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決定心

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

けつじょうしん

 疑いなく本願を信じる心。  (御文章 P.1086)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

けつじょうしん 決定心

 決定して動かない心のこと。親鸞は疑いなく本願を信じる心のこととし、他力信心を表す語とする。「信巻」には

「堅固深信はすなはちこれ決定心なり。決定心はすなはちこれ無上上心なり」(信巻 P.252)

とある。(浄土真宗辞典)

二種深信を表すときに、機法ともに決定とある。

深心といふは、すなはちこれ深信の心なり。また二種あり。
一つには、決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。
二つには、決定して深く、かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑なく慮りなくかの願力に乗じて、さだめて往生を得と信ず。(信巻 P.217)


◆ 参照読み込み (transclusion) JDS:決定心

けつじょうしん/決定心

定まって動揺のない心のこと。とくに浄土教では阿弥陀仏本願を深く信じる心、または必ず往生できると確信することを意味する。決定信、あるいは決定の信心ともいう。法然は「ただ口に南無阿弥陀仏と称えん声につきて決定往生の思いをなすべし。その決定の心をやがて深心とは名づくるなり。その深心を具しぬれば決定して往生するなり」(『大胡太郎実秀へつかわす御返事』聖典四・四〇〇/昭法全五一九)と、決定心とは決定往生の思いであり、深心のことでもあると述べている。また『選択集』八の深心釈では、善導観経疏』の文を引用し、「決定の信相」(聖典三・一四三/昭法全三三〇)を明かすとして、たとえ高位の菩薩阿羅漢異学・異見の者に非難されたとしても、一切の疑念を持たず堅固な信心を確立すべきであると説いている。


【資料】『浄土宗略抄』(昭法全五九五)、「御消息」(昭法全五八一)


【参考】石井教道『選択集全講』(平楽寺書店、一九五九)


【参照項目】➡決定往生深心


【執筆者:伊藤瑛梨】