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「法然聖人の他力思想」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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そこでそれを証明するために次に三願的証を行われたわけである。このような衆生往生の因果を成就せしめるような力用をもっている本願力のことを曇鸞は他力とよばれていたことがわかる。
 
そこでそれを証明するために次に三願的証を行われたわけである。このような衆生往生の因果を成就せしめるような力用をもっている本願力のことを曇鸞は他力とよばれていたことがわかる。
  
後に親鸞はこの『論註』の指南によって、「往還廻向由他力」といい、本願力廻向の、行信因果、往還の二廻向四法論を確立されたのである。<ref>「証文類」(真聖全二・一一九頁)に「宗師顕<k>二</k>示大悲往還回向<k>一</k>、慇懃弘<k>二</k>宣他利々他深義<k>一</k>◇〔宗師(曇鸞)は大悲往還の回向を顕示して、ねんごろに他利利他の深義を弘宣したまへり。〕」といわれている。もっとも『論註』下・起観生信章(真聖全一・三一六頁)に廻向門を釈して「廻向有<k>レ</k>二種相<k>レ</k>、一者往相、二者還相、往相者、以<k>レ</k>己功徳<k>レ</k>廻<k>レ</k>施一切衆生<k>レ</k>、作願共往<k>レ</k>生彼阿弥陀如来安楽浄土<k>レ</k>、還相者、生<k>レ</k>彼土<k>レ</k>已、得<k>レ</k>奢摩他毘婆舎那方便力成就<k>レ</k>廻<k>レ</k>入生死稠林<k>レ</k>、教<k>レ</k>化一切衆生<k>レ</k>共向<k>レ</k>仏道<k>レ</k>、若往若還、皆為<k>レ</k>抜<k>レ</k>衆生<k>レ</k>渡<k>レ</k>生死海<k>レ</k>)」◇〔「回向」に二種の相あり。一には往相、二には還相なり。「往相」とは、おのが功徳をもつて一切衆生に回施して、ともにかの阿弥陀如来の安楽浄土に往生せんと作願するなり。「還相」とは、かの土に生じをはりて、奢摩他・毘婆舎那を得、方便力成就すれば、生死の稠林に回入して一切衆生を教化して、ともに仏道に向かふなり。もしは往、もしは還、みな衆生を抜きて生死海を渡せ んがためなり。〕といわれているが、この往相廻向、還相廻向は、いずれも願生行者の利他廻向行をあらわしている。親鸞が廻向の主体を如来とし、如来廻向の相としての往相、還相とみられるのは、他利々他釈において利他を如来の本願力をあらわすといわれた曇鸞の釈意によって廻向の主体を衆生から如来へと逆転されたのであろう。</ref> 『論註』は最後に自力と他力を巧妙な譬喩で示し、劣夫も輪王の幸に従えば、輪王の力で四天下を自在に飛行できるように、戒、定、神通の力なき凡夫も、本願力に乗ずれば、よく往生を得るといって他力の信を勧励されている。<ref>如来の本願力について曇鸞は『論註』下・観察体相章(真聖全一・三三一頁)に、不虚作住持功徳を釈して、「不虚作住持功徳成就者、蓋是阿弥陀如来本願力也。・・・・・・所<k>レ</k>言不虚作住持者、依<k>二</k>本法蔵菩薩四十八願、今日阿弥陀如来自在神力<k>一</k>、願以成<k>レ</k>力、力以就<k>レ</k>願、願不<k>二</k>徒然<k>一</k>、力不<k>二</k>虚設<k>一</k>、力願相苻、畢竟不<k>レ</k>差故曰<k>二</k>成就<k>一</k>」◇〔「不虚作住持功徳成就」とは、けだしこれ阿弥陀如来の本願力なり。・・・・・・いふところの「不虚作住持」とは、本法蔵菩薩の四十八願と、今日の阿弥陀如来の自在神力とによるなり。願もつて力を成ず、力もつて願に就く。願徒然ならず、力虚設ならず。力・願あひ符ひて畢竟じて差はざるがゆゑに「成就」といふ。 〕といい、因願と果力が相苻して、願の如く衆生をあやまたず救済する自在神力を本願力といわれている。</ref>
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後に親鸞はこの『論註』の指南によって、「往還廻向由他力」といい、本願力廻向の、行信因果、往還の二廻向四法論を確立されたのである。<ref>「証文類」(真聖全二・一一九頁)に「宗師顕<k>二</k>示大悲往還回向<k>一</k>、慇懃弘<k>二</k>宣他利々他深義<k>一</k>◇〔宗師(曇鸞)は大悲往還の回向を顕示して、ねんごろに他利利他の深義を弘宣したまへり。〕」といわれている。もっとも『論註』下・起観生信章(真聖全一・三一六頁)に廻向門を釈して「廻向有<k>レ</k>二種相<k>レ</k>、一者往相、二者還相、往相者、以<k>レ</k>己功徳<k>レ</k>廻<k>レ</k>施一切衆生<k>レ</k>、作願共往<k>レ</k>生彼阿弥陀如来安楽浄土<k>レ</k>、還相者、生<k>レ</k>彼土<k>レ</k>已、得<k>レ</k>奢摩他毘婆舎那方便力成就<k>レ</k>廻<k>レ</k>入生死稠林<k>レ</k>、教<k>レ</k>化一切衆生<k>レ</k>共向<k>レ</k>仏道<k>レ</k>、若往若還、皆為<k>レ</k>抜<k>レ</k>衆生<k>レ</k>渡<k>レ</k>生死海<k>レ</k>)」◇〔「回向」に二種の相あり。一には往相、二には還相なり。「往相」とは、おのが功徳をもつて一切衆生に回施して、ともにかの阿弥陀如来の安楽浄土に往生せんと作願するなり。「還相」とは、かの土に生じをはりて、奢摩他・毘婆舎那を得、方便力成就すれば、生死の稠林に回入して一切衆生を教化して、ともに仏道に向かふなり。もしは往、もしは還、みな衆生を抜きて生死海を渡せ んがためなり。〕といわれているが、この往相廻向、還相廻向は、いずれも願生行者の利他廻向行をあらわしている。親鸞が廻向の主体を如来とし、如来廻向の相としての往相、還相とみられるのは、他利々他釈において利他を如来の本願力をあらわすといわれた曇鸞の釈意によって廻向の主体を衆生から如来へと逆転されたのであろう。</ref> 『論註』は最後に自力と他力を巧妙な譬喩で示し、劣夫も輪王の幸(<kana>行(みゆき)</kana>)に従えば、輪王の力で四天下を自在に飛行できるように、戒、定、神通の力なき凡夫も、本願力に乗ずれば、よく往生を得るといって他力の信を勧励されている。<ref>如来の本願力について曇鸞は『論註』下・観察体相章(真聖全一・三三一頁)に、不虚作住持功徳を釈して、「不虚作住持功徳成就者、蓋是阿弥陀如来本願力也。・・・・・・所<k>レ</k>言不虚作住持者、依<k>二</k>本法蔵菩薩四十八願、今日阿弥陀如来自在神力<k>一</k>、願以成<k>レ</k>力、力以就<k>レ</k>願、願不<k>二</k>徒然<k>一</k>、力不<k>二</k>虚設<k>一</k>、力願相苻、畢竟不<k>レ</k>差故曰<k>二</k>成就<k>一</k>」◇〔「不虚作住持功徳成就」とは、けだしこれ阿弥陀如来の本願力なり。・・・・・・いふところの「不虚作住持」とは、本法蔵菩薩の四十八願と、今日の阿弥陀如来の自在神力とによるなり。願もつて力を成ず、力もつて願に就く。願徒然ならず、力虚設ならず。力・願あひ符ひて畢竟じて差はざるがゆゑに「成就」といふ。 〕といい、因願と果力が相苻して、願の如く衆生をあやまたず救済する自在神力を本願力といわれている。</ref>
  
 
 この『論註』の他力釈をうけて道綽も『安楽集』において盛んに他力を鼓吹し「諸大乗経所<k>レ</k>弁、一切行法皆有<k>二</k>自力他力、自摂他摂<k>一</k>」<ref>『安楽集』上・広施問答(真聖全一・四〇〇頁)、『同』上(同・四〇六頁)◇「もろもろの大乗経に弁ずるところの一切の行法に、みな自力・他力、自摂・他摂あり。」 ([[安楽集 (七祖)#P--234|安楽集 P.234]])</ref>といい、自力自摂の法門に対して、他力他摂の法門のあることをあらわされるが、道綽がその自力自摂の難行道を聖道門、他力他摂の易行道を浄土門と名づけられたことについては、すでに述べたところである。
 
 この『論註』の他力釈をうけて道綽も『安楽集』において盛んに他力を鼓吹し「諸大乗経所<k>レ</k>弁、一切行法皆有<k>二</k>自力他力、自摂他摂<k>一</k>」<ref>『安楽集』上・広施問答(真聖全一・四〇〇頁)、『同』上(同・四〇六頁)◇「もろもろの大乗経に弁ずるところの一切の行法に、みな自力・他力、自摂・他摂あり。」 ([[安楽集 (七祖)#P--234|安楽集 P.234]])</ref>といい、自力自摂の法門に対して、他力他摂の法門のあることをあらわされるが、道綽がその自力自摂の難行道を聖道門、他力他摂の易行道を浄土門と名づけられたことについては、すでに述べたところである。

2017年12月14日 (木) 05:33時点における版

梯實圓和上の名著の一つである『法然教学の研究』から、「法然聖人の他力思想」および鎮西派の弁長、西山派の証空、親鸞聖人の他力回向説を窺う。 なお、強調の太字、出典へのリンクはUPしてある聖典へリンクし、脚注の◇以下の部分、ルビおよび〔〕内の漢文読下しは、注釈版等によって便宜のため適宜林遊が付した。

第四章 法然聖人の他力思想

第一節 他力思想の伝統

 自力、他力という名目は、すでに『菩薩地持経』や『十地経論』等に用いられているが[1]、これをもって浄土教の特徴をあらわそうとされたのは曇鸞の『往生論註』であった。その序題に竜樹の『十住毘婆沙論』「易行品」の意によって、菩薩が阿毘跋致(不退転地)に至るのに難行道と易行道のあることを明かし、五濁無仏の時の修道が難行である所以を説いて「一者外道相善乱菩薩法、二者声聞自利障大慈悲、三者無顧悪人破他勝徳、四者顛倒善果能壊梵行、五者唯是自力無他力持[2]と五難をあげるが、中でも第五由が、難行の難行たる根本理由であったと考えられる。それは、次下に易行道を明かして「易行道者、謂但以信仏因縁、願浄土、乗仏願力便得生彼清浄土、仏力住持、即入大乗正定之聚、正定即是阿毘跋致、譬如水路乗則楽[3]といわれたものと対照すれば自ずから明らかである。[4] すなわち信仏の因縁をもって願生するものは、阿弥陀仏の本願力に乗じて往生せしめられ、往生したものは、仏力に住持せられて正定聚不退転にあらしめられる。これを易行道というのであるから、往生することも、不退に至ることも、すべて仏願力によるわけで、これが「他力持」である。これによって、難行道とは五濁無仏の世界において、他力の持(たもつ)なく、ただ自力をもって仏道を成就しようとする自力の法門をいい、易行道とは、仏願力によって有仏の浄土に往生し、仏力によって正定聚に入らしめられ仏道を成就していく他力の法門であるということがわかる。

 この他力の内容をさらに詳らかにされたものが『論註』の最後に設けられた覈求其本釈である。そこには願生行者が五念門行を修して自利々他して速やかに仏果を成就しうる所以を明かして「然覈求其本、阿弥陀如来為増上縁[5]といい、いわゆる他利々他の深義が開顕せられる。

論言修五門行、以自利々他成就故、然覈求其本、阿弥陀如来為増上縁、他利之与利他、談有左右、若自仏而言、宜利他、自衆生而言、宜他利、今将仏力、是故以利他之当知此意也。凡是生彼浄土、及彼菩薩人天所起諸行、皆縁阿弥陀如来本願力故、何以言之、若非仏力、四十八願便是徒設、今的取三願、用証義意[6]

といい、ついで、第十八願、第十一願、第二十二願を引用し、往生の因たる十念念仏は第十八願力によって、往生の果たる正定と滅度は第十一願力によって、浄土の菩薩が「超出常倫、修習普賢之徳」[7]することは第二十二願力によって、それぞれ成就せしめられることであるといい、「以斯而推他力、為増上縁、得然乎」[8]と結ばれている。

 その他利利他の釈というのは、一般には利他も他利も同じく自利に対する化他の意味で用いられていたのを、曇鸞は両語の意味を変えることによって深義を発揮されたことをいう。すなわち利他とは、仏が他なる衆生を利益する(仏利他)ことであり、他利は、他なる仏が衆生を利益する(他利衆生)ことである。仏が衆生を利益するという一つの事実をあらわすのに、衆生を他とよんで利他というか、仏を他とよんで他利というかによって、前者は仏のがわにたつ表現になり、後者は衆生のがわにたっての表現になるとみられたのである。それを「若自仏而言、宜言利他、自衆生而言、宜言他利」[9]といわれたのである。ところで『論註』には「速得成就阿耨多羅三藐三菩提」[10]の理由を問うて、「論言、修五門行、以自利々他成就故」[11]という『浄土論』の文をあげて答えられているが、この論文は一見すれば、衆生が五念門を修して自利利他を成就することによって、速やかに菩提を得るといわれたようにみえる。しかし「利他」という語を用いられたところからみれば、衆生が五念門を修しているのは、実は仏が自利の徳を全うじて、衆生を利他しておられるすがたであるという仏力成就の五念門であることをあらわしているとみるべきであるというので、曇鸞は「今将仏力是故以利他之」といわれたのである。[12] このようにして衆生の五念門行の成就──それは自ずから果の五功徳門の成就になるが──は、全く仏力、すなわち本願力によってあらしめられていることを意味していた。
そこでそれを証明するために次に三願的証を行われたわけである。このような衆生往生の因果を成就せしめるような力用をもっている本願力のことを曇鸞は他力とよばれていたことがわかる。

後に親鸞はこの『論註』の指南によって、「往還廻向由他力」といい、本願力廻向の、行信因果、往還の二廻向四法論を確立されたのである。[13] 『論註』は最後に自力と他力を巧妙な譬喩で示し、劣夫も輪王の幸((みゆき))に従えば、輪王の力で四天下を自在に飛行できるように、戒、定、神通の力なき凡夫も、本願力に乗ずれば、よく往生を得るといって他力の信を勧励されている。[14]

 この『論註』の他力釈をうけて道綽も『安楽集』において盛んに他力を鼓吹し「諸大乗経所弁、一切行法皆有自力他力、自摂他摂[15]といい、自力自摂の法門に対して、他力他摂の法門のあることをあらわされるが、道綽がその自力自摂の難行道を聖道門、他力他摂の易行道を浄土門と名づけられたことについては、すでに述べたところである。

ところがその資、善導は、曇鸞、道綽の伝統をうけて「一切善悪凡夫得生者、莫皆乗阿弥陀仏大願業力増上縁[16]といい、徹底した本願力による救済を強調しながらも、自力他力という用語は全く使用されなかった。[17] もちろんそれには然るべき理由があった筈であるが、それについては別稿にゆずる。わが国でも源信が『往生要集』に『安楽集』に従って自力自摂に対する他力他摂をもって阿弥陀仏の救済力をあらわされたように、次第に自力他力という名目が用いられるようになっていった。[18]

 法然は主著の『選択集』では、「二門章」に『論註』序題の文を引用されたところに、ただ一箇所、自力他力に言及されただけであったが『西方指南抄』『和語灯録』『拾遺語灯録』などに集録された和語の法語や消息類には、しばしばこの名目を用いて浄土宗の安心起行の意義をあらわされている。
けだしこの名目が平明で、民衆に親しみ易い大衆性をもっていたからであろう。なお『選択集』に上記箇所以外に自力他力の用語が見られないのは、偏依善導の立場で法義を釈顕していかれたからであろう。

第二節 自力他力についての異説

一、弁長、良忠の他力増上縁説

 法然の法語に次のようなことばがある。

  一、本願成就事

 念仏我所作也。往生仏所作也。往生仏御力 せしめ給物、我心とかくせむと思自力也。唯須称名之来迎[19]

 このことばは、念仏だけは衆生が、自らの力によってなすべき行であり、念仏する衆生を臨終に来迎し、往生せしめるのは、念仏往生の誓約に応じた阿弥陀仏のはたらきであって、これを他力というと理解することが可能であろう。しかしまた、この法語を、私が念仏することも、念仏するものを往生せしめる仏のはたらきも、すべて本願成就の事柄である。本願成就の名号を称えるものを、本願成就の仏が往生せしめるのは、本願の必然であって、わが心にとやせん、かくやせんと思いはからうことは自力である。ただ自力をはなれて、本願の称名の必然として与えられる来迎を待つべきであると領解することもできよう。前者のようにみて念仏は行者がなすべき自力の行因であり、他力とは念仏者を臨終に来迎して往生せしめる本願力であるが、それは行因に対する助縁であるとみたのが、法然門下では鎮西派の派祖聖光房弁長や然阿良忠であった。それに対して後者のように、往生せしめることはもちろん、衆生の行である称名さえも、如来の他力によってあらしめられるとみたものが善信房親鸞の他力回向という思想であり、西山派の善恵房証空の全分他力の領解であったと考えられる。

 弁長の『浄土宗名目問答』中に、一念義系のものが、数遍(多念をたのむもの)は自力難行、一念は他力易行道といい、また全分の他力を主張するのを批判して、

此事極僻事也。其故云他力者全憑他力一分無自力事、道理不然、云自力善根他力往生者、一切凡夫之輩、于今不穢土、皆悉可生浄土、又一念他力、数遍自力者、何人師釈耶、善導釈中有自力他力義、無自力他力釈、一念他力、数遍自力釈難意。[20]

とのべ、一念を他力、多念を自力とみる釈は勿論不当であるが、全分の他力によって往生をうるということも不当であるとされている。もし自力の善根は一分もなくても他力のみによって往生をうるのならば、穢土に留まるものなど一人もない筈ではないかと批判している。又良忠はそれをうけて『決疑鈔』一に『論註』序題の自力他力を釈して、

自力他力者、自三学力名為自力、仏本願力名為他力也。問聖道修行亦請仏加、浄土欣求行自三業、而偏名意如何。答聖道行人先行三学、為此行而請加力、故属自力。浄土行人先信仏力、為仏願而行念仏、故属他力也。自強他弱、他強自弱思之可知、水陸二道譬意自顕也。乗仏願力者即指第十八念仏往生願[21]

といわれている。自力とは、行者の自の三学力のことであって、称名念仏もそのなかに摂せられる。他力とは広くいえば如来の加被力であるが、浄土門でいえば仏の本願力、すなわち第十八願力である。仏法には全分の自力とか、全分の他力ということはなく、自力と他力とが相俟って救済が成立するというふうに、自他二力を因と縁の相依関係としてみていくのである。このことは聖浄二門に共通する道理であるが、聖道門は、先ず三学を行じ、それの成就の為に仏の加被を請うから、自力が強く、他力は弱い立場にある。それに対して浄土門では、先ず仏力を信じ、仏願に随順する為に念仏を行ずるのであるから、他力が強く、自力は弱い立場にある。そこで自強他弱の法門であるから聖道門を自力門とよび、他強自弱の法門であるから浄土門を他力門とよぶだけであるというのである。

要するに自力と他力とは、行因とそれに加する他力の助縁とを意味しており、曇鸞も他力を「増上縁」といわれたし、善導大師も、「大願業力為増上縁」といわれた所以である。したがって自力聖道門をすてて、他力浄土門に帰するということはあるが、自力と他力そのものを、自力を廃捨して、他力を選取するといった廃立の関係でみるべきではないというのが、鎮西派の基本的な自力他力観であった。従って西山派や真宗のように念仏に自力他力を分けるということも許されないことと考えられていた。 良忠の『浄土宗行者用意問答』に、念仏に自力他力を分別したり、定散二善を自力とし、念仏を他力とすることは、法然(故上人)にはなかった誤まれる新義であると批判して、次のように述べている。

先師上人、故上人の御義ヲ伝ヘテ云、自力ト云ハ聖道門ナリ、自ノ三学ノ力ヲ憑デ出離ヲ求ムル故ナリ。他力ト云ハ浄土門ナリ、浄土ヲ求ムル人ハミナ自ノ機分ハ出離スルニ能ハズト知テ、仏ノ他力ヲ憑ム故ナリ。爾ルニ近代ノ末学、浄土ノ行ニ自力他力ト云コトヲ立テ、念仏ニモ又自力他力ヲ分別シ、或ハ定散二善ヲ自力トシ、念仏ヲ他力トストイヘリ。故上人ハ仰セラレザリシ義ナリ。況ヤ自力ノ念仏ハ辺地ノ業トナルト云コト全ク聞ザリシ事ナリ云云。コノ相伝ヲ以テ彼新義ヲバ意得ベク候。[22]

 すでにのべたように、鎮西派においては、『玄義分』序題門の要門、弘願について、要門たる定散二善には、衆生往生の因行のすべてが摂せられていて、本願の念仏も要門散善中の行福の一行とみなされていた。又弘願とは念仏の行者を、本願に応じて来迎し往生せしめる増上縁たる本願他力をさすとみている。ところで要門行のなかで諸行は難劣の故に廃され、念仏は勝易具足の行の故に選取されるが、その難易は勿論勝劣も量的な差であって、質的なちがいはないと考えられていた。いいかえれば、程度の差はあるが、諸行も念仏も、本来は一真如実相法を体としているから本質的には同一仏法とみられていた。弁長が法然をうけて廃立念仏を唱えながらも、一面において諸行往生を許すようになった所以もそこにあるのである。[23]

 もっとも良忠は前述の『浄土宗行者用意問答』の文につづいて、

但シ義ヲ以テ委シク論ズル時ハ、タトヒ念仏ヲ申ストモ、或ハ念ノ意ヲ悟ラズハ往生カナフマジト思ヒ、或ハ我申ス念仏ハ功積リ徳累リタレバ目出タキ念仏ナリ、定テ人ノ念仏ニハ勝レタラント思ヒテ、他力ノ不思議ヲバ信ゼヌ心根ニナリタランハ実ニ本願ニ違フベシト思フベシ。唱フル度コトニ仏ノ御力ヲ頼ム念仏ナレバ、我方ニ目出タキ事ノアルニハアラズ、要児ノ啼タランニヨリテ、何ホドノ事カアラン、母ノ慈悲フカキ故ニ啼声ヲ聞テ懐キ、乳ヲ含マシムルニ似タリ、日夜十二時ニ怠タラズ唱フトモ、我カラナル心ナクシテ唱フルタビゴトニ仏ノ御誓ヒヲタノミ憑ムベキナリ。[24]

といわれている。ここでは念仏の用心について、わがはからいをまじえずに仏力不思議をたのめと教えているようであって、自ずから念仏について自力他力をわけたことになっているのではないだろうか。

二、証空の全分他力説

 西山派の派祖となった証空は、全分他力を強調される。すでにのべたように、証空は自力聖道門を行門とよび、他力浄土門を観門と弘願とよんでいた。観門とは、弘願を能詮する釈尊の教門、すなわち定散二善十六観をさし、弘願とは、観門所詮の他力の法体であると同時に、観門も、さらにいへば随他方便の教説である行門も、そこから成立するような法門の根源である弥陀教をさしていた。ところで証空は開会の思想をもって、聖道浄土の二門を見ていたこともすでにのべたところである。『散観門義』三には「一切三世善根、皆悉会納弥陀功徳、通成浄土業因、自往生思外更不余事[25]といわれるように、三世一切の善根は、本来阿弥陀仏の功徳を、開いたものであって、未熟の機は、それを自力断証の行と見るが、誘引調熟されて自力の執情が開拓され、定散諸功徳は、皆弥陀なりと知るならば、そのままが他力念仏往生の機となっていくわけである。すなわち法界には弘願念仏以外の法はなく、念仏を詮わさない教はないのであるが、自力の執情の強い未熟の機からみれば、すべてが自力行にしか見えない。そこで此の機を調機誘引するために弘願、観門より聖道行門八万四千の法門が随他意方便の法門として施設されたわけである。
しかしその体は本来阿弥陀仏の外にはないから、機縁が熟して自力の執情が除かれ、観門領解が成立すれば、すべては弘願念仏法であったと開拓会入するわけである。開廃会 [26]『散観門義』二によれば、証空は、『散善義』の就行立信釈の、正、助、雑の三行について、正定業を弘願の体とし、助業は、正定業を助け、詮顕する観門の意とみ、雑行を自力行門の善をさすと釈したあと「当知、善体無嫌、可心開不開[27]と結んでいる。すなわち雑行として嫌われるのは、善体そのものではなくて、それが念仏体内の善であって、即念仏であることに気づかず、自力断証の行と執じている自力の執心を嫌い捨てるのであるといっている。

 かくて証空は、自力は捨てらるべきものであり、他力は帰せられるべきものと自力他力を廃立で見ていくが、その場合自力とは自力の執心であって、行体そのものを意味していなかったとみるべきであろう。自力行というのは、自力心によって自力断証の行と執ぜられている行ということであって、行体そのものは、本来名号体内の善として廃すべきものではなかったわけである。

 次に証空の特異な他力観を主として法語類をとおしてみておこう。たとえば『述成』には「念仏は此れ他力の行といふ事は人ごとに思へども、真実他力に正しく帰することが極めて有りがたきことにて候なり」といい、その他力の法体である南無阿弥陀仏について次のように解説されている。

今、此の本願の名号には、五劫思惟の心内に南無の機をのせて願じ、兆載永劫の万行は、流転の我等どもの行にして、知らざるに仏の方よりぞ南無阿弥陀仏と一つに成じ、凡夫往生の仏とは成りたまへり。此の故に衆生の方よりは何一つも用意すべき事なく、全分に仏の方より、何一つも漏らさず御認め候なり。是を心得て凡夫の往生を成じ給へるなり。[28]

 南無の機に、願行を成就するために法蔵の五劫永劫の願行が行ぜられたのであるから、成仏されたということは、凡夫往生の仏となられたことであり、南無阿弥陀仏は、凡夫往生の因たる願行を仏のかたにことごとく用意し、したためおかれているという往生正覚不二、願行具足のいわれをあらわしている。従って往生の為に衆生の方で用意すべきものは何一つもない。いわゆる全分の他力往生なのである。それ故、

願行具足の名号を唱へながら、安心をも願行の不足なる様に思ふは儚(はかな)き事なり。譬へば万(よろず)の宝の充ち満ちたる蔵を父の手より得て持ちながら、衣食を如何せんと思はんが如し。ことわりを知らざる人は、機の方より仏の願に取り付かんと思ふ。能く能く他力を心得て見れば、仏の方より衆生の往生を成じ給へる南無阿弥陀仏の名号に、兆載永劫の行成じ玉はずは、我等が往生は思い切らまし。何ともなき妄想顛倒の心なれども、南無阿弥陀仏と唱へ奉れば、仏の五劫兆載永劫の願行が、残らず此の中に納まる故に、さながら仏の恩徳にて、此度生死を離れんずる事よと思ふ故に、すべて我が心の善悪にかかはらずして、適(たまたま)かゝる機を渡し給ふ大慈大悲の忝けなさよと思へば、我等は常没流転の悪ながら、やがてその心の底に、是をすてたまはぬ仏の慈悲の万徳が充ち満ちけるよと思ふ故に、あまりの喜しさに南無阿弥陀仏と称ふるなり。[29]

といわれている。願行具足の名号を称えながら、往生に不足があると思うことは、万宝の満ちた蔵を頂きながら、衣食の心配をするような愚かなことである。それが自力の執心なのである。だからこの道理を知らない自力の状態のときは、機の方から、仏の願に取りつこうとし、仏よおたすけくださいと祈願請求し、如何にすれば、お救いにあずかれるかと心をくだくのである。しかし、仏の方より衆生の往生を成じ給うているという往生正覚不二の他力を心得えてみれば、妄想顛倒の心のままに南無阿弥陀仏と唱えていても、願行具足せしめられており、かかる機を捨てたまわぬ仏の慈悲が煩悩心に充満していると味わわれるというのである。そこで自力と他力を明確に分けて証空は、次のように詞(ことば)を続ける。

故に自力なる時は、機の方より、仏助け玉へと思ふ義なり。他力を心得て見れば、仏の方より衆生を追ひありきたまひけるを知らずして、今日まで流転しけるなり。仏の方より衆生を追ひありきたまひける上は、機の方より、とかう心得て、仏の御心に相応せんなんど思ふべき事にはあらず。下々品の失念といふは、必ずしもこゝを聞き分けて自力を息(や)むるにはあらず、苦に逼まられて追い歩く根性の自然にやむなり。南無阿弥陀仏と唱ふれば、自然に他力の念仏三昧に同ずるなり。平時の時も構へて構へて、此の失念の機に同じて、機の方より 仏を追ひ歩く心を止めて、平に仏に摂取せられ奉りたる身なればと、ほれ〲と憑み奉るべきなり。此の位の心を、如是至心とも、除八十億劫の利益とも申すなり。すべて機より心をはげまして強くなすべき往生にあら ず。全分に打ち任せて信じ奉るべきなり。[30]

 自力とは、「機の方より仏助け玉へと思ふ」祈願請求をすることであり「機の方より、とかう心得て、仏の御心に相応せん」と思いはからうことであり、「仏を追い歩く心」のことである。それに対して他力とは「仏の方より衆生を追ひありきたま」うことであって、そのありさまが法蔵菩薩の発願修行であり、往生正覚不二の正覚成就のすがたであり、願行具足せる南無阿弥陀仏なのである。証空はつづいて願行具足の南無阿弥陀仏のいわれを明かして、

南無といふは凡夫の願を成じ給ふ義、阿弥陀仏と云ふは、我等往生の行に替りて成じ玉へる義なり。此の仏の名号を衆生が唱ふる時、本より凡夫の為に成じ給へる願行の功徳が、此の唱ふる者の往生の願行となるなり。[31]

といわれている。ところで名号は万徳を摂し、三世を包括して成就された本願酬因の法であるから、機の心の断不にかかわらず「相続不断の謂れ」があり、「唱えざれば仏にうとくなる」というものではない。それゆえ「他力本願の名号を称えながら、能念のわが心にかへりて、深く願はば往生はしてんなんどといふは」自力というべきである。「他力といふは、全く機の心の沙汰もせず、唯願力を憑むと憑まざるとの不同なり、努々(ゆめゆめ)機の心の深き浅きを論ぜされ」といわれる。それに対して「自力の者は、名号の外に安心ありと思ふ故に、他力の名号を機の位に引きはなして、自ら往生を退くなり」という。けだし南無阿弥陀仏の南無のほかに、自からが南無を造りあげていこうとしていることが、「心深く極楽を願はばや、仏構へて願ふ心をつけさせたまへ、」と信心、願心の成就を祈念している自力の行者のすがたであるというのである。[32]

 このようにして証空は、衆生の信心さえも南無阿弥陀仏のうえに成就されているとみられていたようである。

『散観門義』三に、二河譬の「乗彼願力之道」を釈して、

乗彼願力之道者、前行者清浄願往生心、雖白道、今又乗願力之道者、依他力願往生心起。有往生心、其行業成、顕願力也。[33]

といい、願往生の信心も、称名行もすべて願力他力によって起こるものであるというふうに考えられていたことは明らかである。ところが『述成』には、機の方から造りだす信心を否定する為であったのだろうが、疑心をもったままに救われると領解するのが、真実に他力本願を信ずるものだとさえいわれている。

今失念ノ機、善根成就せざる凡夫を体とすといふは、機の、左あれば、かかればと騒ぐ心を按へて、斯(かか)る疑ひの機、信心一つも無き機を本として摂取して正覚を成じたまへる仏体にて在しけるよと思ひ付く所を、今の他力の信心とは云ふなり。云何にも此の疑ひ騒ぐ意を静めての上に、本願の体を心に懸けて念仏して往生すといふ分は、尚(なを)機を本とする故に、真実他力の信心にては無き者なり。念仏といふは他力なり。他力といふは、我が心を本とせず。偖(さ)て我が心は是れ何時も疑ひあきらめずして、最後臨終の時にも、本願をひとすじにたのむ心は無くして、如何あらんずらん、地獄にや堕ちんずらんとのみ騒ぎ疑はるるなり。是を凡夫の体とはいふなり。無有出離之縁の機とは是なり。此の機の体をはたらかさずして摂取したまふ所が、真実の他力本願の不思議にては有りと思ひ付くばかりなり。[34]

 このように煩悩も、疑心もあるままの凡夫の体を全くはたらかさず、そのまま摂取するのが他力本願の不思議であるといわれるわけである。さきにのべた弁長の『浄土宗名目問答』における全分他力説の批判は、直接であったか否かはわからないが、こうした証空の全分他力説を批判する意味をもっていたとも考えられる。

 尚証空は、こうした他力の道理をあらわす往生正覚一体が衆生の上に現成している状態を機法一体という用語であらわされることがある。『西山善慧上人御法語』に、

迷の我等が上におひて正覚を成ずる時、迷悟が一になりたる所を南無阿弥陀仏六字の名号と申す也。然る間、南無は迷の衆生の体也。覚りと云ふは阿弥陀仏の体なり。この二が一になりたる所を、仏につけては正覚とい ひ、凡夫につけては往生と云ふ也。・・・・・・此の謂れをこゝろえんずるを即便往生ともいひ、機法一体ともいひ、証得往生とも云ふ也。[35]

といわれている。すなわち往生正覚一体の道理をこころえたことを益でいえば即便往生(現生)とか当得往生(当来)ともいい、またその道理になり切ったところを機法一体というというのであろう。『略安心鈔』には、往生正覚一体の道理を明かして、

南無阿弥陀仏と称する心を正因正定の業と名く、此の南無の心は我等がほとけを憑むこゝろなり。阿弥陀仏とは憑む心を彼の仏の摂し給ふ他力不思議の行体也。されば我こゝろを南無と云ひ、彼の仏の我を摂したまふをば阿弥陀仏といふ。彼此一つに成りあひたる姿が即ち仏にて御座処を南無阿弥陀仏と申なり。・・・・・・往生といふは仏の御心と我心と一に成りあひたる所を申すなり。・・・・・・我等唯知作悪の機、名号智火の仏果に摂せられまいらせて、今正しく三心四修別時長時、機法一体になりぬれば、名号の外に全く求むべき往生はなきなり。[36]

といわれている。すなわち南無の衆生が、阿弥陀仏に摂取されて、仏心と凡心とが一つに成っているありさまを機法一体とよばれたようである。機法一体とは、証空においては他力が衆生の上に現成して即便往生しているありさまをあらわすことばであったと考えられる。

 証空がこのように仏の正覚は衆生の往生によって成じ、衆生の往生は仏の正覚によって成ずというふうに生仏一体の本願の道理によって往生正覚一体を主張されたのは、「登山状」の最後の次のような言葉が大きな支えとなっていたと考えられる。

永劫の修行はこれたれがためぞ、功を未来の衆生にゆづりたまふ。超世の悲願は又なんの料ぞ、心ざしを末法 のわれらにをくり給ふ。われらもし往生をとぐべからずは、ほとけあに正覚をなり給ふべしや。われら又往生 をとげましや。われらが往生はほとけの正覚により、ほとけの正覚はわれらが往生による。若不生者のちかひ これをもてしり、不取正覚のことばかぎりあるをや云云。[37]
三、親鸞の他力廻向説

 証空が自力、他力を廃立という相互否定的な関係でとらえたように、親鸞も両者を廃立の関係でみていかれる。
しかし、証空が諸行と念仏を開会の関係でみていくために、自力の執心さえなくなれば、諸行即念仏と開会され、定散諸善をそのまま他力念仏の一法に帰せしめていったのに対して、親鸞は、開会思想を用いず、定散諸行と弘願念仏は、心行ともに廃立の関係でみていかれる。その主著『教行証文類』の「行文類」偈前の文に、

凡就誓願、有真実行信、亦有方便行信、其真実行願者、諸仏称名願、其真実信願者、至心信楽願、斯乃選択本願之行信也。其機者則一切善悪大小凡愚也、往生者則難思議往生也、仏土者則報仏報土也。斯乃誓願不可思議一実真如海、大無量寿経之宗致、他力真宗之正意也。[38]

といわれたように、方便の行信因果と真実の行信因果を明確に分判される。その方便の行信因果の法門を、要門と真門に分ける。要門とは、願でいえば第十九願、行は発菩提心、修諸功徳の定散諸行、信は至心発願欲生の自力の願往生心であり、その果は双樹林下往生である。真門とは、願は第二十願、行は植諸徳本の自力念仏、信は至心廻向欲生の自力の願往生心であり、その果は難思往生であって、要門、真門のいずれもその果は方便化身土であるとみられている。このような浄土門内の方便の法門と、聖道門とが自力の法門であって、心行ともに廃捨され、簡非さるべき権仮方便の法門として「化身土文類」に明かされている。

 これに対して真実の行信因果は、そのいずれもが如来によって廻向された法であるとして、本願力廻向の法門とみなし、『教行証文類』の前五巻に明かされるのである。「教文類」のはじめに、この本願力廻向の法門を浄土真宗とよび、それを二廻向四法の体系であらわされたことは周知の通りである。

謹按浄土真宗、有二種廻向、一者往相、二者還相、就往相廻向、有真実教行信証[39]

と述べられたものがそれである。ところで親鸞は「行文類」他力釈のはじめに、他力を概念規定して「言他力者、如来本願力也」[40]といわれているから、本願力廻向の相としての二廻向四法が、親鸞における他力の構造であったことがわかる。

 本願力とは、根源的には第十八願力であるが、その相をひらけば念仏往生の因果往還を成立せしめている六願になる。すなわち第十七願力によって真実教(能詮)と真実行(所詮)を廻向し、第十八願によって真実の信を廻向し、第十一願によって、行信の衆生を往生成仏せしめ証果を廻向する。その証果の悲用としての還相摂化を成立せしめるものが第二十二願であった。さらにこの往還廻向の主体である真報身を成就し、廻向の本源であり、同時に生仏一如の証りの実現する場でもある真実報土を成就するのが第十二、第十三願であった。こうして、往相も、還相も、教も行も信も証も、すべてが本願力によって与えられたものであったというのが取願立法とよばれる親鸞の本願力廻向の教義体系であり、このような如来の本願の成就相としての救済活動を他力とよばれたのであった。いいかえれば他力とは、教、行、信、証となって万人の上に実現していく如来清浄本願の救済活動に名づけられたものである。[41]

 このようにして自力とは、行者が各自のはからいによって定散二善、諸善万行を修して仏に近づいていこうとすることであるから、常に衆生から仏へという方向性をもっていた。
それに対して他力とは、如来が選択し成就された本願の名号を廻向し、衆生をして信受奉行せしめることであるから、仏から衆生へという方向性をもって説かれる。教行信証という往生浄土の相状は、衆生が浄土に向かっていく相であるが、その衆生から仏への方向の全体が、如来の廻向相として、如来からたまわったものと領解していったのが親鸞の他力観だったのである。衆生は、煩悩具足の凡夫なるが故に、どこまでも己を空しくして、如来よりたまわった真実に随順するという「はからいなき」姿勢が強調されるのである。「他力と申し候は、とかくのはからひなきを申候なり」[42]といわれる所以である。

また『末灯鈔』第二条には、自力他力について次のように教述されている。

それ浄土真宗のこゝろは、往生の根機に他力あり自力あり、このことすでに天竺の論家、浄土の祖師のおほせ られたることなり。まづ自力と申ことは、行者のおのくの縁にしたがひて、余の仏号を称念し、余の善根を 修行して、わがみをたのみ、わがはからひのこゝろをもて、身口意のみだれごゝろをつくろい、めでたうしな して、浄土へ往生せむとおもふを自力と申なり。また他力と申ことは、弥陀如来の御ちかひの中に、選択摂取したまへる第十八の念仏往生の本願を信楽するを他力と申なり。如来の御ちかひなれば他力には義なきを義とすと、聖人のおほせごとにてありき。義といふことは、はからうことばなり。行者のはからひは自力なれば義といふなり。他力は本願を信楽して往生必定なるゆへにさらに義なしとなり。しかれば、わがみのわるければ、いかでか如来むかへたまはむとおもふべからず、凡夫はもとより煩悩具足したるゆへにわるきものとおもふべし。またわがこゝろよければ往生すべしとおもふべからず、自力の御はからいにては真実の報土へむまる べからざるなり。行者のおのおのの自力の信にては懈慢辺地の往生、胎生疑城の浄土までぞ、往生せらるゝことにてあるべきとぞうけたまはりたりし。[43]

 ここに親鸞の自力他力観が要約されている。自己の修道能力をたのみ、廃悪修善によって身心を浄化し、仏に近つき、浄土にふさわしいものになって、浄土へ迎えられようとはからうことを自力というのである。しかし自力の心行をもって本願成就の真実報土に往生することはできず、わずかに懈慢、辺地、胎生、疑城とよばれる方便化身土にしか生まれることができない。これに対して他力とは、一切の自力のはからいをはなれ、雑行をすてて、念仏往生の本願を信楽し、選択廻向せられた本願の念仏を行じていくことをいう。すなわち他力とは、単に如来の本願力というだけではなくて、本願力にはからいなく信順し、本願力廻向の行を行じていることをいうのであって、かかる他力によってのみ、本願成就の真実報土に往生せしめられるといわれるのである。自力の心行を廃捨しなければ、決して他力信行の世界に帰入できないのである。そうした他力信行の境地を親鸞は晩年、「自然法爾」の法語のなかで展開されるが、それについては次の機会に譲る。


脚 注

  1. 『菩薩地持経』第一(大正蔵三〇・八九〇頁)、『十地経論』第一(大正蔵二六・一二五頁)
  2. ◇一には外道の相善は菩薩の法を乱る。二には声聞は自利にして大慈悲を障ふ。三には無顧の悪人は他の勝徳を破る。四には顛倒の善果はよく梵行を壊つ。五にはただこれ自力にして他力の持つなし。(論註 P.47)
  3. ◇「易行道」とは、いはく、ただ信仏の因縁をもつて浄土に生ぜんと願ずれば、仏願力に乗じて、すなはちかの清浄の土に往生を得、仏力住持して、すなはち大乗正定の聚に入る。正定はすなはちこれ阿毘跋致なり。たとへば水路に船に乗ずればすなはち楽しきがごとし。(論註 P.47)
  4. 『論註』上、序題(真聖全一・二七九頁)は、竜樹の『十住毘婆沙論』「易行品」(真聖全一・二五四頁)をうけて、難易二道を明かされるわけであるが、もともと「易行品」は不退転地に至る道として難易二道を分判し、その不退位も此土において語られていた。それを曇鸞は彼土不退とし、往生浄土ということに主眼をおかれるようになり、又「易行品」では諸仏易行も盛んに説かれていたが、曇鸞は弥陀易行に限定して説かれたのである。◇御開山は「易行品」の「あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便易行をもつて疾く阿惟越致に至るものあり」の指示によって此土で阿惟越致に至る現生正定聚説をとなえられた。そして曇鸞大師もどこかで現生正定聚説を示しておられるとして「妙声功徳成就」の「経言 若人 但聞 彼国土清浄安楽 剋念願生 亦得往生 即入正定聚。此是国土名字 為仏事。安可思議(経にのたまはく、「もし人、ただかの国土の清浄安楽なるを聞きて、剋念して生ぜんと願ずれば、また往生を得て、すなはち正定聚に入る」)」(論註 P.119) の文を「『経』にのたまはく、〈もし人ただかの国土の清浄安楽なるを聞きて、剋念して生ぜんと願ぜんものと、また往生を得るものとは、すなはち正定聚に入る〉」(証巻 P.309)と現生での此土不退の正定聚と、彼土不退の称定衆を示す文として訓点されたのである。→剋念して…入る。これには『観経』の「念仏衆生摂取不捨」の摂取不捨の文を考察し洞察された御開山の己証であった。『御消息』で「真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す」(消息 P.735)とされておられる。
  5. ◇覈(まこと)に其の本を求むるに、阿弥陀如来を増上縁となす。
  6. 『論註』下・利行満足章(真聖全一・三四七頁)◇『論』(浄土論)に「五門の行を修して、自利利他成就するをもつてのゆゑなり」といへり。しかるに覈に其の本を求むるに、阿弥陀如来を増上縁となす。他利と利他と、談ずるに左右あり。もし仏よりしていはば、よろしく利他といふべし。衆生よりしていはば、よろしく他利といふべし。いままさに仏力を談ぜんとす。このゆゑに「利他」をもつてこれをいふ。まさにこの意を知るべし。おほよそこれかの浄土に生ずると、およびかの菩薩・人・天の所起の諸行とは、みな阿弥陀如来の本願力によるがゆゑなり。なにをもつてこれをいふとなれば、もし仏力にあらずは、四十八願すなはちこれ徒設ならん。いま的(あき)らかに三願を取りて、もつて義の意を証せん。 (論註 P.155)
  7. ◇常倫に超出し普賢の徳を修習せん。
  8. ◇これをもつて推するに、他力を増上縁となす。しからざることを得んや。 (論註 P.157)
  9. ◇もし仏よりしていはば、よろしく利他といふべし。衆生よりしていはば、よろしく他利といふべし。
  10. ◇速やかに阿耨多羅三藐三菩提を得。
  11. 論に「五門の行を修して、自利利他成就するをもつてのゆゑなり」といへり。
  12. 『論註』の他利々他釈は大変難解であるが、親鸞が『入出二門偈』(真聖全二・四八二頁)に「願力成就名五念、仏而言宜利他、衆生而言言他利、当知今将仏力」といわれた意によって解釈した。◇読下し。「願力成就を五念と名づく、仏をしていはばよろしく利他といふべし。衆生をしていはば他利といふべし。まさに知るべし、いままさに仏力を談ぜんとす。」(二門 P.548) →ノート:他力
  13. 「証文類」(真聖全二・一一九頁)に「宗師顕示大悲往還回向、慇懃弘宣他利々他深義◇〔宗師(曇鸞)は大悲往還の回向を顕示して、ねんごろに他利利他の深義を弘宣したまへり。〕」といわれている。もっとも『論註』下・起観生信章(真聖全一・三一六頁)に廻向門を釈して「廻向有二種相、一者往相、二者還相、往相者、以己功徳施一切衆生、作願共往生彼阿弥陀如来安楽浄土、還相者、生彼土已、得奢摩他毘婆舎那方便力成就入生死稠林、教化一切衆生共向仏道、若往若還、皆為衆生生死海)」◇〔「回向」に二種の相あり。一には往相、二には還相なり。「往相」とは、おのが功徳をもつて一切衆生に回施して、ともにかの阿弥陀如来の安楽浄土に往生せんと作願するなり。「還相」とは、かの土に生じをはりて、奢摩他・毘婆舎那を得、方便力成就すれば、生死の稠林に回入して一切衆生を教化して、ともに仏道に向かふなり。もしは往、もしは還、みな衆生を抜きて生死海を渡せ んがためなり。〕といわれているが、この往相廻向、還相廻向は、いずれも願生行者の利他廻向行をあらわしている。親鸞が廻向の主体を如来とし、如来廻向の相としての往相、還相とみられるのは、他利々他釈において利他を如来の本願力をあらわすといわれた曇鸞の釈意によって廻向の主体を衆生から如来へと逆転されたのであろう。
  14. 如来の本願力について曇鸞は『論註』下・観察体相章(真聖全一・三三一頁)に、不虚作住持功徳を釈して、「不虚作住持功徳成就者、蓋是阿弥陀如来本願力也。・・・・・・所言不虚作住持者、依本法蔵菩薩四十八願、今日阿弥陀如来自在神力、願以成力、力以就願、願不徒然、力不虚設、力願相苻、畢竟不差故曰成就」◇〔「不虚作住持功徳成就」とは、けだしこれ阿弥陀如来の本願力なり。・・・・・・いふところの「不虚作住持」とは、本法蔵菩薩の四十八願と、今日の阿弥陀如来の自在神力とによるなり。願もつて力を成ず、力もつて願に就く。願徒然ならず、力虚設ならず。力・願あひ符ひて畢竟じて差はざるがゆゑに「成就」といふ。 〕といい、因願と果力が相苻して、願の如く衆生をあやまたず救済する自在神力を本願力といわれている。
  15. 『安楽集』上・広施問答(真聖全一・四〇〇頁)、『同』上(同・四〇六頁)◇「もろもろの大乗経に弁ずるところの一切の行法に、みな自力・他力、自摂・他摂あり。」 (安楽集 P.234)
  16. ◇一切善悪の凡夫生ずることを得るものは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁となさざるはなし。(玄義分 P.301)
  17. 『玄義分』序題門(真聖全一・四四三頁)の「莫不皆乗阿弥陀仏大願業力為増上縁」は『安楽集』上(真聖全一・四〇六頁)に『論註』の覈本釈をうけて自力他力を釈し、その他力の体を明かして「即為他力故大経云十方人天欲我国者、莫皆以阿弥陀如来大願業力増上縁也、若不是四十八願便是徒設。語後学者、既有他力可乗、不自局己分徒在火宅也」◇〔すなはち他力となす。 ゆゑに『大経』(上・意)にのたまはく、「十方の人天、わが国に生ぜんと欲するものはみな阿弥陀如来の大願業力をもつて増上縁となさざるはなし」と。 もしかくのごとくならずは、四十八願すなはちこれ徒設ならん。 後学のものに語る。 すでに他力の乗ずべきあり。 みづからおのが分を局り、いたづらに火宅にあることを得ざれ。 〕といわれたものを伝承されたことは明らかである。善導は他力という用語は用いられないが、曇鸞、道綽の他力思想は的確に伝承されていたわけである。
  18. 『往生要集』中末・大文第五「助念方法」(真聖全一・八四一頁)、『同』下末・大文第十「問答料簡」(同・九〇三頁)、『同』下末(同・九〇六頁)等。
  19. 醍醐本『法然上人伝記』三心料簡事(法然伝全・七八六頁)◇「念仏はわが所作なり、往生は仏の所作なり。往生は仏の御力にてせしめ給物を、我心にとかくせむと思ふは自力也、ただ須く称名に付きたる来迎を待つべし。」→三心料簡および御法語の訓読#no23
  20. 『浄土宗名目問答』中(浄全一〇・四一〇頁)◇この事、極たる僻ごとなり。その故は、他力とは全く他力を馮み、一分も自力無しと云ふ事、道理しからず。自力の善根無しといえども 他力に依て往生を得ると云はば、一切の凡夫の輩、今に穢土に留まらず、みな悉く淨土に往生すべし。 また一念の他力、數遍の自力とは何なる人師の釋なるや。善導の釈の中に自力の他力の義あれども、自力他力の釈無し。一念は他力数編は自力の釈こころ得がたし。
  21. 『選択伝弘決疑鈔』一(浄全七・二〇九頁)◇自力他力とは、自の三学力を名けて自力となす、仏の本願力を名けて他力となすなり。問う、聖道の修行もまた仏加を請う、浄土の欣求も自の三業を行ず、而を偏に名ける意いかん。答う、聖道の行人は先づ三学を行ず、此の行を成ぜんが為に而も加力を請う、故に自力に属す。浄土の行人は先ず仏力を信じ、仏願に順ぜんが為に而も念仏を行ず、故に他力に属するなり。自は強く他は弱しと、他は強く自は弱きとこれを思てしるべし、水陸二道譬の意おのずか顕わるなり。乗仏願力とは即ち第十八念仏往生の願を指す。
  22. 『浄土宗行者用意問答』(浄全一〇・七〇五頁)
  23. 石田充之『法然上人門下の浄土教の研究』下巻「弁長上人の浄土教」(六六頁)參照。
  24. 前掲註參照。
  25. 『散観門義』三(西山全三・三四三頁)◇「一切三世の善根、皆悉く(開)会して弥陀功徳に納まり、通じて浄土の業因と成りぬれば、往生の思ひより外さらに余の事あるべからざるなり。」
  26. 石田充之『法然上人門下の浄土教学の研究』上巻「証空上人の浄土教」(二八二頁)參照。
  27. 『散観門義』二(西山全三・三四二頁)◇「知るべし、善の体は嫌ふ所無し、心の開不開に依るべしということを。」
  28. 『述成』(『西山上人短篇鈔物集』八三頁)
  29. 『同右』(同右・八四頁)
  30. 『同右』(同右・八五頁)
  31. 『同右』(同右・八六頁)
  32. 『同右』(同右・八七頁)
  33. 『散観門義』三(西山全三・三五三頁)◇「乗彼願力の道とは、前に行者の清浄の願往生の心、白道に譬へたりといへども、今願力之道に乗ずるといふは、他力に依りて願往生の心も起こりぬ。往生の心あれども、その行業の成ずることは願力に依るということを顕すなり。」
  34. 『述成』(『西山上人短篇鈔物集』八二頁)
  35. 『西山善慧上人御法語』(『西山上人短篇鈔物集』一三二頁)
  36. 『略安心鈔』(『西山上人短篇鈔物集』一八一頁)、『安心鈔』(同上・一八五頁)にも同じように、仏心と凡心とが一つになって往生(即便往生)している状況を機法一体とよんでいる。
  37. 「登山状」(『拾遺語灯』中・真聖全四・七二六頁)、尚この書は、古来聖覚の作と伝えられている。しかし法然の名によって山門へ送られたというから、法然の作に準じてさしつかえなかろう。◇ →登山状
  38. 『教行証文類』「行文類」偈前の文(真聖全二・四二頁)◇「おほよそ誓願について真実の行信あり、また方便の行信あり。その真実の行の願は、諸仏称名の願(第十七願)なり。その真実の信の願は、至心信楽の願(第十八願)なり。これすなはち選択本願の行信なり。その機はすなはち一切善悪大小凡愚なり。往生はすなはち難思議往生なり。仏土はすなはち報仏・報土なり。これすなはち誓願不可思議一実真如海なり。『大無量寿経』の宗致、他力真宗の正意なり。」
  39. 『同右』「行文類」他力釈(真聖全二・三五頁)◇「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。」
  40. 『同右』「行文類」他力釈(真聖全二・三五頁)◇「他力といふは如来の本願力なり。」
  41. 『同右』「信文類」(真聖全二・五八頁)には、真実の行信をおさえて、「爾者若行若信、无一事非阿弥陀如来清浄願心之所回向成就、非因他因有也可知」◇〔しかれば、もしは行、もしは信、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまふところにあらざることあることなし。因なくして他の因のあるにはあらざるなりと、知るべし〕といい、「証文類」(同・一〇六頁)には「夫案真宗教行信証者、如来大悲回向之利益、故若因、若果、无一事非阿弥陀如来清浄願心之所回向成就、因浄故果亦浄也、応」◇〔それ真宗の教行信証を案ずれば、如来の大悲回向の利益なり。ゆゑに、もしは因、もしは果、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまへるところにあらざることあることなし。因、浄なるがゆゑに果また浄なり。知るべしとなり。〕といい、行信、因果のすべてが如来の清浄願心の廻向成就の相とみられていた。
  42. 『末灯鈔』第十条(真聖全二・六七一頁)◇ (消息 P.783)
  43. 同右』第二条(同右・六五八頁)◇(御消息 P.746)