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観仏本願力…

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

かんぶつほんがんりき…

 「仏の本願力を観ずるに、遇ひて空しく過ぐるものなし。よくすみやかに功徳の大宝海を満足せしむ」(行巻訓)  (尊号 P.651)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

『浄土論』の偈文
観仏本願力(かんぶつ-ほんがんりき) 遇無空過者(ぐうむ-くうかしゃ)
仏の本願力を観ずるに、遇(もうお)ひて空しく過ぐるものなし。
能令速満足(のうりょう-そくまんぞく) 功徳大宝海(くどく-だいほうかい)
よくすみやかに功徳の大宝海を満足せしむ。

空過(くうか)(空しく過ぎる)とは、生きる意味も死ぬる意味も知らずに、ただ人生を空しく過ぎることである。天親菩薩はそれを「空過」であると示された。少しく生きている意味を考察する人には「空過」とは恐ろしい言葉である。むなしく生きるとはやがて虚無の奈落に墜落するだけなのであった。御開山は、この『浄土論』の偈文に、本願力とは阿弥陀仏の浄土へ往生しさとりを完成する衆生済度の本願の意を見られて和讃されておられた。

本願力にあひぬれば
 むなしくすぐるひとぞなき
 功徳の宝海みちみちて
 煩悩の濁水へだてなし (高僧 P.580)
不虚作住持功徳