彼土得証/此土入聖
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
ひど-とくしょう/しど-にっしょう
彼土得証(ひど-とくしょう)
- 浄土に往生して彼の土において証果を得ること。彼土入証。
此土入聖(しど-にっしょう)
- 現世において此の土で聖者のさとりを開くこと。此土入聖得果。
法然聖人は『西方指南抄』所収の「浄土宗大意」で、
- 聖道門の修行は、智慧をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は、愚痴にかへりて極楽にむまる。 (浄土宗大意P.1026)
といわれていた。
御開山は「聖浄二門釈」で、
聖道門の意義
- おほよそ一代の教について、この界のうちにして入聖得果するを聖道門と名づく、難行道といへり。この門のなかについて、大・小、漸・頓、一乗・二乗・三乗、権・実、顕・密、竪出・竪超あり。すなはちこれ自力、利他教化地、方便権門の道路なり。
浄土門の意義
- 安養浄刹にして入聖証果するを浄土門と名づく、易行道といへり。この門のなかについて、横出・横超、仮・真、漸・頓、助正・雑行、雑修・専修あるなり。 (化巻 P.394)
と、され「聖道門」は、自力によって此土において聖者の位に入って証果を得る教え(此土入聖)であり、「浄土門」は、他力によって浄土に往生し、彼土においてさとりを開く教え(彼土得証)であると明かされた。
そして、
- しかれば如来の真説、宗師の釈義、あきらかに知んぬ、安養浄刹は真の報土なることを顕す。惑染の衆生、ここにして性を見ることあたはず、煩悩に覆はるるがゆゑに。(真巻 P.371)
と、煩悩に覆われているがゆえに、此土でさとりを得ることは不可能であるとされた。