操作

「無記」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
(同じ利用者による、間の1版が非表示)
6行目: 6行目:
 
:2.三性の一。善とも悪とも明記できないもの。 ([[化巻末#P--468|化巻 P.468]])
 
:2.三性の一。善とも悪とも明記できないもの。 ([[化巻末#P--468|化巻 P.468]])
 
:3.答えないこと。外道(げどう)からの形而上学的質問に対して、釈尊が答えることが無意味であるとして黙して答えなかったこと。十四無記という。
 
:3.答えないこと。外道(げどう)からの形而上学的質問に対して、釈尊が答えることが無意味であるとして黙して答えなかったこと。十四無記という。
:4. 無意味、無価値なこと。 ([[選択本願念仏集 (七祖)#P--1235|選択集 P.1235]]、[[浄土論註 (七祖)#P--69|論註P.69]])
+
:4. 無意味、無価値なこと。 ([[選択本願念仏集 (七祖)#P--1235|選択集 P.1235]]、[[浄土論註 (七祖)#P--69|論註P.69]]、[[観経疏 散善義 (七祖)#P--458|散善義 P.458]])
  
  
 
{{Copyright}}
 
{{Copyright}}
 
----
 
----
 +
:→[[十四の難]]

2020年2月4日 (火) 13:10時点における最新版

むき

 梵語アヴィヤークリタ(avyākŗta)の漢訳。

1.記は記別(認可、未来の果に対する証言)の意。記別のないこと。認証が得られないこと。無意味というほどの意。 (信巻 P.219,愚禿下 P.524) 
2.三性の一。善とも悪とも明記できないもの。 (化巻 P.468)
3.答えないこと。外道(げどう)からの形而上学的質問に対して、釈尊が答えることが無意味であるとして黙して答えなかったこと。十四無記という。
4. 無意味、無価値なこと。 (選択集 P.1235論註P.69散善義 P.458)


出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

十四の難