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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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いあんじん
 
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 真宗における正当な教義とは異なった理解にもとづく[[信心]]のこと。[[異義]]・異解・[[異計]]などともいう。親鸞在世時から存在し、蓮如の時代にはくせ法門などと呼ばれた。その内容は多岐にわたり、親鸞の御消息、『歎異抄』、覚如の『改邪鈔』、蓮如の御文章などから知ることができる。江戸時代には本願寺派において[[三業惑乱]]が起こり、学林の能化が主張した[[三業帰命]]が[[異安心]]と判じられた。(浄土真宗辞典)
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 真宗における正当な教義とは異なった理解にもとづく[[信心]]のこと。[[異義]]・[[異解]]・[[異計]]などともいう。親鸞在世時から存在し、蓮如の時代には[[くせ法門]]などと呼ばれた。その内容は多岐にわたり、親鸞の御消息、『歎異抄』、覚如の『改邪鈔』、蓮如の御文章などから知ることができる。江戸時代には本願寺派において[[三業惑乱]]が起こり、学林の能化が主張した[[三業帰命]]が[[異安心]]と判じられた。(浄土真宗辞典)
 
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2024年9月24日 (火) 16:20時点における最新版

いあんじん

 真宗における正当な教義とは異なった理解にもとづく信心のこと。異義異解異計などともいう。親鸞在世時から存在し、蓮如の時代にはくせ法門などと呼ばれた。その内容は多岐にわたり、親鸞の御消息、『歎異抄』、覚如の『改邪鈔』、蓮如の御文章などから知ることができる。江戸時代には本願寺派において三業惑乱が起こり、学林の能化が主張した三業帰命異安心と判じられた。(浄土真宗辞典)

安心
一益法門

異安心

 異とは正統の教権と異なること。信仰が異なるのを異安心、理解の仕方が異なるのをの異解異計などという。邪義異義別解などとも通ずる。 真宗では特に信を強調するので異安心についてきびしく、その主なものに一益法門、知識帰命、十劫秘事などがある。(仏教学辞典)

異安心とは正統な教義と異なった教えに心を安置安心することで、異信心とは言わない。
しかし、異安心という語が真宗門徒間で使用される場合は相手を異信心として排斥(容認しがたいとして、拒みしりぞけること)であり注意して使うべきである。本願寺派では、安心に関して「安心論題」が設けられている。

安心論題
同一念仏 無別道故

参照WEB版浄土宗大辞典の「異安心」の項目