操作

「胎生」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
(同じ利用者による、間の2版が非表示)
1行目: 1行目:
 
たいしょう
 
たいしょう
  
:1.方便化土(けど)の往生のこと。仏智の不思議を疑い、自己の力をたのんで善行(ぜんぎょう)や念仏をはげむ第十九(じゅうく)・第二十願の行者は、浄土に往生しても、五百年の間、仏に遇わず、法を聞かず、聖衆(しょうじゅ)を見ることができない。それはあたかも母の胎内にあるがごとくであるから、これを喩えて胎生という。→[[化生]](けしょう)
+
Ⅰ 方便<kana>化土(けど)</kana>の往生のこと。[[仏智]]の不思議を疑い、自己の力をたのんで<kana>善行(ぜんぎょう)</kana>や念仏をはげむ[[第十九願]]・[[第二十願]]の行者は、浄土に往生しても、五百年の間、仏に遇わず、法を聞かず、<kana>聖衆(しょうじゅ)</kana>を見ることができない。それはあたかも母の胎内にあるがごとくであるから、これを喩えて胎生という。→[[化生]]。 ([[往生要集下巻 (七祖)#P--1113|要集 P.1113]]、[[往生要集下巻 (七祖)#P--1150|要集 P.1150]])
:2.衆生(しゅじょう)が生れる四種の形態のうち母胎から生れるもの。四生の一。→[[四生]](ししょう)
+
 
 +
 
 +
Ⅱ 衆生が生れる四種の形態のうち母胎から生れるもの。四生の一。→[[四生]]
  
  
 
{{Copyright}}
 
{{Copyright}}
 
----
 
----

2010年11月14日 (日) 23:36時点における最新版

たいしょう

Ⅰ 方便化土(けど)の往生のこと。仏智の不思議を疑い、自己の力をたのんで善行(ぜんぎょう)や念仏をはげむ第十九願第二十願の行者は、浄土に往生しても、五百年の間、仏に遇わず、法を聞かず、聖衆(しょうじゅ)を見ることができない。それはあたかも母の胎内にあるがごとくであるから、これを喩えて胎生という。→化生。 (要集 P.1113要集 P.1150)


Ⅱ 衆生が生れる四種の形態のうち母胎から生れるもの。四生の一。→四生


出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。