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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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 菩提心をおこすこと。→[[菩提心]] ([[観経疏 散善義 (七祖)#P--479|散善義 P.479]]、[[安楽集 (七祖)#P--202|安楽集 P.202]])
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 菩提心をおこすこと。→[[菩提心]] ([[観経疏 散善義 (七祖)#P--479|散善義 P.479]]、[[安楽集 (七祖)#P--202|安楽集 P.202]]、[[安楽集 (七祖)#P--255|安楽集 P.255]])
 
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2024年3月5日 (火) 17:14時点における最新版

ほつぼだいしん

 菩提心をおこすこと。→菩提心 (散善義 P.479安楽集 P.202安楽集 P.255)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

◆ 参照読み込み (transclusion) JDS:発菩提心

ほつぼだいしん/発菩提心

菩提心をおこすこと。Ⓢcittotpāda。発意ほっちあるいは発道心発心ともいう。『北本涅槃経』三八の迦葉菩薩品に、「発心畢竟ひっきょうの二にして別ならず。是の如き二心は先の心難し。自ら未だ度すことを得ずして先に他を度す。是の故に我初発心を礼す」(正蔵一二・五九〇上)とあり、ここにおいては仏法大原則が述べられている。すなわち「初発心(自未得度先度他の心)」も「畢竟(仏果菩提成仏)」も尽十方界真実において変わりがないことを述べている。


【資料】『俱舎論』一八、『選択集』一二


【参照項目】➡菩提心


【執筆者:薊法明】