「両垢の如々」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
細 (1 版) |
|||
(同じ利用者による、間の1版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
+ | りょうくのにょにょ | ||
− | + | <kana>有垢(うく)</kana><kana>真如(しんにょ)</kana>と<kana>無垢(むく)</kana><kana>真如(しんにょ)</kana>のこと。 煩悩によって<kana>覆(おお)</kana>われている真如とそうでない真如。 ([[観経疏 玄義分 (七祖)#P--299|玄義分 P.299]]) | |
{{Copyright}} | {{Copyright}} | ||
---- | ---- | ||
+ | *衆生が具えている真如を有垢真如といい、諸仏に顕されているものを無垢真如という。『摩訶止観』に説かれている。これは、『大乗起信論』には<kana>在纏(ざいてん)</kana>真如・<kana>出纏(しゅってん)</kana>真如と呼ばれている。 | ||
+ | |||
+ | [[Category:追記]] |
2018年1月9日 (火) 09:51時点における最新版
りょうくのにょにょ
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
- 衆生が具えている真如を有垢真如といい、諸仏に顕されているものを無垢真如という。『摩訶止観』に説かれている。これは、『大乗起信論』には
在纏 真如・出纏 真如と呼ばれている。