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襄陽の石碑の経

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

じょうようのせきひのきょう

 『龍舒浄土文(りゅうじょじょうどもん)』巻一によると、隋の陳仁稜の書になる『阿弥陀経』を石碑に刻み、襄陽(現在の中国湖北省襄陽)に建てたという。

この『阿弥陀経』には「一心不乱」の語の次に「専持名号 以称名故 諸罪消滅 即是 多善根 福徳因縁」(もつぱら名号を持(たも)つ。名を称するをもつてのゆゑに諸罪消滅す。すなはちこれ多善根・福徳の因縁なり)の二十一字が加わっている。(化巻 P.405)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

『阿弥陀経』には、

舎利弗、少善根福徳の因縁をもつてかの国に生ずることを得べからず。(小経 P.124)

と、少善根や福徳の因縁では極楽へ往生することが出来ないと説く。 次下に、

 舎利弗、もし善男子・善女人ありて、阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持すること、もしは一日、もしは二日、もしは三日、もしは四日、もしは五日、もしは六日、もしは七日、一心にして乱れざれば、その人、命終のときに臨みて、阿弥陀仏、もろもろの聖衆と現じてその前にましまさん。この人終らんとき、心顛倒せずして、すなはち阿弥陀仏の極楽国土に往生することを得。 舎利弗、われこの利を見るがゆゑに、この言を説く。もし衆生ありて、この説を聞かんものは、まさに発願してかの国土に生るべし。 (小経 P.124)

と、一日乃至七日の称名を説くのだが、称名が「多善根福徳因縁」であるとの直接の指示が無い。元照律師はこの意を襄陽の石碑に刻まれた「専持名号 以称名故 諸罪消滅 即是 多善根 福徳因縁」「隠/顕」名号を専称(持)せよ。称名をもつてのゆゑに、諸罪消滅す。すなはちこれ多功徳・多善根・多福徳因縁なり。の文によって、称名が往生の因である「多善根 福徳因縁」であると領解したという。(『阿弥陀經義疏』)
以下は参考用に石碑に刻まれた文を付加した文。

 舎利弗、もし善男子・善女人ありて、阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持すること、もしは一日、もしは二日、もしは三日、もしは四日、もしは五日、もしは六日、もしは七日、一心にして乱れず、名号を専称(持)せよ。称名をもつてのゆゑに、諸罪消滅す。すなはちこれ多功徳・多善根・多福徳因縁なり。その人、命終のときに臨みて、阿弥陀仏、もろもろの聖衆と現じてその前にましまさん。この人終らんとき、心顛倒せずして、すなはち阿弥陀仏の極楽国土に往生することを得。 舎利弗、われこの利を見るがゆゑに、この言を説く。もし衆生ありて、この説を聞かんものは、まさに発願してかの国土に生るべし。