「願往生心」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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2024年7月1日 (月) 01:00時点における版
がんおうじょうしん 願往生心
がんおうじょうしん 願往生心
阿弥陀仏の浄土に生れたいと願う心。略して願生心ともいう。
「散善義」 に
- 「衆生の貪瞋煩悩のなかに、よく清浄の願往生心を生ずるに喩ふ」(七祖 468)
とある。親鸞はこの文を 「信巻」 に引用して
と読み、『愚禿鈔』では
- 「能生清浄願往生心といふは、無上の信心、金剛の真心を発起するなり、これは如来回向の信楽なり」(註 537)
と解釈して、願往生心が阿弥陀仏から回向される心であることを示している。(浄土真宗辞典)