安芸の蓮崇
(-1499)蓮如上人吉崎 時代の奏者役。越前麻生津(現在の福井市浅水町)の阿毛氏の出。
安芸法眼と称し、文明三年(1471)蓮如上人の門下に入り、法名を蓮崇と賜わる。本願寺家臣として下間の姓を用いるようになる。文明七年(1475)加賀の門徒を扇動して富樫政親との抗争にかりたてた責を問われ、破門されたが、明応八年(1499)三月、許された。蓮如上人の中陰中に没した。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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