ふかくしんじて
深く信じてを、次の、信心あさくと対判され「深とは利他真実の心これなり」の意とされておられたのであろう。(消息 P.785)
「化巻」の三経通顕で三経の信の真仮を分判し、
- ここをもつて『大経』には「信楽」とのたまへり、如来の誓願、疑蓋雑はることなきがゆゑに信とのたまへるなり。
- 『観経』には「深心」と説けり、諸機の浅信に対せるがゆゑに深とのたまへるなり。『小本』(小経)には「一心」とのたまへり、二行雑はることなきがゆゑに一とのたまへるなり。また一心について深あり浅あり。深とは利他真実の心これなり、浅とは定散自利の心これなり。 (化巻 P.393)
と、『大経』では信楽、『観経』では深心(深信)、『小経』(阿弥陀経)では一心とされ、それは「利他真実の心」であるから「深」とされたのである。「行巻」では教法について47対をあげた中に「深浅対(念仏は深い法であり、諸善は浅薄である。)」(行巻 P.199)とある。
- →深心
- →トーク:疑蓋
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