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是報非化

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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ぜほうひけ (これ報にして化にあらず)

ぜほうひけ 是報非化

 『観経』に説かれる阿弥陀仏の浄土が化土ではなく報土であることをいう。浄影寺慧遠などの聖道諸師は阿弥陀仏の国土を応土あるいは凡聖同居土 (凡夫と聖者が雑居する世界のこと) などと解釈した。これに対し善導道綽の『安楽集』(七組191) の説示をうけて、『大乗同性経』『大経』『大品般若経』などを用いて、阿弥陀仏は本願の因に(むく)いあらわれた因願酬報の身であるから報身であり、その浄土も報土であると解釈した。「玄義分」には、

「問うていはく、弥陀の浄国は、はたこれ報なりや、これ化なりとやせんと。答へていはく、これ報にして化にあらず(問曰弥陀浄国為当是報是化也 答曰是報非化)」 (真仏土巻引文‣註.364

とある。 →古今楷定。(浄土真宗辞典)