「若不生者のちかひ」の版間の差分
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2024年7月24日 (水) 20:31時点における最新版
にゃくふしょうじゃのちかひ
【左訓】「わがちかひを信ずるもの、もし生れずは仏に成らじとなり」(異本)第十八願を指す。(浄土 P.561)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
一部の団体で、この文を信心を生じさせる意味にとる取る団体があるそうだが、この文は第十八願の別名の意。対応する『讃阿弥陀仏偈』を見れば判る。→讃阿弥陀仏偈と浄土和讃#18gwan
- 尊号真像銘文
- 「若不生者不取正覚」といふは、「若不生者」はもし生れずはといふみことなり、「不取正覚」は仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。このこころはすなはち至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生れずは仏に成らじと誓ひたまへる御のりなり。(尊号 P.644)
- 唯信鈔文意
- 「乃至十念 若不生者 不取正覚」(大経・上)といふは、選択本願(第十八願)の文なり。この文のこころは、「乃至十念の御なをとなへんもの、もしわがくにに生れずは仏に成らじ」とちかひたまへる本願なり。「乃至」はかみしもと、おほきすくなき、ちかきとほきひさしきをも、みなをさむることばなり。多念にとどまるこころをやめ、一念にとどまるこころをとどめんがために、法蔵菩薩の願じまします御ちかひなり。(唯文 P.715)
(26)
- 若不生者のちかひゆゑ
- 信楽まことにときいたり
- 一念慶喜するひとは
- 往生かならずさだまりぬ