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十三失

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

『往生礼讃』にある雑修の十三失。
御開山は「化巻」要門釈(化巻 P.389)で① ~⑨ を引き⑩ ~⑬ は真門釈(化巻 P.412)で引文されておられる。

 もし専を捨てて雑業を修せんとするものは、百は時に希に一二を得、千は時に希に五三を得。なにをもつてのゆゑに、いまし雑縁乱動す、なにをもつてのゆゑに、いまし雑縁乱動す、

① 正念を失するによるがゆゑに、
② 仏の本願と相応せざるがゆゑに、
③ 教と相違せるがゆゑに、
④ 仏語に順ぜざるがゆゑに、
⑤ 係念相続せざるがゆゑに、
⑥ 憶想間断するがゆゑに、
⑦ 回願慇重真実ならざるがゆゑに、
⑧ 貪瞋諸見の煩悩来り間断するがゆゑに、
⑨ 慚愧・懺悔の心あることなきがゆゑに。

{乃至}

⑩ また相続してかの仏恩を念報せざるがゆゑに、
⑪ 心に軽慢を生じて業行をなすといへども、つねに名利と相応するがゆゑに、
⑫ 人我おのづから覆ひて同行善知識に親近せざるがゆゑに、
⑬ 楽ひて雑縁に近づきて、往生の正行を自障障他するがゆゑなり。

なお、御開山は「真門釈」では自釈として雑修の失を示しておられた。

【67】 まことに知んぬ、専修にして雑心なるものは大慶喜心を獲ず。ゆゑに宗師(善導)は、

⑩ かの仏恩を念報することなし。
⑪ 業行をなすといへども心に軽慢を生ず。つねに名利と相応するがゆゑに、
⑫ 人我おのづから覆ひて同行・善知識に親近せざるがゆゑに、
⑬ 楽(この) みて雑縁に近づきて往生の正行を自障障他するがゆゑに(礼讃)(化巻 P.412)

といへり。