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「十悪」の版間の差分

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 身・口・意の<ruby><rb>[[三業]]</rb><rp>(</rp><rt>さんごう</rt><rp>)</rp></ruby>の中で、とくに著しい十種の悪い行為のこと。
 
 身・口・意の<ruby><rb>[[三業]]</rb><rp>(</rp><rt>さんごう</rt><rp>)</rp></ruby>の中で、とくに著しい十種の悪い行為のこと。
:①殺生。
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:①殺生。(生きものの生命を奪うこと)。
 
:②<ruby><rb>偸盗</rb><rp>(</rp><rt>ちゅうとう</rt><rp>)</rp></ruby>(ぬすみ)。
 
:②<ruby><rb>偸盗</rb><rp>(</rp><rt>ちゅうとう</rt><rp>)</rp></ruby>(ぬすみ)。
 
:③<ruby><rb>邪婬</rb><rp>(</rp><rt>じゃいん</rt><rp>)</rp></ruby>。
 
:③<ruby><rb>邪婬</rb><rp>(</rp><rt>じゃいん</rt><rp>)</rp></ruby>。

2023年10月24日 (火) 09:48時点における版

じゅうあく

 身・口・意の三業(さんごう)の中で、とくに著しい十種の悪い行為のこと。

①殺生。(生きものの生命を奪うこと)。
偸盗(ちゅうとう)(ぬすみ)。
邪婬(じゃいん)
妄語(もうご)(うそいつわり)。
両舌(りょうぜつ)(人を仲たがいさせる言葉)。
悪口(あっく)
綺語(きご)(まことのないかざった言葉)。
貪欲(とんよく)(むさぼり)。
瞋恚(しんに)(いかり)。
愚痴(ぐち)(おろかさ)。

このうちで前三が身業、中四が口業、後三が意業である。またこれらを離れるのが十善である。→十善(じゅうぜん)。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

◆ 参照読み込み (transclusion) JDS:十悪

じゅうあく/十悪

一〇種類の悪のこと。身口意の三業で犯す一〇種類の悪業十善に対する。十不善業道、十悪業道ともいう。その内容は、殺生せっしょう衆生の生命を断つ)、偸盗ちゅうとう(他の財物を盗み取る)、邪婬じゃいん(妻妾でないものと性交渉を行う)(以上、身業の三種・身三)、妄語もうご(言葉によって他人をたぶらかす)、両舌りょうぜつ(争いを構えさせ、仲違いさせる発言をする)、悪口あっく(汚く罵って他者を悩ます)、綺語きご(飾り立てた無意味な言葉であり、道理そむく)(以上、口業の四種・口四)、貪欲とんよく(むさぼって満足することがない)、瞋恚しんに(心に逆らうことについて忿怒を生じる)、邪見じゃけん(正しい因果を撥する)(以上、意業の三種・意三)からなる。悪趣に堕する因とされ、例えば『雑阿含経』三七には「殺生乃至邪見、十不善業の因縁具足するが故に…身、壊して、命終して地獄中に生ず」(正蔵二・二七二下)とされ、『華厳経』十地品には、これらの十悪の程度に応じて三悪道の何れかに堕す因となり、あるいは人中に生まれても苦果を受けることになる、とする(正蔵一〇・一八五下〜六上)。「浄土三部経」中には『観経下品下生に一例用いられるだけであるが、そこには「不善の業たる五逆十悪を作して諸もろの不善を具す。此の如き愚人、悪業をもっての故に応に、悪道に堕して多劫を経歴きょうりゃくして苦を受くることきわまり無かるべし」(聖典一・三一二/浄全一・五〇)とあって、十悪が本来は悪道に堕す因であることを明示する。ただし『観経』では続けて、命終のとき、善知識の勧めによって十声南無阿弥陀仏称念すれば八十億劫の生死の罪が除かれ、往生することができる、とされる()。法然は『一紙小消息』に「十方浄土おおけれど、西方を願うは、十悪五逆衆生の生まるる故なり」(聖典五・九/昭法全四九九)として、十悪を犯しても往生はかなうといい、また、『諸人伝説の詞』中、聖光の伝説に「十悪法然房が念仏して往生せんといいて居たるなり」(聖典四・四八二/昭法全四五八)との自己認識を示す。その上で『小消息』には「罪は十悪五逆の者も生まると信じて、少罪をも犯さじと思うべし」(聖典五・九/昭法全五〇〇)として、罪を犯すことを戒めている。


【参照項目】➡十善


【執筆者:齊藤舜健】