「願生偈から論註へのリンク」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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− | 曇鸞大師の『浄土論註』( | + | 曇鸞大師の『浄土論註』(以下『論註』)は、この『浄土論』の偈頌と長行部分の注釈書であり上巻は偈頌について、下巻は長行部分の解説になっている。偈頌は記憶しやすいのだが時々その意を忘れる。そこで偈頌と『論註』の解説の対応を判りやすく把握できるように「願生偈」の偈頌の文から、それに対応する『論註』の、それれぞれの釈へリンクしてみた。『論註』は『浄土論』の偈頌と長行をすべて引用しているので、『論註』を読めば『浄土論』を読んだことにもなる。ただし曇鸞大師は、天親菩薩の瑜伽唯識の思想の流れを、龍樹菩薩の空観の流れを汲む[[四論]]の立場で解釈されているし、当時のシナ思想の『荘子』などの東アジア文化圏の自然の思想も混在しているので難解かも知れない。<br> |
− | なお、『論註』の上巻は、「仏本(もと) | + | なお、『論註』の上巻は、「仏本(もと)なんがゆゑぞこの荘厳を起したまへる」と、仏が何故にこの浄土の荘厳を起こさねばならなかったかという因の所以を尋ねる形式になっており、下巻は因である本願によって成就せられた浄土を「これいかんが不思議なる」という浄土の果徳そのものの不可思議性を顕わしておられる。御開山は具象的な浄土の荘厳をほとんど引文されておられないのだが、法然聖人が浄土門の所依は「三経一論」として浄土三部経と『浄土論』を挙げられる意を、曇鸞大師の「三厳二十九種」を説く『論註』によって、浄土の[[性起]]を考察されたのであろう。《しかるに『経』(大経・下)に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。「信心」といふは、すなはち本願力回向の信心なり》であった。 |
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2016年2月22日 (月) 03:28時点における最新版
「願生偈」とは、天親菩薩ご自身が浄土経典によって浄土を願生する旨を述べた『浄土論』の冒頭の偈頌である。偈頌は五字一句、四句一行で全部で24行になっている。国土十七種、仏八種、菩薩四種の荘厳を説くので三厳二十九種といいならわしている。 偈頌とは、広博な仏教の意を総摂して短い偈のなかにおさめて記憶し忘れないように保つためのものでもある。『浄土論』には、この偈頌の解説(長行)もある。
曇鸞大師の『浄土論註』(以下『論註』)は、この『浄土論』の偈頌と長行部分の注釈書であり上巻は偈頌について、下巻は長行部分の解説になっている。偈頌は記憶しやすいのだが時々その意を忘れる。そこで偈頌と『論註』の解説の対応を判りやすく把握できるように「願生偈」の偈頌の文から、それに対応する『論註』の、それれぞれの釈へリンクしてみた。『論註』は『浄土論』の偈頌と長行をすべて引用しているので、『論註』を読めば『浄土論』を読んだことにもなる。ただし曇鸞大師は、天親菩薩の瑜伽唯識の思想の流れを、龍樹菩薩の空観の流れを汲む四論の立場で解釈されているし、当時のシナ思想の『荘子』などの東アジア文化圏の自然の思想も混在しているので難解かも知れない。
なお、『論註』の上巻は、「仏本(もと)なんがゆゑぞこの荘厳を起したまへる」と、仏が何故にこの浄土の荘厳を起こさねばならなかったかという因の所以を尋ねる形式になっており、下巻は因である本願によって成就せられた浄土を「これいかんが不思議なる」という浄土の果徳そのものの不可思議性を顕わしておられる。御開山は具象的な浄土の荘厳をほとんど引文されておられないのだが、法然聖人が浄土門の所依は「三経一論」として浄土三部経と『浄土論』を挙げられる意を、曇鸞大師の「三厳二十九種」を説く『論註』によって、浄土の性起を考察されたのであろう。《しかるに『経』(大経・下)に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。「信心」といふは、すなはち本願力回向の信心なり》であった。
- 願生偈から論註の解説へのリンク
- 造論の趣旨
- 我依修多羅 真実功徳相
- 説願偈総持 与仏教相応。 上
- われ修多羅の真実功徳相によりて、
- 願偈を説きて総持し、仏教と相応せん。
①清浄功徳
- 勝過三界道。
- 三界の道に勝過せり。
②量功徳
③性功徳
④形相功徳
⑤種々事功徳
⑥妙色功徳
⑦触功徳
⑧三種功徳
水功徳
地功徳
虚空功徳
⑨雨功徳
⑩光明功徳
⑪妙声功徳
⑫主功徳
⑬眷属功徳
⑭受用功徳
⑮無諸難功徳
⑯大義門功徳
⑰一切所求満足功徳
- 仏の功徳荘厳
①座功徳
②身業功徳
③口業功徳
④心業功徳
⑤大衆功徳
⑥上首功徳
⑦主功徳
⑧不虚作住持功徳
- 浄土の菩薩の功徳
①菩薩住持功徳
②一念遍至功徳
③無相供養功徳
④示法如仏功徳
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ 称名相続……