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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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ここで、聖道門をさしおいて浄土門に入り、[[雑行]]をなげうって浄土門の[[五正行]]に帰し、五正行中の読誦・観察・礼拝・讃嘆供養の[[助業]]をかたわらにして、[[正定業]](正しく往生の定まる行業)である称仏名のなんまんだぶを専らにすべしとされて、聖道門と浄土門、[[雑行]]と[[五正行]]、[[助業]]と[[正定業]]の[[廃立]]をされておられる。<br />
 
ここで、聖道門をさしおいて浄土門に入り、[[雑行]]をなげうって浄土門の[[五正行]]に帰し、五正行中の読誦・観察・礼拝・讃嘆供養の[[助業]]をかたわらにして、[[正定業]](正しく往生の定まる行業)である称仏名のなんまんだぶを専らにすべしとされて、聖道門と浄土門、[[雑行]]と[[五正行]]、[[助業]]と[[正定業]]の[[廃立]]をされておられる。<br />
そして「<kana>称名必得生(しょうみょう-ひっとくしょう)</kana> <kana>依仏本願故(えぶつ-ほんがんこ)</kana> (称名はかならず生ずることを得。{{ULR|仏の本願によるがゆゑに}})」と[[廃立]]の結論をされておられるのであった。この依仏本願故の〔なんまんだぶ〕を往生の[[行業]]として受け容れた[[信心]]を、往生成仏の正因というのである。浄土真宗では'''「[[安心]]は[[廃立]]にあり」'''として「安心=信心」について徹底的に[[廃立]]を論じ他力のご信心を顕かにする。それは仏心であるような信心を意味するのであった。御開山は、その仏心が名号となって届いているご信心を「真実の信心はかならず名号を具す(真実信心 必具名号)」([[信巻本#no50|信巻 P.245]])といわれたのであった。<br />
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そして「<kana>称名必得生(しょうみょう-ひっとくしょう)</kana> <kana>依仏本願故(えぶつ-ほんがんこ)</kana> (称名はかならず生ずることを得。{{ULR|仏の本願によるがゆゑに}})」と[[廃立]]の結論をされておられるのであった。この依仏本願故の〔なんまんだぶ〕を往生の[[行業]]として受け容れた[[信心]]を、往生成仏の正因というのである。浄土真宗では'''「[[安心]]は[[廃立]]にあり」'''として「安心=信心」について徹底的に[[廃立]]を論じ他力のご信心を顕かにする。それは本願力により回向される信であるから、仏心であるような信心を意味するのであった。御開山は、その仏心が名号となって届いているご信心を「真実の信心はかならず名号を具す(真実信心 必具名号)」([[信巻本#no50|信巻 P.245]])といわれたのであった。<br />
  
  
 
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2018年9月29日 (土) 14:55時点における版

さんせんのもん

 『選択集』名号付属章にある文。『選択集』の内容を短くまとめた一節で「略選択」とも呼ばれている。

「それすみやかに生死を離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を(さしお)きて、選んで浄土門に入れ。
浄土門に入らんと欲はば、正・雑二行のなかに、しばらくもろもろの雑行を(なげう)ちて、選んで正行に帰すべし。
正行を修せんと欲はば、正・助二業のなかに、なほ助業を(かたわ)らにして、選んで正定をもつぱらにすべし。
正定の業とはすなはちこれ仏の名を称するなり。称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに」と。(選択集 P.1285),(行巻 P.186)

ここで、聖道門をさしおいて浄土門に入り、雑行をなげうって浄土門の五正行に帰し、五正行中の読誦・観察・礼拝・讃嘆供養の助業をかたわらにして、正定業(正しく往生の定まる行業)である称仏名のなんまんだぶを専らにすべしとされて、聖道門と浄土門、雑行五正行助業正定業廃立をされておられる。
そして「称名必得生(しょうみょう-ひっとくしょう) 依仏本願故(えぶつ-ほんがんこ) (称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに)」と廃立の結論をされておられるのであった。この依仏本願故の〔なんまんだぶ〕を往生の行業として受け容れた信心を、往生成仏の正因というのである。浄土真宗では安心廃立にあり」として「安心=信心」について徹底的に廃立を論じ他力のご信心を顕かにする。それは本願力により回向される信であるから、仏心であるような信心を意味するのであった。御開山は、その仏心が名号となって届いているご信心を「真実の信心はかならず名号を具す(真実信心 必具名号)」(信巻 P.245)といわれたのであった。