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「久遠実成」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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くおんじつじょう
 
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 久遠劫の過去世において実に[[正覚]](しょうがく)を成就し[[仏]]になっていること。一般に釈尊について、そのさとりの内容、つまり[[法]]が常住不変であることにもとづいていわれるが、これに準じて[[阿弥陀仏]]も久遠実成の古仏、久遠実成阿弥陀仏といわれる。すなわち経典には[[十劫]](じっこう)の昔に成仏されたとあるが、実は久遠の昔からすでに成仏せられていた古仏であるということ。
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 久遠劫の過去世において実に[[正覚]](しょうがく)を成就し[[仏]]になっていること。一般に釈尊について、そのさとりの内容、つまり[[法]]が常住不変であることにもとづいていわれるが、これに準じて[[阿弥陀仏]]も久遠実成の古仏、久遠実成阿弥陀仏といわれる。すなわち経典には[[十劫]](じっこう)の昔に成仏されたとあるが、実は久遠の昔からすでに成仏せられていた古仏であるということ。  ([[持名鈔#P--1001|持名鈔 P.1001]])
 
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2008年1月9日 (水) 18:50時点における版

くおんじつじょう

 久遠劫の過去世において実に正覚(しょうがく)を成就しになっていること。一般に釈尊について、そのさとりの内容、つまりが常住不変であることにもとづいていわれるが、これに準じて阿弥陀仏も久遠実成の古仏、久遠実成阿弥陀仏といわれる。すなわち経典には十劫(じっこう)の昔に成仏されたとあるが、実は久遠の昔からすでに成仏せられていた古仏であるということ。  (持名鈔 P.1001)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

 弥陀成仏のこのかたは
     いまに十劫とときたれど 
    塵点久遠劫よりも
     ひさしき仏とみえたまふ
          大経和讃  P.566 林遊