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火車

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

かしゃ

Ⅰ 生前に悪事をなした亡者を地獄に運ぶという火の燃えている車。(唯信鈔 P.1352)

Ⅱ 「火華」 の誤りか。『群疑論(ぐんぎろん)』 の原文では 「火華」 とある。 (要集 P.1057)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

『観経』の下品中生には、

かくのごときの愚人は、僧祇物を偸み、現前僧物を盗み、不浄説法して、慚愧あることなく、もろもろの悪業をもつてみづから荘厳す。かくのごときの罪人は悪業をもつてのゆゑに地獄に堕すべし。命終らんとするとき、地獄の衆火、一時にともに至る。 (観経 P.114)

と「地獄の衆火、一時にともに至る」とあることを、道歌に、

  • 火の車 作る大工は あらねども 己(おの)が作りて 己が乗り行く。

と自業自得の道理を示し廃悪を勧進したのであろう。『観経』の顕説(文字の表面にあらわされている法義)は定善・散善の善をすすめる経典であったからである。善導大師はこの罪濁の群萌を済度する、

善友告言 汝若不能念者 応称無量寿仏。如是 至心令声不絶 具足十念 称南無阿弥陀仏。称仏名故 於念念中 除八十億劫生死之罪。
善友、告げていはく、〈なんぢもし念ずるあたはずは、まさに無量寿仏〔の名〕を称すべし〉と。かくのごとく心を至して、声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。仏名を称するがゆゑに、念々のなかにおいて八十億劫の生死の罪を除く。 (観経 P.115)

とある、称南無阿弥陀仏(南無阿弥陀仏と称せしむ)に自己の救済を見出されたのであった。なんまんだぶ なんまんだぶ