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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
 
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   (550-577)中国南北朝時代の北朝の一。550年、高洋(文宣帝)が東魏の孝静(こうせい)帝から帝位を奪って建てた。577年、北周の武帝に滅ぼされた。南朝の斉と区別して北斉といい、また王室が高姓であるため高斉とも呼ばれる。([[尊号真像銘文#P--653|尊号 P.653]])
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 (550-577)中国南北朝時代の北朝の一。550年、高洋(文宣帝)が東魏の孝静(こうせい)帝から帝位を奪って建てた。577年、北周の武帝に滅ぼされた。南朝の斉と区別して北斉といい、また王室が高姓であるため高斉とも呼ばれる。([[尊号真像銘文#P--653|尊号 P.653]])
  
 
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2011年7月12日 (火) 22:31時点における最新版

せい

 (550-577)中国南北朝時代の北朝の一。550年、高洋(文宣帝)が東魏の孝静(こうせい)帝から帝位を奪って建てた。577年、北周の武帝に滅ぼされた。南朝の斉と区別して北斉といい、また王室が高姓であるため高斉とも呼ばれる。(尊号 P.653)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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