報恩講私記
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
報恩講私記
【1】
敬ひて大恩教主釈迦如来、極楽能化弥陀善逝、称讃浄土三部妙典、八万十二顕密聖教、観音勢至九品聖衆、念仏伝来の諸大師等、総じては仏眼所照微塵刹土の現不現前の一切の三宝にまうしてもうさく、弟子四禅の線の端に、たまたま南浮人身の針を貫き、曠海の浪の上に、まれに西土(印度)仏教の査に遇へり。ここに祖師聖人(親鸞)の化導によりて、法蔵因位の本誓を聴く、歓喜胸に満ち渇仰肝に銘ず。しかればすなはち報じても報ずべきは大悲の仏恩、謝しても謝すべきは師長の遺徳なり。ゆゑに観音大士の頂上には本師弥陀を安じ、大聖慈尊(弥勒)の宝冠には釈迦の舎利を戴きたまふ。たとひ万劫を経とも一端をも報じがたし。しかじ、名願を念じてかの本懐に順ぜんには。いま、三つの徳を揚げてまさに四輩を勧めんとす。
- 一つには真宗興行の徳を讃じ、
- 二つには本願相応の徳を嘆じ、
- 三つには滅後利益の徳を述す。
伏して乞ふ、三宝哀愍納受したまへ。
【2】
第一に真宗興行の徳を讃ずといふは、俗姓は後長岡丞相[内麿公の]末孫、前の皇太后宮の大進有範の息男なり。幼稚の古、壮年の昔、耶嬢の家を出でて、台嶺の窓に入りたまひしよりこのかた、慈鎮和尚をもつて師範として、顕密両宗の教法を習学す。蘿洞の霞のうちに三諦一諦の妙理を窺ひ、草庵の月の前に瑜伽瑜祇の観念を凝らす。とこしなへに明師に逢ひて大小の奥蔵を伝へ、広く諸宗を試みて甚深の義理を究む。しかれども色塵・声塵、猿猴の情なほ忙はしく、愛論・見論、痴膠の憶いよいよ堅し。断惑証理愚鈍の身成じがたく、速成覚位末代の機覃びがたし。よりて出離を仏陀に誂へ、知識を神道に祈る。しかるあひだ宿因多幸にして、本朝念仏の元祖黒谷上人(源空)に謁したてまつりて出離の要道を問答す。授くるに浄土の一宗をもつてし、示すに念仏の一行をもつてす。しかりしよりこのかた、聖道難行の門を閣きて浄土易行の道に帰し、たちまちに自力の心を改めてひとへに他力の願に乗ず。自行化他、道綽の遺誡を守り、専修専念、善導の古風に任す。見聞の道俗随喜を致し、遠近の緇素みな発心す。ここに祖師(親鸞)、西土(印度)の教文をひろめんがためにはるかに東関の斗藪を跂てたまふ。しばらく常州筑波山の北の辺に逗留し、貴賤上下に対して末世相応の要法を示す。初めに疑謗をなすの輩、瓦礫・荊棘のごとくなりしかども、つひに改悔せしめしの族、稲・麻・竹・葦に同じ。みな邪見を翻してことごとく正信を受け、ともに偏執を止めて還りて弟子となる。おほよそ訓を受くるの徒衆当国に余り、縁を結ぶの親疎諸邦に満てり。謗法・闡提の輩なりといへども、かの教化を聞くもの覚悟花鮮やかに、愚痴放逸の類なりといへども、その諷諫を得るもの惑障雲霽る。たとへば木石の縁を待ちて火を生じ、瓦礫の*を磨りて珠をなすがごとし。甚深の行願不可思議なるものか。まさにいま念仏修行の要義まちまちなりといへども、他力真宗の興行はすなはち今師(親鸞)の知識より起り、専修正行の繁昌はまた遺弟の念力より成ず。流を酌んで本源を尋ぬるに、ひとへにこれ祖師(親鸞)の徳なり。すべからく仏号を称して師恩を報ずべし。頌にいはく、
- 若非釈迦勧念仏
- 弥陀浄土何由見
- 心念香華遍供養
- 長時長劫報慈恩(般舟讃)
- 念仏
- 何期今日至宝国
- 実是娑婆本師力
- 若非本師知識勧
- 弥陀浄土云何入(般舟讃)
- 南無帰命頂礼尊重讃嘆祖師聖霊
【3】
第二に本願相応の徳を嘆ずといふは、念仏修行の人これ多しといへども、専修専念の輩はなはだ稀なり、あるいは自性唯心に沈みて徒に浄土の真証を貶め、あるいは定散の自心に迷ひてあたかも金剛の真信に闇し。しかるに祖師聖人(親鸞)、至心信楽おのれを忘れてすみやかに無行不成の願海に帰し、憶念称名精みありてとこしなへに不断無辺の光益に関る。身にその証理を彰し、人かの奇特を看ること勝計すべからず。しかのみならず来問の貴賤に対してもつぱら他力易往の要路を示し、面謁の道俗を誘へてひとへに善悪凡夫の生因を明かす。ゆゑに善導大師のいはく(定善義)、「今時の有縁あひ勧めて、誓ひて浄土に生ぜしむるは、すなはちこれ諸仏本願の意に称ふなり」と。またいはく(礼讃)、「大悲伝普化真成報仏恩」と。しかれば祖師聖人、金剛の信心を発起して自身の生因を定得し、本願の名号を流行して衆機の往益を助成す。あに本願相応の徳にあらずや、むしろ仏恩報尽の勤めにあらずや。またつねに門徒に語りていはく、「信謗ともに因となりて同じく往生浄土の縁を成ず」と。誠なるかなやこの言、疑ふものもかならず信を執り、謗ずるものもつひに情を翻す。まことにこれ仏意相応の化導、そもそもまた勝利広大の知識なり。悪時悪世界の今、常没常流転の族、もし聖人の勧化を受けたてまつらずんば、いかでか無上大利を悟らん。すでに一声称念の利剣を揮ひてたちまちに無明果業の苦因を截り、かたじけなく三仏菩提の願船に乗じて、まさに涅槃常楽の彼岸に到りなんとす。弥陀難思の本誓、釈迦慇懃の付属、仰がずんばあるべからず。諸仏誠実の証明、祖師(親鸞)矜哀の引入、憑まずんばあるべからず。これによりておのおの本願を持ち名号を唱へて、いよいよ二尊の悲懐に恊ひ、仏恩を戴き師徳を荷なひて、ことに一心の懇念を呈すべし。頌にいはく、
【4】
第三に滅後の徳を述すといふは、釈尊、教網を三界に覆ふ。なほ末世苦海の群類を済ひ、今師(親鸞)、法雨を四輩に灑ぎ、遠く常没濁乱の遺弟を湿す。かの在世をいへばすなはち九十歳、顕宗・密教鑽仰せずといふことなし。その行化を訪へばまた六十年、自利利他満足せずといふことなし。在家・出家の四部群集すること盛んなる市に異ならず。大乗・小乗の三輩、帰伏すること風に靡く草のごとし。つひにすなはち花洛に還りて草庵を占めたまふ。しかるあひだ、去んじ弘長第二壬戌黄鐘二十八日、前念命終の業成を彰して後念即生の素懐を遂げたまひき。ああ禅容隠れていづくにかます。給仕を数十周紀の星に隔つ。遺訓絶えていくそばくのほどぞ。旧跡を一百余年の霜に慕ふ。かの遺恩を重んずる門葉、その身命を軽んずる後昆、毎年を論ぜず遼絶を遠しとせず、境関千里の雲を凌ぎて奥州より歩みを運び、隴道万程の日を送りて諸国より群詣す。廟堂に跪きて涙を拭ひ、遺骨を拝して腸を断つ。入滅年はるかなりといへども、往詣挙りていまだ絶えず。哀れなるかなや、恩顔は寂滅の煙に化したまふといへども、真影を眼前に留めたまふ。悲しきかなや、徳音は無常の風に隔たるといへども、実語を耳の底に貽す。撰び置きたまふところの書籍、万人これを披いて多く西方の真門に入り、弘通したまふところの教行、遺弟これを勧めて広く片域の群萌を利す。おほよそその一流の繁昌はほとんど在世に超過せり。つらつら平生の化導を案じ、閑かに当時の得益を憶ふに、祖師聖人(親鸞)は直人にましまさず、すなはちこれ権化の再誕なり。すでに弥陀如来の応現と称し、また曇鸞和尚の後身とも号す。みなこれ夢のうちに告げを得、幻の前に瑞を視しゆゑなり。いはんやみづから名のりて親鸞とのたまふ、測り知りぬ、曇鸞の化現なりといふことを。しかればすなはち聖人、修習念仏のゆゑに、往生極楽のゆゑに、宿命通をもつて知恩報徳の志を鑑み、方便力をもつて有縁・無縁の機を導きたまはん。願はくは師弟芳契の宿因によりて、かならず最初引接の利益を垂れたまへ。よりておのおの他力に帰して仏号を唱へよ。頌にいはく、