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「出第五門」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
 
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しゅつだいごもん
 
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 出は利他教化に出ること。第五門とは五功徳門のなか、<ruby><rb>園林遊戯地門</rb><rp>(</rp><rt>おんりんゆげじもん</rt><rp>)</rp></ruby>のこと。→<ruby><rb>[[五種の功徳]]</rb><rp>(</rp><rt>ごしゅのくどく</rt><rp>)</rp></ruby> ([[信巻本#P--243|信巻 P.243]], [[証巻#P--313|証巻 P.313]], [[三経往生文類#P--629|三経 P.629]])
 
  
 
【左訓】「これはこれ五念門のうちに回向門なり、これは弥陀如来の利他の回向なり」([[二種#P--723|二種 P.723]])
 
【左訓】「これはこれ五念門のうちに回向門なり、これは弥陀如来の利他の回向なり」([[二種#P--723|二種 P.723]])
  
 五念門の果として<ruby><rb>五功徳門</rb><rp>(</rp><rt>ごくどくもん</rt><rp>)</rp></ruby>を説く中、その第五門である<ruby><rb>園林遊戯地門</rb><rp>(</rp><rt>おんりんゆげじもん</rt><rp>)</rp></ruby>のこと。出は<ruby><rb>利他教化</rb><rp>(</rp><rt>りたきょうけ</rt><rp>)</rp></ruby>(衆生を教化し救済する活動)に出ることをいい、自らさとりを得て仏の境地に入る入門に対する。出第五門とは、さとりの世界より迷いの世界に再びたちかえって、自由自在に<ruby><rb>衆生</rb><rp>(</rp><rt>しゅじょう</rt><rp>)</rp></ruby>を救済することを楽しみとすること。→[[五種の功徳]](ごしゅのくどく)、[[五念門]] (ごねんもん)
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 出は利他教化に出ること。第五門とは[[五功徳門]]のなか、<ruby><rb>[[園林遊戯地門]]</rb><rp>(</rp><rt>おんりんゆげじもん</rt><rp>)</rp></ruby>のこと。
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 さとりの世界より迷いの世界に再びたちかえって、自由自在に衆生(しゅじょう)を救済することを楽しみとすることを出第五門という。→<ruby><rb>[[五種の功徳]]</rb><rp>(</rp><rt>ごしゅのくどく</rt><rp>)</rp></ruby> ([[信巻本#P--243|信巻 P.243]], [[証巻#P--313|証巻 P.313]], [[三経往生文類#P--629|三経 P.629]])
  
 
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2005年10月9日 (日) 19:31時点における最新版

しゅつだいごもん

【左訓】「これはこれ五念門のうちに回向門なり、これは弥陀如来の利他の回向なり」(二種 P.723)

 出は利他教化に出ること。第五門とは五功徳門のなか、園林遊戯地門(おんりんゆげじもん)のこと。

 さとりの世界より迷いの世界に再びたちかえって、自由自在に衆生(しゅじょう)を救済することを楽しみとすることを出第五門という。→五種の功徳(ごしゅのくどく) (信巻 P.243, 証巻 P.313, 三経 P.629)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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