「随自意説」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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古来、『阿弥陀経』は問なくして、釈尊自身が自ら語られるので無問自説の経として随自意の経とされる。 | 古来、『阿弥陀経』は問なくして、釈尊自身が自ら語られるので無問自説の経として随自意の経とされる。 | ||
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2017年11月6日 (月) 22:32時点における版
ずいじいせつ
仏がみずからの本意に随って説いた教え。(真巻 P.355)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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仏が法を説く場合、自分のさとりのままに説くことを随自意説という。また相手の考えに順応して説くことを随他意説といい、相手の考えに順応して説くことが仏のさとりに反せず、相手と同一の説き方を随自他意説という。(涅槃経 迦葉菩薩品之二)
仏教の教説を分類批判する時は、真実の教えを自分の意にかなっているから随自意といい、方便の教えを随他意という。
例:まさに知るべし、随他の前にはしばらく定散の門を開くといへども、随自の後には還りて定散の門を閉づ。(選択本願念仏集)
古来、『阿弥陀経』は問なくして、釈尊自身が自ら語られるので無問自説の経として随自意の経とされる。
→随他意説