道理歟。ふかく思案あるべきものなり。
一 信心決定の人も、細々に同行に会合之時は、相互に信心の沙汰あらば、これすなはち真宗繁昌之根源也。
一 当流の信心決定すといふ体は、すなはち南无阿弥陀仏の六字のすがたとこゝろうべきなり。既善導釈して云、「言南无者即是帰命亦是発願廻向之義言阿弥陀仏者即是其行」(玄義分)といへり。南无と衆生が弥陀に帰命すれば、阿弥陀仏のその衆生をよくしろしめして、万善万行恒沙の功徳をさづけたまふなり。このこゝろすなはち「阿弥陀仏即是其行」といふこゝろなり。このゆへに南无と帰命する機と阿弥陀仏のたすけまします 法とが一体なるところをさして、機法一体の南无阿弥陀仏とは申すなり。故に阿弥陀仏之昔法蔵比丘たりしとき、衆生仏にならずは我も正覚ならじとちかひましますとき、その正覚すでに成じたまひしすがたこそ、いまの南无阿弥陀仏なりとこゝろうべし。これすなはちわれらが往生のさだまりたる証拠なり。されば他力の信心獲得すといふも、たゞこの六字のこゝろなりと落居すべきものなり。
抑この八ケ条之趣如此。然間当寺建立は既に九ケ年にをよべり。毎年之報恩講中にをひて、面々各々に随分信心決定のよし領納ありといへども、昨日今日までも、その信心のおもむき不同なるあひだ、所詮なきもの歟。雖然当年之報恩講中にかぎりて、不信心のともがら、今月報恩講の中に早速に真実信心を獲得なくは、年々を経といふとも同篇たるべき様にみえたり。しかるあひだ愚老が年齢既に七旬にあまりて、来年之報恩講をも期しがたき身なるあひだ、各々に真実に決定信をえしめん人あらば、一は聖人今月の報謝のため、一は愚老がこの七、八ケ年之あひだの本懐ともおもひはんべるべきものなり。穴賢、穴賢。
文明十七年十一月廿三日
(帖内四-八)

(一三五)

帖内四の八

そもそも今月廿八日の報恩講は昔年よりの流例たり。これによりて近国遠国の門葉、報恩謝徳の懇志をはこぶところなり。二六時中の称名念仏、今古退転なし。これすなはち開山聖人の法流、一天四海の勧化比類なきがいたすところなり。このゆへに七昼夜の時節にあひあたり、不法不信の根機にをいては、往生浄土の信心獲得せしむべきものなり。これしかしながら今月聖人の御正忌の報恩たるべし。しからざらんともがらにをいては、報恩謝徳のこゝろざしな きににたるもの歟。これによりてこのごろ真宗念仏者と号するなかに、まことに心底より当流の安心決定なきあひだ、あるひは名聞、あるひはひとなみに報謝をいたすよしの風情これあり。もてのほかしかるべからざる次第なり。そのゆへはすでに万里の遠路をしのぎ莫太の辛労をいたして上洛のともがら、いたづらに名聞ひとなみの心中に住すること口をしき次第にあらずや、すこぶる不足の所存といひつべし。たゞし无宿善の機にいたりてはちからをよばず。しかりといへども无二の懴悔をいたし、一心の正念にをもむかば、いかでか聖人の御本意に達せざらんものをや。
一 諸国参詣のともがらのなかにをいて、在所をきらはず、いかなる大道・大路、また関屋・わたりの船中にても、さらにそのはゞかりなく仏法がたの次第を顕露にひとにかたること、しかるべからざること。
一 在々所々にをいて、当流にさらに沙汰せざるめづらしき法門を讚嘆し、おなじく宗義になきおもしろき名目なんどをつかふひとこれおほし。もてのほかの僻案なり。自今已後かたく停止すべきものなり。
一 この七ケ日報恩講中にをいては、一人ものこらず信心未定のともがらは、心中をはゞからず改悔懴悔の心ををこして、真実信心を獲得すべきものなり。
一 もとよりわが安心のをもむきいまだ決定せしむる分もなきあひだ、その不審をいたすべきところに、心中につゝみてありのまゝにかたらざるたぐひあるべし。これをせめあひたづぬるところに、ありのまゝに心中をかたらずして、当場をいひぬけんとするひとのみなり、勿体なき次第なり。心中をのこさずかたりて、 真実信心にもとづくべきものなり。
一 近年仏法の棟梁たる坊主達、わが信心はきはめて不足にて、結句門徒・同朋は信心は決定するあひだ、坊主の信心不足のよしをまふせばもてのほか腹立せしむる条、言語道断の次第なり。已後にをいては師弟ともに一味の安心に住すべきこと。
一 坊主分のひと、ちかごろはことのほか重坏のよし、そのきこへあり。言語道断しかるべからざる次第なり。あながちに酒をのむひとを停止せよといふにはあらず。仏法につけ門徒につけ、重坏なればかならずやゝもすれば酔狂のみ出来せしむるあひだ、しかるべからず。さあらんときは坊主分は停止せられても、まことに興隆仏法ともいひつべき歟。しからずは一盞にてもしかるべき歟。これも仏法にこゝろざしのうすきによりてのことなれば、これをとゞまらざるも道理か。ふかく思案あるべきものなり。
一 信心決定のひとも、細々に同行に会合のときは、あひたがひに信心の沙汰あらば、これすなはち真宗繁昌の根元なり。
一 当流の信心決定すといふ体は、すなはち南无阿弥陀仏の六字のすがたとこゝろうべきなり。すでに善導釈していはく、「言南无者即是帰命亦是発願廻向之義言阿弥陀仏者即是其行」(玄義分)といへり。南无と衆生が弥陀に帰命すれば、阿弥陀仏のその衆生をよくしろしめして、万善万行恒沙の功徳をさづけたまふなり。このこゝろすなはち「阿弥陀仏即是其行」といふこゝろなり。このゆへに南无と帰命する機と阿弥陀仏のたすけまします法とが一体なるところをさして、機法一体の南无阿弥陀仏とはまふすなり。かるがゆへに阿弥陀仏のむかし法蔵比丘たりしとき、衆生仏にならずはわれも正覚ならじとちかひましますとき、その正覚すでに成じたまひしすがたこそ、いまの南 无阿弥陀仏なりとこゝろうべし。これすなはちわれらが往生のさだまりたる証拠なり。されば他力の信心獲得すといふも、たゞこの六字のこゝろなりと落居すべきものなり。
そもそもこの八ケ条のをもむきかくのごとし。しかるあひだ当寺建立はすでに九ケ年にをよべり。毎年の報恩講中にをいて、面々各々に随分信心決定のよし領納ありといへども、昨日今日までも、その信心のをもむき不同なるあひだ、所詮なきもの歟。しかりといへども当年の報恩講中にかぎりて、不信心のともがら、今月報恩講のうちに早速に真実信心を獲得なくは、年々を経といふとも同篇たるべきやうにみえたり。しかるあひだ愚老が年齢すでに七旬にあまりて、来年の報恩講をも期しがたき身なるあひだ、各々に真実に決定信をえしめんひとあらば、一は聖人今月の報謝のため、一は愚老この七、八ケ年のあひだの本懐ともおもひはんべるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明十七年十一月廿三日
(帖内四-八)

(一三六)

抑今月廿八日報恩講者往年の流例として昼夜の勤行をいたす。これによりて近国遠邦の門徒のたぐひ報恩謝徳の懇志をはこび、二六時中の称名念仏今古退転なし。これすなはち開山聖人の法流一天四海の勧化比類なきがいたすところなり。このゆへに七昼夜の時節にあひあたりて、不法不信の根機は往生浄土の信心獲得せしむべきものなり。これしかしながら今月聖人御正忌の 報謝たるべきものなり。しからざらんともがらにをいては、報恩謝徳のこゝろざしなきににたるもの歟。これによりてこのごろ当流念仏者と号するなかにをいて、まことに心底より当流安心決定せしむる分なきあひだ、あるひは名聞あるひは人並に報謝をいたす風情これあり、もてのほかしかるべからざる次第なり。そのゆへはすでに万里の遠路をしのぎ山川の足行をいたし上洛のともがら、いたづらに名聞・人並の心中に住せんことくちおしき次第にあらずや。すこぶる不足の所存といひつべきもの歟。たゞし无宿善の機にいたりてはちからをよばず。しかりといへども无二の悔心をいたし、一心の正念に住せば、いかでか聖人の御意に達せざらんものをや。
一 諸国参勤のともがらのなかにをいて、在所をきらはず、いかなる大道・大路、又関屋・渡の船中ともはゞからず、当流のたゝずまゐを顕露に人にかたることかたがたもてしかるべからざる事。
一 在々所々にをいて、当流にさらに沙汰せざるめづらしき法門をいひ、聖教を讚嘆し、おなじく宗体になきおもしろき名目なんどをつかふ人これおほし。もてのほかの僻案なり。自今已後かたく停止すべきものなり。
一 此七ケ日報恩講中にあらんともがらは、一人ものこらず信心未定の人は心中をはゞからず改悔懺悔の心ををこして、真実の信心を獲得して国々へ下向すべきものなり。
一 本来我信心はうすくして決定せしむる分もなき人は、その不審をいたすべきところに、心中につゝみてありのまゝにかたらざる類あるべし。この人をせめあひたづぬるところに、ありのまゝに心中をかたらずして、当場をいひぬけんとする人のみこれおほし。勿体なき次第なり。あひかまへてあひかまへて心中をのこ さず懺悔して、真実の信心を決定して、おなじく国へくだるべきものなり。
一 近年仏法の棟梁たる坊主達、我信心はきはめて不足にて、結句門徒・同朋は信心の一すぢを存知せしむるあひだ、坊主の信心不足のよしをまふすところに、もてのほか腹立せしむる事これおほし。言語道断勿体なき次第なり。自今已後、師弟ともに一味の安心に住すべき事。
一 坊主分の人、近比はことのほか重坏のよしそのきこへあり。しかるべからざる次第なり。そのゆへは仏法・世法について、重坏のときはかならずやゝもすれば門徒に対しても酔狂のみにて、不思議なる次第も出来せしむるあひだ、かたがたもてしかるべからず。所詮酒をのみても子細なき人はしかなり、酔狂ごゝろのあらん坊主は停止せしめられば、まことにもて仏法興隆ともいひつべきもの歟。ふかく思案あるべきものなり。
一 当流の信心のをもむきは『安心決定鈔』をよくよく披見すべし。
抑信心といふ体はすなはち南无阿弥陀仏の六字のすがたなりとこゝろうべし。そのゆへは善導和尚釈云、「言南无者即是帰命亦是発願廻向之義言阿弥陀仏者即是其行」(玄義分)といへり。こゝろは南无と帰命すれば阿弥陀仏のその衆生をよくしろしめして、万善万行恒沙の功徳を衆生にあたへましまして、遍照の光明をはなちててらしたまふゆへに、无明業障のおそろしきつみもきえて、他力の信心をさづけたまふあひだ、衆生の信ずる機と阿弥陀仏の法とひとつになるところを機法 一体とはいふなり。この機法一体といふはすなはち南无阿弥陀仏なり。されば往還二種の廻向といふは、この南无阿弥陀仏を信ずるこゝろなり。これによりてわれらが往生のさだまりたる証拠は、たゞ南无阿弥陀仏の六字なりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明十八年十一月廿六日書之

(一三七)

抑能美郡同行中に就仏法四講と云事を始て、当流法義之是非邪正を可讚嘆興行在之由聞候。誠以仏法興隆之根元、往生浄土之支度、殊勝に覚候。就其守護・地頭方え可有慇懃之振舞候。同く寺社・本所之所領押領之儀堅可有成敗候也。
〔四講会合のとき、仏法の信不信の讚嘆のほか、世間の沙汰しかるべからず候。〕
四講之人数余に大勢に候へば不可然、所詮肝要之人数をすぐりて仏法之可有讚嘆候也。
於当流之法義近年之間、事外路次・大道をきらはず、〔あるひはいかなるわたり船中にても人をはゞからず、〕仏法方之次第を無其憚顕露に人にかたる事不可然。
於諸国当流上人定給ふ所の法義之外にめづらしき法門を讚嘆し、同く一流に沙汰なきおもしろき名目をつかふ人多之。或又祖師先徳之作り給ふ外に、めづらしき聖教多之。努力努力此等を不可依用。
当流聖人之一流安心のおもむきといふは、すなはち南無阿弥陀仏之六字之すがたなり。そのゆへは、此六字の名号のこゝろをよくこゝろえわけたるをもて他力の信心を決定すとは申也。このゆへに善導大師此六字名号を釈していはく、
「言南無者即是帰命亦是発願廻向之儀言阿弥陀仏者即是其行以斯義故必得往生」(玄義分)といへり。此文の意は南無といふはすなはちこれ帰命なり、またこれ発願廻 向の義なり。阿弥陀仏といふはすなはちこれその行なり。この儀をもてのゆへにかならず往生することをうるなりといへり。此釈のこゝろはいかんといふに、南無と弥陀に帰命するこゝろは阿弥陀仏たすけたまへと申すこゝろなり、又南無と帰命する衆生に弥陀のもろもろの大功徳をあたへましますこゝろなり。これすなはち弥陀如来の御方より他力の大信心をさづけたまふこゝろなり。されば弥陀を信ずる衆生の機と弥陀のさづけたまふ法とが一体なるところをさして機法一体之正覚成じたまふ南無阿弥陀仏と申す也。このゆへに他力の安心を獲得すといふも、たゞこの南無阿弥陀仏之六字のすがたをねんごろによくこゝろわけたるを安心決定の行者とはいふべきものなり。この外には当流之安心とて別にわづらはしき子細はあるべからず。しかればすなはちたゞ一念之信心決定のうへには仏恩報謝之ために行住座臥をえらばず称名念仏すべし。これすなはち南無阿弥陀仏の体にきはまるなりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明十八年正月四日
能美郡四講中へ

(一三八)

文明十八年三月八日出口より境の浜へ出で、それより七里ばかりある和泉国かいしやう寺といふ所へ、さかひより舟にのりて一宿し、あくれば九日といふに、あさたちて、かい寺といふ池のある宮あり、それを一見しけるに、無是非おもしろさかぎりなし。その池のていを見て、
いづみなる したての池を 見るからに

心すみぬる かい寺の宮
と打ながめゆくほどに、紀伊国長尾といひし所へたちよるべきにてありし程に、そのあたりちかき所に、河なべとかやいひし河水とをくながれければ、それを見てかく思つゞけけり。
河なべの 瀬々の浪もや 水たかく
とをくながれて ながをなりけり
と思つらね侍し。誠心もおかしく思ながらつゞけけり。然間長尾の権守といひし俗人の在所へ立寄やすみて、それより又岩瀬といふ所へ一夜とまりゆきて、あくれば十日なる。いそぎゆく程に、なるかみといふ山をみて、それより田じり浜をとをり、御かぐらたうげへのぼり、それを一見して心にうかむまゝ、
かけて見ん 御かぐら山の たうげ哉
と心のうちにおもひ、又その道すがら装束松とて、松もと四、五本だちにてありけるをみて、
きてみれば 装束松の 御前哉
と思つゞけて、其より歩ゆくまゝに、程なくはやきひゐ寺へまひり、法施礼拝をいたして下向道におもむき、ゆらりゆらりとやすらひゆくほどに、黒石浜と云所へ出にけり。それより舟にのりて清水の浦をながめこぎゆきければ、中々心も詞もおよばれぬおもしろき事きはまりなし。されば余の事にかくぞつらねけり。
音に聞 清水浦に 舟にのり
岩間がくれに 見ゆる島々
と詠じて、しばらく舟の内にてながめければ、やうやう時もうつりぬればとて、それより坂十八町ばかりあがり、藤白たうげへぞのぼり、四方のけしきを見わたせば、心も心ならずをもしろかりければ、心の内にかくぞ思つゞけける。
藤白の 島や小島を ながむれば
たゞ布引の しろきはま松

とかやうにながめ、蹔ありてやすみける程に、日もやうやう西の山葉間ぢかくみえければ、さてしもあるべきならねば、のこりおほく心たらずに思へども、はや清水浦今又かへりくだりける。思外に此所に一宿す。されば其夜又如此つゞけゝり。
此島に 名残をおしみ 又かへり
月もろともに あかす春のよ
さる程に十一日は早旦に清水浦を出ぬれば、名残は猶ある心地にて思つゞけゝる。
わきいづる 清水浦を けさははや
ながめてかへる 跡の恋しさ
といひすてゝ、はるばる見をくり、道すがらも思出にけり。然間やうやういそぐまゝに、音にきくふけゐの浦といふ所につき侍りき。これに一宿して、其夜はいまだ八声の鳥の音もきかぬさきよりねぶりさめて、舟にのるべき心地にてありしほどに、又すてがてらにかやうにぞ。
いづみなる ふけゐ浦の 浪風に
舟こぎいづる 旅のあさだち
とうちながめ、海上はるかにこぎわたり、ほどなくさかひの浜につきにけり。
文明十八 三月十四日記之

(一三九)

それ人間はゆめまぼろしのあひだのすみかなれば、この世界にてはいかなるすまゐをし、いかなるすがたなりとも、後生をこゝろにかけて極楽に往生すべき身となりなば、これまことに大果報のひとなり。それについては、この在所に番衆にさだまること、あながち に世間世上の奉公なんどのやうにおもひては、あさましきことなり。そのゆへはすでに番衆にくわわるによりて、仏法の次第を聴聞するはありがたき宿縁なり、または弥陀如来の御方便かともおもはゞ、まことに今世・後世の勝徳なるべし。ことに人間は老少不定のさかひなれば、ひさしくたもつべきいのちにもあらず。またさかんなるものもかならずおとろうるならひなれば、たゞいそぎ後生のための信心ををこして、阿弥陀仏を一心にたのみたてまつらんにすぎたることはあるべからず。されば弥陀の本願に帰するについて、さらにそのわづらはしきことなし。あるひはまた貧窮なるひとをもえらばず、富貴なるをもえらばず、つみのふかきひとをもきらはざる本願なればなり。これによりて法照禅師の釈にも、「不簡貧窮将富貴」(五会法事*讚巻本)ともいひ、また「不簡破戒罪根深」とも釈せり。この釈文のこゝろは、ひとの貧窮と富貴とをもえらばず、破戒とつみのふかきをもえらばぬ弥陀の本願なれば、わが身にとりてなにのわづらひひとつもなし。たゞ一心にもろもろの雑行のこゝろをなげすてゝ、一向に弥陀如来を信じまいらするこゝろの一念をこるところにて、わが往生極楽は一定なり。このこゝろをもて当宗には一念発起住正定聚ともいひ、また平生業成ともたつるなり。これすなはち他力行者の信心のさだまるひとなり。この信心決定ののちの念仏をば仏恩報謝の称名とならふところなり。あなかしこ、あなかしこ。
延徳二年九月廿五日

(一四〇)

抑当流の名を自他宗共に往古より一向宗と号すること大なる誤りなり。更以開山聖人より仰せ定められたることなし。殊に御作文なんどには真宗とこそ仰せられたり。而るに諸宗之方より一向宗といはんこと不足信 用。あまさえ当流之輩も我と一向宗となのる也。夫一向宗と云は、時衆方之名なり、一遍一向是也。其源は江州ばんばの道場是則一向宗なり。此名をへつらひて如此云一向宗と歟。是言語道断之次第也。既に開山聖人の定めましますところの当流の名は浄土真宗是也。其謂は先づ天下に於浄土宗四ケ流あり。西山・鎮西・九品・長楽是也。此四ケ流には当流は別儀也。法然聖人より直につたへまします宗也。此故に当流をば具に云はん時は浄土真宗と云べし、略していはゞ真宗と云べし。されば『教行証』なんどには、大略真宗とをかれたり。夫浄土真宗とをかるゝことは、浄土宗四ケ流にはあひかはりて真実の道理あるがゆへに、真の字ををかれて浄土真宗と定めたり。所詮自今已後、当流の行者は一向宗とみづからなのらん輩に於ては永不可当流門下者也。
延徳二年

(一四一)

当時このころ、事外に疫癘とて人多く死去す。これ更に疫癘によりてはじめて死するにはあらず。むまれはじまる時よりして定れる定業なり。さのみふかくをどろくまじき事なり。しかれども今の時分にあたりて死去する時は、さもありぬべきやうに人みなおもへり。是誠に道理なり。さるほどに阿弥陀仏のおほせられけるやうは、末代の凡夫罪悪の衆生たらんものは、罪はいかほどふかくとも、我を一心にたのまん衆生をば、かならずすくふべしとのたまへり。かゝる時はいよいよ阿弥陀仏をたふとくおもひ奉りて一すぢに弥陀をふかくたのみ、極楽に往生すべしとおもひとりて、一向 一心に弥陀をたふときほとけなりとうたがふこゝろつゆちりほどもまじきことなり。かやうにこゝろうるすがたすなはち本願たのむ念仏の行者とはいふべきなり。このこゝろえのうへには、ねてもさめても南無阿弥陀仏とまふすは、阿弥陀仏のわれらをやすくたすけまします御ありがたさうれしさの御礼をまふすこゝろのなり。これを仏恩報尽の念仏とはまふすものなり。あなかしこ、あなかしこ。
延徳W壬子R年六月十日

(一四二)

帖内四の九

当時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと死去す。これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。生れはじめしよりしてさだまれる定業なり。さのみふかくおどろくまじきことなり。しかれどもいまの時分にあたりて死去するときは、さもありぬべきやうにみなひとおもへり。これまことに道理ぞかし。このゆへに阿弥陀如来のおほせられけるやうは、末代の凡夫罪業のわれらたらんもの、つみはいかほどふかくとも、われを一心にたのまん衆生をば、かならずすくふべしとおほせられたり。かゝるときはいよいよ阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、極楽に往生すべしとおもひとりて、一向一心に弥陀をたふとき事とうたがふこゝろつゆちりほどももつまじきことなり。かくのごとくこゝろえのうへには、ねてもさめても南无阿弥陀仏南无阿弥陀仏とまうすは、かやうにやすくたすけまします御ありがたさ御うれしさをまうす御礼のこゝろなり。これをすなはち仏恩報謝の念仏とはまうすなり。あなかしこ、あなかしこ。
延徳四年六月 日
(帖内四-九)

(一四三)

南无阿弥陀仏六字不審の事

善導釈云、「南無といふはすなはちこれ帰命、またこれ発願廻向の義なり。阿弥陀仏といふはすなはちこれその行なり。この義をもてのゆへにかならず往生することをうるなり」(玄義分)といへり。このこゝろを案ずるに、まづ南无の二字のこゝろはいかなるこゝろぞといふに、罪業ふかきわれら衆生をたすけ給へと弥陀如来にまふすこゝろなり。されば弥陀のわれら衆生のたのみたてまつる機をよくしろしめして、大善大功徳の法をあたへましますゆへに、このいはれをすなはち発願廻向之義とはまふすなり。このいはれあるがゆへにかならず往生することをうるなり。このゆへに南无阿弥陀仏と申したてまつるものなり。これをすなはち他力の大信心をえたる念仏行者とはいふなり。
これらのおもむきを了珍・浄泉、在京のあひだ不審せらるゝほどに、こゝろにうかむところをかきしるしあたふるものなり。
明応二年八月廿八日俄書之
[以御筆直写申候也。正本は加州小松了珍に御座候也。]

(一四四)

抑今月廿八日者毎年為報恩謝徳如形以諸国門徒之懇志所致一七日昼夜之念仏勤行也。因茲当流に其号を懸たらん行者に於ては、相当此時節報恩をなし謝徳をいたさざらんもの无之哉。まことに開山聖人之御恩徳の広大なる事は蒼瞑三千の海もかへりて浅しと可謂者歟。夫つらつら当流の宗義を案ずるに、鎮西・西山之両流にこえすぐれたり。そのゆへは或は臨終往生を本とし、或は念仏の数篇をもて一二、三五の往生をゆるす家なり。されば此等の宗義にをひ て各別にして、当流聖人の立義はすでに一念発起平生業成の義をたてゝ宗の本意とする条、他流には大にあひかはれるものなり。就之もし我等も宿縁おろそかならば、聖人之この一流にはあひたてまつりがたき者哉。されば万が一も此流にあひまふさずんば、すでに今度の一大事の報土往生はむなしからん事をおもふに、誠になげきてもなをなげくべきもの歟。このゆへに宿善のもよほすところ、悦ても猶悦ぶべきはたゞ此一事なり。依之諸国諸門徒之中に於て、信不信の差別可在之歟の間、所詮信不信の輩はすみやかに悪心をひるがへして、善心をもとめて真実決定の他力信心をまふくべし。もし不然輩はたとひ今月聖人の報恩講御忌にまひりあひたりといふとも、定而聖人の御意にはあひかなひがたき者歟。依之いよいよ不信心の機は金剛堅固の大信心を決定して、此一七ケ日報恩講中にをいて報土往生の信心をよくよく決定せしめてのち、遠国の人も近国の人もをのをの本国へ下向すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明応三年霜月廿一日

(一四五)

ちかごろの事にてやありけん。こゝに越中国赤尾の浄徳といふしものゝをいに、弥七といゝしをとこありけるが、年はいまだ卅にたらざりしものなりけるが、後生を大事と思て、仏法に心をかけたるものなり。然れば此六年のさきより当年まで、毎年に上洛せしめて其内に年をとる事六年なり。かの男のいはく、当流の安心のやう、かたのごとく聴聞仕り候といへども、国へくだりて人をすゝめけるに、さらに人々承引せざるあひだ、一筆安心のをもむきをふみにしるしてたまはるべき由しきりに所望せしめて、田舎へまかりくだりて人々にまふしきかしめんと申すあひだ、これをかきくだすものなり。夫当流の安心と申すはなにのわづらひ もなく、もろもろの雑行をなげすてゝ、一心に弥陀如来後生御たすけ候へとまふさん人々は、たとへば十人も百人も、ことごとく浄土に往生すべき事さらにうたがひあるべからざるものなり。これを当流の安心とは申すなり。このおもむきをとかくさまたげんものはあさましきことなりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明応五年後二月廿八日 (花押)

(一四六)

当流念仏行者の安心決定せしむるすがたをたづぬるに、南无阿弥陀仏の六字のこゝろをよくよくしりたるをもて、安心決定ともまた真実信心の行者ともなづくべきものなり。そのゆへはいかんといふに、たとへば人ありて、われらごときのあさましき一生造悪の罪障の身なれども、阿弥陀仏御たすけさふらへとふかく一念にたのみたてまつらんものをば、かならず十人も百人も、みなことごとく御たすけさふらふべきものなり。これさらにうたがふこゝろあるべからず。かやうにやすくたのむ一念の力にて御たすけさふらふことのたふとさうれしさをおもはゞ、行住座臥に念仏まうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明応五年七月十四日

(一四七)

帖内四の十一

南无阿弥陀仏とまふすはいかなるこゝろにて候や、またなにと弥陀をたのみて報土往生をばとげさふらふべきやらん。これをこゝろうべきやうは、南无阿弥陀仏の六字のすがたをよくよくこゝろゑわけて、弥陀をばたのむべし。そもそも南无阿弥陀仏の体は、すな はちわれら衆生の後生たすけたまへとたのみたてまつるこゝろなり。すなはちたのむ衆生を阿弥陀如来のよくしろしめして、すでに无上大利の功徳をあたへましますなり。これを衆生に廻向したまへるといへるはこのこゝろなり。されば弥陀をたのむ機を阿弥陀仏のたすけたまふ法なるがゆへに、これを機法一体の南无阿弥陀仏といへるはこのこゝろなり。これすなはちわれらが往生のさだまりたる安心決定の行者なりとはおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明応五年八月七日依所望書之W八十二歳御判R
(帖内四-一一)

(一四八)

南无阿弥陀仏と申はいかなる心にて候や。然者何と弥陀をたのみて報土往生をばとぐべく候哉らん。これを心得べきやうは、まづ南无阿弥陀仏の六字のすがたをよくよく心得わけて、弥陀をばたのむべし。そもそも南无阿弥陀仏の体は、すなはちわれら衆生の後生たすけたまへとたのみまうすこゝろなり。すなはちたのむ衆生を阿弥陀如来のよくしろしめして、すでに无上大利の功徳をあたへましますなり。これを衆生に廻向したまへるといへるはこのこゝろなり。されば弥陀をたのむ機を阿弥陀仏のたすけたまふ法なるがゆへに、これを機法一体の南无阿弥陀仏といへるはこのこゝろなり。これすなはちわれらが往生のさだまりたる他力の信心なりとはこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ
八十三歳
明応六年五月廿五日書之訖

(一四九)

南无阿弥陀仏と申すはいかなるこゝろにて候や、又な にと弥陀をたのみて報土往生をばとぐべく候やらん。これをこゝろうべきやうは、まづ南无阿弥陀仏のすがたをよくよくこゝろえわけて、弥陀をばたのむべし。抑南无阿弥陀仏の体は、すなはち我等衆生の後生たすけたまへとたのみたてまつるこゝろなり。すなはちそのたのむ衆生を阿弥陀如来のよくしろしめして、すでに无上大利の功徳をあたへましますなり。これを衆生に廻向したまへるといへるはこのこゝろなり。されば弥陀をたのむ機を阿弥陀仏のたすけたまふ法なるがゆへに、これを機法一体の南无阿弥陀仏といへるはこのこゝろなり。これすなはち我等が往生のさだまりたる他力の信心なりとはこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
依所望書之 八十二歳 在御判

(一五〇)

南无阿弥陀仏と申はいかなる心にて候や、又なにと弥陀をばたのみて報土往生をとぐべく候やらむ。これを心得べきやうは、まづ南无阿弥陀仏の六字のすがたをよくよくこゝろへて、弥陀をたのむべし。抑南无阿弥陀仏の体は、すなはち我ら衆生の後生たすけたまへとたのみ奉る心なり。すなはちそのたのむ衆生を阿弥陀如来のしろしめして、すでに无上大利の功徳をあたへましますなり。これをすなはち衆生に廻向したまへるといへるはこの心なり。これによりて弥陀をたのむ機を阿弥陀仏のたすけまします法なるがゆへに、機法一体の南无阿弥陀仏といへるはこの心なり。
明応七年戊午子月五日書之
八十四歳御判

老楽の 立居につきての くるしみは
たゞねがはしきは 報土往生

(一五一)

そもそも当所山科の野村にいかなる宿縁ありてか、不思議にさんぬる文明十年の春のころより、この在所にをいて一宇の坊舎を建立せしめて、当年明応五年まではすでに十九年ぞかし。これすなはち諸国門徒中の懇志をはこびしゆへなり。これによりて一心専念の行者もますますこれある歟のあひだ、法喜禅悦のおもひまことにもてあさからざるものをや。しかれば今月廿八日は開山聖人の御正忌として、毎年をいはず親疎をいはず、道俗男女のともがらこの御正忌を本と存ぜしむるあひだ、諸国より来集の面々いまにをいてさらにその退転なし。しかるにこのあひだ連々諸人のていたらくをうかゞひみるに、まことに仏法にをいて真実信心を獲得せしめたるすがたこれなきかとみをよべり。これ一大事、またあさましき次第にあらずとおぼへはんべり。さればみな報恩謝徳をいたすといへども、まことにもて「水いりてあかをちず」といへるたぐひにて、その所詮なきもの歟。しかりといへどもこの一七ケ日のうちに未安心のともがらはすみやかに改悔懴悔して、心中の不審をもことごとくはれて、真実信心をまふけて真実報土の往生をさだめて、われわれの本国へ下向せんこと肝要たるべきもの歟。まづ安心といふも信心といふも、なにとやうにこゝろをもち、なにとやうに信ずべきぞといふに、たとへばいかなる罪業ふかきひとも、さらにつみのおもきかろきをばうちすてゝ、かゝる罪障の凡夫を摂取したまふ弥陀の本願ぞと信じて、なにのわづらひもなく、もろもろの雑行のこゝろをうちすてゝ、一心一向に阿弥陀如来後生たすけたまへとふかくたのみたてまつらんひとは、たとへば十人も百人も千人も、みなことごとく浄土に往生すべきこ とさらにうたがひあるべからず。かやうによくこゝろえたるひとをば信心決定のひとゝなづくべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明応五年十一月廿一日

(一五二)

帖内五の八

それ五劫思惟の本願といふも、兆載永劫の修行といふも、たゞわれら一切衆生をあながちにたすけたまはんがための方便に、阿弥陀如来、御辛労ありて南无阿弥陀仏といふ本願をたてましまして、まよひの衆生の一念に阿弥陀仏をたのみまひらせて、もろもろの雑行をすてゝ一向一心に弥陀をたのまん衆生をたすけずんば、われ正覚をとらじとちかひたまひて、南无阿弥陀仏となりまします。これすなはちわれらがやすく極楽に往生すべきいはれなりとしるべし。されば南无阿弥陀仏の六字のこゝろは、一切衆生の報土に往生すべきすがたなり。
このゆへに南无と帰命すれば、やがて阿弥陀仏のわれらをたすけたまへるこゝろなり。このゆへに南无の二字は、衆生の弥陀如来にむかひたてまつりて後生たすけたまへと申こゝろなるべし。かやうに弥陀をたのむひとをもらさずすくひたまふこゝろこそ、阿弥陀仏の四字のこゝろにてありけりとおもふべきものなり。これによりていかなる十悪・五逆、五障・三従の女人なりとも、もろもろの雑行をすてゝひたすら後生たすけたまへとたのまんひとをば、たとへば十人もあれ百人もあれ、みなことごとくもらさずたすけたまふべし。このおもむきをうたがひなく信ぜんともがらは、真実の弥陀の浄土に往生すべきものなり。あなかしこ、あ なかしこ。
明応六年二月十六日
(帖内五-八)

(一五三)

それ弥陀如来の本願と申す事は、末代悪世のあさましき身をすくひまします誓願なり。それにつきてはなにとやうにこゝろをもち、又なにとやうに弥陀を信じまひらせて、今度の一大事の後生をばねがふべきぞといふに、なにのやうもなく、まづ我身の悪業煩悩の心をばうちすてゝ、たゞ弥陀にまかせまひらせて、もろもろの雑行の心をとゞめて一すぢに弥陀如来今度の後生たすけたまへとひしとたのみ申さん人をば、あやまたずたすけたまふべきことさらにそのうたがひあるべからず。かやうにふかく信ぜん人をばもらさず御たすけあるべし。さてこののちには、南无阿弥陀仏南无阿弥陀仏ととなふべし。これを仏恩報尽の称名念仏とは申すなり。このほかにはなにといふこともあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明応六年四月廿七日

(一五四)

御ふみくはしく見まひらせ候。さては信心の事うけたまはり候。十劫正覚の時往生さだまるといふ事はいはれぬ人のまふし事にて候。されば日ごろのわろき心をばうちすてゝ、これよりのちはたゞ一心に阿弥陀如来後生たすけたまへとふかくたのみ申さば、いかなるつみふかき人なりとも、かならず弥陀の御たすけにあづからん事、さらにつゆほどもうたがふ心あるべからず。そうして南无阿弥陀仏南无阿弥陀仏とねてもさめても申す心は、かやうにやすくたのむ人を御たすけある事のありがたさよと申す心にて候。これすなはち当流聖人の信心決定の人とはおほせられたる事にて候。このおもむきをよくよく心へわけられ候べき事肝要にて候。 あなかしこ、あなかしこ。
六月四日 蓮如
とち川の尼公の御かたへ
なをなをこのおもむきを、たれたれにも物がたり候べく候。

(一五五)

一 法蔵菩薩の五劫兆載の願行の、凡夫願行を成ずるゆへなり。阿弥陀仏の願行を成ぜしいはれを領解するを、三心ともいひ、三信ともとき、信心ともいふなり。
一 阿みだ仏の凡夫の願行を名に成ぜしゆへを口業にあらはすを、南無あみだ仏といふ。
一 第十八の願をこゝろうるといふは、名号をこゝろうるなり。
名号をこゝろうるといふは、阿みだ仏の衆生とかはりて願行を成就して、凡夫の往生機にさきだちて成就せしきざみ、十方衆生の往生を正覚の機とせしことを願行するなり。
一 ひしと我等が往生成就せしすがたを南無あみだ仏とはいひけるといふ信心をこりぬれば、仏体すなはち我等が往生の行なるがゆへに、一声のところに往生決定す也。
一 名号をきゝても、形儀を拝して、我往生を成じたまへる、みなときゝ、われらをわたさずは仏にならんとちかひたまひし法蔵誓願むなしからずして、正覚を成じたまへる御すがたよとおもはざらんは、きくともとかざるがごとし、みるともみざるがごとし。
須之文点、用之文点可用之。
自現返得文点、当流之相承可知也。

明応六年十月廿六日書之
八十三歳(花押)

(一五六)

夫親鸞聖人のすゝめまします安心のおもむきといふは、無智罪障の身の上にをひて、なにのわづらひもなく、たゞもろもろの雑行をすてゝ、一心に阿弥陀如来をたのみ奉て後生たすけたまへとふかく弥陀を一念にたのみ奉らむ人は、たとへば十人も百人も、みなともに浄土に往生すべき事は、さらさらうたがひあるべからず。このいわれをよくよくしりたる人をば、他力の信心を獲得したる当流の念仏行者と申べし。かくのごとく真実に決定せしめたる人のうへには、ねてもをきても仏恩報謝の称名念仏申すべし。たゞしこれについて不審あり。そのいわれはいかんといふに、一念に弥陀をたのむうへには、あながちに念仏申さずともときこへたり。さりながらこれをこゝろうべきやうは、すでにあさましき我等なれども、なにのわづらひもなくやすくたゞ弥陀を一念にたのむちからにて、報土に往生すべき事のありがたさたふとさよと、くちにいだして申すべきを、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏とまふせば、おなじこゝろにてあるなりとしるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明応六年拾月十四日書之
八十三歳(花押)
〔あつらへし ふみのことのは をそくとも
けふまでいのち あるをたのめよ
「弥陀大悲の誓願を ふかく信ぜんひとはみな
ねてもさめてもへだてなく 南无阿弥陀仏をとなふべし」(正像末*和讚)
八十地あまり をくる月日は けふまでも
いのちながらふ 身さゑつれなや〕


(一五七)

夫親鸞聖人のすゝめたまふ安心の趣といふは、無智罪障の身の上にをいて、なにのやうもなく、たゞもろもろの雑行をすてゝ、一心に阿弥陀如来後生たすけ給へとふかく弥陀をたのみ奉らむ輩は、たとへば十人も百人も、みなながら浄土に往生すべき事は、さらさらうたがひあるべからず。このいわれをよくしりたる人をば、他力の信心を獲得したる当流念仏行者と申すべし。かくのごとく決定せしめたる人の上には、朝夕仏恩報謝のために称名念仏すべし。但これに不審あり。そのいわれは一念に弥陀をたのむ機の上には、あながちに念仏申さずとともきこえたり。さりながらこれを心得べきやうは、かゝるつみぶかき我等を、なにのわづらひもなくやすく弥陀を一念たのむちからにて、報土に往生すべき事のありがたさたふとさよと、くちにいだしても申べきを、たゞ南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と申せば、おなじこゝろにてあるなりとしるべきものなりとこゝろうべし。あなかしこ、あなかしこ。
明応六年拾月十四日書之
年齢八十三歳(花押)

(一五八)

夫親鸞聖人のすゝめまします安心のおもむきは、无智罪障の身のうへにをひて、なにのわづらひもなく、たゞもろもろの雑行をすてゝ、一心に阿弥陀如来に今度一大事の後生たすけたまへとふかく弥陀を一念にたのみたてまつらん人は、たとへば十人も百人も、みなをなじく浄土に往生すべきことは、さらさらうたがひあるべからざるものなり。このいわれをよくしりたる 人をば、他力の信心を獲得したる当流の念仏行者といふべし。かくのごとくよく決定せしめたる人のうへには、ねてもさめても仏恩報謝のために称名念仏まふすべし。たゞしこれにつひて不審あり。そのいはれをいかんといふに、一念に弥陀をたのむうへには、あながちに念仏まふさずともときこへたり。さりながらこれをこゝろうべきやうは、われらごときのあさましき身の、なにのやうもなくやすくたゞ弥陀を一念にたのむちからにて、報土に往生すべきことのありがたさたふとさよと、くちにいだしてまふすべきを、南无阿弥陀仏南无阿弥陀仏とまふせば、をなじこゝろなるがゆへにとしるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明応六年十月十四日
至于巳剋書之
八十三歳
釈蓮如
「弥陀大悲の誓願を ふかく信ぜんひとはみな
ねてもさめてもへだてなく 南无阿弥陀仏をとなふべし」(正像末*和讚)
八十地あまり をくる月日は けふまでも
いのちながらふ 身さゑつれなや

(一五九)

夫当流聖人のすゝめまします安心のおもむきは、在家无智の身のうへにをひては、なにのわづらひもなく、たゞもろもろの雑行をすてゝ、一心に阿弥陀如来をたのみたてまつりて、後生たすけたまへとふかく弥陀を一念にたのみまひらせんひとは、たとへば十人も百人も、みなことごとく浄土に往生すべきことは、さらにうたがひあるべからず。このいはれをよくこゝろえたるひとを、他力の信心を獲得したる当流の念仏の行者といふべし。かくのごとく真実に決定せしめたるひとのうへには、ねてもさめても仏恩報謝のために称名念 仏まふすべし。たゞしこれにつきて不審あり。そのいはれはいかんといふに、すでにはや一念に弥陀をたのみまふすうへには、あながちに念仏まふさずともときこえたり。さりながらこれをこゝろうべきやうは、かゝるあさましき罪業のわれらを、なにのわづらひもなくたゞ一念弥陀をたのむちからにて、やすく弥陀の浄土に往生すべきことのありがたさたふとさよと、くちにいだしていくたびもまふすべきことなれども、たゞ南无阿弥陀仏南无阿弥陀仏とまうせば、をなじこゝろにてある道理なれば、かやうにこゑにいだしてもまふすべきものなりとこゝろうべきなり。あなかしこ、あなかしこ。
明応六年拾月十五日
書之
八十三歳
在御判

(一六〇)

夫開山聖人のすゝめまします当流安心と申は、一念発起平生業成とたてゝ、いかなる愚痴无智の身のうへにをひても、なにのわづらひもなく、たゞもろもろ雑行をすてゝ、一心に阿弥陀如来後生たすけたまへとふかく弥陀を一念にたのみたてまつらん人は、たとへば十人も百人も、みなことごとく浄土に往生すべきことは、更々そのうたがひあるべからざるものなり。この道理をよくこゝろへたる人をこそ、信心獲得せしめたる当流の他力の行者とは申侍るべきものなり。かくのごとく決定したる人は、かならず行住座臥に仏恩報尽の称名念仏申すべし。たゞし就是に不審あり。その謂れは いかんといふに、すでに一念に弥陀をたのむ機のうへには、あながちに念仏申さずともときこへたり。さりながらこれをこゝろうべきやうはいかんといふに、すでにかゝる罪障のふかき身のうへにをひて、一念に弥陀をたのむちからばかりにて、なにのわづらひもなくやすく報土に往生すべきことのありがたさたふとさよと、いくたびもくちにいだして申すべきことなれども、南无阿弥陀仏南无阿弥陀仏と申せば、則をなじこゝろにてあるなりときけば、なをなをたふとくおもひたてまつりて申すなりとしるべし。穴賢、穴賢。
明応六年十一月中旬
なきあとに 我れをわすれぬ 人もあらば
なを弥陀たのむ こゝろをこせよ

(一六一)

一 それ開山聖人のすゝめましますところの当流の安心とまうすは、无智罪障の身のうへにをいて、なにのやうもなく、たゞもろもろの雑行をすてゝ、一心に阿弥陀如来後生たすけたまへとふかく弥陀を一念にたのみたてまつらんひとは、たとへば十人も百人も、みなことごとく極楽に往生すべきこと、さらさらうたがひあるべからざるものなり。この道理をよくしりたるひとをこそ、信心獲得せしめたる当流の他力行者とはまうしはんべるべきものなり。かくのごとくよくよく決定したるひとのうへには、ねてもさめてもたゞ仏恩報尽の称名念仏まうすべし。これについて不審あり。そのゆへはすでに一念に弥陀をたのむ機のうへには、あながちに念仏まうさずともときこへたり。さりながらこれをこゝろうべきやうはいかんといふに、すでにかゝる罪業の身ながら、一念に弥陀をたのむちからばかりにて、やすく極楽に往生すべきことのありがたさたふとさよとおもひて、くちにいくたびもいだしてもまうすべきを、たゞ南无阿弥陀仏南无阿弥陀仏とまう せば、それがおなじこゝろにてあるなりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明応六年W丁巳R十一月廿日

(一六二)

一 そもそも報恩講のこと、当年より毎朝六時よりゆふべの六時にをいて、みなことごとく退散あるべし。このむねをあひそむかんともがらは門徒たるべからざるものなり。それ当流開山の一義は余の浄土宗にはおほきに義理各別にしてあひかはりたりとしるべし。されば当流の義は、わが身の罪障のふかきにはこゝろをかけずして、たゞもろもろの雑行のこゝろをふりすてゝ、阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、後生たすけたまへとまうすひとをば、かならず十人も百人も、みなことごとくたすけたまふべし。これすなはち弥陀如来のちかひまします正覚の一念といへるはこのこゝろなりとしるべし。このこゝろを当流には一念発起平生業成とはまうしならふなり。しかればみなひとの本願をたのむとはいへども、さらにおもひいれて弥陀をたのむひとなきがゆへに、往生をとぐることまれなり。このゆへに今日今時より一心に弥陀如来われらが今度の後生たすけたまへとひしとたのみまいらせんひとは、かならず浄土に往生すべきこと、さらにもてそのうたがひあるべからざるものなり。このうへには行住座臥に称名念仏まうすべきものなり。これについて不審あり。そのいはれいかんといふに、一念に弥陀をたのむところにて往生さだまるときは、あながちに念仏まうさずともときこへたり。さりながらこれをこゝろうべきやうは、かゝる罪障のあさましき身なれ ども、一念に弥陀をたのむちからばかりにて、やすく報土に往生すべきことの、身にあまるありがたさたふとさよと、くちにいだしていくたびもまうすべきことなれども、たゞ南无阿弥陀仏南无阿弥陀仏とまうせばすなはち仏恩報尽のこゝろにあひあたれりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明応六年W丁巳R十一月廿一日

(一六三)

抑開山聖人の一義は、余の浄土宗に大に義理各別にしてあひかはれりとしるべし。されば当流の義は、我身の罪障のふかきに心をかけずして、もろもろの雑行のこゝろをふりすてゝ、たゞ阿弥陀如来を一心一向にたのみ奉りて後生たすけ給へと申す人は、たとへば十人も百人も、みなともにたすけたまふべし。これすなはち法蔵菩薩のちかひまします正覚の一念といへるはこのこゝろなりとこゝろうべし。この義を当流には一念発起平生業成とはまふすなり。しかればみな人の本願をばたのむとはいへども、さらにおもひいれてたのむ人なきがゆへに、真実報土の往生をとぐる人まれなり。されば一心といふうちには、もろもろの雑行をふりすてたるをこそ一心とはいへるこゝろなり。しかればこのごろの当流の念仏者はみなみな心をとめて、一心に阿弥陀如来をふかくたのみまひらせて後生たすけ給へとおもはん人々は、かならず真実報土の往生をとぐべきことさらにそのうたがひあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(一六四)

そもそもこの在所大坂にをひていかなる往昔の宿縁ありてか、すでにさりぬる明応第五の秋のころよりかりそめながらかたのごとく一宇の坊舎を建立せしめ、また当年明応六年の仲冬下旬のふゆにいたり、かつがつ周備満足のていたらく、まことに法力のいたり歟、 また念仏得堅固のいはれか、これしかしながら聖人の御用にあらずや。これによりて門徒のともがら一同に普請造作にこゝろをつくして粉骨をいたさしむる条、真実真実、往生浄土ののぞみ、これあるかのいはれ歟、殊勝におぼえはんべりぬ。しかれば当年聖人の報恩講中より来集の門徒のひと、一向に往生極楽の他力信心を決定せしめて、今度の一大事の報土往生をとげしめたまはゞ、これしかしながら今月廿八日の聖人の御本源にあひかなふべきものをや。信ずべし、よろこぶべし。それ当流聖人の御勧化の安心といふは、あながちに罪障の軽重をいはず、たゞ一念に弥陀如来後生たすけたまへと帰命せんともがらは、一人としても報土往生をとげずといふことあるべからずと、をのをのこゝろうべし。このほかにはさらに別の子細あるべからずとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明応六年十一月廿五日

(一六五)

一 当流のこゝろは一念発起平生業成とたてゝ、もろもろの雑行をすてゝ一心に弥陀如来後生たすけたまへとふかくたのまんひとは、かならず報土に往生すべきこと決定なり。これすなはち当流の平生業成の義なり。このうへに念仏まふすは、弥陀如来のやすく御たすけにあづかりたる御恩の念仏なりとこゝろうべきものなり。これすなはち当流の真実の義なり。または正覚の一念といふもこのこゝろなりとしるべし。
一 鎮西には当得往生とたてゝ、来迎をたのむ家なり。これ『観経』のこゝろなり。

一 西山には即便往生とたてゝ、三心だにも決定すれば、自余の雑行をゆるし、来迎を本とするなり。これも『観経』のこゝろなり。
一 長楽寺には報土・辺地をたてゝ、報土を本とするなり。こればかりは当流におなじきなり。これも雑行をばゆるすなり。
一 法性法身・方便法身の事、法身といふは体相なきなり。
一 方便法身といふは応身如来のことなり。浄土の弥陀はみな方便法身なりとしるべし。
一 補処といふは弥勒のことをまふすなり。釈尊のあとをつぎて出世あるべき菩薩なれば、補処の菩薩といふなり。総じて仏のあとをつぐによりて補処といふなり。いまの念仏の行者も、弥勒の三会のあかつきさとりをひらくべきやうに、念仏者も一期のいのちつきて極楽に往生すべきこと、弥勒におなじきがゆへに、弥勒にひとしとはいふなり。
明応六年

(一六六)

帖内四の十

いまの世にあらん女人は、みなみな心をひとつにして阿弥陀如来をふかくたのみたてまつるべし。そのほかにはいづれの法を信ずといふとも、後生のたすかるといふ事はゆめゆめあるべからずとおもふべし。されば弥陀をばなにとやうにたのみ、又後生をばなにとねがふべきぞといふに、なにのわづらひもなくたゞ一心に弥陀をたのみ、後生たすけたまへとふかくたのみまふさむ人をば、かならず御たすけあらん事は、さらさら露ほどもうたがひあるべからざるものなり。このうへには、はやしかと御たすけあるべきことのありがたさよとおもひて、仏恩報謝のために念仏申べきばかりなり。あなかしこ、あなかしこ。
八十三歳

(帖内四-一〇)

(一六七)

いまの時の世にあらむ女人は、あひかまいてみなみな心をひとつにして、一心に阿弥陀如来をふかくたのみたてまつるべし。そのほかにはいづれの法を信ずといふとも、後生のたすかるといふ事ゆめゆめあるべからずとおもふべし。されば弥陀をばなにとやうにたのみ、後生をばなにとねがふべきぞといふに、なにのわづらひもなくたゞ一心に弥陀をたのみ、後生たすけたまへとふかくたのみ申さむ人を、かならず御たすけあらむ事は、さらさら露ほどもそのうたがひあるべからざるものなり。このうへには、しかと御たすけあるべき事の御うれしさよとおもひて、仏恩報謝のために念仏申べきばかりなり。あなかしこ、あなかしこ。

(一六八)

帖内五の五

一 信心獲得すといふは第十八の願をこゝろうるなり。この願をこゝろうるといふは、南无阿弥陀仏のすがたをこゝろうるなり。このゆへに南无と帰命する一念のところに発願廻向のこゝろあるべし。これすなはち弥陀如来の凡夫に廻向しましますこゝろなり。これを『大経』(巻上)には、「令諸衆生功徳成就」ととけり。されば无始已来つくりとつくる悪業煩悩を、のこるところもなく願力不思議をもて消滅するいはれあるがゆへに、正定聚不退のくらゐに住すとなり。これによりて煩悩を断ぜずして涅槃をうといへるはこのこゝろなり。この義は当流一途の所談なるものなり。他流のひとに対してかくのごとく沙汰あるべからざるところなり。よくよくこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかし こ。
明応六年
(帖内五-五)

(一六九)

帖内五の六

一念に弥陀をたのみたてまつる行者には、无上大利の功徳をあたへたまふこゝろを『和讚』(正像末*和讚)に聖人のいはく、
五濁悪世の有情の 選択本願信ずれば
不可称不可説不可思議の 功徳は行者の身にみてり
この『和讚』のこゝろは、「五濁悪世の衆生」といふは、一切我等女人・悪人のことなり。さればかゝるあさましき一生造悪の凡夫なれども、弥陀如来を一心一向にたのみまひらせて、後生たすけたまへとまふさんものをば、かならずすくひましますべきこと、さらにうたがふべからず。かやうに弥陀をたのみまふすものには、不可称不可説不可思議の大功徳をあたへましますなり。「不可称不可説不可思議の功徳」といふことは、かずかぎりもなき大功徳のことなり。この大功徳を一念に弥陀をたのみまふす我等衆生に廻向しましますゆへに、過去・未来・現在の三世の業障一時につみきえて、正定聚のくらゐ、また等正覚のくらゐなんどにさだまるものなり。このこゝろをまた『和讚』(正像末*和讚)にいはく、「弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな 摂取不捨の利益にて 无上覚をばさとるなり」といへり。「摂取不捨」といふは、これも一念に弥陀をたのみたてまつる衆生を光明のなかにおさめとりて、信ずるこゝろだにもかはらねばすてたまはずといふこゝろなり。このほかにいろいろの法門どもおほくありといへども、たゞ一念に弥陀をたのむ衆生はみなことごとく報土に往生すべきこと、ゆめゆめうたがふこゝろあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
〔明応六年〕

(帖内五-六)

(一七〇)

一 そもそも十悪・五逆、五障・三従の女人も、たゞもろもろの雑行をすてゝ一心に弥陀の本願を信じ、阿弥陀如来今度の後生たすけたまへとふかくたのまんひとは、みな極楽に往生すべきこと、さらさらうたがひあるべからず。これすなはち一念の往生さだまりたるこゝろなりとおもふべし。このうへにはたゞねてもさめても後生をやすくたすけまします弥陀如来の御恩のありがたさたふとさをおもひまひらせて、つねに念仏まうすべし。このほかに別の子細あるべからざるものなり。また人間のありさまは、やまひにをかさればすなはち往生すべしとおもふべし。さりながら定業もきたらざればまたとりなをすこともあるべし。さらにさだめなきことなり。よくよくこゝろをしづめて念仏まうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明応七年二月 日

(一七一)

抑十悪・五逆の罪人も、五障・三従の女人も、たゞもろもろの雑行をすてゝ一向一心に弥陀の本願を信じて、阿弥陀如来後生たすけ給へとふかくたのまん人は、みなことごとく極楽に往生せん事、さらにそのうたがひあるべからず。これすなはち我らが一念の往生さだまりたる心なりとおもふべし。かやうにこゝろへたるうへには、ねてもさめても弥陀如来の御たすけあるべき御恩のありがたさたふとさをおもひまいらせて念仏申べし。このほかには別の子細あるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。

明応七年二月 日
[以御筆御うつし候御本にてうつし申候也。正本若狭小浜隼人殿に御座候也。]

(一七二)

抑十悪・五逆の輩も、五障・三従の女人も、たゞもろもろの雑行のこゝろをうちすてゝ一すぢに弥陀の本願を信じ、弥陀如来後生たすけたまへとふかくたのまむ人は、みなことごとく極楽に往生すべき事、さらさらうたがひあるべからず。これすなはち我らが一念の往生さだまりたるこゝろなりとおもふべし。このうへにはたゞ行住座臥に後生をやすくたすけまします弥陀如来の御恩のありがたさたふとさをおもひまいらせて念仏申べし。このほかには別の子細あるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
〔このごろは 八十地にあまる 冬くれて
春をもまたぬ 老らくの身や〕
明応七年九月廿八日書之
八十四歳
右此如御文可有信心決定候。能々此通門徒中可有勧化事肝要候。
御判
[御判も上様の御はん也。]
[上様の以御筆直うつし申候也。正本は加州本光寺候也。]

(一七三)

抑十悪・五逆といふつみふかき人も、また五障・三従の女人も、万事をなげすてゝ一心に阿弥陀如来このたびの後生たすけたまへと、ひしとたのまんひとは、十人も百人もみなともに極楽世界に往生すべきこと、さらにうたがふこゝろつゆちりほどもあるべからず。このほかにはねてもさめても南无阿弥陀仏南无阿弥陀仏とまうすこゝろは、たゞ一念に弥陀如来をたのみたてまつるところに、なにのやうもなくたすけまします弥 陀如来の御恩のありがたさたふとさをおもひまいらせて念仏まうすなり。これすなはち弥陀の御恩を報じまうすこゝろなりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
〔明応七年拾月廿八日A八十四歳書之B御判C〕

(一七四)

そもそも十悪・五逆といふつみふかき人も、また五障・三従の女人も、もろもろの雑行をうちすてゝ、一心に阿弥陀如来にむかひたてまつりて今度の後生をたすけたまへと、ひしとたのみ申さん人は、十人も百人もみなことごとく極楽浄土に往生すべき事、さらにうたがふこゝろつゆちりほどもあるべからず。このほかにはたゞねてもさめても南无阿弥陀仏とまふすこゝろはなにとしたるこゝろぞといふに、たとへば一念に阿弥陀仏をたのみたてまつるところに、なにのわづらひもなくやすくたすけまします弥陀如来の御恩のありがたさたふとさをおもひまいらせて念仏申べし。これをすなはち弥陀如来の御恩報謝の念仏とは申こゝろなりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明応七年極月上旬第八日書之

(一七五)

帖内四の十二

そもそも毎月両度の寄合の由来はなにのためぞといふに、さらに他のことにあらず、自身の往生極楽の信心獲得のためなるがゆへなり。しかれば往古よりいまにいたるまで、毎月の寄合といふことは、いづくにもこれありといへども、さらに信心の沙汰とてはかつてもてこれなし。ことに近年はいづくにも寄合のときは、 たゞ酒・飯・茶なんどばかりにてみなみな退散せり。これは仏法の本意にはしかるべからざる次第なり。いかにも不信の面々は一段の不審をもたてゝ、信心の有无を沙汰すべきところに、なにの所詮もなく退散せしむる条、しかるべからずおぼへはんべり。よくよく思案をめぐらすべきことなり。所詮自今已後にをひては、不信の面々はあひたがひに信心の讚嘆あるべきこと肝要なり。それ当流の安心のをもむきといふは、あながちにわが身の罪障のふかきによらず、たゞもろもろの雑行のこゝろをやめて、一心に阿弥陀如来に帰命して、今度の一大事の後生たすけたまへとふかくたのまん衆生をば、ことごとくたすけたまふべきことさらにうたがひあるべからず。かくのごとくよくこゝろえたるひとは、まことに百即百生なるべきなり。このうへには毎月の寄合をいたしても、報恩謝徳のためとこゝろえなば、これこそ真実の信心を具足せしめたる行者ともなづくべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明応七年二月廿五日書之
毎月両度講衆中へ
八十四歳 御判
(帖内四-一二)

(一七六)

帖内五の十四

それ一切の女人の身は、ひとしれずつみのふかきこと、上臘にも下主にもよらぬあさましき身なりとおもふべし。それにつきてはなにとやうに弥陀を信ずべきぞといふに、なにのわづらひもなく阿弥陀如来をひしとたのみまひらせて、今度の一大事の後生たすけたまへとまふさん女人をば、あやまたずたすけたまふべし。さてわが身のつみのふかきことをばうちすてゝ、弥陀にまかせまいらせて、たゞ一心に弥陀如来後生たすけたまへとたのみまふさば、その身をよくしろしめしてたすけたまふべきことうたがひあるべからず。たとへ ば十人ありとも百人ありとも、みなことごとく極楽に往生すべきこと、さらにそのうたがふこゝろつゆちりほどももつべからず。かやうに信ぜん女人は浄土にむまるべし。かくのごとくやすきことを、いままで信じたてまつらざることのあさましさよとおもひて、なをなをふかく弥陀如来をたのみたてまつるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明応七年三月 日
(帖内五-一四)

(一七七)

帖内四の十四

当流安心之体事
南无阿弥陀仏の六字のすがたなり。この六字を善導釈していはく、「言南无者即是帰命亦是発願廻向之義言阿弥陀仏者即是其行以斯義故必得往生」(玄義分)といへり。「南无」といふ二字は、帰命といふこゝろなり。「帰命」といふは、衆生の阿弥陀仏後生たすけたまへとたのみたてまつるこゝろなり。また「発願廻向」といふは、たのむところの衆生を摂取してすくひたまふこゝろなり。これすなはち「阿弥陀仏」の四字のこゝろなり。さればわれら愚痴闇鈍の衆生は、なにのわづらひもなく、もろもろの雑行をすてゝ、一向一心に後生たすけましませと弥陀をたのめば、決定極楽に往生すべきこと、さらにそのうたがひなし。このゆへに南无の二字は、衆生の弥陀をたのむ機のかたなり。また阿弥陀仏の四字は、たのむ衆生をたすけましますかたの法なれば、これすなはち機法一体の南无阿弥陀仏とまうすこゝろなり。この道理なるがゆへに、われら一切衆生の往生の体は南无阿弥陀仏なりとこゝろうべきものなり。あなかし こ、あなかしこ。
明応七年戊午卯月十日書之 八十四歳
(帖内四-一四)

(一七八)

帖内四の十三

それ秋さり春さり、すでに当年は明応第七孟夏仲旬ごろになりぬれば、予が年齢つもりて八十四歳ぞかし。しかるに当年にかぎりて、ことのほか病気におかさるゝあひだ、耳目・手足・身体これやすからざるあひだ、これしかしながら業病のいたりなり。または往生極楽の先相なりと覚悟せしむるところなり。これによりて法然上人の御詞云、「浄土をねがふ行人は、病患をゑてひとへにこれをたのしむ」(選択私集鈔巻四意*伝通記糅鈔巻四三意)とこそおほせられたり。しかれどもあながちに病患をよろこぶこゝろ、さらにもてをこらず、あさましき身なり、はづべし、かなしむべきもの歟。さりながら予が安心の一途、一念発起平生業成の宗旨にをひては、いま一定のあひだ仏恩報尽の称名は行住座臥にわすれざること間断なし。これについてこゝに愚老一身の述懐これあり。そのいはれはわれら居住の在所々の門下のともがらにをひては、おほよす心中をみおよぶに、さらにとりつめて信心決定のすがたこれなしとおもひはんべり。おほきになげきおもふところなり。そのゆへは愚老すでに八旬のよはひすぐるまで存命せしむるしるしには、信心決定の行者繁昌ありてこそ、命ながきしるしともおもひはんべるべきに、さらにしかしかとも決定せしむるすがたこれなしとみおよべり。そのいはれをいかんといふに、そもそも人間界の老少不定のことをおもふにつけても、いかなるやまひをうけてか死せんや。かゝる世のなかの風情なれば、いかにも一日も片時もいそぎて信心決定して、今度の往生極楽を一定して、そののち人間のありさまにまかせて、世をすごすべきこと肝要なり とみなみなこゝろうべし。このおもむきを心中におもひいれて、一念に弥陀をたのむこゝろをふかくおこすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明応七年初夏仲旬第一日八十四歳老衲書之
弥陀の名を きゝうることの あるならば
南无阿弥陀仏と たのめみなひと
(帖内四-一三)

(一七九)

抑今日の聖教を聴聞のためにとて、皆々これへ御より候ことは、信心の謂れをよくよくこゝろゑられ候て、今日よりは御こゝろをうかうかと御もち候はで、きゝわけられ候はでは、なにの所用もなきことにてあるべく候。そのいはれをたゞいままふすべく候。御耳をすまして、よくよくきこしめし候べし。
夫安心と申は、もろもろの雑行をすてゝ一心に弥陀如来をたのみ、今度の我等が後生たすけたまへと申すをこそ、安心を決定したる行者とは申候なれ。此謂れをしりてのうへの仏恩報謝の念仏とは申すことにて候なり。されば聖人の『和讚』(正像末*和讚)にも、「智慧の念仏うることは 法蔵願力のなせるなり 信心の智慧にいりてこそ 仏恩報ずる身とはなれ」とおほせられたり。このこゝろをもてこゝろへられ候はんこと肝要にて候。それについてはまづ「念仏の行者、南无阿弥陀仏の名号をきかば、あは、はやわが往生は成就しにけり、十方衆生、往生成就せずは正覚とらじとちかひたまひし法蔵菩薩の正覚の果名なるがゆへにとおもふべし」(安心決定*鈔巻本意)といへり。又「極楽といふ名をきかば、あは、我が往生すべきところを成就したまひにけり、衆生往生せず は正覚とらじとちかひたまひし法蔵比丘の成就したまへる極楽よとおもふべし」(安心決定*鈔巻本)。又「本願を信じ名号をとなふとも、余所なる仏の功徳とおもひて名号に功をいれなば、などか往生をとげざらんなんどおもはんは、かなしかるべきことなり。ひしとわれらが往生成就せしすがたを南无阿弥陀仏とはいひけるといふ信心をこりぬれば、仏体すなはちわれらが往生の行なるがゆへに、一声のところに往生を決定するなり」(安心決定*鈔巻本)。このこゝろは、安心をとりてのうへのことどもにて侍べるなりとこゝろゑらるべきことなりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明応七年五月下旬

(一八〇)

抑今日、御影前へ御まいり候面々は、聖教をよみ候を御聴聞のためにてぞ御入候らん。さればいづれの所にても聖教を聴聞せられ候ときも、その義理をきゝわけらるゝ分も更に候はで、たゞ人目計のやうにみなみなあつまられ候ことは、なにの篇目もなきやうにおぼへ候。夫聖教をよみ候ことも、他力の信心をとらしめんがためにこそよみ候ことにて候に、更にその謂れをきゝわけ候て、わが信のあさきをもなをされ候はんことこそ仏法の本意にてはあるべきに、毎日に聖教があるとては、しるもしらぬもよられ候ことは、所詮もなきことにて候。今日よりしてはあひかまへてその謂れをきゝわけられ候て、もとの信心のわろきことをも人にたづねられ候てなをされ候はでは、かなふべからず候。その分をよくよくこゝろゑられ候て聴聞候はゞ、自行化他のため可然ことにて候。そのとをりをあらまし只今申侍るべく候。御耳をすまして御きゝ候へ。夫安心と申は、いかなるつみのふかき人も、もろもろの雑行をすてゝ一心に弥陀如来をたのみ、今度の我等が後生たすけたまへとまふすをこそ、安心を決定したる 念仏の行者とは申すなり。この謂れをよく決定してのうへの仏恩報謝のためといへることにては候なれ。されば聖人の『和讚』(正像末*和讚)にもこのこゝろを、「智慧の念仏うることは 法蔵願力のなせるなり 信心の智慧なかりせば いかでか涅槃をさとらまし」とをほせられたり。此信心をよくよく決定候はでは、仏恩報尽とまふすことはあるまじきことにて候。なにと御こゝろへ候やらん。この分をよくよく御こゝろへ候て、みなみな御かへり候はゞ、やがてやどやどにても信心のとをりをあひたがひに沙汰せられ候て、信心決定候はゞ、今度の往生極楽は一定にてあるべきことにて候。あなかしこ、あなかしこ。
明応七年五月下旬

(一八一)

抑今月は既に前住上人の御正忌にてわたらせをはしますあひだ、未安心の人々は信心をよくよくとらせたまひ候はゞ、すなはち今月前住の報謝ともなるべく候。さればこの去ぬる夏比よりこの間にいたるまで、毎日に如形、耳ぢかなる聖教のぬきがきなんどをゑらびいだして、あらあらよみ申すやうに候といへども、来臨の道俗男女を凡みをよび申し候に、いつも体にて更にそのいろもみゑましまさずとおぼへ候。所詮それをいかんと申し候に、毎日の聖教になにたることをたふときとも、又殊勝なるとも申され候人々の一人も御入候はぬ時は、なにの諸篇もなきことにて候。信心のとをりをも又ひとすぢめを御きゝわけ候てこそ連々の聴聞の一かどにても候はんずるに、うかうかと御入候体た らく、言語道断不可然覚へ候。たとへば聖教をよみ候と申すも、他力信心をとらしめんがためばかりのことにて候間、初心のかたがたはあひかまへて今日のこの御影前を御たちいで候はゞ、やがて不審なることをも申れて、人々にたづね申され候て、信心決定せられ候はんずることこそ肝要たるべく候。その分よくよく御こゝろえあるべく候。それにつき候ては、なにまでも入候まじく候。弥陀をたのみ信心を御とりあるべく候。その安心のすがたを、たゞいまめづらしからず候へども申すべく候。御こゝろをしづめ、ねぶりをさましてねんごろに聴聞候へ。夫親鸞聖人のすゝめましまし候他力の安心と申は、なにのやうもなく一心に弥陀如来をひしとたのみ、後生たすけたまへと申さん人々は、十人も百人ものこらず極楽に往生すべきこと、さらにそのうたがひあるべからず候。この分を面々各々に御こゝろゑ候て、みなみな本々へ御かへりあるべく候。あなかしこ、あなかしこ。
明応七年六月中旬

(一八二)

抑今月十八日の前へに、安心の次第あらあら御ものがたり申候処に、面々聴聞の御人数のかたがたいかゞ御こゝろゑ候や、御こゝろもとなくおぼへ候。いくたび申てもたゞをなじ体に御きゝなし候ては、毎日にをひて随分勘文をよみ申候その甲斐もあるべからず、たゞ一すぢめの信心のとをり御こゝろゑの分も候はでは、更々无所詮ことにて候。されば未安心の御すがた、たゞ人目ばかりの御心中を御もち候かたがたは、毎日の聖教には中々聴聞のこと无益かとおぼへ候。その謂れはいかんと申候に、はや此夏中もなかばゝすぎて廿四、五日の間のことにて候。又上来も毎日聖教の勘文をゑらびよみ申候へども、たれにても一人として、今日の聖教になにと申したることのたふときとも、又不 審なるともおほせられ候人数、一人も御入候はず候。此夏中と申さんもいまのことにて候間、みなみな人目ばかり名聞の体たらく、言語道断あさましくおぼへ候。これほどに毎日耳ぢかに聖教の中をゑらびいだし申候へども、つれなく御わたり候こと、誠にことのたとへに鹿の角をはちのさしたるやうに、みなみなおぼしめし候間、千万千万无勿体候。一は无道心、一は无興隆ともおぼへ候。此聖教をよみ申候はんも、今卅日の内のことにて候。いつまでのやうにつれなく御心中も御なをり候はでは、真実真実、无道心に候。誠にたからの山にいりて、手をむなしくしてかへらんにひとしかるべく候。さればとて当流の安心をとられ候はんにつけても、なにのわづらゐか御わたり候はんや。今日よりしてひしとみなみなおぼしめしたち候て、信心を決定候て、このたびの往生極楽をおぼしめしさだめられ候はゞ、誠に上人の御素意にも本意とおぼしめし候べきものなり。この夏の初よりすでに百日のあひだ、かたのごとく安心のおもむき申候といへども、誠に御心におもひいれられ候すがたも、さのみみゑたまひ候はずおぼへ候。すでに夏中と申も今日明日ばかりのことにて候。こののちも此間の体たらくにて御入あるべく候や、あさましくおぼえ候。よくよく安心の次第、人にあひたづねられ候て決定せられべく候。はや明日までのことにて候間、如此かたく申候なり。よくよく御こゝろゑあるべく候也。あなかしこ、あなかしこ。
明応七年七月中旬

(一八三)

そもそもたゞいまこのあなたのひろ縁にきたりあつま るひとびとは、なにの要ありてかよなよなにかぎりあつまるぞとおもふに、おほよす仏法の次第聴聞のこゝろざし歟。そのほかはなにの所用ぞや。そのこゝろざしならば、安心の肝要のこゝろえのやうをかたるべし。それをよくよく耳にたもちて、われわれのいへいへへかへるべし。それ当流の安心といふは、なにのやうもなく一向に弥陀如来このたびの後生御たすけ候へとひしとたのまんひとびとは、みなともに極楽に往生すべきことうたがひなし。たゞしもろもろの雑行のこゝろをふりすてゝ、一心にかたまりて弥陀をたのまば、十人も百人もことごとく報土に往生せんこと一定にてあるべし。この分をよくよくこゝろえわけてみなみなかへりたまふべし。あなかしこ、あなかしこ。
明応七年九月 日

(一八四)

そもそも毎朝この道場へ来集の人数にをいては、あひかまへてこゝろにしかとおもひたもつべきやうはいかんといふに、すでに弥陀如来の本願とまふすことは、われら一切衆生を平等に極楽に往生せしめんがためにをこしたまへる誓願なりと信じて、さて一念に弥陀をふかくたのみ、このたびの後生あやまたずたすけたまへと信じたてまつるほかには、さらに別のことあるべからずと信ずべきものなり。これすなはち真実の信心をえたるひとぞとおもひさだめてよりのちは、たとひいかなるひとのまふしさまたぐることありといふとも、これを信用すべからず。このうへには行住座臥時処諸縁をきらはず、ありがたくたふとくおもふこゝろあらんときは、称名念仏まふすべきばかりなり。このほかには少々のことをばあながちに耳にきゝいるべからず。これすなはち当流の信心を獲得したる念仏の行者となづくべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

明応七年九月 日

(一八五)

そもそもさんぬるころ不思議なりしことのありけるは、和泉国とつとりといふ在所に、くわばたのしき大夫といひしをとこの、年の五十余なりしが、成仁の子にはなれたるきざみ、あまりのかなしさに、所詮粉河の観音にまいりて後生のことをいのりまふすところに、示現あらたにかうぶりけるは、なんぢ後生を一大事とおもひてわれにいのるあひだ、まことにありがたきことなり。しからば紀伊国ながふの権守といふものあり。そのところにゆきて後生の次第をあひたづぬべしとおほせられけるあひだ、示現のむねにまかせてかの権守の在所へゆきてあひたづぬるに、権守まふしける、われらはくはしく仏法の次第存知せざるあひだ、所詮和泉国海生寺の了真のところへゆきてくはしくたづぬべしといひけるあひだ、かの了真のところへまいりて仏法の次第たづねまふすところに、了真のいはく、なにのやうもなくたゞ弥陀をふかくたのむべしとくはしくかたりたまふところに、たちまちにたふとくおもひまいらせて、一向に往生決定つかまつり候ぬ。そののちあまりに一心の往生治定せしめさふらふたふとさのあまり、とつとりの面々にともにかたり候ところに、みなみな信心決定つかまつりさふらひき。さるほどにあまりありがたさに、当年明応七年閏十月十九日に不図おもひたち、大坂殿へすゝめをき候ひつる人数のうち、まづ尼一人・女三人・男四人あひともなひ参詣まふし候なり。さるほどにこのことを八十あまりのひとのきゝてかたりたまふあひだ、 仏法不思議とは申ながら、かゝる殊勝なることはさらになし。これについてもおもふやうは、諸国にをいて、さても仏法の棟梁をもちたまふ坊主分のひとはおほく御いり候べきなれども、はじめてひとをすゝめたまふといふことの議をも八十あまりにまかりなり候へども、うけたまはりをよばず候。あさましあさまし。まことに宿善とはまふしながら、かやうの殊勝のことをば今日はじめてうけたまはりはじめてこそ候へ。これにつけてもみなみな他力の信心いそぎ決定めされ候て、今度の一大事の報土往生をとげましまして候はゞ、自身得道のためとまふし、または報恩謝徳の道理にもあひかなひましまし候べきなり。よくよく御こゝろをしづめて御思案どもあるべく候ものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明応七年閏十月下旬
上様へまいる

(一八六)

帖内五の九

当流の安心といふは、南無阿弥陀仏の六字のこゝろなり。たとへば南無と帰命すれば、やがて阿弥陀仏のたすけたまふこゝろなるがゆへに、南無の二字は帰命のこゝろなり。帰命といふは、衆生のもろもろの雑行をすてゝ、阿弥陀仏後生たすけたまへと一向にたのみたてまつるこゝろなるべし。このゆへに衆生をもらさず弥陀如来のよくしろしめして、たすけましますこゝろなり。これによりて南無とたのむ衆生を阿弥陀仏のたすけまします道理なるがゆへに、南無阿弥陀仏の六字のすがたは、すなはちわれら一切衆生の平等にたすかりつるすがたなりとしらるゝなり。されば他力の信心をうるといふも、これしかしながら南無阿弥陀仏の六字のこゝろなり。このゆへに一切の聖教といふも、たゞ南無阿弥陀仏の六字を信ぜしめんがためなりといふこゝろなりとするべきものなり。あなかしこ、あな かしこ。
明応七年十一月十九日
八十四歳(花押)
(帖内五-九)

(一八七)

帖内四の十五

抑当国摂州東成郡生玉之庄内大坂といふ在所は、往古よりいかなる約束のありけるにや、去ぬる明応第五の秋下旬之比より、かりそめながらこの在所をみそめしより、すでにかたのごとくの一宇の坊舎を建立せしめ、当年ははやすでに三年の歳霜をへたりき。これすなはち往昔の宿縁あさからざる因縁なりとおぼへはんべりぬ。それについてこの在所に居住せしむる根元は、あながちに一生涯を心やすくすごし、栄花栄耀をこのみ、又花鳥風月にもこゝろをよせず、あはれ无上菩提のためには信心決定の行者も繁昌せしめ、念仏をも申さんともがらも出来せしむるやうにもあれかしと、おもふ一念のこゝろざしをはこぶばかりなり。又いさゝかも世間の人なんども偏執のやからもあり、むつかしき題目なんども出来あらん時は、すみやかにこの在所にをいて執心のこゝろをやめて、退出すべきものなり。依之いよいよ貴賤道俗をえらばず、金剛堅固の信心を決定せしめんこと、まことに弥陀如来の本願にあひかなひ、別しては上人の御本意にたりぬべきもの歟。それについて愚老すでに当年は八十四歳まで存命せしむる条不思議なり。まことに当流法義にもあひかなふ歟のあひだ、本望のいたり不可過之者歟。しかれば愚老当年の夏比より違例せしめて、いまにをいて本腹のすがたこれなし。終には当年寒中にはかならず往生の本懐 をとぐべき条一定とおもひはんべり。あはれあはれ、存命の内にみなみな信心決定あれかしと、朝夕おもひはんべり。まことに宿善まかせとはいひながら、述懐のこゝろしばらくもやむことなし。又はこの在所に三年の居住をふるその甲斐ともおもふべし。相構相構、此一七ケ日報恩講のうちにをいて信心決定ありて、我人一同に往生極楽の本意をとげたまふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明応七年十一月廿一日よりはじめて、これをよみてひとびとに信をとらすべきものなり。
(帖内四-一五)

(一八八)

それ五障・三従の女人たらむ身は、阿弥陀如来をふかくたのみて後生たすけたまへとおもふべし。されば阿弥陀如来よりほかの諸仏は、一切の女人をば我ちからにてはたすくべからずといひて、すでにすて給へり。しかれば阿弥陀仏おほせられけるは、諸仏のすてられたらむ女人をば我たすけずんば、いづれの仏かたすけたまはんとおぼしめして、かたじけなくも無上の大願をおこして、我諸仏にすぐれて一切の女人をたすけんとて、五劫があひだ思惟し永劫があひだ修行して、三世の諸仏にすてられたる女人の成仏すべきといへる大願ををこしましまして、我をたのまむ女人をばかならずたすくべしとちかひたまひて、阿弥陀仏となりたまへり。これによりて一切の女人たらん身は、ふかく弥陀如来をたのみまいらせて後生たすけたまへと一念にふかくたのまむ女人は、かならずみな極楽に往生すべき事さらにそのうたがひあるべからず。よくよくこの道理をふかく信じて一心一向に弥陀如来をたのみたてまつるべし。このほかにはなをおくふかき事あるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
〔明応七年W戊午R十二月 日〕


(一八九)

南无阿弥陀仏の体はすなはちこれ願行具足のいはれなりとしるべし。また機法一体ともこれをまふすなり。
夫衆生ありて南无と帰命すれば、すなはちこれ願のこゝろなり。抑帰命といふは衆生の阿弥陀仏をたのみ後生たすけたまへとまふすこゝろなり。すでに南无と帰命するところにをひて、やがて願も行も機も法も一体に具足するいはれなるがゆへなればなり。これによりて善導大師は、「南无といふはすなはちこれ帰命なり、またこれ発願廻向の義なり」(玄義分)と釈す。されば南无と帰命するところに、すなはち願も行も具足せしむる道理なりとこゝろうべきものなり。されば衆生の阿弥陀仏に後生たすけたまへとまふすこゝろは、われらもおなじく阿弥陀仏とならんとねがひまふすこゝろなりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
予が身体によそへてかくのごとくをかしきことをつらねはんべり。
老が身は 六字のすがたに なりやせん
願行具足の 南无阿弥陀仏なり
右今度寒中法敬坊・空善両人来臨之間、為其願行具足のいはれ書記之者也。能々可知之。
明応七年十二月十五日
八十四歳
御判
法敬坊
両人中へ
空善


無年紀

(一九〇)

帖内五の十

聖人一流の御勧化のをもむきは、信心をもて本とせられ候。そのゆへはもろもろの雑行をなげすてゝ、一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として、仏のかたより往生は治定せしめたまふ。そのくらゐを「一念発起入正定之聚」(論註*巻上意)とも釈し、そのうへの称名念仏は、如来わが往生をさだめたまひし御恩報尽の念仏とこゝろうべきなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内五-一〇)

(一九一)

まづ当流の御勧化のおもむきは、信心をもて本とせられさふらふ。そのゆへはもろもろの雑行をすてゝ、一心に弥陀の本願はかゝるあさましきわれらをたすけまします不思議の願なりと、一向にふたごゝろなきかたを、信心えたる行者とはまふすなり。ささふらふときはあながちに行住座臥の称名も自身往生の業とはおもふまじきことにてさふらふ。たゞ弥陀如来の御たすけさふらふ御恩を報じまふす念仏なりとこゝろうべきにてさふらふ。あなかしこ、あなかしこ。

(一九二)

夫南无阿弥陀仏のうちには、万善諸行恒沙无数の功徳法門聖教さらにのこることもなく、またあらゆる諸神・諸仏・菩薩もことごとくこもれるなり。阿弥陀一仏をたのめば、一切の仏・菩薩、一切の諸神に帰するいはれあり。このゆへに弥陀一仏に帰すれば、いかなる四重・五逆の衆生も五障・三従の女人も浄土往生をとげずといふことなし。あら殊勝の要法や、あらたふとの弥陀如来や。依之かの弥陀如来を何とたのみ何と信じて、かの浄土へは生ずべきぞなれば、たゞもろもろ の雑行をすてゝ一心一向に弥陀に帰すれば、十人は十人百人は百人ながら、すなはち浄土に生ずべき身にさだまるなり。このうへにはたゞ朝夕は名号をとなへて、かの弥陀の御恩を報尽すべきばかりなり。されば後生を一大事とおもひて信心決定して極楽をねがふものは、後生のたすかる事は中々申にをよばず、今生もあながちにのぞみこのまねども、をのづから祈禱ともなるなり。そのいはれを他経にかくのごとくとけり。その文にいはく、「それ現世をいのる人はわらをえたるがごとし、後生をねがふ人はいねをえたるがごとし」(蘇婆呼請問*経巻上意)とたとへたり。いねといふものいできぬればをのづからわらをうるがごとし、これは後生をねがふ人のことなり。今生をいのる人はわらをばかりえたるがごとしといへるこゝろなり。されば信心決定したる人は今生も別してこのまずねがはざれども、諸仏・菩薩、諸天・善神の加護にもあづかるあひだ、かゝる殊勝にめでたき无上の仏法を信じて今度の極楽往生をとげんとねがふべきものなり。
そもそもいま聴聞するとをりをよくよく心中におさめおきて他門の人にむかひて沙汰すべからず。また路次大道にても、我々が在所にかへりても、あらはに人をもはゞからずこれを讚嘆せしむべからず。次には守護・地頭方にむかひて、我は他力の信心をえたりといひて疎略の儀なく、いよいよ公事をまたくすべし。またもろもろの仏神等をも、おろかにかろしむることなかれ。これすなはち南无阿弥陀仏の六字のうちにこれらの仏神はこもれるゆへなり。あなかしこ、あなかしこ。


(一九三)

夫今月廿八日は聖人の御恩徳のふかき事、中々申せば大海かへりてあさし。依之いかなる卑夫のともがらまでも彼御恩をわすれん人は、誠以畜生にひとしからん歟。然ば忝もせめてかの御影の御座所をなりともたづねまひりて、恩顔をなりとも拝し奉て、御恩徳をも一端報謝申さばやと、いかなる遠国のものまでも此志をはこばぬ人はなきところに、幸に御近所堅田と申すは、其間三里ばかりある大津に、而も生身の御影眼前にあらはれ給ふところに、其御影をみすてまひらせて遥の河内国において、而も水辺ふかきあしわらの中へ尋まひられて祗候あるは本意とも存ぜぬ由、空念、法住に対して申す所に、法住其返答にいはく、御影の事はいづくにましますもたゞ同事なれば相かはるべからざる由を申付候間、しからばなにとて江州堅田辺にも御影はたれたれも安置申付候事なれば、はるばるの遠路をしのぎ是までまひられんよりは、たゞ御影はおなじ事ならば、そのまゝ江州堅田に御わたり候べしと申せば、かさねて返答もなくてそのまゝまけたまひけり。あら勝事や、おふおふ。

(一九四)

当流の意は一念発起住正定聚とたてゝ、もろもろの雑行をすてゝ弥陀を一心にたのむ機は正定聚のくらゐなれば、このいはれをもて一念発起平生業成とたてぬれば、これすなはちこの宗の安心決定の行者とはなづくべきなり。あなかしこ、あなかしこ。
弥陀たのむ こゝろばかりの たふとさに
涙もよほす 墨染の袖
あけくれは 信心ひとつに なぐさみて
仏の恩を ふかく思へば

(一九五)

それ悪人・女人の身は、みなみなこゝろを一にして阿 弥陀如来をふかくたのみたてまつるべし。そのほかにはいづれの法を信ずといふとも、後生のたすかるといふことゆめゆめあるべからず。しかればなにとやうに阿弥陀如来をば信じ、またなにとやうに後生をばねがひ候べきぞといふに、たゞ一心に阿弥陀如来後生たすけたまへとふかくたのみまうさん人をば、かならずたすけたまふべし。さらさらうたがふこゝろあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(一九六)

帖内五の十九

それ末代の悪人・女人たらんともがらは、みなみなこゝろを一にして阿弥陀仏をふかくたのみたてまつるべし。そのほかにはいづれの法を信ずといふとも、後生のたすかるといふことゆめゆめあるべからず。しかれば阿弥陀如来をばなにとやうにたのみ、後生をばねがふべきぞといふに、なにのわづらひもなくたゞ一心に阿弥陀如来をひしとたのみ、後生たすけたまへとふかくたのみ申さん人をば、かならず御たすけあるべきこと、さらさらうたがひあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内五-一九)

(一九七)

帖内五の五

信心獲得すといふは第十八の願をこゝろうるなり。第十八の願をこゝろうといふは、南無阿弥陀仏のすがたをこゝろうるなり。このゆへに南無と帰命する一念の所に発願廻向のこゝろあるべし。是則弥陀如来の凡夫に廻向しましますこゝろなり。これを『経』(大経*巻上)には「令諸衆生功徳成就」ととけり。されば無始已来の悪業煩悩は、のこる所もなく不思儀の願力をもて消滅する いはれあるがゆへに、正定聚不退の位に住するなり。このゆへに煩悩を断ぜずして涅槃をうといへるはこのこゝろなり。これ当流一途の所談なり。
(帖内五-五)

(一九八)

信心獲得すといふは第十八の願意をしるなり。此願を心得といふは、南无阿弥陀仏の体をしるなり。このゆへに南无と帰命する一念の所に発願廻向のこゝろあるべし。是則弥陀如来の凡夫に廻向しましますこゝろなり。これを『経』(大経*巻上)には「令諸衆生功徳成就」ととかれたり。されば无始已来の悪業煩悩は、のこる所なく不思議の願力をもて消滅するいはれあるがゆへに、正定聚不退の位には住する物なり。依之煩悩を断ぜずして涅槃をうといへるは此心なり。此義は当流一途の所談なり。あなかしこ、あなかしこ。

(一九九)

抑十悪・五逆、五障・三従の女人も、たゞもろもろの雑行をすてゝ一心に弥陀の本願を信じ、阿弥陀如来今度の後生たすけたまへとふかくたのまん人は、みな極楽に往生すべきこと、さらさらうたがひあるべからず。これすなはち一念の往生のさだまりたるこゝろなりとおもふべし。このうへにはたゞねてもさめても後生をやすくたすけまします弥陀如来の御恩のありがたさ、たふとさをおもひまひらせて、つねに念仏まふすべし。このほかには別の子細あるべからざるものなり。又人間のありさまは、やまいにをかさればすなはち往生すべしとおもふべし。さりながら定業もきたらざれば、またなをすこともあるべし。さらにさだめなきことなり。よくよくこゝろをしづめて念仏申べきものなり。あなかしこ、あなかしこ。


(二〇〇)

抑十悪・五逆のひとも、五障・三従の女人も、たゞこゝろをひとつにしてもろもろの雑行をすてゝ弥陀の本願はたふときことゝ信じて、阿弥陀如来後生御たすけさふらへとふかくたのまんひとは、みなことごとくなにのわづらひもなく極楽に往生すべきこと、さらにそのうたがひつゆちりほどもあるべからず。このこゝろすなはちわれらが一念の往生のさだまりたるこゝろなりとおもふべし。このほかにはねてもさめても弥陀如来のやすく御たすけにあづかることのありがたさたふとさをおもひまいらせて、つねづね念仏まふすべし。このほかには別のことあるべからざるものなり。穴賢、穴賢。

(二〇一)

それ五障・三従の女人も、十悪・五逆の罪人も、もろもろの雑行をすてゝ一心に弥陀の本願をたのみ、阿弥陀如来に後生たすけたまへと申さむ人は、みなことごとく弥陀の浄土に往生すべき事、さらさらうたがう心つゆほどももつべからず。これすなはち一念の往生さだまりたる心なりとおもふべし。このうへにはねてもさめても後生たすけまします弥陀如来の御恩のありがたさたふとさをおもひいでゝ、念仏申べきばかりなり。このほかには別の子細ゆめゆめあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二〇二)

それ五障・三従の女人の身は、もろもろの雑行をうちすてゝ一心に弥陀の本願をたのみ、阿弥陀如来このた びの後生たすけましませとふかく弥陀をたのまん人は、みなながら極楽にかならず往生すべきこと、さらさらうたがふ心つゆほどももつべからず。そのうへにはねてもさめても後生たすけまします弥陀如来の御恩のほどのありがたさたふとさよとおもひて、つねに念仏まふすべきばかりなり。このほかには別の子細あるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二〇三)

帖内五の四

抑男子も女人も罪のふかゝらむともがらは、諸仏の悲願をたのみても、いまの時分は末代悪世なれば、諸仏の御ちからにては中々かなはざる時なり。これによりて阿弥陀如来と申奉るは、諸仏にすぐれて、十悪・五逆の罪人を我たすけむといふ大願ををこしましまして、阿弥陀仏となり給へり。この仏をふかくたのみて一念御たすけ候へと申さむ衆生を、我たすけずは正覚ならじとちかひまします弥陀なれば、我らが極楽に往生せん事は更にうたがひなし。このゆへに一心一向に阿弥陀如来たすけ給へとふかく心にうたがひなく信じて、我身の罪のふかき事をばうちすて仏にまかせまいらせて、一念の信心さだまらむ輩は、十人は十人ながら百人は百人ながら、みな浄土に往生すべき事、さらにうたがひなし。このうへにはなをなをたふとくおもひたてまつらむこゝろのをこらむ時は、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と、時をもいはずところをもきらはず念仏申べし。これをすなはち仏恩報謝の念仏と申なり。あなかしこ、あなかしこ。
〔南无といふ 二字のうちには 弥陀をたのむ
こゝろありとは たれもしるべし
ほれぼれと 弥陀をたのまん ひとはみな
つみはほとけに まかすべきなり
つみふかき ひとをたすくる のりなれば
弥陀にまされる ほとけあらじな〕

(帖内五-四)

(二〇四)

抑男子も女人も罪のふかからむ輩は、諸仏の悲願をたのみても、いまの時分末代悪世なれば、諸仏の御ちからにては中々かなはざる時なり。これによりて阿弥陀如来と申奉るは、諸仏にすぐれて、十悪・五逆の罪人を我ひとりたすけむと大願をおこしましまして、阿弥陀仏となり給へり。この仏をふかくたのみ御たすけ候へと申さむ衆生を、我たすけずは正覚ならじとちかひまします弥陀なれば、すでに我らが極楽に往生せむ事は更にうたがひなし。このゆへに一心一向に阿弥陀如来たすけ給へとふかく信じて、我身の罪のふかき事をばうちすてゝ仏にまかせまいらせて、一念の信心さだまらむ輩は、十人は十人百人は百人ながら、みな浄土に往生すべき事うたがふ心あるべからず。このうへにはなをなをたふとくおもひたてまつらむ時は、声にいだして南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と唱べし。これをすなはち仏恩報謝の念仏と申なり。

(二〇五)

抑男子も女人も罪のふかゝらむともがらは、諸仏の悲願をたのみても、いまの世は末代悪世なれば、諸仏の御ちかひにては中々かなはざる時なり。これによりて阿弥陀如来と申奉るは、諸仏にすぐれて、十悪・五逆の罪人を我たすけんといふ大願をおこしましまして、阿弥陀仏となり給へり。この仏をふかくたのみて一念にたすけ給へと申さむ衆生を、我たすけずは正覚ならじとちかひまします弥陀なれば、我らが極楽に往生せん事は更にうたがひなし。このゆへに一心一向に阿弥 陀如来たすけましませとふかく心にうたがひなく信じて、我身の罪のふかき事をばうちすてゝ仏にまかせまいらせて、一念の信心さだまらむ輩は、十人は十人ながら百人は百人ながら、みな浄土に往生すべき事、さらにうたがひなし。このうへにはなをなをたふとくおもひたてまつらむ心のおこらむ時は、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と、時をもきらはずところをもいはず念仏申べし。これをすなはち仏恩報謝の念仏と申なり。
〔南无といふ 二字のうちには 弥陀をたのむ
こゝろありとは たれもしるべし
ほれぼれと 弥陀をたのまん ひとはみな
つみはほとけに まかすべきなり
つみふかき ひとをたすくる のりなれば
弥陀にまされる ほとけあらじな〕

(二〇六)

帖内五の一

末代无智の在家止住の男女たらんともがらは、こゝろをひとつにして阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、さらに余のかたへこゝろをふらず、一心一向に仏たすけたまへとまうさん衆生をば、たとひ罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来はすくひましますべし。これすなはち第十八の念仏往生の誓願のこゝろなり。かくのごとく決定してのうへには、ねてもさめてもいのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内五-一)

(二〇七)

帖内五の二

それ八万の法蔵をしるといふとも、後世をしらざる人を愚者とす。たとひ一文不知の尼入道なりといふとも、後世をしるを智者とすといへり。しかれば当流のこゝろは、あながちにもろもろの聖教をよみ、ものをしりたるといふとも、一念の信心のいはれをしらざる人はいたづら事なりとしるべし。されば聖人の御ことばに も、一切の男女たらむ身は、弥陀の本願を信ぜずしては、ふつとたすかるといふ事あるべからずとおほせられたり。このゆへにいかなる女人なりといふとも、もろもろの雑行をすてゝ一念に弥陀如来今度の後生たすけたまへとふかくたのみ申さむ人は、十人も百人もみなともに弥陀の報土に往生すべき事、さらさらうたがひあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内五-二)

(二〇八)

夫八万法蔵をしるといふとも、後生をしらざる人を愚者とすと。たとひ一文不知の尼入道なりといふとも、後生をしるを智者とすといへり。しかれば当流のこゝろは、あながちにもろもろの聖教をよみ、ものをしりたりといふとも、一念の信心のいはれをしらざる人はいたづら事なりとしるべし。されば聖人の御ことばにも、一切の男女たらむ身は、弥陀の本願を信ぜずしては、ふつとたすかるといふ事あるべからずと仰られたり。いかなるつみふかき女人なりといふとも、もろもろの雑行をすてゝ一念に弥陀如来後生たすけ給へとふかくたのみ申さむ人は、十人も百人もみなともに弥陀の報土に往生すべき事、更々うたがひあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二〇九)

それ八万の法蔵をしるといふとも、後世をしらざる人を愚者とす。たとひ一文不知の尼女なりといふとも、後生をしるを智者とすといへり。しかれば当流のこゝろは、あながちに物をしり、又聖教をよむ人なりといふとも、一念の信心のこゝろをしらざる人はいたづら 事なりとおもふべし。されば上人のおほせには、一切の女人たらむ身は、弥陀の本願にあらずは、たすかるといふ事かへすがへすあるべからずとおもふべしとのたまへり。このゆへにいかなる罪業ふかき女人なりといふとも、もろもろの雑行をすてゝ一念に弥陀如来今度の後生たすけたまへとふかくたのみ申さむ人は、十人も百人もみなことごとく弥陀の報土に往生すべき事うたがひあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二一〇)

帖内五の三

夫在家の尼女房たらん身は、なにのやうもなく一心一向に阿弥陀仏をふかくたのみまひらせて、後生たすけたまへとまふさん人をば、みなみな御たすけあるべしとおもひとりて、さらにうたがひのこゝろゆめゆめあるべからず。これすなはち弥陀如来の御ちかひの他力本願とはまふすなり。このうへにはなを後生のたすからんことのうれしさありがたさをおもはゞ、たゞ南无阿弥陀仏南无阿弥陀仏ととなふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内五-三)

(二一一)

帖内五の七

それ女人の身は、五障・三従とて、おとこにまさりてかゝるふかきつみのあるなり。このゆへに一切の女人をば、十方にまします諸仏も、わがちからにては女人をばほとけになしたまふことさらになし。しかるに阿弥陀如来こそ、女人をばわれひとりたすけんといふ大願ををこしてすくひたまふなり。このほとけをたのまずは、女人の身のほとけになるといふことあるべからざるなり。これによりてなにとこゝろねをもち、またなにと阿弥陀ほとけをたのみまひらせてほとけにはなるべきぞなれば、なにのやうもいらず、たゞふたごゝろなく一向に阿弥陀仏ばかりをたのみまひらせて、 後生たすけたまへとおもふこゝろひとつにて、やすくほとけにはなるべきなり。このこゝろのつゆちりほどもうたがひなければ、かならずかならず極楽へまひりて、うつくしきほとけとはなるべきなり。さてこのうへになをこゝろうべきやうは、ときどき念仏をまうして、かゝるあさましきわれらをやすくたすけまします阿弥陀如来の御恩の御うれしさありがたさを報ぜんために、念仏まうすべきばかりなりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内五-七)

(二一二)

帖内五の十三

それ南无阿弥陀仏とまふす文字は、そのかずわづかに六字なれば、さのみ功能のあるべきともおぼへざるに、この六字の名号のうちには无上甚深の功徳利益の広大なること、さらにそのきはまりなきものなり。されば信心をとるといふも、この六字のうちにこもれりとしるべし。さらに別に信心とて六字のほかにはあるべからざるものなり。そもそもこの南无阿弥陀仏の六字を善導釈していはく、「南无といふは帰命なり、またこれ発願廻向の義なり。阿弥陀仏といふはその行なり。この義をもてのゆへにかならず往生することをう」(玄義分)といへり。しかればこの釈のこゝろをなにとこゝろうべきぞといふに、たとへばわれらごときの悪業煩悩の身なりといふとも、一念阿弥陀仏に帰命せば、かならずその機をしろしめしてたすけたまふべし。それ帰命といふはすなはちたすけたまへとまふすこゝろなり。されば一念に弥陀をたのむ衆生に无上大利の功徳をあたへたまふを、発願廻向とはまふすなり。この発 願廻向の大善大功徳をわれら衆生にあたへましますゆへに、无始曠劫よりこのかたつくりをきたる悪業煩悩をば一時に消滅したまふゆへに、われらが煩悩悪業はことごとくみなきえて、すでに正定聚不退転なんどいふくらゐに住すとはいふなり。このゆへに南无阿弥陀仏の六字のすがたは、われらが極楽に往生すべきすがたをあらはせるなりと、いよいよしられたるものなり。されば安心といふも信心といふも、この名号の六字のこゝろをよくよくこゝろうるものを、他力の大信心をえたるひとゝはなづけたり。かゝる殊勝の道理あるがゆへに、ふかく信じたてまつるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内五-一三)

(二一三)

夫南无阿弥陀仏と申はわづかにそのかず六字なれば、さのみ功能のあるべきとも覚ず候。しかれどもこの六字のうちには无上甚深の利益の広大なるよし、内々うけたまはりをよべり。あはれくはしく愚痴の我等にをしへたまひ候はゞ、忝く存ずべく候。また他力の安心と申もこの六字のこゝろにこもれりなんど仰られ候あひだ、くはしく存知せしめたく候。答て云、我等もくはしく存知つかまつりたるむねはなく候へども、このごろおほよそ聴聞を耳にふれをき候をもむき、かたのごとくかたり申すべきにて候。おぼろげに御きゝ候ては、我等が後日のあやまりにもなるべく候。かへすがへすも解脱の耳をそばだてゝ、ふかく歓喜の思を御なし候て、よくよく御きゝあるべくさふらふ。抑この南无阿弥陀仏と申す六字を善導釈していはく、「南无といふは帰命なり、またこれ発願廻向の義なり。阿弥陀仏といふはその行なり。この義をもてのゆへにかならず往生することをう」(玄義分)といへり。さればこの釈のこゝろをばなにとこゝろうべきぞといふに、これに二 の義あり。一には帰命、二には発願廻向の義なり。これをこゝろうべきやうは、たとへば一生造悪の愚痴の我等なれども、南无と帰すればやがて阿弥陀仏のそのたのむ機をしろしめすなり。また帰命といふはたすけたまへと申すこゝろなり。この帰命の衆生を弥陀のすくひましますこゝろが、すなはち発願廻向のこゝろなり。また発願廻向といふは阿弥陀如来の御かたより大善大功徳をあたへたまふこゝろなり。この大善大功徳を我等衆生にあたへましますゆへに、无始曠劫よりつくりをきたる悪業煩悩を一時に消滅したまふゆへに、我等が悪業のをそろしきつみことごとくみなきえて、すでに无上涅槃のくらゐにひとしきがゆへに、正定聚不退のくらゐにいたるとはいふなり。さればこそ、この南无阿弥陀仏の六字はわれらが往生すべきすがたなりといよいよしらるゝものなり。又他力の信心をうるといふも、たゞこの南无阿弥陀仏の六字のうちにみなこもれるものなりとおもふべし。さればかずはたゞ六字にてすくなけれども、その功能のふかきことはさらにきはほとりもなきいはれあるがゆへなりとしるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二一四)

夫南无阿弥陀仏と申すはわづかに六字なれば、さのみ功能のあるべきともおぼゑず候。しかれどもこの六字の内にをひて无上甚深の利益の広大なるよし、内々うけたまはりをよび候。くわしく愚痴の我等にをしへましまし候はゞ、忝き御慈悲と存ずべく候。また他力の真実信心とやらんもこの六字にこもりたるなんど御流安心決定の面々も一同に御物がたり候間、くはしく存 知仕候て、今度の一大事の報土往生を治定仕り度存候間、あはれ慈悲哀愍をたれましまして、ねむごろに御をしへにあづかり候はゞ、可然御慈悲と存じをき申すべく候なり。
答て云、我等もくはしく存知せしむるむねは候はねども、このごろ凡聴聞のおもむきを、かたのごとくかたり申べきにて候。おぼろげに御きゝ候ては、我等が後日のあやまりにもまかりなるべく候。解脱の耳をそばだてゝ、ふかく歓喜の思を御なし候て、よくよく御聴聞あるべく候。
抑まづこの南无阿弥陀仏と申す六字を大唐の善導大師釈していはく、「南无といふは帰命なり、またこれ発願廻向の儀なり。阿弥陀仏といふはその行なり。この儀をもてのゆへにかならず往生することをう」(玄義分)といへり。さればこの釈のこゝろをばなにと心得べきぞといふに、これに二の儀あり。一には帰命、二には発願廻向の儀なり。これをこゝろうべきやうは、たとへば一生造悪の愚痴の我等なれども、たゞなにのやうもなく一念に阿弥陀仏を後生御たすけ候へと一念にふかくたのみまひらせんものをば、一定御たすけあるべきこと、さらにうたがひあるべからず候。さてこそ不思議の願力とはこれをまふすなり。かやうに一念に弥陀をたのみたてまつるものには、殊勝の大利无上の功徳を我等にあたへましますいはれあるがゆへに、无始よりこのかたの罪障ことごとくきえはてゝ、正定聚不退転のくらゐにかなひ候ものなり。このいはれこそすなはち南无阿弥陀仏の六字が我等が往生すべき支証にては候へ。別に南无阿弥陀仏をこゝろうべき道理にてはなきものなり。他力の大信心といふもこの六字の名号をこゝろうるいはれなりとこゝろえらるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。


(二一五)

南无阿弥陀仏事
善導釈にいはく、「南无といふはすなはちこれ帰命なり、またこれ発願廻向の義なり。阿弥陀仏といふはすなはちその行なり。この義をもてのゆへにかならず往生することをうるなり」(玄義分)といへり。このこゝろはいかんといふに、いかなる罪悪凡夫なりとも、阿弥陀仏たすけたまへと一念にたのみたてまつらん衆生をば、よくしろしめして无上大利大功徳力をわれらに廻向しましますゆへに、无始已来の罪業はことごとく消滅して、すでにすなはちのとき正定聚不退転の位に住すべきなり。これすなはち弥陀如来の他力より往生さだめましますこゝろなり。これを『大経』(巻下)には、「即得往生住不退転」とときたまへり。
あなかしこ、あなかしこ。

(二一六)

南无阿弥陀仏の六字を善導釈していはく、「南无といふ二字はすなはちこれ帰命なり、又これ発願廻向の義なり。阿弥陀仏といふはすなはちその行なり。この義をもてのゆへにかならず往生することをうるなり」(玄義分)といへり。このこゝろはいかんといふに、罪業深重の凡夫なりといふとも、阿弥陀仏後生たすけ給へと一念にたのみ申さん衆生をば、よくしろしめして无上大利の功徳力をたのみ申す我等に廻向しましますなり。このゆへに无始已来の罪障一時に消滅して正定聚不退の位にいたるべきなり。これすなはち弥陀如来の他力本願のこゝろなり。あなかしこ、あなかしこ。


(二一七)

南无阿弥陀仏
此文善導釈していはく、「言南无といふは帰命」(玄義分意)といふこゝろなり。帰命といふは、衆生の阿弥陀仏後生たすけたまへとたのみまふすこゝろなり。阿弥陀仏といふは、発願廻向といふこゝろなり。発願廻向といふは、阿弥陀仏をたのむ衆生を摂取してすくひたまふこゝろなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二一八)

帖内五の十五

夫弥陀如来の本願とまふすは、なにたる機の衆生をたすけたまふぞ、またいかやうに弥陀をたのみ、いかやうにこゝろをもちてたすかるべきやらん。まづ機をいへば、十悪・五逆の罪人なりとも五障・三従の女人なりとも、さらにその罪業深重にこゝろをかくべからず。たゞ他力の大信心ひとつにて、真実の極楽往生をとぐべきものなり。さればその信心といふは、いかやうにこゝろをもちて、弥陀をばなにとやうにたのむべきやらん。それ信心をとるといふは、やうもなく、たゞもろもろの雑行雑修自力なんどいふわろきこゝろをふりすてゝ、一心にふかく弥陀に帰するこゝろのうたがひなきを真実信心とはまふすなり。かくのごとく一心にたのみ、一向にたのむ衆生を、かたじけなくも弥陀如来はよくしろしめして、この機を光明をもてひかりのうちにおさめをきましまして、極楽へ往生せしむべきなり。これを念仏の衆生を摂取したまふといふことなり。このうへにはたとひ一期のあひだまふす念仏なりとも、仏恩報謝の念仏なりとこゝろうべきなり。これを当流の信心をよくこゝろえたる念仏の行者といふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内五-一五)

(二一九)

帖内五の十六

それ人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡はかな きものはこの世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。さればいまだ万歳の人身をうけたりといふことをきかず、一生すぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。われやさき人やさき、けふともしらずあすともしらず、おくれさきだつひとはもとのしづくすえのつゆよりもしげしといへり。されば朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。すでに无常のかぜきたりぬれば、すなはち二のまなこたちまちにとぢ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて桃李のよそほひをうしなひぬるときは、六親眷属あつまりなげきかなしめども、さらにその甲斐あるべからず。さてしもあるべきことならねばとて、野外におくりてよはのけぶりとなしはてぬれば、たゞ白骨のみぞのこれり。あわれといふもなかなかをろかなり。されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれのひともはやく後生の一大事をこゝろにかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまひらせて、念仏まふすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内五-一六)

(二二〇)

それ一切の女人の身は上下をいわずつみのふかき身なり。それについて仏法を信ずべきやうは、もろもろの雑行をうちすてゝたゞひとへに弥陀如来後生をたすけましませとひしとたのまん女人の身をば、よくよくしろしめして御たすけにあづかりて、極楽に往生せん事はつゆちりほどもうたがふ心あるべからざるものなり。かやうによく心へて信ぜん女人は、ねてもさめてもこのありがたさたふとさをおもひまいらせて、つねづね 念仏申べきばかりなり。このほかには別の事あるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
我なくは たれも心を ひとつにて
南無阿弥陀仏と たのめみな人

(二二一)

帖内五の十七

それ一切の女人の身は、後生を大事におもひ、仏法をたふとくおもふ心あらば、なにのやうもなく阿弥陀如来をふかくたのみまいらせて、もろもろの雑行をふりすてゝ、一心に後生を御たすけ候へとひしとたのまん女人は、かならず極楽に往生すべき事、さらにうたがひあるべからず。かやうにおもひとりてののちは、ひたすら弥陀如来のやすく御たすけにあづかるべき事のありがたさ、又たふとさよとふかく信じて、ねてもさめても南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と申べきばかりなり。これを信心とりたる念仏者とは申すものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内五-一七)

(二二二)

帖内五の二十

それ一切の女人たらん身は、弥陀如来をひしとたのみ、後生たすけたまへと申さん女人をば、かならず御たすけあるべし。さるほどに諸仏のすてたまへる女人を、阿弥陀如来ひとり我たすけずんばまたいづれの仏のたすけたまはんぞとおぼしめして、无上の大願ををこして、我諸仏にすぐれて女人をたすけんとて五劫があひだ思惟し、永劫があひだ修行して、世にこえたる大願ををこして、女人成仏といへる殊勝の願ををこしまします弥陀なり。このゆへにふかく弥陀をたのみ、後生たすけたまへと申さん女人は、みなみな極楽に往生すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内五-二〇)

(二二三)

帖内五の十八

当流聖人のすゝめまします安心といふは、なにのやう もなく、まづ我身のあさましきつみのふかきことをばうちすてゝ、もろもろの雑行雑修のこゝろをさしをきて、一心に阿みだ如来後生たすけたまへと一念にふかくたのみたてまつらんものをば、たとへば十人は十人百人は百人ながら、みなもらさずたすけたまふべし。これさらにうたがふべからざるものなり。かやによくこゝろへたる人を信心の行者といふなり。さてこのうへには、なを我身の後生のたすからん事のうれしさをおもひいださんときは、ねてもさめても南无阿弥陀仏南无阿弥陀仏ととなふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内五-一八)

(二二四)

帖内五の二十一

当流の安心といふは、なにのやうもなく、もろもろ□雑行雑修のこゝろをすてゝ、わが身はいかなる罪業ふかくとも、それをば仏にまかせまひらせて、たゞ一心に阿弥陀如来を一念にふかくたのみまひらせて、御たすけさふらへとまふさん衆生をば、十人は十人百人は百人ながら、ことごとくたすけたまふべし。これさらにうたがふこゝろつゆほどもあるべからず。かやうに信ずる機を安心をよく決定せしめたる人とは云なり。このこゝろをこそ経釈の明文には、「一念発起住正定聚」(論註*巻上意)とも平生業成の行人ともいふなり。さればたゞ弥陀仏を一念にふかくたのみたてまつること肝要なりとこゝろうべし。このほかには弥陀如来のわれらをやすくたすけまします御恩のふかきことをおもひて、行住座臥につねに念仏まふすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(帖内五-二一)

(二二五)

帖内二の十三

当流の安心のをもむきをくはしくしらんとおもはんひとは、あながちに智慧・才学もいらず、たゞわが身はつみふかきあさましきものなりとおもひとりて、かゝる機までもたすけたまへるほとけは阿弥陀如来ばかりなりとしりて、なにのやうもなくひとすぢにこの阿弥陀ほとけの御袖にひしとすがりまいらするおもひをなして、後生をたすけたまへとたのみまうせば、この阿弥陀如来はふかくよろこびましまして、その御身より八万四千のおほきなる光明をはなちて、その光明のなかにそのひとをおさめいれてをきたまふべし。さればこのこゝろを『経』(観経)には「光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨」とはとかれたりとこゝろうべし。さてはわが身のほとけにならんずることは、なにのわづらひもなし。あら殊勝の超世の本願や、ありがたの弥陀如来の光明や。この光明の縁にあひたてまつらずは、无始よりこのかたの无明業障のおそろしきやまひのなほるといふことは、さらにもてあるべからざるものなり。しかるにこの光明の縁にもよほされて、宿善の機ありて他力信心といふことをばいますでにえたり。これしかしながら弥陀如来の御かたよりさづけましましたる信心とはやがてあらはにしられたり。かるがゆへに行者のをこすところの信心にあらず、弥陀如来他力の大信心といふことは、いまこそあきらかにしられたり。これによりてかたじけなくもひとたび他力の信心をえたらんひとは、みな弥陀如来の御恩をおもひはかりて、仏恩報謝のためにつねに称名念仏をまうしたてまつるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内二-一三)


(二二六)

帖内二の十四

抑当流勧化のをもむきをくはしくしりて、極楽に往生せんとおもはんひとは、まづ他力の信心といふことを存知すべきなり。それ他力の信心といふはなにの要ぞといへば、かゝるあさましきわれらごときの凡夫の身が、たやすく浄土へまいるべき用意なり。その他力の信心のすがたといふはいかなることぞといへば、なにのやうもなくたゞひとすぢに阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、たすけたまへとおもふこゝろの一念をこるとき、かならず弥陀如来の摂取の光明をはなちて、その身の娑婆にあらんほどは、この光明のなかにおさめをきましますなり。これすなはちわれらが往生のさだまりたるすがたなり。されば南无阿弥陀仏とまうす体は、われらが他力の信心をえたるすがたなり。この信心といふは、この南无阿弥陀仏のいはれをあらはせるすがたなりとこゝろうべきなり。さればわれらがいまの他力の信心ひとつをとるによりて、極楽にやすく往生すべきことの、さらになにのうたがひもなし。あら殊勝の弥陀如来の本願や。このありがたさの弥陀の御恩をば、いかゞして報じたてまつるべきぞなれば、たゞねてもおきても南无阿弥陀仏ととなへて、かの弥陀如来の仏恩を報ずべきなり。されば南无阿弥陀仏ととなふるこゝろはいかんぞなれば、阿弥陀如来の御たすけありつるありがたさたふとさよとおもひて、それをよろこびまうすこゝろなりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
(帖内二-一四)


(二二七)

当流の安心のおもむきといふは、なにのやうもなく、わが身はいかなる罪業ふかくとも、それをばうちすてゝ、たゞ一心に弥陀如来を一念にふかくたのみまひらせて、後生御たすけ候へとまふさん衆生をば、十人は十人百人は百人ながら、たすけたまふべし。これさらにつゆほどもうたがふこゝろあるべからず。これを一念帰命の信心さだまりたる行者とはいふべきものなり。かくのごとくよくこゝろえたる人を「一念発起住正定聚」(論註*巻上意)ともいひ、または平生業成の行人ともいへり。さればたゞ一念に阿弥陀をたのみたてまつるこゝろこそ肝要なりとこゝろうべし。さればこのほかには、弥陀如来のかやうにやすくたすけたまふ御恩には、つねに名号をとなふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二二八)

抑当流にすゝめましますところの信心をとるといふは、すなはち我身のうへのつみとがのふかきことをばまづうちすてゝ、それ弥陀如来とまふすは、その機をいへば十悪・五逆、五障・三従のあさましき女人までもことごとくすくひまします不思議の本願なりとふかくしりて、さてそのうへに阿弥陀如来の本願をばなにとやうにたのみ、いかやうにこゝろねをももちて信じまひらせて、後生をばたすかるべきぞといふに、なにのわづらひもなくこゝろをひとつにして阿弥陀仏をたのみたてまつりて、うたがふこゝろなくは、弥陀如来はかならず摂取の光明をはなちてそのひかりのうちにおさめをきたまふべきこと決定なり。かくのごとくこゝろゑたらんひとは、すなはちこれ真実信心の行者なるべし。このうへになをこゝろうべきやうは、かゝる弥陀如来のわれらをやすくたすけましましたる御恩のふかきこ とをつねにおもひたてまつりて、仏恩報謝のためにはねてもおきてもたゞ念仏をまふすべきばかりなり。あらありがたの弥陀如来の本願や。これによりてかたじけなくもこの法を三国の祖師・先徳の次第相承して、われら凡夫にをひてねんごろにとききかしめたまふは、まことに曠劫多生の宿縁のもよほすところなり。これすなはち別して開山聖人のこの法をときひろめたまはずは、われら迷倒の凡夫道法までもこのたびの報土往生の本意をたやすくとくべきやとおもふべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。

(二二九)

その他力の信心といふは弥陀をたのむところの決定の一心なり。その帰命したてまつるといふそのほとけの御名をばなにとまふすぞといへば、南无阿弥陀仏とまふすなり。さればこの南无阿弥陀仏の六字を善導釈していはく、「南无といふはすなはちこれ帰命、またこれ発願廻向の義なり。阿弥陀仏といふはすなはちこれその行なり。この義をもてのゆへにかならず往生することをうるなり」(玄義分)といへり。そのこゝろはいかんとなれば、南无と帰命する衆生を、阿弥陀仏の発願廻向とやすくたすけすくひたまへるこゝろなり。このいはれあるがゆへに、いかなる十悪・五逆の衆生・罪人、五障・三従の女人も、一念の信心をおこして、ふかく弥陀如来に帰命したてまつれば、広大の慈悲をたれましまして、たのみたてまつるところの衆生をかたじけなくも摂取の光明のなかにてらしをきましますなり。このたふとさのうみやまの御恩をば、たゞ昼夜朝暮には南无阿弥陀仏南无阿弥陀仏とくちにまかせてとなへ たてまつりて報尽まふすばかりなり。あら殊勝の本願や、あらありがたの念仏や。依之こゝろえやすき信心をば、はやく信じまいらするうへには、この信心のことはりをもて他門のひとにあらはにまふすべきにあらず。また南无阿弥陀仏といへるうへには、一切の諸神・諸仏も、もろもろの功徳善根も、のこるところなくみなことごとくこもれるがゆへに、おろそかにそしり謗ずることゆめゆめあるべからず。このおもむきをよくこゝろえたらんひとは、まことにもて当流のおもむきをまもれるすがたなりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二三〇)

夫他力の安心といふは、南无と帰命すれば阿弥陀仏の御たすけある心なり。されば南无の二字は、阿弥陀仏後生たすけましませといへる心なり。又南无の二字は、衆生の阿弥陀仏をたのむ心なり。又阿弥陀仏四字は、たのむ衆生を光明中に摂取したまふ心なり。このゆへに安心といふは、南无阿弥陀仏の六字の心なりとこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二三一)

南无阿弥陀仏の六字のすがたは、一切衆生のはじめて往生をねがふ心なり。されば南无の二字は、後生たすけたまへと弥陀をふかくたのみたてまつるこゝろなり。又阿弥陀仏の四字は、たのむ我らをもらさずすくひましますこゝろなり。これすなはち南无阿弥陀仏としるべし。あなかしこ、あなかしこ。

(二三二)

右親鸞聖人の一流の勧化のこゝろは、おほよそ一念発起平生業成とたてゝ、もろもろの雑行雑修のこゝろをすてゝ一向に弥陀如来の不思議の願力なりと信じて、一念に弥陀に帰命の心ふたごゝろなくは、これすなはち一念発起の安心なり、やがて平生業成のこゝろなり。 このうへにはいよいよ弥陀如来の御かたよりわれらが往生はさだめたまふなりとしらるゝものなり。さては仏恩のふかきこときはまりなきうへは念仏をまふし、かの御恩をつねに報じたてまつるべきものなりとしるべし。このうへに念仏まふして弥陀の御恩を報じたてまつるは自力なりといひ、またわがはからひなりとまふさんは、おほきなるあやまりなり。よくよくこゝろうべきことなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二三三)

当流安心のをもむきは、なにのわづらひもなく在家止住の身は一心一向に阿弥陀仏に帰命したてまつりて、我身の罪障の深重なることをもこゝろにかけず、たゞふかく弥陀如来にまかせまひらせて、かゝるあさましき機を本とたすけまします本願なりと信じて、ふかくたのむ心の一分もうたがひなきこゝろの一念をこるとき、やがてわが往生はさだまるなり。さればこれを『大経』(巻下)には「即得往生住不退転」ともとき、また釈には「入正定之聚」(論註*巻上意)とも釈したまへり。かくのごとくこゝろえてののちは、一心に弥陀如来のやすくたすけまします御恩のありがたさたふとさのうへには、昼夜朝暮に称名念仏申すべきばかりこそ、当流の真実信心の行者とはいふべけれ。このほかにはさらにおくふかき安心とてはあるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。
【(別紙)】光徳寺御房 (花押)

(二三四)

当流安心のをもむきといふは、たとへば在家の身ならば、一心一向に阿弥陀仏をたのみたてまつりて、我身 の罪障の深重なることをばうちすてゝ心にかけず、ふかく弥陀如来にまかせまひらせて、かゝるあさましき我等を本とたすけまします本願なりと信じて、たのむ心の一念もうたがひなくは、やがて我往生はさだまりぬとおもふべし。これを『経』(大経*巻下)には「即得往生住不退転」ともとき、又釈には「入正定之聚」(論註*巻上意)ともいへり。かくのごとくこゝろゑてのちは、弥陀如来の御恩徳のありがたさたふとさのうへには、行住座臥に称名念仏を申べきばかりなり。このほかにはさらに当流信心とて別に沙汰する子細なきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二三五)

一 当流安心のをもむきといふは、たとへば在家の身ならば一向一心に阿弥陀仏をたのみて、我身の罪障深重なることをばうちすてゝ、ふかく弥陀如来にまかせまいらせて、かゝるあさましき機をたすけまします本願なりと信じて、たのむこゝろの一念もうたがひなくは、やがてわが往生は一定とおもふべし。これを『経』(大経*巻下)には「即得往生住不退転」ととき、また釈には「一念発起入正定之聚」(論註*巻上意)ともいへり。かくのごとくこゝろえてののちは、弥陀如来の御恩のありがたさたふとさのうへには、行住座臥に称名念仏をまうすべきなり。このほかには当流にをひておくふかきことはなきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。

(二三六)

当流安心のおもむきといふは、たとへば在家の身ならば、一心一向に阿弥陀仏をふかくたのみ、わが身の罪障のふかきことをばうちすてゝ、弥陀如来を一心一念にうたがうこゝろの露ほどもなからんものは、やがてわが往生はさだまりぬとおもふべし。されば『大経』(巻下)にもこれを「即得往生住不退転」ともとき、釈には「一 念発起入正定聚」(論註*巻上意)ともいへり。かくのごとくこゝろえてののちは、弥陀如来のこゝろゑやすくおんたすけあることのありがたさたふとさのうへには、ねてもさめても名号をとなへまふすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二三七)

当流の安心とまふすは、一向に弥陀如来をたのみまひらせて、ふたごゝろのなきを本願を信ずる人とはまふすなり。かやうにこゝろえさふらふ人は、かならず十は十ながら百は百ながら極楽に往生し、仏になりさふらふべきなり。このうへにはたとひ念仏をまふすとも、わが往生のためとはおもふべからずさふらふなり。されば弥陀如来のかたじけなくもかゝる悪人・女人をたやすくたすけまします弥陀の御恩を報じたてまつる念仏なりとこゝろえたまふべきなり。このごとくにこゝろをもちさふらはぬ人をば、千がなかにも万がなかにも、ひとりも極楽に往生せずとときをきたまひさふらふなり。このこゝろよくよくしらせたまひさふらふ人をば、信心決定したるひととぞまふしさふらふなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二三八)

いまこのごろの井中の在家の男女たらん人は、もろもろの雑行をすてゝ、一心に弥陀如来にむかひたてまつりて今度の一大事の後生御たすけさふらへとふかくたのみ申さん衆生を、みなことごとく御たすけあるべき事さらにうたがふ心すこしもあるべからざるものなり。このほかにはなにのわづらひもなき事なり。これを他力の信心をえたる人とはいふなり。このうへ には南无阿弥陀仏とねてもさめても申すべきものなり。このほかにはさらになにのわづらはしき事ゆめゆめあるべからずとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二三九)

それ末代悪世の男女たらん身はなにのわづらひもなく、もろもろの雑行をうちすてゝ、一心に阿弥陀如来後生たすけ給へとひしとたのみたてまつらん人は、たとへば百人も千人も、のこらず極楽に往生すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二四〇)

五濁悪世の有情の 選択本願信ずれば
不可称不可説不可思議の 功徳は行者の身にみてり
此『讚』(高僧*和讚)の意は、この世の我等衆生の、阿弥陀仏を一心にたのみまいらせて後生御たすけ候へと申さむ有情には、不可称不可説不可思議とて殊勝なる大功徳を阿弥陀仏の我等にあたへましますがゆへに、無始よりこのかたの悪業煩悩もみなことごとくきえはてゝ無上涅槃のくらひにいたるべきものなりとこゝろふべし。

(二四一)

煩悩具足と信知して 本願力に乗ずれば
すなはち穢身すてはてゝ 法性常楽証せしむ
この『和讚』(高僧*和讚)のこゝろは、たとへばいかなる悪業煩悩をもき身なりとも、阿弥陀如来をひとすぢにたのみたてまつりて後生御たすけたまへとまうさん衆生をば、すなはち有漏の穢身をすてはてゝ弥陀の報土にまいりて、仏身仏果をえしめて法性常楽といへるくらゐにいたるべきものなりとしるべし。あなかしこ、あなかしこ。

(二四二)

夫当流之安心之趣といふは、あながちに捨家棄欲の心 を表せず、又出家発心のすがたをあらはさず、たゞもろもろの雑行をすてゝ一向に阿弥陀仏に帰命して、今度の一大事の後生たすけたまへと一心に阿弥陀如来をひしとたのみたてまつらん衆生は、みなことごとく報土往生すべきこと、さらさらうたがふべからざるものなり。さればこの心にみな人をもとづけんとてこそ、いろいろの廃立をたて、又もろもろの聖教なんどいふこともいできたり、かやうにこゝろえたる人こそ正覚の一念に帰したる人ともいふなり。さるほどにこの道里を一念きゝて信をとる人もあり、又宿習といふことなき人は、いくたびきゝても更に信をばとらぬ人もあり、かくのごとくよくこゝろえたる人を「一念発起住正定聚」(論註*巻上意)とも無上涅槃を証すとなづくるなり。

(二四三)

夫浄土真宗とは、顕浄土の中よりえらびいだしたまふところの元祖聖人の御一流なり。ゆへいかんとなれば、『大経』(巻上)云、「如来以无尽大悲矜哀三界所以出興於世光闡道教欲拯群萌恵以真実之利」といへり。こゝろは如来无尽大悲をもて三界の衆生をあはれみて世にいでたまふゆへは、ひろくまことのみちのおしへをひらきあらはして、愚縛の凡衆をすくはんとおぼして、智慧のひかりをもて真実の利をおしへたまへり。その真実の利といふは无上の大利なり。同き『経』(大経*巻下)云、「乃至一念当知此人為得大利」といへり。「大利をう」といふは、名号をきゝて信心歓喜するもの、往生決定のひとなり、往生うたがはず。されば无上大利の功徳をえて无上のひとゝなるなり。无上真実の大利は他力の本 願なり。その他力といふはいかんとなれば、凡夫としてははからざることなり。弥陀如来の御こゝろよりおこりて我等が往生はしたゝめたまふなり。われらがこゝろとしては三毒の煩悩を眷属として、朝夕のことわざには殺偸婬毒のはげみおこたることなし。このこゝろにてはいかでか仏道にのぞまん、なんぞ極楽にいたらん。しかるに弥陀は難化難入之衆生に心安く往生をゑしめんとて、一念発起の信心をすゝめて、その身を摂取してすてたまはず。これひとへにわれとしておこさゞる信心なり。弥陀如来よりさづけたまへる信心なりとこゝろうべし。これを他力をゑたる信心とはいふなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二四四)

凡当流之義、浄土一家之義には大に相違すべき也。当時はみな他流の義をもて親鸞聖人一流と号すと[云々]。以外の次第也。
先親鸞上人一流意は一念発起平生業成と立てゝ、臨終を期せず来迎をたのまざるなり。されば来迎方便、得生真実と沙汰する也。仍一念帰命の信心決定して後の称名をば、自身の往生を猶いのる心あらば、それは自力なり。ひたすら往生は一念に決定と心得て、仏恩報謝の称名とおもふべきなり。これすなはち当流の信心発得の行者と云也。この上には来迎と云事も臨終と云事も更にあるまじきものなり。
一 宿善によりて本願をば信ずる也。宿善なくは無上の本願も徒事なるべき也。

(二四五)

侍能工商之事
一 奉公宮仕をし、弓箭を帯して主命のために身命をもおしまず。
二 又耕作に身をまかせ、すき・くわをひさげて大地をほりうごかして、身にちからをいれてほりつくりを 本として身命をつぐ。
三 或は芸能をたしなみて人をたらし、狂言・䛴語を本として浮世をわたるたぐひのみなり。
四 朝夕は商に心をかけ、或は難海の波の上にうかび、おそろしき難破にあへる事をかへりみず。
かゝる身なれども弥陀如来の本願の不思議は諸仏の本願にすぐれて、我らまよひの凡夫をたすけんといふ大願をおこして、三世十方の諸仏にすてられたる悪人・女人をすくゐましますは、たゞ阿弥陀如来ばかりなり。これをたふとき事ともおもはずして、朝夕は悪業煩悩にのみまとはれて、一すぢに弥陀をたのむ心のなきはあさましき事にはあらずや。ふかくつゝしむべし。
あなかしこ、あなかしこ。

(二四六)

吉藤専光寺門徒中面々安心之次第大略推量せしむるに、念仏だに申て毎月道場寄合にをいて懈怠なくは、往生すべきなんどばかり存知候歟。但それは今少不足に覚へ候。抑当流聖人之さだめをかるゝところの一義はいかんといふに、十悪・五逆罪人、五障・三従の女人たらん身は、たゞなにのわづらひもなく一心一向に弥陀如来を余念もなくふかくたのみたてまつりて、後生たすけたまへと申さん輩は、十人は十人ながら百人は百人ながら、ことごとくみな報土に往生すべきこと、さらさらうたがひあるべからざるものなり。これすなはち他力真実の安心決定の行者といゝつべし。かくのごとくこゝろえたる人をなづけて、一念発起平生業成の当流念仏の行人と号するものなり。この外にはことな る信心とても別の義ゆめあるべからずとよくよくこゝろうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

(二四七)

抑当所富田庄内の男女老少ともに安心のおもむきをこゝろうべきやうは、まづ一切の諸仏も一切の諸神もみなともに、衆生の地獄にをつることをなげきかなしみたまひて、もろもろの仏たち御身を変じて三熱の苦をうけて神とあらはれましまして、衆生に縁をむすびて、なにとしても仏道にひきいれしめんとおぼしめして、一切の神とはあらはれたまふものなり。このいはれをつねに「和光同塵は結縁のはじめ、八相成道は利物のをはり」(止観巻*六下意)といへるはこのこゝろなり。それ「和光同塵」といふは、一切の諸仏の神とあらはれて衆生に縁をむすびて、このちからをもて結縁のはじめとしたまふこゝろなり。「八相成道は利物のをはり」といふは、つゐにこれを結縁のはじめとして仏道にひきいれんとしたまふこゝろなり。これもいまたゞちに仏になることにてはなきなり。ひさしき縁となるなり。かやうに神につかへてながく輪廻せんよりは、いま弥陀如来を一心にたのみまひらせて後生たすけたまへとまふさん衆生をば、みなことごとくたすけたまふべし。これほどにやすくたすけまします弥陀の本願をしらずして、むなしく死せんことは愚痴のいたり、あさましきことにはあらずや。このむねをよくよくこゝろえて、ふかく弥陀をたのみて浄土に往生すべきものなり。

(二四八)

後生を一大事とおぼしめし候はゞ、たゞ一すぢに弥陀をたのみまひらせて、もろもろの雑行、物のいまわしき心などをふりすてゝ、一心にふたごゝろなくたのみまいらせ候てこそほとけにはなり候はんずれ。さやうに物をまひらせ候て、そのちからにてなどゝうけ給候、なにともなき事にて候。よくよく御心え候べく候。後 生ほどの一大事はあるまじく候。文をよくよく御らんじ候べく候。返々御心えのとをりどもあさましく候。これよりのち、いよいよよくよく御心えわけましまし候べく候。あなかしこ、あなかしこ。

(二四九)

その方にみなみな申されさふらふなるは、信心をうるとき、はやほとけになりさとりをひらきたるよし、うけたまはりおよび候。言語道断くせ事にて候。それはあさましくこそさふらへ。
聖人御一流には定聚・滅度とたてましまして、雑行をすてゝ一心に弥陀に帰したてまつるとき、摂取不捨の利益にあづかり正定聚のくらゐにさだめたまふ。これを平生業成となづく。さて今生の縁つきていのちおはらんとき、さとりをひらくべきものなり。これをすなはち大涅槃をさとるとも、滅度にいたるとも申すなり。かくこゝろうる人を信心決定の人とは申べしと、我々は聴聞申してさふらふ。されば『和讚』(浄土*和讚)にいはく、
「如来すなはち涅槃なり 涅槃を仏性となづけたり 凡地にしてはさとられず 安養にいたりて証すべし」とうけたまはり候。よくよくこのむねを御心得あるべく候。あなかしこ、あなかしこ。

(二五〇)

信心のやうたづねうけ給候。なにのわづらひもなく阿弥陀仏を一心にたのみまいらせて、そのほかはいづれの仏も神も阿弥陀一仏をたのみまいらするうちにこもりたる事にて候とおぼしめして、一心一向に弥陀を信じまいらさせたまひ候はんずるが、すなはち他力の信心をよくこゝろゑたる人にてあるべく候。このほかに はなにのやうがましき事も候まじく候。むかしは阿弥陀仏をもたふとくおぼしめして、おろそかなる御心も候はねども、それは浄華院の御心へどをりにて候ほどに、わろく候。いまは阿弥陀仏の御たすけによりて極楽に往生すべしとおぼしめしさだめ候べく候。もとは我御申候念仏のちからにてほとけにならせ給候はんずるやうにおぼしめして候。それは自力にてわろきこゝろにて候。いまは阿弥陀ほとけの御ちからにて御たすけありたりとおぼしめし候べく候。さるほどに阿弥陀如来の御ちからにて御たすけありつる御うれしさをば、念仏を申て報じたてまつるものなりと御心へ候はんずるが、すなはち報謝の念仏と申事にて候。弥陀如来の他力本願のことはり、信心をとると申す、この事にて候。なにのやうもなき事どもにて候。御心やすくおぼしめし候べく候。五障・三従の女人、十悪・五逆の悪人は、この弥陀如来の本願にあらずは、極楽に往生するといふ事あるまじく候。かゝる殊勝の本願にあひまいらせて候事、まことに宿縁のもよほすところとありがたくこそ候へ。よくよくこのとをりをまことゝ御心へ候て、報恩報徳のために御念仏候べく候。あなかしこ、あなかしこ。
【正本 本善寺有之】此御文女房衆へ被参候御文也
誰人の御方へ共不成慥A文漳之様体B御妹栃川殿歟C
令以正御筆写之校合畢
天正九年[辛巳]二月廿六日実悟(花押)
於和州芳野郡笠著村超勝筆也
無正体者也 満九十歳

(二五一)

昔筑紫方之事にてもありける歟、小里の一村ありつる所に道場をかまへ、念仏の一宗をたてたりしかば、其あたりの人民おほくあつまりて此法を修行しける程に、弥陀如来之他力本願之一すぢにたふとき事をのみ沙汰 しあそび侍けり。さる程に此人数に加る輩どものおもふ様は、此法にまさりてたふとき事なしとて、ことには又在家止住の類においては、後生のたすかるべき法はこれより外には更以あるべからずと信じて、朝夕はあつまりて信仰の志のふかきによりて、結句諸宗をば謗人と名て仏法信ずる人とも中々おもはざるがゆへに、此人数のふるまひども、以外人目に立てわろくみゆる事かぎりなし。然間諸山寺・山臥・陰陽師等に至までも、これをそしりにくまぬ人はなし。この謂れによりて諸宗一同に談合して、此宗をいかにもして此在所をはらひうしなはんといふはかり事をたくみけり。依如此の悵行ある由を又彼宗の人につけしらせければ、以外腹立していふやうは、无下にさ様にせらるまじきものをとて、城槨をかまへ、ほりをほり、やぐらをあげ、兵糧米をいれなんどして、敵を相待ければ、一方よりもせめやぶらんとせし所を、散々にふせぎたゝかひければ、敵にはおほく人そこばくうたれにけり。猶も此まゝうちすてゝおくべからずと云て、又諸方の人勢をあまた相かたらひてせめけれども、更に城の内には手おゐなんどもなく、よせ手ばかりは損じければ、迷惑なりし所に、其在所六、七里ばかりある所より彼城内によき知人のありけるが、仲人となりて申様、彼弓矢之為体言語道断不可然次第也。其いはれをいかんといふに、城内はよはる儀はなけれども、不勢に多勢がまさるべき道理にてもなし。これは无益の事也。既に彼面々は後生一大事の為に此一法を興行すといへども、あまりに悪行をいたし、諸宗をないがしろにするによりて、諸宗より如此の退治を加るなり。凡此宗義の輩 どものふるまひ天下にかくれなし。たとひ念仏宗をたつといふとも、更に人にかゝるべき義にもあらざるを、此宗の人ども、我が宗の其色を他宗にみする事、以外のあやまりなり。弓矢の仲人をこそ申候はんずれ、加様仏法のおもむきはくはしく存知候はねども、大概仏法に相違候分をかたり申すべし。よくよく耳をすまして聴聞あべし。先此面々の仏法方之心得之趣は、仏法者とはみゆべからずと勧化して、至極そのうらをはたらくなり。されば「和讚正信偈」ばかりが肝要ぞと云て、かりそめにも『本書』・『選択集』等なんどをよむ人をば文沙汰と号してこれを偏執し、又「浄土三部経」なんどをかりそめにも道場におきたる人をばそしりて、たゞかな聖教をつゞりよみにかた事まじりによむ人をもて本とし、おかしきことばをつかふをもて、これをきゝならひて、これをもて学聞とす。さればいまにいたるまでも随分に仏法の物語りをする人をきくに、ことばのうちにおいて理にもあたらぬおかしきことばどもこれおほし。又念数をもつは名聞なりとて、一人にても念数もつ人なし。今もやうやう勤行の時ならではかりそめにも念数もつ人なし。このこゝろははや廻心してよくなりたる人といふべしや。又おやの明日なればとて、あながちに一遍の念仏も申さず、又仏恩の不可思議なる事をも思はず、たゞ師匠の報謝の志ばかりなり。これはよき安心とは云がたし。仏恩の深き事を思ひてこそ、又師匠の恩の方をも思ふべきに、恩の方を无下にすてゝ、たゞ師匠の恩が雨山の恩と云事は仏法の大旨にそむけり。返々已前心得とも以外に相違候間、自今已後は心中をもちなをされ候べし。諸宗を謗人といふべしと云事をばいかなる人の申出候ぞ。さればいづれの国いづれの所にも宗々同みなある事なれども、あまりに事外に人数おほくあつまりてよもすがらたゞ仏法の沙汰興成なるによりて、我宗の外には後生のたすかる べき宗あるべからずといひて、諸宗を謗人といへる事、以外のあやまりなり。されば弥陀如来の本願にはあひそむけり。既十八願には「唯除五逆誹謗正法」(大経*巻上)ときらひ、又竜樹の『智論』(大智度論*巻一初品)には「自法愛染故 毀此他人法 雖持戒行人 不脱地獄苦」と堅いましめられたり。依之、是非ともに弓矢をとる事不可然ずと教訓するによりて、城内に大将と聞へし人先づ退散しければ、其まゝ弓矢もなくして東西之勢ともひきしりぞきけり。かくて其跡に火をかけて墨になしけり。其里にありし人どもは散々になりはてにけり。さてあるべき事ならねばとて、わび事をなして、三年ばかりすぎてみなみな本地に還住しけり。依之、末代までもかくのごときの一宗をたてゝわろきふるまひをせん人は、いくたびもかゝる難にはあふべきものなり。よくよくつゝしむべし。然どもいまだ其執心の者もあるやらん、わろき心中をひちさげたるたぐひもこれありとつたへきく間だ、无勿体あさましきものなり。

(二五二)

功名かなひとげて身をしりぞけず位をさらざれば、すなはち邪意にあふ。
又の
「功なり名とげて身しりぞくは天のみちなり」(老子)[云々]。
【(徹)】てつ書記の
道しらぬ 月とやはみん 秋なかば
名をとげし夜に ありあけのそら
かの【(蕭何)】せうかは、大功がたえにこえたるによりて、官、大相国にいたり、剣を対し沓をはきながら、天上にのぼることをゆるされしかども、叡慮にそむく事ありし かば、【(漢)】かんの高祖、おもくいましめてふかくつみせられけり。

(二五三)

譲与
大谷本願寺御影堂御留守職事
右件住持職者、去文正之比俄光助律師仁申付、既譲状与之訖。雖然其身無競望由申間、重而光養丸仁所譲与実正也。但就法流無沙汰之子細在之者、於兄弟中守其器用可住持者也。
次兄弟為大勢之間、無等閑可有扶持者也。若此条々相背其旨者、永可為不孝者也。仍譲状如件。
応仁二年W戊子R三月廿八日 蓮如(花押)

(二五四)

譲与
大谷本願寺御影堂御留守職事
右件御留守職者、任代々例、早可管領者也。但就法義非儀之子細在之者、於兄弟中守器用可住持者也。次男女少児之兄弟多之、愚老如存生之時、不相替可扶持者也。若相背此等之旨、永可為不孝者也。仍譲状如件。
延徳弐年十月廿八日 兼寿(花押)

(二五五)

伝へ聞く、人の名の字は主によるといへる事のありぬらん。夫慶恩坊とかきては、恩を悦ぶとよめる歟。しかれば此恩といふは、抑なにの恩やらん。凡そ勘へみるに、此仁は本は聖道門の人なれども、近比はたゞ弓箭にのみたづさはりて、更に其聖道をおいて仏法修行の心はあさかりき。依之不思議の宿縁のもよほしによりけるか、当山に来至せしむる間、何となく一流安心のおもむき耳にとゞむる。其恩を悦ともいひつべき歟。又京都は本来本所たるがゆへに、こゝにてうる所の信心は、みなもと京都聖人の御恩なるがゆへに、とをく京都の御恩を悦ぶ道理にもかなふべき歟。何様にも両 様につけて可然勘へなれば、旁以殊勝の坊号たるものなり。
法名
釈蓮慶
慶恩坊
実名
光善
文明四年極月廿八日
釈蓮如(花押)

(二五六)

経律論釈の肝要をぬきいでゝ、『教行信証の文類』と号す。かの書にのぶるところ、義理甚深なり。いはゆる凡夫有漏の諸善、願力成就の報土にいらざることを決し、如来利他の真心、安養勝妙の楽邦に生ぜしむることをあらはせり。

(二五七)

六日講毎年約束、いまたしかにうけとり候。かへすがへすありがたくこそ候らへ。それにつきても老少不定の人間にてさふらふあひだ、早々信心決定さふらひて、真実報土の往生をとげられべくさふらふ。なにのやうもなく一心一向に弥陀をたのみまひらせて、たすけたまへと一念信ずる人は、かならず極楽に往生すべし。かへすがへすうたがひあるまじくてさふらふ。よくよくこゝろえられべくさふらふ。あなかしこ、あなかしこ。
十一月廿五日
六日講中へ
たぐひなき 仏智の一念 うることは

弥陀のひかりの もよをしとしる
正月一日におもひいづるまゝよむ

(二五八)

抑毎年やくそく代物之事、たしかに請取候。この趣惣中へ可有披露候。かへすがへすありがたく覚へ候。就其一念に、もろもろの雑行の心をふりすてゝ、弥陀如来後生たすけたまへとまふさん人は、かならずかならず往生は一定にてあるべし。その分よくよく惣中へ披露そろはゞ可然候。なにごとも後生にすぎたる一大事はあるまじく候。今生はたゞ一端のことにて候。よくよくこゝろゑられ候て、往生せられ候はゞ、しかるべきことにて候。あなかしこ、あなかしこ。
明応七年霜月廿六日
六日講中へ
実如(花押)

(二五九)

抑従四講為報恩講志分代物拾貫文、慥請取候。返々難有覚、此由能々惣中可有披露候也。就其相構相構仏法之可被取候。一念に阿弥陀仏をひしとたのみ、もろもろの雑行をすてゝ後生をたすけ給へと无疑心たのまれ候はゞ、かならずかならず極楽に往生あるべし。そのぶんあまねく披露候べく候。もし愚老も存命候はゞ、春は見参ともあるべく候。あなかしこ、あなかしこ。
十二月廿八日 蓮如
四講中

(二六〇)

毎度志ども返々ありがたく候。ことに今度又千疋の分かゑすがゑすわづらひのいたりに候。それにつきよくよく信心決定候て、報土の往生治定せられそろべく候。人間は老少不定のさかひにて候へば、いそぎいそぎ往生決定の信をゑらるべし。愚老も七十有余の身にて候 へば、旦暮を期せずこそ候らへ。いかさま命もそろはゞ、春は見参に入候べく候。あなかしこ、あなかしこ。
十一月廿八日 蓮如
四講中へ

(二六一)

毎年約束銭之事、慥に請取候。かへすがへすありがたくおぼえ候。それにつき安心之事雖不珍候、もろもろの雑行をすてゝ一心に弥陀如来今度の後生たすけ給へと申人々は、みなことごとく極楽  すべきこと、うたがひあるべからず候。そのぶんいくたびも面々談合候て、能々往生をとげられ候て、可然事にて候。このよし惣中へ披露あるべく候。あなかしこ、あなかしこ。
十一月廿八日 蓮如
四講中へ

(二六二)

又仏事分十二、慥々請取候。
約束代物之事、慥に請取候。返々難有覚候。就其安心之事、一念に弥陀をたのみまひらせてのうへには、南无阿弥陀仏南无阿弥陀仏と申す念仏の心は、弥陀如来やすくたすけまします御恩のありがたさよと申す心なりと心得られ候て、朝夕念仏申給ふ事肝要にて候。このほかには別たる事もあるまじく候。あなかしこ、あなかしこ。
十一月廿八日 蓮如
四講中へ

(二六三)

四講毎年約束之分、慥に請取候。千万難有候。就其老少不定之人間に候間、他力信心能々可有決定候。いか なる罪ふかき身なりとも、弥陀如来を一心一念にたのみまひらせん人々は、かならず御たすけ候べく候。うたがひなく念仏申させたまふべく候。このよしみなみなに申ふれられ候べく候。あなかしこ、あなかしこ。
霜月廿五日 蓮如
四講中

(二六四)

毎年之約束物之事、慥々請取候。返々難有こそおぼへ候へ。就其安心事、一念阿弥陀仏をたのみ申候よりほかは、別の子細あるまじく候。其上には朝夕念仏申させ給ひ候はんずる、肝要にて候。其分講衆中へ披露候べく候。あなかしこ、あなかしこ。
十一月廿八日 蓮如
四講中へ

(二六五)

今度報恩講中志とて、千疋慥に請取候。返々難有こそ候へ。それにつきいくたび申候てもをなじ事にて候。一心に弥陀如来後生御たすけ候へとふかくたのまん人は、十人も百人もみな浄土に往生あるべく候。初心なるかたへもかやうにすゝめられ候べく候。これよりをくふかきことはあるまじく候。よくよくこゝろえられ候べく候。あなかしこ、あなかしこ。
十二月廿八日 蓮如
四講中へ

(二六六)

馬黒月毛二疋のぼせられ候。返々よろこびいり候。さりながらわづらゐのいたりに候。それにつきて人間は老少不定之界にて候間、世間は一旦の浮生、後生は永生の楽果なれば、今生はひさしくあるべき事にもあらず候。後生といふことは、ながき世まで地獄にをつる事なれば、いかにもいそぎ後生の一大事を思ひとりて、弥陀の本願をたのみ他力の信心を決定すべし。されば 信心をとるといふも、なにのわづらひもなく南无と一心に弥陀をたのめば、阿弥陀仏のやがて御たすけある事なれば、又信心をとるといふことも、この南无阿弥陀仏の六字のこゝろなり。このゆへに一心一向に弥陀をたのみまひらせて、行住座臥に念仏を臨終まで退転なく申べきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

拾月十八日 蓮如
四講中


真偽未決

(一)

諸の雑行雑修自力の心を捨てゝ、一心に阿弥陀如来今度の我等が一大事の後生御助候へと奉頼候。頼一念の時、如来の御助一定我が往生治定と存じて、報謝の為に念仏申候。加様の心に被成候(なされさふらふ)も、宿善の催とは申乍ら、偏に御開山聖人の御出世の御恩、次第御相承真の善知識の不浅御勧化の御慈悲の極にて候。此上には仰出し在々す御掟を、随分命を涯りに嗜可申候と[云云]。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

(二)

もろもろの雑行雑修のこゝろをふりすてゝ、一心に阿 弥陀如来今度の我等が一大事の後生御たすけ候へと一念しかと頼み申て候。たのみ申たる一念の時、はや我往生は一定と存じ、阿弥陀如来の御恩ありがたく念仏申候。箇様の往生の御ことはりまぎれもなく聴聞申わけまいらすること、是偏に御開山聖人御出世の御恩、次第御相承只今の真の善知識のあさからざる御勧化の御恩と、弥々難有存じ候。御本寺より被仰出御掟の通、命をかぎり以御慈悲随分たしなみ申候。

(三)

諸雑行雑修自力の心を捨て、一心に阿弥陀如来今度我等が一大事の後生御助候へと一念にしかと頼み申て候。頼申は一念の時、我往生は一定と存、仏恩報謝の称名念仏を申候。箇様御理り無紛聴聞申分まひらする事、是偏御開山聖人様の御出世の御恩、次第御相承唯今の真の善知識様の不浅御勧化の御恩与、愈難有喜申候。猶御本寺様より被仰出御掟通、命を限に以御慈悲随分嗜可申と存候。

(四)

そもそも当流に沙汰するところの信心といふ二字をば、まことのこゝろとよむなり。また安心とかきては、やすきこゝろとよむなり。これによりて不信あり。信心の二字をばまことのこゝろとよむは、弥陀如来の他力のまことの御こゝろときこえたり。また安心といふ二字をやすきこゝろとよめるは、さらにそのいはれきこえはんべらず。如来の他力の御こゝろなれば大事のこゝろとこそよむべきに、やすきこゝろとよむは不審におぼへはんべり。こたへていはく、まことにこの不審は道理至極ときこえたり。まづ无善造悪のわれらが一念にもろもろの雑行をすてゝ、一心一向に弥陀如来にふたごゝろなく帰命する衆生が如来の仏心となりき、やすくたすけすくひたまふことは不思議なり。これをおもふときは、仏の御こゝろはまことのこゝろなり。 无善の衆生がなにのやうもなく一心にうたがひなくたのめば、かならずやすくたすけたまふこゝろなれば、安心とはやすきこゝろとよめるは、まことに道理にかなへりときこえたり。念々弥陀如来のまことのこゝろのとりやすの安心やといへるこゝろなり。あなかしこ、あなかしこ。

(五)

静おもんみれば、此比は当山之内にも其外往来の諸人等を見及ぶに、凡後生には心を入たる風情なり。しかれども誠にとりつめては、其意不同なる様にみえたり。さればこのたび安心のとをり、もし真実に決定せずは極楽往生は不定なり。一大事これにすぐべからず、よくよく至慮すべし。されば上古の堅哲も往生之一道にはまどへる子細あり、いはんや末代の我等においては……

(六)

そもそも此吉崎の一宇にして彼岸会と申す事は、春秋の両時において天正時正と申して、昼夜の長短なくして、暑からず寒からず、其日いでゝ正等にして直に西に没し、人民の往還たやすく、仏法修行のよき節なるによりて、其かみ仏在世より末代の今にいたりてこれを行ふ也。此時は人の心ゆたかなるによりて、信行増上し易し。されば冬は秋の余り、夏は春のすへなれば、夏冬は艱苦にして信心修行もをろそかになりやすきに、この両時の初めこそ信行相続して、未安心の人は宿善の花も開け、信心開発の人は仏果円満のさとりをもうるにより、都て仏法信仰の人は参詣の足手を運び、法会に出座するものなり。しかれば彼岸会といへること は、七日の内中日は日輪西方にかたぶき、かの浄土の東門に入りたまふ。此ゆへに、无為涅槃の極楽を彼岸とはいへり。今娑婆を此岸といひて、生死海有為の迷のきしなるにより、仏願正智の弘誓の舟に乗じ、さとりのかのきしにいたりうるの念仏なれば、『経』(大経*巻上)には「一切善本皆度彼岸」と説し、又は「究竟一乗至于彼岸」(大経*巻下)とものたまへり。故に当流祖師聖人の御法流には、まづ平生業成の御勧化、入正定聚の益あれば、あながちにこの両時にはかぎらず、つねに仏恩を信知するといへども、未安心の人はたゞ名聞人目ばかりの心にして、法座にのぞみたまはゞ、信心も等閑なるべし、法理も白地にならずして、たとへば珠を淵になぐるが如く、又はうべきの根なきに似たり。これねがはくは、皆々名聞人目の心をすてゝ、信心報謝の念をはこぶべきなり。その肝要と申すは、弥陀如来をたのみ今度の我等が一大事の後生たすけたまへと一筋に信じ、雑行雑修をはなれたる一向専念の人は、十人も百人ものこらず極楽に往生すべきことをたふとみ、その嬉さにはねてもさめても南無阿弥陀仏を申して、足手をはこび、信心相続あらば、ひとへに信行両益の人と云べし。これすなはち十即十生百即百生の人数たるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
右於吉崎一宇令建立執行彼岸会者也。
文明五年八月十三日 蓮如五十九歳判


  1. 御ゆう。はたらきといふ用の御用か?
  2. 率都(塔)婆を一見すれば永く三悪道を離れる。
  3. みなみなこの文をみるべし。蓮如さんは、自ら著した文章を「文」とされておられた。この意からすれば「お文」といふ呼称がふさわしい。