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「おくしもん」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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「唯除五逆誹謗正法(ゆいじょごぎゃくひほうしょうぼう)」 特哀の文ともいう。
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本願文は、
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:設我得仏(たとひわれ仏を得たらんに)……不取正覚(正覚を取らじ)。[[仏説_無量寿経_(巻上)-漢文#no7|(*)]] [[大経上#no7|(*)]]
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と、設我得仏……不取正覚、と定型文になっている。しかし第十八願だけは、
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:設我得仏(たとひわれ仏を得たらんに)……不取正覚(正覚を取らじ)。唯除五逆誹謗正法(ただ五逆と誹謗正法とをば除く)。
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と、不取正覚の後に、唯除五逆誹謗正法と説かれている。<br />
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御開山は『尊号真像銘文』で、
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:「唯除五逆誹謗正法」といふは、「唯除」といふはただ除くといふことばなり、五逆のつみびとをきらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。
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と「罪のおもきことをしめして」と阿弥陀如来の抑止とされておられた。
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覚如上人は、本願文の不取正覚の後に唯除の文がある意からか「[[抑止は釈尊の方便なり]]」と『大経』を説かれた釈尊の抑止とされていた。([[口伝鈔#P--909|口伝鈔 P.909]])
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といわれておられた。
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なお先人は、「<kana>唯除五逆誹謗正法(ゆいじょごぎゃくひほうしょうぼう)</kana>」と唯除と示すことで、五逆誹謗正法の者も回心すれば往生できることをあらわす特哀の文と呼ばれていた。
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:→[[抑止は釈尊の方便なり]]
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:→[[謗法闡提…|謗法・闡提、回心すればみな往く]]
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[[Category:巻末註]]
 
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2024年6月29日 (土) 15:58時点における最新版

抑止門

 抑止とはおさえとどめること。

『大経』の第十八願文および成就文に、

「ただ五逆誹謗正法とをば除く」(五逆罪と謗法罪を如来の救済より除く)

とあるのは、これらの罪は重罪であるから、衆生がこれを犯さないようにおさえとどめるために説かれたとするのを抑止門という。

さらに親鸞聖人は「除く」と説かれたのは、逆謗が極重罪であることを知らしめ、回心(えしん)せしめて、みなもれず往生せしめようとされた意であるといわれている。

おくしもん

 抑止は抑えとどめること。謗法・五逆は重罪であるから、衆生がこれを犯さないようにおさえとどめて説かれた法門。 (散善義 P.494)


出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

本願文は、

設我得仏(たとひわれ仏を得たらんに)……不取正覚(正覚を取らじ)。(*) (*)

と、設我得仏……不取正覚、と定型文になっている。しかし第十八願だけは、

設我得仏(たとひわれ仏を得たらんに)……不取正覚(正覚を取らじ)。唯除五逆誹謗正法(ただ五逆と誹謗正法とをば除く)。

と、不取正覚の後に、唯除五逆誹謗正法と説かれている。
御開山は『尊号真像銘文』で、

「唯除五逆誹謗正法」といふは、「唯除」といふはただ除くといふことばなり、五逆のつみびとをきらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。

と「罪のおもきことをしめして」と阿弥陀如来の抑止とされておられた。 覚如上人は、本願文の不取正覚の後に唯除の文がある意からか「抑止は釈尊の方便なり」と『大経』を説かれた釈尊の抑止とされていた。(口伝鈔 P.909) といわれておられた。

なお先人は、「唯除五逆誹謗正法(ゆいじょごぎゃくひほうしょうぼう)」と唯除と示すことで、五逆誹謗正法の者も回心すれば往生できることをあらわす特哀の文と呼ばれていた。

抑止は釈尊の方便なり
謗法・闡提、回心すればみな往く