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常倫に

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

じょうりんに

 通常は「常倫諸地の行を超出し、現前に」と読む。常倫はつねなみ、普通一般の意。(大経 P.19, 行巻 P.193,三経 P.630)


「常倫に超出し、諸地の行現前し、普賢の徳を修習せん」


 「常倫諸地の行」 とは、常なみの菩薩が漸次に経過する十地(じゅうじ)のそれぞれの修行のこと。 親鸞聖人は 「常倫に超出し、諸地の行現前し、普賢の徳を修習せん」 (加点本訓) と読まれた。 (論註 P.134)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

常倫に 第二十二願文:
設我得仏 他方仏土 諸菩薩衆 来生我国 究竟必至 一生補処 除其本願 自在所化 為衆生故 被弘誓鎧 積累徳本 度脱一切 遊諸仏国 修菩薩行 供養十方 諸仏如来 開化恒沙 無量衆生 使立無上 正真之道 超出常倫 諸地之行 現前修習 普賢之徳 若不爾者 不取正覚

普賢の徳とは、慈悲行を実践する普賢菩薩の徳の意味。『無量寿経』序分に、皆遵普賢大士之徳(みな普賢大士の徳に遵へり)とあるのも、普賢菩薩のように、慈悲行を実践するということ。 曇鸞大師においては、浄土は修行する環境が優れているから、速やかに「超出常倫 諸地之行」で修行が進むの意であった。しかし、御開山は、本願力による往生即成仏の立場から「常倫に超出し、諸地の行現前し普賢の徳(還相の姿)を修習せん」とされ、往生即還相という宗義を確立された。

なお、御開山は聖道門を御消息で「聖道といふは、すでに仏に成りたまへる人の、われらがこころをすすめんがために、仏心宗・真 言宗・法華宗・華厳宗・三論宗等の大乗至極の教なり」とあるように、還相の菩薩が修する仏道であるとみておられた。 「観経讃」に

弥陀・釈迦方便して
 阿難・目連・富楼那・韋提
 達多・闍王・頻婆娑羅
 耆婆・月光・行雨等

とされ、「総序」において『観経』の登場人物を「権化の仁」とされるのも、『観経』の説相が聖道門から浄土門への誘引の形式であると見られたからであろう。