「正定業」の版間の差分
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2017年7月2日 (日) 01:07時点における版
しょうじょうごう
正しく衆生の往生が決定する業因。善導大師は阿弥陀仏の浄土へ往生する行として五正行をあげ、その中第四の称名は、本願の行であるから正定業とされる。→五正行(ごしょうぎょう)、助業(じょごう)。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
正定業とは、第十八願に選択された〔なんまんだぶ〕を称える往生成仏の行業(行為)である。この本願に選択された「乃至十念」の往生成仏の行法を受けいれた「至心信楽欲生」の信を浄土真宗では「信心正因」というのである。ゆえに「真実の信心はかならず名号を具す」(信巻 P.245)のであった。
本願名号正定業
- 本願の名号は正定の業なり。
- 本願の名号は、正しく往生の決定する行業である。
至心信楽願為因
- 至心信楽の願(第十八願)を因とす。
- その行法を受けいれた第十八願の信心を往生の正因とする。
成等覚証大涅槃 必至滅度願成就
- 等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願(第十一願)成就なり。
- 信を得て如来と等しい徳をいただき、涅槃のさとりに至るのは、第十一願の功である。
なんまんだぶを称えたから救われるのではありません。 なんまんだぶを称えた者を救うという本願があるから救われるのです。 これを『歎異抄』の著者は、
本願を信じ念仏を申さば仏に成る (第12条)
と、単純明快に示してくれたのでした。 法然聖人が、
「たれだれも、煩悩のうすくこきおもかへりみず、罪障のかろきおもきおもさたせず、ただくちにて南無阿弥陀仏ととなえば、こゑにつきて決定往生のおもひをなすべし、決定心をすなわち深心となづく。その信心を具しぬれば、決定して往生するなり。」(『聖全』四 p191 『西方指南抄』「大胡の太郎實秀へつかわす御返事」)
と、仰ったと御開山は『西方指南抄』に書き残して下さってあるのだが、なんまんだぶと称えて、耳に聞こえる声に決定往生のおもひをなすべしであった。