かならず…想をなせ
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
かならずけつじょうして…おもいをなせ
通常は「かならずすべからく決定の真実心のうちに回向して、得生の想をなすべし」と読む。(信巻 P.221, 愚禿 P.532)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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- 必須決定真実心中 回向願 作得生想。
作得生想(さとく-しょうそう) 得生の想をなせ。
御開山は「回向発願心釈」の第一釈、
- 回向発願心といふは、過去および今生の身口意業に修するところの世・出世の善根、および他の一切の凡聖の身口意業に修するところの世・出世の善根を随喜して、この自他所修の善根をもつて、ことごとくみな真実の深信の心のうちに回向して、かの国に生ぜんと願ず。ゆゑに回向発願心と名づくるなり」と。(化巻 P.387)
は、真実を顕す「信巻」では引文されず「化巻」で引文されておられた。「過去および今生の身口意業に修するところの世・出世の善根……」以下の文が御開山の意にかなわなかったのであろう。 →三心釈引文
回向発願心の第二釈。
- 散善義の訓
- 御開山の訓
御開山は、須を「すべからく…べし」と訓読せずに「もちいる」と訓じられた。阿弥陀如来が衆生に回向したまう真実心なる願を須(もち)いて「得生の想をなせ」と訓じられ、回向の主体を衆生から如来へと転じられた。阿弥陀如来の本願力回向の宗義の発揮である。