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 倶生起〔分別起〕
  
 
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 略して<kana>倶生(くしょう)</kana>・<kana>分別(ふんべつ)</kana>とも対称される。[[煩悩]](心の惑い)の起こり方における二形態で、それによって[[煩悩]]は二つに大別される。[[倶生起]]とは、「身が生じると同時に起こる」の意で自然発生的に起こる先天的煩悩のことであり、分別起とは邪師・邪教などによる外部からの勢力や、自らの不当な推理分別によって起こす後天的煩悩のことである。<br />
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後者は性質が強烈であるけれどもかえって断ちやすく、前者は微細であるが極めて断ち難いため、分別起の惑いは仏道実践の第一段階である[[見道]]において断たれ(従って'''[[見惑]]'''であり)、[[倶生起]]の惑いは第二段階である修道において次第に断たれる(従って'''[[修惑]]'''である)とされる。(仏教学辞典)
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2019年11月12日 (火) 14:13時点における最新版

くしょうき

 倶生起〔分別起〕

 略して倶生(くしょう)分別(ふんべつ)とも対称される。煩悩(心の惑い)の起こり方における二形態で、それによって煩悩は二つに大別される。倶生起とは、「身が生じると同時に起こる」の意で自然発生的に起こる先天的煩悩のことであり、分別起とは邪師・邪教などによる外部からの勢力や、自らの不当な推理分別によって起こす後天的煩悩のことである。
後者は性質が強烈であるけれどもかえって断ちやすく、前者は微細であるが極めて断ち難いため、分別起の惑いは仏道実践の第一段階である見道において断たれ(従って見惑であり)、倶生起の惑いは第二段階である修道において次第に断たれる(従って修惑である)とされる。(仏教学辞典)

二惑
見惑
修惑
無漏智