「決定心」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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+ | :二つには、'''[[決定]]'''して深く、かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑なく慮りなくかの願力に乗じて、さだめて往生を得と信ず。([[信巻本#P--217|信巻 P.217]]) | ||
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2020年10月21日 (水) 03:28時点における最新版
けつじょうしん
疑いなく本願を信じる心。 (御文章 P.1086)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
けつじょうしん 決定心
決定して動かない心のこと。親鸞は疑いなく本願を信じる心のこととし、他力信心を表す語とする。「信巻」には
とある。(浄土真宗辞典)
二種深信を表すときに、機法ともに決定とある。
◆ 参照読み込み (transclusion) JDS:決定心
けつじょうしん/決定心
定まって動揺のない心のこと。とくに浄土教では阿弥陀仏の本願を深く信じる心、または必ず往生できると確信することを意味する。決定信、あるいは決定の信心ともいう。法然は「ただ口に南無阿弥陀仏と称えん声につきて決定往生の思いをなすべし。その決定の心をやがて深心とは名づくるなり。その深心を具しぬれば決定して往生するなり」(『大胡太郎実秀へつかわす御返事』聖典四・四〇〇/昭法全五一九)と、決定心とは決定往生の思いであり、深心のことでもあると述べている。また『選択集』八の深心釈では、善導『観経疏』の文を引用し、「決定の信相」(聖典三・一四三/昭法全三三〇)を明かすとして、たとえ高位の菩薩や阿羅漢、異学・異見の者に非難されたとしても、一切の疑念を持たず堅固な信心を確立すべきであると説いている。
【資料】『浄土宗略抄』(昭法全五九五)、「御消息」(昭法全五八一)
【参考】石井教道『選択集全講』(平楽寺書店、一九五九)
【執筆者:伊藤瑛梨】