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あきのれんそう

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2005年9月29日 (木) 22:05時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

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安芸の蓮崇

 (-1499)蓮如上人吉崎 時代の奏者役。越前麻生津(あそうず)(現在の福井市浅水(あそうず)町)の阿毛(あけ)氏の出。

安芸法眼(ほうげん)と称し、文明三年(1471)蓮如上人の門下に入り、法名を蓮崇と賜わる。本願寺家臣として下間(しもつま)の姓を用いるようになる。文明七年(1475)加賀の門徒を扇動(せんどう)して富樫政親(とがしまさちか)との抗争にかりたてた責を問われ、破門されたが、明応八年(1499)三月、許された。蓮如上人の中陰中に没した。


出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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