徳大寺

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とくだいじ

 京都の桂川の西にある地名。(一代記 P.1297)

徳大寺の唯蓮坊

 『蓮如上人仰条々(れんにょしょうにんおおせのじょうじょう)』には「雲居寺の瞻西(せんさい)上人」とある。瞻西は平安後期の天台宗の僧。


 出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社)
 出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社)
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この平安末期の徳大寺の唯蓮坊の「摂取不捨」の逸話の一段を鎮西派の良忠上人撰『選択集弘決疑鈔』より引用。鎮西派に伝承されているのは、当時有名な逸話であったのであろう。御開山の摂取不捨の左訓を思わせる逸話であった。林遊などは、たとえ夢の中といえども、突然に御本尊に手を握られれば逃げ出したいのだが、それを逃がさないのが摂取不捨ということであろう。なお文中の蓮華谷の僧都とは、遁世して高野山に入り蓮華三昧院を開いた明遍僧都(1142-1224) であろうと思ふ。

○第七光明唯攝念佛行者篇
○第七、光明ただ念仏の行者を摂するのふみ(篇)。
彌陀光明不照餘行者唯攝取念佛行者之文
弥陀の光明は余行の者を照らさず、ただ念仏の行者を摂取すの文。
問攝取何義
問、摂取とは何の義ぞや。
答攝謂 攝―護取 謂不捨 故觀念法門云
答、摂は謂く摂―護、取は謂く不捨なり。故に『観念法門』に云く、
攝護不捨
摂護して捨てたまはず。(観念法門 P.618)
又大經説斯益云 其有衆生遇此光者三垢消滅身意柔軟歡喜踊躍善心生焉{已上}
また『大経』にこの益を説きて云く、それ衆生ありて、この光に遇ふものは、三垢消滅し、身意柔軟なり。歓喜踊躍して善心生ず。{已上}(大経 P.29)
禮讚云蒙光觸者心不退割注已上割注
『礼讚』に云く、光触を蒙るものは心退せず。{已上}(往生礼讃 P.701)
又德大寺唯蓮房參籠于雲居寺七日祈請攝取之義
また徳大寺の唯蓮房、雲居寺に参籠して、七日、摂取の義を祈請す。
滿夜夢中本尊申手握行者腕動脣出聲云攝―取是也
満夜の夢中に本尊、手を申(のべ)て行者の腕を握り、唇を動かし声を出して云く、摂取これなりと。
然後詣蓮華谷問夢虚實
しかして後、蓮華谷に詣でて夢の虚実を問ふ。
僧都面有感涙氣報云定是實夢也
僧都、(おもて)に感涙の気ありて(こた)へて云く、定んでこれ実夢なりと{云云}
傳法院覺淵阿闍梨説法辭云
伝法院の覚淵阿闍梨の説法の辞に云く、
攝取之義出祕法中所謂掌内握而不捨是名攝取{云云}
摂取の義は秘法の中より出でたり。いわゆる(たなごころ)の内に握りて捨てざる、これを摂取と名づくと{云云}
蓮華谷感涙其意在此歟
蓮華谷の感涙、その意ここにあるか。

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