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「願力不思議」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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ひく足も 称うる口も 拝む手も<br/> 
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梯實圓和上は、
 弥陀願力の 不思議なりけり
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:不可思議とは、「私の行い」としか思えない事柄が、私の行いではなく「如来の行い」であったと[[信知]]するところに開ける世界を表現した言葉だったのである。さらにいえば、古人が、
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::引く足も称ふる口も拝む手も
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::弥陀願力の不思議なりけり
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:と讃詠されているが、まさにそれが利他力という言葉が表そうとしていた領域であったといえよう。
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と、いわれていた。
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2020年8月13日 (木) 21:56時点における版

がんりきふしぎ

 人間の思慮分別を超えた阿弥陀仏の本願力。→本願力(ほんがんりき)。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

梯實圓和上は、

不可思議とは、「私の行い」としか思えない事柄が、私の行いではなく「如来の行い」であったと信知するところに開ける世界を表現した言葉だったのである。さらにいえば、古人が、
引く足も称ふる口も拝む手も
弥陀願力の不思議なりけり
と讃詠されているが、まさにそれが利他力という言葉が表そうとしていた領域であったといえよう。
と、いわれていた。