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「たのむ」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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*本願他力をたのみて、自力をはなれたる…。 →[[唯信鈔文意#P--699]]
 
*本願他力をたのみて、自力をはなれたる…。 →[[唯信鈔文意#P--699]]
 
*なお、「たのむ」を漢字で書くときは、必ず<kana>憑(たの)</kana>むと書き表して頼むとは書かない。
 
*なお、「たのむ」を漢字で書くときは、必ず<kana>憑(たの)</kana>むと書き表して頼むとは書かない。
*「弥陀仏の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、'''南無阿弥陀仏とたのませたまひて'''迎へんと、はからはせたまひたるによりて、行者のよからんとも、あしからんともおもはぬを、自然とは申すぞとききて候ふ」[[親鸞聖人御消息_(上)#P--768]] 自然法爾の事
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*「弥陀仏の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、'''南無阿弥陀仏とたのませたまひて'''迎へんと、はからはせたまひたるによりて、行者のよからんとも、あしからんともおもはぬを、自然とは申すぞとききて候ふ」([[親鸞聖人御消息_(上)#no14|御消息(14)]])、([[正像末和讃#P--621|正像 P.621]])
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→ [[たすけたまへとおもへば]]

2017年10月25日 (水) 14:52時点における版

 浄土真宗では、阿弥陀如来にむかって「お願いする」「請い求める」という祈願請求(きがんしょうぐ)の意ではなく、阿弥陀如来の本願力を「たのみにする」という依憑(えひょう)(よりたのむ)の意味で、信順・帰命の和訓であり、本願の信楽にあたる。親鸞聖人は「よりたのむ」「よりかかる」「本願他力をたのみて、自力をはなれたる、これを唯信といふ」といわれている。(唯文 P.699)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

  • よりたのむ →行巻六字釈の帰説の説明。
  • 本願他力をたのみて、自力をはなれたる…。 →唯信鈔文意#P--699
  • なお、「たのむ」を漢字で書くときは、必ず(たの)むと書き表して頼むとは書かない。
  • 「弥陀仏の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひて迎へんと、はからはせたまひたるによりて、行者のよからんとも、あしからんともおもはぬを、自然とは申すぞとききて候ふ」(御消息(14))、(正像 P.621)

たすけたまへとおもへば