延暦寺
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
えんりゃくじ 延暦寺
日本天台宗の総本山。滋賀県大津市坂本本町。山号は比叡山。最澄が延暦4年 (785) に東大寺戒壇で受戒し、比叡山に入り一乗止観院を建立したことに始まる。東塔・西塔・横川の地域に多くの堂舎が建立されて発展し、のちに法然、親鸞をはじめとする鎌倉仏教の祖師たちが修学するなど日本仏教の中心地であった。東塔には一乗止観院 (根本中堂)・無動寺大乗院、 西塔には釈迦堂・常行三昧堂、横川には首楞厳院 (横川中堂)・恵心院などがある。元亀2年 (1571)、織田信長の攻撃を受けて荒廃したが、江戸時代に入って復興した。(浄土真宗辞典)
◆ 参照読み込み (transclusion) JDS:延暦寺
えんりゃくじ/延暦寺
大津市坂本本町。日本天台宗の総本山。比叡寺、比叡山、叡山、北嶺とも呼称される。最澄が延暦七年(七八八)、比叡山の山頂近くに一乗止観院を建立したのが始まり。同二四年、最澄が唐より帰朝し天台宗を開く際に、根本中堂と改称された。平安京の鬼門の方角に位置することから、桓武天皇によって王城鎮護の道場とされ、次第に栄え拡大していった。嵯峨天皇より弘仁一三年(八二二)、最澄が没した七日後に大乗戒壇の設立が許可され、その翌年に「延暦寺」の寺号を賜った。比叡山一帯をその寺領とし、東塔・西塔・横川の三塔と一六の谷に区分される。日本の浄土教を育んだ聖地でもあり、根本中堂を中心とする東塔には、皇円のもと法然が得度した功徳院(現・法然堂)があり、西塔には法然が隠遁した黒谷青竜寺がある。また横川には良源や源信が活動した恵心院がある。法然をはじめ聖光、親鸞、一遍などもこの地で研鑽を積んだ。また栄西、道元、日蓮をも輩出している。
【参照項目】➡比叡山
【執筆者:齋藤蒙光】