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「瞻病随意の医薬」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

(ページの作成:「せんびょう-ずいいのーいやく  瞻病(看護)と、随意(医師)と、医薬(投薬)の三。瞻はみるの意で看病の看と同じ意。<br /> 生...」)
 
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 [[瞻病]](看護)と、随意(医師)と、医薬(投薬)の三。瞻はみるの意で看病の看と同じ意。<br />
 
 [[瞻病]](看護)と、随意(医師)と、医薬(投薬)の三。瞻はみるの意で看病の看と同じ意。<br />
生死の迷いを病気に譬え、それを治療する方法を医療になぞらえて、適切な看護と意に随って治療する医者と投薬の三種を挙げる。ここでの随意という表現は仏の[[随自意説]]をしめすという。([[信巻末#P--266|信巻 P.266]])<br />
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生死の迷いを病気に譬え、それを治療する方法を医療になぞらえて、適切な看護と随意に治療する医者と投薬の三種を挙げる。ここでの随意という表現は仏の[[随自意説]]をしめすという。([[信巻末#P--266|信巻 P.266]])<br />
  
 
:→[[たとへば…治すべからず]]
 
:→[[たとへば…治すべからず]]

2018年5月11日 (金) 15:55時点における版

せんびょう-ずいいのーいやく

 瞻病(看護)と、随意(医師)と、医薬(投薬)の三。瞻はみるの意で看病の看と同じ意。
生死の迷いを病気に譬え、それを治療する方法を医療になぞらえて、適切な看護と随意に治療する医者と投薬の三種を挙げる。ここでの随意という表現は仏の随自意説をしめすという。(信巻 P.266)

たとへば…治すべからず
仏菩薩に…発せん