「菩提」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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− | 梵語ボーディ(bodhi)の音写。智・道・覚と漢訳する。迷いから目覚めたさとりの<kana>智慧(ちえ)</kana>のこと。菩薩・<kana>縁覚(えんがく)</kana>・<kana>声聞(しょうもん)</kana> | + | 梵語ボーディ(bodhi)の音写。智・道・覚と漢訳する。迷いから目覚めたさとりの<kana>智慧(ちえ)</kana>のこと。菩薩・<kana>縁覚(えんがく)</kana>・<kana>声聞(しょうもん)</kana>の菩提のうち、とくに菩薩のうる菩提を<kana>阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)</kana>と名づけ、漢訳して<kana>無上正等正覚(むじょうしょうとうしょうがく)</kana>・無上菩提などという。([[弥陀如来名号徳#P--729|名号 P.729]]) |
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ぼだい 菩提 | ぼだい 菩提 | ||
− | 梵語ボーディ (bodhi) | + | 梵語ボーディ (bodhi) の音訳。智・道・覚などと意訳する。迷いを離れたさとりの智慧のこと。[[声聞]]の菩提、[[独覚]]の菩提、仏の菩提の三種があり、なかでも仏の菩提はこの上ないものであるので、[[阿耨多羅三藐三菩提]] (無上正等正覚・無上正真道・無上正遍知)、無上菩提、無上覚、無上道などという。『銘文』には |
− | :「信心は菩提のたねなり」(註 667) | + | :「信心は菩提のたねなり」([[P:667|註 667]]) |
とある。また、さとりにいたるべき道を指して用いられる場合もあり、『安楽集』には | とある。また、さとりにいたるべき道を指して用いられる場合もあり、『安楽集』には | ||
− | :「仏道の体本を名づけて菩提といふ」(七祖 203) | + | :「仏道の体本を名づけて菩提といふ」([[P2:203|七祖 203]]) |
と示されている。(浄土真宗辞典) | と示されている。(浄土真宗辞典) | ||
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2024年8月19日 (月) 08:52時点における最新版
ぼだい
梵語ボーディ(bodhi)の音写。智・道・覚と漢訳する。迷いから目覚めたさとりの
底本 (青蓮院本) には 「菩薩」 とある。 (要集 P.1161)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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