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念仏

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ねんぶつ

 仏を念ずること。

真如を念ずる実相の念仏、
仏のすがたを心に思い観る観想の念仏、
仏像を観ずる観像の念仏、
仏の名号(みょうごう)をとなえる称名念仏

などがあり、聖道門では、実相念仏を最勝とし、称名念仏を最劣とみる。
しかし浄土門では、称名は阿弥陀仏本願において選び取られた決定往生の行であり、極善最上の法であるとする。→称名 (しょうみょう)。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

四種念仏説

圭峰宗密は、『普賢行願品鈔』に、所念の仏の種類に従って、

一、称名念仏 (仏の名を口にとなえること)、
二、観像念仏 (仏の形相や相好を心に思い浮かべて念じること)、
三、観相念仏 (西方浄土のさまを心に思いつつ念じること)、
四、実相念仏 (仏の法身を観じて念じること)

の四種念仏を説き、次第に浅深があるとして「最後為妙」と断じている。すなわち称名は最も浅劣な念仏であり、実相念仏は最も深妙であるというのである。このような理観を中心とし、称名を浅劣な方便加行とみるのは聖道門の念仏観に共通していた。『法然教学の研究』梯實圓著和上著p.40

 浄土門においては、念仏の語は観念称念の両義があったが、龍樹菩薩は『十住毘婆沙論』(十住毘婆沙論 P.6)で、

もし菩薩この身において阿惟越致地に至ることを得て、阿耨多羅三藐三菩提を成就せんと欲せば、まさにこの十方諸仏を念じ、その名号を称すべし。

と、念()と名号を称する()を説かれていた。
善導大師法然聖人は、念仏とは、仏の名を口にとなえる称名念仏(称念) であると定義された。それは阿弥陀仏本願選択摂取された往生浄土の正定業が「第十八願」の乃至十念称名であったからである。→法然聖人における回心の構造
法然聖人は、阿弥陀仏が称名念仏(なんまんだぶ)を往生の行として選択された理由を『選択本願念仏集』で。

しかればすなはち弥陀如来、法蔵比丘の昔平等の慈悲に催されて、あまねく一切を摂せんがために、造像起塔等の諸行をもつて往生の本願となしたまはず。ただ称名念仏一行をもつてその本願となしたまへり。選択本願念仏集 (七祖)#P--1209

とされ、「本願章」で勝劣義(選択集 P.1207) と難易義(選択集 P.1208) として示された。智慧の法然房と呼ばれ、円頓戒の戒師であり天台教学はおろか、あまねく余乗をも研鑽されたのが法然聖人であった。しかし、その修学も法然聖人の救いにはならなかった。その法然聖人にとって究極的な仏法の済度を見出されたのが『観経疏』の「順彼仏願故」(仏の本願に順ずるがゆえに) の文であった。その(ただ)なんまんだぶを称えるのみで浄土へ往生し仏陀のさとりを得ることを信受する教法は、まさにあらゆる衆生を生死の迷いから度脱せしめる真の仏法であり大乗仏教一切皆成の根源的な精神の発見であった。選択本願念仏の仏道を、信ずるか疑うかによって迷悟を決する信疑決判」の仏教思想の大転換であった。

御開山は、この法然聖人の示された可聞可称の選択本願の念仏(なんまんだぶ) を、本願力回向の、教(おしえ)・行(おこない)・証(あかし)の大行として『教行証文類』の「行文類」を著述されたのであった。→三法立題

法然聖人の示された「選択本願念仏」の仏の選択とは、浄土門の行ではない雑行と、正しく往生の行(おこない)とされた正行の対判である。
正行とは、阿弥陀仏が発願回向と、衆生に回向された行であるから正行なのである。それを法然聖人は、

第四に不回向回向対といふは、正助二行を修するものは、たとひ別に回向を用ゐざれども自然に往生の業となる。(選択集(P.1197)

といわれたのであった。正助二行とあるが法然聖人の本意は選択本願念仏の念仏であった。
この「たとひ別に回向を用ゐざれども自然に往生の業となる」の不回向とは、『浄土論』、『論註』で示される阿弥陀仏の本願力回向の意であったと御開山は領解された。わたくしが〔なんまんだぶ〕と称えるから往生の行業になるのではなく、阿弥陀仏が本願に選択された行であるから大行であり「大行とはすなはち無碍光如来の名(みな)を称するなり」 (行巻 P.141) と、仏教で説かれる回向の意味を逆転されたのである。既存の聖道門仏教では救われないとされていた「悪人」へ、大乗仏教の根底にある「一切衆生、悉有仏性」という、一切皆成の思想を発見されたのであった。御開山が本来は聖道門の経である『涅槃経』を引かれて「如来常住」「悉有仏性」を広説されたのも、「浄土真宗は大乗のなかの至極なり」(御消息 P.737) の意をあらわさんとする為であった。

なお、浄土真宗では、仏の名〔なんまんだぶ〕を口にとなえることを唱ではなく、称名といい、称を、となえる、かなう、はかる、たたえると訓じて、それぞれの言葉の意味を窺い考察する。

十念
称名
名体不二
安心論題/十念誓意

◆ 参照読み込み (transclusion) トーク:招喚したまふの勅命

招喚したまふの勅命

時々、念仏を、自力の念仏と他力の念仏に分けて、自分が称える念仏の能行説(能動)と阿弥陀仏に称えさせられる念仏の所行説(所動)の能所の語に幻惑されて「私にはお念仏が出ません」という門徒がいる。便秘なら出ませんということもあろうが、なんまんだぶが口から出ないなら努力して舌を動かして〔なんまんだぶ〕と称えればいいのである。
信心正因 称名報恩」という真宗坊さんの説く硬直しドグマ化された言葉に幻惑されて、信が無ければ称名をしてはいけないと誤解して、「名体不二」のなんまんだぶが称えられないのであろう。TPO(時と所と場合)を考慮せずになんまんだぶを称え、周囲から「くせ念仏」と揶揄されていたばあちゃんが悩んでいた。そのときに、じいさんが、たとえ癖の(から)念仏でも阿弥陀様が実を入れて受け取って下さるから、こっちが心配するな、と言っていたものである。
因幡の源左同行は、

念佛にや しいらはないけつど
人間が しいらだがのう
しいらでも 称えなんすりや 実がいつでのう
*しいら 粃・秕(しいな)、から(殻)ばかりで実のない籾(もみ)。十分にみのっていない籾。しいだ。しいなし。しいなせ。しいら。

と、云われていたものであった。
樹の枝は風がふくから動くのであり枝が動いたから風がふくのではない。自力念仏とは我が動いて大悲の風を起こそうというのであろう。大悲の風は倦むことなく常に招喚したまふの勅命としてふいているのであった。
「風にふかれ信心申して居る」(尾崎放哉)という句がある。「信心申して」という表現は秀逸である。なんまんだぶと称えることは信であり、これを「称即信 (名を称えることが即ち信心)」というのである。
深川倫雄和上は『領解文』を釈して、

 さてこの御たすけの法を頂き、ご恩尊やと称え()つ聞いて慶ぶ所を、「このうへの称名はご恩報謝と存じ」と出言しました。ここに称名はご恩報謝というのは、称名の、即ち称えるということが報謝であるということであります。
 称えるのは私、称えられるのが号。称えようと思う心も、舌を動かし息を出す仕事も私のすることで、これはご恩報謝。称えられる名号は、如来回向の正定業であります。お六字の意味を「有り難うございます」と領解してはなりません[1]。本願に「乃至十念」とありまして、称名は信仰生活の第一です。何はともあれ、お称名をして暮らすことであります。 (平成7年「改悔批判」)

と、なんまんだぶを称えて聞きなさいよ、とのお示しであった。「」はわたくしの報謝の努力であり、「(号)」として聞えて下さるのが「そのまま来いよ、間違わさんぞ、待っておるぞ[2]」という「本願招喚の勅命」であった。
真宗の学僧大厳師[3]は、

罔極仏恩報謝情 (罔極[4]の仏恩報謝の情)
清晨幽夜但称名 (清晨幽夜[5]ただ称名)
堪歓吾唱雖吾聴 (歓びにたえたり、われ唱えわれ聴くといえども)
此是大悲招喚声 (これはこれ大悲招喚の声)[6]

と、なんまんだぶという自らの称える声に本願招喚の勅命を聞かれたのであった。
この漢詩の意を、原口針水和上[7]は、より解りやすく和語にされ、

我れ称へ 我れ聞くなれど
南無阿弥陀 つれてゆくぞの 弥陀のよび声

と、讃詠されたのであった。甲斐和理子さんは、

み仏(ほとけ)の み名を称える
わが声は わが声ながら 尊かりけり

と詠っておられたのであった。越前のなんまんだぶの門徒は、本願寺の大谷光瑞門主の言葉とされる、

我、名号となりて衆生に到り衆生とともに浄土へ往生せん、若し衆生生まれずば 我も帰(還)らじ

の句を、

われ、名号となりて衆生に至り、衆生かえらずんば、われもまた還らじ

と、なんまんだぶを称え、第十八願の、

乃至十念(ないし-じゅうねん) 若不生者(にゃくふ-しょうじゃ) 不取正覚(ふしゅ-しょうがく)(乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ)。

の意を味わっていたのであった。

生死に呻吟している人生に「わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん(欲生我国 乃至十念)」(大経 P.18) と、なんまんだぶと呼ばれて、なんまんだぶと()いて生れる浄土があるとは、ありがたいこっちゃな。なんまんだぶ なんまんだぶ

hwiki:称えるままに本願を聞く

外部リンク

  1. 称名報恩の報恩には、お助け下さってありがとうございますという意もないことはないのだが、ともすればgive and take の人間間の取引関係のように誤解されるからのご注意である。「安心論題/十念誓意
  2. 「そのまま来いよ、間違わさんぞ、待っておるぞ」を、第十八願の至心・信楽・欲生我国の約仏の三信に配当すれば、至心は、そのまま来いよ、信楽は、間違わさんぞ、欲生我国は、待っておるぞであろう。それが乃至十念の、なんまんだぶという声の「招喚したまふの勅命」であった。
  3. 大厳(だいごん)。寛政三年(1791)~安政(1856)。長門教専寺の住職。石見高津(浜田市高津)の人。履善に学び、能行説をを唱えた。文政6年教専寺に入る。儒学を修めて萩で易経を講じた。
  4. 罔極(もうきょく、もうごく)。きわまりのないこと。
  5. 清晨(せいしん)。明け方。幽夜(ゆうや)。しずかな夜。
  6. 意訳:極まりなき佛恩報謝の情(こころ)は、すがすがしい朝から静かな夜に到るまで、ただ〔なんまんだぶ〕のみである。歓びに値するにこのうえなし。私が称えて私が聞いているようだが、これぞこれ、阿弥陀仏の大悲をこめて招き喚ばれる呼び声である。
  7. 原口針水 (1808-1893)本願寺派の学僧。院号は見敬院。光照寺(熊本県山鹿市)住職。曇龍に師事。また長崎で宣教師からキリスト教を学び、慶応4年(1868)には学林の破邪顕正御用係に任じられるなど、キリスト教対策にあたった。明治6年(1873)勧学。明治24年(1891)大学林(現在の龍谷大学綜理に就いた。門下から島地黙雷が出ている。著書に『安楽集講録』などがある。