廃立

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はいりゅう

 二者を比較して優劣、または難易を分別して、一方を廃し、一方を真実として立てること。仮に用いた方便を廃し捨てて、真実を立てあらわすこと。ここは聖道門を廃して浄土門を立てること。(改邪鈔 P.931, 一代記 P.1286)


 二者の難易、勝劣などを判別して、一方を廃し、一方を真実として立てること。ここでは阿弥陀仏の身土を応身応土とする説を廃して、報身報土(ほうじんほうど)とする説を立てること。→三身#報身 (口伝鈔 P.892


 出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社)
 出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社)
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 御開山は「行巻」で諸師の引文の結論として、法然聖人の『選択本願念仏集』の三選の文を引かれる。御開山は「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。」(歎異抄 P.832)といわれるほど忠実な弟子であった。このような御開山ならば、主著の『教行証文類』には『選択本願念仏集』からの引文が溢れるほどある筈である。しかし引文は『選択本願念仏集』の劈頭の文「南無阿弥陀仏{往生之業 念仏為本}」と、以下の三選の文だけである。(正信念仏偈の偈文を除く)
先達はこの意を、『選択本願念仏集』の始めと結論を挙げることによって『選択本願念仏集』全部を引文されたのであるとする。そのような意味において、この「三選の文」は、選択本願念仏という念仏一行の選択による廃立を論じられる御開山にとって重要な意味を持っていたのであろう。なお、三選の文とは、文章中に選の字が三あるので三選の文という。この文は『選択本願念仏集』の結論なので「略選択」とも呼称する。
[三選の文]

「それすみやかに生死を離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を(さしお)きて、選んで浄土門に入れ。
浄土門に入らんと欲はば、正・雑二行のなかに、しばらくもろもろの雑行を(なげう)ちて、選んで正行に帰すべし。
正行を修せんと欲はば、正・助二業のなかに、なほ助業を(かたわ)らにして、選んで正定をもつぱらにすべし。
正定の業とはすなはちこれ仏の名を称するなり。称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに」と。(行巻 P.186)

ここで、聖道門をさしおいて浄土門に入り、雑行をなげうって浄土門の五正行に帰し、五正行中の読誦・観察・礼拝・讃嘆供養の助業をかたわらにして、正定業(正しく往生の定まる行業)である称仏名のなんまんだぶを専らにすべしとされて、聖道門と浄土門、雑行五正行助業正定業の廃立をされておられる。
そして「称名必得生(しょうみょう-ひっとくしょう) 依仏本願故(えぶつ-ほんがんこ)(称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに)」と廃立の結論をされておられるのであった。この依仏本願故の〔なんまんだぶ〕を往生の行業として受け容れた信心を、往生成仏の正因というのである。浄土真宗では「安心は廃立にあり」として「安心=信心」について徹底的に廃立を論じ他力のご信心を顕かにする。それは仏心であるような信心を意味するのであった。御開山は、その仏心が名号となって届いているご信心を「真実の信心はかならず名号を具す(真実信心 必具名号)」(信巻 P.245)といわれたのであった。
御開山が「大経和讃」の結論として、

念仏成仏これ真宗
 万行諸善これ仮門
 権実真仮をわかずして
 自然の浄土をえぞしらぬ (大経讃 P.569)

とされた意である。