講
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
こう
人を集めて経典等を講釈すること。また信徒が集まって教義を相談し、祖師を讃仰する会合をいう。
浄土真宗では宗祖親鸞聖人の御忌日に修する仏事を報恩講といい、覚如上人は『報恩講私記』をつくられた。蓮如上人の頃より、毎月二回信徒が集まって教義相談する宗教集団としての講が普及するようになった。またその講は本願寺への志納金を拠出する経済的性格も持っていたようである。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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こう 講
Ⅰ 人を集めて経典等を講釈すること。またその仏事。
Ⅱ 信者が集まって法義を話し合い、祖師を讃仰する会合や、それを行う組織。講社・寄講・御講などともいい、講の構成員は講中などと呼ばれる。浄土真宗における講の源流は、親鸞の時代に「二十五日の御念仏」(註 808) として法然の月忌に法会が営まれたこととされる。親鸞の没後は、その忌日に修する法会を報恩講というようになり、蓮如の頃には、毎月定められた日に門徒が集まって法会を開き法義を話し合う宗教集団としての講が普及するようになった。江戸時代には全国各地に多様な講が組織され、教化において重要な役割を果たすとともに、多くの懇志を拠出して本山やその他の寺院を護持した。僧俗の区別なく互いに同行として運営される点に特色がある。本願寺派本願寺の場合、所属団体として講社があり、愛山護法の精神で本願寺の護持発展に努め、時代に即応した活動により教法の弘通をはかるものとされている。(浄土真宗辞典)