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 仏を念ずること。
 
 仏を念ずること。
 
:真如を念ずる実相の念仏、
 
:真如を念ずる実相の念仏、
:仏のすがたを心におもい観る観相の念仏、
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:仏のすがたを心に思い観る観想の念仏、
 
:仏像を観ずる観像の念仏、
 
:仏像を観ずる観像の念仏、
 
:仏の名号(みょうごう)をとなえる称名念仏
 
:仏の名号(みょうごう)をとなえる称名念仏
などがあり、[[聖道]](しょうどう)門では、実相念仏を最勝とし、称名念仏を最劣とみる。しかし[[浄土門]]では、称名は、[[如来]]の[[本願]]に往生行として選びとられた本願の行であって最勝の行であるとみなされている。→[[称名]] しょうみょう。
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などがあり、[[聖道]](しょうどう)門では、実相念仏を最勝とし、称名念仏を最劣とみる。しかし[[浄土門]]では、称名は[[阿弥陀仏]]の[[本願]]において選び取られた決定往生の行であり、極善最上の法であるとする。→[[称名]] しょうみょう。
  
 
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2010年12月7日 (火) 12:14時点における版

ねんぶつ

 仏を念ずること。

真如を念ずる実相の念仏、
仏のすがたを心に思い観る観想の念仏、
仏像を観ずる観像の念仏、
仏の名号(みょうごう)をとなえる称名念仏

などがあり、聖道(しょうどう)門では、実相念仏を最勝とし、称名念仏を最劣とみる。しかし浄土門では、称名は阿弥陀仏本願において選び取られた決定往生の行であり、極善最上の法であるとする。→称名 しょうみょう。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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